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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
陽はいずれ彼方へと消える
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86.渇望

 揺れる視界と混濁する意識の中、勇治はなおも状況を整理していた。

 先程の頭部への一撃は、ナイフ二本を盾に何とか防御に成功。無闇に刃先を合わせる事はせずに、とにかく相手の脚部の刃を刃毀れさせるさせることによって、装甲の切断は防いだわけだ。結果は、打撲のダメージ……軽い脳震盪くらいで済んでいる。

 しかし問題は、愛樹の新武器、新たなる攻撃であった。そして、謎の回避法。

 小爆発による高速機動と全身の刃による近接戦闘、そして強化調製によるプラスアルファ。

 最初の二つが全て残っているうえ、新たな飛び道具、それも複数方向から同時操作できるものなど、全くの想定外。そこまでコード容量の余裕が残っていたというのか。

 勇治自身は薬物発現・注入コードと『最後の秘策』のコードでほぼ容量ギリギリだというのに。


(その『最後の秘策』も一度きりしか使えない……アイツの武器、いや、あの『当たった感触はあるのに避けられている』ことの秘密が分かるまでは……)


 頭の中で更に状況を整理する……そんな時間は与えられなかった。

 コンクリートの粉塵に紛れ、どうにか物陰になりそうな机の裏に身を隠していたが、既に愛樹の姿がすぐ近くまで来ていたのだ。彼にしては珍しく音を殺して歩いており、直前まで勇治も気がつかなかった。

 慌てて勇治が体を持ち上げるのと同時に机が切断される。


「まだ動けるのか?……だったら、動けなくなるまで練習台になるだけだがなぁっ!」


 愛樹の体が急加速する。それは目で追える。

 飛び上がってからの横凪ぎの蹴り。この男に限っては飛び蹴りが悪手にならない。

 だが、それも勇治はナイフでガードし、更にカウンターを仕掛ける。

 今度も感触がある。火花も散った。


「がっ!?」


 またもや、背後から謎の衝撃が勇治を襲う。

 ――やはり、何かしらの遠隔操作武器。

 だが、勇治は視線を愛樹の方から逸らすことはなく、続けてくる爆発推進による大斧の如き踵落としの防御に意識を集中させた。ナイフの刃先ではなく、伸ばした腕そのものを使って相手の脚にぶつけてその軌道の僅かながらに逸らせる。

 踵の刃先で視界が割れたときは肝を冷やしたが、辛うじて掠めただけでその場を凌ぐ。

 この瞬間、互いに零距離。

 勇治は刺し違えるつもりで左手のナイフを相手の脇腹へと突き刺そうとする。それでもやはり、僅かに何かが引っかかった感触があったと思ったら、既に相手はナイフの刃先の遥か先へと距離を取っていた。


「どうしたんだ、今日の君は?僕の攻撃に対して尽く最適な動きで対処しているじゃあないか?」


 あまりにも唐突な賛辞の言葉。

 それも目の前の男が、だ。

 はっとなって顔を上げた勇治に、またもや複数方向からの衝撃が襲い掛かる。

 体のバランスを崩すくらいの衝撃。銃弾ではなく、何かしらの刺突だと、勇治は勘付いた。

 今にも倒れそうな足元を前にしながら、愛樹が再び構える。

 しかし、それに対して勇治は反撃姿勢でも防御でもなく、ナイフを持つ手の平を上に向け、人指し指を突き立てながら言葉で返した。


「だからっ……距離を取ったのか?お得意の接近戦で!」

「だからだよ、光栄に思えってのはなぁっ!」


 今度は爆発で大きく飛び上がり、空中からの攻勢。

 ここのホールの天井は高い、建物四階分はゆうにある。広さも下手な体育館よりある。

 地下基地の他のエリア、通路が続くような狭い空間なら彼の持ち味は生かせないのだろう。故にこの場所を決戦の地と定めて待ち構えていたのだ。

 そして、障害物が少なく、薄暗い空間だということ。

 勇治は一瞬、視界を暗視モードに戻し、周囲をぐるりと見渡した。

 ――何もない。

 頭の中で今までの情報が反芻される。


(アルク・ミラーの原則……武器や装甲の生成は自分から離れたところでは行えない……。そして、形成されたものは、自分の体から離れると長時間形を保つことは出来ない……)


 重い刃が上空から急降下してくるが、このままの直線の動きでは、勇治まで届かず手前に落ちる。

 ならば、得意の空中軌道を交えた動きになるはず。


(もっとクスリを……!コイツが遠隔操作武器を撃ってくる瞬間は……)


 勇治の首元から煮えたぎっているような熱が流れ込み、頭部へと走っていく。脳味噌がぽこぽこと沸騰するような感覚を覚え、危機感と恐怖感と共に思考が加速していった。

 ――これまでの謎の攻撃は全て『死角』から来ている。そして、その武器を発射する瞬間もこれまで一度たりとも捉えきれていない。むしろ、意図的に分からないようにしているのか。その瞬間を見られたくないのか。

 ……だとしたら、なぜ見えないのか。今の勇治なら銃の弾丸の軌跡すらも捉えられる自信がある。それよりも大きい物体ならなおさらだ。

 自分が、気づいていないだけか。


(これだけ相手を見ているのに気づいていない……?意識を、注意を、逸らされている……?)


 自分の注意が他に取られている時……それは一つしかない。


(それは……この近接攻撃インファイトの瞬間……ここしか……ないっ!)


 上を向いていた首がストンと落ちる。

 相手が一度急降下して、下段からの一閃を加えようとしていたのだ。勇治の脚を狙っている。

 視野を広げたため反応が遅れたと思ったが、ダメージは装甲の下の脛を掠めたぐらいで、思っていた以上に浅い。謎の武器を発射したようにも見えない。


(違うっ!本命が来る!)


 下段からの横凪ぎの勢いを生かしたまま、逆の脚を伸ばし、地面から全身を発射させた蹴り。

 狙いは頭部。

 故に、これも辛うじて掠めただけに留まった……が。


(今かっ!発射したっ!)


 やはりその軌跡は見えなかった。この速さの戦闘だと音もアテにならない。それでも、勇治はこのタイミングで相手は撃って来ると確信していた。

 愛樹が再び距離を取るが、勇治が反撃で突っ込んでくるのを見ると、右に飛び退いた。

 勇治の全身がそちらの方向へ向く。

 だが、勇治のフェイスガードで隠れた瞳の視線だけは、体の向きの逆方向を捉えていた。

 予想通り、微かな煌きと共に、何かが自分の方へ向かってくる。

 防御は間に合わないが、その形状を視認した。


(やはり……こいつの刃先だったかっ!)


 包丁大の大きさの刃先が勇治の腹部に衝突し、弾かれた瞬間に消滅していく。

 正体が分かり、その原理と戦法も一つの線で繋がった。続けざまに全身に飛び込んでくる複数の刃先を受けながら、謎の武器の仕組みを頭の中でなぞっていく。

 愛樹のレフレク・ヘックラーの基本性能はあくまでも小爆発による加速。フロイデの時と変わっていない。これは、その仕組みを応用しただけに過ぎない。

 近接攻撃の瞬間に刃先の一部を錬装離甲アルク・パージの要領で分離させ、周囲にばら撒く。後はタイミングを計って爆破推進を行わせて相手の死角から襲わせる。

 さらに大きく評価するならば、おそらく実際に飛ばす物よりも、もっと多くの本数の刃先をばら撒いているのだろう。相手の死角に飛ばせる位置にあるものを、その時々によって見定めているのだ。

 今までは、飛んでくる刃先の防御よりも、愛樹自身の攻撃の対処を優先していた。

 これこそが最適、正解だったのだ。

 いちいち周囲に注意を向けていては、肝心の本命の攻撃を受けきれない。


(でも――どうすればいいんだ?)


 相手がヒット&アウェイを繰り返すのならば、その分こちらの攻撃のチャンスも失う。

 再び襲ってくる蹴撃をすんでのところで受け流した勇治は、急に思考が行き詰る。

 トリックは解かった。でも対策が思いつかない。

 この、おそらく全方位から来るであろう攻撃を、防ぎきることなんて出来るのだろうか?


「――さて、思っていたよりも長く保ったな。……参考になったよ」


 愛樹の低い声と共に我に返った勇治に、畳み掛けるように新たな激痛が加えられる。

 これまで体勢崩しと衝撃を加えることしかなかった、遠隔操作の刃であった、が。

 その一本が、勇治の装甲を貫いた。

 腹部に刺さり、背中に刺さり、腕に刺さり、腿と脛を貫通した。

 そして、刺さった物体を確認したときには、その刃は跡形も無く消滅し、裂けた血管や筋肉から一気に血液が噴き出す。

 愛樹はただ闇雲に攻撃し、勇治の防御に対して手を拱いていたのではない。遠隔操作の刃が相手の装甲を貫くその時を待っていたのだ。更に言えば、どのくらいの回数で破れるのかを計っていた。

 刃そのものが干渉武器でなくとも、自分の装甲を一緒に飛ばして当ててやれば、一定の装甲強度の低減は狙える。そこまでを計算して攻撃を加え続けていたのだ。

 ついに脚が崩れ落ちた勇治に向かって、愛樹は一切の容赦の無いもう一セットの遠隔操作の刃の発射と、自らの攻撃を仕掛けに突撃する。


「いや、クスリが……ますます、効いてきた……」


 勇治が一言そう呟くと、地についた両膝の反動で一気に飛び上がり、愛樹の一撃とナイフの刃先を拮抗させる。ナイフが愛樹の腕の刃を切り裂き、その下の装甲すらも跳ね飛ばした。

 だが、中の腕そのものには届いていない。

 後皮一枚の距離で、皮に到達していたというのに。

 愛樹本人の攻撃は防御されたが、遠隔操作の刃は別だ。そのことを捨てた反撃だったものの、勇治の体に新たに四枚の刃付き装甲板が突き刺さり、そして消滅する。

 装甲の修復が追いつかずに血が真下のコンクリートの地面へと垂れ落ちる中、勇治は脚をふらつかせながら、その場に立ち上がった。


「ふん、意外としぶといじゃないか」

「……もう一撃、受ければ、終わりだがな……」


 愛樹からの掛け値なしの賛辞に対し、勇治もハッタリ無しの本音で返す。

 絶体絶命の状況のはずだが、心の底ではまだ覆せる、まだいけるという自信が蠢いていたのだ。

 不思議なくらいの絶対的確信。

 薬物によって侵蝕された思考が、深い闇の中に一点の光を作り出している。


(そうだ、攻略なんて必要ない……)


 堕ちなければ、沈まなければ、見えなかった道だ。

 己の正義という名の拘りさえ捨ててしまえば、簡単に出た答えだ。


(答えは出てるじゃないか……!コイツのさっきからの回避法……あれが彼女(明理さん)に対抗するためのものだとしたら……!)


 愛樹は勇治との相手など考えていないなかったはず。

 今の彼は、明理に二度も敗北し、その対策を練ってきているに過ぎない。

 つまり、自分と同じであり、自身にとってはちょうど反対の立場なのだ。

 自分はあくまでも彼の練習台になっているに過ぎない。

 明理との戦いが始まれば、最初から全力で仕掛けるはず。


(俺と……同じくっ!)


 最後の一撃を加えようと、愛樹の脚がゆっくりと上がろうとした時、勇治は両手を軽く広げ、ナイフを地面に捨てた。

 そのまま刃先が砂に還ると、肩をだらりと垂らしたまま、ゆっくりと両手を合わせる。


「――だが、お前のトリックは分かった。そして、これが、俺の『切り札』だ……!」


 勇治の両手の間から、光の象形文字が真っ直ぐに伸び、刀身を形成する。

 愛樹はフェイスガードの下で目を見開いて驚愕した。

 それもぶっちぎりで悪い意味で、だ。


『ケルブ・ストレイト、エクスプレッション』


 機械音声が流れ、形状が固定化し、新たなる勇治の『得物』の発現が終わる。

 それは、まさしく見たままの形。

 この世で最も過大評価されているという、日本の象徴ともいえる武器。


「剣……いや、太刀だとっ!?」

 

 刀身は約70cm程度。鍔に柄はデザイン性を完全に無視した、シンプルかつ無味乾燥な形状。

 発現が完全に終了すると、大きく反り返ったその刃が、主の手を少し沈める。

 勇治は静かに息を吐き、両足、両手、背筋……負傷をものともしない動きで姿勢を整えた。


「今更、そんな虚仮威しの武器を……正気かっ!?」

「何度でも言う。これが、俺の切り札だ……」


 勇治は片足を踏み出し、構えを取る。

 太刀の扱いには多少の自信があった。

 昔取った杵柄……中学生時代のものであるが、一応剣道は初段だ。

 一方で、対峙する愛樹は、更に困惑していた。

 目の前の剣の構えが、『剣道そのもの』の構えだったからだ。

 彼にとっては、実戦とは遠くかけ離れた、単なる競技の産物に過ぎない。

 ようやく洗練されてきた戦闘術によって、自分の実力に肉薄したというのに。何故今になって、それを全て放棄してしまうのか、理解に苦しんだ。


(いや、あの太刀には何かあるな……何かの秘密が……)


 ここまで来ると愛樹も、勇治の挙動に警戒せざるを得ない。

 目の前の新武器に対する仮定と戦法が、頭の中でぐるぐると研鑽を始める。

 それと同時に、装甲の下は滾った汗が噴き出しているというのに、涼しい風が喉の奥から体のあちこちを駆け巡った。

 ――相手はもう虫の息だというのに。

 ――まだ、何か仕掛けてくるというのか。

 ――前へ向かって来るというのか。

 愛樹は自分の心臓が踊っているような感覚を覚えていた。


「……僕の攻撃の秘密が分かったと言ったな?」

「ああ、明理さんならもっと早く気づいただろう。お前は元々の爆破機構を利用して、装甲を次々に切り離して行っているだけに過ぎない」

「正解だ。それだけの傷を負ってようやく気づいたか」

「だから……ナイフじゃあ射程リーチが足りないと思ってな……」

「馬鹿か?」


 言葉を切り捨てる愛樹に向かって、勇治は沈黙で返す。

 自分は本気だという意志の表れを察したのか、辺りは一気に静まり返り、部屋の扉の隙間から流れてくる微かな機械音だけが耳の外から入ってくる状態となった。


「……いいだろう、これでケリをつけてやる」


 部屋の中の空気の流れに、純然たる殺気が加わる。

 二人の距離は約10メートル、合図もなく、両者共に前に踏み込んだ。

 同時に愛樹の全身から、刃付きの装甲が撃ち出される。今度は露骨に見せたのだ。

 愛樹の目に、眼前の警告色の装甲の男が、あの白き魔物と重なる。

 『本番』では一撃で仕留めるつもりであった。逆にその一撃を外せば死を迎えるつもりでいた。

 ――遠隔操作の刃でバランスを崩し、気を取られたところに全力の一撃を加える。

 もし、相手が構わずに攻撃を続けてきたとしても、例の擬似反応装甲によって一回以上は凌げるので、こちらも手を止めずに攻撃を行える……そのための装備、その作戦のための強化であった。

 この一撃ではもう死角から撃つ必要はない。

 あらゆる方向から徹底的に突き刺してやればいい。


(あの切り札とやらの太刀を受けるまでもないっ!刃先が届く前に……カタをつけるっ!)

 

 愛樹が周囲に発射した装甲片に一斉に脳波の無線を送り、相手に向かって刃先を発射させる。

 勇治の方はというと、太刀を振り上げた。

 唐竹……そんな綺麗な物ではない。負傷により切っ先がぶれにぶれた袈裟斬り。

 居合いや突きならともかく、これでは動作モーションが遅すぎる。

 愛樹は勝利を確信した。


(――――ぁっ!?)


 光。

 閃光。

 白く染まる視界。

 いや、鼓膜も含めた感覚器官全てが一瞬塞がった。

 勝利の瞬間のフラッシュバック……そんな経験は愛樹にはなかった。


(あの刀……嵌められただとぉぉぉっっ!?)


 あの太刀は、『太刀ですらなかった』。

 愛樹はその瞬間に気づいた。

 ――罠。

 苦し紛れの悪あがきなどではなく、起死回生を狙った撹乱。

 刀身ではなく、柄が本体。

 わざわざ振り上げたのは、そこへ僅かでも視線を遅らせるためだった。

 まさかの、『刀型閃光弾』という超ド級のインチキ武器。

 ともすれば、子供騙しと紙一重の奇策。


(……だが、僕の刃はかわせはしないっ!)


 愛樹が放った刃は文字通り、勇治がどこに動こうが命中するように撃っている。

 数発でも当たれば相手はぐらつくはずだ。

 視覚も聴覚もやられたが、周りの微かな空気の振動はまだ捉えられる。


(刀がフェイクなら、奴はナイフを使う!発現までの時間、そして距離を押さえれば!)


 その時、無意識に行った瞬きが、愛樹の視力を微かに回復させた。

 白い視界に薄ぼんやりとだが、黒い線で構成された影が蠢いている。

 2時方向、微かに低い位置。

 愛樹は咄嗟の判断で、右腕の装甲の数枚を直接その位置に向けて発射した。

 首か、肺か、心臓か、ともかく上半身に当たれば、確実に動きを止められる。その確信があったからこそ。一瞬の空白の後、さらに周囲からの追撃が入り、影は簡単に崩れ落ちる。

 それはまるで四散するかのように。

 ――不自然であった。


錬装離甲ぬけがら……馬鹿なぁっ!?)


 影は、息を潜めていたかのように、もう一つあった。

 逆方向に。


「『神速の侵蝕(食い破れ)』ぇぇぇっっ!!」


 勇治の乾坤一擲の咆哮と共に、激しい光が周囲へと拡散する。

 白い世界が辺りを支配したのは、ほんの数秒程度。

 周囲が再び暗黒へと戻ると、霧散した光の粒子が二人の決着を告げた。


「……俺の……勝ちだっ……!」


 黒い装甲を纏った少年が静かにそう告げ、その場に崩れ落ちた。そのすぐ上を、幾枚かの刃が交差していき、遥か先の壁に力なく当たっては砂となって飛散していく。

 そのすぐ後ろで、くぐもった声と共に喀血の音が流れる。

 勇治は両手を付きながら体を起こそうとするが、力が入らずに顔を地面にぶつけてしまう。フェイスガードのおかげで顔面は傷つくわけがないかと思ったのも柄の間、今度は全身の筋肉という筋肉、血管という血管から発せられる警告。それでも、クスリが激痛の信号を完璧に遮断していた。

 何とかなりそうなのは痛みだけ。体はもう自由が利かない。

 それでもコードバーストだけは勘弁してくれと、自分に必死に言い聞かせていた。

 覚悟を決めた今なら、記憶が消滅してしまうことの恐ろしさが分かる。


「なるほど……これは……僕の負けだ……な……」


 勇治の意識を現実へと引っ張ったのは、皮肉にも殺し合った相手の声であった。視線だけでも後ろへと向けると、そこには自らが刻み付けた決着の痕跡がはっきりと残っていた。

 ハンドボールくらいの大きさの穴が空いた腹部。

 まさしく『土手っ腹に風穴を開けた』という奴だ。

 自分がやってしまった以上、軽々しく使えるような言葉ではなくなったが。

 勇治はそれ以上に、こんな状態でも相手がまだ立っていることに恐怖すら覚えた。

 腹部が消滅した今、体の重心は既に滅茶苦茶だろう。絶対なる死の瞬間が一刻一刻と訪れているというのに、相手は生の時間を楽な姿勢で一秒でも伸ばすのではなく、自らの戦いの時を一秒でも伸ばそうしているのであった。

 勝敗はついたが、まだ戦いは終わってないのだ。

 そう思えてしまっていた。

 そして、自然に口が開いた。


「もっと距離を取っていれば、お前が勝っていたんだ。いや、もっと時間を掛けていれば、お前はそうするだけでよかった。俺はクスリと出血で……自滅していた」

「……結局はまた、僕の判断ミスということか」

「お前が俺の最後の攻撃に向かってくることに賭けていた。いや、信じていたんだ……。お前は絶対に正々堂々とした戦いしかしない」

「…………」

「だから……俺が勝つためには、卑怯な手でもなんでも使うしかないんだ」

「人を殺すのは……『誇り』なのか……」


 ついに愛樹の脚がぐらつき、地面へと仰向けに倒れこんだ。

 装甲は修復されないまま、腹からの出血の飛沫が勇治の顔にも付着する。

 残っていた装甲も砂となって散っていき、その下の本体の姿が明らかになった。

 全身を震わせながら必死に顔を上げた勇治は、その姿を見て歯を食いしばる。


「お前……その脚は、義足……?そんな状態で……?」

「……何言ってんだ……僕が元から歩けないことも知らなかったのか……?」

「そんな状態でずっと前から、あれだけの戦いを……!?ただ、アルク・ミラーの力だけで……」

「本当に、何も聞いていないのかよ……はっ、ははっ……!」


 茫然とする勇治などお構いなしに、愛樹は地面に両手を広げ、笑い出した。

 とても愉快そうに、笑った。

 狂ったように、笑った。

 例え今、周囲の人間が笑っていたとしても、それを問答無用で沈黙させるような力で、笑った。

 それは、自らの残りの命を惜しみなく吐き出すように。

 やがて笑い声に血痰が混じり、打ち止めになる。


「……一足先に……地獄に行ってるぜ……せいぜい頑張れよ……勇治……だっけ、な……!」


 敗者の言葉、ではあるが、そこに一切の呪詛は感じられなかった。

 むしろ、これからの勇治の行く末を祝福するかの如く、男は力尽き――呟いた。


「……あ……あ、りが、とう……」


 勇治は愕然としてしまった。

 最初に出会った時から、決して理解しあえることはないと思った存在。

 自分の中の絶対的な敵であり悪である存在。

 倒すことに、殺すことに何の迷いも持たなかったはずの存在。

 だが――。

 最後の言葉は、自分に向けての紛れもない感謝。

 こいつは、この男は、一体どういう存在だったのか。

 どのようにして生まれ、どのようにして生きてきたのか。

 何故、あんな思想を持つまでに至ったのか。

 知りたい。

 理解を、したい。

 今すぐミューアをつれて来て、こいつのコードを全て読ませたい。

 だが、無駄なのだ。こんなことをやっている時間は。分かってはいるのだ。

 それでも、自分と反目していたはず人間が、こんな安らかに死んでいくのは……耐えられない。


「ば、馬鹿、野郎っ……!」


 勇治は起こした顔を再び地面に落とす。

 絶望や悲哀とは違う、ただひたすらに途方も無い虚脱感が体を支配した。

 涙など出ない。

 既に体の生命維持の本能が、余計な水分を使うなと拒否している。


「お、俺は、お前を殺したんだぞ……感謝なんか……するんじゃねえよ……!」


 今、この場で這いつくばっているのは勇治の方だ。

 脚の自由が利かなくなっている以上、這いずりながら前に進むしかない。

 何とかしてミューアと再び合流し、傷を治して貰わなければ、自分の命も危険だ。

 しかし、愛樹の横を通過したとにき、無意識的に彼の死に顔を見てしまう。

 安らかな顔で死を迎えた敗者の何と気高いことか。それにひきかえ勝者の姿の何と惨めなことか。

 それでも、前に進むしかないのだ。

 戦って、生き残った者は。

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