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Make-Believe  作者: 青川有子
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第3話 玉座の少女 その2

 万里谷ミトは、弓野クオの来て欲しくない生徒が誰なのか、名前までは聞き出せないようだった。しかし彼女は保健室の養護教諭から、裏をとった。どうやら万里谷ミトは養護教諭と仲がいいらしい。南條テンがケンカした日、保健室に大怪我で運ばれてきた生徒。その生徒に付き添って保健室に来たのは、確かに弓野クオなのだという。

 生徒会室にやってきた万里谷ミトは、セイジに手柄はどうなったのかと目配せしてきた。セイジは目だけで笑って見せて、返した。その時の万里谷ミトのなんともいえない表情を、セイジは絶対忘れないと思った。


 南條テンが、弓野クオの気にする人物だとして――、会長はその次で足踏みしていた。南條テンが来ないようにするというのは――彼女の周りにだけ、広報が届かないようにする? いや、いくらなんでもそんな風には――。セイジも考えてみたが、よい方法は浮かばなかった。



 その日の生徒会長は、なんとなくツンツンした雰囲気だった。模擬喫茶の件だろう。広報の企画書を前に、さっきからずっとペン回しなどしている。

 と、生徒会室の扉がノックされ、失礼しますという声と共に、扉が開いた。

「こんにちは、北見ケイタ君」

 会長の声で、その生徒が北見ケイタだと知る。セイジは顔を上げなかった。北見ケイタなど見るものか。北見ケイタを前にした会長も、見るのものか。

「珍しいね、こんな時間に。次の授業は?」

 今は午前の授業の合間にある短い休み時間である。中等部の校舎から距離のあるこの生徒会室へは行って帰るだけで休み時間が終わってしまう。

「去年履修済みの授業なので休みです」

「あらそう」

 北見ケイタが気安い状況なのを知ると、会長は少しツンとした声を出した。

「定期報告の用紙が手元になくなってしまったので、何部か頂きたいのですが」

「いいわよ。セイジ、印刷する時間ある?」

「五部くらいでいいですよね?」

 セイジは言われたとおりに、定期報告の用紙を印刷する。印刷機に紙を噛ませて、印刷ボタンを押し――、北見ケイタがこちらに向かって何か言った気がしたが、聞き流した。

「南條テンちゃんは元気にしてるの?」

 会長は手元の書類を埋める気は、全くないようで、北見ケイタと話を始めた。プリンターの作動音が、響く。

「ええまあ。身体は元気ですし、最近は気持ちの方も元気です、が……今日僕がお弁当を作れなくて……少し怒られました」

「夜更かしして寝坊したとか? ケイタ君でもそういうことがあるのね」

「ありますよ、それくらい。僕はそんなに規則正しい質ではないですよ?」

「じゃあ……今日のお昼はどうするの?」

「カフェテリアに行こうと思ってます」

 印刷された用紙を手渡すと、北見ケイタは去っていった。

「セイジ、チャンスよ! これは、一石二鳥!」

 会長は先ほどまでの暗澹とした雰囲気がウソのように、明るくウキウキと言った。

「模擬喫茶のチケット印刷して! 二枚」

 セイジは了解の返事をして、また印刷機に紙を噛ませる。プリントが終わるまで、会長の鼻歌を聴くことが出来た。


 会長の考え出した案は、こうだった。つまり南條テンを、模擬喫茶に行かせてしまう、ということだった。南條テンが既に模擬喫茶の存在を知って、来店してしまえば、あとはもう、弓野クオが広報を恐れる理由がなくなる。荒療治だが、会長らしい考えだった。

 弓野クオは、南條テンの来店に、きっと驚くだろう。困り果ててしまうかも知れない。それをサポートするのは、ウェイトレスとして彼の側にいる万里谷ミトの役目だ。会長はきっと、昼休みまでに、万里谷ミトに言い含めるのだろう。

 しかし、南條テンを模擬喫茶に来店させるだけなら――先ほど生徒会室に来た北見ケイタにチケットを渡せば済む話である。どうやら……会長には、もうひとつ別の思惑があるようだ。一石二鳥、会長はそう言ったのだから。


 昼休み。セイジは教室の自席で、ノートパソコンから学園の警備システムを覗いていた。画面上に表れるのは、カフェテリアの地図と生徒証の位置を示す小さな点。

 セイジは警備システムから、学園内の指定した生徒証の位置を、知ることが出来る。生徒は、生徒証を常に携帯することが義務づけられていた。だから生徒証の位置を知ると言うことは、本人が学園内のどこにいるかを知ると言うこととほぼ同義だった。

 会長はカフェテリアにいる。万里谷ミトも一緒。万里谷ミトが、北見ケイタに接触している。そのまま――南條テンと、四人で同じ席に座った。

 何か、意味があるのだろうか。わざわざ、北見ケイタと南條テンに、万里谷ミトを会わせて……何か意味があるのか。セイジはパソコンの画面から、視線をそらし、窓の外を見た。

 何故自分はここにいるのだろう。四人が談笑してる様が目に浮かぶ気がした。そうか――自分は、友ではないのだ――会長の友では、ないのだ。



 次の日。南條テンの模擬喫茶来店は、上手くいったらしい。セイジの画面上でも、南條テンと北見ケイタは、模擬喫茶にいる。会長は少し様子を見たいと言って、見に行って、そして帰ってきた。

「セイジ、勅令状の用紙印刷してくれる?」

 生徒会室に入ってくるなり、会長はセイジにそう言った。

「分かりました……でも、何故?」

 セイジはマウスを繰ってパソコンの中からファイルを呼び出すと、プリンターの電源を入れた。

「ん? ケイタ君、そろそろ来る頃かなって」

「……そうですか」

 勅令状と書かれた用紙が印刷されていく。これがあの北見ケイタに渡るのかと、セイジはしばらくそれを眺めた。印刷が終わった用紙を会長に手渡し、自分の席に戻る。

 勅令状のファイルを閉じると、先ほど中断した作業のファイルが出てきた。だがそれを続けるより、セイジは新しい窓を開いた。学園の生徒のデータベース。北見ケイタ。所属・学籍番号・性別……末尾には、セイジ自身が付け足したメモがあった。「生徒会特命使」――会長の勅令を受けて仕事をする生徒会役員。そしてもうひとつ、「救世主」と。それは会長と北見ケイタの間でしばしば登場する言葉だった。それを耳に留めたセイジが、以前メモしたのだろう。

「会長、救世主って、なんですか?」

 なんとなしに、聞いてみる。

「ん……、そうねぇ……」

 会長は机の上の勅令状を撫でながら、呟くように答えた。

「誰かを助けたいと願うこころは、本当にきれいだから……」

 セイジはハッとして、会長を見つめた。甘いような、切ないような……。

「誰だって、自分の心が薄汚れたつまらないものだなんて思いたくないわ。出来ればきれいなこころを持っていたいと願うのよ」

 会長の伏せたまなざしは、柔らかく、優しげだった。

 セイジは会長の表情を、残さず目に入れようと思った。だってセイジは四六時中会長と一緒にいるけれど、こんな様子の会長は滅多に見ることが出来ないのだ。

「傷ついたり困ったりしている友人がいて……ただその人が自分の友人であるという理由だけで、その人を励ましたり慰めたり、時に矢面に立って庇ったり……そんな風にして、人を助けたがる人がときどきいるのよ。人を助ける人は、そうすることで自分を救っているのよ。誰かの役に立ちたいと思うこころは、本当にきれいだから、そんなこころを持ちたいのよ。誰かを助けたいと願って、自分の心をきれいにしたいの。自分の心をきれいにするための、救世主ごっこ……ケイタ君は、そういう子なんだと思うわ」

 会長はそう言って、小さくため息をついた。

 セイジは再び、モニターに向かう。北見ケイタ、彼が会長にこんな表情をもたらすのか……。

「どうして、分かるんですか? 彼がそうだって」

「うーん……私も似たようなものだから、ね。まあ、私の方が幾分薄汚れた役ではあるけれど」

 セイジはデータベースを閉じた。

 やがて、生徒会室の扉はノックされ、北見ケイタがやってきた。


「中等部二年、北見ケイタ。あなたに万里谷ミオを救う任務を与えます」

 会長が勅令状を差し出し、北見ケイタはそれを受け取った。

 北見ケイタが去ったあと、会長の瞳は、優しさではなく――何かうかがい知れない悲しみで――再び、かげった。



 万里谷ミオ――、普段男装している万里谷ミトは、女装の時にはミオと名乗るらしい。ミトとミオは双子の兄妹で……などと、前に会長から聞いたことがある。

 セイジには、よく分からない話だった。だって、会長は、万里谷ミトが女装していようが男装していようが、彼女をミトと呼んだし、服装に関係なく女の子のように扱っていた。だとしたら、万里谷ミトが、ミトとミオの二つの名を使い分け、双子の兄妹を演じるのに、なんの意味があるのか――セイジには、さっぱり分からなかった。

 以前、気になって、学園の生徒のデータベースと照らし合わせたことがある。万里谷ミオという名の生徒は、今はこの学園にいない。いるのはただ、万里谷ミトだけ。生徒会の権限は、この学園の内だけだ。だから――いくら会長の勅令とはいえ、学園にいない生徒を救えなどと、書類に書くことは出来ないはずだ。だからきっと勅令状には、万里谷ミトの名があるはず。

 分かることは――、北見ケイタは「救世主」。誰かを救うことを望み続ける人間。その彼が、万里谷ミトを救う――それを、会長が望んだということ。

 会長と万里谷ミトは、親友だ。会長は万里谷ミトのために書類を書いて、彼女が私闘で相手に怪我をさせても、学園側から罰則を受けないように庇っている。もし親友が間違ったことをしたならば、庇って甘やかすのではなく、罰を受けさせるのが道理のはずだ。しかし会長はそうしない、そうさせない。そう、会長は、慮っているのだ、万里谷ミトにとって決闘が――それによって誰かが怪我をすると分かっても――どうしても必要なのだということを。

 それでも、会長は北見ケイタに勅令状出して、万里谷ミトを救えと言った。万里谷ミトが決闘を続けて――それを会長が庇い続ける、それは、真に望まれる状態ではないということ。会長の瞳が、かげったのは、自分では救えない友を、誰かに託すしかなかったから?



 その後、模擬喫茶の宣伝は、会長の提案より幾分控えめになったが、行われた。客足はそこそこで、模擬喫茶は概ね成功といえた。

 南條テンと北見ケイタが模擬喫茶に行ったその次の日から、万里谷ミトは彼ら二人と昼食を共にするようになった。すると自動的に、会長はセイジと生徒会室で昼食をとることになる。

 セイジは会長と一緒にいられることを、純粋に嬉しいと感じたが、会長のなんとなくスッキリしない表情は、セイジの胸を重くした。だからセイジは、普段ならきっと言わないようなことを、言った。

「会長……万里谷先輩と、北見君と、一緒に昼食をとればいいのではないですか?」

 言ってみて、失言だったと思った。会長は、眉根を寄せて困った顔のまま、笑ったのだ。

「私まで行ったら、話がややこしくなるじゃない――。私は、ケイタ君やテンちゃんと仲良くしたいわけじゃないわ。でも――ただ、ミトには、上手くいって欲しいって思ってる」

 会長のかげった瞳。セイジは何も言えなかった。万里谷ミトが――上手くいくとは、どういうことなのだろう……。北見ケイタが万里谷ミトを救うとは、どういうことなのだろう……。



 いつもと変わらない日だと思った。そう思って見た会長は、いつもよりそわそわとしていた。何かあるのだろう。セイジは何も思い至れずに、唇を噛んだ。

 ノック。控えめな。しかし扉は開かない。

「――ミト?」

 会長は名を呼んで、席を立ち、扉を開いた。廊下には竹刀を持った万里谷ミトが、たたずんでいた。

「ミノリ、悪いけど――ケイタ君、怪我をするかも知れない」

 会長はうなだれた。

「それは、私に断ることじゃないわ――ケイタ君は自分で望んで、あなたと決闘するのよ。そうでしょう?」

「……」

 万里谷ミトは、充分沈黙してから、言った。

「私は、知ってるよ。言ったじゃないか、ミノリは。大切なものだって。だから」

「うん……もう、言わないで」

 万里谷ミトの胸に、会長が頭を押しつけた。会長の肩を万里谷ミトがそっと抱く。ほんの短い時間だった。会長は万里谷ミトを見上げ、用意していた書類を手渡す。

「ありがとう、ミノリ。――行ってくるね」

 会長はいつまでも、去りゆく万里谷ミトの背を求めて、廊下を見ていた。



 会長が席に着く。セイジは彼女らのやりとりが、分からなかった。

「会長――万里谷先輩は……なんて?」

「決闘よ。ミトがケイタ君に、決闘を申し込んだの」

「……どういうことですか?」

「ケイタ君が勝てたら――ケイタ君は、ミトと――ううん、ミオと、お付き合いできる」

 会長は、ため息をついて、肩をおろした。

「ミトはずっと探していたの。ミトをミトとして、そして同時にミオとしても付き合ってくれる相手を。だけどそれはとても難しいこと。今まで何度も――ミトはその相手を見つけようとして、失敗して――傷ついた」

 万里谷ミトは仲良くなった男子を、決闘でズタボロにする――それは、試すため? 決闘という――危険な、不必要に危険な、状況で、それでも彼女を「二人」として扱えるか? 一人の滑稽な茶番ではなく、「二人」に必要な決闘として、扱えるか。

「私は、ミトとはとてもよい友達になれたと思う。だけど――『二人』とは、友達になれなかった。私はミトが女の子だって、最初から分かってしまったし、それ以外に、見えなかったから」

 再び息を吐く。友がいて、傷ついていて、でも自分では救うことが出来ない。だから。

「ケイタ君なら、出来るって思ったの。ケイタ君なら、ミトとミオの『二人』の友達になれるって。だって、ケイタ君はとても優しくて、賢くて――強い子だから」

 託したのだ。石英ミノリは、万里谷ミトを北見ケイタに託した。石英ミノリは信じている。救世主の北見ケイタを、信じている。なのに――ああ、会長の瞳に宿るのは、あまりにも悲しい光。

「だからきっと、勝つわ。ケイタ君は、ミトに勝つ――」

 小さく、聞こえた。嗚咽。

 それは勝手な思い違いだったかも知れない。王ならば、人前で涙など見せないだろう。だから、泣いていない。学園の王たる生徒会長は泣かない。だけど、見えたのだ。彼女が、玉座の少女が泣いているのが、セイジには分かった。

――私の大切なもの、貸してあげるから――

 そう言った。廊下から響く優しい会長の声を、聞いた。ならば大切なのだ、石英ミノリにとって、北見ケイタは大切な――大切な。

 雫が落ちたあとの瞳は、深く、暗かった。思うのは、北見ケイタのことか。

 痛めつけられているだろうか――万里谷ミトの理不尽な暴力に、北見ケイタは抗うことなど、出来るのだろうか。あんなに小さな身体で。


 セイジは学園の警備システムを呼び出した。打ち慣れた一連の数字を入力する。北見ケイタの学籍番号。彼の居場所が地図となって、モニターに映し出される。旧体育館。傍らにあるもうひとつの生徒証は――確認する――やはり、万里谷ミトだ。


 セイジは会長の顔を見た。会長は暗い表情のまま、うつむいている。

 何故? 何故だ。そんなに大切なら、貸さなければいい。いくら親しい友を救うためだとして、傷つけられたくないくらいに、大切なものならば――そばに、おいて、護ればいいじゃないか。誰にも見つからないように、隠して……。会長にはそれが出来る。出来たのに、わざわざ、貸し出して、大切なものが傷つくかも知れないと、不安で、こんな暗い顔を見せるのは、何故――?

 それほどに、万里谷ミトが大切? いや――違う、違うのだ。

 選んだのだ、彼女は。選んだのだ――自分の中にある無数の感情の中から、ひとつだけ、選んだのだ――。

 王であるために。玉座の王として振る舞うために。


「会長」

 呼ぶ。彼女は暗い瞳を上げて、セイジを見た。

「終わった、ようです。万里谷先輩が――保健室へ向かっています」

「――ケイタ君は?」

「教室へ向かって移動しているようです」

「じゃあ――」

 そうだ、勝ったのだ。北見ケイタは勝ったのだ――!

「セイジ、ごめん、私行く」

「中等部の昇降口、その付近で待てば、会えると思います」

「――ありがとうっ!」


 一人の生徒会室。玉座の彼女は、今はいない。

 笑おうと思った。けれど漏れたのは笑いではなく、雫だった。

 大切な、大切なもの。自分の手の中に収めて、仕舞い込んで隠して――。そうしようと思えば、あるいは、出来たかも知れない。会長は北見ケイタを仕舞い込んで、おけた。

 そして自分も――、出来たはずだ。

 不安にうちひしがれる彼女の、小さな肩を抱いて、自分が、自分こそが彼女の不安に、大丈夫だよと、言って、やれた、はずだ。北見ケイタを万里谷ミトに譲って、でもあなたには俺がいますと、そう言えたはずだ。

(そうか――そうだな)

 選んだのだ、自分は。小さな恋しい人を、友人へ譲って、心の痛みにうちひしがれる弱い少女――それよりも、玉座の彼女を。友人のために手駒を使った、英断なる王を。

 そう、同じなのだ。彼女も自分も。選んだのだ。あんなに不安そうに胸を痛めて、けれどそれは彼女が選んだことだったのだ。石英ミノリは、北見ケイタが好き。でも、選んだのだ。会長として、特命使に勅令を出し仕事をさせることを、選んだ。

 知らないだろう、うかがい知ることなど出来ないだろう、北見ケイタ。悔しかった。彼女の胸を占めたであろう、不安も、痛みも、悲しみも。そのどれをも知ることのない、あの少年。悔しかった。

 最初、自分のためにこぼした涙は、今は最早彼女のための涙だった。ああ、全部だ、自分は全部あなたのものだ。悲しみも、涙も。



「今日はとっても楽しかったです。ありがとう、ケイタさん」

「いいえ、こちらこそ。とても楽しかったです」

「じゃ、私、寮の門限があるので、これで」

「はい、また――」

 正門前の噴水広場。手を振って別れる。ミオの姿が宵闇に紛れ、見えなくなる。

 時計を見上げた。確かに今日は遅くなってしまった。ミオとのデートは、日に日に時間が延びている気がする。今日は夕食まで一緒だった。

 さあ、帰ったら明日のお弁当の用意をしなくては。テンに文句を言われないようにするのは、なかなか骨が折れるのだ――。

 はたと、顔を上げる。正門の陰に、人がいたからだ。よく見ればそれは、見知った人物で――、こんな時間にここにいる、と言うことは、恐らくケイタを待っていたのだろう。

「セイジ先輩……」

 名を呼ぶ。彼と口を聞いたことは、一度もないような気がした。生徒会室にいながら、彼は一度もケイタと視線を合わせなかったし、言葉も交わさなかった。しかし嫌われてそうされているわけではなくて、単にそれが彼のスタイルなのだと理解していた。

「北見君、少し、時間をもらえないか」

 セイジはそう言って、ケイタに近づいてきた。

「あ、はい。構いません。何か――生徒会のことですか?」

 きっと違うだろうと、思いながらも、それ以外に思い当たるふしもない。

「……長くなると思う。どこか座る場所を」

 ケイタの返答も聞かず、セイジは座れる場所を探して、さっと歩いていってしまう。身長差のあるケイタは彼の早足に後れをとって、追いつくのに小走りになった。


「俺が生徒会室の鍵を贈られたのは、初等部の五年生の時だ。会長はその時既に生徒会長だった」

 セイジは語り始めた。花壇の置き石の上に膝をたたんでおさまった彼は、なんとなく寂しそうに見えた。

「初等の五年ぼうずから見た、六年の女子先輩ってどう見えるか思い出せるか?」

 ふと、視線をこちらによこす。ケイタが戸惑っていると、セイジは自分のつま先に視線を戻して、あとを続けた。

「……すごく、お姉さんだった」

 ケイタはセイジの瞳に、一瞬だけ温かさを見た。しかし、その熱もすぐに引く。

「だけど、中等生になって会長よりも俺の方が背が高くなって……分別だってそれなりについた。去年君が、生徒会で仕事をするようになってからは――いや、それより前から少しずつ気付いていた――だけど君と、そして万里谷ミトの存在がそれを顕著にさせた」

 ため息のように言う。

「自分よりも圧倒的にお姉さんだと思っていた人は、ただ年がひとつ多いだけの子どもで……」

 セイジは視線を上げ、夜空を見上げた。

「会長は――彼女は、ただの女の子だった」

 ケイタもまた、空を見上げた。黒塗りの、虚ろ。星も見えない。

 玉座の王、それが石英ミノリ。だけどケイタは知っていた。彼女にも傷があることを。彼女はその傷を埋めるために、王として――生徒会長として、振る舞っているのだ。だから、彼女は、本当は王ではないのだ。

 真の王などいるものか。絶対の力を持つ王など、いない。この世に救世主がいないように、王もまたいないのだ。いるのはただ、その座に相応しく演じるだけの、哀れな人間。

 だから、知っている、ケイタは。生徒会長がただの女の子であることくらい。ただの、どうしようもなく無力な少女であることくらい、知っている。

「どうして、そんなことを僕に?」

 ケイタはまた、セイジの横顔を覗いた。

 彼だって分かっているだろう――? 例え会長がただの少女だったとしても、それを口に出してはならないことを。

「――そうだな、俺は、君には知っておいて欲しいと思ったんだ」

 セイジはまた視線をおろした。膝の上で組んだ指を、遊ばせる。

「会長とは本当に四六時中一緒にいるから、よく分かったよ。彼女が君に恋のような感情を抱いているって」

 ハッと、ケイタはすくんだ。思いがけない言葉だった。

「やっぱり、気付いていなかったのか」

 セイジはこちらを見て、苦笑いしている。そんなに、自分は鈍感だったろうか、こんな風に笑われるほど?

「でも、彼女が君に対して持っている感情は、ひとつだけじゃない」

 ケイタの戸惑いをよそに、セイジは言葉を続ける。

「彼女はいくつかある感情の中からひとつを選び取って、君にそれを提示し、君と付き合っている。そう、信頼できる仲間として有能な部下として……それが、彼女が自分の持つ感情から選び取ったひとつだ。君は、彼女の選んだひとつにとても忠実に応えている」

 セイジの言葉は強かった。ケイタはじわりと安堵を感じた。セイジはケイタを責めているわけではないのだ。

「ただ、どうか忘れないで欲しい……彼女の選び取らなかった感情は、消えてなくなってしまうわけではなくて、選び取られたひとつの背後に確かにあるんだってことを」

 強い言葉。想いがこもった言葉。ケイタはその全部を受け取ろうと思った。

「君には知っていて欲しかった――会長が、君と付き合うために選ばなかった感情を――選ばれたひとつを受け取る時、選ばれなかったいくつかがそこにはあるのだということを、知っていて欲しかった」

 告げて、セイジは。ケイタには、彼が泣いているように見えた。そうだ――きっと、今のケイタには見ることは出来ないけれど――彼にも、傷がある。彼だって、きっと、選ばなかった感情を、持て余している。だから――。

「分かりました、セイジ先輩」

 セイジを真っ直ぐに見つめる。

 セイジの瞳に自分の姿が映り込んだと――思ったのは、一瞬で、セイジは勢いよく立ち上がった。

「話はこれだけだ」

 早足。去っていく彼に、ケイタが唖然としている間に、彼の背中はもう見えなくなってしまった。

 大切なのだろう。セイジにとって生徒会長は。そうでなければ、ケイタにこんなことを言うはずがない。そうだ、誰かの大切なものを、自分が粗末にしてはいけない。会長が自分に望むことに、精一杯応えよう。それがきっと、会長の選ばなかった感情への慰めだし――セイジへの誠意でも、ある。

 どこかで、虫の鳴く声がする。星のない夜でも、輝きは胸の内にあるのだ。


Dear My Lady

第4話へつづく

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