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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

死人花

作者:田所米子
 曼珠沙華。
 地獄花、葬式花に幽霊花。
 毒花と痺れ花。ついでに狐の松明と葉見ず花見ず。

 ――これが何かお分かりですか?
 ええ、そうです。彼岸花の異名です。方言などを合わせると別名はこの他にも沢山あって、何でも千以上を数えるとか。

 ……申し訳ございません。気分を害してしまいましたか? 
 お客さまはこのような「ど」が付く田舎に、それは見事な彼岸花の群生地があるという噂一つで飛んで来たようなお方ですもの。当然、ご存じでしたよね。差し出がましい真似をしてしまいました。
 何せ、私の民宿から花畑までは、大人の足でも一時間半はかかりますから。しかも、車も通れないような山道を越えなければなりません。その間ただひたすら無言で歩き続けるのもどうかと思っていたのです。私達は彼岸花を見に行っているのですから――私は道案内ですが――彼岸花の話でもして暇をつぶそうと。田舎の寂れた民宿の、久々の都会からのお客さまを退屈させてはいけませんから。

 ――え? 迷惑ではなかった? 
 お客さまが急に黙り込んでしまったから、私はてっきり、知らないうちに気に障るようなことを言ってしまったのだと思っていたのですが。
 何だ。歩き疲れて足が痛かっただけなんですね。良かった。……あ、すみません。お客さまのお加減が悪いのに、「良かった」なんて。
 群生地にはあと三十分足らずで到着します。ご心配なさらずに。ここまで歩いてきたのですもの、今更引き返すのはもったいないですよ。
 民宿に帰って温かいお湯に浸かったら、疲れも吹き飛びます。美味しい夕食の準備もしています。このあたりの山菜を使った懐石です。しっかり食べてぐっすり眠れば、翌朝には足の疲れも消えているでしょう。それでも不安だとおっしゃるなら、湿布も用意しますよ。だから大丈夫です。

 先ほどの話、続けてくれ? 確かに、黙々と歩き続けるのにも飽きてしまった? 
 はい。分かりました。

 この地では彼岸花は、死人花と呼ばれております。もちろん、数ある異名の内の一つです。土葬が主だった時代に死体を狙う害獣避けとして、毒がある彼岸花を墓地に植えることがありました。一説には、だからこのような異名があるのだと申されています。
 ですがこの地では、この呼称には独特の由来があるのですよ。この集落でひっそりと語り継がれた昔話を、今からお話しますね。険しい山道の慰みにでもなれば幸いです。語り終えるころには、群生地にも着いているでしょう。それまでのちょうどいい気晴らしになります。

 むかしむかし――おとぎ話はいつも「むかしむかし」で始まります。そして続くのは「あるところに」ですが、この物語の舞台ははっきりしています。私達が目指す、彼岸花の群生地です。あそこは、遙か昔には小さな村があったのですよ――とても貧しい暮らしをしている女の子がいました。といっても、この地は冷害の影響でたびたび飢饉に見舞われる貧しい土地でした。そもそも土地が貧しいので、どうしても作物の収穫量は少なかったのです。少女の村の住人も、多少の差はあれどほとんどは、日々の糧にも苦労するような生活を送っていました。
 少女の家の貧困は、ずば抜けたものでした。なぜかと言いますと、彼女の一家は、とある理由で村八分――江戸時代の歴史の授業で教わった、火事と葬式以外の付き合いを断つというあれです――を課されていたからです。少女が過酷な貧困を強いられたのは、彼女の父の行動がきっかけでした。彼は、村の庄屋の理不尽な年貢の取り立てに異を唱えた結果、村八分を言い渡されてしまったのです。彼の抗議は正当なものでしたから、同村の人々はこの沙汰に内心同情していました。しかし村の有力者に逆らっては、生きていくことはできません。だから見て見ぬふりをしていたのです。

 ……お客さま、ご覧になってください。あちらにぼんやり、赤いものが見えるでしょう? あれが彼岸花の群生地です。遠目だと、まるで血の海のようですよね。

 幼い時分から村の人々との付き合いを禁じられていた女の子ですが、数え年で十二までは何とか生き抜くことができました。父母と共に山に入って集めた木の実やキノコ。山菜。ごくまれに知らぬうちにこっそりと戸口に置かれている、村人からのおすそ分け。そういったもので、どうにか糊口をしのいでいたのです。

 女の子が十二歳になった年に、何があったかって? それは今からご説明します。

 彼女が十二になった年にあったもの。それは、未曽有の大飢饉です。何でも、江戸の最大飢饉と言われる飢饉に匹敵するものだったとか。原因はやはり冷害。災難に見舞われたのはこの地方だけでしたが、ずいぶんな餓死者を出したそうです。もちろん、少女の村も例外ではありませんでした。
 例年ならば、僅かばかりとはいえ黄金色の稲穂が頭を垂れる季節。常よりも涼しい夏が過ぎて秋が巡っても、年貢米が収穫できる見込みはない。年貢米どころか、他の作物も。

 ……どうしてかつて村だった場所が彼岸花に埋め尽くされているのかも、気になりますか。
 それはいずれ明らかになりますから、ご心配なさらずに。

 村人たちは困り果てましたが、その影響を最も受けたのは少女の一家でした。
 今まではほんの少しだけとはいえ期待できた、村人からの差し入れ。それもなくなってしまいました。おまけに、貴重な山の幸も、飢えた村人の手によって根こそぎ奪われてしまった。去年までは少女の一家のために、村人は山のものにはあまり手を付けないようにしていたのですが。
 その年は、体力のない老人や幼児から餓死していくような有様でした。そんな状況では、他人への思いやりなどどこかに消え去っていくのでしょうね。ですから仕方のないことだったのですよ。村人たちは、明日には死体に――もちろん、人間の、です。耕作用の牛馬や犬猫など、とうの昔に食い尽くしておりました――手を付けなければならないかもしれない、という困窮をぎりぎりで耐えしのいでいました。

 ――あ、ほら。彼岸花ですよ。ここまで来れば、だいぶはっきり分かりますよね。
 近くで見ると、とても綺麗なんです。お客さまも楽しみでしょう? 
 ……顔色が優れませんね。いかがなさいましたか? 
 歩き疲れて足がくたくたになった? もう一歩も歩けそうにない?
 でもあと少しですから、頑張りましょう。群生地に到着したら、見物がてら足を休めましょうね。

 女の子は、極貧に喘ぎながら成長した割には、風邪一つひかない丈夫な子供でした。ですがそんな彼女も、飢饉でずいぶん追い込まれてしまい、骨と皮だけになってしまいました。お腹が減って、お腹が減って、いつも食べ物のことばかり考えてしまう。目を皿のようにして食べ物を探しても、どこにも何も残っていない。
 女の子は半ば惰性で、ふらふらと食べ物を求めてさまよいました。そしてある時、あぜ道に咲く紅――彼岸花を見つけました。そのとき、彼女は母親の言いつけを思い出したのです。「彼岸花の下には死体が埋まっているから、根本を掘ってはいけない」
 それからは無我夢中でした。赤い花の下には死体が、肉が、食糧が埋まっている。少女の脳内にあったのは、ただそれだけ。 

 ――いくら食べ物に困っていても、食人だけはしてはいけない。そんなことをするのは、畜生にも劣るやつだけだ。と、おっしゃいましたか? それは、飽食の時代の戯言ですよ。
 人間は万物の霊長だなどと謳っても、所詮は動物。食わねば生きていけません。食が全ての基本なのです。

 女の子は死肉のために、体中の力を振り絞りました。しかし指先が血だらけになるまで地面を掘り返しても、出てきたのは彼岸花の鱗茎のみ。少女は心底がっかりしましたが、鱗茎だって食物には違いありません。空腹だったことも手伝って、土まみれのそれを口に入れました――それが彼女の最後の食事になるとも知らずに。おそらく、彼岸花に毒があるなんていう事実は、少女の頭の中からは抜け落ちていたのでしょう。

 ……ええ。ご指摘の通り、彼岸花の鱗茎には毒がありますが、長時間水に晒せば抜けてしまいます。ですから戦時中は、救飢植物として重宝されていたそうです。毒を有するために年貢の対象とはされなかった彼岸花は、非常食として田畑のあぜ道で栽培されておりました。

 彼岸花の鱗茎を咀嚼し嚥下した少女に、酷い吐き気と腹痛が襲いました。どれぐらいもだえ苦しんでいたでしょう。少女の霞む視界は、ふいに幾人かの下半身を捉えました。今日の食事を用意しようとあぜ道に訪れた村人のものでした。実は少女が見つけた鱗茎は、村人たちの最後の食糧だったのです。村八分にあっている少女一家には分け与えてはならない、と庄屋は宣告しておりましたが。もっとも、庄屋が忠告しなくとも、村人たちは少女たちにそれを分けることはなかったでしょうね。
 彼らは怒り狂っておりましたから――数少ない食料を横取りされたのですから、当然でしょうね――迸る激情のままに、少女に制裁を加えました。私刑リンチです。少女はその場から逃げ出したかったのですが、手足がしびれて動けません――それも彼岸花の毒の効果だったのでしょうね。そして、とうとう殴り殺されてしまいました。
 困ったのは、少女を死なせてしまった村人たちです。
 まだ幼い女の子を、あれ程痛めつける必要はあったのか? どうして私たちは少女一家にも鱗茎を与えなかったのだろう? そもそもどうして、庄屋の言いなりになって、彼女たちを追い詰めてしまったのか……。
 どんな熱さも喉元すぎればなんとやら、ですね。罪悪感に打ちひしがれた村人たちは、手を取り合って彼女の墓を――墓石などという立派なものは用意できませんから、土饅頭のそっけないものです――作りました。少女の小さな躯が獣に食い荒らされないように、墓の周りに彼岸花も……。

 ――とうとう到着しましたよ! ここがお客さまが目指した彼岸花の群生地です。見事でしょう?
 ほら、あそこの大きな石に腰かけて。ゆっくりご覧になってください。私はせっかくですから、このお話を最後までお話します。
 まだ続きがあるのかって? ございますとも。

 月日が巡って数年後。やがて彼女の墓の周囲からは、目を奪うような彼岸花が咲きました。そこらのものより、一層鮮やかな赤です。まさに、お客さまの眼前に広がっている彼岸花のような。
 かつての飢饉を、彼岸花以外の物によって生き延びた村人たちは、何やら不吉な予感がすると怯えました。
 ……やはり異変は起こりました。少女の村のみを襲った水害と、稲の病による凶作という形で。
 かつての飢饉のときを上回る食糧不足により、村人は全滅してしまいました。住む者がいなくなった村は、少女の墓からあふれ出た彼岸花で埋め尽くされたのです。この群生地は、このような経緯で形成されたのですよ。
 少女の村の近隣の住人は、この彼岸花は少女の怨念と血肉を啜ったからこんなにも美しい、と恐れました。そしていつしか、この地では、彼岸花を死人花と呼ぶようになったのです。死人を養分にして咲き誇る花だと、ね。

 ――これは、誰もが知っている「桜の木の下には死体が埋まっている」というお話のヴァリアントではないかって? おっしゃる通りです。

 そもそも、実は私は、このお話を信じていません。だって、大飢饉の真っ最中ですもの。埋葬されたなんて、あり得ない。女の子は僅かばかりの肉をかれるどころか、頭を割られて脳髄を啜られ、骨の髄まで貪られたに決まっています。第一、村人が全滅したのなら、誰がこの物語を語り継いだのでしょうか?
 伝承は、美化あるいは歪曲されるものです。ありふれた悲劇の中で、語られるに相応しい美しさかとびぬけた悲惨さを持ち合わせた物語だけが生き残る。
 「昔々の大飢饉の時、小さな女の子が空腹のあまりろくに毒抜きもせずに彼岸花を食べて死んでしまいました。村人たちは女の子の死体を食べて生き延びました」
 掃いて捨てるほど転がっている、残酷ではあるが平凡な昔話です。面白くも、美しくもないでしょう?
 彼岸花には毒があるから気を付けろなんて、誰でも分かっています。それこそ飢えて目がくらんだ子供以外はね。だからたいした教訓にもなりはしない。
 ですからこのお話は、おそらく嘘。もしくは史実を基にした作り話なのですよ。もしかしたら、この彼岸花に箔を付けるために、宣伝効果を上げようと数世代前の地元の誰かがこしらえたものかもしれませんね。この集落の取り柄は、戦前から彼岸花だけなのです。財源確保のための、多少の毒はありますが罪はない作り話なんですよ、きっと。
 ……私は、桜の可憐で微笑ましい薄紅などより、この妖艶な赤こそ血を吸ったのだと称賛されるに相応しいと思っているのですけれどね。

 あら? お客さま、ずいぶん顔色が良くなりましたね。では民宿に戻りましょう。帰りは下りになっていますから、行きよりも楽なはずです。
 ……あ、少し待ってください。最後にもう一度、じっくりお花を目に焼き付けましょうよ。彼岸花の盛りはもうすぐ終わります。次の機会は一年後なんです。少し寂しいですよね。そう思うと、お客さまもこのまま立ち去るのが惜しくなったでしょう? せっかくだから、もう少し。

 ほら、よく見てください。
 あの紅、やっぱりとても見事。まるで血を吸ったみたいですよね。

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