96.解答
これは夢でも幻でもない。
たしかに、今確実に、彼女は、明理は、自分達の目の前にいる。
浩輔の脳裏に強いデジャブが走り、何とも皮肉な呟きとなって本音が漏れた。
「ったく……『正義の味方でない』って言ってたくせに、来るのが、遅いんだよ……!」
ユミルから解放され意識を取り戻した浩輔であったが、未だ全身に痺れが残っており、上手く体を起こすことが出来ない。
自由の効かない身体の歯がゆさを口の動きだけで表していると、すぐ傍に花田が腰を屈めて近寄ってくる。彼も先程からの非現実的な人災の連続で、顔のいたるところに擦り傷を増やしていた。
「篠田さんっ!」
「俺は大丈夫だ……意識はある……ほんと意識だけだけど……」
さらに反対側から、砂埃にまみれた真織が這いずるようにして寄って来る。
「せんぱい……あれは、明理さん……ですよね?」
「ああ……」
「大丈夫、ですよね……?」
「今は俺達の、味方だ……いや、あの人の敵は、ユミルだけだ……!」
浩輔はそれまでの明理とのやり取りを説明するまでもなく、確固たる口調で答えた。全幅の信頼などではなく、もはや最後の頼みの綱と言わんばかりの願望。
この場にいる人間達は、もはや抵抗できるような状態ではない。誰にも頼ることは出来ない。体勢の僅かな差はあれど、誰も彼もが地面に体を預けている有様なのだ。
今、この時、文字通りその場に二本足で立っている者は二人だけ。
対峙する両者は肉体の大小はあれど、恐ろしい程に同じ形状の顔立ち。ある程度の事情を知っている人間達も、驚きを抑えることは出来ない。
一時の間、静かに睨み合う二人であったが、立場の優劣など関係なしに小さい方が先に動く。
「小癪な……最初からこれを狙っていたのですか?」
「へっ、見りゃ分かんだろうが。夜通しで浜松まで行ってから、無傷の戦闘機と腕のいいパイロットを拝借するのにはちぃと骨が折れたけどな」
首だけを動かして尋ねるユミルに対し、明理はいつも通りに口元を上げて不敵に答える。
「あんたの索敵範囲はかなり大きく見積もったつもりだ。で、そっから一気に距離を詰めるには、これしかないと思ったのよ。名付けて、『科学の力を使って錬金術にはあんまし頼らない作戦』!」
順調にいつもの調子でおどけた台詞を言う明理。
しかし、目が全然笑っていない。
むしろ顔も全く笑っていない。
そんな彼女の元へ向けて、ユミルは一歩ずつ、言葉と共に足を踏み出す。
「……あなたの目的は私の殺害」
「その通り」
「そのために創られた」
「その通り」
「この体の情報を基にして」
「その、通り」
「……あなたを、創った者は」
「お前が、この世の誰よりも、よく知っている存在」
その答えに、ユミルの眉間が僅かに動く。
何度か口だけが動かされ、絞り出すような声が発せられた。
「まさか、ウル、ム……?」
その単語をはっきりと聞き取れたのは、数人といなかった。
初めて聞く単語なのだから、当然。
更には、明理自身もその中の一人だとばかりに、首が傾く。
「ウルム……って言ったか?初めて聞くな。この錬金術の技術にもそんな単語はないし……」
「ッ!?」
「そいつが人名だとしたら、これがあんたの『動機』なのか?」
その瞬間、ユミルの両腕が開かれる。
両手から先程の紅い光の玉が数発射出され、問答無用で明理に襲い掛かった。
しかし、明理はその場から避けようともしない。
紅い光の玉は彼女に銃撃の如き速さで衝突するが、身体を揺らがせる衝撃すらなく、そのまま吸い込まれていくのみ。
「へっ、その錬金術の原理は元はと言えば魂への干渉……もっとざっくり言っちまえば、基本は精神攻撃だ。単なる物体ならともかく、生物相手だったら、こっちが『効かない』って拒絶しちまえば、その光はただのこけおどしさぁっ!」
壮大なネタばらしと共に、明理はユミルへ向けて人差し指を付き立てる。
そのオーバーな動きから発せられる風圧がユミルの前髪をひらりと舞い上げ、彼女の表情の全容を表した。
そう。
明理以上に目を見開き、不敵な笑いを見せていた。
それも怒りを含んでいる分か、威圧感は比ではない。
「……何がおかしい?」
「ウルムでないというのなら……あなたは、私が手心を加える余地を失ったということ……」
「てかぁげん~?私を警戒してコソコソ動いていた奴の台詞とは思えねぇなぁっ!」
「それも終わりと言うことです……錬装拘束ッ!」
ユミルの両手から紅い光線が発射された瞬間、明理は目の前の敵に向かってその場を踏み出していた。
その速さは縮地と表現する他ないほどのものであり、光線を髪一本すら触れさせない。
「ちぃっ!?」
だが、ユミルの反応も共に異常なものであった。
物理法則を無視するかの如く、助走も無しに地面から斜め四十五度後方へ約五メートルの跳躍。
明理を追撃を許さない。
「ふふ、やはり警戒しましたね、この光をっ!」
ユミルは優位を確信した笑みで両手から紅い光線を放ち、さらに手を編みこむような動きを加える。紅い光線は彼女の動きと共に波打ち、一瞬のうちに周囲一体を多い尽くすような網の形状と化した。
明理も瞬時に回避方向を定めたものの、地面を踏み出そうとした瞬間、何物かに足を取られる。
「な、にぃっ!?」
それはユミルが初撃で放った紅い光。
二人の戦いの様子を遠くから見ていた者達は、その光線の異様な軌道を目にしていた。明理が身体を低めて回避したと思っていたら、後方ですぐさま反転して彼女の足下を狙ったのだ。つまりところの誘導弾。
そして紅い光は、明理の脚部を強制的に錬装化させ、その場に固定する。
続けざまに、網状の光線が明理の全身を覆い、彼女の体に次々と装甲が発現していく。
「なっ!ぐっ……そっ!」
身を護るはずの装甲が堅牢な拘束具と化し、脚、腕、頭と明理の身体の自由を奪う。
明理は必死に抵抗しようとするが、その動作が更なる重石となり、ついにその場に崩れてしまった。
対するユミルは数メートルの高さからにも関わらず、宙に舞った紙の如く、ふわりと地面に足を着けて余裕の表情を見せる。
「私の監視の外であろうと、あなたのアルク・ミラーも所詮は模造品。この拘束から逃れることは出来ません」
「な、る、ほど……こいつは流石、としか言いようがない、なぁ……」
既に身体の七割近くが強制的に錬装化された明理は、苦笑いしつつも片膝をついて顔を落とした。それでも、釣り上がったような柄の悪い目つきは、まだ外から確認できる。
ユミルは顔の前に紅い光を携えた手をかざし、目を細めた。
「完全には錬装化しない……?拘束コードの存在に気づいて、解除しようと試みてはいるようですね。そこまでの心得があるとは……」
「ご名答、だ……」
装甲同士が隙間を無くすように、縮み、折り畳まれようとして擦れ合い、ぎりぎりと鈍い音を鳴らしながらも、明理の口はまだ笑っている。
「私の主人は、アルク・ミラーの形成コードに仕掛けられた、盗聴機と発信機の存在には気づいた……へへ、アマキタのおっさんも同じだったみたいだけどな……」
天北博士の名前を出され、ユミルの瞳が微かに揺らぐ。
「アイキとトウゴウ……昨日の地下基地であの二人の遺体を探ったんだけどさ、がっつり外されてたな。二人ともおっさんに強化調製を施して貰ったおかげでな……!だから、アマキタのおっさんは最後の最後であんたに自分の研究データを渡してよいものか、少しばかり躊躇したんだ……」
「……くだらぬ憶測です」
「でも、二人の盗聴コードが外されたのには少し焦っただろ……?元々は手近にいるアイキとトウゴウを上手く使って、地下にいる自分の死亡を確認させてから、この国をトンズラする算段だったのによぉ……」
大きな息を吐き出しながらも、明理の語りは続いた。
「だから、ユージやチビッ子、果てはただの人間のコースケにまで必要以上に頑張ってもらわなきゃならなかった……結構ヒヤヒヤしてたんだよなぁ……?ユージがアイキに負けたら何としてもチビッ子に自分の存在を確認してもらわないといけない。だけど、チビッ子には元からアマキタのおっさんの研究データを持ち帰らせる役目を想定していた……そこまで上手く行くのかってな……」
「どこまでも、舐めた口を……」
「……何怒ってんだ。ただの推測だよ。私の主人仕込みの、な」
答え合わせは、ユミルの表情と口ぶりで判断してくれとばかり。
尽く的を得ているかの如き、明理の考察。
「しっかし、やっぱり、こんな奥の手を残してたんだな……私の主人も何かを仕込んでいるのには気づいたんだが、あまりにも巧妙な造りになってて手が出せなかった……ま、自爆装置とかじゃないだけ、あんたの良心なんだろうが……」
「それ以上、あなたの口から聞く必要はない――」
ユミルが強行的に明理に向けて手を伸ばそうとするが、あっさりとすり抜けられ、さらには頭上を飛び越えられてしまう。……そこまではよかったが、着地までは上手く行かず、明理の体は膝から崩れ落ちて、横向きに地面に叩きつけられた。
「錬装拘束を受けて、まだそこまで動けるとは……」
「あんたがあまりにも小さかったから、飛び越え易かったんだぜ?……あー、にしても、きっついな、これ……」
明理にしては珍しく弱気な発言。
が、それ以上に浩輔の目には、彼女の動きが不可解に映った。
どうして、『自分達の方へ近づいたのか』。
当の本人は浩輔たちに背を向けているため、アイコンタクトもなく、先程の様に脳内で必死に問いかけても何も返事は来ない。
「……なあ、ユミル。水戸黄門って知ってるか?この国、ニッポンの昔話だ。特撮ドラマ化もされている」
明理のあまりにも唐突な問いかけ。
急に一体何を、と、ユミルよりも後ろの浩輔たちが呆気に取られる。もはや、内容の齟齬に突っ込む気すらも失せるくらいに。
当のユミルはまるで引火性液体でも投下されたかのように、顔を引きつらせていた。
「主人公はこの国で二番目に偉いじーさんだ。そんなじーさんが屈強な部下を引き連れて、各地の悪党を退治していく……ま、言うところの勧善懲悪ストーリーだな」
その場にいる日本人からの脳内指摘を幾重にも受けながら、明理は話を続ける。
「んで、そのじーさんは『インロー』っていう超強力なアイテムを持っている。これは身分証明書みたいなものでな。本当なら、それを最初から見せれば、相手方はすぐに戦意を喪失するわけだ。だけど、そのじーさんは毎回、部下達を使って悪党共を散々痛めつけてからそれを使うわけだ。どうしてだと思う?」
「……何の、時間稼ぎですか?」
ユミルの足が、一歩、また一歩と二人の距離を詰める。
明理の口に大きく息が吸い込まれた。
「真実なんてものは、ただ示すだけじゃ意味はない。ニンゲンってのはどうしても、その瞬間の立場によって嘘か真かを決める、くっだらねぇ性って奴を持ってるからなぁ!私が口先でいくら真実を話そうと、今のあんたには届かないだろうよ!だからっ、実際に思い知って貰った方が早いっ!」
明理の啖呵によって、ユミルの動きが止まる。
浩輔は逆に何故そこで止まるのか、躊躇するのか、と思った。それこそが、彼女の抱える弱点、突破口とまで思えるくらいに。
「そんな状態で、一体何をっ!?」
「たしかに、私自身はこの拘束コードをどうにかする術は持ち合わせていない。……だが、外部からの強制的な状態初期化という形での解除なら、どうかな……!?初めっから、私がそう創られているとしたらっ!」
その言葉に、ユミルの視線が上がり、微かに泳いだ。
「……この近くに、『いる』というのですか?」
「私の主人は、こうなる状態をちゃあんと見越してはいたんだぜっ!そして、対処法も仕掛けてくれているっ!触れられるだけでいいんだぜっ!」
再びユミルの全身に紅い光が展開される。
これが索敵時の態勢。
しかし、明理は静かに首を横に振り、言った。
「なぁに、難しくはない。落ち着いて考えるんだ……答えは、出せる……」
誰に向けての言葉かは分からずとも。
浩輔は、ここで気づいた。
明理の言葉が指し示す、筋道に。
ただ一つ、一直線の辻褄。
そう……。
答えは……。
答えは、『ユミルの脳裏からは完全に除外されてしまっている可能性』だと。
(そういう、ことか……!あんたの言いたいことは分かった……けど……)
浩輔は身体をうつ伏せに倒して、そこから両手を使って起き上がろうとするが、未だに下半身の感覚が自分のものにならない。
分かってはいても、自身は何も出来ない。
己の無力。己は無力。
それを認めたのなら、人間が次に取れる行動は、決まっている。
「花田くん……また一つ、頼む……」
「えっ?」
浩輔は土下座でもするかのように地に額をつけ、押し殺したような声で言った。
花田は最初の一言も聞きそびれたようで、さらに耳を浩輔に近づける。
この位置なら、ユミルにも内容は聞き取れない。
「……を……っきり……ろ……」
「篠田さん、それは……?」
「もう俺は……ユミルの警戒から完全に外れた……なにせ頭の中を隅々まで覗かれたからな……!」
そして、もう一度両手の力を振り絞って上半身を起こす。
今制御できる筋肉を全て稼動させ、顔を上げた。
その執念の形相は、顔中の血管を浮き上がらせ、有無を言わせぬ気迫となる。
「行、けっ……!」
「……はいっ!」
花田は大きな怪我はしていない。
その運動神経、腕力、瞬発力、そして胆力は十分に信頼に値する。
浩輔の期待通りの動きとばかりに、同じくうつ伏せの状態から跳ね上がるようにして地面に足を付けると、一気にその場を駆け出した。
「くっ、何をっ……!?」
ユミルはすぐに紅い光の照射体制に入るが、済んでのところで動きを止める。
花田の体が明後日の方向へと向かっていたからだ。
自分の方でも、明理の方でも、ましてや逃げる方向でもなく。
さらに注意を引き付けるように、浩輔が自らの声帯に鞭を入れる。
「残念だったなぁユミルッ!俺の方が解答が早かったっ!」
「なにッ!?」
「お前は、その心を読む力に頼り過ぎてしまったせいで、考える力を失ったんだっ!」
その台詞を跳ね返すかのように、ユミルの体は前へと動いていた。
身動きの取れない明理へと、手が伸びる。
「私が迷っていたのは行動の選択……解答などではないっ!」
ユミルの怒号と共に、明理の喉元に貫手が放たれる。
先程浩輔に使ったものよりも早く、より激しく、生身の人間相手なら間違いなく殺傷を狙った勢い。接触と同時に明理の体が僅かに宙を浮き、血漿が飛び散った。
もはや、心を読み取るといった生易しいものではなく、記憶を抉り取ろうとするかのように。
「これでっ……!」
だが、当の本人の明理は、笑っていた。
血反吐と共に捨て台詞を一言。
「……なら、あんたは選択を、間違えた」
直後に聞こえる悲鳴、そして咆哮。
「うぉぉぉぁっ!」
「ぇっ?うぁぁっ!?」
声の主を認識した後、ユミルの視界に一つの人影が入る。
それも己の意志での動きではないかのような、不自然な軌道。
(ミュー……ア……?)
状況はすぐに分かった。
花田が明理に向けてミューアを投げ飛ばしたのだ。そのために彼は動いた。
だが、ユミルはその理由を理解できなかった。
故に、手が止まる。
「へっ……当たり……だっ!」
「っ?」
『マスターコード認識』
その刹那の間を埋めるが如く、辺りに眩い光が走った。
それも直線的なものではなく、花びらの開花の如き、無数の光の象形文字の拡散。
『錬装強制解除』
「続けてぇっ、拘束システムのコードを全て修正ォっ!」
『再構築』
光の最中に突如として砂の渦が現れ、周囲に霧散する。中から出てきたのは両手両足を大きく広げた、傷一つない純白の装甲。
始まりの、姿。
シグ・フェイスと呼ばれた、正義のヒーローと呼ばれた、もの。
「これで、お前の術は破った……!」
そして、真一直線に立てられる人差し指。
「それとも、まだ保険を、残しているのか?」
答えは、返ってこない。
指の先の相手は、答えられる状態ではない。
「あ……あぁ……そん、な……はずは……!」
「ある」
「ありえないっ!」
「あるんだよぉっ!」
もはや押し問答にしかならない状況。
その脇で、真織が小さく浩輔に訪ねた。
「先輩……どうして……?」
浩輔は大きく溜め息をつく。
「錬金術なんて、俺ら一般人なんかが理解出来る代物じゃない」
そして、また一息。
「ユミルのデータをパクれる立場にいて、ある程度使いこなせる奴といったら……アイツしかいない」
「……でも、ミューアくんは――」
「それ以外の疑問や計算はなし。全部すっ飛ばして、この答えだけを選んだ」
技術的に可能ならば、辻褄はこれで通る。
だから、ユミルは答えに辿り着けなかった。
「……そういうことだ、ユミル。あんたは、この中の誰よりもミューアのことを信頼していた。……だから、口先で言ったところで、永遠に信じることなんて出来なかっただろうよ。こいつが、私を創ったなんてな」
明理が足元をちらりと見ると、ミューアは腰が抜けた状態で必死にその場から距離を取っていた。
それも、ユミルの方へ向けて。
「しっ、知らないっ!そんなの嘘だっ!お前を創るなんて僕に出来るわけがっ!」
ミューアは先程以上に狼狽えており、自分は完全にユミルの側の存在だと、全身で訴える様子だった。
そうでなくとも、ミューアの思考がユミルに筒抜けだという情報に殉じていたら、このような事態にすらならなかったであろう。
ユミルはそんな彼に対して、どう反応することも出来ず、ただただ駆け巡る疑問の渦に顔を落とすのみであった。
「……コーモン様なら、ここでモンドコロが目に入らぬか、だよな?」
明理の中ではまだ水戸黄門ネタが続いてたのか、やや調子づいた動きで、周囲の返事を待たずに、彼女の右腕が大きく掲げられる。
そして、真っ白な光。
「受けとれ。主人からの言伝だ」




