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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
陽はいずれ彼方へと消える
83/112

81.突入

 オペレーション・デイライトが始まって13日目。

 数日降り続いた雨も止み、薄ら寒い湿気が東京の街を覆う。

 陽の光を求めていた人々は、ようやくとばかりに外に顔を出し、後悔した。このまま闇の中にいた方が幾分かマシだったと一斉に鼻を押さえた。

 立ち込める死臭、この世の春とばかりに糧の周りでわんさかと舞い踊る蝿、そして、新たに響き渡る悲鳴、銃声。雨が作り出した一時の闇の中にはあまりにも多くのものが隠されていた。

 人々は、光に照らされる事実から目を背けるように、そっと窓を閉め、闇に篭った。外から大型のトラックが走る音が聞こえてきても、何も出来ないでいた。中には勘違いをして、助けを求めようと近づき、返り討ちに会う者もいた。

 運よく踏みとどまった者は、アレには近づいてはいけないと悟り、次第に外からの音にも鈍感になっていく。外で何が起きているのか、という考えを必死に押し殺し、残り少ない水と食料をちびちびと食いつぶしながら、それこそ、お釈迦様のような、テレビの画面の中で見た正義のヒーローのような、突拍子もない助けを待ち続けていた。

 戦う者、戦うことが出来ない者が明確に別れた世界。この世において、どちらが勝者であるかは明々白々。後はその考えを受け入れることが出来るか、出来ないか。


(ただ状況に身を任せているだけってのも、あるんだけどな……)


 表の大通りの死体は、黎明の手の者と思わしきごみ収集車が点々と集めて回っている。一方で路地裏に転がっている遺体は運び出すのが面倒らしく、放置されているものも多い。日が経っているうえに雨上がりということもあってか、その腐敗臭も相当なもので、この中を通るのは戦争大好きな人間や快楽殺人鬼のサイコパスをもってしても困難であろう。人間の死臭フェチとなるとかなりマイナーな性癖だ。

 そんな人目につかない道を浩輔は今、縫うように進んでいる。まるで目的地は特にないようにあっちへこっちへと。しかし、これが安全かつ相手の目を欺ける、戦略上の最短距離。

 そもそも何故、黎明の奴等が人間の死体を集め回っているのか、その目的については既にミューアから伝えられていた。


 『人を資源に変える』


 これが、黎明の錬金術研究の最終目的の一つ。

 地球上に最も多く存在する家畜であり害獣であるこの生物を、完全なる食料・燃料・素材へと変換させることが出来れば、世界中で懸念され、そして今起きている諸問題はほぼ解決するであろう、という論理の飛躍を通り越して、異世界トリップまで果たしたこの構想。元々は表社会から追放された、学者モドキやら思想家崩れやらが生み出した考えらしい。

 しかしながら、最大の問題は、ミューア自身が『錬金術で人を資源に変えることが本当に出来るのか』という深知からの問いかけに対し、『理論上は可能』という言葉を通り越して『やるかやらないかは人の良識次第』という回答を出してしまったということである。


(……それも、今更そんな目的なんて、何とも思ってない奴らばかりだ)


 自宅から直線距離で六倍近い道を歩ききり、浩輔は都内のとある飲み屋横丁で足を止めた。

 飲み屋とは言ってもまだ真昼間、それ以前に、ここ数日の暴動と略奪のせいで辺りには、人っ子一人の気配もない。

 浩輔は適当な店のドアに体を預け、トランシーバーを取り出す。普通に法規制でひっかかるレベルの強力な奴だが、電話の使えない最中では重宝している。


「こちら篠田、例の場所に着いたが……食い物はありそうにない、どうぞ」

 

 無線からの各々の返事が返って来ると、浩輔はちらりと後ろを振り返り、軽く頷いた。


「おっけーよん、おにーさん」


 いつもよりややビターなメローネの声と共に、警備員姿の若い男が地面に叩きつけられる。

 目立った外傷はないが、既に気絶しており、浩輔は男の装備を手早く引き剥がす。


「尾行はこいつだけか?」

「おにーさん相手なら一人で十分だと思ったんでしょうねぇ」


 メローネは余裕の表情で白いハンカチをひらひらとさせている。変な薬でも嗅がせたのだろう。もう片方の手には男から既に引っぺがしたと思われる無線機。

 警備員姿の男の装備は防弾ジャケットに警棒に拳銃、それに小振りのナイフ。念のために財布の中身を漁ってみたが、僅かな現金と免許証くらいのものであった。


「よし、サイズも合いそうだし、こいつの身包み全部いただこう」

「わお、あぐれっしぶぅ!」


 二人は何の躊躇もなく男の服を脱がし、パンツ一丁の姿で飲み屋のトイレの中に放り込む。拘束したりしないのはせめてもの情け、という奴だ。一方で浩輔は男の服を代わりに着用し警備員姿になった。


「うんうん、中々決まってるわよ、おにーさん」

「そりゃ警備員のバイトも前にやってたしな。……割はよかったんだけど」


 その先は推して知るべし。

 明理に会う前の浩輔は、自分の生そのものと、生きる目的が混在した状態だった。故に、誰からも警戒されないコンビニのバイトに逃げたわけだが。

 何はともあれ、防弾ジャケットはよい収穫だった。錬装機兵相手では気休めにもならないとはいえ、不意打ちの危険性がある程度軽減できる。


「おにーさん、銃は当たらないことが第一よ。そもそも、まず撃たれる状況を作らない事」

「そこら辺はやっぱりプロ思考なんだな」

「そりゃねぇ……さて、そろそろ時間よ。覚悟の方はできた?」

「…………殺られる前に殺るさ。どんな奴が来てもな」

「その心意気は行動で示してちょうだいな。さっ、ここからはおしゃべり禁止。後は手はず通りにね?」


 浩輔は静かに頷くと、その瞳から体温を抜いた。メローネはいつの間にかその場から姿を消すが、周りを見渡すこともなく、そのまま歩を進める。

 今回の作戦は単純だ。

 端的に言えば、三方向からの一斉突入。

 メンバーを三つに分け黎明の本拠地に各々侵入する。

 メンバー構成は浩輔とメローネ。勇治とミューア。深知とリーン。要は人間とホムンクルスをそれぞれ分けた形だ。

 とは言っても、いくら身体能力に優れたホムンクルスでも、錬装機兵相手にはまず勝てないと思ってよい。ウォーダが『使用不可能』となっている状態は、彼らにとってもかなりの痛手のようであった。

 それを差し置いても『調製を受けていない単なる人間』の浩輔が行くのにはかなり危険が伴う。それでも構わないと志願した。止められる者はいなかった。


(アイツらを完全に信用したわけじゃないが、それでも使えるものは使わせてもらう……)


 浩輔の足は迷いなく道を進み、今度はとある大型電器店のビルの前までたどり着く。帽子のつばを整えると、その建物の裏口、正しくは搬入用の駐車場の入口に入って行く。

 一度だけ大きな息が吐かれた。

 駐車場は地下へと続いており、当然のことながら照明は一切なかったが、目をならせば何とか物の輪郭くらいは分かる状態だ。広い空間に差し掛かると、トラック等の車両が何台か停めてあるのが分かる。敵が潜んでいるかもしれないが、これは気にしてはいけない。

 足元に気を付けながら進むと、突き当たりに大型家電の積み込み用と思われるシャッターが立ち塞がった。視線だけを動かして周りを確認すると、右側には従業員用と思われる勝手口。ドアノブに手をかけるが、鍵はかかっていなかった。


(ここなら、普段から人やトラックが出入りしても怪しまれない、か……。まったく、敵ながらよく考えたもんだ)


 勝手口を開けると、そこから先はさらに奥深くまで下っていく広い通路となっていた。ドアを閉めれば、その奥からは機関室さながらの重低音が響いてくる。おまけに、天井には監視カメラだ。相手に分かるようにわざと目立つように設置されてある。

 これならば一般人が間違えて入って来ても、すぐに追い返せるであろう。つくづく人間心理をついている造りだ。

 それらを気にする素振りを見せずに先を進むと、大きく右に曲がるカーブ道。

 ここで警戒して、歩を止めてはいけない。迷わず突き進む。

 そして、ついに、そこがただならぬ所への入口という証拠を見つけた。


(見張りは二人……小銃まで持ってるとなると、まず敵わない……落ち着いて行け……)


 屈強そうな男が二人、銃を構えてその先のシャッターの前に立ち塞がっている。

 両脇にはテレビモニターと机、後ろには割と快適そうな椅子となると、誰かが通路に入った時点で警戒を行うという形であろう。ここまで来ると、浩輔自身の浅知恵ではどうにもならない。後は事前情報通りに行くしかない。


「よう、お疲れさん」


 開口一番、浩輔は気軽そうに労いの言葉をかける。

 もちろん両手は手ぶらで、だ。

 この一言で、相手の警戒が一気に溶けていくのが肌に刺さる空気でも感じられた。


「どうだ?外の様子は」

「ゴミ回収屋にもっと気張るように頼んでくれよ。だんだん死体の臭いが酷くなってきてやがる」

「ひゃー、そりゃたまんねーな。いくら退屈でもここにいた方がよっぽど安心だぜ」

「俺も見張りに志願すっかなー」

「おいおい、ここのポジションは渡さねーからな」


 自分でも異常と思える会話だが、相手の警戒を解くためなら仕方ない。苦笑いさせたということは、上手く行っている証だ。自分の会話力も捨てたものではない。

 二人の手から銃が下ろされると、浩輔は足取り軽く奥の勝手口に入っていく。そこからはまた先の見えない通路だ。

 一見、杜撰とも言えるこのセキュリティだが、勢力を短期間で拡大させた黎明においては、こうでもしないと対応できないのだ。日に日に増える新入り共にいちいちカードキーやら生体認証システムなどの登録を行っていたら人手がいくらあっても足りない。

 逆にこのファジーさが相手にも油断を生ませ、トラップにもなる。故にここからは先は迂闊な行動は出来ないということだ。


(さて、ここから先が問題だな……ユミルがどこに捕らえられているか……兵士達の規律もあってないようなもんだし、下手にコンピューターを弄るよりかは人に聞いて言ったほうが確実か?)


 今後の戦略を考えながら進む浩輔の耳に、突如として物々しい警報が鳴り響く。


『こちら第24ブロック、ネズミが一匹入り込んだ!敵は例の錬装機兵だ!戦える者は至急迎撃を!近くにいるものも応援を頼む!奴を倒せば大手柄だぞ!』


 第24ブロック……勇治の仕業だ。

 彼はある程度ならやりあえるから実質囮になってもらっている。

 この警報も手はず通りということだ。


『こちら、第18ブロック!こっちにも一匹入って来やがった!強力な火器を持っている!至急きゅうぇぉぶぇあっ!?』


 第18ブロックは深知だ。

 陽動は出来る範囲でよいと言っていたはずだったが、彼女のことだ。我慢出来なかったのだろう。

 そうなると、必然的にユミルの捜索は自分が担うことになる。浩輔はより身が引き締まる思いで、次第に大きくなっていく奥の喧騒の中に飛び込んでいく。


『こちら第2ブロック!こっちにも敵だ!奴ら一斉に仕掛けて来やがった!至急救援を!』


 浩輔の足が軽くもつれるが、すぐに気を取り直して走りだす。

 浩輔のいる場所は第4ブロック。つまりすぐ近くだということだが、これは恐らく先に潜入したメローネの仕業であろう。撹乱もやり過ぎると意味がないので、この程度が限界だろうと事前に言われたところだ。


(人の姿が増えてきたな……第2ブロックは……ここから右か。それなら左に行くのが定石……)


「おい貴様!逃げようとするな!敵を迎撃しろ!」


 思わず足が取られるくらいの怒声に心臓が飛び出しそうになるが、浩輔は勤めて両手でノーサインを送った。


「自分、調製受けてないんですよ。行ったって足手まといになるだけです!」

「あぁー貴様もかぁっ!?くそっ、どいつもこいつも臆病風に吹かれやがって!」


 髭面の中年の男は物に当たりながら、何処へと向かって行った。もちろん第2ブロックから遠ざかるように、だ。


(そうだ。誰だって死ぬリスクを覚悟でここにいるわけじゃない。死にたくないからここにいるんだ……発想を変えろ……)


 浩輔は帽子を直しながら、さらに奥へと進む。


(――死ぬ気で来ている自分が、圧倒的に優位だ)


 地下通路を進めど進めど情報が得られそうな部屋は見当たらない。始めから幹部のいる部屋や、情報管制室に狙いを絞って……なんて考えは捨てているが、呼吸は自然と速くなっている。

 それでも、自分が向かうべき場所への算段はあった。ドアの上のプレートを一つづつ確認しながら、ある部屋を見つけた時、浩輔の足が止まった。


(洗濯室……よしっ、ここなら……!)


 浩輔は迷わずドアノブに手をかけ、体重をかけながらゆっくりとドアを開けて部屋に入る。しかし、動作はこっそりとではなく、あくまでも堂々と、だ。

 が、瞬間、後頭部に冷たい金属の小さな筒が突きつけられる。

 背筋が凍りついてしまったが、恐怖が口まで到達する前に声を発した。


「おいおい……先客かよ……!頼むから、それ……下ろせよ……」

「な、何しに来た……!」


 銃の主の声も微かに震えていた。

 浩輔の体に熱が戻っていく。

 抵抗の意志が無いことを伝えるための両手を上げるという行為も、意識的に行えていた。


「避難しようと、思ってただけさ……お前もそうだろ?」

「……っ!」

「なぁ……頼むよ……」

「…………」


 金属の筒が頭から離れる。それに合わせるように浩輔もゆっくりと両手を下ろし、振り向く。下手に素早い動作は相手を刺激させるだけだ。

 声の主は思ったよりも若かった。二十歳……も行ってないかもしれない。

 脱色で傷めたのかボサボサの髪に、浅黒い肌。浩輔と同じように警備員の制服を着ているだけに、両耳の派手なピアスが絶妙にアンバランスだ。

 男は浩輔の足下を見るようにうつむきながら、溜息をついた。


「あんた、見ない顔だな」

「こんだけ人がいるのに一々覚えられるのかよ」

「はは……よかった。余所者じゃなさそうだな」


 若い男はますます安堵の息をつくが、さり気なくカマをかけられていたのに気づいた浩輔は、内心冷や汗ものであった。更には煙草まで勧められるが、うまく吸えないからと断る。


「侵入者だのなんだの……自ら進んで死ににいくなんてアホらしいぜ」

「同感だ」

「手柄を立てた奴が出世するって言っても、実際はどうだか。……あんた知ってるか?東郷さん、ここ最近行方をくらましているらしいぜ。もしかしたらクーデターにあって殺されたかもだとよ」

「本当か?」

「おいおい知らないのかよお前!……って、しゃあねぇか。上の奴等は何も教えてくれないしな」

 

 途中で何度か肩を跳ねてしまうが、黎明の現状がここまでのものだったかという、そちらの方の驚きの方が強い。いくらテロリストとはいえ、あまりにも統率が取れていなさすぎる。


「今、上についている連中ってのは?」

「あぁ?表の世界でも結構有名な奴が多いぜ。若手実業家だとかボンボンのエリート様だとか……だけど、大概は錬装機兵にビビッて取り入った奴等ばっかだ。ぶっちゃけ、下についたって何の旨みもねぇよ」

「随分な言い草だな」

「ボヤキたくもなるよ。ここにいりゃあさ、世の中がひっくり返って、人生逆転ってやつが出来ると思ってたのによ……あんたもそのクチだろ?」

「まぁな」

「あーあー、俺の人生、失敗ばっかだなぁー。黎明に入らなかったら入らなかったで、すぐにおっ死んでたんだろうけどよー」


 この発言に関しては、浩輔のことを信用してのものなのか、それとも、まだ揺さぶりをかけようとしてのものなのか。どちらにせよ、情報を引き出すならこの若者からだと、浩輔も近くの長椅子に腰掛ける。

 若い男もそれにならって、煙草をくわえたまま向い側の椅子に座り、鼻から大きな煙を出した。


「……この国はもう駄目だぜ。俺はもう諦めた」

「諦めるのはいいが、どうやって食ってくんだ?」

「逃げるに決まってんだろ」

「どこへ?」

「海外だよ」

「無理だろ。自衛隊の兵器や施設も押さえられてるんだし、下手に逃げようとしたら飛行機もヘリも船も落とされるらしいじゃないか。泳いで渡るつもりか?」


 洗濯室の中に押し殺したような笑い声が響く。男はまだ半分以上残ってるタバコの先を乱暴に床に擦りつけ、浩輔に顔を近づけて言った。


「ば~~~っか。軍の武器を掌握しているのは黎明だぜ?どうして味方を撃とうってんだい?」


 からからと笑う男をよそに、浩輔はその算段について思索に耽っていた。ほどなくして考えがまとまると、体を前に倒して上目遣いに男に尋ねかける。


「……なるほど、この状況下で逃げようとする輩が他にもいるんだな?それもかなり上の方の奴が」

「あっ……」

「たしかに、世界に目を向けると当然の選択肢だな。別にこの国を支配することに拘らなくてもいいわけだ。何か適当な手土産を用意して、欧米あたりに擦り寄ればいい。……あぁ、錬装機兵があるか」

「あ、あんた、勘いいな……」


 思いのほか図星だったようで、若い男の全身に露骨にせわしない仕草が増える。


「他の奴には言うなよ?こんなことを知ったら、みんな逃げ出すに決まってるぜ……」

「だろうな。お前も油断しすぎだ。ってか、銃向けんな」

「……言うなよ?」

「……俺も海外に逃げたいんだが、誰についていけばいいんだ?」

「い、言えるか……」

「ヒントだけでも。このことは口外しないから」

「……こ、この基地にはいない人だ。そこまでしか言えねえよ」

「分かったよ。後は自分で考えるさ」


 浩輔はいつもの悪い癖が出てしまったと反省し、これ以上の追及は止めた。

 しかし、目の前の男も随分と素直な奴……というか臆病で馬鹿な奴だと感じていた。実際、こんなタイプの男は、社会に出ても人からいいように利用されるだけで、あまり上手くやっていけないだろうなと哀れにすら思える。

 そして、自然な動きを装って、入り口の前に立ったとなると、自分をどう扱おうとしているのか、非常に行動の読みやすい人間だと思った。


「も、もう、外が落ち着いた頃かな……ちょっとトイレ……」

「気をつけてな」


 男は露骨なでまかせを言いながら、洗濯室からそそくさと出て行こうとする。それに対して浩輔は別に止めようともせずに、それを見送った。

 入り口のドアが閉まる。

 閉まった後も、浩輔は三十秒はその場でぼんやりと天井を見続けていた。

 そして、三十秒後には、体と首と眼球をフル稼働させ部屋の様子を探った。

 男の前では怪しまれるからと出来なかった動きだ。もちろん入り口への警戒も忘れない。

 だが、どうやらこの洗濯室は本当に洗濯室らしく、置いてあるのは業務用洗濯機と乾燥機、それと洗剤くらいなものだ。自販機すらない。そして、監視カメラの類もない。それも当然かと、肩を落とした。

 これだけの広さの基地となれば、監視や盗聴をするにも結構な人員と設備を必要とする。ましてや今は、派手な殴り込みをかけた侵入者を追いかけている最中だ。洗濯室でサボっている二人を粘着して眺めているわけにもいかないであろう。

 そもそもの話、監視カメラがあるところにわざわざ隠れようとはしないだろうが。


(しっかし、今の男の話が本当だとすれば、ここにいる奴はみんな『かませ』じゃねーか。……いや、この国そのものを『かませ』にしようとしてやがる)


 相手がどうやら下っ端過ぎるせいで、当初の優先目的である情報は取り損ねたが、この情報に関しては思いがけない収穫と呼べるものだ。もっとも、今回の作戦が成功してこその収穫であるが。

 先程の男がこの部屋から出て行ってから取ると思われる行動は、いくつか考えられる。

 浩輔を怪しみ、仲間を呼びに行った……これは可能性が低い。そもそも奴自身もあまり人から信用されそうな男には見えない。たとえ変なでっち上げをされようとも惚け続ければよい。

 もう一つは単に逃げた。これはまぁ、普通にありそうだ。

 あるいは……


(待ち伏せして、俺を口封じに殺すってところか……)


 何せあの明理と長らく同居していたこともあってか、浩輔自身も只者ではない感のオーラを出すことは出来る。あの男は銃を構えていたが、浩輔も胸ポケットに小型のナイフを仕込んで不自然な膨らみを作り、おまけにちらちらとそこへ手を近づける動作を行っていた。

 若い男もそれが何なのか、かなり気になっていたようで、銃を向けはしても決して撃ってこようとはしなかった。至近距離からの反撃を警戒していたのだ。

 あれだけ臆病な男だ。自分に関しては何が何でも負傷したくないはず。


(杞憂に終わってくれればそれでいいけどな……!)


 浩輔は洗濯機の中から誰かが置き忘れたと思われるバスタオルを取り、警棒の先に引っ掛けた。古典的な子供だましの方法だが、追求されてもいくらでも誤魔化すことが出来る。

 部屋の電気を消し、自然な早さでドアを開け、タオルをつけた警棒を外へと突き出す。

 すぐさま警棒伝いに伝ってくる何かの体重を感じ取り、あまりよろしくない想定が当たってしまったと、もう一方の手で拳銃を引き抜いた。

 ……が、その体重はそのまま棒の上を流れ、その遥か上を小さな風が掠める。


「あれぇ?野郎、どこだぁ?」


 別の男の声。これは少し計算外だった。

 しかもそのまま部屋に入ってこようとしている。電気をつけるつもりだ。

 ならばすぐに警棒の突きを腹に一発、そしてホールドアップをと、算段を決めた浩輔は壁一枚挟んでの足音に聴覚を研ぎ澄ませた。


「ネズミがぁ~、隠れてるのは、分かっている、ぞっ?」


 相手は部屋の中の電気スイッチに手を伸ばそうとしている。浩輔は、狙うのはこの横腹だと警棒を全力で叩き込んだ。

 手に伝わる何かが砕けるような衝撃。少し勢いをつけすぎたかもしれないとも思ったが、そんな反省は耳の横を通り抜けた、裂けるような銃声で一気に吹き飛んだ。

 それでも、部屋の中に手が伸びてくる。

 警棒は確実に入ったはずなのに。呻き声も聞こえる。

 先程見た警備員の制服が、まるで押されるかのように……いや、実際に押されて部屋の中へと入ってくる。

 苦悶の表情を浮かべ、口から血を吐き出す若い男……の後ろから伸びる別の人間の手。

 

「ちぃ~~!狙いがそれちまったじゃねぇ~かぁぁ~!邪魔だぁよぉぉ~無能くぅ~ん?」


 己の体臭を擦り付ける犬の如き声を上げながら、辺りに飛び散る鮮血と共にその男は現れる。先程の若い男は首の後ろからも血を噴き出しながら前のめりに倒れた。浩輔は反射的に距離を取る。

 自分を侵入者だと分かっているのなら、何故こんなことが出来るのか。全く想像の範疇を超えた行動を起こす人という名の生物。

 その男は、蛙の如き小刻みな笑いを繰り返しながら、洗濯室の照明のスイッチに手を伸ばし、その風貌の全容が明らかになる。


「ひひ……見つけた、ぞ……」

「てめぇ……相川、一郎か……!」

「年上を呼び捨てとは、ほんっとうに失礼な奴だねぇ、君は」


 東郷から話は聞いていたが、まさか本当にこんなところで出会ってしまうとは。

 相川は妙にキレのある動作で眼鏡の位置を直すが、その手は浩輔からでも見えるくらいに汗ばんでいた。……いや、手だけではない、顔もそうだし、息も少し上がっている。

 浩輔は心の奥底から湧き上がる感情を必死に押し殺し、相手の動作の観察だけに集中した。


「実にムカつく目だ。君達は一家揃って、ねぇ?」

「感謝や謝罪ならともかく、貴様に悪く言われる覚えはない……!」

「はぁ?君達は僕の尊厳を無茶苦茶に壊したんだよぉ?法律で言えば名誉毀損?あの時、君達の一言一句で僕がどれだけ傷ついたと思うんだい?……絶対に、許せないよぉ?」


 その一言で、浩輔の頭の中から一切の慈悲が消えた。


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