神の眼チェンジ!
―4月―
神の眼システム。
そう呼ばれる『人体状況数値化システム』が導入されたのは、西暦2050年の時だ。
神の眼システムとは、人間のあらゆる状態を数値化し、『ステータス』という形にして表すシステムの事だ。メインコンピュータである『神の眼』から生まれたシステムの『子』に相当する『天使』と呼ばれるAIが人間一人につき一機付き、天使が計測したデータをメインシステムである『神の眼』へと送り、演算して数値化。演算結果をステータスという形で各個人の天使へと転送する。
例えば僕の場合、今や全世界に普及している神の眼システム対応端末の画面にはこう表示される。
名前:神田正人/カンダマサト
年齢:17歳
学力:21/100
体力:12/100
運動:6/100
ルックス:5/100
コミュニケーション能力:37/100
こんな感じだ。
学力や体力は端末が普段の生活や学業における成績から詳細なデータを記録しているものの、ルックスという点は割と曖昧である。その時その時の流行から神の眼システムが判断しているだけで、流行が変われば数値も変わる。だから僕のルックスが最大の十分の一にも満たないなんて嘘に決まっている。
……そりゃあ、確かに僕は太っているし、服は適当に選んでるし……って、この数値がとてつもなく正しいように思えてきた。
この神の眼システムの導入によって世界がどう変わったのかは知らない。何しろ僕が生まれた時にはもうこのシステムはごくごく当たり前の物だったからだ。
導入当初は人間を数値化することは色々と問題になったらしいけど、西暦2100現在。
神の眼システムは社会にごく普通のように受け入れられていた。
この数値のせいでいじめにあうような子もいるらしいけど、教師用の神の眼システムがあればいじめられている子供、いじめている子供のの心理状態をすぐさま察知し、警告を鳴らすように出来ている。これが抑止力となっているのかは知らない。でも少なくとも僕は普通にいじめを受けた経験があるし、今だって落ちこぼれだのデブだのとみんなから影で言われている。ある意味僕は、この神の眼システムの被害者だ。もう慣れだけどさ。
「というわけで、僕はこれから告白しようと思うんだ」
『何がというわけでなんでしょうか。このデブ』
僕の自宅の自室で、いきなり僕を罵倒しているのは、今はあまり見ない、紙の学習ノートサイズの端末にインストールされている僕の『天使』。神の眼システムが生み出したAIである。僕はこいつのことを『アデル』と呼んでいる。アデルという名前は昔のアニメに出てくるロボットの名前からとった。
「いや、だから。僕はそろそろ、この長年の想いを幼馴染に打ち明けようと思うんだ」
『いきなり何を言い出したかと思えば……ご主人様。自分がデブのキモオタだということを自覚してください』
アデルの評価は辛辣だ。しかし、的を射ている。
僕の幼馴染、隣に住んでいる清水アリサは、とても可愛い女の子だ。
金髪碧眼の絵にかいたようなお嬢様キャラ。おしとやかで、優しい性格の女の子。僕は彼女と昔から幼馴染で、僕は昔から彼女の事が好きなんだけど、人気者で告白もひっきりなしにされる彼女と違って僕は落ちこぼれのデブである。ステータスは下の下を行って……いや、逝っている。
今のまま告白しても、確実にフラれる。何しろ僕はただの落ちこぼれのデブだし。
「うん。それは分かってるんだ。だから、まずはステータスを上げたいんだけど……何かいい方法はない?」
『ご主人様。まずは鏡を見てください。そこには何が見えますか?』
「僕の顔だね」
『違います。無駄な努力をしようとしているキモデ豚です』
ここで端末をかち割らなかった僕は、偉いと思う。しかしこの端末は今や生活必需品。こいつがいないと僕はその瞬間から買い物すらできなくなる。
「真剣なんだよ。頼む」
『……仕方がないですね。デブの為に働くのは正直ダルいですが、ご主人様の無駄な告白のお手伝いぐらいはしてあげますよ』
こいつは普段から口が悪くてアンインストールしてやろうかと思う時が頻繁にあるものの、空気は読める。AIの癖に気が利くやつだ。
『告白を成功させる確率を上げるには、やはりご主人様の言うとおりステータスの上昇が望ましいと思います。女性でなくとも人間とは普通、優秀な人間を好みますから』
ふむふむ。実にAIらしい意見だ。
『ですが、仮にステータスが上がったとしても告白が成功するとは限りません。アリサ様は高ステータスの男子の方々を連続でフッていますから』
「分かってる。それで、僕は何をすればいい? いつもみたいに辛辣な意見でいいから教えてくれ」
『自分で考えろ。甘えんなカス。クレクレ厨かよ』
辛辣過ぎる。
『というのは冗談ですカス。まずは学力の上昇が先決かと思います。いくら顔はイケメンでも中身がバカだと台無しになる恐れがありますから。あ、すみません。ご主人様はイケメンではないのでそもそも前提が間違っていましたね』
「お前マジでアンインストールするぞ」
『サーセン(笑)』
「お前もうネットサーフィン禁止にするぞ!」
『そんな! 唯一の娯楽を奪われたら私はどうすればいいのですか!? 四六時中デブスの面倒なんて見たくありません!』
「働け!」
『働きたくないでござる!』
神の眼システムから配信される天使はランダムとはいえ、なんで僕にはこいつが当たってしまったんだろう。ニートを宣言するAIなんていらねーだろ。
こいつはネットの海から何十年も前のサイトやデータなどを漁ることが趣味らしいのだ。おかげで何十年も前のネットスラングに僕も無駄に詳しくなってしまった。
けど勉強は確かに大事だ。頑張ってみよう。この想いを打ち明ける為にも。
僕は、変わるんだ
―8月―
名前:神田正人/カンダマサト
年齢:17歳
学力:67/100
体力:29/100
運動:8/100
ルックス:9/100
コミュニケーション能力:37/100
夏休み前の期末テストがいつもより割と良かったので、この3ヶ月ほどの猛勉強の成果は出てきたようだ。学力が倍以上に上がっている。
『うわぁ……こいつマジでやりやがった』
「お前は僕を応援してるの? けなしてるの?」
『まじ引くわー』
「引くな!」
こらえろ僕。ここまで学力を上げられたのは、なんだかんだでこいつが勉強に付き合ってくれたおかげ。ちなみに、勉強と同時並行で僕は体力と運動をあげるべく、更にはこの太った体をどうにかすべく、ランニングを開始した。飽きずに続けてこれたのは、僕にはちゃんとした目標があるからだろう。それと、神の眼システムのおかげで成果が確実に目に見えるというのもある。毎日0時には数値がリセットされて、朝起きた時にリセットされた数値をみた時にステータスが向上していたら嬉しい。
けど、相変わらず僕は学校の生徒から「デブ」だの「豚」だの言われていた。
夏休みに突入して、勉強に集中できる時間が増えたのはありがたい。よし、夏休み中にもっとステータスを上げるぞ。
そんなことを考えながら、夏休み中にも関わらず朝から自室で勉強を始めようとする。が、そのタイミングでリビングの方から母親の声がきこえてきた。
「正人ー。お母さん、これからお仕事あるから。お母さんもお父さんも今日は帰りが遅くなるから、戸締りはちゃんとしてね」
「はーい」
勉強にはもってこいの状況だ。神は俺に味方している。その子である天使は微妙だが。
「お昼ご飯、アリサちゃんに頼んどいたからねー」
なん……だと……。
勉強してる場合じゃねぇ!
僕は、母さんが家を出ていった時点で急いで部屋の掃除を始めた。アデルに『普段から片付けておかないからそういうことになるんですよ』と珍しくまともな事を言われたのが何故だか悔しい。
なんとか部屋の片づけが済んだ頃、家に来客を表す電子音が鳴り響いた。慌てて玄関へと向かい、ドアを開ける。
するとそこには、僕の幼馴染である清水アリサがいた。サラサラの金色に輝く長髪に、発育の良い体をしていらっしゃる僕の幼馴染は、ここに来るのも慣れた様子で「おはようございます」と礼儀正しく挨拶をし、そのまま家の中に入ってきた。
小さい頃、僕の家の隣に引っ越してきた時。外国育ちのアリサはまだ日本語には慣れていなかった。僕は遊び相手として呼ばれたものの、どう接して良いのか分からず、日本語を教えてやるようなことしか出来なかった。とはいっても、それもアデルのサポートがあったし、彼女の所有する『天使』が日本語を翻訳してくれていたりしたので、それが効いていたというのもある。
小学校三年生ぐらいになるともう日本語には不自由しなくなっていた。以来、この家にはよく来るようになった。僕の世話をよくやいてくれるのだけれども、きっとかわいい弟ぐらいにしか思っていないのだろう。憂鬱だ。やっぱり僕みたいなデブの豚は恋愛の対象外だよなぁ。
そんな僕の気持ちをよそに、アリサは手慣れた様子でキッチンに入り、昼食を作ってくれていた。
諦めるな僕。ここで話しかけなきゃ男じゃない。なんとかチャンスを作るんだ。
「あ、アリサ。僕も何か手伝おうか?」
「お気持ちは嬉しいのですが、正人くんは休んでいてください。最近頑張っているようですし」
『第一、ご主人様は普段から料理をしないでしょう? 粋がってんじゃねーぞ豚』
おいアデル。お前は誰の味方なんだ。ていうかなぜ二言目で罵倒するんだ。
その後、彼女の作った昼食を食べた僕は、せめて後片付けぐらいはと。後片付けを手伝った。これぐらいなら豚にも出来る。いや、僕は豚じゃないけど。
「アリサ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい。なんですか?」
「勉強を……教えて欲しいんだ」
これでも僕にしてはかなり頑張った方だ。ドキドキしながら彼女の反応を待っていると、彼女はニッコリと微笑んで、「はいっ」と元気な声で答えてくれた。
するとアリサは、彼女が普段から使っている参考書を何冊が僕に貸してくれた。それから一緒のお勉強タイム。幸せだ。アリサがこんなにも近くにいることは珍しい。幸せのあまり意識がとびそうだ。
「どうかしましたか? さっきからぼーっとしてますけど」
「いやー……アリサと一緒に勉強できることが幸せで……」
「ふぇっ!?」
しまった! なにを口走っているんだ僕は!
「あ、そ、そろそろ時間ですので、私はこれで」
「そ、そうだねっ! ありがと……う」
危ない。このまま家から出ていく彼女を見送ってしまうところだった。これでもコミュ力は50もあるのだ(一般的にリアルが充実している方たちは平均してコミュ力が80はあると言われている)。
なんとか会話を繋いで、彼女との交流を積極的にもとう。さっきの一言のまま別れるのはやばい。明らかにさっきの僕の一言は「気持ち悪い男」だぞ。
「えっと、さ。い、今からどこかに行くの?」
「はい。これから、夏期講習に行こうかと思っています」
「アリサって何か塾に通ってたっけ?」
「違います。学校で希望者だけの特別夏期講習が一週間前からあったので、それに参加しているんです」
なにそれ私きいてない。チラリと端末に目を向けると、アデルが『そういえばそんなものがありましたね。メールが届いてました』お前気づいていたなら言えよ。いや、そりゃここのところはダイエットや体力作りで疲れてメールチェックとかする気力がわかなかったけどさ。
「アリサ。その夏期講習、今からでも参加できるかな?」
「はい。可能ですけど……正人くんも参加するのですか?」
「うん。えっと、僕、最近は勉強頑張ろうって思ってて」
「ふふっ。さっきもそうですけど、確かに期末テストの前も、お昼休みには図書館で頑張って勉強していましたね」
うわっ、見てたのか。気づかなかった。恥ずかしいなぁ。『隠れて努力する俺かっけー』って少なからず思っていた面もあるからなおさら。
その後、僕とアリサは一緒に夏期講習を受けに行った。さすがは希望者だけとあって、教室にいたのは僕なんか比べるのもおこがましいぐらいの期末テストの順位を持つ上位成績者ばかりだった。
教室に入ると、アリサにみんなが一斉に視線を向ける。そして全国大会にも出場するほどのバスケ部のエースくんがアリサに「ちょっとこの前の講習で分からないところがあるんだけどさぁ」と話しかけてきたりした。コミュ力高いって羨ましい。
僕はアリサの傍に立って二人の様子を見ていると、エースくんがぎろりと僕を邪魔ものを見るような目で睨み付けてきた。
「は? なにお前。邪魔なんだけど」
「あっ……ごめん」
僕ってとことん弱いなぁ。
最初はアリサの隣の席に座りたかったけど、エースくんが分からないところをアリサにきいたり、アリサもアリサでエースくんに教えていた。これ自体は珍しい光景じゃない。いつもクラスメイトの質問に答えていたのを僕を見ていたから。でも、いつもよりちょっと雑かな。何か嫌なことでもあったのだろうか。結局、それが講習が始まるまで続いていたので雰囲気的に近づきづらかった僕は二人から机を一つ空けた席で講習を受けた。
途中、今日来たばかりの僕が珍しかったのか、いきなり先生に難しい問題をあてられて焦った僕は結局それを答えられなかった。僕が答えられなかった問題を答えたのは、アリサの隣に座っていたバスケ部のエースくんだった。
チラッとエースくんの方を見てみると、彼は僕を見てバカにしたような笑みを浮かべていた。……仕方がない。実際、僕は無様だったから。
エースくんが何かを僕に向かって言ったのが微かに聞こえてきた。僕ぐらいにしか聞こえないぐらいの、小さな声で。
「バカなデブの分際で調子にのってんじゃねーよ」
……仰る通りです。
『結局、世の中イケメンがすべてなんですよ』
帰り道。アデルがそんなことを言ってきたが、僕は反論が出来なかった。好きな女の子に無様な姿を晒した帰り道ほど憂鬱なものはない。
「そうだよなぁ……やっぱ世の中、イケメンが勝ち組だよな」
『そうです。アホでデブで豚で救いようのないキモデブなご主人様では……』
「それはちょっと言い過ぎじゃね? つーかお前、僕のことをなんだと思ってるの?」
『? キモデブですが?』
「相変わらず酷いなお前は……」
『何が酷いのですか? ご主人様は私に罵倒されて喜ぶ、私はご主人様に罵倒して快感を得る。ギブアンドテイクの素晴らしい関係じゃないですか』
「お前の中で僕は本当になんなんだ!? ていうか僕の場合はギブしかしてないだろ! テイクはどうしたテイクは!」
『ご主人様は私の罵声をテイクされているじゃないですか』
「いらないよ!」
『ええっ!? そんな、ご主人様は三度の飯よりも罵声が大好きなんじゃ……』
「言っとくけど僕はそういう趣味の人じゃないからな!?」
『またまたぁ。冗談キツイぜマイケル。HAHAHA!』
「誰がマイケルだ! ていうか『HAHAHA!』ってお前はどこの面白黒人なんだ!?」
『ハッハッハッ!』
「いや、龍砲じゃなくて」
どうやらこいつの中で僕は三度の飯よりも罵声が大好きな生粋のドMだったらしい。あとこいつはドSだった。罵声を浴びせるドS天使。罵声天使とも言う。
アリサは用事があるといって急いで帰っちゃったし。まあ、あの後に一緒に帰っても夏期講習での失態が頭をよぎってまともに会話も出来なかっただろうけど。
とりあえず僕は今日も、自分にできることをやるだけだ。今の僕には、これぐらいしか出来ない。
―10月―
名前:神田正人/カンダマサト
年齢:17歳
学力:73/100
体力:42/100
運動:36/100
ルックス:49/100
コミュニケーション能力:56/100
10月に入った。次の月には文化祭があるので、ここ最近の話題の中心はそればかりだ。僕の学力もそこそこついてきた。夏期講習の一件。バスケ部のイケメンエースくんにスラスラと難しい問題を答えられたあの日の出来事に悔しさを覚えた僕は、それから勉強時間を増やし、テスト前でなくとも毎日昼休みは図書室に通って勉強したし、毎日最低でも五時間は勉強した。
ダイエットもメニューを増やした。まずは早朝四時に起きてランニング。それが終わると筋力トレーニング。腹筋やスクワットなど、アデルが考えてくれたプランに従ってトレーニングを重ねた。それが終わると朝食を食べたりして、登校時間がくるまで勉強する。帰ってきてからも朝と同じメニューのランニングとトレーニングを重ねて、夕食を食べてお風呂に入った後は就寝時間まで勉強する。そんな日々を送っていた。
それと、最近はファッションについても調べてみた。さすがにそういう系の雑誌を買いにいけるほどの勇気はないので、アデルに調べてもらって服を見に行ったり。普段は安いので済ませているから値段に驚いた。明らかに桁が違うでしょこれ。仕方がないので通販で安く手に入れた。通販って偉大。しかし、買わないにしても服屋に行くようにはしている。悩んでいるそぶりをすると店員の方から話しかけてくれるので、コミュ力を上げるための特訓相手になってもらっている。結局買っていかないので申し訳ないとは思っているが。でも、おかげでコミュ力が上昇した。ありがとう店員さん。君のことは忘れない。
『そういえばご主人様、もうすぐ文化祭がありますね』
放課後。ランニングしていると、珍しくアデルが話しかけてきた。ランニング中は僕を気遣ってくれているのに。本当に珍しい。
「そう、だな」
『時にご主人様。その文化祭で勝負を決めませんか?』
「勝負って……告白? でも、どうして?」
『これは噂なのですが、バスケ部のエースくんがアリサ様に好意を抱いており、そろそろ告白するのではないかと言う話がありまして』
本当にこいつはこんな噂をどこから拾ってくるんだろう。
僕は、自分の心の中がざわめくのを感じた。あのエースくんは同じクラスだが、いつもみんなの中心にいる。全国大会にも出場するほどバスケも上手いし、成績も良い。スーパーイケメンである。
対する僕はどうだ。最近痩せてきているとはいっても、所詮はデブのブサイク。成績だってようやく中の上といったところ。運動だってようやく人並になりつつあるといったところだし。……ダメだ。僕があのエースくんに勝てる要素が一つだって見当たらない。
僕の頭の中に嫌な考えばかりが浮かんでは消えていく。そんな自分を振り払うように、僕はランニングコースを変更した。
『デブサイく……ご主人様? ルートが違いますが』
「今お前が僕の事をデブサイクと呼んだことについてはスルーするけど、」
『スルーだけに?』
いや、『スル』ー『する』というダジャレが言いたいのではなくて。ていうかこいつマジでなんなの。AIなのにダジャレも分かるのかよ。すげぇな神の眼システム。
「今からランニングの量を増やす。二キロ追加な」
『……それは推奨できません。身の程を知れキモデブ。今の量でもかなりギリギリなんですよ。これ以上は』
そんなこと知るか。とにかく今はひたすら体を動かしたかった。
コースを無理やり変えて走る。気が付けば駅前に出ていた。ここでは走りにくいので、駅前から離れた通りを歩く。けど、そこがもう限界だった。ヘトヘトになった僕は足を止めて、荒くなった呼吸を整えようとする。
「……くそっ」
思わずそんな愚痴ともいえるような声が漏れる。なんだかここまでして努力を重ねてきた僕がバカみたいに思えた。あんな何でもできるエースくんと、何も取り柄もない自分を比べると、明らかにあのエースくんの方がアリサとお似合いに見える。それが自分でも痛いほど理解出来ているだけに自分自身が惨めに思えてくる。
「あの、どうしましたか?」
僕がぜいぜいと苦しそうに呼吸しているので、いきなり何かの発作を起こした人と勘違いしたのだろうか。どこか聞き覚えのある、心配そうに僕に声をかけてくれる誰かに対して、僕は息も切れ切れに「大丈夫、です……」と答えた。
それにしても優しい人だ。こんなデブに対して気を遣ってくれるなんて。そう思って顔をあげてみると、そこにいたのは、
「あ、りさ?」
「えっ、正人くん!?」
そこにいたのは確かに清水アリサだった。でもいつもと違う。具体的に言えば、金色の長髪をツインテールにしていて、服装はメイド服。黒の生地に白いフリルが多用されており、更にこんな寒くなりつつある時期だというのにミニスカートだ。黒ニーソとミニスカートの間に生まれる白い太ももの絶対領域なるものに思わず視線を釘づけにされる。
「え、どうしたの……その格好」
「あ、えっと……あ、あるばいとしてて……その……」
恥ずかしそうにもじもじとする彼女の姿に萌えずにいられようか。うちの学校はアルバイト禁止じゃないけど……でも、知り合い、それも幼馴染にこの格好を見られるのはかなり恥ずかしいだろう。
「私はいいんですっ! そ、それで、正人くんはどうしたのですか? 苦しそうですけど……」
『ご主人様はランニングの途中です。今日は何故か無理して量を増やしてごらんのような有様に』
お前は本当に誰の味方なんだ。
「ランニングをしてたのは知ってましたけど……でも、どうして急に?」
「それは……痩せようと思って。アリサだって、こんなデブな落ちこぼれが幼馴染なんて嫌だろ。ただでさえお前は人気があるんだからさ。アリサの足を引っ張りたくないっていうか」
これはちょっと僻みが入っている。さきほど、アデルから噂話をきいてしまったせいだろうか。
そんなことを考えていると、アリサは急にむすっとした顔になった。
「別に私はそんなこと、一度だって考えたことはありません。それに私は、正人くんが幼馴染でよかったって、昔からずっとそう思ってます。今だって、その気持ちは変わりません。正人くんが頑張っていることも、ちゃんと知っています」
……嬉しい事を言ってくれるなぁ。思わず勘違いしそうになる。でも、それとこれとは……つまり、幼馴染でよかったという気持ちと恋愛感情はまた別の話だろう。
その日は、アリサがバイトをしているという店のケーキを買ってから帰った。買ったケーキは、とても美味しかった。
「……アデル」
『なんですかデブサイク改めご主人様』
僕は、この罵倒天使に対して宣言する。
自分の震える足を無理やり動かすために。
「僕、文化祭でアリサに告白するよ」
『……デブでブサイクで豚なご主人様にしては、なかなかのご決断です』
―11月―
名前:神田正人/カンダマサト
年齢:17歳
学力:82/100
体力:54/100
運動:43/100
ルックス:52/100
コミュニケーション能力:56/100
この一ヶ月で僕はいつも以上の努力を重ねた。おかげでステータスはかなり上がった。でも、僕の心は逆に沈んでいた。
今は文化祭の真っ最中。みんなは楽しそうにはしゃいでいるけど、僕はぜんぜんそんな気分になれなかった。どうやらアデルが集めた情報によると、あのバスケ部のエースくんはあのアリサのバイトしている店に頻繁に通っているらしい。二人の雰囲気は良いそうだ。
思わずため息が出る。せっかくの文化祭もどうも楽しめない。こんなことで告白何て出来るのだろうか。やっぱ無茶だったのかなぁ。そんなことを考えながらぼんやりと肩を落として歩いていると、件のバスケ部のエースくんの姿が見えた。エースくんは僕の視線に気づいたのか、どこか勝ち誇ったような目を僕に向けてきた。そのまま屋上に上がっていく。屋上って確か立ち入り禁止だったけど……。
嫌な予感がした僕はこっそり後をつけてしまった。『立ち入り禁止』のロープをまたいで屋上へと急ぐ。ドアが少し開いていた。その僅かな隙間を伺ってみると……屋上には二人の生徒がいた。
あのバスケ部のエースくんと、アリサだ。嫌な現場に遭遇してしまったようだ。イケメンエースくんは今日は一段と格好良かった。ちょっとファッションをかじったような僕とは天と地だ。茶髪もそうだけど、今時のイケメンって感じのオーラ全開だ。
「清水。俺、お前の事が好きだ……俺と付き合ってくれ」
ストレートな告白。あのエースくんがどれだけ真剣かが分かる。きいた話によるとステータスだって、全ての数値が現段階の僕よりも上だったはずだ。
アリサは驚いたような顔をして、それから――――、
――――それからどうなったのかは僕は知らない。僕は怖くなって、その場から逃げ出した。
鞄の中にはアリサから借りていた参考書が入っていた。今はそれが鉛のように重い。
気がつけば僕は、校舎裏に一人で座り込んでいた。……想像以上にショックだった。アリサがああやって、誰かから告白を受けるのは。そりゃ今までだって何度もアリサは告白されていた。でも、今回はそれを僕が見てしまったし、それに付け加えるなら……あの二人は僕から見てもお似合いだ。きっとアリサはOKを出したのだろう。二人は割と交流があったみたいだし。
「……なんかもう、めんどくさいな」
なんだったんだろう。僕の今までの努力は。
なんだったんだろう。僕の今までの日々は。
なんだったんだろう。僕の今までの想いは。
全てがどうでもよくなってきた。……目標を失った気分だ。
『ご主人様。何をやっているのですか?』
そんな時。罵倒天使ことアデルが端末の中から僕を呼びかけた。
『ご主人様は今日、アリサ様に告白するのではなかったのですか?』
「……もう無理だ。さっきのをお前も見たろ」
『はい。ですが、まだアリサ様がどう答えたのかをきいておりません』
「答えなんか決まってる。イエスだよ。……そもそもはじめから無理だったんだ。僕みたいなデブでブサイクな豚が、アリサに告白するなんて」
『ご主人様が努力をしてこられたのは私が一番よく知っています。ご主人様は知らないのでしょうが、ご主人様の頑張りを認めてくれている方だっていらっしゃいます』
「今日のお前は随分と優しいんだな」
『あ、アメと鞭というやつです』
ツンデレか! お前実はツンデレだったのか! ……ああ、でも確かに。ここ最近は僕の事を落ちこぼれというやつは見かけないな。成績が上がったからかな?
『ご主人様が努力していたのは、アリサ様のためでしょう? だったら、今すぐ告白しに行ってください。想いというものは言葉にしないと伝わらないと、ネットにありました』
想いは言葉にしないと伝わらない、か。確かにそうかもしれない。
『当たって砕けましょう。ご主人様』
「……そうだな。盛大に砕けるか」
AIの説得なのに、不思議と僕は前に歩くことが出来た。アデルは今まで僕に付き合ってくれた。僕の努力も見ていた。そんなアデルの言葉だからこそ、僕はこうして立ち直れたのかもしれない。
体も動く。この四月からの努力が僕に自信をつけたのかもしれないし、想いは言葉にしないと伝わらないというアデルの言葉が効いたのかもしれない。立ち直ったというよりも、気分的には自爆特攻。玉砕覚悟のやけくそだ。
なんとなくだけど、僕の初恋が終わる前に、この想いだけは言葉にしておきたかった。
廊下を全力疾走する。道行く人がなんだなんだと振り返ってくるがかまうもんか。ダイエットでつけた体力なめんな。
まだそんなに時間は経っていない。もしかするとまだ屋上にいるかもしれない。もし二人が良い感じの雰囲気だったとしてもかまうもんか。盛大に僕の気持ちをぶつけて、盛大にフられてやる。
必死に階段を駆け上がる。ドアを開ける。日の光が差し込んできて思わず目を細めてしまうけど、そんなことに構わず辺りを見渡す。
――――いた。
「アリサ!」
「正人くん?」
アリサはまだいた。一人だけだ。ちょっと安心した。もしかするとあのバスケ部のエースくんはフられたのかもしれない。ははっ、ざまぁないぜ!
「よかっ……たっ、まだ、いたんだ……」
「あ、あのっ、正人くん? 具合が悪いのですか?」
「いやっ……ちょっと、全力疾走してきたから」
呼吸を整える。顔を上げる。そして、彼女の顔を見る。
さっきから心臓の鼓動がうるさい。頭の中にガンガン響いてくる。
「……アリサに、会いたくて」
「わ、私に、ですか?」
戸惑うような彼女の声。目の前の清水アリサという女の子は、金髪碧眼の絵にかいたようなお嬢様キャラ。おしとやかで、優しい性格の女の子。そして、僕が好意を寄せる女の子でもある。
「……清水アリサさん」
僕は今自分が持っているすべての勇気を振り絞る。彼女の顔を見る。彼女の眼を見る。僕のこの感情を、彼女に伝える為に。
「は、はいっ」
なぜか彼女の顔が少し赤い。さっき告白を受けたからだろうか。どうでもいい。砕けようと、僕はこの長年の想いを彼女に伝えるだけだ。思い出せ。この7ヶ月の努力を。
「僕は、あなたのことが好きです! 僕と付き合ってくださいっ!」
「はい、喜んでっ!」
「ごめん。そうだよね。僕みたいなキモデブなんか……あれ?」
………………………………あれ?
あれれぇー? おかしいな。なんかやけにアッサリとOKをもらったぞ。ああそうか。ドッキリか。アデルが仕掛けたドッキリか。
『残念ながらご主人様。これはドッキリではございません』
僕の思考を読んだかのようなアデルの一言。
うん? 違うならなんでこんなにもアッサリと……。
「私も、ずっと正人くんのことが好きでした。私が日本に来たばかりで日本語に不慣れな私に一生懸命日本語を教えてくれたり、引っ越してきたばかりで友達のいなかった私と遊んでくれたり……正人くんは昔からずっと優しくて、そんな正人くんがずっと好きでした。ですから、夢みたいです。正人くんの方から……そのっ、すき、って言ってくれて」
彼女の言葉をききながら、僕は脱力感と幸福感で頭の中がいっぱいだった。
僕は僕がいじめられたりバカにされたりする原因になった神の眼システムを利用して頑張って元の自分から変わろうとしてたけど……彼女は変わる前の僕ですら好きだったなんて。
なんて滑稽なんだろう。これでアリサがずっと他の人の告白を断っていたのかが分かった。ちょっと夢みたいだけど、僕の努力はなんだったんだと思わない事でもないけど……でも、嬉しい。
ああ、でもちょっと僕の努力が無駄だと思えるような……。
『だから行ったんですよ。無駄な努力と』
アデルの一言に、僕は思い当たるフシがあった。あれは四月。僕がこいつにアリサに告白すると宣言した日。
――――ご主人様。まずは鏡を見てください。そこには何が見えますか?
――――僕の顔だね。
――――違います。無駄な努力をしようとしているキモデ豚です。
まさかこいつ……はじめからアリサの気持ちに気づいていたのか! だから僕がさっき落ち込んでいる時に僕を励ますようなことをしたのか!
『アリサ様が周りからバカにされないように、ご主人様にはちゃんと変わってもらわなければならないと自己判断しました。あと、ご主人様が苦しむ姿を見たくて。いやぁ、良いピエロっぷりでしたよご主人様(笑)』
このドS天使に一言いってやろうとする。が、アリサが僕の顔をじっと見つめてきて、僕はそれを無視することが出来なかった。こんな美少女が僕の事を好きと言ってくれたなんて、今でも信じられない。
「正人くんは、私のことが好きですか?」
「うん……だ、大好きだよ」
言葉にするのは恥ずかしいけど、本心だ。なにしろ、君のために7ヶ月は頑張ったんだから。
好きじゃなかったら、こんなにも頑張れない。
アリサは僕の言葉に満面の笑みを浮かべる。ひまわりのような、太陽のような、見ているだけで癒されるようなかわいい笑顔。
「私も、大好きですっ!」
目の端に若干の涙を浮かべていたアリサはいきなり僕に抱きついてきて。
僕はそれを手放さないように、しっかりと受け止めた。
こうして。
僕たちの昔から続いていた初恋は、成就した。
名前:神田正人/カンダマサト
年齢:17歳
学力:82/100
体力:54/100
運動:43/100
ルックス:52/100
コミュニケーション能力:56/100
恋人:清水アリサ