62.秒読み
東郷の訪問から更に2日後。
先日の約束どおり、浩輔たちのアパートにUSBメモリとDVDが入った茶封筒が送られてくる。差出人は書かれていないのに、これほど分かり易いものはない。早速、暴力団から巻き上げた金で買い揃えたパソコンを使って中のデータを開封してみることにした。
「おっ、このおっさん、私でも見たことがあるぜ」
「政治家も含め、意外と年配が多いな……あと外人とかも」
「金とヒマがなけりゃ、ガキ殺しの見世物なんてわざわざやんねーんだろうな」
少女強姦殺人ショーの首謀者、及びその関係者達のリストを眺めながら、浩輔はマウスを持つ手を震わせていた。東郷が送ったであろうリストは、単に名前と肩書きが表で羅列されたものではなく、恐ろしいくらいにその詳細が書かれていたのだ。
まず、参加者の一人ひとりは就活生が企業に送る履歴書の如く、ご丁寧に写真つきで、このイベントの利用回数、生年月日、経歴、住所、家族構成、趣味、果ては性癖まで記載されてる。あまりにも細かすぎて、逆に偽物じゃないかと疑うレベルだ。リストに載っている人間は軽く数百人を超え、これの一体どこが平和の国・日本なのかと、もう笑うしかない。
「次は、ショーに使われた子供のリストか……天北さん、開いていい?」
終始無言のまま、二人の間から食い入るように画面を覗いていた深知の頭が縦に揺れる。
画面にはまず、ナンバーと氏名の羅列が並べられる。が、浩輔はそれ以上は開く気にはなれなかった。
氏名の横には『処理日』なるものが記載されていたのである。とてもじゃないが、関係者と同様の履歴写真など見る気にはなれない。
「しかし、随分と歴史のある事業だな。何十年もまー、こんなものを長らく放置してたもんだ」
「事実、毎年千人以上の子供が行方不明になっているらしいですから。これでも氷山の一角なんでしょうね。まったく……」
「……お、この『篠田あかり』ってのがお前の妹か?」
「はい。処理……死亡日も合ってますね」
明理の言い方は少々無神経かもしれないが、かえってその方が浩輔の感情を立てずにいた。
画面を下にスクロールさせていくと、今度は天北深知の名前。処理日の代わりに※印で『引き取り』となっている。
「チビッ子はあのおっさんのおかげで助かったんだろうけど、他にも結構いるな。引き取り」
「……引き取り先は親や家族とは限らない」
「なるほどなー」
養子などといったものからは遠く離れているであろう事情を察しながら、浩輔は適当に他の『引き取り』された少女の記録を開く。当然のことながら、引き取った相手の名前も記入されているのだが、その苗字が『端島』だったのを見て思わず嘆息が漏れてしまった。繋がってそうなところは、しっかりと繋がっていた。
「私も、正確には端島の奴に買われてたから」
「……そうか、その対価として天北博士がスパイになり、」
「お前はあんなカッコさせられて、年寄りの世話をやらされていたんだな」
「お父さんにはまだ利用価値があったから、あれでも待遇はいい方よ」
あれより待遇が悪いとすれば、もう言葉で説明する必要はないということ。
なおも浩輔がマウスホイールで表を一番下まで下ろすと、更に呆れるような内容。
「しかも、まだ続いているっていうのがね……」
「現在のストックは14人。つまりはまだ助けられる見込みあり、と。……ここ、行ってみるか?」
明理の提案に、深知は無言ながらも、即座に賛同の目で返す。
しかし、浩輔はというと、何かが答えを詰まらせているような感覚があった。
「んだよ、またなんか文句あんのかよ」
「いや……この子らを助けるのは賛成です。だけど、東郷から得られた情報ってのがどうも……俺達が、いいように踊らされているみたいで」
明理もそれも一理ある、と今にも立ち上がろうとしていた脚を止めた。深知の方はそれでも構わないといった顔をしているが。浩輔はなるだけ慎重に言葉を選び、彼女に問いかけるように話す。
「天北さん、俺がまず思ったのは、黎明がこれだけの情報を持っていながら、何で自分達で助けにいかないのかってことだ」
「…………」
「情報の持ち主が一般人ならまだ話は分かるけど、奴等はテロじみたことを平気でやる武装集団だ。奴等にほんの少しでも大義があるのなら、こんな絶対悪は放っておけるわけがないはずだ」
「……それが?」
浩輔の意図は深知には伝わっているはずだ。だが、彼女はそれでも行くのだろう。黎明の目的がどうだとか、彼等もまた悪の片割れに過ぎないとか、そんなものは関係ない。
深知の行動原理は、ただ、自分の命を好き勝手に扱おうとした者への復讐。その一点のみ。彼女のまるで日本人形のような出で立ちは、どす黒い不気味さのみが鋭く強調されていた。
「他にないなら、地図打ち出していい?」
「……分かった。ちょっと待っててくれ」
同じくらいの年齢ではあるが、勇治と違って、全く話が通じる相手ではない。育った環境を考えると、上手い説法など思いつかない。
浩輔は早々に説得を諦め、ショーの執行場の地図を印刷する。用紙がプリンターから吐き出されると、深知は地図に目を通しながら、何も言わずにそのまま外に出て行ってしまった。
「……明理さん、彼女に付いてやってくれませんか?」
「ガキのお守りか……ま、正義のお仕事に変わりはねーからいいけどよ。お前は?」
「俺はこのデータをもうちょっと探ってみます。あと、これ。必要経費」
浩輔が厚さ1センチの諭吉の束を差し出すと、明理は鼻で笑いながら、それを受け取った。
「明日の昼飯までには戻ってくるよ」
「気をつけて」
二人の間にそれ以上の言葉はなかった。明理が外に出る姿を見送ることもないまま、浩輔はパソコンに向かって片っ端からデータを探り始める。この2日のうちにネット環境も無理やりそろえたので、調べ物には事欠かない。少し目が疲れてきたと感じたら、冷蔵庫から一本二千円の栄養ドリンクを取り出し、それを一気に飲み干す。前のマンションを追い出されてから間が空いていたので、世相は随分と様変わりしているようだ。
政党としての黎明は一気に弱体化。今や当初の見る影もなくなっていた。桐島も現在行方不明。政府を味方につけると豪語していたので、そう簡単に殺されるとは考えにくい。端島グループも跡継ぎ争いで、内部事情はかなりの修羅場と化しているようだ。
……それ以外の表向きのニュースは、良くも悪くも今までどおり。あと3日あまりで国内に大規模なテロが起こるなど夢にも思っていないだろう。いくら人に知らせようとしても、この世の中の大量の情報の渦に飲み込まれ、便所の落書き以下のものとして処理されてしまう。
東郷は、作戦を止めるのは不可能だと言っていた。明理たちの実力を相当に高く見積もってそれだというのだ。自分のような付け焼刃のスキルで何とかなるとは初めから思っていない。
が、それ以上に、そもそも自分に本当に東郷を止める意思があるのかという自分自身への疑念が、浩輔の心を焦らせていた。本人や明理達の前では批判して見せたが、東郷の台詞は非常に細い針のように浩輔の胸に突き刺さっている。動けば動くほど、僅かなはずの迷いを刺激させる。
あと、3日あまりだというのに。
奴の台詞をそのまま受け取れば、多くの死人が出るかというのに。
何も出来ないでいる、いや、何もしようとしないでいる自分を歯がゆく思うことしかできない。
ただ、待つことしかできない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「先輩?せんぱーいっ!」
透明感のある声と共に背中を揺すられ、浩輔は目を覚ました。……どうやら机の上でそのまま眠っていたらしい。寝ないことには結構慣れていると思っていたのだが、バイトを止めてから結構経つし、少し体がなまっていたのかもしれない。
浩輔は目を擦りながら、平静さを装った声で返事をする。
「あ……ああ、八瀬さんか……どうした?ていうか、どうやって入ってきたの?」
「大家さんに鍵借りたんですよ。ノックしても反応ないから心配になって」
真織の後ろを覗くと、外で大家の老人が今にも口笛を鳴らそうと唇を尖らせていた。
「いいねぇ~羨ましいねぇ~。俺もこんなお嬢さんに、毎朝起こしに来てもらいたいもんだよ」
「そこら辺は全部否定しときますけど、あまり簡単に人に鍵貸さないでくださいよ」
浩輔の文句には一切耳を貸さず、大家は下手糞な口笛を吹きながらそのまま自分の部屋に帰って行く。捨て台詞の『後は若い者同士でごゆっくり』は、浩輔にとって本当に余計な言葉であった。
「って、先輩!そうじゃないんですよ!大変なんですよ!」
「っ!どうしたっ!?また変な奴等が襲ってきたのか!?」
急に慌てふためく真織に、浩輔は反射的に腰に忍ばせてある拳銃に手をかける。
「店長が倒れちゃったんですよ!過労で!」
「て、店長……?あ、あのコンビニの……?」
「先輩も私も花田君も抜けたから、最近は本当に人手が足りなかったみたいで……」
「な、なんだ……それならまだよかった……」
敵が来たわけではないと安堵する浩輔に対して無言の平手打ちが飛んできた。真織の表情は真剣そのものだ。……人命に関わることとしては、何の違いもないのだ。
浩輔も今の一発で我に返ったかのように、彼女に謝罪する。
「お見舞い……行きましょうよ。ここ一週間以上何もないし、きっと政府の人達も色々動いてくれてるんだろうし……」
「あ、ああ……そう、だな……元はと言えば俺が一番最初に抜けたんだし」
どうにも最近、人としての真っ当な感覚まで失っていたのだろうか。長いこと、異常すぎる周囲に流されていたのかせいもしれない。ともあれ、こういう指摘をしてくれる人間がいることはありがたい……派手にぶたれた左頬を摩りながら浩輔は強く思った。
「帰ったぞコースケェッ!あぁ~くそがぁっ!」
そして、そんな矢先にドアを蹴飛ばしながら、正義のヒーローのご帰還。この空気を読んでいて、わざとそれをぶち壊しに来ているのだろうか。あまりにも異常だ、浩輔はさらに強く思った。
「ん、何で小娘がここにいるんだ?」
「こむすめって……」
「あー、別に敵に襲われたとかじゃなくて、別の話です」
「ふん、ならいいや。あー喉渇いた、クソが」
明理は乱暴に靴を脱ぎ捨てて、部屋の冷蔵庫までちゃぶ台を踏み越えながら文字通り一直線。少し遅れて、深知も苛立ちを隠せないような顔で部屋に上がり込んできた。
これでは結果は聞かずとも、というところだが、念のために確認はしておかなければならない。
「……どうでした?」
「東郷の情報、案の定古すぎんぜ。私らが向かったときは、囚われのお姫様たちはみんな仲良く腐乱死体だ」
明理は苦々しそうにペットボトル(無論2リットル)のお茶をぐびぐびと飲み始めた。それから、もう一方の手で、深知の方にも缶ジュースを投げる。彼女にしては珍しい気遣いだ。二人で共に戦っている間に、多少なりとも打ち解けることができたのだろうか。
「きゃ!?」
「……っ!?」
深知がプルタブを空けた瞬間、大量の液体が周囲に噴出する。見事に炭酸だった。
浩輔も光の速さで前言撤回した。単なる腹いせであることには変わりないようだ。
深知は悪鬼のような表情で明理を睨みつけたが、本人はそ知らぬ顔。そのまま何も言わず、畳に飛び散ったジュースを吹こうともせず、その場に座って喉を潤し始めた。
「女の子も助けられず、敵ももぬけの殻……ってところですか」
「ん」
非常に展開の早い会話に全くついていけてない真織に対して、浩輔は説明するなら今しかないと、15分ほどかけて事情を説明した。つい先日、東郷が家に来たこと、そして、あと3日後には全国規模で黎明の武装蜂起が起きること、等々諸々。
「それ最初に言ってくださいよっ!お見舞いなんかやってる場合じゃないじゃないですか!」
その清々しいまでの朝令暮改っぷりに、浩輔の脳内は更なる意識改革を求められた。
「明理さん!深知ちゃん!今こそ正義のヒーローの出番ですよっ!無敵のアルク・ミラーで何とかしてくださいよぉ~!……そうだ、勇治くんもすぐに呼ばなきゃ!」
「いや、落ち着いて、八瀬さん」
「だって完全なテロ予告でしょ!?他の人にも知らせないと!」
「……今更、誰も信じないよ」
尚も食いつこうとする真織に、明理が背後から当身を一発。一瞬にしてボロアパートに静寂が戻った。意識を失い、畳の上に寝かされる真織を見て、浩輔は呆れたように非難した。
「彼女は常人なんだから、少しは手加減してやってくださいよ」
「あんまり煩かったんでな。一晩すれば目は覚めるさ」
浩輔は今度の言い訳はどうしようかと考えながら、真織の上に気持ちばかりの毛布を着せてやる。
その隣では、深知がいつの間にかパソコンをいじっており、新しい地図がプリンターから吐き出されようとしていた。
「おいおい、まさか、今度は関係者のところに乗り込む気じゃないだろうな」
「それ以外にやることある?」
深知は先程のジュースを拭いたであろうタオルを首にかけながら、そのまま部屋を出て行こうとする。これもまた、どうせ止めても無駄だろうということで、浩輔は後ろから餞別代りに諭吉の束を放り投げてやった。小声ながら礼が返ってくるうちは、まだマシな方だろう。浩輔はそう思うことにした。
「あのガキも張り切るねぇ。昨晩からあんま寝てないんだぜ」
明理は大きな欠伸をしながら、その場に横になっていた。今日はもう閉店と言わんばかりだ。
「明理さん……そのままの状態で良いから聞いててくれます?」
「手短にな」
「分かりました。結論から言いますと、東郷も言っていたとおり、俺達の手で黎明のテロを事前に止めることは不可能です。事前に世間に知らせることも同じく」
明理から不機嫌そうな舌打ちが返ってくるが、浩輔は楽な態勢のまま話を続ける。
「東郷は事を起こす前に世の中をかき乱す必要があった……そう言ってましたよね?今考えてみると、俺達もその策略にまんまと利用されていたんですよ」
「前置きはいいから結論」
「……はい、今の世の中の人々は、感覚がどこか麻痺している状態なんです。何が起きてもおかしくないという漠然とした不安がある。だけど、そのせいで逆に何も信じなくなっている。騒ぎにかこつけた愉快犯、模倣犯も腐るほど出てきている。東郷が生きているという情報だって、検索すれば、何十万と出てきますよ。……だけど、多くの人は信じなくなっている。アルク・ミラーの件にしたって、大半の人は『単なる噂』だと、思考停止してしまっている」
「そう、か……今までの黎明は絶妙なまでに手加減をしていたってワケか?」
人は365日24時間危機管理が出来る生き物ではない。そんな状態で精神が保つわけがないからだ。どんな人間でも、気を抜く、周囲に対して無防備になる瞬間は必ず持っている。息を抜くときがある。連続して命の危険に晒された浩輔たちだってそうだったのだ。昨晩からの居眠りでそれを実感することが出来た。
「俺自身、黎明のテロも杞憂に終わるかもしれない、そう思っているところがあるんです」
「あのトウゴウの野郎ならそこを突きかねない……か」
「悲観から転じた楽観を生み出す……こう言い直せばそれっぽく聞こえますよね」
かと言って気を張りつめらせ過ぎれば、それこそ余計に精神を消耗してしまう。どのみち、相手の術中にはまっている状態なのだと、浩輔は自嘲気味に笑った。
「ふん、なら相手がツラ見せるまで適当に待っておくだけさ」
「……今はそうするしかないんですよね。でも、本当にテロが起こった場合は……」
「こっちも心置きなくぶっ潰せるさ。分かり易いくらいの『悪党』だからな」
浩輔は、明理の性格が今となっては本当に羨ましく思えた。
子供の頃描いていた、いや、大人になってもどこかに残っている『正義』とは全く別のものであるが。……これ以上頼もしいものはない。
――デイライト始動まで、あと2日。




