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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
陽はいずれ彼方へと消える
81/112

79.沈黙

 夢だ。

 自分は今まで夢を見ていた。

 何の夢かは思い出せない。

 思い出したくないだけ、だろうか。

 それでも、何かが。

 低い唸り声を上げながら、記憶の奥を滾らせている。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 もう何度となく繰り返したのか、己の中にある忌まわしき澱みとの邂逅。

 ようやくとばかりにそこから抜け出し、そして、浩輔が目を覚ましたのは、見覚えのある古い板張りの天井の部屋であった。


「あっ、気がついたみたいですね」


 だが、見慣れた光景に反して、聞こえてくるのはあまり身に覚えのない声。どこかで聞いたことがある気がするが、どうにも思い出せない声。そして、はっとしたように自分の腕の感覚を確かめる。

 ……両手とも、動く。両腕とも、存在する。

 左腕は確かにそこにあった。そして動いた。動かせた。


「篠田さん、腕の方は大丈夫ですか?動かせそうですか?」


 今度は視界の右側から見慣れた声と顔。

 勇治の一言で、浩輔は安堵したかのようにほっと一息を出した。


「あぁ……何とも……ないみたいだな。夢みたいだ」

「こいつが、ミューアが錬金術で治してくれたんですよ」


 頭の片隅に残っていた単語に頭が反応し、部屋の反対側の隅ですっかりくたびれたように背中を壁に預けていた、日本人離れした容姿の少年を見つける。纏っている真っ白なローブと同様に、なんとも戦意を感じさせない表情の少年は軽く会釈を返して見せた。


「流石に腕一本を丸々再生するのは大変でした。もしかしたら、記憶が所々消えているかも知れませんが、あの出血では命の危険もあったので」

「お前が治してくれたのか……いや、あの時も助けてくれたな。助かったよ」


 頭の中でようやくこの少年のことが固まり、浩輔は頭を下げて礼をする。それでも、その表情は浮かないままであった。


「……だけど、お前達はユミルとかいう奴の部下じゃないのか?どうして俺を助けてくれたんだ?」

「別にお兄さんが私らの敵ってワケじゃないしねぇ」


 狭い部屋だというのに、さらに横から割り込むようにやたら色気を噴出させる服を着た女が答えてくる。しかもハイヒール。土足で、だ。この女もミューアと同じ浩輔の記憶の中にあった人物だ。勿論のこと、日本人には到底見えない。


「あえて言うとしたら、僕達の敵はあのアカリという女、いや……正体不明の人造人間ホムンクルスです。そして、あなたにも危害を加えた以上、既に僕らはあなたを敵と認識していません」


 ここに来てようやく、浩輔は大切なことを思い出す。

 いや、思い出したくもなかった出来事を、嫌がる記憶の弁から無理やり引きずり出した。


「そう、か……。あれは、夢じゃないんだな……」

「それじゃあ、本当に明理さんは……」


 浩輔の反応を見て、勇治は思いつめたように目を伏せる。

 大体の事情は二人から聞いており、後は信憑性の問題だったのだろう。


「……お前ら、教えてくれ。明理さんは一体何者なんだ?」

「いや、だからこっちが聞きたいんだってば」


 真っ当な答えを返すメローネの横で、ミューアが壁から背中を離して説明を始めた。


「少なくとも、僕らと同じ人造人間ホムンクルスの類なのは間違いありません。そして、アルク・ミラーと同系統の技術を使っていることから、賢者の石を使った錬金術を用いていることは確実です」

「そこまでは分かる。問題は一体誰が、ということか」

「その通りです」

「ユミルじゃないのか?」

「違います。そもそも、僕等と彼女は敵同士で……」

「それで、背後にユミルがいないという確証はないな」


 隣で呆気に取られている勇治を尻目に、浩輔は一切引く態度を見せずに言い放った。気だるそうに首が項垂れたままであったが、そもそも本人が視線を合わせようとしていない。


「単にお前ら、部下の人造人間ホムンクルスに明理さんのことが知らされてないか、それともお前らが知らない振りをしている可能性だってある」

「ちょっとーお兄さーん、こっちが下手に出たからって幾らなんでも強気過ぎじゃない?」


 不服そうに口を尖らせるメローネに対して、浩輔はゆっくりと首を振った。


「だったら、なんで俺なんかに対して下手に出る?俺は見ての通りただの一般人だぜ?」

「……いいえ、あなたのような人を一般人とは呼びません」


 意外にも浩輔に対して強い口調で被せてきたのはミューアであった。浩輔もその意図をすぐに悟ったようで、首を上げたかと思うと、目を細めながら少年に大して無言の圧力をかける。


「腕を治す時……『その』記憶も見えてしまいました。不可抗力みたいなものですが」

「……どこまで見えたんだ?」

「ユージさんの前では言わない方がいいと思いますが……あなたとアカリという女が初めて出会った時のこと。そして、その直前までの経緯も」

「分かったよ、十分だ。その気遣いには礼を言っておく」


 勇治は隣で一体何がとは気になったが、とても聞けるような空気ではない。浩輔もこれ以上の追及は無駄だろうと諦め、おぼつかない足取りで窓の方へ向かい、カーテンの隙間から外の様子を眺める。

 今の時刻が何時か分からないくらいの曇り空。視覚ではほとんど捉えられないほどの小雨の音が聞こえて来るくらいにあたりは静かであった。


「外は……どうなってる?」

「どうしようもない、ってところです。目立って悪事を働く輩はほとんどいないんですけど」

「それはお前と明理さんのお陰、なんだろうけどな」

「でも、目立たないところでは、何人も……人が死んでいるんです」


 勇治はやりきれないような様子で、どこか目を逸らすように呟いた。

 窓から見える外の景色の中、コンクリートの壁が、一点、また一点と黒くなっていく。

 ……最善とは言い切れないだろうが、出来ることはやったのだ。

 最後の最後でまさかのトラブルではあったが。


「ここまで来れば打つ手無しって……ことか。後は人の良心って奴を信じるしかないな」


 浩輔は自嘲めいた口振りでそう言うと、その場にゆっくり腰を降ろす。今になって気がついたが、服の下は汗でベトベトだ。体がようやく要望を出そうと大きく喉を鳴らすと、間髪入れずに目の前にペットボトルのスポーツ飲料が突き出される。

 その手の先を追っていくと、ミューアが険しい表情のままで浩輔を見下ろしていた。


「まだ、貴方に世の中に抵抗できるだけの気力があるなら、頼みがあるんです」

「俺は何も出来ないよ。頼むんだったら勇治か深知だろ」

「『アカリに会う以前』のあなたなら、多少は見込めます」

「そういうの止めてくれ」


 とは言うものの浩輔はスポーツ飲料を受け取ると、すぐさま喉を鳴らしながら半分ほど飲む。

 大きな溜息を漏らすと、その眼の焦点は明後日の方向に飛んでいった。


「ユージさん達には既に事情を話したんですが……僕達の主人マスターが黎明の奴等に捕らわれてしまいました。トウゴウとウォーダが基地を離れた隙を突かれてしまったんです」

「向こうでも評判悪かったみたいだしな。自業自得じゃないか?」

「今の黎明はトウゴウもいなくなり、新たな秩序が生まれようとしています。それも、もっと性質の悪いものが」

「…………」

「許せないとは思いませんか?あなただったら」

「……人の心が読めるなんてロクなもんじゃないな。無闇に相手を不快にさせるだけだ」


 浩輔はどこか不機嫌そうにしながら目の前の少年を押しのけ、ペットボトルを肩に掛けながら、のっそりと立ち上がり、そのまま有無を言わせない雰囲気で部屋の玄関先へ向かう。


「助けてくれたことについてはいくらでも礼を言うよ。だけど、何度も言うが、協力を申し込むなら勇治と深知に直接言いな。俺は別に反対しないから」


 まるで捨て台詞を吐くかのようにそう言い、取り残された者達の反応など確かめるまでもなく、浩輔は部屋を後にした。

 ……いつもの自分らしからぬ態度だということは自覚している。それでも、今は自分で何かやろうという気にはならない。

 人の視線から解放こそされたが、大きく伸びをしながら外の湿った空気を吸うと、今度は何かの腐敗臭が鼻の奥を刺激する。……一度嗅いだら忘れられない、後には引けなくなる臭いだった。

 これは流石に長時間外でぼさっとしていたら頭がどうにかしてしまうと、アパートの階段を降り、一階の部屋へ。ここは元々は空き室で、有事に備え倉庫として改造していた部屋だ。

 ノブを握った瞬間にどうだろうかと気がついてしまったが、運良く鍵は開いていた。


「あ、先輩!大丈夫ですか!?うわ、本当に腕が治ってる!」


 部屋から真っ先に飛び出てきたのは相手の思惑とは裏腹にどこか落ち着くような声。その一声で浩輔は躊躇なく中に足を踏み入れる。部屋の中には雑然と食料や生活用品など種々のダンボールが詰まれているが、それでも山は当初の半分くらいまで減っていた。

 ここも後、どれだけもつか、と一先ず在庫確認をしようとするが、そこで部屋の中に見慣れない顔の少女がいることに気づく。

 そのサイドテールの栗色の髪の少女は、棒つきキャンディーを加えながらせっせとタブレット状の端末を弄っていた。某世界的に有名なネズミの絵の入った黒Tシャツにチェック柄のスカートとパンクな出で立ちだが、全く違和感を感じさせない。ちょうどその前に日本人形のような容姿の深知がおり、外見年齢も近かったので、異人感が余計に際立ってしまった。


「あ、この子は、ホムンクルスのリーンちゃんて言って、えっと……今は仲間です」

「む」


 真織の紹介に合わせて、リーンと呼ばれた少女はキャンディーを加えたまま、言葉にすらなっていない適当な挨拶をする。深知も一緒になって、陰鬱な表情をしながら同様に何やら端末の操作をしていた。

 浩輔はこの中で唯一まともに会話できそうな真織に近づき、耳打ちするように尋ねる。


「二人して何やってんだ?」

「黎明のスパコンへのハッキングですよ。リーンちゃんそういうの大得意みたいで……」

「……はい突破ぁ~っ!へっへぇ~ん!どんな対策をしていようが、スタンドアロンじゃない時点で無敵のセキュリティなんてものは存在しないのよぉ~っ♪」


 急にハイテンションになりだしたリーンを横目で見つつ、真織は素早く浩輔に彼女への接し方をレクチャーする。概要を聞いた浩輔は若干呆れつつも、一段落した彼女の指先を確認して話しかけた。


「え~っと、デイブレイクのハッキングに成功したのか?」

「そーよ、オジサン。やるもんでしょう?」


 二十一年間生きてきて初めて言われた呼称によって堪忍袋が軽く刺激されるが、浩輔はレクチャー通りにあくまでも下手に振舞おうとする。ちなみに真織は後ろで既に指をくわえていた。


「ああ、デイブレイク自体がハッキングのシステムみたいなもんなんだろ?それに更にハッキングを仕掛けようなんて普通やろうとは思わないよ。思っても普通の人には出来ないな」

「ふふ~ん♪」


 リーンはすっかりご機嫌な様子のようで、浩輔も実に付き合いやすい娘だと肩の力を抜くが、前にいた深知と一瞬目が合ってしまう。微かに深知の瞼が開いたような気がしたが、すぐに視線が下がりいつもの淡々とした声が流れてくる。


「早いうちに黎明の本拠地に攻撃を仕掛けるわ。こいつらの協力も借りる」

「天北さんも乗り気か。……でも、勝算はあるのか?こんな頭数で」

「今の黎明は『ハリコノトラ』って奴よ、オジサン」


 リーンは持っていたタブレットを浩輔の前にかざしてみせる。画面には、主に棒人間と簡単な図形ではあるが、このためにわざわざ作ったのかと感心してしまうようなアニメーションが流れていた。

 映像が東京近郊の航空図に切り替わったかと思うと、その地図が半透明になり、その下から新たな地図が浮かび上がって来る。東京23区を余裕ではみ出し、まるで電車の路線図でも見ているかのように地下を這う広大な基地。まさかここまでとは、と浩輔も目を見張った。


「アタシらは黎明の内情は全て分かってるんだから。どこを叩けばいいのかもね」

「既にこの問題は黎明の奴らに留まってないが……相当な自信だな」

「なに?お兄さん。周りでチョーシこいて悪さやってる連中なんぞが怖いっての?」

「烏合の衆かもしれないが、暴徒と化した人達を止めるのは簡単じゃないぞ?」

「簡単よ。ニンゲンなんてちょいと洗脳してやればいいんだから」


 あまりにも端的で、人間でないからこそ言えるのかと思える過激な発言。だが、呆気に取られる真織をよそに、それこそが盲点だったのかもしれないと浩輔は姿勢を改めた。


「いい?オペレーション・デイライトの狙いは、ニンゲン達が持っている法や規範、常識を徹底的に壊して、個人の感情と願望、そして本当の力を引き出すこと。そして、その中で最も優れた者が、新たに世の中を治める人になる。つまり、世の中をひっくり返し、革命を起こすってことね」

「……だけど、個人の感情や願望なんてのも結局は何かの受け売りだ。思想なんてものは、自分にとって都合がいい、心地よいと思える常識や過去の人の言葉を積み重ねていったものにすぎない」

「ふーん、オジサンは随分とドライなのねー」

「つまり、大半の人間の行動の規範は周りの人間がどうするか、にかかっている。周りが動くなら自分も動く。動かないなら動かない。それが一番自分自身の事に直結するものだからな」

「よく分かってんじゃん」


 隣で深知が小さく息を吐いてみせた。

 人間の性を虚しく思ってのことなのか。かつての自分自身がそうだったから、か。あるいは、社会から弾かれた身になってみて、周囲の動きに必死に合わせようとすることを馬鹿馬鹿しく思えるようになったため、であろうか。


「この国は情報伝達システムに関してはかなり発達しているわ。そして、それを真に受けるように人格が形成されている。たとえ、どんな緊急事態や災害が起ころうとも、一つの規範を誇張して、この国のニンゲンはこうであるべき、そうすれば世の中から賞賛される、という情報を流せば、思いの通りに動いてくれる」

「あー……たしか、東日本の震災の時とかもそうでしたねー。SNSとかで情報を交換しあって、みんなで協力したり、ちゃんと列を作って並んだり……」

「……だが、その分、悪質なデマにも踊らされ易いな」


 真織の人への希望を打ち消すように、浩輔が皮肉を込める。その後に、この国の人間の性分の話であって、一概に良い悪いとは言えないことだ、とフォローもちゃんと追加しておく。


「だけど、この国に革命を起こそうとしたらそれが最大の障害となるわ」

「そうだな、どんなテロが起こっても大半の人は他人事だ。匿名で主張するだけの議論にもなってない言葉を並べることしかしない。……だからこそ、人の行動の規範となる情報媒体を徹底的に潰し、現実の人の死を見せ付けて、人の心を焚きつけたわけだ。やらなきゃやられる。動かないと損だ、ってな」

「そ。そして大概のヒトは、自分達が操られている事にすら気づかないまま、まんまと踊らされているわけ。ほんっとにバカみたい。ニンゲンって」


 実に強烈な侮蔑の言葉を投げつけられ、浩輔も軽く自嘲する。これは、素の感情だった。

 そして、リーンの考えている勝算とやらの形もおぼろげに、しかし確実に頭の中に浮かんでくる。


「……つまり、今度は逆のことをやればってことか。だがそう簡単にいくものか?」

「トウゴウが計画した当初のプランだったら、手も足も出なかったでしょうね。だけど、黎明の奴等はそれを破ったうえ、致命的なミスを犯した」


 東郷が立てていた最初のプラン。奴ならもっと上手くやっていた……数日前に本人がここに来て語った言葉を辿っていくと、すぐに一つの回答にたどり着いた。


「……そうか、この騒ぎの背後に黎明がいることを世の中にバラしてしまったんだな?」

「ぴんぽーん。当初の予定ではオペレーション・デイライトは『黙って』行われるはずだった。あくまでも騒ぎの主役はその辺の馬鹿なニンゲン達であり、黎明は徹底的に裏方に回るはずだった」

「だとしたら、逆になぜ黎明はあんな大々的な放送をやったんだ?東郷の奴も呆れてたみたいだけど。自分達の力を誇示するため、にしては幼稚すぎないか?混乱を起こすだけなら黙ってやった方が大きくなるはずだって普通考えるだろうに」


 浩輔の疑問にリーンは一瞬きょとん、とした顔になったかと思うと、急に噴き出した。


「オジサン……自分で気づいてないの?やっぱトウゴウの過大評価?」

「余計に意味が分からないんだが」

「『黎明はあなた達を恐れていた』。ただそれだけの事よ。正体不明の強力なアルク・ミラーに加え、マスターオリジナルのアルク・ミラーが2人、そして、トウゴウお気に入りのアナタ。黎明はあなた達を潰したくて潰したくてしょうがないの。だけど同時に怖くて怖くてしょうがないのよ。だからあんな風な挑発をして必死に煽っているのよ」

「幾らなんでも俺はオマケだろう……」

「んでもって、黎明の奴等が最も恐れているのはトウゴウなのよ。あのヒトが手を出すなって言ったらアナタ達には手を出せないの。そして、もう一人、アイキもね。マスターのオリジナル。アイツはシグ・フェイスを打倒する事に異常に拘っていた。下手にあなた達に攻撃すれば、その二人も敵に回すのと等しいワケ」


 アイキという固有名詞に一瞬思考が止まりはしたが、すぐに先日の日比谷公園の出来事を思い出し、その言い分に納得する。実力を良く知っているであろうあのウォーダ相手にあれだけ激昂したのだから、普通の人間では太刀打ちできないことなど容易に想像つく。

 そしてこのアパートに直接攻撃を仕掛けないのも……ヤクザの一軒を除いておくとして、ここには東郷の昔馴染みのおじいさん達が住んでいるから、ということなら説明がつく。


「欲が出ちゃったワケね。『キトクケンエキ』を破壊して、真に優れたニンゲンに社会のトップについて貰うための計画だったはずなのに、自分達がそうなるべき存在だって思いを捨て切れなかったってコト。心の奥底で自分達よりも強い存在を認めちゃってるんだけど、それに納得いかなくて」

「つまり、このままこの国がやつらの思い通りに動いたところで『何も変わらない』ってことか。死体が増えるばかりで」

「ほんと、バカみたい」


 浩輔は自分の頭が急激に冷えていく感覚を覚えた。つい先程まで、打つ手なし、とばかりに絶望感に溢れていたというのに。つくづく人間の心とは不思議なものだ。

 ……そして、これが、いいように踊らされる、ということでもあるのだろう。

 ペットボトルの中身を飲み干し、ちょうどいい高さのダンボールの上に腰掛けて一息つく浩輔を見て、リーンの表情はますます呆気に取られたような様子になっていた。


「っていうかー、何でアタシが懇切丁寧に説明しちゃってるのよー。上のミューアから何も聞いてないのー?」

「ああ、そうなる予定だったのか。悪いな、俺も少し大人げなかった」

「アイツどこまで説明したのよー?」


 子供をあやすのは得意だとばかりに浩輔が話をかわそうとするが、その横でわざとらしいくらいまでに通るタイピング音が鳴らされる。


「それじゃ、まだ聞いてないのね、あの女の扱いこと」


 これまで黙っていた深知が普段の数割増しで冷めた声を出す。その言葉が指すものをすぐに悟った浩輔は、無言のまま素振りだけで肯定の返事を返した。


「私達の黎明の基地に突入する目的は二つ。一つは組織を壊滅させるための大打撃を与えるため。そして、もう一つは、錬金術師のお婆さんを助け出し、『あの女』を倒すための対抗策を打ち出すため」

「おい、二つ目は……」

「篠田さんを半殺しにしておいて今更味方もないでしょう?その時の映像は私も見させてもらったわ」


 深知が操作していたノートパソコンの画面に、日比谷公園での戦闘の様子……浩輔が気を失うまでの光景が映し出される。いつの間に、とも思ったが、あの場にウォーダがいたのだから、仲間のホムンクルス(こいつら)がいても別におかしくはない。


「あの、私は怖くて見れなくて……。でも、たしかに明理さんが、先輩を殺そうとしたって……」

 

 後ろで真織が目を塞ぎながら、怯えたように言う。

 否定の言葉が出せないでいる浩輔に、リーンと深知も畳み掛けるように言った。


「あのアカリって女がどこの手の奴か知らないけど、アタシ等にケンカを売り、そしてオジサンにも手を出したんでしょー?当然のことだと思うけどねー」

「殺すか生け捕りかの話の前に、何かしらの対策を打たないと。私もあんなキチガイの化け物とはまともに戦える気はしない。勇治も同じ意見だって」


 淡々と答える二人の少女とは反対に、真織だけが唯一申し訳なさそうな顔をしていた。


「あの……先輩。先輩はあの人とも付き合いが長いでしょうし、その……色々思うところが――」

「そうだな。俺も、賛成だ」


 即答ではあるが、どこか乾いた返事に、その気遣いは無へと返されてしまう。真織は慌てたように浩輔に詰め寄り、視線を無理やり合わせながら迫った。

 

「い、いいんですか?先輩っ!?」

「ああ」

「『飼い主』としての責任を感じてるの?篠田さん」

「そうかもしれないな」


 まるで揺さぶりを掛けようとしているかのような挑発めいた深知の言葉にも、浩輔は動じない。

 ダンボールの中から冷えてもいないペットボトルの新しいお茶を取り出し、今度は簡単な会釈と共に部屋を出た。後ろで少女達がなにやら呼び止めるか、止めないのかの声を上げているが、言葉としては既に耳に入ってこない。

 再び外に出て、ドアを閉めると、外はすっかり雨模様になっていた。

 変な臭いは消えたが、こんな天気になると、今度はお茶の所在をどうしたものかと、ペットボトルの底で軽く自分の額を叩く。

 ――既に、後になど引けはしないことを。


「ひっ……、お、お前……!」


 急に見知らぬ男の声がしたかと思うと、浩輔の眼前にアーミーナイフが突きつけられる。雨の中で臭いは弱まっているとはいえ、その刃先からは確かに血の臭いがした。その先には、雨にぬれて黒く染まった帽子とねずみ色のジャンパーを着た、中年の男の姿。口から覗かせる歯には目を背けたくなるほどの歯垢が溜まり、その周りには、もう何日も剃っていないのか不規則な無精髭。

 ホームレス、にしては日が浅いと、浩輔は思った。


「そのお茶、よこせ……!あと、食いもんも持ってるだろう……?後ろのアパートだな?随分と身なりもよさそうだしよぉ……!」

「……あんまし慣れないことは止めておいたほうがいいですよ」


 浩輔の冷静な物言いにナイフの刃先が前進し、鼻先を掠める。


「お、俺は……もう既に何人も殺してるんだぜ……?」

「暴力的な行動は誰も得しませんよ。みんなで協力しましょうよ」

「うるせぇっ!今の世の中はなぁ、強ぇもんが生き残るんだ!いち早く動いた奴が――!」

「……こんな世の中になってやっとかよ」


 浩輔の右脚が振りあがり、靴のつま先が中年男の股間に直撃する。反射的に振り回されたナイフはペットボトルで受け止められ、ボトルから力ずくで刃先を引き抜こうとした男は、余計にバランスを崩してしまい後ろに大きくのけぞり、倒れこむ。


「久しぶりのいい雨だからな。音も、臭いも消してくれる」


 浩輔は独り言のようにそう呟くと、中年男のナイフを握った手首を左足で踏みつけ、鼻先は右足の靴のつま先で削がれるかのように蹴り上げる。さらに、手から離されたナイフを素早く奪い取ると、男の首元の頚動脈を刃先の先端、最小限の裂傷で断ち切る。

 そして、男の髪と腕を乱暴に掴み、体を庭先の塀の裏側に投げ込んだ。

 アパートのドアが勢いよく開かれたのは、それから僅かに後。


「敵っ……!?あっ、篠田さん、今の声と音は……!?」

「ああ、勇治、部屋の中まで聞こえたのか。俺も気になって見に行ったんだが」


 しかし、勇治の視界に映っているのは、雨に濡れた浩輔の姿のみ。敵の姿がないかと辺りを見回してみるが、特に異常は見当たらず、息を吐いて肩を落とす。

 浩輔がやれやれとばかりにアパートの軒先に戻り、濡れた髪を振り払う。


「篠田さん、部屋の中に戻ってくださいよ。外はまだ危険なんですから」

「あぁ。あっ、八瀬さん。タオル取ってくれないか?たしか右のダンボールに……」


 後からそっとドアを開けた真織と話す姿を見て、勇治はほっとした様子で部屋に戻る。が、その後ろにはちょうどミューアの姿が隠れており、浩輔と目が合ってしまう。

 言葉はない。しかし、明らかにただ一人、事態を察している顔をしていた。

 警戒感や嫌悪感は、不思議と感じさせない。

 ミューアは真剣な眼差しを崩さずに、静かに一礼して、部屋に入る。

 浩輔も真織から真新しいタオルを受け取ると、引っ張られるように部屋に入れられた。他の二人の少女達も様子を軽く伺うのみ。


「あれ?先輩、さっきのお茶は?」

「飲んでたら、変な声が聞こえて慌ててこぼしちゃったんだよ。勿体無いことした……」


 呑気に在庫を確認している真織の背を見ながら、浩輔は髪を拭いていたタオルに赤黒いシミがついていることに気がつき、何事もなしにタオルを折りたたんだ。


(明理さんと会って以来……か……)


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