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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
怨嗟と願望の中で
57/112

55.断罪

 この世には二通りの人間が存在する。

 『支配する者』と『支配される者』。

 その男は、いや、その一族に生まれたものは、何時の時代も支配する者であった。

 ……その、はずであった。


「ぐ……ぅ……」


 一体何が狂わせてしまったのか?どこから狂ってしまったのか?

 あの日、手塩にかけて、金もかけて育てた息子が過ちを犯した日。

 いや、過ちなどいくらでも揉み消せたのだ。死んでしまったのが不味かった。

 自分の息子を殺した原因……奴だ。あの男だ。あの時逃してなければ……。どうせどこかで野垂れ死ぬだろうと忘却してなかったら……。こんなことには、ならなかった。


「お、の、れ……!」


 全身が熱い。

 空気が焼けるように熱い。呼吸も最小限にしか出来ない。……だが、生きている。助かったのだ。あの絶望的事態から。自分は、やはり生かされている。この世界に、生きるべき存在なのだ


「くっ……!」


 若かりし頃には『訓練』と称されて相当に体を鍛えていたはずだが、押し寄せる老化の波には抗えない。だが、絶体絶命の危機に対しては、いくら歳を重ねたとしても自信がある。

 端島は体を地面に伏したまま、ひたすら横に転がり続け、その先にある一本の杉の木に手を掛ける。周囲の空気がようやくまともな呼吸が出来るような状態になると、地面に両手をついて体を起こし、そのまま背中を木に預けた。

 彼の眼前では、夕陽に照らされて一段と赤く映える炎とドス黒い煙がもうもうと渦巻いていた。

 その根元にあるのは一台の戦闘ヘリ……だったもの。前面のガラスはほとんど砕け散っている。操縦士の姿は見えない。あの時、ヘリの異常な揺れと共に、男の腸が前の計器にばら撒かれた瞬間が嫌というほど目に焼きついていた。そして、ドアの付近には頭から血を流した女性がぐったりとしており、次第に周囲の炎の渦に飲み込まれていく。

 端島は自分のポケットの中をまさぐり、携帯電話を取り出す。普段は滅多に使うことはないが、問題なく起動することが分かり、一先ずは安堵する。まずは通話を、と思ったが、炎が徐々に燃え広がっているため、周囲の熱は段々と増してきており、無理に声を出すと喉がやられてしまうと判断する。

 皺くちゃの手で素早くパスを入力し、緊急用の発信機能を起動させ、近くの木に手をつきながら、おぼつかない足取りでその場を離れた。


(奴等は私を確実に仕留めたか確めに来るだろう……まずは、ここから距離を取らねば……)


 芳しくない状態が続いているが、鬱蒼と下草の生い茂る森の姿に気づくと、これが不幸中の幸いかと端島は態勢をさらに低くする。辺りが急に斜面になり、思いがけず尻をつきながら5メートルほど滑り落ちてしまうが、周囲の視界と冷たい空気を確認し一息つく。


「なるほど、ここならしばらくは身を隠せるでしょうね」


 不意打ちとも言える声に、落ち着けたはずの心臓の鼓動が再び跳ね上がる。

 声の主はすぐ目の前にいたのだ。何故気づかなかったのか?自分が隠れようとするあまり、相手の姿に気づかなかったなんてあまりにも笑い種だ。

 反射的に護身用の拳銃に手をかけてしまうが、目の前の人物を見て、それこそ本能的に銃を握る手を止めてしまう。


「き、さまは……!」


 全身に白いローブを纏い、幾重もの皺が刻まれた顔。日本人とは根本から異なる、青白い瞳と高い鼻。目尻は垂れ下がっているものの、どこか老人らしからぬ鋭さを持つその目つき。

 端島は一目見て確信した。話に聞いた人物で該当するのは一人しかいない。


「まずは、はじめまして。そして、ようやく会えましたね、ハシマ・リョウゾウ」


 老婆は物腰柔らかに挨拶する。

 端島が次に何を言おうとしていたのか。それは本人にもよく分からなかった。ただ、銃弾より先に相手へ返す言葉を出そうとした瞬間、彼の眼前に楕円形の真紅の石が突きつけられる。


「言葉は必要ありません。全てこちらから読ませていただきます」


 端島の視界に光の文字が流れたかと思うと、一瞬にして全身が脱力し、そのまま上半身が後ろへと倒れ、目だけが見開かれたまま、無防備な仰向けの状態となる。

 ――賢者の石。

 端島も手にしたことはあったが、その時は歪な形の気味の悪い色をした石としか思っていなかった。しかしながら、ユミルの中指にはめられたそれは、まるで指輪のような意匠。凹凸なく加工され、紛れもなく宝石のような輝きを放っている。

 頭の中に液体のようなものが流れる感覚。脳の皺、脳神経、細胞の一つ一つを舐め回すかのように、浸透していき、耐え難いほどの不快感が端島を襲う。


「なるほど。あなたはこの錬金術の力、原理そのものは全く理解していなかったのですね」

(そんなことは……研究者どもがやる仕事だ……)

「でも、アルク・ミラーの力を利用したのでしょう?そして、何人もの人々を薬漬けにして洗脳した。まるで子供に麻薬と小銃を持たせてしまったみたい」

(挑発しているつもりか?)

「いいえ、寧ろ少し安心したのですよ」


 笑み混じりの声ではあるが、微かにトーンが低い。その奥に潜む意思……曲がりなりにも、これまで幾人もの人間に命を狙われ続けた老人に捉えられないことはなかった。


(……ふん、私を殺す気か?)

「ええ、ただで済ませるつもりはないわ。あなたの記憶を他にも探ってみたけど」

(どうせ老い先短い身だ。貴様らを始末できなかったのは心残りだが……)


 『死は恐れていない』。『覚悟は出来ている』。

 ユミルが読み取ったコードにはその二つの意思が確かに強く感じられた。

 敗北が即ち死の世界は十二分に経験済みだということ。端島も死に際は心得ていた。


(その石の力で私の心を探ったのだろう?ならば、いっそのこと、ここで舌を噛み切っても……)

「残念だけど、貴方のような人は何人も見ているのよ」


 端島の最後の抵抗を踏みつけるかのごとく、ユミルが強い語気を叩きつける。先程までの柔和な様子が一変し、目の前の人間など取るに足らない存在だと、そう思い知らせるくらいに影のある表情。瞳から人間の生気が消え、まるで別次元の存在、死神かと見まごうようなドス黒い笑み。


「ルクシィ、用意しなさい」


 返事もなく、後の茂みからもう一つの影が現れる。ユミルと同様に全身白いローブを纏っている人物。体格は腰の曲がっているユミルとも大差ない。僅かに覗かせる肌と顔の陰影から、子供……少女だろうか。ともかく、顔の全容はフードに隠れていてよく見えない。背中に何か背負っていたようだが、直後に、どさり、と背中の荷が地面に下ろされる。

 それは途上国でよく使われてそうな、丈夫な麻袋のような外見であった。音からしても結構な重量であると分かる。袋全体に赤い染みが出来ており、密封性とは無縁の繊維の隙間からは鼻を突くような生臭さを漂わせていた。


「人は何のために生きるのか」


 突如、ユミルが詩を読むかのように呟く。

 目の前の相手の答えは始めから求めていないと、さらに言葉を続けた。


「このような質問をすると返って来る反応は大きく二つ。一つは思索しながら自分の理想を語るもの。もう一つは質問そのものが馬鹿馬鹿しいと、生物の理を説くもの……」


 ユミルは右手を麻袋の中に入れ、ゆっくりと弄るように動かす。そして、ふっと笑いながら中のものを取り出し、端島の胸元に放り投げた。


「その両方を砕けば、絶望を与えることなど実に簡単」


 端島は息を呑んでいた。今、自分の体の上に乗っているものは……首。人の生首。まだ、子供の頭部。赤黒い血。瞳孔が開ききった眼。だらりと垂れ下がった口元。いや、状態はこの際どうでもよかった。それよりも、その人物が問題であった。


「クルシマ・ハヤト……あなたの四番目の娘の息子さん。14歳。イギリスのケンブリッジに留学中。あなたのお孫さんの中でも、とびきり出来のよい子だったようね」

(なぜ……ここに……!?)

「自分の身を護ろうとするあまり、家族には注意が行ってなかったのかしら?」


 口元を震わせる端島の上に、さらにその母親……二番目の娘と娘婿の首が投げ出される。


(読めたぞ……い、一族を……皆殺しにしようというのか……!)

「いいえ、『しよう』ではない」


 端島の首が感覚がまた少し戻り、顔がさらに上がるようになる。同時に周囲にごとごととモノが転がる音。僅かな予想はあった。それでも確かめずにはいられなかった。……そして、後悔した。


「既に九割九分『終わった』のよ」


 首。首。首。生首。死人。息子の。娘の。親戚の。従兄弟の。甥の。孫の。僅かな血の繋がりを含むその全ての。端島が知りうる限りの一族全ての、死骸。

 一族だけではない、自分の腹心、側近、優秀な部下。その家族に至るまでの、骸。


「あなたの生の痕跡は一片たりとも次世代には残さない。端島グループも今頃、黎明の人たちに乗っ取られていることでしょうね」


 端島は声を出せないまま慟哭する。生首に手を伸ばすと、冷たく、硬い皮膚の感触。確かな重量。持ち上げようとするとだらりと垂れ下がる顎。

 思わず舌を噛もうとする。だが、顎すらもまともに力が入らなくなっており、舌に切り込みは入るものの噛み切ることは出来ない。舌から溢れる血を処理することもできずに、か弱くむせてしまう。


「勝てば官軍、負ければ賊軍……あなた自身も信奉していた言葉でしょう?あなたは負けたのよ。あなたが苦心して作り上げた功績は闇に葬られ、その代償としての罪が残り続ける。近代史には単なる犯罪者としてしか扱われない」

(そんな……そんな馬鹿なことが……!)

「そもそも今、黎明の人たちがやろうとしているのはそういうことなのよ。気づいていなかった?あなたは真っ先に彼等の対象ターゲットとなる存在。残念だったわね」


 冗談ではない。これは夢だ。幻だ。

 脳内の必死の否定を塗りつぶすかのように、意識は不思議と覚醒していく。さらにユミルは端島の額に手を当てる。ここまで来ると、彼女の一挙一動に恐怖を覚えるようになっていた。

 

「助けは既に呼んでいるのでしょう?……安心しなさい、殺しはしないから」


 端島の額から、光の文字がさらに浮き上がり、ユミルの手へと抜き取られる。


「記憶と、意識だけは残しておいてあげるわ。それ以外の生命活動に関するコードは抜き取らせてもらう」

(な、に……!)


 体から、次々に光の文字が抜き取られ、端島の瞼が次第に下がっていく。自分の中で何かが次々に消えていく感覚。それでも、意識は眠りに落ちることはなく、さらに冴えていく。

 緊張。意識が、感覚が、身構えるあまりこうも研ぎ澄まされているのに。

 手が、足が、口が、体が、動かなくなっていく。動かし方を、忘れていく。赤ん坊の頃に、親の見よう見まねで体を動かし、まだ物心付く前に習得した、身体の駆動の術を。

 築き上げたものが、消されていく。


「未来までは奪いはしないわ。頑張って訓練すれば、体を動かせるようになるから」


 全てを分かったうえで、この言葉。

 生暖かい言葉がさらに相手の煮えくり返った腸をつつくように投げかけられる。


(……殺せっ!こんな無様な姿……!)

「死んだ家族のためにも頑張って生きてちょうだい。寿命で死ぬまでには口を動かせるようになるといいわね」

(ふざけるなぁっ!殺せぇっ!殺せぇーーっ!!)


 いくら激昂しようとも、動かせるのは自分の意思のみ。

 抵抗しようにも手足は動かない。文句を言おうにも声が出ない。自殺しようにも顎は動かない。

 有無を言わさず惰性的に生かされるだけの、哀れな肉塊。

 ユミルはそれ以上は何も言わずに立ち去っていく。端島は彼女が離れたのかどうかすらも確信を持てないまま、その場に転がるほかなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その十数分後、端島の呼んだ救助隊が到着する。彼らは実に優秀であった。

 錬金術研究所襲撃の報を聞いて飛んで来た黎明の部隊を上手く避け、端島を回収後、素早く大学病院のICUへ移送、適切な措置により老人は一命を取り留める。

 だが、その容態については医者も完全にお手上げ状態。

 病室にグループの側近が集まり、担当医を問い詰めていた。


「会長の容態は?どうにかならないんですか?」

「お体の方は全く異常がないものですから、手の施しようがないんです。」

「だったら、脳の問題じゃないのか?脳外科医の見解は!?」

「残念ながら、現在の医学ではどうにもなりません。時々声らしきものを発しているので、脳死状態でもなく、もしかすると意識がある可能性が……」

「あんな状態で意識もへったくれもあるか!」


 側近の一人が担当医たちに怒鳴り散らすが、返って来るのは結局同じ答えのみ。

 端島グループ……事実上の財閥の総帥が危篤状態になったのだから、当然のことながら、跡継ぎの問題が出てくる。順当に行けば彼の一族なのだが、連絡は取れたものの、姿を表すことは一向になく、実力・権力的な跡継ぎも、ここ数日で次々に姿を消してしまう始末。

 舵取りを失った財閥。畳み掛けるように広がる噂。黎明に関わってしまったから、こういうことになってしまった、と。威勢よく名乗りを上げた幾人かの跡継ぎ候補も、急に黎明との融和路線を唱えだし、周囲から猛反発を喰らう始末。

 端島が倒れてから一週間、グループ内は革命でも起きたかのように混乱し、株価の凄まじい暴落を引き起こす。この異常事態の原因を報道するか否かでもまた論議が起こり、さらに内部の亀裂を作り出していった。


「うー」

「……あっ、また何か言おうとしてますよ」

「ほっといていいですよ……どうせ元に戻りはしないから」

「でも先生はまだ意識があるって……」

 

 病室内に赤子のような呻き声が響く。

 その隣では、容態確認のため病室に残された若い秘書風の男と、中年の女性看護師とのやり取り。老人の耳には勿論届いていた。


「ぁー」

「どうせボケですよボケ。……あーあ、総理大臣にも匹敵する権力持ってるって人が、こんな無様な姿になって、ションベンも垂れ流しで……」

「歳を取ったらあなたもこうなるんですよ!失礼なこと言わないの!」

「はいはい」


 男は言葉の上では謝罪するが、わざとらしく溜息をついて見せ、そのまま椅子に座って雑誌を開く。看護師は点滴と呼吸器のチェックを行ってから、男を念入りに注意し、病室を出た。

 ベッドの傍には各方面からのお見舞い品が大量に届いているが、当の本人がこの状態では単なる障害物にしかならない。男はどうせ腐らすぐらいならと、見舞い品の高級そうなメロンを取り出し、ナイフで適当に等分してからかぶりつく。

 喉が潤うと、いつもの儀式と言わんばかりに、端島の耳元に近づいて囁いた。


「会長~いつまで生きてるんですか~?後進のためにも、とっととくたばって下さいよ~。ウンコばっか垂れ流していないでさ~」


 当然のことながら返事は返って来ない。男はつまらなさそうに鼻を鳴らしながら椅子に戻り、今度は小さく切り分けたメロンをつまみながら、雑誌を読み始めた。


「ぉー」

「ん?」

「ぇー」

「はいはい。赤ん坊かっての」


 老人の声はもう人には届かなかった。

 あらゆる感情が、形になることもなく。


(殺せ、殺せっ!早く私を殺せっ!そして貴様もだ!誰かっ!殺せぇ……!)


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