66.2日目
『……こちらデイブレイク・コントロールルーム。フェイズ1は順調に進行中』
『こちら指令本部。了解。何らかの異常が起きた際は直ちに報告せよ』
『霞ヶ関に現れたという、例のヒーロー達の処遇はいかがなさいますか?』
『フェイズ3の開始まで直接戦闘は控えよとのことだ。フェイズ2開始までは接触も禁ずる』
『既に何名か戦闘を行った者もおりますが』
『命令違反者は今後の作戦行動から外すと伝えておけ』
『了解』
二十畳はありそうな広さではあるが、窓一つない部屋。早い話が地下室。
部屋の角にある机の上に置かれた小型のスピーカーからは、男達の声が飛び交っていた。
スピーカーの隣には、いかにも風呂上りとばかりに頭にバスタオルを巻き、とっても高級そうなピンクのバスローブに身を包んだ女、メローネ。この状況を端的に言うと同じ施設内での盗聴行為なのだが、彼女はどこかつまらなさそうに頬に手を付きながら機械をいじっていた。
「ん~、おじさん達すっかり張り切っちゃってるわねー」
「それでも、シグ・フェイス達を手玉に取っているのは確かだ」
女の後ろで腕を組みながら壁に背を預けていた2メートルを超える大男、ウォーダは、メローネとは対照的に、賞賛とも取れる言葉を口にする。
「あら?力技専門の貴方は評価するの?」
「個々の戦力だけで、戦局を変えることは出来ないといういい事例だ。あのトウゴウという男の采配、作戦の前段階・準備、人員、資源を考えても、奴等だけで今の黎明の流れを止めることはまずもって不可能だろう」
「……つまり、アタシらは出番なしってこと?」
部屋の真ん中のソファーでくつろいでいた、見た目10歳そこそこにしか見えないサイドテールの栗色の髪の少女、リーンは見るからに不満そうな様子でメロンソーダを啜っていた。
「トウゴウは奴等に手を出さないと言ってるし、うちのマスターもあの様子じゃあ、な」
「むー……それじゃあ、アタシの喉笛のオトシマエはどうやってつけてくれんのよー」
リーンは先日の一件をかなり根に持っている様子であった。ホムンクルスなだけに傷の方はすぐに治すことが出来たが、しばしばあの時のことを思い出しては、いきなり吼え出すような行為を繰り返しており、ぶっちゃけ周囲の者の手を焼かせていた。
あまりにも煩いので、ウォーダもユミルかミューアに彼女の記憶を消去して貰うように頼んだことがあるが、ユミルはもったいないとだけ言って終わり、ミューアに至っては処置を行う以前に振り回されまくりで(身体能力はリーンの方が圧倒的に上)、全く手に終えない始末。
「むむむ……ムキーっ!なんか思い出したら余計イライラしてきたわ!」
「その怒りはジュースで静めてくれ」
「なによーウォーダー!アタシの仇を取ってくれないのー?」
各々の役割分担がはっきりしているだけに、事情を知らない者が傍から見ると、子供がいじめっ子への復讐のために親兄弟にすがりつく光景にしか見えない。もっと簡単に言うなら、ドラえもんにすがるのび太くんみたいなものか。「見た目は子供、頭脳は大人」が彼女のキャッチコピー(自称)らしいが、本当に頭脳以外が子供というのも困りものだ。
「リーンのことは置くにしても、そろそろマスターからの指示が欲しいところよねー」
「そうだな。特に最近は内側の方が敵が多い。マスターも気づいてはいるはずなんだが……」
黎明内部の人間の不満、というか不信。
そしてデイライトの目的も既に知らされているということもあり、主人の身の安全を護る存在としては、この状況下に居座り続けるのは得策ではない、と部下のホムンクルスたちは皆感じていた。メローネがこのようにして内部の無線を盗聴しているのも、ユミルに危害を加える指示がないか監視するためである。ちなみに彼等も逆に黎明の監視を受けているが、そのためのカメラと盗聴器は既に細工済み。こういった工作はリーンの得意分野だ。
『調製室。錬装能力の付与についてはどうか?』
『現状の成功率が8割程度です。もう少し経過を見てみないと正確な数値は分かりませんがね。どんなに低く見積もっても7割以上はキープできると思います』
『7割か……どうしても精神の変調は避けられんみたいだな』
『天北博士の作ったマインドバランサーコードのおかげで、これでも相当マシになったんですよ。端島さん家の研究結果も見せて貰いましたが、向こうのは成功率3割程度だったんですから』
黎明製の錬装機兵の話題が無線から流れると、3人の注意が一点に注がれる。生身の人間ならともかく、パワードスーツが相手となると、まともに戦えるのがウォーダに限定されるのだから当然だ。
タイミングが良いのか悪いのか、その最中にミューアが疲れたような顔をして部屋に入ってくると、テレパシーを含め、容赦のない質問攻めが彼に襲い掛かる。同時に聴くことは出来ても、同時に話すことは出来ないとごもっともなことを言いながら、ミューアは部屋のソファーに体を預けた。
「まず、驚いたのは天北博士ですね……先生とは全く違うアプローチで、賢者の石の力を解明しようとしています。僕なんかじゃとてもついていけない世界でした……」
「で、マスターは今もそいつにお熱ってワケ?」
賢者の石に喰われたと知ったあの日から、ユミルは食い入るように天北博士の観察を始めた。
そう、文字通りの観察である。
行動を邪魔することもなく、口出しをすることもなく、博士の傍に黙って座っているのである。
黎明の他の研究員が研究部屋から締め出そうとすると、彼女の手足であるルクシィがそっと遠ざける。その上で、天北博士も傍にいさせてよいと言うものだから、色々と面倒なことになっているようだ。
「アルク・ミラーの量産については?」
「希望者には手当たり次第に付与してるみたいです。それこそ節操もなく」
「マスターは止めないのか?」
アルク・ミラーの力を無闇に広めることはあってはならない――。
理由は至極単純だ。多く作れば作った分だけ、自分らの身にも危険が及ぶからである。これまでの方針がここに来ていきなり転換したものだから、ウォーダ達も不安を隠せるわけがない。
「これは、僕の主観もかなり入っているんですけど」
ミューアはどこか言葉を選ぶようにゆっくりと答え始めた。
「正直言って、黎明が今作っているアルク・ミラー……錬装機兵も不完全な部分が多いです。それこそ僕から見ても分かるくらいに」
「それはマスターが作るものと比較して……か?」
僅かに眉間の皺が緩んだウォーダの問いかけに、ミューアは微妙な向きに首を振る。
「単なるパワードスーツとして使う分には一応体裁は整っています。実際はマインドバランサーコードというもので欠陥を無理やり穴埋めしただけなんですけどね。あれのせいで粗雑な調製の仕方にも関わらず、安定して錬装能力を付与できてしまう」
「ここのおじさん達は安かろう早かろうを望んでいるんじゃないの?」
「錬装機兵の名の通り、従順な兵士を作るなら、ですね。でも、オペレーション・デイライトの目的を考えるとそれではいけないはずなんですよ」
ミューアは袖の下から一綴りの書類を取り出して、部屋の机の上に広げてみせる。
その表紙には『錬装機兵「大和」の運用について』と題されていた。
「ヤマトなんて、ここの人たちがいかにも好みそうな言葉よねー」
やや呆れながらも、メローネが十数ページほどの書類を適当にめくる。中身はパワードスーツのスペック、基本運用、応用法、その他注意書きなどが記載されており、どちらかと言うと、錬装機兵の使用者向けの取扱説明書といった内容であった。ウォーダとリーンも横から、彼女の流し読みのスピードに合わせて目を動かしていたが、ある一点でページ送りを止める手が伸びる。
「……何かおかしくない?これ」
その書類の内容に、一番初めに違和感を覚えたのはリーンであった。その言葉を待っていたかのように、ミューアがもう一冊の書類を取り出す。それは端島の研究所で開発されていた錬装機兵の性能評価報告書。以前にハッキングして入手したものだ。お目当てのページを開き、比較するかのように先程の書類と並べて机の上に置く。
「ほら、『紫電』とか言う奴よりスペック下がってんじゃん!」
「本当だな。もしかして、マインドバランサーコードという奴のせいで容量が食われたのか?」
「アマキタさんはここの人達にそう説明しているみたいですね。安定した調製のためには止むを得ないと。完全に嘘なんですが」
そう断言した後、ミューアは怪訝そうな顔で説明を続ける。
「マインドバランサーコードは、西洋医学で言うところの精神安定剤を生成するものです。自動で行うためには使用者の脳波の状態を測り続ける必要がありますが、これは応急処置装置機能の拡張で済みます。生成量も薬物なのでごく少量、コード自体は複雑ですが、決して容量を取る代物じゃないんです」
これは、ユミルの提唱する錬金術における大原則。
単純に大きな物、構造・原理が複雑な物を作ろうとするほどコードの容量を食う。武器なら大きいものほど容量が大きい。先日の光学迷彩の話だって、単純に体全体を覆う大きさの物を生成しないといけないという理由で、他の装備まで容量を回せないというわけだ。
「んー?そうなると、クスリを打たれるか自分で打つかの話で、端島のお爺さんのところと全然変わらないって事じゃない」
「本当のことを話せば、誰もあの能力を持とうとしないはずです。それを伏せてるって事は……」
「なるほど、意図的に手を抜いたものだと分かってるから、か」
天北博士の目的は、あくまでも賢者の石の力の解明。しかし、黎明が欲しいのは錬装機兵の製造法。組織の者に目を付けられないように、表向きは尽力しているというアピールを行っているだけ。それを分かっているからユミルも何も言わないでいる。ミューアの考えを総括するとこうだ。
「なるほどねー、やっぱ、あのオジサンも食えないわねー」
「賢者の石には喰われちゃってるけど」
リーンは大人っぽく軽快なジョークを飛ばしたつもりであったが、ミューアの表情が僅かに強張るのを見て、それ以上の言葉を止めた。
「その、アマキタさんのことなんですが……」
「……駄目そう?」
「どんなにもったとしても、あと数週間の命でしょうね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黎明の錬金術研究所は、先日の襲撃を受けた後、作戦司令部のある某所の地下に生き残り(と言っても、あの時あの場にいなかった者というのが正しいが)が集められ、研究を再開していた。
何しろ機密性が高いものなので、幹部クラスの人間には防音性も最高クラスの個室を与えられているのだが、それすらも超越するような驚愕の声が真夜中の地下室に響き渡る。
「な、な、な、なんじゃぁこりゃぁぁぁーーーーっ!!」
異様なハイテンションの天北博士は大量の唾を撒き散らしながら、目の前の物体に驚嘆していた。彼の侵食された左目に映っていた物は、同様に妖艶と表現する他ない異様な紅い輝きを放つ、バスケットボール大の歪な形の結晶。
「それが、賢者の石の原石……オリジナルです」
「う~~むむむ……ただただ大きい……」
その隣の椅子に座って静かに説明するユミルを前に、天北博士はしばらくの間、子供じみた感想しか述べることが出来ない。
「あなた達が持っている石は、全てこの原石から取れた欠片」
「となると、この石はこれでも年々小さくなっていってるわけで?」
当たり前の様な質問であったが、ユミルの首は横に振られた。
「黙って見ていてください」
穏やかながらも反論を許さぬ圧を備えた台詞と共に、ユミルはその原石を両手で持ち上げる。その動きからはあまり重量のようなものは感じさせない。さらに、もう一人、ユミルの後ろに控えていたルクシィがやはり無言のまま、白い灰皿のような形状の器を持ち上げられた石の下に置いた。
そこから先は沈黙。ただ、ひたすらの静寂。
ユミルは石を抱えたまま、口元を僅かに開いた状態で目を閉じる。彼女の皺くちゃの両手から薄っすらと光の象形文字が現れ、それに呼応するかのように賢者の石の原石も輝きを増した。
幻想的、を超えた超常的な光景。
最初の戒めがなくとも、天北博士は言葉を発することが出来なかった。目の前の現象を見ることだけに全神経を使え、と脳が命令でもしたかのような状態であった。
それから、どれだけの時間が経ったのか分からないが、賢者の石から漏れる光が急に激しく瞬き出す。すぐにそれは収まったが、その直後に小さな水滴音が響く。
石の下に置かれた皿に出来た、直径一センチくらいの雫。すぐに視線がユミルの手元に移る。彼女の指の隙間からは、次々に紅い液体が漏れ出していた。
液体は一滴、また一滴と皿の上に溜まっていき、次第に灰皿の中を満たしていく。
もうそろそろ皿から溢れ出すのではないか、というところで突如として賢者の石の輝きは失われ、ユミルの手からの光の文字の拡散も途切れる。
部屋の照明がルクシィの手によって明々と灯されると、天北博士も我に返ったかのように、皿の中に溜まった液体を覗き込む。
「う……これがしばらくしたら石のように固まる、と」
「はい」
「しかし、こうして見ると……まるで生き血のようだ……」
「そうでしょうね」
天北博士がまだ固まりきってない賢者の石に指を近づけると、紅い液体が突然激しい発光を始め、彼の指先へ吸い寄せられるように飛びかかろうとする。反射的に指が引っ込められると、紅い液体は重力に引き寄せられてテーブルの上に落下し、血痕のような模様を形成した。
「……いよいよもって恐ろしい代物ですなぁ」
「当然でしょう」
「今の動きからいって、こいつは私を喰おうとしてませんでしたか?」
沸騰のような現象ではなく、まるで意思を持つかのような動き。
現に既に喰われている本人を前にして、ユミルは肯定も否定もしない。
「う~んと……質問を変えましょう。まず第一に、あなたは、この賢者の石そのものに意思……悪意のようなものがあると思いますか?」
「ない、はずです」
のっけから含みのある答えに、博士は目を細める。
「……ま、問いに答えてくれただけ、よしとしましょう。続いて第二問、あなたはこの賢者の石の存在の答えを探している。我々が持っている欠片の作り方は今のでよーく分かりました」
いつの間にか事情聴取のような雰囲気になっているが、ユミルは黙って椅子に腰を下ろしていた。
「それでは、あなたはこの原石の作り方を知っていますか?作ることが出来ますか?」
「いいえ、それも含めての探求です」
「じゃあ、この石はどこかで見つけたものですか?」
「そこまではお答えできません」
博士はここまで予想通りの答えだと、わざとらしい咳払いで仕切りなおす。
「どこで見つけたのかも教えられない、ですか。ふむふむ。では、ここからは私の全くの仮説、というか直感的なものですが」
「…………?」
「あなたは、『この賢者の石を作った人間を知っている』。違いますか?」
ユミルの瞳が微かに上がる。
回答としては、それで十分であった。
「ビンゴのようですな。研究者の勘も中々のものでしょう?つっても、あなたの行動を分析した上でのものですけどね」
「……やはり、あなたは良い素養を持っている」
「そんな風に褒めてくれるのは、あなたと東郷さんくらいのもんですよ」
そんな風に言いつつも、博士の視線は後ろで控えているルクシィの方に向いていた。すぐに気づかれたようで、顔を伏せられてしまったが。
「お互い因果なものですなぁ……ま、あなたの過去を詮索するのは止めときましょう。んじゃ、第3問、これで最後です。この賢者の石によって発現するコードのことについて」
天北博士は手持ちの賢者の石の欠片を取り出し、自らの腕から光の象形文字を発する。それに連動してか、石に取り込まれた目の周りにも文字が浮かび上がっていた。
「あなたはこのコードのことを魂の情報と表現している」
「はい」
「では、お尋ねしますが、人によっては心の遺伝子とも呼ばれている『ミーム』という言葉をご存知ですか?」
「ええ」
ユミルの淡々とした答えに、博士の表情は段々と期待を含んだものになる。
「では……この『コード』と『ミーム』は同種、あるは類似したものだと思いますか?」
「いいえ、全く違うものです。似ている、というのは、その性質の一部においてだけでしょう」
天北博士の肩が軽く震え出した。
「やはり、ですかぁ。その前提がなきゃ、僕の説は立てられなかった……!」
「お聞かせ願いますか?」
「勿論ですとも。そして、ぜひ、あなたの見解をお聞かせください」
再び薄暗くなった部屋の中で、二人の談義が始まる。
天北博士は嬉々しながら、自分の命と引き換えに手に入れた持論を語り出す。
その様子にユミルもどこか満足げな笑みを浮かべていた。




