59.黎明
組織を脱走した桐島が、明理たちに接触した――この情報はいち早く、黎明側にも伝わる。
政府側と結託されては厄介だと焦る部下達に対し、東郷は一言「放っておけ」とだけ言った。戸惑う部下達であったが、東郷の確信めいた物言いに反論する者はいない。
表舞台から姿を消し、地下に潜った東郷はそれでも多忙な日々を送っていた。特にアルク・ミラー関係の情報については自らの目で念入りにチェックしていたため、明理たちを放置しておくのは意外に思われていた。
「他に映像は?これだけしか残っていないのか?」
「端島側の爆撃で監視カメラはほとんどやられてしまいました。一つ残っただけでもラッキーな方ですよ」
「なるほど、だが、これは問題だな」
黎明の地下施設の中の一室。東郷は4人ほどの部下と共に、錬金術研究所の廃墟で奇跡的に生き残っていた監視カメラの映像を眺めていた。気になる点がある時は、自ら機器を操作し、再生速度を調節する。そして、とある点で、彼の目がぴくりと動き、映像を止めた。
多少見切れてはいるが、錬装化した深知が武器を展開する瞬間。
「電磁加速砲、だな。こいつの武器は」
「信じられません、携行サイズのものはまだ試作段階のはず……!実戦に出した物も、生身の人間が持てるサイズではありません。あの老婆の作った化け物くらいしか扱えなかったのですよ!」
若い研究員はあの時の大男……ウォーダのことを思い出し、狼狽気味に語る。某大国でも開発され今や実用段階まで進んでいると言うレールガン。しかし、それはあくまでも要所あるいは艦船等への固定式のもの。彼等が開発しているのは、より小型で、より小回りの効くものだった。
日本の技術の粋を集め、やっとのことで完成させた試作型8号が、以前ウォーダが使っていたそれであった。それでもサイズは2メートル級。重量も大の大人4~5人がかりで何とか運べるくらい。発射可能な回数も10発程度の耐久性であった。
「この新たな錬装機兵……いや、アルク・ミラーが持っているものの形状は、我々が開発したレールガンの試作型6号に酷似しています」
「あの大男が使ったものは8号なのに、どうしてまた古いタイプのものが?」
「それを聞きたいのはこちらの方だと言いたいところですが……この試作型6号は、現在作られている物の中で最も小型化に成功しているものなんです」
「そうなると、大きな欠陥があるようだな」
「はい、銃自体の耐久性が。1発で部品が駄目になってしまうものだったので……人間でも何とか持てるほど小型ではあるのですが」
「なるほど。つまり、アルク・ミラーの装甲修復を武器に応用しているのか。上手いやり方だ」
東郷はレールガン発射直前まで映像を戻し、そこからスロー再生する。発射の直後は、確かに銃身部が肉眼でも分かるくらいにひしゃげているのが分かる。そして、そこから数秒ほどで光の文字が走って、銃身が修復される様子が克明に映っていた。
「ここから2発目。この分だと、弾の装填機構も簡略化してあるな」
「東郷様……こんなことを出来るのは一人しかいません……!」
若い研究員は歯を鳴らし、わなわなと拳を震わせながら、東郷に詰め寄る。限界まで堪えてはいるが、次の言葉は今にも喉から飛び出そうとしていた。寧ろそんな状態で留まっていられるのは、東郷への遠慮もしくは忠誠心ともいうべきか。
「トウゴウ」
そして、この事態を知ってか知らでか、あまりにもタイミングのよい来訪者。
扉が開く音と共に、一人を除いて敵意の入り混じった視線が老婆に注がれる。そして、その後ろには、いつものように言葉一つ発さないフードを深く被った少女の姿。
「……これは、ユミル殿。どうされましたか?」
「これを」
老婆は白いローブの内から、流れるような動作で薄いメモ帳を取り出す。東郷は何も言わずにそれを受け取り、始めの方からページをパラパラとめくって眺める。すぐに噴き出すかのように鼻で笑い、後ろに控えていた部下にメモ帳を手渡した。
「え、これは、端島グループ幹部の……!?いや、端島一族の居場所……!?」
「近くにいるものはこちらで始末したわ」
「後は、我々の手で……ということですか?」
「個人的な頼み事ですけど」
「とんでもない。国外に潜伏させている者にも、全員伝えるように」
東郷は頭だけで合図すると、部下の一人が慌ててメモ帳の情報を機械に打ち込み始める。
ユミルは何も言わずに近くの椅子に腰を下ろしていた。
「こちらの『デイブレイク』でも、一族の所在までは捕らえらずにいたのに、これだけの情報を……まさか本人を?」
「始末しました」
部屋の中にどよめきが起こる。しかし、その音色は驚き半分、戸惑いが半分であった。
「北海道にも何人か潜伏していたな。あそこにはちょうど森君がいるだろう。連絡を」
「……アイキはもう復帰しているのですか」
「彼自身の要望ですよ。私に会う前に飛び出して行きました」
ユミルの表情に一瞬の曇りが表れるのを、若い研究員は見逃していなかった。
この、いかにも人を心配してそうな表情は本気なのか、それともわざとなのだろうか。この老婆は得体が知れない。この表皮に、どこまでの真実があるのか分からない。
黎明の北海道支部と一度通信が取れるが、愛樹は現在任務の真っ最中だとのこと。端島の屋敷に監禁されたところをウォーダに助けられたが、黎明の基地内で目が覚めた後、すぐに近くにいた黎明の幹部から次の目標を聞き出して北海道へ向かったらしい。
『で、かれこれ二日もロクに寝ずに破壊活動ですよ。こちらとしては凄く助かってはいるんですけど……。一応、通信繋ぎましょうか?』
「頼む」
モニター越しの操作音の後、スピーカーの向こうから鬼神の如き吐息が噴出される。
『……東郷サンか、今、ちょうど一段楽したところだよ』
「先に感謝は述べておくが、少しは休んだらどうだ?」
『寝ないのは慣れてるさ』
「いつシグ・フェイスが襲ってくるか分からんぞ」
『それはヤツも同じさ。どんな状態であろうとも……戦って勝たないと意味がないじゃないか』
休むことも任務のうち……それが当たり前のことだというのに。
周囲の人間は困惑していた。東郷はこれ以上は無駄かと手短に用件だけを伝え、通信は切られた。
(アイキ……。あなたの苦しみを、あなたの求めるものを本当に理解してくれる人が現れない限り、あなたは決して救われることはないのでしょうね……)
ユミルは物憂げに自分の指にはめられた真紅の宝石を見つめていた。
賢者の石の力によって、愛樹の魂の記憶を一通り感じることはできた。しかし、いくらその心を言葉に変換して相手に伝えたところで、彼の思いは常人には到底理解出来るものではない。
「ところでユミル殿。日本にはいつまで滞在なされるのですか?」
いつの間にか眼前に立っていた東郷が含みのある言葉で尋ねる。周囲の部下達もえっと驚くような様子を見せていた。
「目にかけていた研究者も亡くなったことですし、この国で興味のあることといえば、私の調製した者たちとシグ・フェイスのみ……。その彼女には別のアプローチを考えているところです」
「研究者とは……天北君のことですか?」
「彼は私の錬金術を最もよく理解してくれました」
散々こちらの協力を断っておいて、何を言うか――。
今にも部下達から飛び出しそうな罵詈雑言を背中で抑えつけるように、東郷は少し脚を屈める。
「もうすぐ、『オペレーション・デイライト』を実行に移します。これが始まってしまうと海外への渡航も出来なくなる。日本国内もかなり危険な状態になります」
「そうなる前に国外へ出ろと?あなた達はともかく、シグ・フェイスは捨て置けませんよ?」
「彼等を倒す必要もなくなるかもしれないということです。私どもに任せていただけませんか?」
ユミルにこの作戦の内容は伝えてある……部下にはちゃんと知らされていた。だが、その上で、海外へ逃げろという提案は妙であった。国中が危険な状態になるとはいえ、それは一般人の話。黎明は作戦を実行する側だ。そうなるはずがないのだ。まるで、老婆にとっての脅威が別にあるかのような言い方だ。そう、感づかせるような言い方だ。
「……そうですね。少し考えさせてください。作戦の実行はいつごろになりますか?」
「準備が整い次第、すぐにでも。遅くとも2週間以内には行います」
「分かりました」
ユミルは後ろに控えていた少女の手を取りながら、椅子から立ち上がる。その少女はルクシィと呼ばれているのを周囲の者は聞いていた。彼女の連れている5体のホムンクルスの一人。
戦闘特化のウォーダ。諜報活動のメローネ。潜入撹乱のリーン。錬金術助手のミューア。そして、生活介助のルクシィ。ユミルは見てのとおり高齢であまり動けないため、この5体が文字通り彼女の手足となっている。黎明の人間も、大概の者は彼等の姿を知っている。特にミューアやメローネとはよく話している者も多い。ウォーダは見るからに威圧的な武人だが、別に無口と言うわけではない。リーンは人見知りが激しいが、中身は小生意気な少女だ。
ただ、目の前の少女、ルクシィだけはしゃべっている姿を見た者がいない。恐ろしいほどに無口なのだ。主人であるユミルの前ですら口を聞かない。常に白いフードを深く被っており、辛うじて除ける部分からは、生気のない目をした美少女ということしか分からない。隙を見て、興味本位でちょっかいをかけようとしても、すぐに他のホムンクルスがカバーに入る。他の4人と違い、特殊な力は有していないものの、周囲の者からは最も不気味な存在に思われていた。
「東郷様……あの老婆を……本当に放っておくのですか?」
ユミルとルクシィが部屋を出たのと同時に、部下たちは東郷に詰め寄っていた。
「錬金術の研究に関しては『あの男』がいるだろう?彼女の力を借りずとも作戦は成り立つ」
「そうではなくて!あの老婆が我々の作戦を妨害するかどうかを心配しているんです!」
部下の一人が今にも掴みかかる勢いで迫った瞬間、彼の体は宙に舞い、東郷によって地面に組み伏せられていた。途中の過程をすっ飛ばしてしまったような動きに、周囲の者は唖然とするほかない。
まともに受身を取れずに背中を打った部下は、しばらくの間苦しそうに咳き込む。だが、視線は東郷から一瞬たりとも離すことはない。逸らしたら殺される。まるで羆と対峙したかのような、彼の動物的直感がそうさせていた。
部下の呼吸が落ちつくのを見ると、東郷はゆっくりと手を放した。その表情は顔を洗ったばかりのような感じで、特に怒りの様なものは感じさせない。
「オペレーション・デイライトの目的と意味を、もう一度よく考えてみることだ。本来ならばお前達が彼女を脅威だと思うこと自体、この作戦に携わるものとしてどうかと思うがね」
東郷の言葉に部下達は何も言い返せなかった。納得こそ出来ないが、誰も反論ができないのだ。
「作戦の実行は当初の予定通りとする。支障がないなら、早めても構わん」
「は……、は?当初の予定通りですか?それでは……」
「お前達に気を使って言っているのだ。まだ何か不満があるのか?」
「いえ……それならば何も……」
地面に組み伏せられた若い部下はよろめきながらも、何とか立ち上がろうとしていた。顔全体が紅潮しており、息も荒い。顔つきは見るからに憤っているが、決して東郷の方を向けることはない。
東郷烈心という男の恐ろしさは、彼自身にある。部下達が黎明の新入りによく言っている言葉だ。強烈なカリスマ性、リーダシップ等という生易しい言葉ではない。黎明という組織の中では、文字通り彼が最強なのだ。故に、彼に反抗の意思を示すものはいない。脱走など本来ならもってのほかである。
「……ところで、東郷様。シグ・フェイス及び、敵対するアルク・ミラー2名の処置に関してはいかがなさいますか?……もちろん、デイライト実行までの話です」
頭に血が上った同僚のことを気遣ってか、他の部下が話題を変えようとする。その意図は当然東郷も理解してはいるが、場の空気を冷ますために敢えて話に乗った。
「そうだな。ここは敢えて強く命令しておくとするか。『作戦実行まで彼等には一切手を出すな』。無論、彼等に近しい人間にもだ。逆に危害を加えるような輩がいたら排除せよ」
「……まるで恩を売るかのようですね」
「こちらから喧嘩を売る必要はないからな。彼等はどこにも属さない。誰にも縛られることのない、個人の正義で成り立っている。故に政府機関などと手を組めるわけがない」
「なぜ、そう言い切れるのですか?」
部下の問いに答えることなく、東郷は無言のまま席を立ち、入り口まで向かう。ドアを開いたところで、静かに、ふっと一言呟いた。
「これから、確かめに行って来るよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黎明の地下施設の薄暗い廊下。様々な機械音が入り混じって不気味に鳴り響く様相は、さながら亡者のうめき声の如く、表の世界に受け入れられなかった者達の怨嗟と哀哭を体言していた。
そのような音には慣れ切っているが、純粋に狭く、距離の長い廊下は、この老体には鬱陶しいだけである。控えのルクシィには、人一人を持ち上げられるような力は与えていない。ただ、眉一つ動かさぬまま、老婆の体を支えるだけに留まっていた。
「……どなたか、私に御用ですか?」
ユミルは足を止め、薄暗い空間の先に向かって尋ねた。行き場のない無数の声たちの中で、ただ一つ彼女を目掛けて走る一つの鼓動があったのだ。
「……まるで、直訴でもするかのようですなぁ。くっくっく……」
廊下の先から、一人の男が姿を表す。その風体がユミルの老眼でも捉えられるくらいまで近づいてきたとき、思わず彼女は息を呑んでしまった。
「コウイチ……アマキタ……!生きていたのですか?」
「くっく……3リットルは出血したはずですけどねぇ……ご覧の通りですよ」
天北孝一は奇妙な薄ら笑いを浮かべ、左目を手で押さえながら、だらしなく壁にもたれかかった。ぼさぼさの短髪に無精髭、黒縁眼鏡にすす汚れた白衣……身なりは相変わらずだが、その様子は尋常ではないことが一目以下で分かる。
「……あなたも賢者の石を持っていましたね。死の間際に錬金術を使って自身の重傷を治したとしか考えられません」
「私が助かった話はその程度でいいんですよぉ……。問題は、そのせいで、『見なくてもいいもの』を見てしまったことだ!」
天北博士は歯をぎりぎりと鳴らしながら、右手を壁に強く叩きつける。
「まさか……知ってしまったのですか?あの子の……」
「別にあなたに恨みがあるわけじゃあないんですよ。あの子をアルク・ミラーに調製してくれなければ、彼女はあの時、間違いなく死んでいたでしょう。感謝の念が絶えません。あの子にとっては、あれでよかったんです。私と言う存在から離れて、自分の意思で自分の人生を歩んでいけるんです。そう、あれでよかったんですよ……あれで、あれで……」
博士は半ば過呼吸を起こしかけるような話し方をしつつも、その手を目から離すことはない。
「その話も、もはやどうでもいいっ!私が知りたいのは、この『賢者の石』と呼ばれるものだ!一体何なんだこれは!?私のような素人が手を出すにはちょいと闇が深すぎないかっ!?」
「…………」
「今なら……あなたの気持ちが少し分かる気がするよ……!」
「この力の本質は……」
「私は今まで大切なものを取り戻すために、この力を研究してきた!だが、違った!この石の力の本質はは全くの逆だ!一生の全てを生贄に捧げてでも掴ませようとする何かがある!」
天北博士がゆっくりと左手を下ろすと、そこからあるはずのない光が漏れる。ヒトの視覚器官からは決して発せられることのない、紅い、魔性の光。宝石のようにいく面もカットされ結晶化した紅い眼球。周囲にはドス黒い管が、粘菌のように目の周りに広がっていた。
「賢者の石と一体化……いや、喰われたのですかっ!?」
「『喰われた』。なるほど、いい表現だ。流石は錬金術の大先輩。こうなる状態も既に証明済みか」
「……いつ死んでもおかしくない状態です。足掻けば足掻くほど……死ぬ前に命を燃やそうとする意思が、その賢者の石の侵食を進めることになりますよ!」
「だから、あなたは生き続けるのですか!あらゆる犠牲を払ってでも!」
ユミルの首筋に冷たいものが流れた。
それは、理解しているから。
こうなってしまった人間にかける言葉など、何もかもが無意味だと。
「……くく、上等だ。少なくとも、賢者の石と一体化したことにより、私のコード解析能力は格段にアップしている。アルク・ミラーの調製など赤子を殺すよりも容易い。だが、所詮アルク・ミラーなど過程に過ぎない。そこまでは同じですなぁ、あなたと」
「その状態で、トウゴウに力を貸すのですか?」
「東郷さんは最高の研究開発環境を与えてくれる。それで理由は十分ですよ。それはともかくだ、この賢者の石の力の先……もし、見つけることが出来たなら、真っ先にあなたに見せてあげますよ」
「……それはなぜ?」
天北博士はユミルに歩み寄り、すれ違いざまに、耳元で囁く。
「犠牲者をこれ以上増やすこともないでしょう」
ただ一言。
彼が本心で語るときの、静かな低い声。
そして、そのまま、天北博士は通路の向こうへと立ち去っていた。
ユミルはただ、無言で立ち尽くしていた。
……どれくらいの時間がたったのか、ルクシィが彼女の肩を軽く叩くと、二人は再び亡者の叫び声が響く通路をゆっくり歩き始めた。その口元に、老婆の皮膚に似合わない不適な笑み携えながら。
「なるほど、これで、私がこの国を出る道理もなくなったということですね…………」




