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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
陽はいずれ彼方へと消える
93/112

91.対話

 浩輔は戦いの終わりを告げる時すらも忘れ、通路に転がる死体と血の跡を追っていた。

 それも敢えて一つの方向へ引き摺っているような不自然さ。

 後をつけさせるためのものなのか、それともその逆なのか。

 答えを考えているうちに、誰とも遭遇することなく、とある部屋の入り口の前で足が止まる。

 『誘い』もしくは『警告』の痕跡はここで終わっていた。

 ざっと見て、扉にカードキーの類はついていない。通路の手前と奥を見渡しても、他に扉はない。意味のない部屋にしては広すぎだ。


(ここが終点……か。俺の――)


 扉の取っ手を手にしたところで、不意に浩輔の視界が揺れる。

 自身の躊躇いのせいかと思ったが、周囲に舞い散る埃が目に映り、そうではないと認識する。

 仲間の成果か、敵の戦略か。

 どちらにせよ、自分は自分の目的を果たすだけだと首を強く横に振ると、鎮静の息もつかぬまま扉を大きく開け放つ。

 部屋の中が無数の柱がそびえ立つ空間……というのは予想外だったが、その中で一人佇む人物の姿を見た途端、部屋の造りなどどうでも良くなってしまっていた。


「明理、さん……」


 向き合う。

 いや、対峙する、と決めた心。

 その覚悟に素直に答えたのか、それとも、どうでもよく流されたのか。

 その返事は、平和的なものであった。


「おう、コースケ。その腕は……ミューアに治してもらったのか?」


 その女は驚くほどにいつもの調子の声。

 衣服も、表情も見慣れたもの。

 でも、何かが違っていた。

 浩輔の本能に、強烈な違和感を覚えさせていた。


「……なんとか、無事ですよ」

「悪かったな、あん時は」


 続けてくる、さらりとした謝罪の言葉。

 これまでの付き合いの中で、彼女に謝られたことなど、ほとんど無かった。もしかしたらだが、一度も無かったかもしれない。

 素直な反応がかえって不気味なのは、皮肉を通り越して滑稽だ。


「えっと……」


 浩輔の眼が泳ぐ。

 その軌跡が、この部屋の内装と目的の見当をつけた。

 決め手となったのは、女の足下に落ちていた衣服……スーツの一部。

 持ち主の姿は、見えない。


「東郷は……あ、いや、もう終わったんですね……」

「ああ」


 話が続かない。

 小手先のやり取りなど、見抜かれているのだろう、と浩輔は腹を括る。


「コースケ」

「明理さん」


 二人の声が重なる。

 話すタイミングが合わない。

 だが、重なるということは、相手の想いも同じだということ。

 そこから先の言葉に迷いはなかった。



「――私は、正義の味方じゃなかったな」

「――俺は、悪人です」



 同じだった。

 その会話に、すれ違いなどないのだ。

 二人とも今、確かに向き合っている。


「…………」

「…………」


 待ちのタイミングも一緒だ。

 明理が目を細めて静かに頷くと、浩輔が先に口を開く。


「明理さんと初めて会った時、覚えてますか?」

「あぁ、お前、変な男達に絡まれてたな。そこを通りすがりの私が助けたってわけだ」

「華麗に、ですね」


 小さな皮肉。

 それこそどうでもいいくらいの小ささだ。

 二人の出会いは、そこから始まった。

 一人の男の危機を、一人の女が救った。

 男は礼を言う。

 女はじゃあ飯を食わせろと邪悪に微笑んだ。

 その後向かったのは牛丼屋だ。

 女はメガ盛りを一瞬で平らげ、味に飽きたと言って飯屋のハシゴを強制する。

 男は、じゃあ次は飽きないところへと、激安イタリアンファミレスへと連れていった。

 女はメニューを片っ端から頼み、思いっきり堪能した。

 ――そこからだ。

 そこから、ずるずると、男は女の正義のヒーローごっこに付き合うようになった。

 ……だが、本当にそうだったのか?

 男の方が女に付き合ってあげていたのではなく、その逆だったのでは、ないか。


「あの時、俺を取り押さえていた男達なんですが……あいつら公安だったんです」

「へぇ、警察だったのか。私服だったし、何か態度もムカついたし、気がつかなかったな」

「んで、あの時の俺は人を殺した帰りでした」

「……誰を?」

「後で新聞記事をチラッと見たくらいなんでうろ覚えですけど、七十代の男が一人、六十代女性が一人、三十代の男性が四人、十代男女が六人、あと乳幼児を何人か、だったかな?」


 浩輔は冗談のようで冗談のようでない口調で言った。

 それも一息で。


「俺が狙っていたのは七十代の男一人だったんですが」

「運悪く?」

「いや、同時に巻き込んで始末しました。厳密に言えば、男の乗る車に手製の時限爆弾をつけたんですけど、警戒が外れるのがその爺さんの孫達が集まるタイミングしかなかったので」

「随分と過激なことやってんじゃねーか」


 まるで妄想話として流しているかのように、明理の反応は薄い。

 しっかりと付き合ってくれてはいる、が。


「俺の過去は大体東郷が話した通りなんですけど、妹が目の前で延々と拷問されて殺されるのを見せ付けられて、それで親の気がふれちまって、警察とかにも色々相談したんですけど全然話にならなくて……周りからも見捨てられたんだなって感じた時……俺一人でも徹底的に復讐してやろうと思ったんです。『そういうもの』が存在する、世の中って奴に」

「なんだ、トウゴウの言ってたことは図星だったんだな。あの時は、綺麗事で返してた癖によ」


 浩輔は自嘲するかのように視線を脇に逸らす。


「……あんたが怖かったんですよ」

「ぶっ!」


 随分と情けない台詞だとは重々承知している。

 だが、これが本心だったのだ。

 自分の中の真実はこれだった。


「東郷は俺のことを同類だと言った。俺も正直心の中ではそうかもと思いましたよ」

「私は違うと思うぜ、全くな」

「そう、俺と東郷は根本的なところが違う」

「お前はどう違うと思っている?」

「……俺は単なる臆病者です。あんたの力を前にして、今まで本当のことが何も言えなかった」

「はん、トウゴウの奴は最後まで本心を明かさなかったがな」


 明理は東郷の遺品と思われるスーツをかざして見せる。

 何どうやったのか、突如として衣服から火の粉が舞い始め、程なくして灰となり、その物体の正体を示すような痕跡はあっという間に消滅した。


「……最後まで聞いてやるから、最後まで話せ」


 そう言うと、明理は髪を払い、柱に背を預けながら、腰を下ろした。


「やっぱり、初めてですよね。こういうの」


 浩輔もそれに続く。

 二人の距離は柱と柱の間隔。

 間に遮る物は何も無い。


「じゃあここから……妹が殺された直後のことですね。俺が最初に妹を殺した奴らのことを色々嗅ぎ回っていた時、一度、親戚のおばさんに止められたんですよ」


 あの時聞いた綺麗事の押し付けは本当に酷かった、と浩輔は懐かしそうに加える。

 ――『おばさんには本当のことを話して頂戴。あの日、何があったのか』

 ――『どんな理由があっても、人殺しは絶対にいけないことよ』

 その叔母は、浩輔の妹のあかりをとても可愛がってくれた。それ故のお節介。

 警察もどこぞやの人権団体も全く手の出せない組織の存在……それを叔母は頑なに認めようとしなかった。あかりが死んだことについて、浩輔の一家が総出で何か嘘をついているとばかりの言い草だったのだ。何度、自分が見た事実を話したところで、信じようとはしない。

 終いには、警察を呼んで浩輔の方に事情聴取させる始末。

 程なくして、浩輔の父が首を吊って自殺した。母親は救急車で山奥へと運ばれていった。

 残された息子には、さらに厳しい追求の嵐が飛んだ。


「人は、自分の信じたいものしか信じない……世の中の真実なんてそんなものだって、その時思って、雨の日の夜中に家を出たんです」


 今の世の中は間違っている。

 今の法は間違っている。

 今の人々の考えは間違っている。

 周りは誰も信用できない。

 自分一人で事をなさなければならない。


「俺が初めて人を殺したのは、路地裏で男三人がかりで女をレイプしていた奴等でした」

「なんだ、随分と正義のヒーローっぽいじゃねーか」

「そのまま向かっていっても返り討ちに会うだけなので、レイプが終わるまで待ってから、その後一人ずつ闇討ちを仕掛けました」


 相手が街灯の少ない夜道を一人歩いているところに、ランニングをしている通行人の振りをして刃物で後ろから切り掛かる。

 この方法で、瞬く間に悪党三人の殺害に成功した。

 その時、浩輔は悟った。

 この世の中に『殺せない人物はいない』と。

 そして、この世の絶対悪とは『安全なところから一方的に相手を苦しめる輩』だと。

 悪人を片っ端から殺害していけば、いずれは自分と家族を滅茶苦茶にした組織へたどり着ける。

 あるいは、知らず知らずのうちに滅することが出来る。


 その日から、浩輔の社会への復讐が始まった。


 法では決して裁かれぬ悪党。

 人を苦しめ、追い詰め、自らの糧とする者

 心弱き人達に泣き寝入りを強制する世の中の強者、もしくは成功者。

 『世の中にはこういう人も必要なんだよ』と存在を黙認されていた人間達を。


 ――覆すために。


「……なるほど。トウゴウの言う『オペレーション・デイライト』と考えが似ているな。どーりで奴が目を付けるわけだ」

「そんな大々的なもんじゃないんですけど。俺個人の問題だし」

「つーか、そんな大それたこと、よく一人でやってたな」

「一人だから、ですよ。絶対に足がつかないようにね」


 そうして、浩輔が半ばテロ行為ともとれる事を起こし始め、それを追う公安から名づけられた渾名が『サイレントキラー』。これは、東郷から教えられたものだが。

 キラーと名付けられているものの、実際殺し屋なのか、テロリストなのか、同一犯なのかすら分からなかったのだろう。

 浩輔も絶対に正体を悟られないよう三つの信条を心がけていた。


 『予告なし、証拠なし、容赦なし』


 事前の殺害予告等は絶対にやらない。前兆を見せず、突如として命を狙う。

 犯行にあたって、個人を特定する証拠は当然残さない。誰にも分からないようにではなく、誰もが容疑者になりうる状況を作り上げるようにする。

 そして、犯行時にほぼ必ずと言って良いほど、善良な市民を巻き込む。悪党は必ず何も知らない一般人を盾にするという浩輔の考えからだ。だから、情けは一切不要。

 こうして殺人を重ねていった浩輔であったが、世の中では一切噂になることはなかった。この世の掃き溜めの匿名掲示板でも話題にすらならなかった。公安だけは唯一、『そういう存在がいる』ということを認識していたようだが、世の中の無用な混乱を避けるため、表向きは情報を伏せていた。

 

 ――故に、世の中は何も変わらなかった。


 当然であろう。

 予告もなく、痕跡もない、同一人物の犯行ということも示さないということは、世の中への警告を一切しないということだ。何も主張しなかったということだ。

 凶行を一年も続けていくと、浩輔自身も流石に自分自身の行為に疑問を持ち始めていた。

 単なる歪んだ正義感による行動、個人的な世界での自己の発露でしかなかったということは、重々理解していた。それでも、行動することで何かが変わるのならと、そう信じていたはずだった。

 ――が。

 コンビニのバイトで日々を食いつなぎ、ボロアパートの中で次なる標的と殺害方法を考え、そして単純作業ルーチンワークを行うかのように、自らが決めた悪党を殺害しに行く。


 一体何なのだ?これは?

 やってることは、世が言う正義の味方と認識されてもよい行為のはずだ。

 人が勧善懲悪ものと呼ぶ物語はこういうもののはずだ。

 なのに、この虚しさは一体何なのだ?


 そして、半ば思考停止に陥ったうえでの犯行が生んだ初めての失態。

 幾億もの税金を不当に自らの肥やしとし、法に裁かれるまま余生を過ごそうとしていた悪徳政治家の一族を抹殺した際、浩輔は姿を見られ、現行犯として特定された。

 たまたま別の事件で近くにいた公安の男達は、思わぬ収穫とばかりに浩輔を取り囲んだのだ。勿論抵抗はしたものの、特に武術の心得もない一人の男が、訓練を受けた警察四人に敵うはずもなく。

 だが、この時浩輔が抵抗したことによって、その女の目には『複数人の柄の悪い奴らにリンチを受けている哀れな男』として認識されてしまったのだ。


「出会い方っていうのは皮肉なもんですよね……もし俺が、あの時、自分が単独犯のテロリストだったということを言っていれば……他の奴らの如く『反省』させられていたんでしょうか?」


 その言葉の意味する先。

 それこそがここに来た目的。


「……確実に言えるのは」

「何です?」

「あの時、私が公安の肩を持っていたら、あの晩は大したメシにはありつけなかっただろうな」


 もう泣きたくなるような溜息が浩輔から漏れた。


「あんたが正義のヒーローめいたことをやろうと言い出した時、これを続けるのもありかな、とは思いましたけど……」


 浩輔は左手を顔の前に掲げ、手を握っては開きを繰り返す。


「いつ、あんたに裁かれる日が来るのかなって、そんな恐怖もあったんですよ」


 日比谷公園での出来事……今にして思えば、あれは必然であったのかもしれない。

 ずっと先延ばしにされていたことが、突然やって来ただけだ。

 力無き存在の強がりなど、純粋な力の前では何の意味もなさない。

 それからはただ、無様に隷従していただけだったのだ。

 時々は自分の望みを叶えてくれる頼もしい存在。自分が事を起こすより、世の中へのインパクトがある。何せ目の前の女は、現代科学では説明のつかない超常的な力を持った変身ヒーローなのだ。こいつに付いていけばよいのだ。全ての事はこいつが為してくれる――

 だけど、恐ろしい。

 出来れば自分から離れて行って欲しい。

 …………どこまでも、無様だ。


「俺からは、以上です……」


 浩輔は思わず顔を下げた。

 あまりにも自嘲が過ぎて露骨に涙が出てしまっている。


「……コースケ、私の言葉を聞いていなかったのか?」

「…………?」

「裁いて欲しいなら、正義の味方に頼め」


 長々とした懺悔に、返って来た言葉はそれだけであった。

 覚悟で得られる物はたったこれだけだったのかと、思いたくもなるくらいに。


「ところでお前、アルク・ミラーには調製されてないんだな」

「……はい?」

「今の話を聞く限り、お前が一番上手く使いこなせそうな気がしてな。正直、自分でもそう思ってるだろ?」

「まぁ、全部たらればの話ですけど……」


 唐突に変えられる話題、あっけなく流される回想。

 それに加えて、目の前の女は褒めているのかどうなのか。

 本心はともかく、慣れない台詞に浩輔はどこかぎこちなく答える。


「そう、アルク・ミラーの最大の利点は、食事を除けば無補給で戦えること。そして、変身を解除してしまえば誰にも正体を悟られない隠密性」

「急に何を……」

「そういう特性があるからこそ、トウゴウ、ひいては黎明の奴等は事を起こせた。力の本元のユミルを出し抜いてな。同じ力を持つ私やユージらがいたとしても、勝算はあった。恐らく今でもあるんだろう」

「組織そのものは滅茶苦茶ですけどね」

「だけど、世の中を混乱の最中に陥れることは出来た。その事を解決する術はない、とな」

「たしかに。問題はそこっすね……でも、どうしてそんなことを?」


 涙が少し乾いたので顔を上げた瞬間、突如として邪悪に歪んだ明理の表情に、浩輔は思わずたじろぐ。

 

「どいつもこいつも前提を間違えてやがる。アルク・ミラーに隠密性なんてないぞ」

「……は?」

「分かるんだよ。分かるように出来てるんだ。錬装化しなくても、どいつが能力持ちか、どこにいるのかってな」

「どうやって!?」

「アルク・ミラーの形成コードには特殊センサーが仕込まれている。これを辿りさえすりゃ相手がどこにいるのかも丸分かりよ。勿論、黎明の錬装機兵だって、トウゴウの奴の丸パクリだからな。この基地内は位置情報のバーゲンセールってわけだ。豆粒程度の賢者の石とその使い方をちょっと習えば、お前でもキロ圏内でサーチ可能なんだぜ?」


 かかかと笑う明理。

 浩輔の全身には、先程までとは全く別種の震えが駆け巡っていた。


「それじゃあ勇治たちも……」

「私らの会話は全て盗聴されていた。あいつらを通してな」

「そんな馬鹿なっ!?」

「そのためにユージとチビッ子は、私らの元に送られてきたんだよ。あいつらも知らずにな。お前だって最初は少し疑ってたろ?いつの間にかうやむやになったけど」


 冷たく、そして整然とした語り。

 信じてよいものかという、理性が働く。

 しかし、理性が稼働すればするほど、この話の辻褄の合い具合を確かめるに過ぎない。


「だったら、今までのことは全て……」

「奴の手の平の上だ」


 いつも以上に声を低め、明理は吐き捨てるようにいった。

 『奴』に該当する人物はただ一人しかいない。


「ユミル……!あいつの目的は一体……」

「さーな」

「って、知らないんですかっ!?あれだけ敵意剥き出しだったのに……」

「ああ、ぶっ殺すだけでなく、奴の目的を聞きだすことも、私が受けた命令の一つだ」


 命令、という単語を聞き、浩輔は目の前の人物が今までと明らかに違うことを思い出す。

 しかも、いつの間にか、指を突きつけながら目の前まで迫っていた。


「だからな、コースケ……アルク・ミラーが正義の味方なんて絶対にありえないんだぜ?」

「勇治や深知たちも……」

「私がこれだけ話せるのは、ここまで生身で来れた、お前だけなんだ」


 言葉を続けながら、明理の人差し指が浩輔の額をぐりぐりと突き刺していく。


「お前は、自分が信じることを為すことが出来て、そして、それを自ら反省し後悔できる人間だ。誰かに討たれることを受け入れることも出来る。そこがトウゴウとは決定的に違う。……いや、奴も特別な力(アルク・ミラー)さえ持たされてなければ、そうだったのかもしれないけどよ」

「それって褒めてるんですか?つーか、痛いんですけど……」

「そしてお前は、奴の監視下から半ば外れている。取るに足りないただの人間として……なっ!」


 明理の指先が微かに光ったかと思うと、浩輔の額に鋭い衝撃が走る。

 不思議と痛みはなく、額を触ってみても傷の類は感じられない、が。


「なっ……俺に何かしたんですかっ!?」

「した」


 明理は二文字で回答すると、その場にゆっくりと立ち上がり、以前のように浩輔を不敵に見下ろした。

 浩輔も色々言いたいことがあったが、こうなると完全に彼女のペースだ。


「んじゃ、こっちの事情を簡単に話すぜ。今更だが、私は人造人間(ホムンクルス)だ。ウチの主人(マスター)の命令でここに来ている。途中色々トラブって、記憶系統と命令系統がブッ飛んでたせいで、だいぶ遠回りになったけどな」

「その、あんたの主人(マスター)というのは?」

「面倒なことになるから、今は言えん」

「じゃあ、貴方が受けた命令は?」


 間髪入れずに尋ねる浩輔に対して、明理はやれやれといった面持ちで頭を掻く。

 少し、間が空く。

 言いにくいのか。

 言えない訳でもないのだろうが。


「……この世から『錬金術』を無くすことだ。研究者も、それを利用しようとする輩も……全て、な」


 浩輔は肩を落とした。

 物騒ではあるが、その理由に安心してしまったのだ。

 そこにあるのは、個人の正義などではなかったから。


「錬金術ってのは、そんなに危険なものなんですか?」

「力っつーのは、存在するだけで人に妙な気を起こさせるからな。使い方を間違えると取り返しのつかない代物だったら、最初からなかったことにした方がいい」

「でもアルク・ミラーは……」

「アルク・ミラーで留まらないから言っている。私もこの基地の研究データを少し調べたが、ここの奴等のレベルでさえ、『人を資源に変える』という領域まで踏み込んでしまった」

「人を資源にって……」

「何でもかんでも自分の思い通りにしてしまうってことさ」

「それって……うぐっ!?」


 突如として浩輔を強い眩暈が襲う。

 直後に来る、異様なまでの偏頭痛。

 いきなりどうしてと、思い当たる節は、一つしかなかった。

 

「やっぱり、干渉してきやがったか……」

「明理……さん……っ!これはっ……!?」

「安心しろ、お前のはダミーだ。目はしっかり開けておけよ」

「ぐっ……ぁ……?」


 例によって命の危険を感じていた浩輔だったが、頭の痛みは次第に引いていく。

 ……いや、感覚が麻痺しているのだ。全身の血流が止まって痺れるような。

 視界はかなりおぼろげになっているが目は確実に開いていた、周りの音もしっかり聞こえている。それも、自分とは別の何かに、無理やり筋肉を動かされているような不快感。


(操られている……?そうだ、何かが、取り付いている……の、か……!?)


 いつの間にか、声も出せなくなっていた。口の筋肉が自分の意思では全く動かせない。

 こんな時にまで明理に助けを求めようと、辛うじて動く手を思わず前に伸ばす。

 ギリギリ人の形だと分かる輪郭が微かに揺らめいたかと思うと、冷たい声が耳に届いた。 


「悪いなコースケ――――死んでくれ――――」


 直後、浩輔の腹部に激烈な衝撃が襲い、胃の中の物が全て口へと逆流し、呼吸が絞られる。

 理由が分からない。意味不明。理解不能。

 そんな思考も全てが闇の中へと引きずられていく。

 何が起きたのかも分からずに、死の淵がすぐそこまで迫っていた。

 恐怖することも、生きようと抵抗する時間すら与えられない、圧倒的な世界の早さ。

 それらに追いつくには、浩輔の意識は遅過ぎた。


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