44.銃を携えし神
会場の中は静まり返っていた。
話の途中で水を差す者もいなかった。
「――たしか、こんなところだったと思うが。私の記憶違いかな?」
東郷は大きく息をつき、両手を大きく広げる。
その場にいた誰もが、彼の顔の、目元と、口元の皺に対するイメージを変えざるを得なかった。
ある者は隣の者と顔を見合わせ、またある者は東郷から目を離せなくなり、そのまたある者は……
「アイツ、クズじゃねーか」
「女をレイプして殺すような奴が総理やってたのかよ……」
地面に両手をつき、体を震わせている桐島の背中に向かって、静かに謗る。
「……そんな、事を……、今の話を信じろというのか?」
相馬の言葉に、東郷は顎の先だけで返答する。あれだけの怨嗟を語った後だというのに、表情は穏やかであった。
尚もその場に蹲り続ける桐島に対して、相馬は馬に鞭を入れるかのように背中を強く叩く。
「桐島、こいつの言っていることは本当なのか?」
「っ……!」
桐島は答えない。
歯を食いしばるようにしているが、その隙間から涎が出口を求めるかのように溢れ出していた。
肯定も否定も出来ずにいるその態度に、相馬も口調をさらに荒らげる。
「お前が一言『違う』と言うだけでいいんだぞ!こいつの言うことには……何一つとして証拠がない!極端な話、今までの語りがでっち上げだということも!」
会場の誰もが、どちらの話を真実と捕らえるかは……明白であった。今の桐島の反応を見れば100人中99人がそう思うであろう。
「その通りだよ。相馬局長」
相馬のやろうとしていることは、ただの言い逃れの幇助……誰もがそう思っていただけに。
「もちろん、『何一つとして証拠がない』ことに対してだがね。やはり官僚は逃げ方が上手い」
自分にも相手にも皮肉を言うような発言に、相馬は東郷を睨み付ける。
「皆もよく聞いてくれ。そこの男の今の姿は一見みっともないようだが、身を護るということに関しては最良の選択だ。肯定も否定もしない。ただ、ノーコメントを貫く」
「…………」
「先程私が話したことだって、今となっては単なる虚言妄言に過ぎない。いくら自分の中に真実があろうとも、客観的な証拠がない限り、人には決して認められることはない」
会場の所々から憤りの声が上がる。周囲の雰囲気とは対照的に、東郷の顔はますます穏やかになっていくが、語気の強さは全く潜めていない。
「が、だ。当の本人が認めてしまえば、それは客観的な証拠となってしまう。今の裁判では自白も効果が薄いようだがな。だが、後々大きな傷を残すことに違いはない。政治家が、ましてや総理まで上り詰めた男が、『殺人』や『強姦』に対する罪は既に時効かも知れないが、世の人々に取り除くことのできない強烈な不信感を抱かせる。これは政治家としてはあまりにも致命的……」
東郷は演題の上を平手で強く叩く。その目元には微かな影が映っていた。
「しかし、否定も出来ない。この男は、私が復讐のために帰ってきたと思っている。私の前で堂々と嘘をつけるほど愚かではない。だから……沈黙する」
まるでペットの行動でも分析するかのような東郷の物言い。それは彼の今の桐島に対する捉え方、扱い方そのものである。
だが、相馬はその言葉の一部に僅かな違和感を覚える。
「待て……東郷。復讐のためにだと『思っている』とはなんだ?」
「あぁ、当時の事など、どうでもよいということだよ。あの頃は私も若かった。当時の私が何をしたかいくら詮索されようとも一向に構わん。法には触れてないと思うがね」
「では、一体何のために……!?話を戻すが、お前の目的は一体何だ!」
東郷は皮肉をこめて笑った。
しかし、その皮肉の向かう先は誰にも見えなかった。
「見てみたいだけだ。全てを覆した、その先を」
まるで詩でも詠うかのよう。
まるで漫画の中の訳の分からないミステリアスな悪役の台詞。
あまりにも滑稽で、幼稚で、そして、堂々としていた。
「『オペレーション・デイライト』。これが黎明がとる次の段階だ。この社会のあらゆる『闇』と『影』に光を当てる。全てを陽の下に引きずり出す」
「どういう……意味だ?」
「『裏社会』という言葉があるが……それが意味を持たなくなる。革命などという生易しいものではない。国そのものが崩壊するかもしれない。全ては……個々の人間次第だ」
会場の人間はごくりと息を呑んだ。
実際に何をするのかは明確ではないが、裏社会を表に出すというニュアンスだけは感じ取るでき、それが一体何を意味するのか、感覚的な理解があった。
「私は人の上に立つつもりはない。舞台を整えるだけに留めよう。後は全て君達次第だ。それぞれが思い思いの国を作ってみるといい」
「そんなことが……!」
「今の社会は好きか?僅かでも未練があるなら……この場から立ち去れ」
東郷の全くぶれることのない眼に、会場がどよめき始める。
中学生の夢物語のような言葉に、誰もが戸惑いを覚えていた。だが、悪魔的なまでに引き付けられるものがあった。今、会場にいるものは数人を除き全て……表の世界からの弾かれ者。
なおも反論をぶつけるのは、その数人であった。
「いい加減にしろこの夢想家がぁっ!」
会場を切り裂くような怒号と共に、相馬の周りの男達が一斉に東郷に向かって銃を突きつける。そして、相馬自身も拳銃を取り出して、銃口を東郷の額に定めた。
「銃なんて使ったことあるのですか?局長」
冷や汗一つ、一切の焦りを見せない東郷に向かって、相馬は口元を歪める。
「残念ながらハワイと韓国で経験済みだ!」
「動かぬ的相手に?」
「貴様より遥かに小さいがなぁっ!」
相馬の合図で、東郷に向かって一斉に鉛弾が放たれる。
法も何もなく、もはや問答無用であった。
ただ、この社会の秩序を護るため、相馬達には一切の迷いはなかった。
――が。
「随分と錬度の低い部隊ですな。こんな大きな的に一つも当てきれぬなど」
――無傷。
相馬とその周りの部下達の口がぽかんと開いてしまう。
東郷の周囲の壁や演題は穴だらけになっているというのに。
「ば、か、な……!」
「狙いが同じところに向いていたからな。実に避け易かったぞ。それとも……素人しか相手にしたことがないのか?」
「くぅっ!?」
「そして――」
相馬たちが続けて撃とうとした瞬間、東郷の体の周囲に光の象形文字が流れる。
もう、おしまいだ――桐島は失禁しながら、犬のようにその場を全力で離れた。
「錬装着甲――。初弾で仕留められない時点で、貴様らの負けだ」
東郷の全身が一瞬にして、薄茶色の装甲に覆われる。
シグ・フェイス等他のアルク・ミラー、量産型の物と異なる、刺突部の少ない形状。全体的に丸みを帯びた形状に、特徴的なのは顔前面のバイザー部分が中世の鎧の如く横線が並んだ形状になっていること。見てくれはあまり近代的ではないが、故に不気味。
『アラフ・スミス、エクスプレッション』
アルク・ミラー。
会場にいる者たちのほとんどは、その性能について話には聞いていた。既に知っていた。それが現れた瞬間――全ての勝敗を確信した。
「うぉああぁっぁぁーーーっ!!」
相馬と周りの男達は恐怖を塗りつぶすかのように銃を乱射する。しかし、錬装化した東郷に効くはずもなく、空しい金属音が響き渡るのみ。
あまりにもお粗末な銃撃に、東郷もわざとらしく肩を落とし、右手から光の文字を発する。
そして、彼の右手の先に形成されたものは……小銃。
「アサルトライフルだとぉ……!」
「ふん。一般的には、バトルライフルとも呼ばれているがな」
「ひっ?」
3発の銃声。……いや、バースト発射音が相馬の耳を直撃する。
そして、彼のちょうど右後ろにいた者が、顎をパクパク鳴らしながら倒れた。
死んだ。
殺される。
相馬の部下の2人が、本能的にその場を駆け出す。
そう、左右に。どちらかは助かるという本能の元に。
――しかし、無駄。
「数秒の差は……もっと有効に使え」
瞬時に、右、左と頭を撃ち抜かれ、脳漿を撒き散らしながら、男が二人倒れる。
東郷の言うとおり、ただ二人死ぬのが数秒長引いただけであった。
「あいつは……プロだ。いや、スペシャリスト……!」
会場に中にいた、一人の体格のよい、サバイバルジャケットに身を包んだ男が声を漏らした。彼は海外での傭兵経験もあり、小遣い稼ぎでヤクザ者の用心棒として雇われてもいる。
「アルク・ミラーの力がどんなものかは分からねぇが、ただでさえ反動の強いM14を片手で……!あの狙いの正確さは……奴自身の実力だ!」
他の者は逃げる間もなく撃ち殺され、銃を構えているのは相馬一人となる。あまりにも絶望的な実力差に直面し、相馬は無意識に後ずさりしてしまうが、すぐに脚を撃ち抜かれて背中から倒れ込んでしまう。
東郷は錬装化してから、その場を一歩も動いてはいなかった。
「悪魔めっ……!」
「私としては、今の社会にどうしてそこまで固執するのかの方が理解できんがな」
「暴力やテロで新しい国を作るなど幻想だ!そんなことぶぁっ……!」
それ以上の言葉は聞くまでもないと、東郷は相馬の顎を撃ち抜いた。
どしゃりと崩れ落ちた頭部から、止め処なく血が噴出する。なおもまだ息はあるらしく、ひゅうひゅうと喉から漏れる音が殺人の生々しさを物語っていた。
「暴力やテロでの変革が一切ない国、の方が幻想だよ。人類の歴史を紐解く限りな。その恐怖を知らぬが故に……人は慢心する」
東郷がもう必要はないと銃を地面に落とす。
まるでそれこそ幻想であったかのように、銃は砂となって崩れ果てた。
「さて……私からの言葉は以上だ。ここからは君達の決断次第だよ。このアルク・ミラーの力も……必要とあれば託そう」
東郷はそう言い残し、静かにホールを後にする。
一瞬の静寂が流れ、どこからともなく熱狂的な歓声が上がる。反抗する者などいなかった。
圧倒的な力への恐怖を隠すためなのか、これから来る社会の変革期に対しての奮起なのか。
どちらがこの雄たけびの源なのか、皆、考えないようにしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ひっ……ひぃ……!」
桐島は逃げていた。
走っているのか、歩いているのかすら分からない。
年老いた自分の体に鞭を打ちながら、薄暗いコンクリート作りの通路を必死に前に進んでいた。
息は乱れ、動悸は荒れ、筋肉が震え、それでも逃げようとしていた。
「ゆみ子……隆行……静香……」
気がつくと、もうここ数ヶ月は顔を見てもいない家族の名を呼んでいた。
家族の中は冷めてはいない。総理大臣の家族という制約があるものの、金銭的には何不自由のない生活だったからだ。子供達に政治家になるのを強要してはいなかった、というのも大きい。
故に、それが彼自身の弱点であった。
東郷によって引きずり出された、忌まわしき過去。
これが表に流れて一番の被害を受けるのは……自分と、その家族だ。
だから、真実にするわけにはいかなかった。あの場は沈黙するしかなかった。
「逃げる……」
家族と共に海外へ高飛びする。いや、言葉はおかしいが亡命する。その決心が固まった。
アメリカやヨーロッパなら、旅行や視察である程度の土地勘はある。
今までの立場を捨てることにはなるが、東郷の前ではそうも言ってられない。
「あ……!」
ついに通路に変化が現れる。階段だ。
しかも、追っ手が来ているような気配も感じられない。
まるで喘息を起こしているかのような息遣いでそれを上りきり、その先の扉を開く。
「外……だ……!」
なんのことはない。単に来た道を戻っただけである。
だから、その先の道はよく知っていた。ちょうどお昼時のオフィス街。人も大勢いる。
「きゃぁあぁぁっ!」
たまたま近くを通りかかった若い女性が桐島の姿を見て、叫び声を上げる。
薄い髪はぐしゃぐしゃに崩れ、顔は涙と鼻水でぐずぐずになり、さらに股下は失禁までしているという成り立ちだ。一般の通行人にとってはただの不審人物でしかない。誰も元総理だと分からないのも当然。
桐島はガードレールにもたれかかり、右手を上げる。
たまたま近くに交番もあり、騒ぎを聞きつけた警察官が駆け寄ってくる。
「おいあんた、大丈夫かっ?」
「タクシーを……」
「救急車の方がいいんじゃないか!?」
「どっちでもいい……早くここから……」
要領を得ない問答を続けている二人の間に、若いスーツ姿の青年が人ごみを分けて近寄ってくる。
「先生!大丈夫ですか!?」
「君は……柏原君か……?」
「ご無事でしたか!相馬局長もご一緒だとお聞きしましたが、一体何が……?」
「早く、ここから……」
若い男は桐島の秘書の柏原であった。
事情を知らない彼は桐島の変わり果てた姿に戸惑いを覚えつつも、警察の質問に適当に答えながら、後から来たタクシーに桐島を放り込むように乗せた。
「大丈夫なんですか、先生……急に姿を消したと思ったら……」
「すまん、助かったよ。柏原くん……」
「まさか、東郷の奴に?」
前の運転手が東郷の名前を聞いてぎょっとしていたが、二人は気にも留めずに話を進める。
「君も気づいていたのか?」
「あの男が簡単に死ぬとは思いませんから」
「そうか……だが、このままだと君も危険だ。すぐにでも海外へ逃げる準備をした方がいい」
桐島の言葉に、柏原は力強く首を横に振る。
「いえ、海外に逃げては、かえって奴らの思う壺です。逃げた先で殺されでもしたら、それこそ証拠隠滅は簡単でしょうから。まだ、人目のつくところにいた方が確実です」
「人の目があろうと、奴等は容赦なく襲ってくる……」
「だったら、護ってもらいましょうよ」
「あんな化け物相手では、軍隊だろうと相手にならないぞ……?」
柏原は一つ考えがあると、ある方法を告げる。
桐島はその名を聞いて思わず目を見開いてしまうが、しばらくの間、東郷の元にいただけに、その案に奇妙な望みを感じずにはいられなかった。
「シグ・フェイス……果たして我々に協力してくれるのだろうか……」
「黎明と敵対している以上は必ず。協力できなくとも利用はさせてもらいましょう」




