41.怨敵
勇治は追っ手が来る前にと、なんとか落とし穴を脱出し、周りで一番大きいと思われる木の上へと退避した。ほどなくして、下の方から仲間達が駆けつけてきたのか、いくつもの足音が響いてくる。
間一髪だった、と勇治は木の上で胸をなでおろした。
「笹野の信号が消えたのはこの付近だが……」
「信号が消えたってことはしくじったってことでしょうが」
「奴からの無線では相手と交戦し、傷を負わせたところまでは行っているようだ。だが、急に何かに怒鳴り散らすようにして無線が途切れた。信号もおそらく自分で消したみたいだ」
「使えねー奴だな、本当に」
その会話は、まるで相手がすぐ隣にいるかのように、直接勇治の耳元に響いてくる。錬装機兵の部隊はどうやら無線で会話を行っているようだ。先程は外の相手に向けてだったので、音が外に漏れるようにしていたが、隠密作戦ではこちらの方が都合がよいのだろう。
……そして、なぜかその無線が拾えてしまう自分の性能に、感謝せざるをえない。
(とにかく、このまま奴らをやり過ごすことが出来れば……)
『オートエイド』
勇治は久しぶりに流れてくる機会音声に、思わず背中をはねさせてしまう。
例によって頭の中に言葉の意味が流れてくるが、どうやら先程の傷の手当を行ってくれるらしい。焼けるような熱を感じていた右腕に、何かひんやりとした感触が添えられる。
(さっきの奴が死んで、腕に刺さっていたナイフも消えた。結構血が出て危ないと思ったけれど、こいつにはこんな機能もあるんだな)
とはいっても、流石に傷そのものの治療まではいかない。せいぜい止血程度のものである。痛みは一向に治まらないが、それでもないよりマシだ。戦闘する分にはかなり支障が出るだろうが、夜を越せるくらいまでは持つだろう。
「隊長、落とし穴を見つけた。中に誰かいるようだ」
「念のためにフラッシュバンを使え。敵が隠れているかもしれんぞ」
勇治はフラッシュバンのことは詳しく知らなかったが、次の瞬間の音と光で十分に物を理解した。再度体が跳ね上がってしまったが、物音と破裂音が重なっているのでそう簡単にバレはしない。
「どうだ?」
「笹野の死体だけです」
「状態は?」
「落とし穴の鉄槍でやられているみたいだが……いや、これは銃創か?ちょうど喉の辺りを貫通している」
その会話を聞いて、勇治もふと妙なことに気づく。先程は一刻も早く落とし穴を出ようとして、死体のことはよく調べていなかった。というか、別に調べようとも思わなかった。
よくよく考えると、勇治の銃で死んだかどうかも怪しいものだ。
「しかし、このスーツ。なんで暗視装置の一つもついてねーんだよ。ライトだって手持ちだし。研究チームは戦闘の素人しかいないのか?」
敵の一人が小声で愚痴っているが、言われてみれば確かに納得のいく文句だ。
逆に言えば、レーダーのようなものが無い故に勇治はここまで助かっているのだが。
「止むを得ん。黒い奴の捕獲は諦める」
「いくらなんでも決断が早すぎじゃないですか?」
「……違う。本部からも撤退命令が出ている」
勇治は撤退命令の一言を聞いて、ますます安心する。多少気になるところはあるが、今の状態で戦闘を避けるに越したことはない。
しかし、当然のことながら、隊員たちからは不満の声が上がっていた。
「折角、ここまで追いつめたっていうのにっ!?相手も負傷しているようだし、上の命令だからって、撤退には納得いかないっすよ!」
「いや、逆だ。うかうかしていると、こちらの身も危うい」
「何かあったんですか?」
「ついさっき本部から連絡があってな……屋敷に残っている部隊が全滅した。あのシグ・フェイスとかいう奴一人にな」
それを聞いた勇治と隊員たちは一斉に驚愕の声を上げる。
(やっぱり……すごいな。明理さんは……)
自分が黎明などに手を貸さないのは、彼女を敵に回すのが怖いせいなのかもしれない。
そんな冗談のような思いつきに、勇治自身も自嘲するほか無い。
「ヒーロー気取りのふざけた女かと思っていたが……考えが甘かったのはこちらのようだ」
「ちょっと待ってくれ、隊長さんよ」
部隊長の自嘲などお構いなしかのように、隊員の一人が冷静な声でその場を遮る。
「今、屋敷の部隊が全滅と言ったよな?そもそも何でやられたんだ?俺たちは『こんな物』まで着てるってのによ」
「無線で聞く限りは――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……明理さん」
後ろからの言葉で我に返ったかのように、明理は手を止め、ぶんぶんと首を横に振る。
その足元には、後頭部がべっこりと凹んだ男の遺体がうつ伏せに転がっていた。その頭の先には白く糸を引いた半透明の球体が二つ。
その後ろで浩輔は、屋敷の壁に背を預けつつも、辛うじて足を進めていた。先程受けた拷問が響いているのか、顔は先程よりも青く腫れ上がっているが、軽口を叩ける余裕は残っている。
「なんか、らしくないですね」
「うっさい。私はただ正義の鉄槌を振りかざしているだけだ」
明理はやや言葉を詰まらせながらも、手足についた血糊を払う。
「じゃあ、いつもの説教はどうしたんですか?『反省しろ!』って奴」
「こいつらはー……その、改善の余地はない。生まれついての悪だ。遺伝子がそうさせているんだ。血脈を絶ってやらなければ。大人しく死なせてやった方がこいつらのため……」
「問答無用で、文字通り瞬殺、でしたね」
浩輔の後ろには、どてっ腹にぽっかりと穴の開いた男。そのさらに後ろには首をねじ切られた女性。さらにさらに後ろには、後ろ側に綺麗に二つ折りになった男。
指や足の二、三本は日常茶飯事であるが、ここまで口を利けない状態にするのは珍しい。
少なくとも、浩輔が今まで見てきた中では。
「だぁぁっ!文句あんのかコラぁっ!一応、っつーか二応三応、お前のためでもなぁ!」
「俺、血を見るの苦手なんですよ。てっきり、今までも気遣ってくれたものだと」
「知らん!そんなの知らんっ!!」
明理はすっかり立腹し、ずかずかと先の方へ進んでいく。
浩輔も苦笑いしながらその後を追って行くが、明理の異変を忘れるまでには至らない。
明理自身も自分のことを分かっているのだろう。周囲に無駄に当り散らして、必死に隠そうとしているのが見え見えだ。
「ユージぃっ!どこ行ったコラァッ!あと、あのクソ博士とチビッ子ォッ!」
明理は吼える。
が、その咆哮に答える者はだれもいない。敵も、味方も。
屋敷内とその周辺の敵は粗方片付いた。
そう、全て殺した。
錬装機兵と呼ばれる、アルク・ミラーの量産型の部隊。
そして、それ以外の屋敷の人間も全て。
散々暴れまわったせいか、屋敷も既に半壊状態で、一部からは火の手が上がっている。周囲の電灯が尽く壊れてしまっているので、逆に助かってはいるのだが。
「どこかに避難したのかもしれないですね」
「要は逃げたってことか?」
「まぁ、勇治君も変身できるからそう簡単にやられはしないと思いますけど」
「さーな。あの赤い奴みたいに、変身する前に眠らされたかもよ」
明理はいい加減なことを言いながら、近くに転がっている使用人と思わしき死体の服を弄る。すぐに胸ポケットの中から財布を見つけて、中身を確認するが、結果は軽い舌打ちで終わった。
「随分と安い給料で雇われてたみたいだな。ま、金持ちの下ってのは大概そういうもんか」
「こんな時に死体漁りですか?」
「使えそうなのはこいつくらいだな、ほれ」
明理は後ろに向かって一枚のカードを投げる。足元がおぼつかない浩輔は、最初からキャッチするのを諦め、一旦地面に落としてから回収した。
「免許証ですか……」
「下っ端かも知れねーが、周りの人間を洗うことぐらいはできるだろうよ」
「別にそれは構わないですけど、勇治君はどうするんですか?結構真面目に」
そんな浩輔の言葉に、明理はやや詰まったような返事を返す。
「ユージの奴はだな……正直扱いに困ってる」
「何かあったんですか?」
「ん……と。いや、勘だな」
「意味分かんないですよ、割と本気で」
「分からんでいい」
明理は話題を変えようと、近くに転がっている死体を次々と足でひっくり返す。
流石にこの辺りまで来ると、死体の損傷や血がどうとかという視覚的なものよりも、むしろ嗅覚的なものの方が厳しくなって来ていた。
浩輔はマスクで臭気を完全ガードしているであろう明理を恨めしく見ながらも、死体に近づいていく。
「お前を拷問していた奴、見つかったか?」
「探しててくれたんですか?……今のところ、死体では見つかってないですね。一目見たらすぐに分かりますし」
「つーことは、逃げたか。拷問係なんて、大した地位でもないだろうに」
「奴は自分の身を護るためなら手段を選ばないやつです。……昔から」
明理にとっては単なる話題変えのつもりのだったのだが、浩輔から意外な言葉が飛び出してくる。
「おいおい、知り合いだったのか!?」
「追ってたんですよ。ずっと。まさか、こんなところで飼われていたなんて……まったく」
浩輔の顔は少し緩んでいた。
黒い、笑みだった。
その表情を見て、明理もようやく事を思い出した。
初めて、二人が出会ったときの事を。
「怨敵って奴か。確かお前の妹を殺したん……だっけか?」
「一番初めに頼んだとき、あっさり断りましたよね。『人の復讐に手を貸すつもりはない』って」
「あー……まぁ、復讐ってのは本人の手でやってナンボだ。……いや、これはヒーローの台詞じゃねーな。えーっと……」
「今更だから、別に弁明しなくてもいいです」
気がつくと、浩輔も死体漁りを始めていた。
何か、使えそうなものはないか。
一人の老執事の死体から、拳銃が出てきた。
浩輔は何の躊躇いもなく、それを手に取り、弾の有無を確認し、足を広げ、おぼつかないながらも、射撃姿勢に入る。
狙いは、玄関口にあった、例のブロンド髪の線の細い少女の肖像画。
そして、一発の発射音と共に、その額に小さな穴が空く。
「あの時のビルの中で、あいつの姿を見たとき、久々に頭に血が上りましたよ」
「そのせいで捕まって、拷問まで受けてりゃ世話ねーわな」
「隙を見て刺し違えようとはしましたけど。……いや、今回ばかりは本当に助かりました」
浩輔は銃の反動で体勢を崩し、尻餅をついていた。筋肉へ両腕にも衝撃がじんじんと残っている。
何とも不恰好だが、本人的にはこれでよかった。
使えることが分かれば、それでよい。
「ご立派な心がけだが、死んだ妹のためにそこまで覚悟するとはな」
「……一応言っときますけど、俺、そういうのじゃないですよ。妹が殺されたのは理由の一部。両親も、家も、そして、俺自身も」
奴は全ての惨劇の引き金を引いただけに過ぎない。
自分の手は汚さず、そして、今ものうのうと生きている。
「で、そいつの名前は?」
「相川一郎」
「覚えやすい名前だ」
「容姿はさっき言ったとおりです。眼鏡をかけた、唇が厚ぼったい感じの小太りの男。あと少し垂れ目気味でしたね」
「それらしい奴を見かけたら、残しといてやるよ」
「協力してくれるんですか?」
「ついでだ」
二人の足元から、砂嵐のような音が鳴り響く。
つい先程まで使われていたであろう、携帯用の無線通信機だ。
男の声のようなものが途切れ途切れに流れてくるが、言葉は全く聞き取れない。
「黎明と啓明……だっけか。どっちもどっちだ。悪党であることには変わりない」
「両方潰すつもりですか?規模的に結構骨が折れそうですけど」
「ふん、同士討ちなんて待ってられるか。悪の組織は多いのに越したことはないさ」
そう言って明理は、無言で機械を踏み潰す。
周囲に小さな火花が飛び散り、それに呼応するかのように、屋敷全体がぐらりと動いた。