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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
オペレーション・デイライト
59/112

57.銭湯

「おばあちゃん!そこに並んでるの全部一本ずつ!」


 昔ながらの住宅街の一角にある、年季の入った銭湯に威勢のいい女の声が響く。

 ここの銭湯は番台を挟んで男湯と女湯の入り口が分かれており、その女は番台側に乗り出すように福沢諭吉が描かれた紙を突き出していた。今まさに風呂上がりという感じに全身から湯気が出ており、体はバスタオルを巻きつけているだけで、胸も大きく出っ張っている。栗色の髪はいかにも雑に乾かされたようにボサボサになっているが、戦後の西洋的な美的感覚からすれば、誰もが美人と認める整った顔。おまけに女性にしてはかなりの長身であるため、番台の向こうから丸見え。

 ちょうど今まさに番台の老婆にお金を払おうとしていた薄ら禿げの土方のおっさんも、思わず鼻の下を伸ばさずにはいられない。


「お、お嬢さん……連れの子と飲むにしても多すぎない?」


 ちなみに番台側の冷蔵庫に置かれているのは、ノーマル牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、カルシウム強化低脂肪乳、グルコサミン配合の小さいやつ、飲むヨーグルト、ラムネ、子供用ビール、ヤク○トと、無駄に種類が多い上に偏ったラインナップ。どのみち万札なら冷蔵庫の中身は全部買えるのだが。


「おつりあるかなぁ……」

「釣りはいらんぜ、ばーさん。お孫さんに飴ちゃんでも買ってやれ」


 良いことを言っているつもりなのだが、やっていることは無茶苦茶。若い女は高笑いしながら、一人で全部飲み物を抱えて奥に引っ込んでいく。


「豪気だなぁ……けど、あの美人さん、どこかで見たことあるような……」

「知っているのかい?モデルさんか、タレントさんか何か?」

「いや、そんなんじゃなかったんだけどなぁ……」


 中年男はしばらく考え込むようにその場で頭を捻っていたが、ほどなくして女湯に新しい客が来ると慌てたようにその場を離れる。服を脱ごうとした時に、手に握っていた今日のスポーツ新聞の存在に気がつき、はっとして記事を開いてみるが、心当たりのあった超大手財閥会長襲撃事件の犯人の女の顔……とは、やはり別人であった。


「やっぱり気のせいか……。まぁ、逮捕されたんならこんな所にいるわけねぇよな」


 こんな風に頭を捻られること数回。往路、復路を含めると、彼女の顔にピン、とこられたのは十回近くにのぼる。新聞の効果は良くも悪くも高いものであった。

 そんな会う人達の頭のモヤモヤに気づくことなく、当の明理は呑気に牛乳の蓋を開ける。


「かぁぁーーっ!美味いっ!やっぱり風呂上りの牛乳はマジ最高っ!」


 明理は早くも一本目のノーマル牛乳を飲み干し、次なるコーヒー牛乳に手をかける。乾いたスポンジのごとく水分を吸収する彼女の姿を、同じく風呂から上がってきたばかりの真織と深知が唖然とした表情で見つめていた。


「ん?なんだお前ら。飲みたかったら自分で買え、自分で」

「それ全部一人で飲むつもりですか……?」

「うん」


 何やってんの?という真織の問いかけに対して、何言ってんの?という平行線の答えで返され、それ以上の門答が続くことはなかった。その後も明理は、周囲の視線を気にすることなく、まるでビールでも飲むかのような微妙におっさん臭い動きを繰り返していた。


「むむむむ……やっぱり、あれだから、あんなに大きくなるわけ……?」


 胸。巨乳。That's女の象徴。男の憧れ=女の憧れ。体重とのバランスも気になることだが、所詮は負け惜しみ。天地がひっくり返ろうとも、次元の壁を越えない限り巨乳は正義。

 真織は大学の巨乳の知り合いを思い出し、一人脳内で地団太を踏んでいた。

 服の上からでも分かるその胸は、男女問わずいつも羨望の的。『もぉー肩がこってぇ、ブラのサイズもないし、男の視線も気になるしぃ』と、その娘は巨乳なりの悩みを愚痴っていたが、同じ女にとっては嫌味以外の何物でもない。真織も決して貧ではなく、標準くらいはあるのだが、隣の芝はなんとやら。自分より優れたモノを持つ相手に対しては恨めしさを隠せずにはいられない。

 ちなみに隣にいた深知はさらに殺伐とした眼で明理を見ていた。表情はやや陰りが見られる程度だが、どことなく人より多い湯気、口元も今にも舌打ちしそうな横に広がっている。


「み、深知ちゃんはまだ大丈夫よ!まだ小学生なんだし、まだまだ全然これから……!」

「15ですけど」


 致命的な地雷を踏み抜き、真織はその場で固まる。慌ててフォローの台詞を考えようとするが、そもそもフォローのつもりの言葉が起爆剤ゆえに、そう簡単に次々と出てくるわけがない。

 深知はそんな状態の真織の方を見向きもせずに、一人でトコトコと番台の方へ向かう。


「牛乳を。……二つ」

「はい、どうぞ。お嬢ちゃん、この辺じゃ見ない顔だねぇ。どこの小学校に通っているの?私にもあなたと同じくらいの10歳の孫がいてねぇ」


 当然のことながら、その質問に答えようとする態度は微塵も見せない。寧ろ聞こえてすらいないように、すたすたと脱衣所まで戻り、乱暴に瓶の蓋が剥がされる。一本目は喉の渇きと共に一気に飲み干され、対抗するかのように二本目へと突入する。


「深知ちゃ~ん、無理しちゃだめだよー。お腹壊すよ~?」

「ふぃーっ。喉も潤ったし、早く帰って飯食おうぜ」

「こっちはもう全部飲んでるし!どうなってるんですかその体!」


 明理は大量の空き瓶を抱えて、ごとごとと返却口に投げ捨てる。その脇では、深知が二本目の半分を飲んだところでやや苦しそうな表情をしていた。明理が残りの牛乳に手を伸ばそうとするが、風切り音が出るくらいの素早い反転でかわされる。

 明理はけらけらと笑いながら、ドライヤーの置かれてある洗面台へと向かって行き、それに続くように、真織が彼女の後ろにずい、と詰め寄る。


「あ、か、り、さんっ!」

「どうした小娘?」

「真織です!いい加減覚えてください!……じゃなくて、あの子のことなんですけど」

「まるで昼休みまで給食を食べさせられている小学生だな」

「あーあー……」


 この会話の繋がらなさ。というか繋ぐ気のなさ。おまけにドライヤーも出力全開。

 早くも心労を覚えつつも、真織は気を静めながら、後ろに聞こえないように小声で問いただす。


「なんであんなに平然としてられるんですか、あの子っ!?つい昨日お父さんが目の前で殺されたんでしょ!?最初無理しているのかなって思ってたけど、なんか凄く自然で子供っぽくて、ちょっと可愛いなって思うところまで行っちゃったり!」

「うざそうなおっさんだったからなー。寧ろ死んでせいせいしてんじゃねーの?」

「で、も……!流石に自分の……家族なんでしょ?」

「一応あれで15だろー?15って言ったら、ほら、夜中に盗んだバイクで走り出したり、学校の窓ガラスを全部叩き割るようなくらいの歳じゃねーか。親父の死でピーピー泣くようなもんでもないって」


 尾崎豊の一ファンとして酷く侮辱されたような気分になったが、真織は念のため一度後ろを振り向く。深知は少しずつ、少しずつ、残りの牛乳を飲んでいるようだ。


「他に身寄りもないみたいだし、あの子。これからどうするんだろう……」

「私等と一緒に正義のヒーローやるに決まってんじゃねーか」

「ああぁーー……」

「まぁ、それよりもよ、私があのチビッ子のことで気になってんのは……」


 明理はドライヤーの電源を切り、後ろを向いて深知の方をピシリと指差した。


「あの二の腕んとこのテープ。パッと見じゃあ分かんないだろけど」

「テープ……?あ、ほんとだ」


 真織もよく目を凝らして見ると、深知の右腕の二の腕、肩に近い方に幅8センチほどの肌色のテープのようなものが貼ってある事に気づく。湿布にしては周りから分からないくらい薄すぎるし、風呂に入るときも外すような素振りは一切見せなかった。


「あれって……まさか、タトゥーとかを隠すテープ……かな?」

「そう思うだろ?いやぁ、気になるなぁ」

「まさか剥がす気ですかっ!?」

「うん」


 明理は好奇心をそそられる子供の様な眼で椅子から立ち上がる。


「いや、変に詮索するのは止めましょうよ!」

「怪我の方はあの金髪のガキが粗方治したっていうし、となると九割方刺青だな……」

「わざわざ確かめなくても……」

「刺青がどうとかいう問題じゃない。柄が気になるんだ」

「ひっど!」


 真織は必死に止めようとするが、簡単に腕を捻られその場で悶絶する。

 明理はわざと足音を立てて近づき、牛乳瓶を覗き込む振りをする。深知もなんとか二本目も飲み干したようで、軽く目を合わせると、余計な心配だと言わんばかりに牛乳瓶を回収箱に置こうとした。

 その刹那、明理が素早く彼女のテープを剥がす。深知は左利き、つまり左手で牛乳瓶を置こうとして、右腕が近い位置にあったことも幸いした。当然、予測されたことながら、深知はただならぬ反応でその場を飛びのき、右腕を押さえて身構える。


「ふーん」

「……っ!」


 同じく(捻られた痛みで)腕を押さえながら、真織がよろよろと立ち上がるが、その視線の先では両者一歩も譲らない睨み合いが続いていた。……もっとも、深知が一方的に殺気を発しているだけなのではあるが。相当癇に触ってしまったのか、彼女の右腕に光の文字まで浮かび上がってくる始末であったが、明理は鼻で笑いながら、剥がしたテープを放り投げて相手に返す。


「ま、今のお前なら、別に隠す必要もないんじゃないか?」

「……黙れ」


 深知は押し殺したような唸り声で、さらに明理を威嚇する。対する明理は未だ余裕の面持ちを崩していない。単に素直に謝ることが出来ない人種なのかもしれない、とも真織は感じていた。


「怒る相手が違うだろうがよ。怒りはそれを付けた奴にぶつけな」

「……一々言わなくていい」


 珍しく明理が引く形で膠着状態が解け、両者とも無言で服を着る作業に取り掛かる。

 真織はどちらに声をかけようか迷ったが、先程の深知の少女らしからぬ殺気もあってか、明理に自然な感じでこっそりと耳打ちした。


「な、何があったんですか?あのテープの下」

「358」

「へ?」


 意味が分からない様子の真織そっちのけで、明理はそそくさと昨日買ったばかりの新品の服を取り出す。本当に買って開けたばかりなので、値札さえ取れていなかったが、何のこともなく極当たり前のように指で値札の紐を引きちぎっていく。


「数字だよ数字。ありゃ刺青じゃなくて、焼ゴテかな。事情はコースケが詳しそうだから帰って聞くさ」

「は……は?」


 余計に事情が分からなくなっていた真織を差し置いて、明理は店を出ていく。それに引き続いて、着替え終わった深知もすたすたと無言で店を出た。真織は慌てて二人の後を追おうとするが、まだ自分が下着姿だということに気づき、反転、ロッカーへ。


「うわ、しかもこっちもまだ値札付いてるし!明理さーん!待ってー!これ取ってー!」


 真織は泣き言を言いながら、応急的に紙の部分だけをちぎって、店を飛び出す。そのまま来た方向を逆に走るが、既に二人の姿はない。『いくらなんでも薄情すぎる』『あ、でも、あの二人なら仕方ないかも』と、深夜の信号の如く思考が点滅しながら駆け出そうとする……が、間髪いれずに脇の路地から黒い影が彼女の前に立ち塞がる。


「すみません!お尋ねしたいことがっ!」

「きゃぁっ!?」

 

 既に初速がかかっていた段階であったため、飛び出してきた人物と衝突してしまう。体重差で思いっきり跳ね返って尻餅をついた真織に、目の前のスーツ姿の若い男は慌てたように手を差し出す。

 若く……はないかもしれないが、中年とも呼べない顔だ。働き盛り、と思えるくらいの適度に締まりのある顔。髪型も服装も整っている。着こなしが出来ているだけに、戻りも早いようであった。


「すみません。急に飛び出してきて……」

「いたた……」

「あの、八瀬真織さん、ですよね?先日、誘拐事件に巻き込まれた……」

「だったら何ですか……?ていうか、あなた誰ですかっ!?」


 真織は下手に動く大声を上げるぞと言わんばかりに、露骨に警戒の意思を見せるが、男は軽く両手を振り、スーツの胸ポケットから名刺のようなものを取り出す。


「怪しい者ではありません。私はこういうもので……ふぶっ?」

「早速来やがったな新たなる敵ぃっ!」


 『何はともあれ先手必勝。相手が一瞬でも怪しい動きを見せたら、悪・即・斬の意気で行く。これが正義のヒーローたるものの心構えだ』

 常時内戦地帯に突入しているかのように、風呂の中で侃侃と語っていた明理であったが、まさに有限実行。というか、狙い済ましたかのような待ち伏せ。

 どうやって上空から降ってきたのかはともかくとして、スーツ姿の男はあっさりと地面に組み伏せられてしまう。更にすかさず現れた深知が、非常に慣れた手つきで男のボディチェックを行う。


「へっへっへ、なーんか後をつけられてた気がしてたんだが、大当たりだな。どうだチビッ子?」

「チビッ子じゃない。……凶器は持ってない。とりあえずは携帯と財布」


 深知は財布を取り出すと中身を地面にぶちまけ、カードの類をチェック。一番手っ取り早い免許証に目を付ける。ついでに万札が5枚以上は入っており、結構な身分の様子だ。


柏原憲治かしはらけんじ。34歳。あと住所も載ってる」

「よっしゃ、次はそこに殴り込みだな。その前に一応聞いておくが、お前は一体何者だっ!?」

「……あの、公設秘書って書いてあるんですけど。名刺に」


 戦争開始の流れに水を差すかのように、真織が男が渡そうとしていた名刺を差し出す。勿論そこにも名前と住所、電話番号が書いてあった。深知は無言のままそれを奪い取り、免許証の内容と見比べる。

 

「免許証と住所が違う。こっちは事務所みたい」

「よーし、ならば事務所の方からカチコミだぁっ!」

「いや、だから公設秘書って書いてあるでしょ!どっかの議員さんの秘書なんですよこの人!」

「ほう、ということは政治家がらみか。上等だ!」

「やだやだやだ!国なんて敵に回したくないですよ!」


 真織は胃に穴が空くくらいの酸の生成を、喚き散らすことで抑制している状態である。

 その脇では深知が、携帯の角で男のこめかみをぐりぐりと押さえつけていた。


「ところで、どの議員なの?あんたに命令したのは」

「き、桐島……元総理の桐島先生……です……!」

「お、つーことは黎明幹部じゃねーか!思わぬ大魚だな!」

「そ、そうじゃなくて、桐島先生は既に黎明から抜けています……」

「あ?」

「あの組織から脱走して……今追われている状態なのです……!ですから、あなた達に助けを求めようと……」


 柏原の頭を押さえつける手が緩められる。

 相変わらず明理が馬乗りになっている状態だが、話しをすることは許された。


「……はん。事情はともかく、お前じゃあ話にならねーな。主人を呼べ、主人を」

「は……はい、ぜひとも……」

「ただし!前の端島のジジイの件もあるからな。場所と時刻はこっちで指定させて貰うぜ。……小娘、こいつの番号控えとけ」

「えー……」

「今、携帯はお前しか持ってねーだろ」


 ひとまずは柏原の携帯の番号を控え、明日には落ち合うと約束し、彼を解放する。

 詳細な場所と時間は帰ってから皆で話し合って決めればいいと、随分とまともな意見が飛び出したが、まずはあの霜降り肉を食べなければ始まらないとの締めの言葉に、真織の胃はさらに締め付けられることになってしまった。



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