31.敗北
「篠田さん!どこに行くんですか!?」
「とりあえず付いて来てくれ、勇治!」
東郷が撃たれた後、有楽町のビル街はパニック状態になり、逃げ出そうとする人々、警察、野次馬、マスコミ、そして、それらの車両が渾然となり、大規模なカオスを形成していた。
人々はただ安全な場所に我先にと動き、空間があるところへと進む。中には将棋倒しになっているところもあり、子供や老人は何名か死者が出ていることであろう。
しかし、その一角で、あまりにもスムーズに流れる人の波があったのだ。
街宣車の後ろの駅ビルから出てきた、数名のスーツ姿の人物達。街宣車の周りは既に警察が取り囲み、一般人は近づけないようになっているはずだが、その者らはすんなりと現場の中に通してもらえていたのだ。
始めは私服の刑事だと思っていたが、どうにも動きが妙だった。シートを被せられた遺体をやたらと細かくチェックし、無線機に向かって何やら淡々と報告しているものの、そこから一向に動く気配がない。応急的なものならばともかく、検視官らしき人物もまだ来ていないのに、遺体をここまで荒らしていいものなのか。
また、現場を取り囲む警官の内側で、さらに遺体を取り囲むように立っているのも気にかかった。
あくまでもこれは勘。何か確証があるわけではないが、今ここでじっとしてても事態は進まない。
「あの東郷が、こうなることを全く予想できなかったとは考えにくい」
「そうかもしれないですけど……」
浩輔は駅ビルのエレベーターのボタンを押し、中々降りてこないのに苛立ちつつも、ちらちらと現場の方を眺める。状況の方は相変わらずだ。遠くから救急車の音が聞こえてはいるが、この人ごみの中を突破するのに苦戦しているのは見なくても分かる。
「ただ、あの映像だけは……」
「篠田あかりって……あの……」
「俺の、妹だ。あの映像で言っていた通り3年前に殺された」
浩輔は息を荒らげながら、吐き捨てるように呟く。
先程から何かをこらえるように歯を食いしばっており、その形相に勇治も只ならぬ事情を感じていた。
「知っているんですか、あの『ショー』って奴のことを……」
「知ってるも何も、俺はあの時、あの場にいたんだからな」
「じゃあ、あの映像は紛れも無く本物?」
「ああ。だが、妹を殺した連中が、財界とかの大物とは知らなかったけどな。俺と会った時は、全員顔を隠していやがった。それこそ、ヤクザ共とかの地下組織とばかり思っていたよ」
浩輔はじっとエレベーターの表示を見つめているが、その手は僅かに震えている。
「なら、東郷を撃った奴は、もしかしてその時の……?」
「いや、それはまだ分からない。東郷が撃たれるような展開がそもそもおかしいんだ。そうかもしれないし、東郷自身があの場にいたのかもしれない」
「…………」
「だが、それでも奴らの正体が掴めるかもしれない……その手がかりが近くにあるかもしれないんだ」
「……ずっと、追っていたんですか?」
「もう半分諦めてはいた、けどさ……」
勇治はてっきり浩輔が普通の人間だと思っていた。まだ付き合いは長くないが、そんなこと一言も言わず、表にも一切出さなかったし、そんな過去があるなど思いもよらなかったのだ。
……だから、浩輔は明理に手を貸していたのだろうか。
エレベーターはまだ降りてこない。
だが、その階数表示を見て、浩輔は確信したように口を緩ませる。
「見ろよ、このエレベーター。さっきから最上階で止まっている」
「最上階って、えっと……『現在店舗改装中』?」
「何の表示もなしに客に使わせないなんておかしいだろう?」
「けど東郷はこのビルの真下にいたんですよ。そんなところから狙えますかね?」
「このビルから撃ったなんて俺も思っちゃいないさ。でも、この上からなら、ここら一体は丸見えだ」
二人はビル内の階段やエスカレーターを見渡すが、どこも外の騒ぎで満員御礼だ。
この様子だと、最上階まで辿り着くには、体力の問題抜きに果てしなく時間がかかる。
「駄目だっ!非常階段も詰まってます!」
「いや、まだ従業員専用の通路があるはずだ」
浩輔は建物の混乱に乗じてスタッフルームに乗り込み、ダンボール箱の山の脇をすり抜けながら、上の階への通路を探す。途中、本物の従業員に不審な顔で見られるが、まるで気にしていないと言わんばかりに突き進む。こちらの方がかえって怪しまれないのだ。
「篠田さん、ここならエレベーターも動きますよ」
「……いや、人目につかないのなら、ここは階段で行こう。時間はかかるけど、もしものことがある」
勇治もいつぞやの病院のことを思い出し、すぐに階段の方へと意識を切り替えた。
幸いにして、というか、いつもどおりというべきか、従業員専用の非常階段は全く人気が無い。階段の上り下りの音もよく響き渡るので、それがよく分かる。
遥か上まで続く階段に、浩輔も僅かに躊躇するが、あまり時間は掛けられないと、素早く階段を上がる。途中で息が切れ、すぐにスピードが落ちてきたものの、それでも二人は一定の速さで上り続けた。
だが、最上階まであと二階となった時、勢いよく開かれるドアの音に、二人に肩が飛び上がる。
「ひっ!ひぃぃぃーっ!?」
中年のやや腹の出たスーツ姿の大の男が、悲鳴を上げ、顔を引きつらせながら、階段を下りてきたのである。いや、降りるというよりは、半ば転がり落ちるかのような様子で、かろうじて手すりに掴まり、バランスを保っている状態であった。
男は浩輔と勇治の顔を見ると、口早にわめきだす。
「き、君達!何でこんなところに!?い、いや、早く逃げるんだぁ!」
「何かあったんですか!?」
「赤い鎧の男……いや、とにかく、死ぬぞ!?今すぐ逃げろ!殺されるぞぉ!?」
「あ、いや、え?でも、おじさ、ん!?」
勇治の制止も聞かず、中年の男はそのまま、階段の下に転げ落ちていく。その軌跡の端々には赤黒い血痕がついていた。先程から、首元がおかしな動きをしていたのだ。下に行けば行くほど、その血痕は広がり、そして、階段の途中で体が崩れ落ちる。
「今の人、首の後ろがパックリと……」
「……それに赤い鎧って言ってたな」
「くそっ、錬装着甲ッ!」
勇治は己の敵の存在を確信し、考える間もなく漆黒の鎧を身に纏う。
そして、一気に残りの階段を駆け上がり、中年男が出てきた最上階の扉までたどり着いた。
「篠田さんは近くに避難しててください。この先には、多分奴が!」
「あ、ああ……気をつけろよ」
勇治は音を立てずにドアを開き、慎重に歩みを進める。
最上階フロアは、表向きには改装中と書かれていることもあり、周囲には机や棚などの無機的な資材が乱雑に詰まれていた。勇治は念のために、それらの物でヒートマチェットを形成しておく。
先に進んでいくと、資材や床に、いくつもの血痕が点々と付着している光景が目に入ってくる。その点を追っていくと、ついには遺体が姿を現し始めた。
「……ッ!」
勇治は思わず口を押さえようとして、フェイスガードに手をぶつけてしまう。
ここ数日の出来事で、人の死体に対して耐性が出来ていたつもりであったが、流石に目の前の凄惨な亡骸を見ると、今にでも喉から何かがこみあがって来るような感覚を覚える。
――若い女性の死体だった。
ただ、赤く晴れ上がった顎が右側に大きく歪み、口からデロンと血だまりを垂らしたまま絶命していた。化粧を差し引いても二十代、よくて三十代前半の女性だろうに、普段の顔が想像出来ないほど、醜く歪んでいた。生きてる人間にはとても真似できない表情だ。
さらに進むと、体の左半分がすっぱりと切断されている男の死体。どう考えても人間業じゃない。既に感覚が麻痺しているのか、並みの死体では感想すら出ない。
「まさか、こんな茶番でお前まで釣れるとはね……」
その先に、聞き覚えのある声、そして聞きたくもない声が勇治を待ち受けていた。
ごく一般的な安物のパイプ椅子に、図々しく脚を組んで座っている全身を赤い装甲で固めた男。上に組んでいる方の足の先からは赤黒い雫が落ち、床に無造作な血痕を描いていた。
さらにその男の目線の先には、悲痛なうめき声を上げながら床に転がるスーツ姿の男女が3人ほど。その内の若い男は足首が変な方向に曲がっているので、おそらく3人とも同様に脚部を破壊されたのだろう。勇治は無意識の内に冷静な分析を行っていた。
「この騒ぎは……お前らが起こしたのか?」
「ここで演説しようと言い出したのは東郷サンだけど、銃撃したのはこいつら」
「……どういうことだ?」
「言葉通り。この社会の裏で好き放題やっている奴らの正体を暴こうとして、東郷サンは撃たれて死んだ。それだけさ」
「東郷はお前の仲間じゃないのかっ!?」
勇治の問いかけに赤い鎧の男は、辛抱たまらんといった具合に肩を震わせて小刻みに笑う。
「何が可笑しいっ!?」
「はは、君の言動が見事に一般人の反応だからね」
「何ぃっ!?」
「き、君……!」
勇治が詰め掛けようとすると、床に転がっている男の一人、皺の多さで一番年長者らしき人物が声を絞り出す。
「君が誰なのかは知らんが、東郷はおそらく死んではいないっ!これは全てこいつらが仕組んだ芝居だ!我々はまんまと嵌められたわけだ……」
「はい、おっさん正解。正解者はリクエストに応じて殺してやろうか。撲殺絞殺惨殺射殺焼殺溺殺どれでも好きなのを選びな。つーか、気づくの遅いよ大間抜けが」
この二人のやり取りで、勇治の疑問は更に深まる。
「東郷が死んでいない!?……じゃあ、下で遺体の周りに集まっている奴らもお前の仲間か!」
「そこのクロンボはさらにアホだな。下の奴らはこいつらのお仲間さ。今頃誰が東郷サンを撃ったのかで大騒ぎしているところだろうよ。でも、念のために遺体は回収しとこうって腹かな」
「じゃあ……あれは偽者か!?だが、検死すればそんなものすぐに……!」
「誰が本物の東郷サンを知っていると言うんだい?病院にあるデータが本物だという確証はあるのかねぇ……まぁ、それに関しても色々と手は打っているけどさ」
赤い鎧の男は不適な言い草で語り続ける。
勇治はフェイスガードの内側で奥歯を噛み締めながらも、目の前の男、そして黎明という組織がとてつもない巨悪であることを認識した。同時に、この調子ならもっと情報を引き出せるかもしれないと、敢えて相手の思惑に乗ってやろうとの考えまで生まれていた。
「なんて奴らだ……我々は黎明を甘く見すぎていた……こいつらの目的は……」
中年は脚の痛みに顔を歪ませながら、小さく吐露する。その一方で、声には出さないものの、悲壮な形相で勇治に助けを求めている。
「お前らの目的は一体何なんだ!東郷も国会議員になったのに、何故わざわざこんなことを!?」
「目的、ねぇ……東郷サンの本心は知らないけど、とりあえず、この世の中を変えることは間違いないだろうね」
「なら、もっと……まともな方法で変えればいいじゃないか!」
「君のような他力本願で何も知らない馬鹿は簡単に事を片付けようとするね。国会議員ったっても何百人の中の一人だよ?大政党の後押しも無しに、世の中の何を変えることができるっていうんだい?」
赤い鎧の男は完全に勇治を嘲笑していた。
勇治もただの高校生だ。政治的な話ではとても相手にならないことは重々承知している。
「君!こいつらは将来は間違いなく大々的なテロ活動を行うつもりだ!東郷を表向きに殺したのは、奴を地下に潜らせて、マスコミの目から遠ざけるため!そして、ありもしない『啓明』という組織をでっちあげて、世論を誘導させ、テロの口実とするためだ!」
「え、え?啓明は存在しない……?」
「さっきの『ショー』だって本物だろうによく言うよ。それに、名前をつけてあげたほうが市民も分かりやすいだろう?」
勇治は情報を引き出すつもりが、どっちが本当のことなのかと困惑する。
そこまで言うと、赤い鎧の男は椅子から何かに気づいたように立ち上がり、フェイスガードの奥から軽い笑みを漏らす。
「悪いけど、君達の相手はしてられなくなった。後は他の人に任せるよ」
「待て、どこに行くつもりだ!」
「シグ・フェイスの方さ。かなり強いっての聞いてるからね。君なんかと違って」
「俺を放置するつもりか?」
「問題ないからね」
赤い鎧の男は、ひうん、という風切り音と共に窓の方に振り返る。
一拍遅れて、びちゃり、と、何か液体のようなこぼれた音が鳴り、さらに数拍遅れて、勇治はまた一人犠牲者が出たことを理解する。
「よくしゃべるおっさんだったけど……コレで静かになったね」
左隣にいた女性が声にならない悲鳴を上げながら、失禁する。
中年の男の体は、右隣にいた男の方にもたれかかり、か細く喉を鳴らしていた。しかし、下顎を失ってしまった人に、明るい余生など期待できるはずも無い。
「なん……てことを……!」
「あぁ?このおっさんは悪人だよ。君の定義から言ってもさぁ。残りの二人も同じく。将来の甘い汁を吸いたくて、時の権力者についてるだけのコバンザメさー」
「お前だって東郷についてるじゃないか!」
「別に東郷さんの『下』にいるわけじゃないよ。あの人とは利益が一致するから『協力』しているだけさ」
「利益だと!?」
「そう……既存権力の徹底的なまでの破壊さ!」
その瞬間、窓の奥、つまりは外から爆音が響く。
勇治たちの今いるビルとは道を挟んだ向かいの建物からであった。上の階の窓からは大量の粉塵が飛び散っているが、その中から二つの影が飛び出してくる。
一つはシグ・フェイスだ。だが、もう一つの影は、勇治の位置からではよく見えない。
「ちっ!ウォーダの野郎め……奴を変に傷つけんなよ……フェアじゃなくなっちゃうだろ……?」
「向こうでも戦闘が始まっているのか!?……だったら!」
勇治が足を一歩踏み出そうとした瞬間、眼前に赤い鎧の男のつま先が突きつけられる。
「だったら……『お前は俺が相手だ!』ってか……?」
つま先が勇治の視界から消える。
次の行動を思考する間もなく、勇治の下顎に鈍い衝撃が走り、体が一瞬軽くなる。だが、視界が一瞬天井を向いたと思ったら、次は頬に衝撃を受け、そのまま180度世界が回転する。
足を踏ん張ろうにも、足は浮いているのだ。体全体が浮いているのだ。自由が利かない。しかし、重力が働いている限り、体はいずれ落ちる。そう脊髄反射で思考した瞬間に、今度は腹に膝蹴りが入る。再び、体が持ち上がる。
それでも手は動かせる。ナイフで少しでも防御できれば。……そう思った瞬間に、脳が揺れる。視界が急降下し、ブラックアウトする。
「ふん、準備運動にもならないよ。錬装能力を持っただけの凡人だなんて」
勇治の眉間に冷たいものが流れていた。汗ではなかった。
つむじの辺りに何か刺さっている。……が、その感触はすぐになくなり、刺さった後の痛みだけが残る。
肺が呼吸のリズムを忘れ、滅茶苦茶に暴れまわりながら、必死に空気を吸い上げようとしていた。
体は全く動かない。痛みは無いのだが、脳が必死に拒否しているかのようであった。
「さーて、シグ・フェイスだ、シグ・フェイス。ばーさんの腰巾着なんかに、先越されてたまるかよ」
赤い鎧の男は、そんな勇治の様子を確認するまでもないと、何事も無かったかのように、ビルの窓を蹴り割り、外へ飛び出す。
部屋には地面に横たわる黒い鎧と、3人の死体が残されていた。




