83.心力
「――俺を、アルク・ミラーに調製してくれ」
「――いえ、あなたを、アルク・ミラーに調整することは出来ません」
開口一番、梯子を外された思いになった浩輔は金髪の少年に柄にもなく詰め寄る。
「おいおいおい、そりゃないだろ!俺を散々煽っといてそれかよ!何が『見込みある』だよ!」
「見込みというのは度胸の問題です。何よりもあなたはトウゴウさんに気に入られているから、その部分も利用できるかと思ったまでであって……」
「あのなぁ……」
ミューアの思いがけない返答に、一世一代の決意が明後日の方向に飛んで行きそうになりながら、なおも浩輔は食い下がろうとしなかった。
「じゃあ、質問を変えるぞ。お前は、お前自身は、アルク・ミラーの調製は出来るのか?勇治の奴に何かしたのは大体分かってる。その上で聞いているんだ。正直に答えろ」
「……一から調製したことはありません」
「経験がないだけで、出来ないことはないってか?」
確かな肯定の頷きが返って来ると、さらに意を決したかのように浩輔はミューアの両肩を掴んだ。
「自信がなくてもいい。お前の出来る範囲で構わない。俺を……」
「違います。『やらない』のではありません。あなたを調製『したくない』んです」
「は、ぁ?」
「おそらく先生であろうとも、あなたをアルク・ミラーに調製しようとはしないでしょう」
「……それは俺の素質のことを言っているのか?」
「素質の話ではありません。アルク・ミラーの力は人間なら誰にでも付与できます。それこそ個人に合わせての調製をちゃんとやれば、黎明の錬装機兵のようなリスクも一切ありません。その人の純粋な力になります」
「だったら何で……!」
「あなたは『力を持ってはいけない人』。……そう思ってますから」
ミューアは真剣な面持ちで断言する。
あまりにも堂々かつ予想外の返事を受け、浩輔も両手のやり場をなくす。
「僕自身の理由は二つ。一つ目は、あなたは負の感情が強く、なおかつそれをある程度コントロールして行動に移せてしまう人であること」
「天北さんはどうなるんだ……」
「彼女は怒りのコントロールがまだ効きません。それもアルク・ミラーの力をもってして初めて発露できるものです。要するにまだ子供だということですね」
「…………」
「だけどあなたは違う。少なくとも、アカリという女と会う前はそうだったはずです。言うなれば一種のサイコパス……まだ自制が効きますし、後天的なものなので予備軍といったところでしょうけど、この類は力を持たせると最も危険です」
サイコパスなどと言われたのは、二十年以上生きてきて初めてであった。
ここまで散々に言われてしまうと、浩輔はこれ以上何も尋ねる気がしない。既に相手から拒絶されてるも同然だからだ。
そんな浩輔の様子に見かねてか、ミューアが眉間を微かに緩め、一丁の拳銃を差し出す。
「もう一つの理由。あなたの様な人は力を持つ必要がない、ということです。これは良い意味で言ってるんですよ」
「言い訳のつもりか?」
「『余計な力は人の心を曇らせるだけだ』って、先生の教えです」
「見上げた忠誠心だ。本人にそっくりそのまま言い返してやりたいが」
「そうでしょうね。先生も、苦しんでますから……」
やや意外にも思える言葉を口にしながら、ミューアはダンボールの脇に置いてあった銃のマガジンを手に取り、浩輔に渡した。
「これは、干渉弾というものです。あなたが持っているベレッタに対応しています」
「干渉弾……ウォーダが前に使ってた奴だな」
「知っていましたか」
「俺よりも勇治に託したほうが活躍してくれそうだけどな」
「ユージさんの銃は元々干渉弾仕様ですよ。イ……じゃなかった、ミチさんの電磁加速砲は元々の威力が高いので通常弾頭ですけど」
浩輔はミューアの言葉の詰まりに違和感を覚えながらも、その弾丸をまじまじと眺める。
「……で、これを使えば錬装機兵の装甲を破れるのか?」
「破る、とは少し違います。干渉弾はアルク・ミラーにおいて展開されている装甲生成コードを阻害させる力を持っています。簡単に言えば、装甲の展開と再生を一定時間鈍らせるってことですね」
「別に威力が高いってことじゃないのか?」
「威力そのものは通常弾と一緒です。作り方は通常弾に特殊なコードを埋め込んだだけですから」
初っ端から不安になる台詞を聞きつつも、浩輔は腰に仕込んでいた銃の弾倉に干渉弾を装填し構えてみる。
銃も今までのと同じベレッタ系統で、使い勝手は問題なさそうだ。
「もう聞いているかと思いますが、アルク・ミラーの装甲強度そのものはそこまで高くありません。『身を守ること』、つまり『危機を脱すること』を第一にしているので、その場で集められる元素で構成され、動きを妨げる重量は可能な限り削っているからです。あくまでも防御力は装甲の自動修復機能による擬似的なものですから」
「なるほどな、作った人はちゃんと弱点を用意してくれてんだな」
「弱点というより、錬金術そのものがそういうものなんです」
ミューアはこう続けた。
とても少年のものとは思えないような口ぶりで。
『錬金術はある種の魔法であるが、人の世で使われる限り、その力は陳腐な現実である』と。
浩輔は今なら何となくその意味が理解できるような気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
ミューアより受け取った銃から放たれた弾丸が、相川一郎の喉の脇、頚動脈を破壊する。
結局、干渉弾は意味を為さなかったが、それは結果論の話。
まさか装甲を解除までしてくれたのは予想外だったので、狙いが少し逸れてしまったが、致命傷になりうることは変わりない。
浩輔は銃を構えたまま次なる照準を定め、指先に理性を集中させながら、相川の動きを観察する。
「がっ……ぐ……ぉ……!」
相川はうつ伏せに倒れ込んだまま、片方の手で首の傷口を押さえながら悶えていた。不健康な色をした血液が凄まじい勢いで噴き出しており、ここからいくら錬装化したところで助かる見込みは無いだろう。
浩輔は弾が少し勿体無いがダメ押しとばかりに、傷口を押さえる手を撃ち抜く。息も絶え絶えになり、蛙の鳴き声のような悲鳴を上げながら、相川は苦悶の顔で後ろを振り向いた。
「ど、どうし、て……ちからも、あるの、に……」
「お前が弱いからだろうが」
「た、たす……け」
「お前を助ける奴は、この世のどこにもいない」
「し、しにたく……ない……」
「死ぬまでの時間、反省しろ」
吐き捨てるかのようなやり取りを終え、餞別とばかりに相川の顔面をつま先で蹴り飛ばす。
その場は再び静まり返り、浩輔は大きな溜息と共に強い虚脱感に襲われた。
終わった。
復讐とはあっけないものだ。
気取った輩がよく言うように、それが達成出来たとしても何も満たされることはない。
だが、復讐心のおかげでここまで生きて来られたというのも事実。
案外、人が『憎しみ』という感情を獲得した理由はそこにあるのかもしれない。
――それこそ、生きるために。
だとしたら、鼻先に人参を吊り下げられたロバと一緒ではないか。
霊長類の長と呼ばれる人間が、なんとも情けない。
(って、どうでもいい事を考えてたら、急に腹が痛くなってきやがった……)
脳内のアドレナリンの分泌が収まったのか、先程の跳弾を受けた痛みが再びやって来る。
まだまだ作戦は始まったばかりだ。こうしてはいられない。これだけ派手にやれば、そろそろ他の兵も駆けつけて来るであろう。
ひとまずはここを離れないといけない。
「見事だよ、篠田くん」
気を取り直して足を踏み出そうとした浩輔は、瞬時に銃を構えながら振り向く。
が、その声の主には戦意が感じられなかった。おまけに一人で拍手などしている。
「いたんですか……あんた」
「たまたま通りすがっただけだ」
突如として現れた東郷は、相変わらず乱れた様子もないスーツ姿で不敵に笑って見せる。
浩輔は尚も銃口を下げようとはしない。
この状況下で敵と見なして良いのか、とは言え、流石にこの男相手では戦って勝てる気はしない。次に取るべき行動は分かってはいるのだが、とりあえずは口先だけで対抗しようとする。
「あんたがいなくなったせいで、黎明はロクでもないことになってますよ」
「そのようだな」
「始めから、この組織は『潰すために』作ったんですか?」
「答えは半々だ。どちらでもいいようにしている。君達がここまでやるとは思っていなかったからな」
そう言って東郷の姿がふっと消える。
真横を通り抜ける風を感じた浩輔は、慌てて銃を構えたまま体を後ろに向けるが、先にやって来たのは視覚情報ではなく、豚のような悲鳴。
東郷の革靴が相川の左手を蹴り上げ、その手から小振りの拳銃がすり抜けていた。宙を舞った拳銃は待ち構えていたかのように東郷の手中に収まり、慣れた手つきで数秒のうちに解体された。
浩輔は苦笑いを浮かべながら銃と一緒に頭を下げる。
「……こりゃどうも、油断してましたよ」
「今は私が止めてやっているが、もうじきここにも錬装機兵の増援が来る。早めに離れるといい」
「何から何までお世話になってた……ってことですか」
「邪魔者が入らないようにしてただけだ。君の復讐のな」
「興味本位ですか」
「正直、あのミューアという少年が君達の側についた時点で、君もまたアルク・ミラーの力を持ってくると思っていた。しかし、敢えてそうしなかった。そんな君の勇気に敬意を表したまでだ」
「勝ったのはまぐれですよ。あと、相手が弱かった」
頼んだのに断られたというのは流石に格好つかないので、最小限の事実だけを並べて謙遜する浩輔に、東郷は黙って二枚のカードを差し出す。
カードの色はそれぞれ金色と銀色という、一見ありふれたペアのようだが、形状は明らかに異なっている。
「持っていけ。銀色の方は、私に渡されていたこの基地のカードキーだ。もっとも今は、私にも入れないような区画も作ってあるだろうから、どこへでも、というわけにはいかんだろうがな」
「これじゃあ、いよいよもって俺達の味方じゃないですか」
「いや、敵が違うだけだ」
「敵?俺達のことじゃないなら……」
「あの裕眞明理という女……いや、正体不明のホムンクルス、だったな。今は」
その名前を聞き、浩輔の体に再び緊張が戻ってくる。
「明理さんが、この基地にいるんですか?」
「いや、今はいない。だが、確実にこちらへ向かってきている。……とてつもない殺気を携えてな」
東郷の言う『殺気』の察知については、どこまで本当の話かは分からない。
だが、今のこの男の瞳には冗談めいたものは一切感じられなかった。
「黎明の基地はもう、この東京にしか残っていない。大阪、中部、北陸、中国、四国、九州、東北、北海道……全ての基地が壊滅させられた。たった数日のうちに。あの女一人にな」
「えぇっ!?ここ数日でって……いくらなんでも距離的に無理なんじゃ……」
「ユミル殿の部下は自分達の主人を助けることにしか興味がないようだな。この基地の端末を使って、自分で調べてみるといい」
『あの時』の明理とまともに戦える者は、まずいないであろう。おそらく地球上には。
それにしても、ここ数日で日本中を回るなど異様なペースだ。
加えて、東京を最後に残しているのも。
東郷は何か思い違いをしているのかもしれない。そう、思いたくもなる話だ。
「なら、あんたがここに来た理由は、明理さんと戦うため……?」
「ああ」
「勝算はあるんですか?」
「ないな。以前の彼女でも正直危なかったというのに」
「わざわざ殺されに行くんですか?」
「……戦う前に見極めるつもりだ。場合によっては……勝たねばなるまい。なんとしても、な」
そんなことを言いつつも、東郷の表情は穏やかだ。
浩輔は自分でも分からないくらいに、無性に腹立たしくなった。
東郷はそんなことお構い無しに、二枚目の金色のカードを指して言った。
「こっちのカードには私が今まで準備した金が入っている。もし、この国がオペレーション・デイライトを脱し、日本という国のまま再起することがあれば……君の好きに使うがいい」
「何でこんなものを俺に?」
「かつて公安から『サイレントキラー』と呼ばれた君の手並みに期待してのことだ」
「……ああ、俺そんな風に呼ばれてたんですか。でも、今更……」
「無謀で稚拙ではあったが、君は私よりも先に行動を起こしていた。そして、それを後悔することも出来る。君の正義に私の意思を託したい」
かつて、それこそ明理と会う直前までの話。
誰よりも本人が記憶の底に封じ込めていたもの。
浩輔が黙ってカードを受け取ると、東郷がその肩を軽く叩き、立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってください。最後の別れのつもりなら、一つだけ」
「……何だ?」
「あんたにとっての正義って何ですか?」
東郷の肩が下がる。
少しばかりの沈黙の後、浩輔の目を真っ直ぐに捉え、言った。
「そうだな、私の考える正義とは……『悪であれる』ことだ」
「悪?」
「……この世で、正義という言葉ほど矛盾に満ちているものはないな。私も少し考えてしまった」
「正義と悪は表裏一体ということでも言いたいんですか?」
「違うな。覚悟のあり方のことを言っている。……なるほど、伝え損ねていたな」
正義。
正義の味方。
何よりも、浩輔自身がその言葉の意味を知りたかったのかもしれないが。
東郷はなにやら一人で納得している様子しか見せない。
「実は、昔の恩人の墓があるんだ。そこで、墓守も君にお願いしたい。費用は今の答えとそのカードの金ということでだな」
「こんな時に何言ってるんすか……」
「然陽寺という寺の、葛島という墓だ。頼む」
「分かりましたよ……無事に帰れたらの話ですけど」
その回答に向けて、東郷は静かに一礼し、そのまま立ち去る。
浩輔は喉の奥から出てこようとする声を何とか飲み込み、それを黙って見送った。
彼に聞きたいこと、尋ねたいこと、は山ほどある。
しかし、それは彼をそういう存在だと認めることでもあるのだ。
現に、自分の後ろで今なお生と死の狭間でもがいている生物には何の興味も生まれない。
こう、あからさまな対比を見せつけられては、自身のみっともなさが際立つだけだ。
(人の事を何から何まで知ろうってのは、傲慢って奴か……)
自分の脇腹に静かに手を当てると、先程の跳弾の痛みはだいぶ和らいでいた。
念のため、干渉弾が装填されている拳銃のマガジンを交換し、ペイント銃の弾数も確認する。
特にペイント銃は、事前に対錬装機兵戦のレクチャーを受けていた時には本当に通用するのかどうか半信半疑であったが、結果はご覧の通りかなりの効果を発揮した。
……が、現地で補充が出来ない特殊弾ゆえに、残弾数が心許ない。兵士から奪った拳銃も貴重な武器だとは思うが、ゲームと違ってそう何個も持てるものではない。
浩輔は、今後はより戦闘を避けることに集中しなければならないと、再び気を引き締め直す。
そして、最後の忘れ物とばかりに相川の頭部を思い切り踏みつけてから、その場を後にするのであった。




