67.3日目
オペレーション・デイライト開始より3日目。
黎明の意図を掴めないまま2日が過ぎ、流石の浩輔も疲れを隠せずに大きな欠伸を漏らしていた。
時刻も既に夕方過ぎ、アパートに住む3人に加え、学校帰りの勇治と真織も入って、六畳一間の部屋の中は満員御礼だ。文字通り足の踏み場もない。
先日の霞ヶ関での一騒動以降、彼等の前に立ち塞がるような敵は一切現れない。そして、討って出ようにもどこを攻めようもない。あの時、大勢のマスコミの前で下手に目立つような行動をしてしまったせいで、目ぼしい場所の警備が異常なまでに厳重になってしまった。日中だというのに、数十分おきにパトカーが近くを通り過ぎる始末。囮や挑発を仕掛けようにも、目標のポイントまで近づくことすらできない。
騒ぎは確実に広がっている。しかし、自分達はどうすることも出来ない。そのもどかしさと共に時間だけが刻々と過ぎている状態であった。
「もう、先生らも大騒ぎですよ。『お前等は気にせず授業を受けてればいい』って言ってるけど、俺のクラスも今日は10人も欠席してるんです。他のクラスなんか3分の1も欠席者が出てるくらいで……」
「高校でもそうなの!?うちの大学もなんか革命だのデモだのビラ配りが凄くて、授業中も教官の話そっちのけでデイブレイクの話題で持ちきりなんだよ!」
勇治と真織の会話の通り、突如として現れた謎の検索エンジン、デイブレイクによる有史以来例を見ない、超規模情報流出事件は全国を震撼させていた。政府機関、大企業、芸能界、その他市民団体、終いには個人レベルの情報、そして悪事が白日のもとに晒されたからだ。
そして、その事件はテレビ、新聞、ラジオ、インターネット、口コミ問わず、あらゆる情報媒体で終日報道されていた。国やマスコミへも連日の抗議や対策についての電話、FAX、メールが雪崩のように押し寄せ、情報を晒された本人、情報を知り、怒りを覚えた人達によって、都心部は一時大パニックに陥ったのである。
政府関係機関及び地方自治体はひたすら今回の事件の消火活動に走っていた。現内閣府、政党、官僚の汚職事件などについては沈黙を続けている。いつもなら国会で、野党側からの現政権への厳しい追及が始まっているところであるが、今回はその野党までがターゲットとなったのである。公職選挙法違反、違法献金、賄賂云々の話は全ての政治家、役人に等しく叩きつけられたのだ。今争っても共倒れになるだけである。
中小問わず企業も、顧客情報の流出、粉飾決算など、消費者や株主から激しいクレームが飛び交っていた。社のトップの者も連日会議が続き、対応に追われていた。電話も一日中鳴り響き、通常の業務もままならない状態であった。
マスコミや芸能界も同様。こちらは政府側に批判の矛先を必死にずらそうとしていたが、それすらも凄まじい攻撃を受けていた。テレビもいつものバラエティ番組など流せる雰囲気ではない。既に収録の終わっているものだけを流し、それ以外の時間は延々とニュース番組が続いていた。
「でも、いいかげん、これが黎明の仕業って気がついている人もいるんじゃないんですか?」
「そりゃそうさ。でも、黎明の表向きの姿はただの政党だ。そして、黎明幹部の情報までも流されてしまっている」
政党としての黎明の当主、芝浦氏、そして所属議員の桐島の過去の悪事すらも、デイブレイクによって世に広められていた。当然、芝浦氏は二重の意味で世間からのバッシングと追求を受けることになってしまっている状態なのだ。
「桐島さんの悪事なんて凄いよ。ほら長野県のスキー場近くの別荘で起きた財界の要人を人質にした立て篭もり事件。当時17歳の女子高生と19歳の女子大生が強姦されたうえに殺害だって。桐島さんはこの事件の首謀者の一人なんだとさ」
浩輔がそう言って、その事件の情報をディスプレイに表示させると、勇治と真織が食いつくように画面を見始める。
「首謀者リストの中に、端島って名前もあるじゃないですか!」
「しかも、事件を止めに来たはずの東郷に一人罪を着せたぁ!?これ本当なんですか?」
「さぁね。でも、これで、東郷がこの時の事件をネタに桐島さんに近づいたって話が定説になっているみたいだ。ネット上はね」
「じゃ、じゃあ、あの時桐島さんを頼らないでよかった……ことなんですか?」
事件の概要を見た真織は放心したように呟く。
それはどうだろうかと、浩輔は微妙な表情のまま次のページを開いた。
「問題なのはその後だ。東郷は己の野心のもと、表の金の確保とコネ作りのために国会議員になるが、彼の存在を疎ましく思った端島財閥が桐島さんと結託して、彼を暗殺した……と」
「……死んでないんですよね」
「ここが重要なんだ。このデイブレイクは決して真実を語っているわけじゃない。ともすれば、自分達に都合のいい情報を流しているだけなんじゃないか」
「なるほど。こうして世論を誘導させる……ってわけですね」
「テロのための大義名分を作るってこと?」
勇治も納得したように頷くが、浩輔はそれを明確に否定するように首を横に振った。
「違うな。奴がこの程度のことで済ませるとは到底思えない」
どうしてそこまで言い切れるのか、浩輔自身もよく分からない。しかし、その確証は時が経つにつれ、彼を後押しするように少しずつ形を現していく。
つけっぱなしにしていたテレビから速報の音が流れる。画面の上には『黎明の芝浦代表、自宅で首を釣り遺体で発見される』というテロップが表示されていた。
「……これも本当なんでしょうか?」
「デイブレイクじゃなくてテレビの報道だから逆に信頼性は高いと思うけど」
念のためにテレビのチャンネルを変えたり、ネットのニュース速報でも確認してみるが、どこも同じ報道。当然といえば、当然であるが。
「自殺に見せかけて実は殺されたんじゃ?」
「問題は今そんなことをして何の意味があるのかってことなんだよな……東郷、芝浦といなくなれば次に追求されるのは……桐島さんはどうしてる?」
浩輔の質問と同時に深知がノートパソコンのキーボードを叩く。この点も以前から気になっていた部分だけに、単なる確認作業でしかない。
「桐島元総理は先日から依然として行方不明。彼の側近の秘書も同様に姿を消している」
「依然として、か」
「まさか桐島さんまで……?」
「どうかな……」
多くの不安と懸念と共に、これからどうしたものかと皆が頭を抱え込むなか、もうほんと割れたんじゃないかと思えるくらいにテーブルを叩く轟音が部屋の中に鳴り響いた。
「だーっ!いつまでもいつまでもウジウジとっ!」
明理はいきたったように大声をあげ、のっしりと立ち上がり、カーテンと共に部屋の窓を両手で全開にする。
「敵ってのはーなぁっ!そんな画面の中にはいねえんだよ!事件は液晶の中で起こるんじゃない!現場で起こるんだ!敵は家の外にいるんだよ!お前らもっと現実を見やがれ!」
明理が指を差したその先……には何もなかったが、外からはデモカーのものと思われるスピーカーから、政府と大企業への抗議の声が延々と撒き散らされていた。もちろん無許可のものらしく、すぐにパトカーのサイレンが近づいてくる。
「ほれ、とっとと外に出て敵を探すぞ。別に黎明じゃなくてもいいんだよ。今だったら、クソみたいなデマに踊らされた馬鹿が沢山いるだろうしな。仕事には困らん」
「単純明快な考え方ですね……」
「何か言ったか?ユージ」
「いや、俺も賛成ですけど」
話が早いと明理と勇治は拳を突き合わせる。頭を捻って駄目なら、脚を動かそう。基本的な考え方だが、今の状況ではそれがベターだということだ。
すぐにでも出撃しようと明理が玄関先へと向かおうとした途端、その横を浩輔が狼狽したような表情で通り過ぎ、そのまま窓の方へ体を乗り出す。
「て、敵は外に……現実を見る……そうか……!」
「んだよ、急に。引き止めようとしても私らはいくぞ?」
「待てよ、まてよ……だとしたら、次に狙ってくるのは……」
明理の声など届いていないというように、浩輔は眉間を押さえて一人考える。自らの脳裏から、次々に沸きあがってくる仮説。数秒も経たないうちに、はっとしたように向き直り、明理の名前を呼んだ。
「このデイブレイクは……情報流出のためじゃない……真の目的は、その逆だとしたら……」
「情報を流すんじゃなくて、情報を隠すってことか?」
「違う、そっちの逆じゃない。こいつの標的は、おそらく人が持っているマスメディアという概念そのものだ……!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
都内、某所。
小高い丘の上にある墓地の一角で、スーツ姿にサングラスをかけた壮年の男が佇んでいた。時間帯のせいか墓地全体に西日が当たり、男の額に薄っすらとにじむ汗を照らしていた。
汗をかくような季節ではなかったが、この男が直前まで何をしていたのかは、足元に置かれてあるバケツと雑巾、そして未開封のミネラルウォーターのペットボトルに、花が開く直前の若々しい菊と、小奇麗に整えられた墓前を見れば、大半の人はおおよそ一様な解釈をするであろう。
近くを通りすがった墓の管理者の住職が一声かけたが、簡単なやり取りの後、すぐにその場を離れていく。その表情はとても穏やかなものであった。
住職が去ってしばらくして、男の懐に軽い振動が流れる。男は上着のポケットから小型のイヤホンとマイクを取り出され、慣れた手つきでセットした。
「首尾の方はどうだ?」
『例のシグ・フェイス達が外に出たようです。タクシーを使い、どこかに向かっているものと。現在も追跡を続けております』
「ふむ、移動にタクシーを使うということは闇雲に、ということではなさそうだな。ある程度の目星をつけているか……」
物々しい言葉を発しながらも、東郷の顔は落ち着き払っていた。むしろ、この程度のことは想定内というように。無線の向こうの相手は当然ながら、それと正反対の反応である。
『東郷様、こちらの狙いが漏れたとすれば、フェイズ2の実行に一部支障が出るかと……』
「問題はない」
『ですが……その、そもそも、なぜフェイズ1の期間が3日間なのでしょうか?世の中を見回しても、どこもかしこも混乱が起きていて、かなりの効果が出ています。もっと期間を延長してもいいのではないでしょうか?そのほうがフェイズ2の効果も……』
声の若い部下も恐る恐るという感じで尋ねた様子であったが、無線の向こうから何やら怒声のようなものが聞こえ、すぐに続けて謝罪の言葉が告げられる。
「意見してくれるのは構わんよ。君は若いようだし、そういう疑問や質問はむしろ歓迎だ」
『……申し訳ございません』
東郷は墓地の外柵に体を預け、体勢を楽にする。
「戦局とは常に揺れ動くものだ。初手が上手くいったからといって、ただそのまま進むだけでは、いずれは敵に囲まれて身を滅ぼす。ならば、こちらが現在優勢であるという場合、次はどのような思考をするべきだと思う?」
『……敵がどう対抗……挽回してくるか、それを予測した上で、次の攻め手を決める、でしょうか。慎重論ではありますが』
「それは、机上での話だな。これがもし国同士の戦争ならばそれでもよいだろう。しかし、デイライトはあくまでもテロリズムだということを忘れるな」
無線機の奥からどうにも不満そうな反応が返って来る。テロリズムという言葉が気に食わないのだろう。黎明の人間、特に若者は自分達の正義を疑わない者も多い。なし崩し、というわけではなく、単に東郷という人物に惹かれて来た者も少なくないのだ。
「相手の側に立って物事を考える。確かにこれは重要だ。しかし、だ。相手が自分より遥かに優秀な人間だったらどうする?自分の想定を超える、自分が次の攻め手を決める前に先の先までの策略を用意するような、『天才的』な人物がいたらこの定石ともいえる思考法は崩れる。相手のことを考えるといっても、所詮は自分の思い込みの中の範疇だ。限界というものがある」
『は、ぁ……で、では、どうすれば?』
「君は歴史は好きか?小国が大国に挑む際、肝要なもの……それは何か分かるか?」
ここでいう小国とは黎明、大国とは日本国のことを指しているのだろう――
部下はそこまでは分かっているものの、よい答えは浮かんでこない。
「『時間』、つまりは『スピード』だ。物量に勝る相手の場合、長期戦だけは絶対に避けなければならない。資源の問題もあるだろうが、何よりも相手に考える時間を与えてしまう。それこそ、相手が凡庸な人間の集まりであろうと、勝てる見込みが大きく下がる」
『フェイズ1の期間が短いのはそのため?』
「それも一歩間違えれば、全く無意味なものになってしまうデリケートな情報テロだ。一週間という時間は混乱を拡大させる以上に、相手に対抗策を用意されてしまうリスクがある」
東郷は無線機とは別に携帯電話を取り出し、そこから流れるテレビ中継に目を通した。
「芝浦の奴がいい例だ。最後の反逆とばかりに自ら命を絶った」
『申し訳ございません。我々の監視が緩んでいたばかりに……』
表向きの黎明党首、芝浦の死は少なからずとも黎明の人間を動揺させていた。そして、遺体の近くに置かれた遺書には、彼が知る限りの黎明の実体、もちろん東郷が生きていることも書かれてあった。黎明の工作員の必死の抵抗によって、フェイズ2の開始までには世に出ることはないようになっているが。
芝浦にはデイライトの全容を伝えていないものの、彼の存在はフェイズ1の際の囮として重要な役割を果たしていたのだ。かねてから保身には定評のある男と蔑まされていた男の一世一代の抵抗に、東郷は賞賛の意味を込めて軽く黙祷する。
『大変です!インターネット上に妙な書き込みが……!』
黎明の別の部下からの無線が入り、東郷はマイクの設定をそちらの方へ移す。
「無線までしてくるとなると、相当なものだな」
『今夜から国中の通信インフラを破壊するとの声明です。これでは……』
『掲示板だけなく、電話会社、国や警察にも同様の犯行声明文を送っているようです!』
その報告を聞いた瞬間、東郷の表情に僅かな影が出来た。
体勢をさらに崩し、口元を手で軽く覆う。
「……読まれたか」
『すぐに他のガセ情報を流して撹乱してはいますが……』
「……ん?待て。先程、シグ・フェイス達が外に出たと言ったな?出たのは全員か?」
『いえ、2人だけです。例のアパートにはまだ仲間3人が残っているようです』
「ならば篠田くんの仕業だな。やってくれるものだ」
何の疑いようもなく断定する東郷に、部下も戸惑いの声を上げる。
『奴はシグ・フェイスのおまけではないのですか?』
「彼のオリジナルの経歴をよく見てみるといい。独立のパソコンにデータが入っている。デイライトのものは私が修正してあるのでな」
『はぁ……』
「しかし、この作戦はこの程度で止められるものではない。お前達はこのまま情報の撹乱を行え」
『了解しました』
部下との通信はそこで途切れる。
辺りを見回すと夕陽は半分以上沈んでおり、周囲の輪郭が辛うじて保たれている状態であった。
東郷は軽く伸びをすると、墓の前に向き直り、サングラスを外し、静かに手を合わせる。
古い墓石には『葛島家之墓』という文字が刻まれていた。
「……綺羅、もう少しだ。ユミル殿のおかげでここまで来れた。これで、お前の希望が正しいものだったのかどうかが分かる」
誰ともなしに呟く東郷の瞳の中に一瞬女性の姿が映り、はっとするかのように顔が上げられる。
周りには誰もいない。いるはずがない。
「お前という奴は……死んでも相変わらずなんだな」
サングラスをかけ直し、掃除道具を持ってその場を後にする。一般道に出る坂からは、よくも悪くも騒がしい音が撒き散らされていた。この先には大勢の人間がいるのだ。
東郷は今にも沈みきらんとしている夕陽に向かって左手を伸ばし、その陽光を完全に沈めるかのように手を握り、辺りに夜が訪れたことを確認する。
「さぁ、これから存分に闇を吐き出してもらおうか……」




