表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Make-Believe  作者: 青川有子
11/20

第5話 ふたりの約束 その2

 放課後、旧体育館。

 いつものように、水面に映る夕日の道を見て、ケイタは満足だった。そろそろ帰ろうと、体育館を出る。

 ふと見上げると、体育館の前に人影があった。ケイタは驚く。旧体育館は人気がなく、それ故ケイタのお気に入りの場所だった。時々、生徒会長がケイタに会うためにやってくることがあっても、他の生徒はほとんど訪れない。そんな場所に人がいるなんて……。

 枯れ葉を踏むケイタの足音を聞いたのか、その人が振り向く。ケイタはその姿を見て、また驚いた。違う学校の制服を着ている。

 他校生がこの学園に訪れることは、全くないわけではない。例えば、転入を考える生徒の下見だとか――。もしそうだとしたら、道に迷っているのかも知れない。ケイタは声をかけた。

「他校の方ですよね? 道に迷ったのですか?」

「いえ……えっと」

 煮え切らない……というよりは、自分でもなんと説明したらよいか分からないのかも知れない。言葉を探して逡巡している。

 ケイタは彼をじっと観察した。背はそんなに高くない。歳は、高校生くらいだろうか。透き通るような菫色の瞳。水色の髪はふんわりしていて、優しい顔立ちによくあっていた。見た目だけなら、女の子とも思えたかも知れない。でも声が低かったから、男の子なのだろう……。セーラー襟の黒い制服は、見たことがない。近くの学校ではなさそうだ。

「あの、今日から転校してきたんです。制服が違うのは、それで」

 彼は柔らかく笑って見せた。

「道は分かります。初等部までは、この学園にいたので。久しぶりに戻ってきたから、懐かしくて、あちこち見て回っていたんです」

「そうだったんですか」

 どうもケイタが声をかけたのは、全くのお節介だったらしい。それでも彼は迷惑そうな顔はしなかった。なんだか優しい人に思える。

「ここの体育館って、もう使ってないんですか?」

 小首をかしげて、問うてくる彼に、ケイタは一瞬、止まってしまった。

(……なんだろう、これ)

 既視感? そう思って彼の姿をもう一度よく見てみたのだが、何も感じるところは無かった。ただ女の子のような容姿の男子生徒……というだけで。

「……使って、なさそうですね」

 ケイタが返答しないので、転校生は勝手に納得し、笑って間の悪さを誤魔化した。

 再び何かを感じて、ケイタは混乱した。彼のことは知らない。今初めて会った。だけどなんだか知っているのだ。声でもなく、姿でもなく……。

 必死に記憶を探ってみるが、確かなものは何も引っかからない。ただ何となく、もやもやとしたものがある。ケイタは無意識のうちに、マフラーの先に手をやっていた。毛先を手のひらに押しつける。

「私が初等生の時は、ここもまだ使っていたんですけど」

「……そうなんですか。僕が転校してきた時は、もう使っていませんでした」

 違和感は残ったが、このまま黙っているわけにもいかないだろうと、ケイタは言葉を返した。そう、ケイタがこの学園に通うようになった時、学園から旧体育館の鍵を送られた。旧体育館はケイタの特権区だ。今はもうケイタだけのものだった。

「へえ、あなたも転校生だったんですね。今は中等生?」

「はい。僕がこの学園に来たのは、去年なので、先輩とはかち合ってないんじゃないでしょうか」

「先輩?」

 きょとんと、彼は聞き返した。どうもその呼称が意外だったらしい。

「……年上に、見えたのですけど。同じ学校で、上の学年だったら、先輩って……」

「ええ。そうですね。私は高三ですから、確かに先輩ですね」

 納得したらしく、彼はにこりとした。

 高三と聞いて、はて、と思う。第二学期も折り返したこの時期に、高等部の三年生へ編入するのは、どういうことなのだろう。ケイタが疑問顔を向けると、彼も察したらしい。

「大学部に入るには、一般試験を受けるより内部進学の方が楽なんです。この学園は以前に在学経験があれば書類だけで編入できて……それで」

 そんなことがあるのかと、ケイタは感心した。確かにこの学園は、黙っていても大学部までエスカレーター式に進学できる。

「まあ、でも」

 彼は言った。突然、声の色が変わったようだった。ケイタは背筋に寒気を覚えた。

「ここへ戻ってきた理由は、それだけじゃないんですけどね」

 ハッと、目をとめられる。今までの優しい雰囲気が、嘘のようだ。鋭い、氷のような――。何か恐ろしいものを見てしまった気がした。目をそらせばいいのに、それでも見ることをやめられない。

 そうだ、彼には――傷がある。



 心に傷を持つ転校生。気になった。もし望んでくれるのなら――。

(でも結局、名前も聞かなかった……)

 生徒会長に頼んで、セイジに調べてもらえれば、きっとすぐに分かることだろう。けれど彼の情報が分かったとして、あまり接点のなさそうな上級生に近づくのは、難しそうだ。

(それに望んでくれなきゃ、どちらにしたって無理なんだ……)

 ケイタ一人では誰も救えない。相手がケイタに救われようと思わない限りは、ケイタは何も出来ない。

 目に映る全ての人を救えるわけなどないのだ。だとしたら、望んでくれる人を救うしかない。そして今、ケイタにそれを望んでくれるのは。

(テンさんと――そしてきっと、ミト先輩)

 家に続く道を歩きながら、黄昏の空を見上げる。「ミオ」もどこかでこの空を見ているだろうか。



 次の日の放課後。海浜公園。

 たくさん並んでいる自動販売機の中から、彼女の好きそうなジュースに目星をつける。それを二つ購入し、両手に持って、ケイタは歩き出した。

 自販機の横には、プラスチックの椅子とテーブルが乱雑に並べられている。日差しの強い頃、活躍するはずのパラソルは、今はくしゃりと閉じられていた。

 「ミオ」はぐったりと、テーブルに伏していた。今日は待ち合わせの時から、なんとなく元気がないように感じた。身なりはいつも通りピシッとしている。律儀に第一ボタンまで留めたブラウスを、学校指定とは違う黒いリボンが飾っている。だけど今日は、いつもつけてる花のヘアピンが見えない……。

「ミオさん、はい」

 机の上に、彼女の分のジュースを置く。彼女はまぶたを開き、伏したままケイタを見上げて、言った。

「ありがとう、ケイタさん」

 身体を起こして、ジュースを手に取る。

「ミオさん、今日はお疲れですか?」

 ケイタはミオの隣に、自分の椅子を引っ張ってきて、座る。ミオの顔を覗き込むと、ミオはニコリと笑って、答えた。

「ごめんなさいね、ケイタさん。せっかくのデートなのに」

「いえ」

「すごく具合が悪いというわけではないんですけど……曇りだとなんとなく気分が落ち込むでしょう?」

「そうですね……」

 ケイタは彼女の言葉に同意して、海の方を――空を、見た。

「曇りだと、先輩の好きな夕日も見えないですしね」

 ミオは夕空を見るのが好きだ。それはケイタも同じだった。デートは週に二度だけれど、別にどこへ行くわけでもない。二人で歩いて、空を眺めて、語りあい、笑いあえれば、それが楽しかった。ただなんでもない時間が楽しいというだけで、彼女が癒されるなら、ケイタはそれを続けようと思っていた。

「ケイタ君……」

 名を呼ばれ、ケイタは彼女に振り向く。彼女が見せる微笑みは、穏やかで――いつも明るい「ミオ」が見せる表情と、少し違うような気がした。

「ケイタ君、いつもありがとう」

 ゆるい風が、彼女の髪を揺らす。ケイタは彼女の視線を、受け止めて、何も言わなかった。なんと返せばいいのか、すぐに判断できない。だってこれは、「ミオ」の言葉じゃない。かといって「ミト」の言葉でもない。

(試されてる――?)

 そう思って、少しだけ身体が硬くなった。だけれど、彼女の表情を見るに、緊張する必要はないように感じた。だって、その笑顔はあまりに穏やかで……。

(……信頼? だとしたら)

 ケイタは胸が熱くなるのが分かった。

「いつも、ミオと一緒にいてくれて、ありがとう」

 ああ、と胸の中で思う。やはりこの言葉は、「ミオ」の言葉ではないのだ。

「私は幸せです。ケイタ君がミオを見つけてくれたから。そして、友達になってくれたから」

 救いたいと願った。心に傷を持つこの人を、救いたいと思った。そのためなら、なんだってやると。そして、彼女が幸せなら……ケイタが彼女を救えたのなら、それが、溜まらなく嬉しいのだ。

「ありがとう、ケイタ君……本当に、ありがとう」

 心のなかに、彼女の言葉が入ってくる。この柔らかな響きを、ずっと覚えていようと思った。



 彼女の住む寮は、学園の敷地の中にある。だからデートの終わりはいつも、学園の噴水広場だった。

「ケイタさん、今日は楽しかったです」

 ニッコリ笑って「ミオ」が言う。もうすっかり元気で、いつもの「ミオ」だ。

 手を振って別れる。いつものように。そう思った、のだけれど。

 寮の方へ一歩踏み出した彼女が、そのまま歩みを止めてしまった。肩越しに、誰かいる。その人物と鉢合わせして、彼女は固まってしまったのだ。

「こんばんわ、ミト。久しぶり」

 それは昨日のケイタが出会った転校生だった。セーラー襟の制服に身を包み、夕闇の中でも透き通る菫色の瞳。

「あなたは……」

 ケイタが言うと、彼はこちらへと視線をよこした。少し驚いたような表情を見せ、やがて合点がいったというように、ふうんと息を吐いた。

「北見ケイタ君ですか?」

「そうです、けど……」

 何故こちらの名前を? ケイタの胸を不穏なものが占める。胸騒ぎがした。

「へえ、君がそうだったんですね。ちょっと残念かな。ううん、でもきっと私たち仲良くできますよ」

 彼は一人でそう言うと、彼女の方へと視線を戻した。

「ねえ、ミト?」

 同意を求める。

 しかし、彼女は固まったままだった。

「先輩?」

 見上げる。彼女の顔は蒼白で、閉じられた唇は震えている。

「何も言えるわけないですよね、ミト。傷ついたフリをして、自分の都合のいい幻想に、この子を巻き込んでたんだもの」

 彼は笑った。意地悪な――、まるで「ミト」みたいな笑い方。

「……なんで、ここにいるの」

 震える声を絞り出すように彼女が言う。自分の中の怯えに、必死にあらがっているように見えた。

「ああ、転校してきたんですよ。昨日からこの学校に通っています。ミトには電話で言おうと思ったんだけど、言う前に、切られちゃったから」

 彼はアハハと笑う。彼女はうめいた。

「……どうして今更」

「ミトはそう言いますけど、私がどうしたいかくらい分かって欲しいなァ」

 両手を広げ、手のひらを上にするポーズ。震える彼女に対して、あまりに軽い彼の動作。

「ねぇ? だって、たった二人の姉弟だもんね」

(――あ)

 言われて、初めて気付いた。昨日彼に抱いた、もやもやとした既視感の正体を。そっくりなのだ。しゃべり方、笑い方、まとう雰囲気も――、彼はミトとそっくりだった。

「ケイタ君。自己紹介が遅れてしまってごめんなさい。私の名前は万里谷ミオです。ミトの、双子の弟です」

 底意の知れない微笑み。氷みたいな視線。同じ――ミトと同じ。

 震える彼女の背中に、ケイタはどうしたらいいのか分からなかった。


 転校生が去っても、彼女はその場に凍り付いたままだった。恐る恐る、その背中に、声をかける。

「先輩……」

 今の彼女が、「ミト」と「ミオ」、どちらの顔をするのか分からなくて、名前を呼べない。

「……」

 彼女は答えなかった。けれどうつむいていた顔を、空の方へ向けた。泣き出しそうな顔だった。でもその顔を、ケイタの方へは向けない。

 小さく、唇が動いた気がした。けれど声は聞こえなかった。

 しばらくして。

「……さよなら」

 彼女がやっと紡いだ言葉は、別れの挨拶だった。そのまま寮の方へ行ってしまう。

 ケイタは立ち尽くし、追うことも出来なかった。

第5話 その3へつづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ