51.屈服
――研究所の中は完全に静まり返っていた。
物音が全くないと言うわけではない。穴だらけの機械や電灯が漏電する音、書類が燃えている音、さらにその煙を感知して作動するスプリンクラーの水音、そして、地面の下から僅かに響いてくる銃撃音。
アルク・ミラーの頭部には防音と集音を調節する機能もあるが、そんなもの関係なしに静寂を感じてしまう……その原因があちこちに転がっていた。
(野郎……)
奇襲と言うのは間違いない。
研究所のあちこちの部屋で、研究者と思わしき白衣を着た人間の死体が転がっている。老若男女問わずだ。何でかの疑問はおくとして、勇治とあまり変わらないくらい、下手すればそれ以下の年齢の子供もいた。
(女の子……?)
中でも一際幼い死体に目が移る。
すぐに別人とだと分かり内心ほっとするが、別に喜ぶようなことじゃないと勇治は自分の頭を叩く。
よほどの恐怖だったのだろうか、目は開いたままで、その横には涙の筋。元々は可愛らしい顔立ちだったのと思われるが、下顎を砕かれまともに直視できない状態と化していた。
「こうしている場合じゃないな……」
急がないといけない、事態は一刻を争う……はずなのだが、確認しておかなければならなかった。これから自分がやることのため、自身に言い聞かせ、目に焼き付けておかなければならなかった。
すぐにその場を駆け出すと、無線機で聞いた地下への入り口を探す。中は意外と広く、探すのは大変かと思われたが、案外すぐに見つけることが出来た。話は簡単、ここの人は地下に向かって逃げていたのだから、単に損害の大きいところを辿っていけばよい話だったのである。
地下と聞いて端島の屋敷のような隠し通路のようなものかと思っていたが、単純に学校や病院のような広い階段であった。とは言っても防火シャッターが機能しており、爆弾のようなもので歪な穴が開けられている。しかもその入り口は、小銃を持った見張りが一人。
「あ……?」
見張りの装備と体格を確認すると、勇治はナイフ(オルト・レイダー)を構えて一気に飛び掛かる。兵士も素早く銃を構えるが、引き金を引く前に眉間にナイフが突き刺さり、そのまま地面へと倒れ込む。そして、ナイフの赤い発光と共に肉の焼ける音が微かに響き、兵士を絶命させる。
心は、もう痛まない。
勇治は無言で立ち上がり、振り返りもせずに地下への階段を下りていく。
「生き残りかっ!?」
「いや、違う!侵入者だ!がっ!?」
流石にステルスの如く誰にも気づかれずに、とまではいかない。勇治の侵入はすぐに兵士達に知られてしまうが、当の本人がそんなことを気にしていない以上、兵士達には為す術もない。目に付き次第、手当たり次第に殺される。そのほとんどはナイフによる頭部への攻撃だったが、逃げる敵には銃にも変形させて戦っていた。最近になって勇治もようやく銃のサイトの使い方を覚えて、以前よりは命中させられるようになっていたのだ。
(博士は……どこだっ!?)
地下も地上と同じくらいの広さだが、先程と同様に戦闘の後を辿っていけば近づける。
勇治の集中力もいつにも増して研ぎ澄まされていた。
「本部っ!こちらアルファ5!地下に黒い錬装機兵が現れたっ!至急救援を!」
兵士の声がどこからか聞こえ、勇治は足を止めてぐるりと周囲を見渡す。戦いで負ける気はしないが、仲間を呼ばれると後々面倒なのだ。……が、次の瞬間、そんなことも杞憂と化した。
『アルファ5、見た目に惑わされるな!奴は出来損ないだ、倒せるぞ!』
「ば……馬鹿言えっ!銃が効かないのにどうやってっ!?」
『こちらブラボー4、銃は効いたぞ!複数で取り囲めば必ず勝てる!』
『チャーリー3、こちらでも錬装機兵を発見、攻撃を開始する!』
『こちらデルタ1!こちらも一機仕留めた!』
一斉に流れ込んでくる無線に、助けを求めようとした兵士は絶句する。
その直後に勇治が眼前に現れると、兵士は暴れ狂ったように拳銃を乱射するが、当然のことながらアルク・ミラーの装甲には通用しない。有無を言わさず喉元をナイフで切り裂かれ、真っ赤な血を撒き散らせながら絶命した。
勇治も先程からの無線機の内容について気にはなっていたが、程なくして耳に響きっぱなしの怒声が鳴り止み、直後に咳払いをする女の声が流れてくる。
『おほんっおほんっ!おーっほっ!あーしんど。あんまり手間取らせないでよね、ボウヤ』
「メローネさん……って無線は不味いんじゃ」
『大丈夫よ、こっちは私等の専用回線』
「さっきの錬装機兵云々の無線ははあなたの仕業ですか?」
『そ、ミューアがさっき寝かしつけた兵士から部隊の情報を読み取ってくれたわ』
「随分と万能な錬金術ですね。逆に危険だって話が少し分かる気がします」
勇治は会話を続けながらもその場を後にして、地下のさらに奥に進む。
『博士達を助けたいのなら急ぐことね。私が混線させたせいで聞こえてないでしょうけど、既に扉一枚まで追い詰められているわよ』
「く……場所は分かりますか?」
『ボウヤの現在地も分からないしナビゲートは難しいわね、自力で頑張ってちょうだいな』
「おいっ!」
通信はそこで途切れ、代わりに再び男達の怒声が鼓膜に流れ込んでくる。
勇治は湧き上がる焦りと憤りを舌打ちで流すが、同時に違和感のようなものを覚えた。
端島が本当に近く来ているのかどうかについては単に効き損ねただけの問題として、本来勇治の行動を止めるはずのメローネが多少なりとも協力的な情報を与えたこと。止めたところで無駄だと言うのもあるのだろうが、中途半端なところで途切れた、というのが何か引っかかっている。
しかし、そんな考えも目の前から飛び込んでくる光景を見て全て吹き飛ばされる。
「ひっ!?」
「えっ!?」
「ッ!!」
四人の兵士、うち二人は銃を構え、1人は男を床に押さえつけている。そして、もう一人の男は、壁に……少女を叩きつけている。その少女と男は見覚えのある、二人。
勇治は状況を一瞬で認識し終えたときは、まず銃を構えた二人を両手に発現させたナイフでそれぞれ葬っていた。一人は皮一枚残して首を切断され、もう一人は顔の前半分を切り取られてピンク色の脳味噌が露になる。
残りの二人は反射的に人質に手をかけようとするが、男を押さえていた兵は胸元に、少女を押さえていた兵は手首に超高温の刃が投げつけられる。少女を押さえていた方の男は、なおも少女の胸倉を掴んだまま後ろに下がろうとするが、体が傾く前にその顔面に勇治の全力の拳が叩きつけられる。鋼鉄の拳は男の鼻を潰して奥歯までめり込み、そのまま地面に後頭部から叩きつける。
この瞬間、この場にいた誰もが声を発する間すら持つことが出来なかった。
「はぁ、はぁ……いい加減にしろ……クソが……!」
勇治は息を切らしながら、拳を振って血糊を払う。
漆黒の光沢を放っていたはずの彼の鎧は、幾人もの返り血を浴び、全身が赤黒く染まっていた。
「き、君は……まさか、助けに来てくれたのかい?こんな所まで……」
「……あんたじゃない」
勇治の視線は少女……深知の方へと向けられる。
先日の人形のような無表情さが嘘のように瞳は涙ぐんでおり、息も荒くなっいた。頬には生々しい痣が残っており、さらに唇を切っているようで、少し血が流れている。どこかの学校の制服のような服も所々が破れ、均整の取れていたおかっぱの髪もぐしゃぐしゃに乱れており、到着までの間の光景が容易に想像できるものであった。
天北博士もそこそこの暴行を受けていたみたいだが、見た感じは娘よりもはるかに軽傷。
「黎明なんかに下るからこんなことになるんですよ。何が娘を護るためだ……」
「こんな展開が想像できるか?まだ数日も経ってないんだぞ!?」
天北博士はすっかり参ってしまったような声を出しながら、壁に手をついて立ち上がる。
「あのユミルとかいうお婆さんに利用されたんですよ。端島を誘き寄せるための餌として」
「この施設の……情報を流したというのか?」
「そのお婆さんの部下が言ってるんですよ。俺も、そいつらに連れられてここに来たんだ」
「部下……人造人間か……」
勇治は一先ず二人を適当な部屋へと移すことにした。適当に丈夫そうな造りの扉を探すと、天北博士のカードキーを使って開錠する。そこは精密機械の置いてある部屋らしく、所々に「機械に手を触れるな」の注意書きがあったが、勇治は特に気にせずその機械に深知の体を預けさせた。
「相変わらず喰えない婆さんだな。いくら敵を討つためとは言え、このことが黎明内部に知れ渡ったら大変なことになるぞ……。ただでさえ、皆が不信感を持っているというのに……」
「明理さんに聞いた話だと、あのお婆さんはまた別の目的があるって聞きましたけど。錬金術の探求のためだとか」
「そんな言い訳が通用するのは東郷さんくらいだよ。こっちの錬金術の研究には非協力的、おまけに君のような敵対存在まで生み出している。立場的には東郷さんの協力者として破格の待遇を受けているというのに」
「おまけにその部下がはっきりと俺の味方をする、とも言い切りましたからね」
ユミルの行動に振り回されているのは黎明も同じ。ここまでは大体勇治でも想像できていたことだ。むしろ、仲間内で何も疑問を抱かない方がおかしすぎる。
「黎明幹部の我慢もそろそろ限界に来ているみたいだしなぁ。東郷さんはデイライトが始まったら代表を降りるといってたが、こりゃあ、その前に一波乱起きそうだね」
「待ってください、その『デイライト』というのは?」
単語を聞き逃さなかった勇治の問いに、博士は露骨に「しまった」というような顔をする。
その様子を勇治が無視できるはずもなく、博士を掴んでさらに問い詰めようとした瞬間、彼の耳に劈くような声が響き渡った。
『ユージさんっ!今すぐその建物から逃げてくださいっ!』
「……ッ!?ミューアか!?どうしたんだ!?」
『錬装機兵の大群がそっちに向かっています!ヘリからの降下を確認できただけで数は30!』
「なっ!?」
突如として入ってきた通信に、勇治は思わず部屋のドアに飛びついて耳を凝らす。
「待てよ、錬装機兵は使えないんじゃなかったのかよ!?」
『ごめんなさい、僕達の言い方が悪かったんです。使い捨てにすれば……!』
「……そういう、ことか!」
相手はこんな爆撃までやってのけるような連中だ。
『一度使ったら死ぬような力を使わせるわけがない』、その前提がそもそも間違っていたのだ。
通信は本人にしか聞こえないため、突然の怒号に戸惑う二人にも事情を説明すると、天北博士は頭を抱えながら皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「やりかねないねぇ、あの人だったら!」
「一度使ったら戻れないっていうのに、部下は知らされてないのかっ!?」
「いいや、ただでさえ、錬装能力を付与した後は情緒安定のための薬物投与や催眠治療が必要なんだ。元から洗脳に近いことをやってるんだし、少しそれを強めてやったら……」
「あんたらは人をなんだと思ってるんだっ!?」
「君達オリジナルはそれが必要がないから有用だと思ってるんだよ!」
だが、そんな人道についての門答などをやっている暇はない。
すぐさま部屋の外から重い足音と銃声が聞こえ始め、否や応にもやり取りは小声で、怒りは押さえつけなければならない。せめてもの気休めと、勇治は天北博士と深知を高価そうな装置の裏に隠れさせ、自分は部屋のドアの前で静かにナイフを構えた。
地下の部屋の扉は精密機械を扱っているためか、シェルター的な機能も備え、かなり頑丈に出来ていると博士は説明する。端島の屋敷のように便利な脱出口はないため、篭城戦になることは必須。
「メローネさん……お爺さんは……現れましたか?」
少しの間を置いてからその返答が帰ってくる。
声の主はもう一方の少年の方であったが。
『メローネさんは今話せないみたいです。地上で部隊を纏めているみたいですが……』
その僅かな語尾の上がり方で、状況は掴める。
「現れたのか?」
『はい……別のヘリで。ヘリは僕の位置からでも見えます。流石に本人の姿は見えませんが、メローネさんの情報によれば、あれに乗っているのは間違いないかと』
「で、やれるのか?」
『まだ……高すぎます。もう少し降りてきてくれないと……』
「俺が時間を稼いでいる間に……やれるか?」
その問いに対する答えは、返ってこなかった。
文句の一つを言おうにも既に扉のすぐ近くまで足音が近づいてきている。さらにドアの淵からバーナーのような赤い閃光がゆっくりと上下し、加えてドアには何かを仕掛けるような音まで聞こえる。いよいよと勇治も覚悟を決め、ドアの前から一歩半ほど横に距離を取って目を閉じた。
「……っ!」
アルク・ミラーのおかげでかなり消音されているものの、それでも爆音と分かる振動が耳に響きわたり、勇治は目を見開く。眼前にはダークグレーの装甲を纏った錬装機兵が、今まさに小銃を発砲せんとしていたが、瞬時に銃口を腕で逸らしながら、喉元目掛けてナイフを突き刺す。
相手の装甲にも一抹の不安はあったが、先日の疾風の時の戦いで、格闘武器なら一撃で決定打を与えられる自信があった。案の定、勇治のマチェットナイフ(オルト・レイダー)は、相手に断末魔を出させる暇を与えぬほどの速度で喉元に食い込み、装甲の隙間からドス黒い液体が噴出した。
(まずは、一人っ!)
この部屋の入り口の横幅は大の大人一人半くらい。部屋の壁はちょっとやそっとの爆風では破れない。吹き飛ばされたドアの残骸も淵を焼ききられただけで原型を留めている。つまり、一度に入れる人数には限りがある。
先日の戦いを省みてもそうだが、一人ずつの相手ならまだ勝算はある。
(来いっ……!)
目の前の人物の装甲が崩れ、その死に顔が露になり、一瞬気を取られてしまうが、二人目の攻撃の瞬間は見逃さなかった。例の『返し』付きのおぞましい形状のナイフが飛び出してくるが、これまた腕の装甲の表面で逸らせる様に回避し、もう一方の手に発現させたナイフをこめかみを突き上げるように刺す。これもあっけなく装甲を貫通し、間違いなく即死の一撃。
(二人目っ!……って?)
足元、そして頭上を越えて何かが部屋に投げ入れられる音が聞こえた。それも複数。静かに金属音を鳴らしながら転がるそれは、別にミリオタでもない勇治でも、瞬時に殺気を感じ取れた。
自分はともかく他の二人が不味いと、勇治は反射的に自分が支えていた二人の男の死体をそれぞれ被せるように、床に転がるものの上に投げつける。
篭ったような爆音と共に死体が腸を飛び散らせながら宙を舞い上がるが、いちいち惨状を眺めている暇はない。体勢を立て直し、ナイフを構え直そうとするが、すぐに次弾が放たれる。
「あっ!?」
実弾……ではない。
全ての弾が不自然なまでに目標から外れるように放たれ、飛ばされたモノの先には長い線。思考が追いつく前には、勇治の首、四肢、胴体にワイヤーが巻き付けられていた。
「動きを封じたつもりかっ!?このくらいっ!」
勇治はナイフを寄せてワイヤーを切断しようとする……が、相手の狙いは違っていた。ワイヤーが急に前方に引っ張られ、足が床から離れる。体が部屋の外へと投げ出されると、外にいた他の錬装機兵に両腕を捕まれ、更に遠くへと投げられる。
「突入」
低い声と共に、錬装機兵が次々に部屋の中へ入っていく。
勇治はワイヤーを切って相手を止めようとするが、四方八方から錬装機兵が覆いかぶさるようにして、体を床に叩きつけられた。
「博士と娘を確保」
「よくやった」
勇治は何とか立ち上がろうとするが、錬装機兵が六人がかりで取り押さえており、身動き一つ取ることが出来ない。視界の隙間から、部屋の外へと連れ出される二人の姿を見て、さらに焦りを覚える。
「端島様より通達。天北博士、我々を裏切るとどういう目にあうか……教えてやれとのことだ」
隊長格と思われる錬装機兵の男は淡々とそう述べると、両腕を掴まれた深知の腹に何の迷いもなく蹴りを入れる。少女の表情が一変して苦悶のものえて変わり、口からは吐瀉物が流れ落ちる。
「ま、待て、止めろ、娘は!」
「だからだ」
さらに男は深知の顔を叩き、前髪を強く持ち上げる。両脇で腕を押さえていた兵も更にその力を強め、少女の腕がぎりぎりと締め上げられる。
「こんな成りをしてても、歳は15だったな。子供はもう産めるか?」
博士にも聞こえるようにそう呟くと、男は深知のスカートをナイフで引き裂き、さらに下着も破る。すると薄笑いをしながら今度は拳銃を取り出し、その幼い秘部に銃口を押し当てた。
「最初で最後の鉛の精を送ってやれ……とのことだ」
「や……!」
「やめっ……!」
勇治の怒りは頂点に達していた。
天北博士も必死に抵抗しようとしていた。
だが、二人が怒号を上げる前に、地下一体に慟哭が響きわたる。
「ひ……ぐっ……ゆ……許して……許してください……」
頬は真っ赤に腫れ上がり、鼻血を出し、唇も切り、表情はあまりにも歪みきっていた。
息も絶え絶えになりながら、顔の全体から体液を流し、掠れた声を搾り出す。
しかし、それに対する返答は無慈悲なまでの腹部への正拳。
「い、や……ごめん、なさい……ごめんなさい……!」
少女の姿は、あまりにも痛々しく、か弱いものであった。
それが精神制御された錬装機兵たち……いや、端島の加虐心を高めているとは知らずに。
それでも、少女は謝り続けた。




