94.決別
本日ハ晴天ナリ――。
文字通り、雲一つない青空の朝。
浩輔は一晩を過ごした小学校の体育館横のグラウンドで、一人背伸びをしていた。
いくらダンボールを重ねて敷こうとも、流石に板張りの上での就寝は体にこたえる。こういう要素が避難民の精神を徐々に蝕んでいくのだろう。やはり、畳と布団は偉大だ。
グラウンドを含めた学校敷地内の周囲は、外壁に+αするかの如く、机や椅子などのガラクタが積まれている。大小様々な建物が立ち並ぶ地区の小学校ということもあり、密度重視で敷地面積そのものは小さいため、比較的守りやすい拠点だ。
唯一の弱点は、近くの高い建物から狙撃される可能性があるという点であるが、花田の話では『最初はそのような輩もいたが、一週間もすると狙撃者の方が音を上げてビルから降りてきた』とのこと。もちろん、待ち伏せてタコ殴りにしたらしい。
ターゲットは一般人で、しかも無差別。おまけに補給も不安定で、特に訓練も受けてない人間に狙撃手など務まるはずがないと、妙に納得してしまった。
よって、外の心配は脇に置いておくとして、今度は中の状況について。
体育館の中にはまだまだ眠っている人もいる。夜眠れない反動からか、陽が昇ってから気が抜ける人が多いと聞いた。今は朝の炊き出しの準備をぼちぼちと始める時間帯のようだ。
そんな平和な光景とは対照的に、バリケードの周りには手製の武器を持った体格のよい男の見張りが何人も立っている。何人かは座っている。適度に気を抜いている者もいる。
各々のモチベーションの差はともかくとして、異常事態を察知したならばすぐに飛んで火消しにかかることであろう。
浩輔が見張りの男達に軽く会釈をすると、彼等もどこか訝しげではあるが会釈を返した。昨晩は花田を通じて頼み事をしておいたのだが、一先ずは話が通った証拠かと安堵する。
それから程なくして、浩輔の周りにぽつぽつと人の影が増えていった。
「よし、これで全員、揃ったな?」
一番乗りの浩輔が、その場に集まった人間を一瞥する。
昨日の黎明東京地下基地突入作戦に携わったメンバーに加え、真織と何を心配したのかアパートの大家まで揃っていた。事情を知っている二人なら構わないと、これらの人数で一つの円が出来上がる。
外野の一般人たちは新参者達の固まりを見ると、一体何の集まりなのだろうかと、恐怖半分で離れたところから眺めていた。
「さて、おにーさん。何か随分と物々しい感じだけど……とりあえず、昨日のまとめ?」
やたらと色気の目立つ日本人離れした容姿の女、メローネがその場を改める。
そのことに特に反対する者はいない。無駄な労力だからだ。
しかし、その隣にいる金髪の少年、ミューアは普段の柔和な表情が消えうせ、どこか陰りのようなものがあった。浩輔も今のホムンクルス側の実質のリーダーは彼だと当たりをつけていたが、この様子ではどうにも攻めにくい、と話の段取りを頭の中で練り直す。
その他はどうかと視界をスライドさせると、いつもの調子でむすくれている少女、リーンと、その傍には、全身に白いローブを纏い、同じく白いフードで頭部をすっぽりと覆った、虚ろな目をした無口な少女、ルクシィの姿があった。
浩輔も事前に話を聞いているので、彼女についてはここでは何も言わない。
とりあえずはメローネの提案に軽く首だけで返事をすると、右隣にいる勇治と深知に視線だけで確認を取った。
「んじゃ、確認の意味を込めて昨日の作戦の反省だな。作戦目標は優先の高い順に、ユミルの救出、デイブレイクと錬金術研究施設の破壊、黎明幹部の抹殺……だったっけな。ま、結果としては、1番2番は失敗……というか駄目だったわけだけど」
浩輔は自分でもわざとらしいと思えるほど、自嘲交じりに言葉を並べてみせる。
だが、この作戦の優先順位というのは、作戦前にも話したが、あくまでもホムンクルス側にとっての都合。人間達にとってはどうだろうか。
黎明という組織が自壊するのは、もはや時間の問題。幹部達はわざわざ勇治たちが手を下さなくても、自らが用意した錬装機兵の恐怖に常に怯え続けることになる。下手に下克上の世の中をうたったばかりに、今度は自分達が追われる立場になる、という事態になってしまった。
錬金術関連については、多少の希望的観測が混じっているものの、天北博士が死亡したことで、錬金術の研究はほとんど振り出しに戻ったと考えてよい。東京地下基地内のデータベースについては、リーンがコンピューターウイルスをばら撒きまくったとのこと。スタンドアロンでの保存や持ち出しも十分に考えられるが、データの重要性を認識出来る人間の手に渡り、そして再び充実した研究施設を用意するには、今の日本国内の状況はデンジャー過ぎる。
デイブレイクについては、実物こそ見つかってはいないが、今ここで解決できる問題ではないというのが分かった。いや、今はそれだけでよい。国家を混乱に導くための触媒としては有効であったが、その後はほとんど無用の長物としている。
そして、勇治の大金星であるが、黎明側の最強のアルク・ミラーの撃破。士気を含んだ戦力面でも、かなりガタガタになっている。後はトチ狂っての闇討ちを警戒するのみだ。
(そう……今回の作戦では、俺達の側にかなりの収穫があった。一週間以上も目の前の出来事に対して手を拱いて見ている事しか出来ない状態から、大きな希望が与えられた……)
共闘の成果は一目瞭然。
だからこそ。
(だから、ここからのホムンクルスの出方に注意しないといけない……。成果をネタに一層擦り寄ってくるか、それとも自分達の主人の死をネタにきれいさっぱりと決別するか……)
勝って兜の緒を締める、と言うほど出来た人間ではないが、物事が上手く行っている時ほど気を引き締めなければならないということを、浩輔は頭の中で何度も反芻していた。
かつて、明理と出会うまでの自分も、出会った後の自分も、そうであったから。
「……で、お前らは、これからどうするつもりだ?」
まずは浩輔の疑念を先走るかのような、勇治の問いかけで始まった。
たしかに効果的な話題であり、ホムンクルスらはやや言葉に詰まっている。
十秒程度の保留を確認すると、勇治は狙いを一つに定めて言った。
「ミューア、お前に聞くだけでいいよな?」
「え……と……」
「俺達のことを話す前に、お前達のこれからを教えてほしい」
その口調にはどことなく有無を言わせぬ気迫があった。
何らかの誘導尋問をしようとしているのは明らかだ。
勇治はその辺のところは分かり易い。
「…………」
「答え難いか?」
「何と答えればいいのか……」
「じゃあ、俺の方から考えを言おう」
珍しく勇治が場の主導権を握っている。
他の者からの横やりを与える隙はない。
「ミューア、お前がもし、今後もユミルの意志を継ぐと言うのなら……俺は即刻お前達と手を切るっ!」
意外。
あまりにも意外。
浩輔にとっては、だが。
「ちょっと勇治くんっ!?」
「……ふぅん」
「どーゆーつもりよボウヤ?」
「何か格好つけちゃって、馬鹿みたい」
人間側もホムンクルス側も反応は様々。
浩輔は目を軽く見開いただけで無言。真織は折角なのに、と案の定。深知もどこか感心気。
ミューアはそのまま視線を落としたまま無言。
メローネとリーンは露骨に警戒を強めていた。
「理由を……聞かせていただけませんか?」
ようやく口を開いたミューアに対して、勇治は冷ややかに答える。
「本当は、ユミルに一言言ってやるつもりだった。だけど、あの人が死んだ以上は、もうどんなに怒り散らそうが無意味だ。……だけど、お前がその後を継ぐっていうなら話は別だ」
「……先生に、逆らうつもりだったのですか?」
「作り物のお前らに俺の気持ちが分かるのか?いくら錬金術で心が読めようが、理解なんてしてくれるのかよ」
「ユージさん……」
「勘違いするな。あの婆さんに向けての話だ。お前が大人しく引き下がれば、何もしない」
ミューアは目を閉じたまま黙っている。微かに、口は震えてはいるが。
浩輔は内心口笛を鳴らしながら、その様子を観察していた。
これは思わぬ展開であり、浩輔にとっては追い風と向かい風の両方だ。
誰もがミューアに注目する最中、出てきたのはお前はどこの国の人間なのかと思える回答。
「もう少し……時間をください。それまではあなた方に協力します。もし邪魔だったら、出ていきますので」
普通だったら怒号の追撃が入りそうなものだが、勇治は静かに矛を納めていた。
「先伸ばしか……別にいいけどさ」
甘い、と浩輔は思った。
勇治にしてはかなり発破を掛けているが、それ以上は攻め切れないのだ。今のやり取りでは、最低の交渉ラインはここだと、自分の手の内を見せただけに過ぎない。
おそらくは、彼自身、ホムンクルスらに対する信頼と疑念の間で揺れているのであろう。
「それじゃ、次は私から、いい?」
間髪入れずに今度は深知が手を上げる。
勇治を不甲斐無いと思ってのことなのか、助け舟のつもりか、このタイミングを狙っていたのか。
相変わらずスれた表情をしているので、フレンドリーな内容でないことは確かだが。
「これ、確認しときたくて」
そう言って、深知は服の中から一枚のCDケースを取り出す。
浩輔は来たか、と心臓が高鳴ったが、何とか平静を保ちながら目だけでミューアの挙動を探る。
彼も、反応は同じだった。
『それは、一体何ですか?』とゼロからの質問をする様子ではない。
ひとまず、その質問は勇治が担うことになる。
「深知、それは?」
「父さんの錬金術の研究成果が入ってるCD」
「そんなものが……」
「父さんが死ぬ前に、これをあのお婆さんに渡してくれって頼まれたんだけど」
深知はケースを人差し指と中指の二本指で挟み持つと、ミューアの前に突きつけるかのように差し出す。当然、ミューアは戸惑い混じりにもそれを受け取ろうとするが、彼の手が伸びた瞬間、するりと抜けるように、ケースが深知の口元まで戻されていた。
「見たい?これの中身」
「え……あ、はい……先生も気にしていましたし……凄く」
「そうね、でも父さんからは、あくまでも『ユミルに渡してくれ』って頼まれたから」
そこからの話は周囲の人間の多くが読めた。
勇治の発破に繋がるのだ。
「そして、『ユミルが死んだ場合は私の判断に任せる』ってまで、言ってくれたから」
「…………」
「『あんた』に見せる必要は無い」
ミューアは何も言い返すことが出来ない。
それよりも深知のかつて無いほどの邪悪な笑みの方が、周りの注目を引いていた。
「……どうしても見たいってんなら、一つ条件があるわ」
「な、何を?」
「父さんの研究について、この場で、みんなの前で言える?あんたも内容については聞いてるでしょ?」
「あっ……!」
その反応で、答えは明らかであった。
「い……ミチさんも……知っているんですか?」
「私は何も聞いてないよ。父さんも教えてくれなかったし。でも、『何をしようとしていたか』くらいなら、何となく、ね。錬金術でそんなコトが出来るのかって話だけどさ」
「ミチさん……それ以上は……」
「やっぱり、言えないってわけね。それなら」
次の瞬間、深知はCDケースの両端を両手で持つと、大きく振り上げ、同じく突き上げた自分の左腿に思い切り叩き付けた。
当然、ケースは中身のCDと共に真っ二つ。
「な、な、何を……!」
「私なりのケジメ」
「どうして……!」
「父さんは、私にこうして欲しかったんじゃないかってね。そういう風に思いたいだけ。……はい、私からは以上」
深知は大きく息をつくと、割れたCDをその場に放り捨てる。
ミューアは茫然としたまま、その残骸を前にして立ち尽くすことしか出来なかった。
さらに後押しするかのように、浩輔が周囲の人影に声を掛ける。
「……ああ、花田くん、ちょうどよかった。ゴミの捨て場所教えてくれないかい?」
「みんなして何やってんですか一体……」
「悪い悪い。こっちの事情だ」
「これくらい俺が片付けときます。……あんまし妙な騒ぎは起こさないでくださいよ?」
その厳つい成りに似合わないやや弱気の声と共に、花田はCDの残骸を拾ってその場を離れていく。
気がつけば、ホムンクルスの連中の間隔はかなり近まっていた。
流石にミューアばかり集中攻撃するのは付かず離れずを通り越していると思い、ここからは浩輔が今後の方針について、話をまとめる役を担った。
そして、話し合うこと三十分。
取り敢えずは、ホムンクルス達はこの場に残り、人間達に協力するということで合意した。勇治や深知の言動も頭の片隅に置いておいてくれとフォローを入れ、それで一旦険悪なムードを切る。
今後の黎明への攻撃については、これまた一旦保留とする。昨日の作戦はミューア達の戦略あってのものだし、勇治と深知の消耗具合から連戦は避けたいのがその理由。
ここで、浩輔は東郷が死んだという情報を公開し、そのことを確認するために自分は脱出せずに残っていたと説明した。無論、皆が半信半疑と言わんばかりの表情をしていたが。
最後に、今回は姿を見せなかったが、明理の存在については厳重に警戒すること、とわざと付け加えた。彼女が黎明基地に来ていたことは、浩輔の他に察知している者はいない。当然、この話は伏せる。
どうにもしっくり来ない雰囲気のまま、これにて帰還報告は終了し、その場は解散となった。
「勇治、ちょっといいか?」
場の人間が散るや否や、浩輔は真っ先に勇治に近づく。
深知もすぐ傍にいたが、それも込みのうえだと小声で話す。
「俺が言うのもなんだが、まだ戦いは終わっていない。奴等と手を切るには時期がちょっと早いな」
「……篠田さんが一番警戒していたのに?」
「それとは話が別だ。ミューアの手綱はお前が引いておけよ」
「別に、操るつもりはないですけど……」
「奴から目を離すな」
最後の一言で、勇治は意を汲み取る。
浩輔は口元を軽く緩めて見せると、勇治の肩を叩き、その場を後にした。
(これで、俺が出来る『仕込み』は終わった……後は時間、か……)
少しでも気を紛らわせるため、浩輔は朝の炊き出しの手伝いへと向かう。
避難民の中年老年女性達と他愛のない話をしながら、少しでも時を早く進めるように務めた。
途中から真織も手伝いに入り、周囲からのからかいを受けつつも、ただひたすらに手を動かす。
心の高鳴りの挙動を、少しでも抑えるために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつになく長く感じる時を何とか乗り越え、午後四時半過ぎ。
朝の懸念の台詞を良い意味で払拭するニュースが、避難所の体育館に飛び込んだ。
「……その話は本当ですかっ?」
「いいからみんなこれを聞いてみろよ!」
体育館の真ん中で、毛髪が危うい中年の男がやや興奮気味にラジオをかざしていた。
そのスピーカーからは、いかにも外国人が話す日本語音声が流れている……らしいのだが、周囲の喧騒に呑まれて、後から来た浩輔らには何と言っているのか全く聴こえない。
伝言ゲームのようにラジオの中心部から流れてくる話によると、アメリカ海兵隊や、中国、韓国、東南アジアの軍隊がついに動き出したらしいとのこと。明日未明には、日本本土に上陸するらしい。
つまりは、攻撃と避難勧告の両方だ。
「これで、何とかなる……のかな……?」
「ドサクサに紛れて中国とかアメリカが占領しちゃうんじゃない?」
「それでも今の状態よりマシだ!」
「別にアメリカに戦争仕掛けた訳じゃないんだし、きっと良くしてくれるさ!」
「やっぱ最後に頼りになるのはアメリカ様だな!」
避難民は藁にもすがる思いを通り越して、楽観の極みに至っている。
これまでが極限の緊張状態であったためか、皆肩の力が抜けたように談笑を始めていた。
「おいおい。みんな……いくらなんでも……」
果て無き戦いの日々を覚悟していただけに、遠巻きに見ていた勇治が呆れたように呟く。
深知もその隣で両腕を組みながら、同様に鼻を鳴らしていた。
「希望を持つのはいいことさ。妙な悲観から来る騒ぎよりはよっぽどマシだ」
人ごみからなんとか抜け出した浩輔が、不満そうな顔の二人を見て声を掛ける。
「篠田さん……ラジオって時点で、これが何らかの敵の罠という可能性もあります」
「罠かどうかはどうでもいい。あろうとなかろうと、ここの避難所もそう長くはない」
浩輔は時間潰しも兼ねて、花田にこの避難所の蓄えを聞いていた。
結果は、ここから先、打って出ない限りは絶望的。だが、攻勢に出たところで、もはや今の日本では単なるペイの取り合いにしかならない。大勢の人間が死んだとしても、この大都会東京においては食料の供給が全く追いついていないのだ。どのみち、この街、いや、この国を出ないといけない。それこそ、生き延びるためには。
「むしろ今まで、海外からの介入がなかったほうがおかしいんだ。おそらくは黎明……東郷が何か対策していたんだろうがな」
「デイブレイクとか?」
「ま、それだな。でも事を起こしてもう二週間だ。いい加減に外の国の態勢が整ってもおかしくはない」
浩輔は避難民の輪をちらりと見やる。
「今なら、日本を売ろうとする奴が大量に出てもおかしくないな」
「そうか……錬装機兵はそれに紛れて……!」
「……だったら、俺達の戦いはもう終わったようなもんだろ」
勇治が口を開けたままで浩輔の顔を二度見する。
浩輔もそれ以上は何も言わず、両手を服のポケットに入れたまま、穏やかな表情で勇治達の横を通り過ぎ、体育館を後にしていた。
その先はコンクリートの渡り廊下。
人気は急になくなり、中の喧騒も嘘のように遠ざかっていた。
(東郷……そう言えばあんた、人間の本性を確かめるため、このオペレーション・デイライトを起こしたって言ってたな……)
澱んだ空気を突っ切る力強い夕陽が、学校の敷地に差し込んでいた。
浩輔はその中を一人歩きながら、物思いの中で、今はこの世のどこにも存在しない相手に向かって、静かに語りかける。
(結果はご覧の通りだ。あんたも、最初から分かっていたんじゃないのか?)
……そうでもあっても、信じたかったのかもしれない。
アパートの大家が、そう言っていた様に。
だけど。
……だけど。
人の意識が、思想が、知性が、価値観が、思い込み、刷り込みが、心が――。
そう簡単に、生まれ変わるものか。
馬鹿が二週間程度で賢人に変わることが出来れば、人は苦労はしない。
(変わるのって、変えるのって、難しいんだよな……)
自分も、そうだった。
しかも、間違えた。
気づいて直そうとしても、遅かった。
(――結局、いくら夢見ようが、人は今の自分でしか戦えないってことだ)
浩輔の足が止まる。
そして、目の焦点が数メートル先の影へと合わさると、体中の血液が暴動を起こし始めた。
「よう、お探しのものは……こいつかい?」
浩輔は服のポケットから、歪な形の一枚の切れ端を取り出す。
凜と立った切れ端の表面に夕陽が反射すると、目の前の人物へ向けて一筋の光が突き立てられた。
「深知の奴、敢えて隠していたみたいだな」
「…………」
「あいつ、ここに来て真っ先にノートパソコン開いてこのCDの中身を見ていたらしいな。勇治は寝てたけど、ダンボールハウスを追い出されてた奴が覗き見していたみたいでよ」
「…………」
「父親の形見をあんなあっさりと割るなんて、彼女にしても不自然だと思ったよ。……だから、CDには『何のデータも入ってなかった』って推測が出てくるわけさ」
「…………」
「だけどよ、それが単なるデータじゃなくて、賢者の石を使って見れるコードって奴で書き込まれたものだったら……ここまで首突っ込んでたら、誰だって思うよな?おそらく、深知もその辺は気づいていたんだろう。だから、あんな風にあっさりと割って見せたんだ」
「…………」
浩輔は一人で話を続ける。
それ以上に、目の前の人物が一言も言葉を発さない。
「まぁ、天北博士がコードとやらでこのCDに研究成果を残して置いたとして……お前はどうするつもりだったんだ?……ルクシィ、だっけ?」
白尽くめのローブで覆われた少女は、顔を覆い隠すローブの隙間から微かに目の光を覗かせる。
「……の」
「何だ?」
「それは、マスターの、もの……」
淡雪のような微かな声で紡がれた言葉に、浩輔は暫し考える動作をする。
「……主人というのはユミルのことか?それとも、ミューアか?」
「私の、マスターは、ユミル様、だけ……」
人造人間といっても、身長は小~中学生程度の少女の体だ。他の奴等がエキセントリック過ぎるというのもあるが、浩輔はやけに正統派の部下だと思った。
「てっきりミューアが来るもんだと思ってたんだがな。そしたら一発殴っておこうと思ったんだが……ま、いいさ。俺も今は変にお前等と事を交えたくはない。どうせ必要ないものだしな」
浩輔はすっぱりとした口調で、そっぽを向きながら、ルクシィへ向けてCDの断片を放り投げる。しかし、歪な破片故の宿命か、真っ直ぐには飛ばず、僅かな風に煽られ、彼女の目の前の地面へ落ちた。
ルクシィは浩輔の背中から視線を逸らさないまま、ゆっくりとその場に屈み、CDの破片へと手を伸ばす。
「…………ッ?」
指がCDに触れた瞬間、ルクシィの全身がぴくりと跳ねる。
そして、彼女の視線の先には背中ではなく、睨みつけるように見下ろす浩輔の顔があった。
「どうした?何か言いたそうだな」
「…………」
「惚けんなよ。今の反応は見えてたぜ?」
浩輔の声量が急激に上がる。
それこそ、周囲へと聞こえるくらいの大きさで。
少女の指は既にCDから離れており、その事が更なる確信を生んでいた。
「どうしてそれが偽物だと分かったっ!?割れ口を確かめもせずによっ!」
「…………」
「もしかして、お前、錬金術が使えるのか?」
瞬間、浩輔の背筋に寒気が走る。
東郷ではないが、自分に向けられた殺気の感知という奴……と思うことにした。
だが、ここまでは想定通りとばかりに、すぐさま周囲に武装した屈強な男達が姿を現す。花田も少し送れて駆けつけて来る。
ルクシィが周囲を確認する顔の動きも明らかに速くなっていた。
「流石に一人で相手するつもりはない……」
全ては浩輔が仕掛けた罠。
とは言っても、勇治にも深知にも知らされてはいない。CDの件については完全に即興だ。彼女がデータの入ったCDを割ったのが、偶然にも最高のアシストだった。
浩輔は昨晩のうちに、花田に頼んで罠を張るために信用のおける人材を用意してもらっていた。
割れたCDを花田に渡し解散した後、浩輔は避難所の情報をメモする振りをして、別の男を経由して花田らにメモ書きで指示。深知の割れたCDの一部をゴミ捨て場に置き、残りを回収。また、そのCDと似たものを用意し(運よく同じ見た目のものがあったのが幸いだったが)、同じような割り方をしたものをまた別の男を通じて手に入れていたのであった。
そして、用意した人材を総動員して、ホムンクルス達及び勇治と深知までもを監視するように指示。ゴミ漁りが行われたら、速やかに浩輔まで情報を送るようにしていた。
浩輔が直接動いたり、花田に直接指示したりしないあたりがミソ。自分達もまた相手に監視されていることを見越しての作戦だ。
「篠田さん……!何かあったんですかっ!?」
さらに遅れて、勇治と深知が走って来る。やや余計だが真織も。
これで役者は揃った、と浩輔は手に力が入る。
「天北さん……この子が何が何でも博士の研究データが欲しいってよ」
「はぁ?」
生返事で返す深知であったが、屈んだままのルクシィの様子と、地面の上の割れたCDを見て、すぐに大凡の事情を察したようだ。
「……嵌めるんだったら、私にも言ってくれればいいのに」
「悪い、色々事情があってね」
気がつけばホムンクルス達も周囲に駆けつけていた。現場の様子を見て、どうしていいか動きかねているようである。主にミューアが。
この状況下では下手に庇い立ては出来ない、そういう事は承知の上で浩輔は尋ねた。
「ミューア、こいつは意地汚くも天北博士の研究データを探ろうとしていた。これはお前の指示か?」
「えっ!?あっ、いや……それは……違い……ます……」
「どうだ?」
浩輔は念のためにと、周囲の協力者へと確認を取る。
「いや、そのガキはその子には何も言ってないぜ。俺らが二人でずっと見てたからよ」
ミューアの監視担当と思われる、屈強というよりはやや小太りの二人組みの男が答えた。
事情を知らない者は、それだけで顔を見合わせる。
「じゃあ、この行為はこの子の独断というわけだな……」
「ちょっとおにーさん!どうも今朝は大人しいと思ってたら、やっぱりどうしても私達を疑ってかかる気みたいね!」
言葉に詰まるミューアに代わりメローネが代弁するものの、浩輔は冷ややかな声で反論する。
「それは、お前等が疑わしい行動を取るからじゃないか。このCDの一件だって、だったらなぜその場で話をしなかったのかってことになるんだよ」
「だからと言って……!」
「口先での争いはこれ以上は不毛だ。だから、ここは行動を持って潔白を証明してほしい」
浩輔はまるでヤクザの様な言い草をすると、服のポケットからもう一枚の割れたCDの断片を取り出し、周囲の男に頼んでギリギリ片手で持てる大きさの金槌を用意する。
「こいつが本物だ。これを粉々に叩き割れるか?」
「…………」
「言っとくが、触れるのは無しだ」
「……そこまで、早くは読み取れませんよ」
ミューアは自ら手を伸ばし、男から金槌を受け取る。細腕の少年にはややきつい重さだったのか、一度肩を落とすが、すぐに両手持ちに切り替えて態勢を整える。
その意気を確認すると、浩輔は黙ってCDの断片を地面に置いた。
「ミューア……それは……」
その隣でルクシィが小さく語りかけるが、ミューアは静かに首を横に振った。
「君が先生のことをどれだけ大事にしているかは分かるよ。でも、今は誤解を解くのが先だ」
「マスターは……あなたに、意志を継げと……それ無くしては……」
引き下がらないルクシィに、ミューアは片方の手を解き、彼女の肩に乗せて語りかけた。
「僕には、無理だよ。所詮、作り物だから」
残酷な台詞とは対照的に、少年は清々しい表情をしている。
出来ないものを出来ないと認める。
これが彼なりの一つの答えなのかもしれない。
可能性を信じるからこそ、人は縛られる、とばかりに。
周囲の人間達も、作り物にそれを教えられるのは、とてつもない皮肉だと感じていた。
「よし……一思いにやりますっ!」
いつになく張り切った声を出しながら、ミューアは再び金槌の柄を両手に握り締め、頭の上まで大きく振り上げた。
見た目のやる気は十分。あとは狙いが定かがどうか。
そして、少年の両腕が九十度ほど弧を描き――
「……えっ?」
止まる。
いや、止められていた。
ルクシィの華奢な右手に、金槌の先端が握られていた。
さらに、金属部が、まるで砂の塊でも砕くかのようにバラバラに握り潰される。
「――随分と、舐めた茶番を仕掛けてくれたものです」
ルクシィの右手から直線的な赤い光が放たれ、地面を抉った。その衝撃でCDの断片を弾き飛ばされ、まるで吸い込まれるかのように、少女の手元へと収められる。
浩輔も折角の釣り餌を奪われるのを、止めようと思えば妨害できたかもしれない。
それでも、反応が遅れた。
その少女の声には、聞き覚えがあった。




