73.6日目②
例によってボロアパートに戻った明理は、非常食をたらふく食べた後、爆睡。
夕方5時前に完全武装(対寝起きの明理用)した浩輔によって叩き起こされ、さらに追いご飯を入れて家を出発。しかし、数秒で戻り、日比谷公園の場所ってどこだっけ、道聞ける人もいないし、公共交通機関やタクシー使おうにも全部止まっててちょっと自信ないとか言い出したので、仕方なく浩輔が自転車に乗って現地まで道案内する羽目になる。
と、いうことで、5時40分過ぎに日比谷公園前に到着。
「なーんだ、この間の霞ヶ関のすぐ近くじゃん」
「ついでに東郷が演説した有楽町もすぐ隣ですよ」
「なんだか、この辺には随分と縁があるな」
呑気に伸びをする明理であるが、浩輔も随分と迂闊に外に出てしまったと反省していた。しかし、なんだかんだで自分が襲われる気配はなかった。結構な速さでかっ飛ばす自転車の横を余裕の表情で併走していた明理の姿に慄いたのかもしれない。
……ちなみに勇治は家に置いてきた。
戦力外ということはなく寧ろ浩輔的にはぜひともいてほしかったのだが、夜通し人助けに励んだ疲労で、死んだように眠っている彼の姿を見て、やや申し訳なく思ったのだ。いつもは人使いの荒い明理も、今回は必要ないだろうと起こそうともしなかった。アパートに何か異変が起きたら大家達が連絡をくれるようになっている。深知と真織も、今晩中にはアパートに戻ってくる予定だ。
「おい、コースケ、何だか公園の中が騒がしいぞ」
「敵さんも準備万端ってわけですか」
「いや……違う。この匂いは……ご飯……炊き出しだ」
明理は罠かどうかも考慮することなく日比谷公園の中に入って行き、浩輔もそれに続いた。すると、公園の中では、この世の甘露かという表情で握り飯を頬張る人々の姿があった。年齢層も老若男女様々だ。噴水があると思われるところに人だかりが出来ているのを見つけたが、かなりの密度のため近寄ることは難しい。炊き出しというのは確定だろうが、下手に進むと割り込んだと文句を付けられて袋叩きにされそうな勢いだ。
「おいっ、その死体とっとと片付けろよ!折角の食欲が失せちまうよ!」
「だったらとっとと飯食って手伝えっての!」
中年の男達と思われるがさつなやり取りに、周囲の人間と共に視線がそちらの方へと向かう。
泥汚れが目立つ土方風の作業服姿の男達が二人がかりで遺体を引きずりながら運んでおり、林の中に掘った穴の中に放り込んでいた。それも一つ二つではない。十数人はいる。遺体というからには死臭が気になるところだが、応急処置のつもりなのか、穴の上にビニールシートを被せていた。
これがこの近辺の日常の光景……というわけでは勿論なく、炊き出しに並んでいた人達は皆露骨にどよめいている。
「あの死体……ここの炊き出しを襲おうとしてた奴等みたいだぜ。でもすんでのところで、みんなで取り囲んで押さえたんだとさ。その時に死んだらしい」
「うぇー……」
「銃も持ってたっていうじゃない?自業自得よ……」
さながら世紀末の出来事のように人々が呟いているのを呆然と見ている浩輔を尻目に、明理は遺体を処理していた男達の下へづかづかと近づいていた。
「おい、おっさん。この辺りは銃を持った奴がまだゴロゴロしてんのか?」
「何だあんたは……まぁ、いいか。今は表立って暴れるような奴はいないだろうけど、あんまり一人でうろうろしない方がいいぜ。特にあんたの様な美人はな」
「レイプも結構流行ってたな、そういえば」
「ああ、だけど、今度はそんな暴れまわっている奴等に天誅を仕掛けるような輩まで出てきてるらしいぜ。まったく、色々滅茶苦茶で正義も何もあったもんじゃないよ」
つまりは、明理や勇治達のことが良くも悪くも評判になっているということだった。
無精髭を生やした男が皮肉めいた口調でそう言うと、顔を上げて公園の向こうにある建物を複雑な面持ちで眺める。
「霞ヶ関のビルか……よく見ると所々窓が割れてるな」
「ああ、悪しき官僚を成敗する!ってな感じで、色んな奴等が突っ込んで行ったみたいだけどよ。だけど、あんなところを襲ったところで何も変わりはしないさ。官僚の皆さんもすぐに逃げてったからな。その後に立て篭もっている奴もいるみたいだけど、大半は食い物欲しさにすぐに出てきたよ」
「お役人も散り散りになっちまえばどうしようもないもんな」
「……ましてや、役人があそこに富を抱え込んでいるわけでもないですしね」
後ろから近づいてきた浩輔の言葉に男達も肩を落とし、溜息と苦笑いが漏れ出す。
「はは……実を言っちまえば、俺達もその役人なんだよ。区役所の方だけどな。職場に行こうにも中は荒らされて滅茶苦茶だし、ここでボランティアまがいのことをしている」
「役人って……ナリからは、全然そんな風に見えねーな」
「それで、かえって助かってるよ。そんなもんさ」
この男の風貌がここ数日の出来事によるものなのか、それとも、元々こんな風だったのか……そんなことを考えつつも、浩輔は彼等を労うように黙って一礼した。
明理も軽く息をつくと、これから本題とばかりに表情を尖らせて男達に尋ねる。
「ここの炊き出しを指示している奴は誰だ?役所のお偉いさんか?」
「さぁ……みんなどこからともなく集まってきた人達だよ。誰だろうと助け合ってくれるのはありがたいけど」
「なら、向こうで炊き出しやってる連中に伝えてこい。もうすぐここは戦場になるぞ。とっとと避難しろってな」
「えっ?そりゃどういう……」
「いーな!?死にたくなかったらとっとと公園から出ろよ!巻き添え食らっても、一切示談には応じないからな!」
明理は大声で一方的に警告すると、そのままどこかへと駆け出していく。
残された浩輔も腕時計の表示を見て、役人の男に詰め寄った。
「撤収作業なら俺も手伝います。今はともかく、すぐにこの公園から退避してください!」
「はぁ!?あんたまで……並んでいる人もいるんだし、そんなこと急に出来るわけ……」
その直後、公園の林の奥から爆音と共に次々と樹木がなぎ倒されていく音が周囲に響き渡る。
無精髭の役人の男らも飛び上がって恐怖し、慌てて炊き出しの人だかりの方へと走っていった。集まっていた人達もここ数日の出来事のせいか、食料よりも目先の自分の命を優先したようで、動ける人間から一目散に逃げ始めていた。すぐに炊き出しのテントの姿があらわになり、浩輔も急いでそちらの方へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日比谷公園のソーラー時計の針が午後6時を指した瞬間、一直線になった長針と短針の中心が踏み潰されるように破壊される。自らの存在意義である時を刻むことを止められた時計の上には、真紅の装甲に覆われた人物が静かに佇んでいた。
「へっ、律儀にちゃぁんと待っていたんだな」
不適な声を上げながらその正面に姿を表したのは、全身を白色の装甲に覆われた人物。
この状態では中の人間の表情は分からない。ましてや声を出さなければ。
……それでも、この時は、互いが、互いに、笑い合っているのを確実に感じていた。
「お前等黎明が望む『真の弱肉強食』の世界とやら……どこまで続くのかな?」
「どういうことだい?」
「全てを覆したとしても、その先に絶望しかなかったとき……それに耐えられるのかね?」
「君にしては、随分と詩的なことを言うじゃないか」
愛樹は軽く跳躍し、地面に足をつけた。
そして、肩を回し、首を捻る。
「僕が望むのは今、この瞬間だ。さぁ、早く始めよう」
話口調がかなり落ち着いている。
始めの方だけだとしても、様子がいつもと違う事に気づいたのか、明理もやや慎重な構えを取る。
それに対して愛樹は、態勢を少し低くしながら、その場でシャドーボクシングを始めた。
「……今日は本気で行かせてもらう」
「気合入ってるな、そりゃ望むところで……んっ!?」
目の前の光景を目の当たりにして、思わず明理も息を飲む。極々端的に説明するならば、愛樹の腕が『増えて』いるのだ。
明理もフェイスガードの中で何度か瞬きをしたが、それの現象は全く収まる気配がない。
(何だ?私でも目で追えないくらいのスピード?それにしては……!)
ふっ、と風を切る音が響いた。一般人でも認識できるほどの大きさ。
明理はすんでのところで右に飛び退いたのだが、左頬の装甲には明らかな損傷があった。
「ひゅ……ぅ……!やっぱり、お前の真価は足技じゃなくて、手の方だったか……!」
更に明理の肝を冷やしたのが、自分と愛樹との距離は10メートル近く離れていること。そして、愛樹がその場でステップは刻んでいるものの、そこから動いた形跡がないことだ。彼が足技を使うとき、瞬間的に足から刃を出し相手の目測を狂わせる戦法をとっていたので、手でもそれが出来るのはある程度予測していたが、それもこれほど離れた距離に作用するとは明理の完全に想定外だった。
さらに愛樹が無言のまま一歩踏み出すと、突如目の前の地面が爆発したように飛び散り、明理の視界を奪う。側面か、背後、もしくは空中からの攻撃と読んだ明理は、そのまま土と雑草が飛んでくる正面へと突っ込むが、その刹那、紅い拳が顔面に直撃し、そのまま後方へと吹っ飛ばされる。
「今の読みは、僕の勝ちだ」
「やっ……ろ……!」
「来いよ。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……!」
フェイスガードの修復を待つまでもなく突撃する明理であったが、彼女の肉弾戦の間合いに入る前に、愛樹の両手のラッシュが先に飛んで来る。攻撃を避けるまでもない、相手を近づかせなければいいと言わんばかりの動きだが、それなら相手の方法を真正面から砕けばいいという思考で、何度も全身に打撃と刺突を受けながらも正面に突っ込む。
こいつは避けない。自らのプライドから、一度そう決めたらよほどの危険にならない限り最初の考えを捻じ曲げないだろう、そう思っていた明理。
一方愛樹の方の考えは逆であった。その場から避けてもよいが、ここまでして突っ込むからには何か狙っているのだろうと。相手の策略に乗る必要はない、と。
幸と不幸、二人の思惑の結果、二人は0距離まで近づき、明理は愛樹の体にまるで抱きつくかのようにその両脇に手を回し、その場に倒しこんだ。ともすると情けない格好だが、ラグビーの如き下半身を崩すタックルでは逆に危険なのだ。明理の狙いは愛樹の上半身と下半身を封じること。
そして、ここからの狙いはなんとベアハッグ。
アルク・ミラーの弱点の一つでもある、アルク・ミラー同士の装甲が接触すると強度が弱まるという原理を突いた戦法であった。愛樹の脳裏にはこの時、両手から刃を出して、明理の背中か首を突き刺すという考えが過ぎるが、それを行動を移そうとした瞬間に自分の胸周りの装甲が一気に軋む感触が走る。
そこから先は生存本能の賜物というべき脊髄反射の世界であった。愛樹は全身の推進器を頭の方向へと噴射させ、さらに加速をつけた瞬間に錬装を解除する。それによって生まれた装甲分の隙間から一気に体を脱出させるが、錬装の部分解除が出来る明理と違って、愛樹や勇治の持つ機構では錬装を解除しようとすると全身が解除されてしまう。再度錬装しようにも、あまりにも一瞬の出来事。つまりは生身のまま猛スピードで地面に投げ出された愛樹は、そのまま転がり続け、背後にあった木に激突してようやく体を止める。
「ったく、折角の捨て身の攻撃もかわしちまうとは……やるじゃねぇか……」
明理は結構なダメージを受けたようで、ややふらつきながらもその場にゆっくりと立ち上がる。
一方、愛樹の方は、その場に蹲ったまま、息を荒げるだけで動こうとしない。どのみち錬装化していない状態では立ち上がることが出来ないのだが、そんなことは一切関係なく、自分の胸に手を当てながら数秒前の展開を振り返っていた。
(あの時、逃げなければ、やられていた、か……。あの時のベアハッグの狙いは単に僕を締め付けることだけじゃない。砕けた装甲をそのまま胸部に突き刺すことにあった。奴もただではすまないだろうが、反応が遅れた僕の方が重傷を負っていたことは確実……)
ぶつぶつと独り言を呟いたままその場を動こうとしない愛樹に対して、明理は煽るように言葉を投げかける。
「どうした?まさか今ので背中を強く打って動けなくなったとか言わないよな?」
「……錬装着甲」
声はしっかりと聞こえていたと分かり、明理は満足げに攻撃態勢を整える。だが、愛樹の方は未だに立ち上がろうとしない。うつ伏せに寝た状態から、両手を使って上体を僅かに起こしただけだ。足の方は一切の力が入っていない。
「なんだぁ?適当に言ってみただけだけど、本当に立ち上がれないってことないよな?」
「……君には理解できないだろうね。これは僕の構えの一つだ」
「おいおい、そんな這いつくばったような姿がか?」
「僕が、この状態を、何年続けたと思う」
静かながらも語気を強めたかと思うと、愛樹は今度は寝そべった状態のまま、その場から姿を消す。その速さは、明理でも姿を追うのが僅かに遅れた。自分の右足のすねを切られたことに気づいたのは、さらにその後の反応であった。
「くっそ!ゴキブリみてぇな動きしやがってっ!」
そのような悪態をついた明理の眼の前には、今度は直立に立ち上がった愛樹の姿。その姿勢には一切の鼓動によるブレが見られなかった。
さらに今度は跳躍し、上空からの攻撃を仕掛けてくる。しかも今度は足からではなく頭から。拳を構え、弾丸のように突撃する体制だ。そのまま拳で迎撃しようとしても例の空中機動でかわされ、今度は爆発による推進で瞬時に切り替わった足による攻撃が、明理の左腹部に加わる。
かろうじて腕を下げて防御したものの、装甲にははっきりと見えるヒビが入っていた。
今度は地面に屈んでからの地を這う高速移動。地面を蹴って目くらましをかけようとしても、その前に前方への逆噴射をかけられ、逆に明理が目くらましを喰らってしまう。再び空中に飛び上がったかと思えば、今度は仕返しとばかりに思いっきり正面から体当たりをかまされ、バランスを崩したところを一瞬で後ろに回り込まれ、後ろから手と足、打撃と斬撃の二重×二重攻撃。それも残像が見えるほどの恐ろしい速さでだ。
明理が反撃しようにもその時は既に相手は射程外。ここら辺の戦い方は前回と同じだった。相手に付け入る隙を与えさせない。となると、カウンターを狙っていくしかないが、今回は愛樹の方も一切の油断がないため、一撃一撃の精細さが段違いだ。警戒している分、致命傷とも言える打撃を受けていないのがせめてもの救いであったが。
(強い……)
流石の明理も今回は愛樹に対する認識を変えざるをえなかった。
この短い時間の間で、結構な数の有効打を貰っている。しかも、相手も自在の動きを仕掛けてくるため、対抗策も中々思いつかない。
いや、そもそも今回は相手も最初から本気なのだ。明理と同様に下手な探りなど入れず、短期決戦のつもりで仕掛けてきている。そんな相手にのらりくらりと考えさせてくれる時間が取れるものか。
(こりゃー、いよいよ私も本気出さないとヤバイかな……)
普通に考えてかなりピンチの状況だというのに、明理の思考は彼女自身笑えてくるほど冷静であった。そう、落ち着き払っていた。しかし、この状況はどうにかしないといけない。
自分が、自分自身を護るために。
息を整え、思考と精神を集中させる。
少なくとも、次の攻撃は本気で捌かないといけない。そして、こちらかも本気の攻撃を……
(――――本、気?)
突然、明理の思考がコンセントが抜けたテレビの如くピタリと止まる。
その瞬間、自分の真下から鋭い蹴りが飛んでくるのが見え、避けようと思った瞬間には下顎に直撃し、体が宙に舞っていた。
さらに、愛樹の追撃は続く。空中なら彼の独壇場なのだ。
相手の体の自由が利かないのをいいことに、すぐさま後ろに回って背中に全力の膝蹴り、再び浮き上がった明理の胸部に向けて全体重と強力な推進力をかけた踵落としを打ち下ろす。
明理の体は受身も取ることの出来ないまま、背中からちょうどコンクリートで舗装されている方の地面に落下する。
数秒送れて愛樹も地面に着地し、コンクリートをめり込ませた明理の体と大きな損傷が入った腹部装甲を確認すると、肩を落として残心する。
「やった……いや、まだだ!」
この時、愛樹の脳内に油断の二文字はなかった。今まで防御されていた攻撃がなぜ急にクリーンヒットしたのか、そういう疑問はすぐに払拭し、目の前の相手に止めを刺すことに集中した。
まず、先程の土払いと同じ方法、蹴りと同時に愛樹の脚部から放たれる小爆発を地面に与え、周辺ごと明理の体を吹っ飛ばす。そして、相手が宙に浮いた状態、これでフィニッシュブローだ。
愛樹は脚部の推進を可能な限り全開にし下方からの刃つきの蹴りを振り上げる。軸足の効いた攻撃、下からの力と、相手にかかる重力の下の力。最大限の威力だ。
「えっ?」
「……なっ!?」
驚愕の声が『二つ』漏れる。
下手をすれば明理の体が真っ二つに切断される展開。
愛樹も直撃の直前は流石に勝利を確信していただけに、しばらく自身の視覚情報を信じることが出来ないでいた。しかし、とても信じられないが、それは真実であった。
――いつの間にか、どうやってか、明理は愛樹の後ろに立っていた。
「くっ!?」
間髪入れずに回し蹴りを放つ愛樹。だが、その結果はさらに彼の予想を超えていた。
「ぁ……れ……?」
あまりの展開に思わず素っ頓狂な声を上げたのは、愛樹の攻撃を『止めた』明理の方であった。
文字通り、止めたのだ。
肉眼では見えないほどのスピードで繰り出された愛樹の右足首を、片手で掴み、なおかつ完全に動きを殺していたのだ。そして、ここからどんな反撃を行うのかと思ったら、反撃をするでもなく、そのまま手を離しその場から一歩引いたのだ。
「な、なんだ……なぜ……!?」
「悪ぃ……私もわからん……今のは……ははは……」
驚愕する愛樹を尻目に、明理の口から乾いた笑いが漏れる。
互いに全力を出していたはずの殺し合いに、何ともいえない妙な雰囲気が漂った。




