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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
陽はいずれ彼方へと消える
86/112

84.戦場

 作戦前、浩輔は黎明の地下基地をアリの巣と評したが、さらに縮尺を大きくして上空から見れば、あるいはクモの巣と比喩したかもしれない。

 いくつもの通路が無数に絡み合い、下手に侵入者が巣にかかれば、すぐに捕食者が向かってくる。

 一見するとそんなイメージを抱いてしまうような造りと規模ではあるが、所詮は前世が蜘蛛がどうかもしれない人間が模倣して作ったもの。


「こちら第25ブロック警備班、侵入者を見失った!管制室からの情報は!?」

『何をやっている!相手は一人だぞ!』

「駄目です!強すぎます!既に五十人以上はやられています!味方の多くが戦意喪失を……!」

『貴様ら何をやっとるかァッ!』


 作戦開始から二十分も経過すると、黎明の兵士達は露骨に浮き足立っていた。

 襲撃には備えていたはず、いや、そのつもりではあったのに、頼みの綱の錬装機兵達が目の前で次々とやられていく様を見せ付けられては、自分達の自信は過信であったのかと思考が反転し、我先にと逃げ出す者多数。

 ただ向かっていくだけでは敵わない、となると、素晴らしい策を持っているのであろう上からの指示を仰ぎたくもなるのが人情というものだ。

 黎明内における『古参』と『新参』の差はここに来て浮き彫りになっていた。

 古参である上官からどやされながら尻をつつかれ、錬装機兵のフェイスガードの中でいつ逃げ出してしまおうかと、歯を震わせながら歩みを進める兵士達。

 そんな彼等の目に、錬装能力を持たなかったためにやられてしまったのであろう、通路上の死体の数々が飛び込んでくる。


「うぅ……」

「む、貴様。まだ息があるな」


 そんな死体に混じって、頭から血を流しながら苦しそうに息をする眼鏡をかけた少年が一人。隊長格の男が近づくと、少年は左腕を弱々しく伸ばしながら、必死に声を絞り出そうとする。


「む、向こうに……」

「侵入者はこの奥だな?道が分かれているが、右か?左か?」

「…………」

「左か?」


 少年は人指し指を震わせながら、小さく頷く。隊長格の男が明滅に気づいて顔を上げると、天井に備え付けられている監視カメラが火花を上げながら煙を吹いていた。


「早く……逃げられる……」

「分かったぞ少年、いいガッツだ!名誉の負傷だと思え!」


 熱い賞賛の言葉を受け、少年がどこか力尽きたかのように目を閉じると、仇を討たんと錬装機兵の兵士達は声を張り上げながら通路の奥へと向かっていった。というか、空気的に余計に古参の上官に逆らえなくなっていた。

 どんな状況下であろうと日本人は日本人。

 生まれ持った遺伝子と培われた思考回路からは中々抜け出せない。

 兵士達の重い足音が遠ざかって数十秒した後、少年は薄目を開けて周囲の様子を確認し、顔についた血糊を手首で拭いながら、溜息交じりにあっけなく蘇生する。


「……そりゃどうも」


 つい最近まで自分達が地上で受けていた戦法をそっくりそのまま返してやったと、勇治は立ち上って伊達眼鏡を服のポケットにしまい、兵士達が向かった逆の方向へと歩き出す。

 そのすぐ先にはここの一帯、第25ブロックの警備室があり、既に制圧済みだ。

 丁寧にノックを4回して入ると、そこには警備室の端末をもどかしそうに操作しているミューアの姿。今回ばかりはいつもの目立つ白装束ではない。単に黒くなっているだけ、という方が正しいが。

 彼曰く、リバーシブル仕様らしい。


「敵は行ったよ。そっちはどうだ?」

「さっぱりですね、この端末からは事前に仕入れた情報以上のものは分からないみたいです」

「そうか……逆に言えば、リーンのハッキングがそれだけ凄かったって事なんだな」

「その台詞を後で本人に言ってやってください。……あ、やっぱり無しで。アイス買いに行かされますから」


 目の前の少年の気苦労に同情しつつ、勇治は自分もと端末のキーボードを借り、色々と調べてみる。

 基地の構造、区画、地上からの出入り口、施設、トイレ、見張りの人員・配備など……割と事細かに記されてはいるが、問題はUnknownとなっている部分。これは幹部や選ばれた人にしか出入りできない区画のようだ。今の権限では、ここに何があるのか、どのくらいの広さ、規模なのかすら分からない。

 勇治は施設内カメラの映像に目を移し、黎明の兵士が右往左往している様子を確認すると、息をつきながら近くにあった椅子に腰掛けた。


「それにしても、敵の動きがやけに鈍い気がするな……」

「人の集団というものは、規模が大きければ大きいほど非常時には脆くなるものです。それを補うための訓練もこの状況下ではまともに行われていませんから」

「テレビとかで見る海外のテロリストだって、案外こんな感じで崩せたりするのかな?」

「そうはいかないでしょうね。ある程度の規模のテロリストは、兵にちゃんと訓練を積ませてますよ。黎明だって、もう少し時間が経てば対策を取るはずです。こちらが速攻で仕掛けたから上手く行ってるだけであって」

「そんなに速攻とも思えないけどな」

「これまで一般人だった部外者の流入、加えてトップや幹部まで変われば、組織としての体制を整えるのにどんなに早くとも一月は必要なはずです。十分に早いですよ」


 端末のキーボードが再びミューアの手に渡され、操作画面が勇治の目に流れてくる。

 その中の『指令』と書かれたファイルを開くと、黎明の末端の兵士達まで流れているであろう伝達事項が表示された。


『東郷烈心は基地を出たまま一週間以上行方不明。連絡も取れないため死亡、もしくは脱走したものと認定。もし、発見した際は殺害を許可する』

『現段階での黎明への加入希望は原則受け付けないこと。殺害を許可する。ただし、組織にとって有益な上納品を持ってきた際は、上官に報告の後、指示を仰ぐこと』

『錬装能力の付与の際には事前に規定の能力テストを行い、合格者には『大和』、不合格者には『武蔵』を与えるものとする。また、『武蔵』の付与者はいつでも処分できるように、調製後一週間は監視をつけること』 

『現作戦は崇高な使命をもって行われている。反逆者に対しては一切の例外なく処分対象とする』


 ざっと流し読みしただけでも随分と物騒な文言が流れている。そして、東郷が表向きの演説で言っていた目的すら逸脱していることも相手に問うまでもない。

 どんなに純粋な目的と意志があろうとも、それが一つの集団となった際、どう変わっていくのか。

 勇治は自らの覚悟がますます鋭くなってくるのを感じ、複雑な思いを抱いていた。


「……そうだ」


 ミューアが何か思い立ったように椅子から立ち上がると、部屋の中に転がっている男の死体に近づいて賢者の石をかざす。すると、これまた男の頭部から光の象形文字が浮き上がり、少年の手の平へと吸い込まれていくのであった。


「死体からも記憶が読めるのか?」

「はい」


 即殺ではなく、尋問できるくらいには生かしておくべきだったかと内心後悔していた勇治も、このそっけないくらいの肯定で少し気分が晴れた。

 死体からのコードの読み取りはすぐに終わったようだが、ミューアはどこか慌てたような様子で再び端末の前に戻ってキーボードを叩き始める。

 出てきたのは、勇治でも見慣れた、世間でごく一般的に使用されているフリーメールのログイン画面。そこへ慣れているかのような手つきでメールアドレスとパスワードが打ち込まれ、ユーザーページが開かれた。

 受信箱を開くと未読のメールが一通。日付はつい数時間前に送られてきたものだ。それを開くと大量の文字列が現れる。ひらがな、カタカナ、漢字、数字が一見不規則に組み合わさっており、何かの暗号であることは間違いなさそうだが、解読する気も一瞬で失せてしまうほどの分量だ。


「だけど、解読法も既に読み取っているんだよな?」

「はい、でも眺めるだけでは分かりませんから、まずは全てのネットワークを遮断します」


 更にミューアが述べるには、この警備室も含め、基地内の端末は全て黎明上層部の監視を受けているという。どれだけの人員を裂いているかは不明だが、先程の指令の通り、造反に対する警戒はかなり厳重らしい。

 この警備室にいた男は、元々東郷に惹かれて来たこともあってか、そんな上層部のやり方をよく思っていなかった者の一人。もっとも、上に楯突くほどの度胸はなく、外にいる友人を通じて、脱走のタイミングを図っていたらしい。


「脱走って……ここにいる方が安全なのに?」

「……そうではない事が起きているんでしょう。このメールを解読すれば分かります」


 ミューアはスタンドアロン状態になった端末に入っていた、これまた世間で一般的に使用されているワードソフトを開く。そこへ先程のメールの文字列をコピペし、更に文書の余白を特定の数値に調整。

 すると、隠されていた文章が浮かび上がって来る。何てことはない、後は単なる縦読みだ。元の暗号では数秒で解読を諦めた勇治でもすぐに分かった。

 子供心ながらに少々の興奮を抑えつつ、文字を上から下へゆっくり読む。



『や つ は か く を つ か っ て い る い ま す ぐ に げ ろ』



 二人は、黙読し、音読し、顔を合わせ……戦慄した。


「かく……って、あの『核』……なのか?」

「この人の記憶からは、東京の外にある黎明の基地が、何者かに次々に襲撃されているらしいとしか読み取れませんでした。もしかしたらとは思うんですが……」

「単なる脅しや嘘の可能性は……ないよな。結構長いことやり取りしてるみたいだしな」


 勇治は開きっぱなしにしているメール受信箱の様子を見るが、ここ数週間はずっと同じ人間からのメールを受け取っているようだ。

 メールの意味、そして『やつ』という言葉に、一つの仮定が頭の中を流れる。

 すぐに否定の思考も飛んでくるが、どうやら目の前の少年も同じ事を考えていたらしい。表情からしてもそうとしか思えない。


「……錬金術で核兵器は作れたりするのか?」

「理論上は出来ますよ。やるメリットはありませんけど。黎明の人達も一度は考えたみたいですが、すぐに廃案になっています」

「どうして?」

「核兵器なんて世界中にいくらでもありますし、むしろ、核の使用を察知された場合の報復を恐れたんです。何も知らない人からしたらアルク・ミラーの方が未知の技術ですし」

「だけど、現に今使われているとしたら……」


 様々な疑念が過ぎる中、突如として警備室の通信が入り、割れるような怒声が響き渡った。


『こちら第25ブロック警備班!たった今第26ブロックの班と合流しましたが、侵入者は一向に見つかりません!哨戒しようにも手が足りません!至急増援をお願いします!』


 そろそろ気づかれる頃かと思い、勇治は入り口の壁に近づき身構えた。

 ……が、その返答が中々来ない。

 警備班の男が怒り三割増しで同じような台詞を繰り替えすと、少しの間を置いてからスピーカーから冷え切った声が流れてきた。


『こちら管制室、増援は送れない。現状の戦力で対応せよ。以上』

『な……何を言っているんだ!敵がすぐそこまで来ているんだぞ!?』

『同じ事を言わせるな。黎明が作る真の弱肉強食の世に無能な者は必要ない。我々の手を煩わせる前に貴様らの最善とやらを尽くせ』


 管制室からの通信はそこで途切れ、兵士の言葉になっていないほどの怒号が何度も続く。

 勇治は壁を拳の側面で軽く叩いてから、耳が裂けそうになる音声を切ろうとしてスピーカーのスイッチへと近づくと、何かが倒れる音、そして不快感を更に掻き立てるハウリング音が鳴り響いた。


『……聞こえてるか?管制室。いや、聞こえない振りをしているだけだろう?』


 静かな、それでいて清々しいくらいの闇のある声。

 勇治はその声の正体をすぐに察知した。ミューアと顔を見合わせると同じ答えが返ってきた。


『何だか偉そうに言ってるけどさ……アンタ達、弱肉強食の原理がそもそも分かっていないんじゃあないの?』


 弱肉強食……この男が以前にも口にしていた言葉だ。

 その考えについて、勇治はとても賛同できる気がしなかったが、今、この時は、言葉の切っ先が別のものに向けられている。


『いいか、強者というのは、戦って、生き残った者のことだ。死んだ者は勝者とはいえない。が、戦わずして生き残った者が強者であることは決してあってはならない。と、いうことはだ……』


 淡々と持論を語る男の声は、凄み、迫力を保ったまま声を張り上げる。


『この基地の全兵力に告ぐ!地上の入り口を全て封鎖しろ!これより、この基地から逃げ出そうとする者は誰であろうと殺せ!脱走者の殺害は手柄とする!……侵入者は、僕が歓待してやろう』


 この時、勇治達はこの通信がこの基地の全ブロックに伝わっていることに気付いた。

 いたるところから警報が鳴り響き、警備室の監視カメラの映像には、先程の足取りが嘘のように錬走機兵達が慌ただしい動きを見せていた。

 この兵士たちの動きの理由は単純明快。

 この通信の主、赤いアルク・ミラーの男は、要は『お前達は侵入者と戦わなくてよい』と言っているのだ。それだったら見張りについた方が、遥かに命の危険のリスクは軽くなる。


『貴様……森愛樹!いくら貴様であろうともそんな権限はない!』


 先程の冷たい声で兵士を切り捨てた管制室の男が、今度は打って変わって激昂した声で反論した。

 が、それすらも、いつもの声の調子に戻った愛樹が、いつ息継ぎををしているのかと思えるくらいの声量で相手を圧倒する。


『権限……?とことんアンタ等は自分自身のことすら分かってないんだな!じゃあ言葉を変えよう!この基地の兵士たちよ!僕の言うことを聞かなければ片っ端から殺す!邪魔だからな!』


 スピーカー音声でのやり取りにも関わらず、明らかに基地全体がどよめいた揺れが起きる。

 

『逆に僕の指示に従ってくれる者は、口先だけの自称幹部から僕が守ってあげよう!僕は恩には報いてあげるからな!』


 この言葉が決定的となり、基地内の兵士たちの動きは9割方同じ方向へと向かっていた。

 管制室もこれ以上は反論できなくなったのか、再び声が聞こえてくることはない。


「おいおい、ここに来て内輪もめかよ……」

「妙ですね」


 勇治のボヤキを聞き流すように、ミューアが怪訝な顔をしながら呟いた。


「今の一連の発言、アイキさんにとって何の得もありません」

「そこかよ」

「それに、何かがおかしい……どこか、いつもの彼と違う……」


 ミューアが再び端末を基地内のネットワークにつなげると、すぐさま新たな指令が表示される。

 それも二つ。

 一つは『反逆者、森愛樹を殺害せよ。成功の暁には幹部への昇格を約束する』

 これは分かりやすいくらいに管制室からのものであった。

 そして、もう一つはその森愛樹から。

 たった一言。


『僕はここだ』


 そして基地内の地図に一つの光点が表示される。


「こいつ、本気か……」

「アイキさんならやりかねません」

「でも、いつもと違うんだろう?」

「…………」


 ミューアは回答に困っている。


「ミューア、一つ聞く。お前らにとってこいつは敵か?味方か?」


 勇治の質問に対し、ミューアは肯定も否定もできないでいた。

 彼も勇治と同じく、ユミルによって調製された人間だ。

 彼女が何らかの意思と目的をもって運命を動かした、いわば同族だ。


「答えられないならいいよ。だが……俺はこいつのところに行く」

「え……どうして!?」

「とにかく今のままだと、篠田さんたちの脱出が難しくなる」


 何だかんだでここまでは上手く行っていたのだ。しかし、意図してやったのかどうかは知らないが、愛樹のこの行動によって戦況が大きく変わったのも事実。


「こいつは黎明に長くいる。この基地の事もよく知っているはずだ」

「そうですが……」

「お前が説得したとして、奴が俺達と共闘すると思うか?」

「それは……ないですね。彼は味方と呼べるものは基本的に持たない主義の人です」


 彼にとってはユミルも東郷も遥か先の敵でしかない。

 ましてや、勇治に至っては根本の思想がまるで違う。


「じゃあ、ますます行く理由が出来たな」

「……あの人の力は人間の中でも群を抜いています」

「あいつ……強者ってのは、戦って、生き残った者のことだって言ってたな……それは、一理あると思う」


 勇治の目が曇りを含んだものになる。

 これまでの真面目で正義感の強い彼が表すこと出来なかった表情だ。

 この少年も、かつてより変わっていた。

 『何かがおかしく』なっていた。


「ミューア、中の警備は手薄くなったことだろうし、お前は情報の収集を頼む。ルクシィって子ともコンタクトを取らないといけないんだろう?」

「ユージさん……すみません」

「謝ることはないよ。俺が選んだことだ」


 勇治は愛樹のいる光点の位置への経路を確認すると、一人で部屋を出て、歩みを進める。

 途中、何度も、黎明の兵士たちとすれ違っていたが、ことごとくスルーされていた。錬装も無しに、あまりにも堂々として通路を歩く姿に、兵士達は声をかけられないでいたのだ。

 目的地は3ブロック先、十数分ほど歩いていると、徐々に周囲に異変が出始める。

 その最先鋒は、死臭。

 臭いの元はそれから角を曲がってすぐに見つかったが、これは明らかに不自然な死体であった。

 死後から結構な時間が経っていそうな、いや、そうだと分かる状況。また別の腐敗臭が勇治の鼻孔を掠めると、その先から銃声と何かが潰れるような音が聞こえてくる。


(本当に、クーデター……なのか?)


 警備室のモニターの光点が指示していたのは、『大ホール』と書かれた部屋であった。

 その扉は、小手先の知識ではとても開きそうにない堅牢な代物であったが、内側から何かが破裂したかのように外側に向かってひしゃげており、部屋の中から生温かい空気が漏れ出していた。

 勇治は間違いない、と確信し、足を一歩踏み入れる。


「ん……クロンボか。先にお前がここに来るとはね」


 何も遮るものはない、よく透った声が、勇治の心臓を揺らす。

 部屋の中は暗く、目を慣らした勇治でもだだっ広い会議場の輪郭しか捉えられない。

 声の主は見つけられない。


「『先に』とはどういうことだ、誰を待っていた?」

「あの女」

「……明理さんか。ここに来るのか?」

「分かるんだよ。今度こそ、僕らを皆殺しに、止めを刺しにやってくる」


 きぃ、と、金属のような物が擦れる音が鳴り響く。


「そして、クロンボ。お前も悠長に構えているが、同じだ。ここにいるとあの女に殺されるよ」

「そのクロンボっての止めてくれないか?俺の名前は岳杉勇治っていうんだ」

「ふぅん、僕の名は森愛樹。お互い今更だったね」


 名を名乗ったのは思いつきであったが、勇治の勘は確かに相手の拘りを捉えていた。

 

「今の明理さんは、俺達の力ではどうする事も出来ないのは分かってる。だからこそ、ユミル……あの人の力を借りたいんだ。そのためにここに来た」

「あのばーさん、もう長くないよ。馬鹿どもが慣れない拷問にかけたせいでね」

「何だって!?」

「だから、今の黎明の錬金術を一手に担っているのは天北というオジサンだ。そいつも死にそうだけど」

「…………」

「いや、もう既に二人とも死んでいるかも知れない」


 あっけらかんとした声で答える愛樹に、流石の勇治も違和感を覚え始めていた。


「それと、君は分かっているのか?僕がわざわざ基地の出入り口を全て封鎖させた理由を」

「俺たちを逃がさないようにするためじゃないのか?長期戦になればなるほどお前等の方が有利だ。だから、下手に兵士達に相手をさせるより、お前一人で俺を釣って……」


 愛樹は派手に笑い出した。

 それも、どこかわざとらしく。

 ……それとも無理に、なのか。


「この基地の中にいる全ての人間を……あの女から逃げられなくするためだ」


 予想とは全く異なるベクトルの答えに、勇治の頭はますます混乱する。


「あの女がここ基地の中の人間を全て殺せるくらいの力があれば……僕はそれでいいと思っている。それは強者であるという所以だからな」

「…………」

「君もいい加減に気づいていると思うけど、東郷サンがいなくなった今の黎明は文字通りゴミの掃溜めだ。心が、考えが、精神がゴミ屑だ。そんな奴らはいっそこの世から消してしまった方が気分がいい」

「お前……自棄ヤケを起こしているだけかよ……」

自棄ヤケだって?違うねぇ。僕は正気だ。ただ……確かめたいのさ。この全身に残った震え……この恐怖の意味を……」


 二人のやり取りは声だけで、相手の姿が見えていない。

 それでも余計な情報が無い分、その感情の動きはお互いに鋭敏に伝わっているようだった。


「君に分かるか?自分の望みを自らの心が無意識のうちに否定してしまうことの惨めさが!僕は強者と戦うのが何よりも充足の時だった!そう、思っていたんだ!東郷サンとも三週間後に決闘する約束を取り付けている!」


 愛樹は息を荒げながら、搾り出すような声で怒号する。


「だが……奴は、あの女との戦いは……負けた瞬間の痛み、震えが……取れないんだよ……!体が戦いを拒否するように……戦っても敗北するという暗示でも受けたかのようにな……!」

「怖いのか……だったらどうしたんだ。そんなことが今更恥ずかしいのかよ!?」

「お前には永遠に分からない事だ……!」

「お前の心なんて知りたくもねえよ。……だけどよ、心が否定してるんならそういうことじゃないのか?お前は強い奴と戦っても満足感なんて得られてない。そんなの望んでないってな」


 唸るような声が辺りを支配する。

 勇治はそれに屈することなく、体制を崩しつつも動作のための姿勢を続けた。


「俺だってよ、自分の中の正義ってのが分かんなくなった。今までは、誰かを守ることが正しいことだと思っていた。そのためには強くならないといけないって。ずっとそう思ってたんだ」

「……僕に説教かます割には青臭いことを言うじゃないか」

「俺も、同じなんだよ。自分で正しいと思っていたことを、自分で否定することになった。自分の守るものが正しいとは限らない。自分の仲間たちが正しいとは限らない……ってな」


 ――自分の信じるモノの否定。

 少し前までの勇治にとって、明理と浩輔は、どんな困難な状況下でも過酷なヒーロー稼業を続ける、最も頼れ、そして憧れすら持っていた相手であった。

 ……だが、違った。

 明理は正体不明の虐殺鬼。

 浩輔は心の闇を隠し続け、隣人になりすました殺人者。

 自分が拠り所にしていた正義の心は、全てが仮初のものであった。

 おまけに正義という言葉から最も遠く離れた存在である深知。

 そして、東郷の仕掛けたオペレーションデイライトで次第に醜い本性を見せる人々。


 ――自分は一体何の味方だったのか?何の味方をしていたのか?

 ――自分が、このアルク・ミラーの力を手にしてから守り続けたものは何だったのか?


 勇治は何度も自問自答し続けた。


「所詮、人間は自分のためにしか生きられない。そんな決まりきった事を――!」

「そうさ!だけどな、全てが無駄となろうとも、自分ではない何かのために命を掛ける人間だっているんだよ!」


 勇治の記憶からは消滅したはずの存在。

 誰かと言われても名前と顔も思え出せないはずの存在。

 それでも、何かが、あった事もないはずの誰かが、頭の奥を滾らせていた。

 毛細血管や神経等よりも細い、無数の糸となって、彼の心に絡みついていた。


「俺は、そんな人の心を……排除されるべき『弱さ』や『欠陥』だとは思いたくない……」


 鼻で笑われようとも勇治の覚悟に揺るぎはなかった。

 金属の揺れる音が右へと響き渡る。


「足かせになるのなら、それは欠陥さ。人は、誰もが正しい道を歩けるわけじゃない……当然じゃないか。いつの世も成功するのは一握りだ」

「お前は、その一握りとやらになりたいのか?」

「違うな。それも違う」


 愛樹は再び笑い出す。

 しかし、その音に既に嘲笑や侮蔑の意は含まれていない。


「真実があるのは命のやり取りの中、戦場だけだ。僕らも、外にいる一般という枕詞にすがりつく愚民共も。下らん会話の中では答えは出ないさ」

「俺が今ここでお前と争う気はないと言ったらどうする?」

「逃がさないさ。君は曲がりなりにもオリジナルのアルク・ミラーだからな。……ウォーミングアップに付き合ってもらう」


 勇治の視界が愛樹の動く影を捉える。

 微かな輪郭しか視界に掴めないが、思っていたより小さく感じた。


「悪いが、今回は負けてやるわけにはいかない。俺もお前と同じ、三度目の正直ってやつだからな」

「対抗策がない限り、何度やっても同じだ」

「そうか、じゃあこちらから手の内を見せてやろう」


 そこに一切の迷いはなかった。

 こいつと戦わないで済む事態?

 そんなものは始めから想定していない。

 遭遇したからには勝たねばならない。その覚悟は揺ぎ無いものであった。


「――錬装着甲・深化アルクライズオーバーリージョン



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