33.探り合い
愛樹の蹴りはまたしても、明理の目と鼻の先を掠める。
明理はひゅう、と口笛を吹きながらも、フェイスガード上に出来た一文字の破損には肝を冷やす。
装甲の損傷はすぐに修復されるものの、相手からのダメージがまともに通るというのは、ウォーダ戦と同じく、結構なプレッシャーになる。
さらに立て続けに繰り出される、愛樹の下からの縦凪ぎの蹴り。後ろに下がっては駄目だと、明理は相手の死角になる左側に飛んだが、上がり伸びきって一瞬勢いが死んだはずの彼の脚は、いきなり急加速をして、死角であるはずの方向へ振り下ろされる。
これまた、後数センチというところで明理は身をかわし、愛樹の足が衝撃音を鳴らしながらコンクリートの地面に突き刺さった。
「今の避けるか。攻撃を仕掛けてきたら当たってただろうけど。判断力もいいみたいだね」
「……生憎だが、この私をそこいらの一般人と一緒にしてもらっては困る」
「ふふ、そうじゃないと僕も困るんだよ」
愛樹は少しうれしそうに足を引き抜き、今度は爪先立ちで軽く跳躍してみせる。
足の部分の紅い装甲は、明理のシグ・フェイスのボディに比べてもより流線型になっており、指で触れただけでも皮膚が切れそうなくらいに鋭利な意匠だ。
しかし、威力面においては、それだけでは説明のつかない部分もある。
(こいつは生身の戦闘力も中々だろうが、あの不自然なまでの蹴りの加速は……それに、見た目以上のリーチがありやがる……)
明理の視線がふと、地面に行く。
相手の足元の周りには、明らかに他の所とは異なる、黒く焼け焦げたような跡があった。
「余所見すんなよぉっ!」
「っ!」
声が聞こえた時には、既に喉元まで愛樹の足が迫っていた。今度の顎の下を掠め、口元が露出するまでに装甲が破壊される。すかさず、明理が反撃に転じようとするが、攻撃の手が止まってしまう。
愛樹の両脚は、既に地面の上に収められていたのだ。さらに、明理の一足一蹴の距離からギリギリ外れるくらいまで、間合いを取っていた。
(くっそぉ~、攻守共にしっかりしてるぜ、まったく……)
明理は内心悔しがりつつも、わざとらしく体勢を崩し、首を左右に捻って金切り音を鳴らしてみせる。
愛樹も少しつまらなそうに、肩をすくめて見せた。
「どうしたんだい?そっちからは攻撃しないのかい?」
「いや~お前の攻撃をもっと見てみたくてさ。これからお前のような奴が続々出てくるとなると、対処法をしっかりと練っとかないとな」
「ふん、『これから』があるとでも思ってるのかい?」
「あ~いやはや、まったく持ってその通り。お前よりも『もっと強い奴』が控えてるなんて思うと、気が滅入ってくるなぁ~」
明理の挑発は本人が考えているよりも露骨なものであったが、それに対して、愛樹も見事なまでに露骨な不快感を見せる。
「……そんな奴はいないよ。僕が一番強い……」
「ふ~ん、ウォーダの奴よりも~?」
「あいつは所詮作り物さ。主人に飼われるペットでしかない」
「でも、黎明には他にもアルク・ミラーが控えてるんだろ~?お前みたいな奴がゴロゴロと……」
「ふん、そもそもオリジナルは僕一人……ぁ」
愛樹が途端に口を紡ぐ。
明理は自分の持てる力を出し尽くした最大限の笑みを、フェイスガードのせいで相手に見せることが出来ないのを非常に心惜しく思った。
「うっひっひ~、い~い~こ~と~聞ぃーちゃったぁー!」
「……っ!」
「そこで黙りこくってんのが余計に墓穴掘ってんだよ、ばーかばーか!」
「お、前ぇ……!」
「じゃあ、『いない』んだなぁ!?他にぃ、アルク・ミラーはよぉ!ガキ共を拉致って人体実験ばっかり繰り返してるから、妙だとは思ってたがなぁ!」
愛樹は無言で攻撃態勢に入る。
今度は、その前に明理の回し蹴りが飛んでくる。
流石に速さは愛樹に劣るが、風を切る音は、遥かに重いものであった。
「それを聞いて安心したぜ!これでお前を倒すことだけに集中できるってもんよ!」
明理は思わず後ろに飛びのいた相手を追撃するようなことはしない。
その場で、手をぷらつかせ、愛樹と同じように軽くつま先立ちをした。その意図を見せ付けるかのように、軽い手招きも添える。
「へぇ……舐めて、くれるじゃないか……足技で僕に勝とうってのか?」
「私は、お前みたいな奴の鼻っ面をへし折るのが大好きなんだよ。自分の自信が、プライドが、音を立てて崩れるのを見るのをなぁ。それが悪党だったらなおよし!」
「そうかい……なら、少しだけ本気を出してやろうじゃないか!」
次の瞬間、愛樹は一歩踏み出し、大きく跳躍した。
そのまま空中で一回転し、右足を前に突き出して、相手の首を取らんとばかりに突っ込んでくる。
(馬鹿がっ、頭に血が上ってんのが見え見えだぜ!)
明理の口元が緩む。
この状況で飛び蹴りを選択した相手を思いっきり嘲笑した。
威力、スピード、コントロール、全てにおいて、今までの蹴りに劣る。不意打ちならともかく、面と向かっての飛び蹴りなど、対処してくださいと言わんばかりの代物。
明理の両足は、カウンターを狙い定め、しっかりと地面を踏みしめる。
が、突如、愛樹の姿が視界から消える。彼女もまた固定概念に囚われて、思い込んでいたのだ。
『空中の敵は自由がきかない』と。
敵は、既に着地していたのだ。明理の真後ろに。振り向いた時には、既に脚が動いていた。
「しぇぇぇぃあぁぁぁーーっ!」
「っとぉっ!?」
愛樹もまた、脚を振り上げながら勝利を確信していた。
自分の位置に気づいたところで、この状況では、前のめりに逃げるか、横に避けるか、その場にしゃがむかしかない。その全てにおいて、対策はある。この一撃で終わらせる。
だが、明理の動きも、予想外のものであった。
真後ろからの蹴りに対して、真後ろに飛び込んだ。
明理の体は愛樹の振り上げた脚に対して平行になり、直撃を避けただけでなく、さらにバック宙の要領で地面から離れた両足が愛樹の両肩を支点に、そのままさらに後方へ身を移す。
「な、んだとぉ……!?今の攻撃を……!」
「ヒューッ!あっぶねぇーっ!今のは流石の私でもヒヤっとしたぜーっ!……だがっ!」
「ちぃっ!」
愛樹は多少面食らってしまったが、それでも攻撃の手を緩めようとせず、真っ直ぐに向かってくる。
が、今度の明理は、何かをひらめいたらしく、相手の動きを見ようともせず、一目散に後ろに走り出す。その先は行き止まり。というか、足場がない。地面まで40メートル以上の高さがあるのだ。それでも、明理は迷い無く、落下防止用の柵の手前で踏み込んで全力で跳躍する。
「向かいの建物まで飛び移る気か!」
明理に続いて、愛樹も同様に跳躍する。その差は徐々に縮まっていた。
「思ったとおり!距離を詰めるなら……ここだよなぁっ!」
明理は、両腕と肩の反動を使い、空中で体を回転させ、右足を横に振り抜く。蹴りそのものが届くわけがない。二人の距離はまだ5メートルほどあるのだ。
愛樹の体に僅かな風圧が加わるが、とてもじゃないがダメージのうちには入らない。一瞬、脳裏でこの行動の意味を考えた。数秒後にそれこそ、相手の術中の内だと気づく。
明理の体は愛樹の足首よりも下にまで落ちていた。
別に何かのトリックを使ったわけではなく、あの速さで、あの角度での跳躍だと、物理原則的にそうなるものである。始めから、向かいのビルの屋上にまで跳ぶ気はない。ちょうど下の階の窓に激突するくらいに調整されていた。屋上まで飛び移るつもりだと考えていた愛樹とは始めから目的が違っていたのだ。
「ばいば~い」
「こんな小細工をぉっ!」
「じゃあ空中で動きをコントロールしないといけないよなぁ!」
愛樹はまたも相手にしてやられた、と憤る。相手を見逃さないためには、自分の手の内を見せざるをえないのだ。
明理の体はそのまま窓ガラスに突っ込み、何回か横回りした後、一息ついて、その場に立ち上がる。さらに愛樹の体も突っ込んでくるが、明理は素早く部屋の中の商品机を目くらましに投げて、適当にその場を凌いだ。
「やっぱり、そのスーツには推進剤か何かを仕込んでやがるな。蹴りの最中の不自然な加速といい、空中での駆動といい……ユージみたいな武器を使ってこないから、本当に肉弾戦専門かと思っていたんだけどよー」
「……それだけか?」
「あー、あと蹴りの時だけ、ほんの一瞬だけど、足の先っぽの刃が伸びてるよなー。さっき見た感じだと長くて30センチくらいか?ありゃ射程距離見誤るよなー」
「…………」
「しかも、毎回使ってくるわけじゃないから、ほんと見極めが難しかった。若干キレているようで、ちゃんと手の内を明かさないように戦っていたんだからな」
愛樹は無言のままであった。
彼自身は、まともな攻撃を一発ももらっていないのだ。ずっと攻戦一方だと思っていた。
だが、この短時間に、相手に手の内をここまで読まれてしまった。軽口を叩かれながら、徹底的に観察されていたのだ。
「どうした、早く足技勝負の続きやろうぜ。……あ、ちなみに言っとくけど、私の右足は風圧で軽い衝撃を出せる。んでもって、左足は瞬間冷却でスッパリとな」
「ご丁寧な解説ありがとう……お前は、なんとしても仕留めなければならないな……」
「ただし、ここじゃあ狭いから、続きは下でな」
「……なっ!?」
明理は再び窓から飛び降り、ビルの壁を駆け下りる。
愛樹もすかさず追おうとするが、その下の光景を見て思わず躊躇する。下の道路ではまだ先程の騒ぎが収まっておらず、大量の野次馬がいたのだ。
良くも悪くも名前を売っている明理ならともかく、愛樹はそう簡単に表には出れない。黎明側としては、アルク・ミラーの存在が世に明るみなってしまうのは避けたいところだからだ。
「っちわー、有楽町にお越しの皆様、お待たせいたしましたー!正義のヒーロー、シグ・フェイスの登場でーっす!私が来たからには、どんな悪党が来ようとももう大丈夫!」
さらに、街中でああも高らかに宣言されてしまっては、愛樹にとってはますます戦いづらい。
もちろん、周囲の人間の半分以上はまた疫病神が来たと余計パニックを起こしている。残りの半分は、単に物珍しさか、怖いもの見たさでその場に残っているという感じだ。
「……だが、乗ってやる」
愛樹も呼吸を整え、そのまま窓から飛び降る。その落下スピードが、明らかに通常の重力加速度のものとは異なるのを明理も横目で見ていた。
全身に装甲をまとった人物がはるか上から降り立ってきて、周囲に混乱をきたさないはずがない。
明理は野次馬の混乱をその場のノリで収めようと、いかにも特撮ヒーローっぽい決めポーズを取って相手を見据えた。
「現れたな!悪の怪人、フランケン・シュタイナー!プロレス技みたいな名前しやがって!てめーみたいな悪党は、アスファルトのマットが穴ボコになるまでキ○肉ドライバーぶちかましてやるぜ!」
色々と混ぜすぎて意味不明な文になっているが、その辺はノリでカバー。
少なくとも、周囲の人々がこの一文を聞いて思い浮かべるのは、道路課の役人が泣き、土木作業員が夜中に汗水たらして働く姿のみだ。
「『フロイデ・ヘックラー』だ、いい加減にしろ。……まぁ、悪役を演じるのも悪くはないけどね」
愛樹はそう言うと、右足のつま先の刃を10センチほど伸長させる。
そして、間髪いれずに、何の躊躇いもなく、『周囲の人間』に攻撃を仕掛けた。
「えっ!?っておいっ!?」
「……ふん」
野次馬の首が4つ飛び、3人の上半身が切断され、肩を切り落とされたのは5人。
明理もまたもや予想外の行動だったので、助ける間もなく、反応出来なかった。同時に、彼女の取った、ノリで混乱を収束させる作戦も、一瞬にしておじゃんとなる。
「よく聞け愚民共!我こそは『啓明』の尖兵フロイデ・ヘックラー!この国の秩序を護るために、社会を転覆させようとを企んだ『黎明』の連中と、正義のヒーローなどと下らんことを抜かし、周囲に混乱をきたすシグ・フェイスを殲滅する!先程の東郷のようにな!」
明理も心の底で感心してしまうくらいに、愛樹は高らかと宣言する。
それを期に、周囲の野次馬は将棋倒しを起こしながら一目散に逃げ出し、道路の真ん中に明理と愛樹の二人だけが残されてしまった。
「ふん、これで邪魔者はいなくなったね」
「おまけにちゃっかり保険までかけやがって。結構セコいとこあるなお前」
「それはお互い様だろう?」
大通りからは人が消えてしまったものの、依然として近くのビルの上の階からは、聴衆がその光景を撮り続けている。だが、戦いの邪魔にさえならなければ、特に気にするほどことでもない。
その点では、二人の考えは一致していた。
「さてと、まだ足技で勝負する気かい?」
「当然だ。探り合いも疲れたし、そろそろ真剣勝負と行こうか」
「右足は衝撃波、左足は凍結、だったね。どう使ってくるか楽しみだよ」
互いの思想などどうでもよい。
ただ、強敵と戦う緊張感と喜びが二人の間に生まれていた。




