68.4日目①
これから起こる事態を予測していた人間は何人いたのだろう。
……取り留めのない空想の中に思い描いた者は、数多くいるかもしれない。
しかし、現実で起こりうるわけがないという考えが同居している者が大半だったのだろう。
そして、それが現実として起こり、為す術のないまま、命を失ったとしたら……
――人はそれを『油断』、あるいは『慢心』と呼ぶのだろうか。
時刻午前0時。
地上300mから放たれた一つの光が開戦の合図となった。
「なんだ……爆音!?」
「ついに仕掛けてきやがったのか!?」
明理と勇治は既に錬装化した状態で、新宿のとあるビルの屋上にいた。浩輔の考えで、近場の電話関係の通信会社を見張っていたのだ。当初は付近に怪しい人物を何名か見つけたものの、確保を行う前にその場からそそくさと立ち去られ、都会の人ごみの中に逃げられてしまった。
すぐに待機組に事情を話したが、浩輔は警戒されるのなら逆に好都合だと、その場に待機するように指示した。そんな状態からまだ数時間と経っていない。
「おい、あの燃えているものって……」
「ま、まさか……東京、タワー……!?」
勇治は目を疑った。
しかし、方角、距離、高さ、そして炎が作り出す形状的にどう考えてもそうなのだ。まさかそんなはずは、という現実否定が長いこと続いたために、状況の理解が遅れてしまう。
日本の首都、東京の象徴ともいえる建物が、赤黒い炎を吐き出しながら夜空を煌々と照らすその光景は、誰もが『もしかしたら』『どうなるんだろう』と、空想の中で思い描いたものであった。
そして、この事態を引き起こした原因が人為的なものであるとしたら、その首謀者は『狂ってる』としか表現しようがない。それも多くの人間からの賛同を得られることであろう。
「冗談、だろ……?」
「金属の塔がああもくっきり、綺麗に燃えるわけねーよなー」
「東京タワーの消灯は原則午前0時です。合図のための時間としてはキリがいい……」
「あー……ってか、何かいやーな音が聞こえてくるんだけど、あのタワー……」
元々の作りが違うと分かってていても、勇治は周囲の音に耳を研ぎ澄ます。
足元から聞こえてくる人間の喧騒とは異なる、重い、鈍い、響き、風が運ぶ空気の震動。
「――崩れるっ!?」
言葉を出すと同時に、先に勇治は駆け出していた。
あれだけの構造物が崩れたらどのような被害が起こるか……それを想像するよりも早く、脊髄反射的に行動していた。黎明の企みなど、目の前の事態が頭の隅へと追いやっていた。
明理も僅かに足元の様子を目だけで追ったが、軽い舌打ちの後、すぐに勇治の後に続く。
2人はアメコミヒーローさながらの如く、ビルからビルに飛び移り、東京タワーの方角へと一直線に向かって行く。無意識の内の全速力、そしてアルク・ミラーの性能も手伝ってか、10分足らずで現地に到着した。
そして、東京タワーの麓では、この世のものとは思えない阿鼻叫喚が渦巻いていた。
警察や救急車はサイレンの音が近づいては来ているのの、まだ現場には到着していない。徒歩とはいえ、渋滞と人ごみを無視できる勇治達の方が早かったようだ。
深夜にも関わらず、周囲は既に野次馬でごった返している。特に2人組の男女が多い気がするのは、東京タワーの消灯の瞬間をカップルで見れば云々とかいう話のせいであろう。そのことは勇治も以前学校で耳にしたことがあったので、すぐに状況を察することが出来た。
しかし、こんな状況下であっても、携帯で現場の写真を取り続けたり、実況でもやっているのかずっと携帯をいじりっぱなしの人を見ると無性に腹が立ってしまう。
「助けてぇっ!彼を助けてぇーっ!誰かぁぁぁーーー!」
「っ!?」
若い女性の悲鳴で我に帰った勇治は、すぐに声の元へと走り出す。
そこには垢抜けてはいるがまだ幼い顔つきの女性が、悲壮な表情で声を枯らし続けている姿があった。彼女は炎を吹き上げる瓦礫の方へと体を傾け、手を伸ばし続けていたが、男3人がかりで押さえつけられていた。
「誰か助けてぇっ!彼がまだあの中に入るんですっ!」
「馬鹿っ!あの火の海に近づくな!危険だっ!」
「いやっ……嫌ぁぁぁーーーっ!!」
勇治はすぐに周囲を見渡すが、彼女の他に無茶をしようとする素振りの人間はいない。爆発から崩れるまで多少の時間があったので、よっぽどのことがない限り避難は出来そうなものであったが、そんなことを愚痴っている場合ではない。
(この装甲なら……多少なら耐えられるかっ!)
勇治は女性の目が示す火の手の中へと突っ込んでいく。
炎の熱は大丈夫みたいだが、それよりも視界が火の明りと煙で視界の方が利かない。体勢を低くしながら進もうとすると瓦礫の山が邪魔になる。勇治は炎の中で使うのもどうかと思ったが、ヒートマチェットを発現させて、行く手と視界を阻む鉄骨を少しずつ崩していく。が、程なくして周囲とは僅かに異なる煙を吐き出している物体を見つけ、勇治は思わずマスク越しに口を手で覆った。
(うぅっ……この人は……いくらなんでも駄目か……!)
一目見ただけで分かる、人間の即死。その人物の上に乗っかっている鉄骨を見れば、焼死よりも先に圧死したことは明白。火事で取り残された人を助けるような場面とは全然異なる。
――助けに行く前から分かっていたはずだった。
分かってはいるのだが、何もせずにはいられなかった。
勇治はあの泣き叫ぶ女性の姿を思い出し、最悪の事態は避けなければと、瓦礫の下敷きになった遺体を何とか引きずり出し、火の手の外へと運び出した。
勇治が燃え盛る瓦礫の中から脱出した時には、ようやく警察と消防が到着したのか、消火作業の準備を進めていた。彼等は勇治の姿を見て露骨にぎょっとしていたが、先に勇治の方からずんずんと近づいて、肩に背負った遺体を救急車の目の前に降ろした。
「……お勤めご苦労様です。あの瓦礫の中に入ってみましたけど、生存者はこのとおり絶望的です。巻き込まれた人は少ないでしょうから、まずは、周りの人を遠ざけてから消火の方をお願いします」
「あ……いや……お前は一体……?」
平然と話しかけてくる全身黒尽くめの装甲の男に、消防隊員らは完全に面を食らっている。
さらに、近くから眼鏡をかけた若い警官が近寄ってきて、下目使いに恐る恐る事情を尋ね始めた。
「……あ、あの、何でこんなことになったのか、話を聞かせてくれないでしょうか?」
「見ての通り、東京タワーが何者かに爆破されたんですよ」
「いや、あんたが一番怪しいんだけど……」
「だったら、救助活動なんてしないし、こうして話しかけることもないんですよ」
「じ、じゃあ、事情はせめて署の方で……」
言葉の上ではそう言うものの、警官達は勇治から微妙に距離をとっていた。得体が知れないのも8割あるが、アルク・ミラーの装甲が見るからに熱を持っており、近づくだけで感覚的に危険と思えるくらいの熱さだったからである。
埒の明かない雰囲気になってきたので、勇治がそろそろ実力行使に出ようかと考えていたところ、警官らの後ろから、周囲の野次馬をポップコーンのようにぽんぽん跳ねさせながら白い装甲を携えた人物がやって来る。
「ひっ!お、お前は、あの、シグ・フェイスッ!?」
「知ってるなら話は早い。悪いけど今取り込んでてな。国家権力の皆さんはこの場をおさめることに専念してくれや」
「いや、だから……」
「痛い目に会いたくなかったら、とっとと人を助けろ!」
相も変わらずツッコミどころ満載であったが、腕まで振り上げての怒号に警官達は尻尾を巻いて逃げ出していく。野次馬達も明理のリアル人をちぎっては投げの光景を目の当たりにしたため、2人から半径20メートルくらいの距離を取っていた。写真は相変わらず取られまくっていたが。
「ったく……この辺りを見回ってみたが、野次馬が多くて敵かどうかも分かりやしねぇ」
「この前の霞ヶ関と同じく、近くに黎明の奴等は潜んでるんでしょうか?」
「タワーの爆破だけなら遠隔でも出来る。私等に一度やられた以上、向こうも慎重になってるはずだろうけどな」
敵が近くにいるはずなのに戦うことすら出来ない。
勇治は何とも言えないもどかしさで歯を鳴らすが、すぐにその場で一回、肩で大きく息をして自分の気持ちを収める。
「うっし、人の目が多いが、ここは一旦ずらかるぜ」
「そうですね、篠田さんたちにも連絡を取ったほうが」
「それもあるが、タワーの爆破自体も陽動って話もあるからな。とりあえずはさっきの所まで戻るぞ!」
首謀者は狂っているとしか思えない東京タワーの爆破であったが、時刻が日中でないだけまだマシだ。犠牲者も少なく、救助もすぐに諦めが付いた、すぐにその場を切り上げることが出来る。
明理と勇治は踵を返し、再び先程のビルの方へと戻ろうとその場を駆け出す。
その同時。
その瞬間を待っていたとばかりに、2人の頭上を幾重もの光の帯が走る。
続いてくる爆音、そして爆風。
2人がちょうど足を地面から離している瞬間だったので、体は簡単に浮き上がり約10メートルほど前方へと吹っ飛ばされる。さらに数メートルその場を転がり続け、勇治は手を叩きつけながら体を起こした。
「明理さんっ!」
「問題ねぇっ!私らにはこの鎧がある!だがよ……!」
爆発の元となった、後方の噴煙が徐々に晴れていく。その先の光景は……。
予想はしていた。出来る。しかし、それが視覚情報となるまで、勇治は息が、出来なかった。
そして、そして――
「やって……くれんじゃねぇか……!」
人。
倒れた人。
破れた衣服。
ちぎれた首、腕、足。
散乱する、血液、脳漿、臓物。
後ろにいた警察、消防、そして野次馬。
あの場には何人いた?100人、いや、200人か?もっとか?
そもそも、生き残りは、この中に何人いるのか?2割?1割?もっと下?
先程まで騒いでいた生物が全て、地面に出来た無数のクレーターの脇で物言わぬ物体と化していた。
「……っ!ぅぉぉおおおおぉぉぁぁーっ!」
勇治は肺の中に溜まった空気を全て搾り出すかのように咆哮する。そして瞬時に両手にナイフと銃をそれぞれ発現させ、戦闘の態勢へと入った。もっと言えば、明理はそれよりも更に速かった。光の筋が飛んで来た方向へと地面を破壊しながら突き進んでいた。
「無差別なら遠慮はいらねぇなぁっ!反省じゃねぇ!徹底的に後悔させてやるぜぇっ!」
明理の視界の先には、複数の黒い影が猛獣から逃げるように散開していく姿がはっきりと映る。加えてその常人離れした動きから錬装機兵の仕業であることは明白。適当な影の一つに狙いをつけ、徐々に距離を詰めていく。……が、明理が追い詰めていたはずの人物は、裏路地から大通りへと抜けた瞬間、忽然と姿を消してしまっていた。
「なっ……?」
ここで消えたと表現するのは正確ではないかもしれない。
明理の眼前に入って来たのは、未だなお燃え続けている東京タワーの映像を流しているビルのスクリーンと、その映像を食い入るように見続ける大勢の人々の姿。後ろから追いついた勇治も、その場に立ち尽くす明理の姿を見て、その横で足を止める。
「クソがぁっ!錬装を解除して人ごみの中に紛れやがったっ!」
足元には不自然に詰まれた砂。明理は腹いせにその山を蹴飛ばしながら、大声で吐き捨てた。
勇治も何か手がかりはないかと周囲の人間を観察してみるが、数が多すぎる。交通量もあるため、次から次へとの人の波が入れ替わってしまう。
「先日の篠田さんみたいに怪しい奴をふるいにかけることなんてことは……」
「あれもアバウトだったからな、この数だと私等が奴と同類になる」
先日の霞ヶ関の一件も実はギリギリでの勝利であったと理解すると、明理はさらに不機嫌そうに拳をビルの壁に叩き付ける。勇治もナイフと銃を砂に還し、背中をビルの壁に預けた。
「黎明の野郎共……あれは俺達への見せしめのつもりか……?」
「日本全体を巻き込むテロ、か……いよいよ本性を出してきやがったな」
「あんなのテロですらないですよ!ただの虐殺だ!」
勇治は怒りを口にしながら、手に持っていた金属製の大筒を明理に差し出す。
「こいつはRPGか……どうしたんだ、これ?」
「奴等を追っかけている途中で足に引っかかりました」
「さっきの爆発はこいつだな」
「こんなものが作れる錬装機兵がいるなんて……天北さんのレールガンも相当やばいけど……」
「……ん~?この武器はモノホンじゃないのか?」
明理は力任せに砲身を真ん中からボッキリと折り、地面に叩きつける。
「ほれ、お前やチビッ子の武器みたいに砂になったりしないだろ?」
「ほんとだ……でも折角錬装能力を持っているのにどうして……?」
「いーや、自分で作れる武器しか使わないってのが単なる思い込みだよ。アルク・ミラーだって無理に色々機能をつけると容量食うって話なんだろ?RPGは結構安いしな」
「……最初からある物を使ったほうが早いって話ですか」
それも、この銃刀法のある日本でどうやって準備するかという問題をクリアしてこその話だが。
最近は勇治も、ナイフと銃の他にもっと強力な武器が欲しかったと思う節すらあるが、普通に考えたら銃だけでも相当な脅威だ。
「だけどなー、RPGくらいじゃ私等は倒せんだろう。奴等だって分かってるはずだ」
「じゃあこの武器は……」
「対一般人用だ。トウゴウのヤローは私等には喧嘩売らないとか抜かしていやがったが、人を殺りまくる気はマンマンみたいだな」
勇治の頬に一際冷たい汗が流れる。
大通りから漏れる喧騒は、まだ他人事だと思っている人間の怖がる声だ。すぐ目と鼻の先で大勢の人間が死んだというのに、それを現実と捉える素振りも見せない。
だが、そんな人々の反応も見越していたかのように、この界隈一体のビルのスクリーン映像が電波障害にでもあったかのような不快な音を発しながら、白と黒のマーブル模様のチラつきを見せていく。チラつきが直ったかと思ったら、今度は人々が目を疑うような人物が映像に映し出されていた。
『この放送を見ている人達よ……今、この国で何が起きているか、そしてこれから何が起こるのか、私から説明しよう』
よく通る低い声、その見る者圧倒する威圧感を蓄えた精悍な顔つき。この映像を見た者の9割はこの男の名を良く知っていた。同時に、それはありえないことだと困惑していた。
表向きは既に死んでいる人物が淡々と語る姿は、人の注意を引き付けるには十分すぎた。
『私の名前は東郷烈心。そして、私が作り上げた組織、黎明が、これからの全ての事を始める』




