52.窮鼠
地下の様子は、上空のヘリの中にいる端島にも通信で伝わっていた。
老人の目の前の席には携帯端末が取り付けられており、そこから中の映像がはっきりと映し出されている。勇治の存在は完全に計算外であったが、物量で勝る自分の部隊に決して太刀打ちは出来ない。ふさふさの白い眉に完全に隠れた目が、彼の上機嫌を物語っていた。
その隣からヘッドフォンをつけたスーツ姿の妙齢の女性が、葉巻を取り出して老人の口へと運ぶ。
「いかがいたしましょうか、会長」
「決まっている、娘は殺せ。ただし、奴の目の前でしっかり仕置きするようにな」
「次のスケジュールもありますので、あまり長居はできませんが」
「いやいや、君にも見て欲しいのだよ。私に刃向かうとどうなるのかを」
端島の秘書は、一瞬言葉の意味を捉えられなかった……が、端末に映し出される映像が、老人の言葉の意味を物語っていた。
「ひっ……ぎっ……!」
深知の顔が地面に叩きつけられると、錬装機兵の男がタバコの火を消すかのように足の裏でぐりぐりと頭部を踏みつけた。
「や、止めろ……!」
天北博士が懇願するも、錬装機兵たちは彼女への『仕置き』を止めようとしない。
さらには彼女の右手を見せ付けるようにして博士に突きつけると……小枝でも折るかのように、一本一本、ゆっくりと、指を捻じ曲げて見せる。
人間では聞き取れないほどの絶叫が広がるが、それも周囲の男達の笑い声でかき消された。
「右手はこれで使いものにならんな。次はどうされたいか?お嬢ちゃん?」
「……あぁ、うあ……ぁぃ……!」
「ん?」
「ぃたくない、しにたくない、しにたくないしにたくないしにたくないしにたくない!」
「いい声だ。会長も喜んでくださっている」
深知がうわ言のように連呼している様子を見て、端島は口元から笑みを溢れかえらせながら葉巻の煙を燻らせていた。老体というのに股下が盛り上がり、それを隠そうともしない。大きく脚を開きながら葉巻を吸い、そして隣の秘書の肩に手をかける。これが自分の力の証であるかの如く。老人の気分はすっかり高揚し、若かりし頃の姿を取り戻していた。
「おっと、そちらの子供も忘れずにな。ホルマリン漬けして、東郷どもに送りつけてやれ!」
端島の指示を受け、勇治を押さえつけている錬装機兵も攻撃を開始する。うつ伏せの状態になっている勇治でも、腕を持ち上げられた挙句の背中の衝撃に背筋が凍りついた。さらに目の前からもおぞましい形をしたナイフが自分の喉元にあてがわれ、ぎりぎりと鈍い音を鳴らす。
「がっ……、ミューァッ、メローネェ……!」
『はっ、はい!ユージさん、まだ無事ですか!?』
文句の一つでも言おうとして思わず発した言葉であったが、予想外にもまともな返事が返ってくる。
「ミューアか……ま、不味い……」
『不完全なアルク・ミラーとはいえ、やはりあの数では……今どんな状態ですか?』
「六人がかりで押さえられている……さっきから背中と首をナイフで……!」
体は地面に伏したまま首だけを持ち上げられている状態なので、必然的に唸るような声になっていたが、そのせいで周囲の相手に会話が漏れることはない。傍から見ても、何か恨み言をぼそぼそと呟いているようにしか見えないのだ。
「何かいい方法は……?お前ならこいつの力に詳しいはずだ……」
『え、えっと、力と言われても、えっと、勇治さんの武器は可変式のヒートナイフとハンドガン……それだけです。どちらも貫通力を高めているので、対アルク・ミラー戦ならかなりの威力を発揮するはずだったような……』
「この状態じゃどっちも使えない……他に何か……」
『武器のコードはかなり容量を喰うんです。ただでさえ装甲素材やパワーフレームも最新鋭のものにしてるんですから……』
「言い訳はいい……!こっちは方法を聞いてんだ……!」
通信の向こうの少年は明らかに場慣れしていない様子で、しばらく吃音患者のように何やら呻いていたが、敵に複数で取り押さえられているという状況を呟いた瞬間に、あっと何かを閃いたかのような声を出す。
『でも、今の状態で成功するかどうかは分かりませんが……』
「言ってくれ……」
周囲の状況を念押したうえで、ミューアの口からその一か八かの打開策が語られる。前置きのとおりかなり危険な方法であるが、勇治は成功の可能性を疑うまでもなくそれに賭ける気になった。
『ですが、使えるのは一回だけです。上手くいったとしても、続けての使用は絶対に避けてください。体力がまず持ちません』
「いつもやってることじゃないか……」
『通常の錬装化とは違います。原理的にも消耗度合いが桁違いなんです』
「全員が殺されるかどうかの二択なら……関係ない!」
自分が死ぬかもしれないというリスクを微塵も感じさせないほど、その決断に迷いはない。目の前の少女が悪漢達に暴行を加えられている様を見せつけられ、何よりも自分自身に向けて喝を入れるかのように、勇治は静かに、かつ大きく空気を肺に押し入れた。
「錬装離甲ッ!」
瞬間、勇治の錬装が周囲に向けて飛散する。
だが、通常の錬装化の解除とは明らかに様相が異なっていた。
普段の解除は光の文字と共に砂上の元素となって周囲に拡散するものであるが、『離甲』は自分の纏っている錬装を極小サイズまで分解せずに、ある程度大きさを残したままで剥離させる。以前、明理が使用した時のように表面だけ、というわけではなく(そもそもそんな芸当が出来る明理が異常)、全ての装甲が切り離されるのだ。
勿論、解除された瞬間は完全に無防備。勇治の生身の体が露出することになるが、ほんの一瞬、彼を取り押さえていた錬装機兵たちの手からは装甲の厚さの分だけ解放される。剥離した装甲が目くらましになり、相手が現状を把握する前に勇治は拘束から抜け出し、少女に向かって突っ込む。
(ここからっ……!)
ここまでは単なる悪あがき。拘束を抜けられたといってもほんの数秒。事態に気づいた兵達はすぐに反転して勇治に飛びかかる。後ろの6人だけではない。今度は前からもだ。
そして、ここからが、ミューアから伝えられた一か八かの賭け。
勇治はこの瞬間、周囲の光景がコマ送りに見えていた。自分を取り押さえようとする者。ナイフを突きつけようとする者。銃口を向けるもの。自分の汗一滴が飛び散るその瞬間までもが、走馬灯の如く視界に一枚一枚映し出される。
(1……2……4…………5っ……!)
錬装機兵の一人に脚を掴まれ、体勢が崩れる。一人、また一人と勇治に掴みかかり、さらに正面には銃口。引き金の指が今にも動かんとしていた。
「錬装着甲ッ!」
発射音が耳に到達する間に、鉛弾は勇治の眼前まで近づいていた。
……しかし、その弾丸は、光の文字によってかき消される。
原子レベルまで分解される。
『システム、オーバーエクスプレッション。神速の侵食』
光の象形文字が周囲に拡散し、周囲の錬装機兵をも飲み込む。発光はすぐに収まり、文字を放った位置には……巨大な黒い塊。
そして、その周囲には、錬装はおろか、肉体までも欠損させた兵士達。
一拍遅れて、各々の欠損した部分から大量の血液が噴出する。体の左半分を失った者、頭部を丸々失った者、頭の一部を失い脳味噌がでろりと流れ落ちた者。通常ならば目を覆いたくなるような惨劇であるはずが、その一瞬の光景に誰もが目を離す事ができなかった。
「ま、まさか……相手の錬装を奪い取ったのか……!?しかも肉体ごと……!」
自分を拘束している錬装機兵の手が緩んでいるのにも関わらず、天北博士はその場から動けずにそう漏らす他なかった。ようやくあの周囲の人間が全員死んだ、ということを周囲が認識できたところで、黒い塊にヒビが入り、その場に砕け落ちる。
その中から出てきた黒いアルク・ミラーは、残心をするかの如く静かに両手を横に払った。
「と、り押さえろっ!」
しかし、錬装機兵もそれでは済まない。通常の人間なら近づくのを少なからずとも躊躇うはずだが、彼等はまともな精神を持った人間ではない。薬物の投与とマインドコントロールを受けた、主人の命令に絶対服従の存在。
(や……ろ……?)
勇治の頭の中は一瞬上の空になっていた。先程の残心も自分自身を正気に戻すため……。だが、その正気に戻ったため、自身の異状に気が付いてしまう。
今度は天北博士を取り押さえていた兵が身を挺して襲いかかってくる。普通に考えればナイフで迎撃すれば済む話なのだが、そのことすら考えが回らない。勇治は強烈な眩暈に襲われ、自身の視界すらもぼやけていた。
(四人……いや、さん、にん……?)
避けることも足で踏ん張ることも出来ずに、錬装機兵の体当たりで易々と倒れてしまう。再度馬乗りになった兵が、ナイフを勇治の顔面に叩きつけ始めた。相手方も異状に気が付いたのか、ここぞとばかりに攻勢に出る。
「も、う……一度……!」
『勇治さん駄目です!連続使用はっ!』
勇治の耳にはミューアの声など届いてはいなかった。
――今はとにかく目の前の敵を殲滅しなければならない。
生かしてはおけない。
その一心で錬装を解除し、自分の動きを封じる錬装機兵を……侵食する。二度目の神速の侵食が発動し、馬乗りになっていた兵士は人体模型さながらに自らの内臓を晒しながら、勇治の体の上に崩れ落ちる。
(今ので……三人……あと……)
今度は全身が痺れるような感覚に襲われ、ロクに体の自由も効かない中でなおも勇治は体を起こし抗おうとする。体の上の死体を跳ね除け、ふらつきながらも片膝で立とうとするが、更なる敵の追撃によって体が持ち上げられ、壁際まで押さえつけられる。
その様子を映像で見ていた端島も少し肝を冷やしていたが、明らかに満身創痍の少年の姿を見てハンカチで脂汗を拭っていた。
「窮鼠猫を噛む、というところか。だが、所詮鼠は鼠。人様を倒そうなど……」
勇治を壁に押さえつけていた兵が突如として、まるで抱きつくように彼の背中に手に回す。完全に動きを封じるつもりかと思ったのもつかの間、一瞬にして視界がホワイトアウトする。
間髪入れずにやって来た凄まじい熱量と衝撃波で、勇治は体が壁にめり込むくらいに叩きつけられ、そのまま腰を落とす。
――特攻戦法。
そう認識できたときには、既に視界には四名の錬装機兵が銃を構えて立ちはだかっていた。流石のオルト・ザウエルの装甲も今の爆発で亀裂が入っており、修復が追いついていないのが一目瞭然。
さらに前方からの一斉射撃が放たれるが、亀裂の入った部分は衝撃吸収が作用しておらず、自分の装甲の破片が全身に突き刺さる。
「これが大人の戦い方だよ、小僧!」
端島老人の口ぶりにも熱が入り、勝ち誇ったかのよう拳をかざす。
……が。
「アルク……ライ、ズ……」
いつの間に動いたのか、勇治は両手で二名の兵士を顔面を「食い破り」、さらに残りの2名にはナイフを付き立て、喉元を跳ね飛ばす。錬装化が次々に解除され絶命する兵士と共に、勇治の体もうつ伏せに崩れ落ちる。
二度目の神速の侵食の時点で、勇治の意識は既に飛び飛びであった。鈍器で殴られ続けているような頭痛に加え、人の姿も完全に霞んでまともに見えなかった。ただ、僅かに意識を取り戻した瞬間に、瞬発的に体を酷使していた。
「馬鹿か……錬装機兵はまだまだあるわ。たかが子供が必死になったところで……」
さらに立ちはだかる錬装機兵の増援。相手も馬鹿ではない。状況に合わせて徐々に戦略を変えていく。だが、それも今の勇治に対しては無意味だった。彼は、すでに足音だけでしか周囲の状況を判別できなくなっていたのだから。
「どうし、て――」
足音とは別に擦れた声が勇治の耳に届く。
『――どうして、こんな馬鹿なことを』
不意に、脳裏に誰かの台詞がよぎった。
ずっと昔に聞いた言葉だ。
『何であんな奴を助けようとしたのかしら』
『殉職とっていも褒められたものではないわよねぇ』
『駄目よ、勇治くんはあんな風に――』
そう、父親の葬式での言葉――
死者の魂に泥を塗るような言葉――
何がために父は死んだ?
「けっきょくは、無駄死に――」
「……無駄じゃ、ない……!」
端島は思わず肩がすくみ上がってしまう。
映像の先の、遥か下の地上の出来事だというのに。
それが眼前で起きている光景の如く。
少年はなおも立ち上がった。
漆黒の鎧の端々から、強く激しく瞬く、燃えるような光の文字を浮かび上がらせて。
「貴様等のような、理不尽に人を嬲るような奴らが――無駄にするんだ……人の命を!恥じるべきは何もしない、何も出来ないことなのにぃっ!」
勇治は両手にナイフを発現させ、目一杯に肺を動かして怒鳴り散らした。
「何をぼさっとしている!死にたくないならとっとと逃げろ!」
天北博士も、深知も既に錬装機兵の手を離れていた。だが、互いに動けなかったのだ。逃げても無駄だという絶望が彼等の頭を支配していた。
勇治の発破で我に返った博士はすぐに深知の傍に駆け寄って、彼女をかばうように抱きかかえる。
「う、う、やだ……死にたくない……ごめんなさい……」
痛々しく捻じ曲がった彼女を右腕の指を見て、博士は唇を噛み締める。
こうして周りが見えなくなるほど泣きじゃくる姿は、赤ん坊の時以来見たことがなかった。『ショー』の執行の寸前で再会した時から、彼女は操り人形のように感情を殺していた。
(二人で生きるため……そんなの僕自身の身勝手な言い訳だったのか……?)
彼女はただ、生まれてからこの方ずっと、大人の都合に振り回されていただけにすぎない。だが、それでも彼女はなおも謝って許しを請おうとしている。妻と離婚してからいつの日か、誰よりも無力な存在だと洗脳されてしまったのだ。
(今は、この子だけでも……)
その後ろでは何回戦になるかもしれない戦いが始まっていた。勇治の体はまともに動くことが出来ないはず……いや、実際出来ないのだが、まるで鎧に動かされるようにして、数で勝る錬装機兵部隊を相手に互角以上の戦いを繰り広げていた。
一部の兵が逃げようとする天北博士を狙って発砲しようとするが、その瞬間に銃身をナイフで切断され、そのまま首元を一閃。これでまた一つ数が減った。
「お、とう、さん……?」
戦闘の最中に通った少女のか細い声に、勇治は視線だけで状況を追う。
「錬装機兵、に気を取られすぎたな……」
通常装備の兵士。
まだ、生き残りがいた。
博士は地面に崩れ落ち、右足の太ももには赤い円形の染みが出来ていた。
勇治はとっさにナイフを兵士に投げつける。超高熱の刀身が兵士の胸へと深々と突き刺さるが、男は笑ったまま銃の狙いを深知へと定める。
「しまっ……!」
「みちぃっ……!」
一発の銃声が鳴り響く。
仮定は見えなかった。見る暇がなかった。
目の前の敵を凌ぎ切り、数秒送れて結果を見る。
「ごめん、な……みち……」
仰向けに倒れていたのは、天北博士。
その傍で少女が茫然と膝を付いていた。
「お父さん……」
「に、げろ……は、やく……」
「ごめん、なさい……」
深知は頭を深々とうなだれる。
乱れきった前髪で表情は見えないが、微かな嗚咽が漏れていた。
そんな二人の脇を無慈悲な鉛弾が通過するが、すぐに黒い影がその盾となる。
「君だけでも早く逃げてくれ……」
実際に近づいてみて、勇治は自分でも怖いくらいに、すっぱりと博士のことを諦めた。
――左胸の紅い染み。呼吸も既に聞き取れない。
普通なら、駄目元でも助けようと思ってしまうだろうが。
「これで……」
「……?」
「親子、二人、殺したんだ」
「え?」
「私が、二人とも殺した」
深知は首を上げるが、その瞳はどこか遠くを見ているようであった。頬には涙の後が残っているが、今の彼女の顔は親を失った悲しみのそれではない。寧ろ、先程までとは別人にも思える。
勇治も彼女の言葉の意味を勘繰ろうとしてしまうが、すぐに首を振って正常な判断に切り替える。
「いいから、早く逃げろ!」
「……アルク・ミラーって、強いんだね」
「何?」
「お父さんは、量産型でも数が多いもの勝ちだ、って言ってたけど……。大勢で攻めればオリジナルなんてすぐにやられるって……」
今はそんなのどうでもいいことだ――
そう、勇治が声に出しかける。彼女の体を庇おうとする、が。
「でも、言いなりになっても結局は殺されるんだね」
深知は勇治の体をすり抜けるようにして、その場に立ち上がっていた。
銃を構えた、錬装機兵達と対峙するかのように。
「私でも……殺れるのかな」
少女の瞳から最後の涙が流れ落ちる。
悲哀を吐き出したその顔には、薄っすらと笑みすら浮かんでいた。
その表情を、恐怖など微塵も感じないように精神を支配された錬装機兵ですら発砲を一瞬躊躇させた、その形相を、一言で表現すると――
狂気。
「――錬装着甲」




