69.4日目②
『まず、最初に申し上げておく。先日からの一連の情報テロ、そして先程、日本各地で起こった爆破テロは全て私の指示によるものだ。そして私の思想に賛同する者達がそれを行動に移した』
開口一番の東郷の台詞に、放送を聞いていた日本国内の人間の顔が一様に固まる。
これまでの情報テロで日本の夜明けだと狂喜していた者、気違いのやることだと非難していた者、国内各地での同時多発テロを間近で見ていた者、東郷の計画を漠然とではあるが知っていた者、はたまた、何も知らずに日々を過ごしていた者……皆、反応は同じであった。
『次に、今回のテロの目的を話そう。……目的と言っても単純だ。私はこの世の中を変えたい。そのために事を起こした』
――狂人だ。
放送が流れてまだ数分にも満たない。
しかし、この放送を見た者の、この男に対する心証は、ほぼ全てが一致していた。
『私個人としては、然るべき者にこの国を治めて欲しく、然るべき者がこの世の中に生きていて欲しいと考えている。報われるべき者が報われ、報いを受けるべき者が然るべき報いを受ける。言葉の上ではごく当たり前のことを望んでいる』
木造ボロアパートの一室にもこの映像が流し出されていた。……というか、テレビ局のチャンネルは全て乗っ取られている。チャンネルをいくら回しても、カメラの位置すら変わらない。パソコンの画面上でもウイルスの類にやられてしまっているのか、この映像がリアルタイムで流し出されていた。
ここの面子は例外的に反応は様々。
真織は全国の人々と同様に完全に固まっているが、深知はやや目を細めながらも煎餅を一口。浩輔に至っては東郷の様子を探るように訝しげに放送を眺めていた。
『この国は民主主義国家だ。そして資本主義国家でもある。このことを私は否定しない。これは国家としての意向であり、それを由としないのであれば、他国に移り住むか、今の国家を転覆させて社会制度そのものを変えてしまうか……それだけの話だ』
否定しないと言っている割には、東郷の行動は完全に後者ではないかという反論が、念仏でも唱えるかのような声で各地から巻き上がる。モニターの向こうの人物には届くわけがないと分かっているにも関わらず。そして、映像の中の東郷は、実際にその場で周囲の反応を見ているかのように、小さく頷いた。
『では、この放送を聞いている者達に問いかけたい。今のこの国、日本は、本当に民主主義国家なのか?そして資本主義国家なのか?』
本当に相手に考えさせる時間を与えるかのような、ゆっくりとした口調。そして明らかな間。
『腐敗した政治と失望しながら国民の多くは選挙による変革を半ば諦め、貧富の格差是正をうたいながら暴動の一つも起こさない。暴力はいけないといいつつ、権力を持つ人間からの社会的暴力は当然のものとして容認されている。無理難題と解かり切っている義務を押し付け相手の権利を奪い、世の不満を言おうものならまずは貴様が変われと、瑕疵の有無を議論せずに徹底的に変革を認めようとしない。そして、世の中の全てから逃げ出す者は留まることをしらない。……はっきりと言おう、今のこの国……国家そのものが矛盾している』
冷淡な表情を保ちつつも、東郷の眼は鋭い殺気を感じさせる光を放っていた。
『弱肉強食という言葉がある。資本主義の競争に晒された、この世の中ではごくごくありふれた言葉だ。しかし、今の世の中は本当に弱肉強食と呼べるものなのか?本当に優秀な者、強い者が世の中を治めているのか?そもそも世を治めるに相応しい強さとは一体何か?……よく考えていただきたい。社会的弱者の権利というのは保障されて然るべきだが、この国はいつから、弱き事を主張する者が幅を利かせるようになったのだ?割を食っているのは一体誰か?』
東郷の右手の人差し指が、画面の向こう側へとゆっくりと付きたてられる。
『君達が今、世の中に不満を持っているとしたら……怒りの矛先はどこに向けられている?君達の本当の敵は何だ?世の中をより良いものにするためなら何が必要か?何を為さねばならないのか?』
何度も、何度も東郷は問いかける。
しかし、多くのものはその思考を途中で放棄する。
かつて何度も、何十回も、何百回も、何千回も繰り返されたシミュレーション。
何時も、何人も、何者も、人間達が、通り過ぎた、諦めの歴史。
『私はこの国の変革に敢えて暴力を使う。破壊を行う。殺人を行う。全ては、この国に根付いた法や不文律、そして、それらに護られた物に対抗するためだ。批判も圧力も全て暴力をもって返答する』
東郷の口から語られる暴力の二文字に民衆達の顔色が変わる。
彼に対する呟きも、本能的ともいえる反応で止められてしまう。
『我々の事を愚かだと蔑むのは結構だ。好きに罵るがよい。しかし、その考えは果たして、君達自信が当事者であるいう意識に基づいてのものなのか?『自分とは関係ない』、そう思っているのなら間違いだ。それこそが、我々が根絶しようとしているもの。安全と保障に護られ続けた意思こそ、現在の人と社会を貶めた最大の要因だ。『自分は理由なく殺されるということは決してない』……そのような環境が傲慢さを作り出す』
聴衆たちのざわつき方が変わる。
――『何かが違う』。
――『何かヤバい』。
深夜だというのに、夢から覚めたような感覚を覚えさせられていた。
『どんな人間でも始めは真っ当な志を持つものだ。より良い世の中のため、多くの人のためにと考える。しかし、その意志の結果として革命と呼ばれるものが起きたとしても、所詮は一炊の夢に終わるのが世の常だ。……残念ながら、人は自らが権力を握った瞬間から、それまでの志を全て投げ捨ててまでも、権力の保持そのものに固執する、そういう生物だからだ。目的があって力を得たはずが、力を保ち続けることが目的となる。自身の身分と立場の維持こそが最優先となる。そしてそれを容認する人々の意思によって、社会のシステムは次第に歪み、その結果、建前だけの民主主義、偽りの競争社会が形成された』
――当たり前のことだ。
――それくらい知っている。
この放送を聞いた人間の一部は、そう思っていた。そうであって欲しい。
『この放送を聞いている者達よ、君達の意思を縛るものは何だ?法か?常識か?生活か?建前か?……いずれにせよ我々はこの日本に住む、安全という檻に逃げ込み、社会の矛盾を見逃し続ける者全てに対し、宣戦を布告する……つまりは『容赦なく殺す』ということだ!』
次第に怒号に近いものになっていく東郷の声に茫然とする民衆。
『殺す』という言葉が次第に現実味を帯びていき、夢から覚めた人間は、再び夢へと逃げ込もうとしていた。
『何度でも言う、我々に賛同するか、抵抗するかは自由だ。ただし、どちらにせよ、己自身の意思を持って闘うことを切に望む。それが出来ないものは、死ぬだけだ。これから形作られる社会、これから起きるであろうあらゆる出来事に、無関係な人間などいない。被害者等も存在しない。全ての人間が当事者となるのだ!』
どこからともなく、その言葉に賛同するように、鬨を上げる声が周囲に響き渡る。それが、映像の中のものなのか、それとも実際に彼に味方するものがすぐ近くにいるのか、そんな分別もつかないほどに映像を見ている人々の気は動転していた。
『君達にとっての悪は……君達自身で討て!不景気だの、社会の閉塞だの、国際問題だの……憎いのなら自らの手で事を下すのだ!これから我々の手によって、この国を取り巻く法と不文律は全て無に等しいものとなる!君達の意思を、あらゆる束縛から解放するっ!』
瞬間、東郷を映し出していた電光掲示板が乾いた爆発音と共に粉々に砕け散る。当然、バラバラになった金属やガラス片は無数の刃となり、ビルの真下にいた者達へと平等に降り注いだ。
刹那の静寂を挟んだ無数の悲鳴が、夜の東京の街に木霊する。
ビルの間の影から見ていた勇治は思わず飛び出しそうになるが、既に明理に首根っこを掴まれており、脚が一歩出るだけに留まる。
「あれくらいなら大した死人は出らんだろ」
「……怪我人は?」
「何のための公僕だ」
遠くから聞こえてくるサイレンの音の数からして警察も救急もフル稼働となっている。それがせめてもの救いなのだろうかと、噴火しそうになる自分の頭を押さえつけるかのように、勇治はその場に座り込んだ。
「東郷の奴はこの国そのものをを敵に回すつもりかなのかよ……!」
「そして、同時に、この国の人間を味方につけようとしている、と」
「あんなのに味方する奴なんているんですかっ!?あんなやり方で……!」
「あんなやり方だからこそ、だな。トウゴウのヤローは各自の手で各自の敵を討てなんて抜かしてやがるが、パンピーがいきなりそんなこと出来るわけねーだろ。アルク・ミラーも無しにさ」
「だったら……!」
「だとすると、考えられる方法は一つしかねーよな」
突如として聞こえてくる、爆音と、銃撃の音と、老若男女が混じった悲鳴。周囲のビルのドアや窓から、弾丸の軌跡すらもがはっきりと見えるくらいの密度の銃撃が市民へと撃ち込まれる光景。止めるには……遅すぎる。
そして、それが十数秒程続いたかと思うと、図りきったかのように銃撃はピタリと止む。
「まるで戦争、じゃ、ねーかよ……これ……!?」
「違うな、よく見てみろ。皆殺しってわけじゃねーぜ。狙っているのは一部だけだ」
妙なまでに冷静な明理の言葉のままに惨劇の現場を覗くと、彼女の言うとおり、死んでいる人間と生きている人間がその場の立ち位置で明確に分かれていた。銃撃のすぐ隣にいた人間は、返り血を浴びながらこの世のものとは思えないような表情をして腰を抜かしている。
しかし、明理の指摘の後だと、これは別の意味で奇妙な光景だった。生き残った人間が一直線に並んでいるのだ。最前列の一人ひとりの表情が楽に判別できるくらいに。
さらに間髪入れずに、銃撃が噴出した周囲のビルの2~4階から、次々に黒い物体が死体の山に投げられる。市民達はますます恐怖して数歩下がった。また手榴弾か何かか、と勇治は腕を顔の前に寄せるが、特に爆発も何もないまま十数秒。周囲を粗方確認した明理は堰を切ったように、現場へと飛び出す。
「やっぱり、な……」
全身白色装甲の人物の登場で、民衆の足はさらに数歩下がる事態となったが、そんなことお構いなしとばかりに、死体の上に投げ入れられた物の一つを拾い上げ、かちゃかちゃと弄繰り回しながら明理は呟く。周囲の様子を伺いながら慎重に後をつけてきた勇治の気配を察すると、無言のまま拾い上げたものを彼の眼前に突き出し、そして発砲した。
「うわっ……!な、何するんですか!」
「AK47、カラシニコフだ。見た感じ、安売りのパチ物臭ぇがな」
オルト・ザウエルの装甲には全く通じていないが、生身の人間には十分に殺傷力のあるものだ。明理はそう説明したげに、というか、そういう風に無理やり勇治を理解させ、発砲したての突撃銃を投げ渡す。
勇治も(あまり見たくない光景であるが)死体の山の上を見渡すと、同じような突撃銃や拳銃があちらこちらに転がっていた。
「錬装機兵が作ったものでもない、本物だし……弾もまだ入っている……」
「どうして奴等をこれを、ここに投げ捨てたんだろーな」
勇治の視線が上がる。
そこには逃げ遅れたのであろう市民達が、おずおずと困惑の目でこちらを眺めていた。将棋倒しにあったのか、まともに立って歩けない状態の人間も多く、離れたくても離れない状態なのだろう。
「……使わせるつもりだった?」
「だな」
明理は弄ぶかのように、拾った拳銃を空に向かって発砲する。周囲の市民達がさらに耳を塞ぎ、体を強張らせるさまを一通り確認すると、そのまま手の内で銃を握り潰した。
「止めてくださいよ!それに一般人がまともに銃なんて扱えるわけないでしょう!」
「仮にその辺で銃持った人間に出くわしたとして、そいつがトーシロかどうかなんて普通の人間に分かると思うか?」
「う……」
「こいつが飾りじゃなきゃぁな、持ってる奴が『偉く』て『強い』んだよ。そうでないと、お巡りさんやヤーさんを恐れる奴なんていなくなるだろ?」
そして彼等の脳裏に過ぎった最悪の事態が、ものの数分で現実のものとなる。
遠くの方から聞こえる銃声。それも散発的なもの。それに加えて、平常な精神では出すことの出来ない金切り声。東郷の口ぶりでは先程の映像は全国規模、テロも各地で起こっている。ということは、同じような状況が各地で作り出されているということ。
自分の身は自分で守れ――銃社会の根幹となる言葉だ。
「ま、まさか、東郷の狙いって……一般人に殺し合いをさせること、なんですか……!?」
「そして、それに参加しない奴は容赦なく殺すってところかな。奇襲に騙まし討ち何でもありのバトルロイヤル、群雄割拠の戦国時代的な?……まっ、詳細は本人の胸倉掴んで聞いてみねーと分かんないけどよ」
明理は皮肉めいて笑って見せると、すぐに周囲の銃を死体ごと踏みつけて破壊する。
「おら、モノホンの銃はとりあえず有限なんだろうし、とっとと全部ぶっ壊すぞ」
「…………」
「んで、次は変なことを考えている奴を木っ端微塵にする。向こうが過剰防衛を推奨するなら、こっちだって過剰抑止力で勝負だ。銃を握った人間を徹底的につるし上げて見せしめにする」
「何でこうも冷静でいられるんですか……!いや、やりますけどね!」
物量差は圧倒的。
だがそれは、黎明と日本国の関係から言っても同じこと。
ならば、自分達にも対黎明の突破口はあるはず。
明理の考えはそれこそ過剰なまでにシンプルであったが、そうでもしないと色々とやってられなかったというのが本音であった。
平和国家日本に似合わぬ、騒然となった都市の中で、長い夜が始まった。




