第6話 籠鳥の空 その4
ケイタの病状など、ミトと話しながら、テンは夜道を歩いた。テンが料理をしたことを言うと、ミトは驚いたようだった。
学園の裏門から敷地に入り、寮を目指す。寮の入り口に立つ人影を見て、テンは立ち止まった。
あ、と思う。
電話をかけ忘れた。守らなくてはならない、決まりだったのに。そうだ……すっかり、忘れていた。
立ち止まったテンに気付いて、ミトは不思議そうにこちらをふり返った。
「どうしたんですか?」
「……お父さん」
テンは口に出して言った。小さなつぶやきだったのに、まるでそれが聞こえたかのように、寮の前に立っていた父は振り向き、テンの方を見た。そして――。
「テン! どこに行っていたんだ!」
駆け寄られる。肩を掴まれ、背けようと思ったのに、しっかりと目を合わせられた。
「心配したんだぞ! 電話がかかってこなかったから……!」
テンは父の瞳を見ていた。あの時と同じだ……、忘れて、覚えていないあの時と。父は泣きそうな顔をしている。
「こんな夜遅くに、寮に戻ってないなんて! 門限はとっくに過ぎているのに! ちゃんと約束しただろう? 寮に入るとき、寮の決まりはちゃんと守りなさいって、寮母さんに迷惑をかけるようなことがあったらいけないって……」
こんなに近くなのに、父と隔たっている感じがした。全身の力が抜けていく。父が肩を掴んでいるから、それで立っていられる。
「あ、あの、お父さん? そんなに怒らなくても……」
ミトが父に声をかけた。
「……君は、誰だ? テンの何だ?」
挑発するような父の言葉に、ミトは視線を鋭くした。
「友達です」
「ああ、そうか――、君が迎えに行ってくれていたのか」
父が肩を離したせいで、テンはその場にへたり込んだ。
「お父さん、テンちゃんだって色々事情があってこうなったんですから、頭ごなしに怒るのは――」
父は薄く笑いながら、ミトをにらんだ。
「君にテンの何が分かるんだ?」
テンは心臓を掴まれた気がした。父は取り乱している。こういう時の父は――ああ、なんで、言って欲しくないことまで、言うのだろう。
「テンは君たちとは違うんだ。こうしなきゃ、そうじゃなきゃ――」
父の声は泣いているみたいだった。父は忘れていない。あの時のことも。テンは一人では何も出来なかった。空っぽだったから。ただ、人から言われたとおりに動くのなら、すぐに、テンは、壊されてしまう。だから――
「テンがどんな目に遭ったかも知らないくせに! 何も、何も知らないくせに!」
父は今度は、ミトの肩を掴んでいる。ミトは泣くように叫ぶ父を、どうしたらいいのか分からないようだった。
テンは立ち上がった。立ち上がって、父とミトの間に入った。
「お父さん、あたしが悪かったよ。ごめんなさい」
そう言うと、父はミトを放して、テンの方へ向き直った。
「もうしません」
「……」
父は黙っている。テンをどうすべきか思案しているのだろう。父の言いつけを守る限り、テンは父の見える外へ行ける。だから、言いつけを破ったのなら――。
「……テン、しばらくは、うちから学校に通いなさい」
ああ、それが妥当だろう。テンは思った。学校に行けるだけ、前よりマシだ。
寮母さんにもそう伝えるからと、父は寮の方へ行ってしまった。
「先輩、ごめんね」
父がいなくなったのを見て、テンはミトに言った。ミトの顔を見たいと思ったけれど、なぜだか視線が届かなかった。
「テンちゃん……大丈夫なの?」
ミトはテンの背中に触れた。膝を折り気味にして、横からテンの顔を覗き込む。その時やっと、テンはミトの顔を見られた。心配してくれるのだ。
「ありがとう、先輩。今はまだ、大丈夫だよ。黒はねにも、伝えて」
テンがそう言うと、ミトはまだ心配そうな顔だったけれど、分かったと頷いた。
「そう、それでテンちゃん、お父さんに連れて行かれちゃったんです」
家の居間で、ミトの話を聞きながら、ケイタは、ふむと息を吐いた。
テンがケイタの家に来てくれたのは昨日だった。そして今日の朝、ミトから電話があり、ミトはケイタの家に来ていた。
薬がよく効いて、風邪の具合はだいぶよくなっていた。まだなんとなく頭がはっきりしないが、ミトの言うことはだいたい分かった。
寮の門限を破り、毎日父にかけるはずの電話を怠ったとして、テンは寮から実家に連れ戻されたらしい。今日は土曜日で、どちらにせよ、週末はテンは実家に帰るのだが、しばらくは実家から学校に通わせるということになったらしい。
ミトはテンの父親に対して、あまり良い印象がないようだった。それどころか、ケイタにはミトが怒っているようにも思えた。
「テンちゃんのお父さんはなんか変です……」
ミトは眉根をよせる。
「テンちゃんもお父さんの前では、なんだか変でした」
ミトは、父親が事情を聞かずにテンのことを決めてしまうのが、悔しかったらしい。そしてそれ以上に、テンが何も言わず、それに従ったことが、ミトにはショックだったようだ。
「テンちゃんだって、夜遅くなる時があったっていいじゃないですか……。それも遊んでたわけじゃなくて、ケイタ君の看病をしていたんですから。初めて一人でお料理だってしたのに。それをなにも、聞かないなんて」
ケイタは頷いた。ミトがテンの父親を理不尽だと思う気持ちは、ケイタにも良く分かった。同じだ。ケイタも、テンの父親を、非道いと思った。
今までも、テンの話を聞く限りではあったが、ケイタはテンの父親がテンを縛り付けているように感じていた。テンが、自由に、何かを感じたり、選び取ったりしていこうとすることを、妨げているように思えていたのだ。
(箱だって、言ってた……)
テンは自分のことを、箱だと言った。空の箱で、父が何か入れてくれなければ、生きられないのだと。
(そんなこと、あるわけないのに。テンさんの中身が空じゃないことくらい、テンさんを見てればすぐに分かるのに)
ため息をつく。
「ケイタ君……」
ミトは少し、声のトーンを落とした。
「テンちゃんのお父さんは、『テンは君たちとは違う』って、言いました。だから、こうしなくちゃならないって……それって」
ミトはケイタの背中のあたりに視線を向けた。そこに何があるか、ケイタ自身が一番よく知っている。
翼。小さな翼。それは証だ。人の子ではなく、人の手で造られた生命という、証。
「翼を持ってる子は、昔から学園にいますよね。みんな普通に接してるし、私自身、翼を持つ子が何か特別だなんて感じません。……なんですけど、テンちゃんのお父さんが言ったのって……関係あるんですか」
ケイタはため息をついた。翼を持っていようと――造られた生命であろうと、人と同じように生きられる。感情も、思考も、意志も、人と同じ。人の家に育ち、人の間で生きるのならば、それは人間だ。人間ならば――。
ケイタは言葉を紡いだ。
「……おそらくですけれど、テンさんは僕たちの中でも少し珍しい存在なんだと思います」
「……それは、えっと?」
ミトが分からないという顔をする。ケイタは少し悩んだ。自分で理解できていることでも、他人に話すのは難しい。
「テンさんはたぶん、家庭用の素体じゃないんだと思います。純粋に労働力としてだけ開発されていた素体があると聞いています。だけど人権の問題がクリア出来なくて、開発が中止になったとか」
人工生命は、先の大災害で、世界的に失われた人口を補うものとして開発された。大災害により人の身体は汚染され、出生率は激減した。だから人工生命は、単に労働力――有能なロボットとしてではなく、人類の子孫として構想された。人工生命は個人の遺伝情報を入力することで、初めて生を受ける。そしてひとたび生を受けたならば、人間と同じように扱われなくてはならない。
純粋な労働力としての人工生命は、この構想の枠から外れたものだった。故に淘汰された。しかし、開発が中止になったということがそのまま、その素体が人間として生まれていないということにはならない。廃棄処分になった素体に、自分の遺伝情報を入力して、養子にする研究員はよくいる。ケイタの親も似たようなものだ。
労働力としての人工生命には、いくつか特徴があった。まず身体を維持するのに必要なエネルギーが極端に少なくて済むことだ。ケイタはおかしいと思ったのだ。あんなに食いしん坊なテンに、父が与えるのがあの栄養剤のゼリーだけというのは、変な話だ。だからつまり、父はテンの食事が本来ならそれだけで済むと知っているのだ。他にも、テンのやたら異常な腕力だとか、当てはまる点はいくつかある。
(何よりも、テンさんのお父さんが、テンさんを空っぽだと思ってること)
家庭で子どもとして育てられる素体は、情緒面の豊かさが何より目指された。人間らしく生まれ、人間らしく育ち、人間らしく生きることを、望まれた。でも、労働力としての素体はそうではない。単純労働に摩耗しないこととは、要するに鈍感さだった。そして指示されたとおりに行動し、固有の意志を持たないこと。テンの父は、テンがそのような存在であると知っていて、そのように扱っているのだ。
「……テンちゃんが、ケイタ君が今言ったのだったとして、それは……」
ミトは、恐る恐る聞いた。テンがそのような存在だったとして――。
「関係ないです」
言い切った。そうだ、関係ない。テンがどのような存在であったとしても、それはテンがどのような存在であろうとするかには、及ばないのだ。
「テンさんのお父さんは間違っています。テンさんも僕も、人ではありませんけど、人と同じように生きています。同じように、感じ、考え、判断できます。テンさんは自分がどんな人間になるか、自分で決められます。だからテンさんの事情を聞かないで、お父さんが全部決めてしまうのは、横暴だと思います」
そうだ、テンの生まれにどんな特徴があろうと、テンはちゃんと意志を持っている。表出は少なくても、感情がある。誰かに共感したり、思いやることも出来る。
「僕たちは、人によって造られました。でも、だからといって、作り手の想定の中に収まる必要なんてないんです。僕らは、超えていけます」
(――そう信じ、そのように努めるのなら)
そして周囲がそのように扱うのならば。
ミトはケイタの返答を受け止めた。テンが自分と違う存在だとしても、友達として父親の横暴に怒っていいのだと知って、ミトは安堵したようだった。
「先輩、テンさんは、何か言っていましたか?」
もし、テンが父との関係で、ケイタの助けを必要とするなら。ケイタはテンのために、どんなことでもしようと思った。でもそれには、テンの望みが必要なのだ。
「……『今はまだ大丈夫』って。それをケイタ君にも伝えて欲しいと言われました」
ミトの言葉に、ケイタは息を吐いた。「今はまだ大丈夫」。今は。
(いずれ――)
そう、いずれ。テンはケイタを必要とする。テンが学校に来るのなら、ケイタはテンに会える。その時に、聞けるはずだ。テンの望みを。
第6話 その5へつづく