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Make-Believe  作者: 青川有子
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第3話 玉座の少女 その1

第2話ふたりの灯火の回答編にあたるお話です。

時系列的には第2話より少し前から始まります。

 笑うことはあるだろうか。

 笑うことは許されているだろうか。

 手をとって、駆けていくことは? 笑いあって、時を共にすることは?

 いくら見つめても――見つめ合っても、それが許されることはあるだろうか――。


 狭苦しい生徒会室で、光るモニターに視線を留めて、ただ流れていく時を――意識を、そのままにして。もし、呟きがあれば、聞き漏らさぬよう、名を呼ばれれば、すぐに答えられるように――。



 昼休みの教室。佐渡(さわたり)セイジは、ノートパソコンに向かって黙々と作業をしていた。

 昼休みが始まってすぐ、パソコンから学園の警備システムを覗いた時、生徒会長の生徒証は、万里谷(まりや)ミトの生徒証と一緒に、カフェテリアへ続く廊下を移動していた。今日の昼休みは、生徒会室での仕事はない。そう断じてセイジは教室に残った。

 会長は生徒会長であると同時に、普通の女子生徒でもあった。彼女の生徒会長としての面に一番多く触れているのは自分だけれど、もうひとつの、女子生徒としての面に一番触れているのは万里谷ミトだった。中等部の時から彼女らは同じクラスで、何かにつけては行動を共にし、周りに親友だと触れてはばからなかった。

 今日の会長は、昼休みを生徒会室の玉座で過ごすより、親友・万里谷ミトとの談笑に費やすことを決めたのだろう。セイジは冷たい気持ちが胸を占めていくのをそのままに、教室でも出来る仕事をやってしまおうと、作業に没頭した。

「さわたりー、客だぞー」

 突然、クラスメイトに呼ばれ、パソコンから視線を上げる。見ると、ひとりの男子生徒がセイジの机へやってきた。

 高等部一年なのは、襟章を見れば分かる。茶色い短髪に、赤い瞳の彼を、セイジは何度かモニターの中に見たことがあった。

 頭の中に、以前見た情報を呼び起こす。弓野(ゆみの)クオ、高等部一年。クラスは確か、普通科の内部進学コース。成績や、スポーツ、芸術において、これといって目立った点はなかったと記憶している。だが、彼は特権生だ。第三調理室――それが彼の特権区だったはずだ。

 弓野クオは彼を案内してくれたクラスメイトに礼を言うと、セイジに挨拶した。

「えーと、初めまして」

 弓野クオは緊張しているのか、少しぎこちない様子だった。セイジはじっと彼を見上げた。

 今まで口を聞いたこともない――クラスも違う――相手に、声をかけられる、と言うのは、なんとなく不気味な感がある。一体、自分のどの要素に用があってこの男は来たのだろう。思う。大抵はひとつだ。

 生徒会。そこでセイジが役員をしていることは、そこそこ知られていた。誰かが生徒会にアクセスしたいと考えたなら――セイジに話しに来ることは、まれにあった。だけれどそれは、お門違いなのだ。

「佐渡、お前って、生徒会やってるんだよな?」

(やっぱり)

 セイジは心中でぼやいて、小さくため息をついた。

「そうだ。何か生徒会に用事があるのか?」

「ああ――頼みたいことがあるんだ」

 弓野クオは上着の内ポケットを探って、折りたたまれたルーズリーフを取り出した。細かなクセのある字が、ずらずらと並んでいる。

「これを見てくれないか」

 セイジは差し出されたルーズリーフを受け取り、目を通した。

 感心して、息を漏らす。それは弓野クオを料理人として、放課後に模擬喫茶を開くという企画書だった。

 弓野クオは特権生だ。特権生はみな一様に、学園から特権区を与えられる。特権区――大抵は、使われていない小さな部屋で、特権生の特性によって、どんな部屋を割り当てられるかが決まる。例えば――生徒会長である石英(せきえい)ミノリは、生徒会室がその特権区として与えられている。

 弓野クオの特権区は、調理室。ということは彼には料理の才があると考えるのが妥当だろう。どの程度かは知らないが――あとで調べればいい。

「生徒会に頼めば、こういうの出来るって、聞いて」

 誰に聞いたのだろうか。そんなことを詮索したくなる。セイジは弓野クオをもう一度見上げた。純朴そうな男子生徒。悪いが、賢そうには見えない。

 再びルーズリーフに視線を落とす。丸々とした小さな字は、がたいの大きいこの男が書いたようにはとても見えない。かわいい女の子の書く字に見えた。そして、内容が――恐ろしくよくできているのだ。模擬喫茶のために借りる場所・設備・人員……細かい部分まで具体的に構想されていて、動く人間さえいれば今にも成功しそうな企画だった。

「ひとつ聞いていいか」

 セイジは弓野クオを見て――ほとんど睨んでいたかも知れない。弓野クオが少し狼狽えたように見えた。

「これは、お前が一人で書いたのか?」

「い、いや、違う。友達が書いてくれたんだ。俺が喫茶店やりたいって言ったら、生徒会に頼むといいって教えてくれたのもそいつだよ」

「……ふむ」

 セイジは息を吐く。こんな実務能力を持った生徒が、いるのか。誰なのか、いずれ聞き出そう。

「それで、どうなんだ? 模擬喫茶ってホントに出来るのか?」

 弓野クオはセイジの顔を覗き込んだ。不安半分期待半分、といったところか。

「この企画書はよく出来ている。生徒会が後援すれば恐らく成功するだろう」

「やった! じゃあ出来るんだな」

 弓野クオは、小さくガッツポーズを作って明るい声を上げる。セイジは彼の単純さに辟易しながら、口をゆがめて笑った。

「そう、急くな。あくまでも、生徒会が後援すれば、の話だ」

 弓野クオは疑問符を浮かべて、こちらを見ている。

「つまりお前は、これから生徒会の後援をとりつけなくてはならないということだ」

「……?」

 セイジはまぶたを少しおろして、視界を狭くする。思った、分からないだろう、にわかには。特に弓野クオのような男には。嬉しいと思ったことをそのまま喜び――、やりたいと思ったことをそのままやる――、そういう人間には、分からないだろう。

 生徒会が何をするのか、どういった存在であるのか――それを決めることが出来るのは、生徒会長である、石英ミノリだけだ。彼女はこの学園の王だ。誰も彼女に指図できない。誰も彼女に逆らえない。彼女の命令は絶対で、勅令を受けたならばそれは必ず果たされなくてはならない。彼女こそが生徒会の意志で、中心で、中核で、彼女の望みを叶えるために、セイジは彼女の元にいるのだ。

「俺は生徒会の活動内容に決定権がない」

 ため息のように、言う。

「え、じゃあ、どうするんだ?」

「生徒会長に直接交渉するんだ。放課後にでも生徒会室に来るといい」

 セイジはまだ疑問顔の弓野クオにルーズリーフを押しつけた。



「よくできてるわねえ、この企画書、あなたが書いたの?」

「いえ、友達が書いてくれて」

「そーお、よかったらその子、今度紹介してね」

「あ、はい。それであの……」

 放課後の生徒会室。セイジはパソコンに向かい、キーボードに指を走らせていた。会長と弓野クオとの会話は、セイジが予想したように、上手くいっているようだった。軽く聞き流しながら、もし会長が自分の名を呼ぶことがあれば、それだけは聞き逃さないようにと、セイジは作業を続ける。

「うんうん、こういうの、大歓迎よ。生徒の自主的な活動を応援するのが生徒会の役目だもの」

「そうなんですか」

「ええ、そうよ。それに企画書がしっかりしてる分、こっちの労力は少なくて済むしね」

「えーと、じゃあ俺はどうすれば……」

「そうね、場所と設備を借りる交渉は、こっちで手はずを整えるわ。実際に事務部と交渉する時は、あなたもその場に出席して頂戴。これは生徒会の企画じゃなくて、あなたの企画だから、あなたが頼まなければダメなの」

「はい」

「それから、このウェイトレスかウェイター一人、っていうのは、あなたにあてがないなら、こっちで探すけど?」

「はい、お願いします」

「了解。メニューと価格はこの企画書通りで大丈夫だと思うし」

 そこで、ふと、セイジは会長がこちらへ視線を伸ばすのを感じだ。

「セイジ、読んでみて気になったところ、ある?」

 会長が自分の名を呼ぶ声に、セイジは内臓が温かくなるのを感じた。

 視線を会長に合わせて、用意していたことを言う。

「広報について、何も書いてありません」

「確かにそうねえ。何かポスターか、ビラ撒きは動員が面倒だし……水曜のロングホームルームに合わせて全校にプリント配布かなあ」

 会長はまた、企画書に目を落として、考え始める。

 ほんの、一時だった。会長が、名を呼んで、こちらを見た。ただ、一時。だけど、それで構わない。セイジは幸せだった。



「ウェイトレス?」

「そう、フリフリの白いエプロン用意するよ~」

「……別に普通のエプロンでいいと思うけど」

「ダメだよ! だってミト、きっと似合うよ。たまには女の子らしくしなきゃ」

「……」

 会長のいつもよりトーンの高い声が、生徒会室の外から聞こえる。相手は万里谷ミト。どうやら会長は、模擬喫茶のウェイトレスに、万里谷ミトを起用するつもりらしい。

 セイジは廊下の声に耳をそばだてながら、作業を続ける。会長のあんな声が、自分に向けられることは、決してない。あんな声の会長は、会長じゃない。ただの女子生徒だ。

「はいはい、分かった、やるよ、やるやる。白いフリフリのエプロンつけるよ」

「やった! 久しぶりにミトの女の子姿見られる♪」

 パンと、感激に手を合わせる音。セイジは息を吐いた。

 万里谷ミトは、なんといえばいいのか、普通の女の子ではなかった。というのも普段彼女は男子生徒の制服に身を包んで、男のように振る舞うからだ。別段それ自体は校則違反ではないのだが、彼女には他にもいくつか奇行があった。例えば……、仲良くなった男子を決闘と称してズタボロにしたり――彼女は、竹刀を持つと一般の男子生徒では敵わないほどに強い。そんなことで、一部からは問題児と目されていた。

 万里谷ミトの奇行に、どんな意味があるのか、セイジには分からない。しかし会長は、彼女の事情を察していて、教職員や他の生徒達からいぶかしがられている万里谷ミトを、陰に日向に庇っているのだ。セイジは、会長が生徒会の決闘許可証に判を押すのを何度か見ている。

 逆に言えば、生徒会長として君臨している石英ミノリの側にいられるのも、万里谷ミトだけなのだ。生徒会長である石英ミノリが、なんでもないただの生徒と仲良くするわけがない。ミノリがミトをいつも庇っている、その事実こそが、ミノリがミトを側に置いても差し支えない条件だった。

 それに、万里谷ミトの持つ、他人を寄せ付けない冷たい感じは、生徒会長の威厳と合わせれば壮観だった。王と騎士が並んで歩くようなものだ。二人が廊下を行けば誰もが道を空ける。

 そんな二人が、今は生徒会室の前の廊下で、こんな黄色い声を上げて会話しているのだ。生徒会室前の廊下は、いつも人気がない――しかしだからといって。セイジはため息をつく以外に、どうしたらいいのか分からなかった。

「あ、ミト、先に言っておくけど、クオ君は、望み薄いから」

「……そう」

「ミトにはね……ちゃんと、用意するから。私の大切なもの貸してあげるから……」

「……」

 生徒会長の優しげな声……セイジには、向けられない、声。

 石英ミノリは万里谷ミトの親友。友達とは、優しさの交換だ。生徒会長にだって、玉座の王にだって、優しさを交換する相手が必要なのだ……。石英ミノリは、万里谷ミトを庇うためなら、いくらでも生徒会の書類を書く。出来る限りの優しさを、万里谷ミトに注いでいる。そして、万里谷ミトが石英ミノリに返す優しさは、一方が一方を庇い続ける非対称な彼女らの関係が、それでも真の友だという事実それだった。



 数日後、生徒会室。

「おかしい」

 生徒会長が呟く。

「何かおかしいわ、彼」

「そうだね、私もそう思う」

 万里谷ミトも同意する。

「ね、セイジ?」

「そうですね」

 名を呼ばれて、セイジは同意した。

 話しているのは、弓野クオのことだ。模擬喫茶は、今日が初日だった。生徒会室には、女子の制服に白いフリルのエプロンをつけた万里谷ミトが来ている。

「なんで宣伝をあんなに嫌がるのかしら」

 模擬喫茶は生徒会の後援を受け、順調に開始にこぎ着けた。準備は万端、なんの抜かりもなく、店は開いた。

 しかし、初日を終えて、お客が一人も来なかったのだ。理由は明確だった。弓野クオが、生徒会長の発案する広報企画に、ことごとく反対したからだ。

「割と最初から小規模な感じだったよね」

「そうねぇ」

「店長は、あんまり大々的にやりたくないんじゃないかなあ」

 エプロンの裾をつまんで手の中で遊ばせながら、万里谷ミトが言う。彼女は模擬喫茶のウェイトレスになって、弓野クオを店長と呼ぶようになった。

「そうは言っても、これはひどすぎ」

 会長はため息をつく。生徒会後援の名を冠しているのだ。ただ弓野クオの自己満足で終わらせるわけにはいかない。いや、彼だって、客が来ることを望んでいるはずだ。

「何か、理由があるはずよね……」

 会長が言う。セイジはその声が、自分の名を呼ぶのを待った。

「ミト、それとなく聞いてみてよ」

「分かった」

 ごく軽い、落胆。いや、まだだ。セイジは画面に注ぐ視線を強くする。呼んでくれ、名を。

「セイジ」

 会長が呼ぶ。セイジは視線を会長に向け返事をした。

「はい」

「そっちでも調べられることがあったら、調べてくれるかしら」

「了解です」

 力強く、返事する。正直、弓野クオのことなど何も分かる自信はなかったが、万里谷ミトが目の前にいるのだ、引き下がるわけにはいかない。生徒会長の騎士は、何も万里谷ミトだけじゃない。セイジだって、立派な騎士だった。いや、騎士……というか、宰相とでもいえばいいのか。

 友人として、石英ミノリに近いのは万里谷ミトだとしても、部下として会長の側にいるのならば、それは万里谷ミトよりセイジの方が近くのはずだ。そうだ、そうでなければ、ならない。

 そうでなければ、自分は、会長の、なんだというのだ。



 次の日、放課後の生徒会室。

「ちょっと不確かだけど、分かったよ」

 万里谷ミトが告げる。

「ホント?」

 会長の嬉しそうな声に、セイジは心中で舌打ちした。こちらは何も分かってない。

「うん、なんかね、店長は……どうも、来て欲しくない人がいるみたい」

「どういうこと?」

「何か……昔、ちょっと気まずい関係になった子がいるみたいで、その子がお店に来るのを気にしているみたい」

「……ふむ」

 会長は万里谷ミトの言葉を受けて、思案する。ん、と息をのんでから、言う。

「気まずい関係になった子が、わざわざ、来るかしら?」

「だよね、私もそう思うんだけど」

 万里谷ミトはどことなく、含みのある感じで言った。

「でもさ、食べるのが大好きで、それ以外に目がなくて……、学校の中で、パフェが食べられるって知ったら、誰がお店をやってるのか確かめもせずに飛びつくような子、だったら?」

 見ると、万里谷ミトは不敵に微笑んでいる。その微笑みで、スッと、空気が冷たくなった様な気がした。

「……ずいぶんと、具体的ね、ミト」

 会長は、万里谷ミトへの視線を鋭くする。万里谷ミトはその視線をきれいに受け流して、セイジの方を向いた。

 セイジは彼女の顔を、初めて見たような気がした。笑うような口元にはそぐわない、底意の知れない瞳。ひやりと、内臓が冷えるような感覚。

「あとは」

 セイジは軽く息をのんだ。

「セイジ君が、調べてくれるでしょう?」

 そういって、微笑む。

 最初に感じたのは、恐怖だった。なんと、いう、牽制。いや、でも。もう一度見返した万里谷ミトは、殺気立った雰囲気は消えて、ニヤニヤと笑う様は、どちらかというと、こちらの様子を楽しむいやらしい感じがした。

 手柄を譲ってやる、と言うことなのだろう。自分は答をこれ以上探さない。ヒントをやるから、お前が答を探し出して生徒会長に告げろ、と、そういうことなのだろう。

 これは優しさなのだ。万里谷ミトの屈折した、セイジへの優しさ。凄んで見せたのは、照れ隠しか――。万里谷ミトは、こんな風にしか、優しさを表現できない。彼女なりの気の遣い方なのだ。分かる、それは分かる。

 だけど、セイジは、彼女と友人になるつもりはない。セイジはただ、会長のためだけに、ある。だからいいか、万里谷ミト。お前には優しさを返さない。



 弓野クオ、高等部一年。特権生になったのは、中等部二年生の時。特権区は第三調理室。部活には所属していない。放課後はほとんど調理室にこもりっきりだ。相対した時は、人なつっこい性格に思えたが、クラスに友人は少ないらしい。

 そこまでは、分かる。分かった。セイジは息を吐いて、モニターから目を離した。椅子の背に身体を預けて、天井を見る。

 セイジの調べられることには、限界がある。セイジがパソコンを使ってのぞき見られるのは、学園側の記録ばかり。個人の端末に忍び込むのは気が引けたし、それ以上に労力がかかりすぎる。

 セイジは、調べたい相手が誰だか分かっているのなら、いくらでも調べられる。が、誰だか分からない人間を誰なのか捜し当てるのは苦手だった。

(食べるのが好き……パフェに見境がない……)

 過去に、生徒参加の企画で大食い大会でもあれば、分かったかも知れないのに、などと、妄想する。文化祭ならクラス主催の模擬喫茶がいくつも出るが……。

 セイジがぼんやりしていると、生徒会室の扉が開いた。ノックがあったかも知れない、聞き逃したのか……まあどうでもいい。セイジはまた、パソコンへ向かう。虱潰しを覚悟して――弓野クオのクラスメイトをピックアップするか――?

北見(きたみ)ケイタ君じゃない、こんにちわ」

 会長が入ってきた生徒に挨拶する。北見ケイタ。生徒会特命使。生徒会長の勅令を受けて行動をする生徒会の役員。中等部二年生。恐らくは会長の――お気に入り。

「会長、定期報告の書類を提出しに来ました」

 北見ケイタはそう言って、会長へプリントを手渡しているようだ。彼は今、会長の勅令を受けて、一人の女子生徒の面倒を見ていた。その女子生徒のことは、覚えている。南條(なんじょう)テン。彼女について知りたいという北見ケイタのために、会長の命を受けて、他ならぬセイジが調べたのだ。

 会長は北見ケイタの報告書を読んで、くすくすと笑った。北見ケイタが来ると、いつもそうなのだ。会長は、セイジに向けるよりも、万里谷ミトに向けるよりも、ずっとずっと大人ぶって見せようとする。そして、どことなくご機嫌で、よく笑うのだ。

「ケイタ君ったら、毎日お弁当作ってるの?」

「はい、そうです。なかなか美味しいって言ってもらえなくて……。テンさんって、すごくいっぱい食べるんですよ」

「ふーん。どれくらい?」

「だいたい四人分くらい食べます。それに、甘いものにも目がなくて……」

(……)

 セイジは、はたと、キーボードを打つのをやめた。顔を上げて、会長を見る。会長の、北見ケイタを見つめるどこか嬉しそうな顔。セイジには決して向けられることのない顔。それを、見て――見てしまって、軽い後悔を覚えたが、それでもセイジは視線を会長へ注いだ。

「どうしたの、セイジ」

 会長はセイジに気付いて、問う。

「あ、いえ……あとで」

 北見ケイタにまで不思議そうに見返されて、セイジは視線を落とした。彼の前で言うのは不適切だろう。そう思った。


 北見ケイタの去ったあと、セイジは会長に、弓野クオが気にかける人物は南條テンではないかと、告げた。

「あり得ない話ではないわね。……確か、南條テンちゃんって、他の生徒とケンカして大怪我させて、停学食らったのよね?」

「はい、そうです」

 セイジは以前調べた南條テンの資料を再び呼び出して、モニターに映していた。

「そのケンカした相手が、弓野クオである可能性は?」

「大怪我したという生徒は、恐らく弓野クオではないでしょう。彼はここ数年、健康そのもので、怪我で保健室に行った記録がありません」

「そう……」

 止まってしまう。そこで。セイジは唇を噛んだ。

(……まだだ。まだ、調べられる)

 マウスを繰って、膨大な資料の中から、探し当てる。南條テンが停学処分を受けた時の記録、怪我をした相手の生徒の名前は記されていない――それは何度も確認した――日付、書類の出された日付、処分が実行される日付、ケンカのあった日の日付は――? あった。

 その日付を、脳裏にメモする。学園の内線の記録の中から、その日付を指定する。宛先の指定――保健室。該当件数は……一件。

「会長、ありました。弓野クオが南條テンと気まずい関係だという、証拠になりそうなものが」

 セイジは会長を見つめ、告げる。

「それは、信用に足るもの?」

 会長のまなざしは、真剣なものだった。嬉しい、嬉しい――ああ、会長の瞳――。

「俺では――判断がつきません」

「いいわ、聞かせて頂戴」

 セイジは頷いて、モニターに視線を戻す。会長、聞いて、聞いて下さい。あなたのために調べました。あなたのために――

「南條テンがケンカした日、内線で保健室へ連絡が入っています。この日、保健室への内線はこの一本だけです」

「……どこから?」

「第三調理室です」

 第三調理室――弓野クオの、特権区。第三調理室から内線をかけることが出来る生徒は、弓野クオだけだろう。第三調理室の鍵を持っているのは、学園中で彼だけなのだ――。

「断定は、出来ないわね。でも」

 セイジは再び、会長の瞳を見つめていた。

「よく、調べてくれたわ。ありがとう、セイジ――」


 笑うことはあるだろうか。

 笑うことは許されているだろうか。

 手をとって、駆けていくことは? 笑いあって、時を共にすることは? いくら見つめても――見つめ合っても、それが許されることはあるだろうか――。

 セイジは誰にも気付かれないように、微笑んだ。いや、誰も気付くはずはない。今、生徒会室にはセイジの他に人はいない。

 会長は万里谷ミトを呼びに、席を外している。結局、会長が頼るのは、彼女の方か。それでも。

(役に立ったさ、俺は)

 涙が出るのではないかと思って、天井を見上げた。けれど眼球は乾いたままで、胸だけがきゅるきゅると疼いた。

――ありがとう、セイジ――

 消えないように刻みつけたその響きを、胸の内で何度も甦らせる。何度も。

(好きだ、会長、あなたが。会長であるあなたが――)

 そうだ、自分が愛するのは、玉座の彼女。

 万里谷ミトが見るような、黄色い声を上げる女子生徒じゃない。北見ケイタが見るような、くすくす笑う女先輩じゃない。

 笑いあうことなど、ないのだ。例え、許されても。手をとって駆けることも、見つめ合うことも。

 そうだ、望まない。だから、それはなされない。

 大切だと想った。愛しいと思った。

 心の内で恋人となった彼女より、ただその座にある彼女を。王である彼女を。

第3話 その2へつづく

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