76.殺戮の錬装機兵
左腕を一瞬にして失った浩輔は、今まさに生死の境を彷徨っていた。濁流のように流れる血は、幾ら肩を押さえようと留まる気配がない。せめて痛みだけでも誤魔化して欲しいと脳にいくら指令が飛んでも、アドレナリンの分泌が追いつかない。
全ては自分が迂闊であったせいだ。そんな反省は数秒で済ませた。
これからどうすればいいのか。
どうやったら助かるのか。
これは今の今までずっと考えているが、今はただその場を離れることしかできない。
傷が治る見込みもない。病院など今の世の中では期待できないであろう。
それでも、這ってでも、その場から移動していた。
奴が――あの女が、自分の腕をもぎ取ってからの出来事など、まともに頭の中に入ってこない。
(止血……を……今は血を、血を止め……ねぇ、と……)
自分に残された右手一つでは足りない。
今は人手が欲しい。誰でも、一人の手でも、血を止めるための人の手が欲しい。
ろくに距離感も掴めないまま、無我夢中で先程までいた観衆達が隠れている茂みへと進んでいた。
もしかしたら、自分の姿を見て逃げる人間が大半かもしれない。
それでも、誰かが残っていてくれれば。そう信じるしかない。
足の動きが噛み合い、微かに体が起き上がる。もう少しだと、全身の反動をつけて立ち上がる。
両足に全体重がかかった瞬間に強い立ちくらみを覚えるが、何とか踏ん張って、草むらの中へと体の重心を押し込もうとする。……が、その数歩目にして右足が何かに躓き、早くもバランスを崩してしまう。
(なんでこんな所が一段上がって……何が、ある……?)
自分を転ばそうとした物の正体をと見下ろした途端、浩輔の息が止まった。
――首。
人の生首であった。それも脊髄つきの。
切断面は真新しい。薄暗い茂みの中なのでよくは見えないが、新しいのだろう。
なぜなら、首の主は先程まで浩輔の隣にいた見物人だったのだから。
「っ……誰、がっ……!?」
浩輔はようやく茂みの中の惨状に目が行った。
今、この場での呼吸音は自分のものだけ。先程までいた見物人は覚えている限り全て惨殺されている。
それも、単なる撲殺、刺殺、銃殺ではない。皆それぞれ、体の一部、いや、人によっては大半が欠損している。顔の前面だけが残り、後頭部がごっそりとなくなっている者もいる。
老、若、男、女、そこに例外などない。
「うわぁぁぁーーっ!?来るなっ、来るなぁぁぁぁぁっ!!」
突如として背後から聞こえてきた、裏返りまくった男の絶叫と銃の発砲音。
もはや身を隠す動きをする余裕もない浩輔は、そのままの状態で首だけを後ろに向ける。
その先にいたのは、腰を抜かしながらも小銃を撃ち続けている迷彩色の錬装機兵の姿。
やはり黎明の偵察が潜んでいた……いや、そんなことはもはやどうでもよかった。
問題は、その男の目の前にいる人物。
――異形の姿とも言うべき容姿をした白い化け物。
そこからは、もはや人間同士の戦いと呼べるようなものではなかった。超越した片方が、もう片方を、捕食するかのように。そう、まるで、屠殺現場のように淡々とした現場。
明理の手が錬装機兵の男の喉下を掴むと、男の断末魔と共に全身から光の象形文字が暴れまわるかのように噴出する。やがてその勢いが止まり、男の体が操り人形の如く脱力した状態でその場に投げ出されると、表面の錬装が砂となって崩れ落ち、鎧の中身は体をミキサーにかけてまた成型したような血骨が混ざった肉塊と化していた。
「……な、んだよ……!どうなって……!」
浩輔はここに来てこれまでの展開を思い出す。
そう、明理は紅いアルク・ミラーと戦っていたはずだ。その最中、ウォーダの横槍を受けた。
そして、自分の左腕をもぎ取った挙句、今の姿になった。
だが、浩輔の視界の範囲内には、既に敵であった二人の姿はない。
おそらく、勝ったのだろう。
――そんなことはどうでもよい。
人の勝利が、こんなにどうでもいいものだとは。
「……ァ……ッ……シィ……」
浩輔はその場から一歩も動けなかった。無意識の内に息も殺されていた。普段の彼女の視力からすればすぐにでも分かりそうなものであったが、わざと無視しているのか。
明理が少し動いた先には無数の死体が転がっていた。それも、見た限り子供ばかり。
真っ先に手をつけたのは小~中学生くらいの女の子。片手でその体を吊り上げたかと思うと、禍々しい形状のフェイスガードの口部が開き、少女の股間、秘部に喰らい付き、乱暴に噛み千切った。
目を逸らす暇も与えないまま、さらにその鮮血の最中へともう片方の腕を体の中に突っ込み、中の物、臓の物をおもむろに引きずり出す。そして、胸腹部の装甲が展開し、少女の『中身』をずるずると啜る様に取り込んでいく。
……ほんの僅かな瞬間であったが、臓器は微かな痙攣を見せ、まだ生きているかのようにも見えた。
「あんたは……何をやっている……」
浩輔の口からは無意識に言葉が漏れていた。
恐怖よりも先に込み上げて来るものがあったのだ。
同じ名前の女が、全く逆のことをやっている、その光景に。
「てめぇ、その、殺し方は……当て付けか……?それだけは……!」
妹の時と同じ。
虐殺?惨殺?嬲殺?姦殺?
ひたすらに全身を殴りつけながらとことん悲鳴を上げさせ、口、目、鼻、膣内か尿道か肛門かどの穴かお構いなしに人間の体を散々に弄繰り回し、腹を掻っ捌きながら、嗤う――。
浩輔の眼が見開かれ、無意識の内に足が一歩、また一歩と、外へと踏み出される。
「あんたが言う正義とやらは……俺も正しいだなんて思っちゃいねぇ……!ただな、今あんたのやっていることは、あんたが言っていた正義ですらないだろうが!」
果たして今の自分の声量はどの程度のものであろうか。
相手に何割の言葉が伝わっているのか、それは分からない。
が、言葉の受け手は、臓物を喰らう手を休めずとも、血飛沫とは異なる紅い光を揺らめかせた。
「がッ……!?」
視界の揺らめきと共に、浩輔の周りの世界がひっくり返る。
それは本能、それは反射、それは直感。
目の前の人間と過ごした半年間の共同生活。悪態をつきながら、何度も殴られた日々。
それが、役にたったのか。これが、皮肉なのか。
浩輔は無意識の内に後ろに飛びのいた。
その眼前を、動かなければ浩輔の頭部があったその場所を、風が切る音が遅れて聞こえるくらいの鋭い蹴りが通過する。あまりの速さに真空波のようなものまで発生しており、浩輔の鼻先を掠めていた。
全身がただこの瞬間を動くことだけに集中した動作は、着地のバランスなど考えられているはずもなく、浩輔は肩から地面に叩きつけられた。
(マジ……か、よ……!?)
下顎ががちがちと痙攣している。呼吸も短く、飛び飛びになっている。
左肩からは血が止まることを知らない。既に頭に、脳に行く血液も足りなくなっているのだろう。
それでも、浩輔の心臓は暴れまくっていた。
――後ろに飛びのかなかったら、即死だった。
頭を僅かに起こすと、唇の上から鉄っぽい雫が垂れ落ちる。鼻の頭が切れていたのだ。
先程の蹴りの真空波のせいだ。
――間違いなく、即死であった。
「ナゼ、イマノガカワ、サレタ?」
白い装甲を、大袈裟とも呼べるくらいに赤黒く汚したままの状態で、目の前の人物はじっと自分の手を見つめていた。
そして、手首を無茶苦茶に捻ったり、立ったまま足首を回したり、首をありえない方向へとねじってみたりと、人間離れした、というより既に人間を止めたストレッチのような動きを始める。
傍から見たら滑稽な光景ゆえに、この場の雰囲気はますます凍りつく。
「マダホンチョウシ、デハナイ、カ」
しかし、それも虫に刺された程度の時間稼ぎだったようだ。
すぐに浩輔に向き直り、戦闘の態勢……殺気を周囲に充満させる。
「ぅぅ……ぁぁ……」
浩輔は左肩を抑えたまま仰向けの姿勢のまま、後ずさりする。先程は奇跡的な回避を見せたが、その結果、背中を強打したせいで、まともに体を起こせない状態だったのだ。
しかも、視界はどんどんかすんでいく。心臓が限界までの稼動を見せているが、それでも失った血液はどうにもならない。血流が下半身にまで届かないでいるのか、足の力も段々抜けていく。
――もう、終わりだ。
その一言が、浩輔の脳裏を掠めた。
意味が分からない。訳が分からない。こんな展開は全く予想だにしていない。
――いや、考えないようにしていただけか。
それでも、それにしても、あっけなさすぎる。
人は死ぬ時は死ぬとはいえ、ここまで足掻いても、何もならないのか。
目の前の『化け物』が、脚をゆっくりと前へ踏み出す。
その瞬間も、本当にゆっくりなのか、それとも死の淵に立たされた浩輔の感覚的なものだったのか、それは分からない。
右手が振り上げられ、赤く発光する。地面から見上げた状態であろうとも感じられるその熱気。
浩輔の顔からは汗一つ出なかった。そんな余裕などなかった。
「コードヲ、ヨコセ」
重低音の台詞と共に、明理の手が振り下ろされる。
目は閉じられなかった。そんな諦めや恐怖を見せる暇すら与えて貰えなかった。
「ッ!?」
突如、微かな風が揺らめき、浩輔の視界が白く染まる。
目を開いていたからこそ、それがはっきりと分かった。
その正体は人、の姿。仰向けになった自分の胸を思い切り踏みつけている足がその証拠だ。
誰かが、自分を庇おうとしたのか。そんなことは無駄だというのが、今までの状況で分からなかったのか。単なる馬鹿か。自身にそれだけの人徳があったとは到底思えない。
だが、浩輔の前に立った人間は、そんな考えを踏み潰すかのように、確かに、咆哮した。
「……錬装強制解除ッ!」
口早に叫ぶ少年の声と共に、周囲に薄紅色の光の象形文字が展開される。
が、その効果を見ることもないまま、浩輔の全身を刺さるような衝撃が襲い掛かかる。
周囲に砂埃が舞い上がり、目を大きく開ける事は出来なかったが、先程の光は死んではいない。
急に今度は上空に向かって吸い込まれるような気流が発生したかと思うと、浩輔の視界には白い服……ローブに身を包んだ金髪の少年の後ろ姿だけが残っていた。
「な、なん、だ……?」
「っ……はぁっ……はぁっ……!」
浩輔の胸の上から体重が解かれたかと思うと、その主である少年の体はそのまま真横に全身が脱力したかのように尻餅をついて崩れ落ちる。様子を見る限りは無傷……であったが、まさに顔面蒼白といった感じで両手で地面をつきながら息を荒らげていた。北欧系の顔立ちといったような少年の顔は、浩輔も微かに見覚えがあった。
「はぁっ、はぁっ……はぁぁぁぁーっ……!助かった……助かったぁーーっ……!」
世の女性が黙ってはいないくらいの端正な顔に脂汗を浮かべながら、少年はうわ言のように言葉を繰り返していた。そんな様子に浩輔も声をかけられずにいると、遠くから物々しい勢いで女の唸り声と足音が響いてくる。
一瞬明理が戻ってきたのかと身構えたが、別人であった。それも、既知の女性。しかも少年とセットで覚えていた、だ。
「みゅううぅぅぅぅああぁぁぁぁぁぁぁあーーーーーーっ!!」
「……あ、メローネさ――」
「くぅぉんのっ馬鹿ァッ!!」
怒号を上げながら迫ってきた日本人ではない女、それも凹凸が男の欲望どおりの美人、は、完全に紅潮しきった顔で、ダッシュの勢いを崩さぬまま少年の頬に拳を突っ込ませる。助走をつけて殴るという行為はこうして見ると珍妙なものであった。
さらに女は最初の一発では足りないとばかりに、吹っ飛ばされた少年の上に馬乗りになり、さらにぽかぽかと頭を殴りつける。
「こんの馬鹿っ馬鹿っ馬鹿っ馬鹿っバカッバカバカバカッ――大馬鹿ぁっ!!あんたが死んだらどうにもなんないでしょうがぁっ!?」
「す、すみませっ……外部からの錬装強制解除を試みようとしたんですが、いや、上手くいかなかったんですけど、警戒してくれたのか何とか引いてくれたみたいっ……痛いっ!止めてっ!」
「あんた自分の立場分かってんの!?いくら人間に近いからって限度っつーもんがあるでしょーが!」
「ご、ごめんなさ……ぐぐっ、ぐるじい……!」
女は終いには少年の首をぐりぐりと締め付け、徹底的にいたぶっている。
そろそろ、いい加減に声をかけようとする浩輔であったが、途端に全身に寒気が走り、視界が落ちる。
「メローネさっんっ!その人、そのヒト!このままだと死んじゃいますっ!」
「えっ?あっ?このお兄さん?……あー……別にこのまま死なせてもいいんじゃ」
「ユージさん達とも繋がってるし、アイツのことを知る手がかりになるんですよ!こうでもしないと……」
浩輔の意識が二人の喧騒から、どんどん遠のいていく。
話を聞く限り、この二人は自分を助けてくれるのだろうか?……と、いうか、この状態から、自分は助かるのだろうか?その思考も、長続きしない。
心臓の音も、もう限界だとばかりに小さくなっていく。
(明理さん……あかり……そうだ、俺は……)
全身に深くのしかかってくる、『死』の感覚。
意識が現実と切り離され、頭が冷え切り、自分の生命が客観的に見える。
そして、思い出す。
意図的に切り離された、感情。そして、記憶。
――真実。
(俺は……怖かったんだ……あの人が……あの人の力が……)
意識が自身の深遠へと飲み込まれていく。
その中で蠢く、無数の糸のような感触。
……ガラクタと化した幾千、幾ばくもの無数の記憶。
どれに触れても返って来るのは同じ答えだ。
――世の中が逆転し、世界がどう変わろうとも、貴様は、地獄に落ちるしかない。




