50.迎撃
研究所へと向かって森の奥を突き進むこと15分。
鬱蒼とした森の中にようやく光が差し込んだかと思うと、目の前に女性の腕が真一文字に立ちはだかる。姿を見失わないようにと全力疾走の体勢だっただけに、急なブレーキは全身へと跳ね返ってくる。
みっともなく尻餅をついて体を起こそうとする勇治であったが、すぐに上から頭を押さえられた。
「まだ飛び出しちゃだめよ」
勇治はメローネの忠告どおり茂みの隙間から辺りの様子を伺う。
研究所の敷地は、茂みから見て横に100メートルちょっと。一番大きな3階立てのコンクリート造りの建物が一棟と、後は小さめの建物が何棟か。周囲は有刺鉄線付きの金網で厳重に囲われており、タヌキ一匹入ることは出来ない。こんな山奥の僻地によくもまぁこれだけの施設を作ったものだと感心するほかない……何も起こってなければの話だが。
「それにしても、派手にやってくれちゃってるわねぇ」
メローネは呆れたような声を出しながら、双眼鏡を覗いていた。
そんなものに頼らなくても眼鏡が必要ないくらいの視力があれば、現状は十二分に分かる。
所々から聞こえる銃声と爆発音。研究所の所々から上がる澱んだ炎と黒い煙。そして、所々に散らばっている、建物の瓦礫と、人間の死体。「人的被害は最小限に」というのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに容赦のない襲撃がなされていた。
「ここまでやるか……」
「どお?少しはやる気出るでしょ?」
「あんた達も同類ですよ。まったく」
ここで感情を抑えて皮肉を言えてしまうのに、これでもかというくらいに自嘲するほかない。
「でも、表の警備はほぼ全滅ねぇ。もう結構中に入っちゃったみたい」
「天北博士のいる建物は?」
「一番大きい奴だったはずよ、うまく爆撃も外しているわねぇ」
双眼鏡を手渡され、少し見難いが、フェイスガード越しに遠くの状況を覗き込む。
真っ先に首と四肢が変な方向に捻じ曲がった男の死体が目に入ってきたが、隣の言うとおりに建物の入り口付近にいる人影へと視界を移す。
いかにも特殊部隊、というような全身黒ずくめで最新鋭っぽい装備をした人間が2人。当たり前のように小銃も携えている。
少し視界を広げると、突入用と思わしきヘリが一機着陸しており、何やら荷物を運び出していた。
「ヘリは上空にもあと4機……なんだけど」
「?」
「少し高度が低いわ。下手すればRPGとかで狙われるレベルね」
「RPGって?」
「簡単に言うとロケット砲」
「当たり前のように言われても……」
メローネは勇治から双眼鏡を返して貰い、もう一度上空の様子を覗く。
「ん~……流石にお爺さんはあの中にはいないでしょうね。近くまで来てるのは間違いないないはずなんだけど」
「一体どこに?」
「安全な状態になるまで距離を取ってるのかも。もう少し引き付けた方がいいわね」
つまりはこのまま黙って待機していろ、ということ。外の状況からしても、中でどういうことが起こっているか大体想像が付くだけに、やるせなさを覚えずにはいられない。それでも警戒を続けながら付近をうろつく兵士の姿を見ると、反射的に体を引っ込めてしまう。
「ちょうどいいところに群れから離れたカルガモね」
「どうするんですか?」
「私が引き付けるから、上手く取り押さえて!」
メローネは服の胸ボタンを外し、髪もわざとらしく乱して、茂みの外に飛び出す。
兵士は警備の生き残りはいないものかと気を張り詰めていただけに、この予想外の来訪者には銃の引き金を引くのも忘れて面食らってしまう。
「な、何だお前は!?」
「やぁん、実は道に迷っちゃいまして~」
「嘘付け!こんなところでっ……えっ?」
気づいたときにはもう遅く、兵士の後ろから手が伸び、口元が塞がれる。
さらに、背中から銃口を突きつけられ、海老反りの状態になった上で、冷たい言葉が吐かれた。
「動くな、手を上げろ。あと、口を開くな」
「な、何だと……!?」
「はいは~い、ほ~るどあ~っぷ。ふり~ず、ふり~ず!」
メローネは甘ったるい声を出しながら、両手を上げた兵士に胸を大きく揺らしながら近づき、喉元を摩る。すると、異状を察したのか、兵士の無線機から低い男の声が流れてくる。
『ブラボー3!どうした、何かあったのか?女の声が聞こえたようだが!』
兵士の口元が微かに緩むが、メローネはそれを何倍もの笑みで返す。兵士の銃を奪い取って銃口を口元に押し込み、無線機を兵士の服から引き剥がした。
『ブラボー3!応答せよ!』
「こちらブラボー3。まだ鼠が隠れていたようだ。たった今始末した」
メローネの完璧な声帯模写に兵士の顔の筋肉が引きつる。
先程の甘ったるい声を出す喉から、いきなり男の声が出たら誰だってびびる。
『待て、それは女か?』
「そうだが?」
『まさか、例の娘じゃないだろうな?』
「娘と呼ぶには歳を食いすぎてるよ」
『ふん、娘は絶対に殺すなよ。下手したらこちらが雇い主から殺されかねん』
そこで無線の声は途切れた。
会話が終わった瞬間、メローネが声も途切れ途切れの兵の顔を見てにっこりと微笑む。
そして、鳩尾に大きく振りかぶった一撃を叩き込んだ。
「歳を食いすぎて悪かったわねぇ!」
「理不尽な……」
ホムンクルスと言えど女性の肉体の一撃と言うこともあって、男は悶絶はしても正気は保っていた。が、それはメローネも十分に承知していたことで、男はそのまま茂みの中へと連れて行かれ、散々情報を吐かされた挙句、睡眠薬によって眠らされた。
「やっぱり、下っ端じゃロクな情報は持ってなかったわねー」
「天北博士を狙うのはともかくとして、先に娘の方を探しているわけか……」
あの半端ない溺愛っぷりを見せる博士には効果のある策略……とは思うが、勇治はどこか釈然としない部分があるような気がした。
そんなことを考えているうちに、眠らせた兵士がいつの間にかパンツ一枚になっている。慣れているのかどうかは知らないが、恐るべき早業でメローネが引っぺがしたのだ。そして、彼女の方もおもむろに服を脱ぎ始める。勇治の視線に気づき、彼女はにたりと妖しい笑みを浮かべた。
「あらぁ?見るぅ?お姉さんの着替え姿見ちゃう?」
「見ません。変装ならとっとと済ませてください」
それどころではないとそっぽを向かれ、メローネはやや不満げに口を尖らせるが、装備にかかる時間はものの数分足らず。もともと顔が見えない装備のうえ、体格も元々来ていた服を詰めて上手くごまかしている。これで声も再現してしまえば、ちょっとやそっとの接触ではバレないという見事なまでの変装術だ。さらに仕上げとばかりに、メローネは兵士の持っていた無線機に小型の機械を取り付けて勇治に向けて得意げに突き出す。
「これで、相手の無線がボウヤにも伝わるようになったはずよ」
仕組みはさっぱり分からないが、無線の中継&発信装置と言うことだろう。
次から次へと秘密道具のようなものが出てくる展開に、勇治は尋ねる気も失せていた。
『こちらアルファ1!地下一階にてターゲットを確認。防火扉を閉じてさらに奥に逃げた模様』
本当に鮮明に流れてくる無線の声に、勇治は思わず手を耳に当てて聞き入る。
『了解した。突入部隊に増援を送る。やはり娘もいたか?』
『ああ、2人で仲良く逃げている。……扉の撤去完了、追撃する』
再び、無線機から破裂音と銃声が聞こえ始める。
「あの二人……この前、逃げたばかりだってのにまた……」
「お爺さんを怒らせたのもあるんでしょうけど、裏切り者の見せしめの意味もあるんでしょうね」
無線機から一際大きな爆発音が聞こえ、勇治たちの足元も軽く揺れる。
『おい、あまり派手にやりすぎるなよ!』
『娘は最低限生かしとけばいいんだろ?呼吸が虫程度に残ってりゃあな!』
兵士の声はまるで狩りでも楽しむかのような上調子であった。
直後に銃撃と悲鳴が聞こえ、通信は一旦途絶えた。
「…………」
「変な気は起こさないでね、ボウヤ」
「だったら、初めからこんな事に誘わなきゃいいんだ……」
2機のヘリは相変わらず上空を飛びまわっている。
無線からは、さらに一際大きい爆音が響きわたった。
「まだ、待つんですか……?」
「ぼうや~物事は『たいきょく』って奴を見なきゃ駄目よ~?もし、ここでお爺さんが警戒して表れなかったら、今後何人の人達が被害に会うと思う?目先の少数の人間を救うために未来の大勢の人間が犠牲になることは……」
「すみません、もう行きます」
それだけ言うと、勇治は立ち上がってさっさと施設の方へ走っていく。
もはや議論する気など更々ないと言わんばかりに、あっさりとした結論であった。
ちゃんと頭は回っているのか、見張りのいる正面からの入り口ではなく、爆風で枠ごと外れた窓の方から侵入していった。
「う~ん、この純粋真っ直ぐっぷり……私らのサポート無しだとすぐにやられてるわね」
そうは言いつつも、メローネはわが子を見るように緩んでいた。
直後に後ろの茂みからがさがさと音を立てて、金髪の少年が息を切らしながら姿を表す。
「もう、あの子は先にいっちゃったわよ」
「え?あ、ああ、そうですか……」
ミューアも研究所の状態を見てすぐに状態を察した。
完全に割り切っているメローネとは異なり、微かな憤りのようなものが口から漏れる。
「どうする?このままだとお爺さんに逃げられちゃうかも」
「……彼女が動いてくれるかどうかにもかかっていますが」
「指揮権はあなたが持ってるんだから、決めるならパパっとね」
メローネは軽くウインクをすると茂みの外に出て行き、着陸しているヘリの元に向かっていく。見張りが長時間姿を見せないのもかえって怪しまれるからだ。
「指揮権と言われてもなぁ……僕一人じゃ何も出来ないし……」
来る途中で服に付いた虫を払いながら、ミューアの口から溜息が漏れる。少しの間困り果てていたが、自分の脇でメローネに身ぐるみ剥がされた兵士が寝息を立てていることに気づく。
男の体を茂みの奥まで引きずっていき、賢者の石を男の頭にかざすと、ミューアは改めて息を整え、精神を集中する。
(……こういう人たちの心なんて覗きたくないんだけどな)
しかし、今の自分に出来ることなどこれくらいしか思いつかない。
男の額から光の文字が溢れ出すと、ミューアは静かに目を閉じて錬金術を開始した。