30.接触
東郷が演説を行った駅ビルとは、道路を挟んで反対側の建物。その十二階は窓を覗けば外の全容が一目瞭然という位置取りだ。
表向きはとあるコンサル会社のオフィスということになっているのだが、そこで普段働いている者は、少なくとも今、この場には一人とていない。
いかにも典型的な「事務所」という感じの模様をした部屋の中には、明理と、他数名。
外の銃声と悲鳴は明理にも当然聞こえていた。何が起こっていたのかも、はっきりと目にした。
彼女のポケットの中の携帯が何度も振動音を鳴らすが、その場を張り詰めた空気を破ることなく無言で止められる。
「お前ら一体何考えてやがる……!」
「私は彼に頼まれたことを実行しただけに過ぎない。あれはあくまでも彼の意思」
「~~ッ!」
「そして、私がここに来たのは、彼の意思とは関係ない、私自身の意思。少なくともあなたと争うためではないのよ?」
軽く舌打ちを鳴らしながら完全に戦闘体勢に入っている明理を諌めると、白いローブを纏った老婆、ユミルはオフィスの座椅子にゆっくりと腰掛ける。その表情は穏やかとは言いがたいものだが、非常に落ち着いており、目の前の女を家に来たお客様のごとく眺めている。
彼女の後ろには同じく白いローブを全身に纏った年端も行かぬ少年が無表情のままで控え、さらにその横には、明理とはよく見知った間柄の大男、ウォーダがやや顔をにやつかせながら腕を組んで机に体を預けていた。
「話は聞いてるぜ、早くも黒幕様の登場ってわけかっ!お前が子供達を次々に誘拐して!改造して!変な力をバラ撒いている張本人だな?」
「……私がこの国に来て調製を施したのは3人。あなたが怒りを抱く誘拐事件とは一切関わりを持たないわ。あれはすべて私の意志の外で行われていること」
「責任逃れすんな!元はといえば……!」
「勿論、責任は取るつもりです。私も、今の事態はよく思っていない。何よりも、あなたという存在が問題なの」
「……どういうことだ?」
「あなたの持つ錬装能力が一体誰に付与されたものなのか……」
「あぁ!?」
明理は「そんなことこっちが知りたい」と言いそうになるが、すんでのところで口を止める。
ユミルはそんな明理の様子を気に掛けているような素振りは一切見せずに淡々と話し続ける。
「ウォーダたちの報告によると、あなたは私のアルク・ミラーと極めて酷似し、そして同等以上の力を持っている。その力の出所を知りたいのよ」
「知ってどうするつもりだ?」
「その者と話がしたい。何の目的であなたにその力を与えたのか」
「……もし、その目的があんたのお気に召さなかったら?」
「消します」
明理は「やっぱりな」と、予想が当たったのと、期待を裏切らない返事をしてくれた嬉しさにも似たような表情をしながら、表向きは呆れたような溜息を出した。
「……たぁ~、やっぱり悪人じゃねえか」
「別にあなたに危害を加えるようなことはしませんよ。あなたに調製した人物の味方さえしなければ」
「……へへ、悪りぃな。私もさっぱり知らねぇんだわ。誰が改造したのか知ったこっちゃねーし、もしかしたら生まれつき持ってる力かも知れねーし」
「もちろんその可能性もあるとも仮定してますし、あなたが半年以上前の記憶がないことは知っています。……だけど、あなたが覚えていなくても、私は知ることが出来る」
ユミルはやや強めの口調で切り上げると、すっと服の中から赤く光る物体を取り出す。
大きさは親指大くらいで、形は丸みを帯びた、ややいびつな楕円形。
一見すると大概の人は宝石と思うだろう。
「なんだよそりゃ」
「これは『賢者の石』。私は便宜上そう呼んでいます。これがないと私の提唱する錬金術は成り立たない……」
「錬金術ぅ?」
「アルク・ミラーも私の錬金術の力で成り立っているのですよ」
「へぇ~……で?その石にはどんな力があるっていうんだよ。質量保存の法則とか、等価交換の原則を無視できるとか?」
「これは……」
ユミルが年老いた白い左腕をはだけさせ、ゆっくりと賢者の石を近づけると、ぼうっ、という風が吹き上がったような音と共に赤白い光があふれ出す。
さらにその先を光景を見て、明理は口を開けたまま言葉を失っていた。
奇怪、恐怖、唖然、というよりはただ純粋なる好奇心。
未知なる物を目にしたときの、周囲のものが一瞬全てどうでもよくなってしまうような感覚。
ユミルの腕には無数の赤い直線、曲線、文字のような記号が走り、様々な太さ、向き、形のそれが、まるで原住民のペイントのごとく、複雑かつ繊細な図形を構築していた。
「なんだそりゃ……新手の手品?あぶりだし?」
「これは、その者が持つ、魂の情報……私は『コード』と呼んでいます。この『賢者の石』とは、この『コード』を浮き上がらせるための道具なのです」
「魂の情報……ますますキナ臭くなってきたな……つーか、情報ったってどうやって解読するんだよ。暗号解読票でもあんのか?」
「そんなものは必要ありません。ただ、触れればよいのです。そして理解しようとすること。たとえその者に記憶が無かったとしても、体に触れた情報は必ず残っている」
「随分簡単だな。それがあれば誰でも超能力者になれるんじゃないのか?」
「私の目的はあくまでも探求。トウゴウに力を貸しているのも、彼がそれなりの材料と施設を揃えてくれたから。別に彼の思想などに興味はない」
「つまりは奴も利用しているに過ぎないってか」
「ええ、彼もそれを承知で動いていた」
ユミルは石を持った手の空いた人差し指で、彼女の腕に浮かぶコードをなぞる。すると、模様のない部分にも、淡い光と共に新たな文字が浮かび上がった。
さらに、今度はそちらの腕を近くの事務机に近づけると、宙に光の文字が舞い、机の表面が何かにえぐり取られたかのように、ぽっかりと『無く』なっていた。
そして、目を見張る明理に向けてゆっくりと、いつの間にか左手に握られている物を差し出す。
「は、ははっ……見事なもんじゃねーか……」
折鶴。
ただし紙ではなく、プラスチックと金属で出来ている。机の上に置いた時の重い音で、十二分にそれを理解させられる。
流石の明理でも、苦笑いするほかなかった。
「あくまでも、これは錬金術の探求の中での過程。アルク・ミラーにしろ、ウォーダ達のような人造生命体にしろ……その端々で出来た産物」
「そいつはご大層なことで。……んで?あんたはその錬金術とやらを探求して一体何をやらかすつもりなんだ?」
「……」
ユミルは答えない、というより答えを選ぶかのように、口の周りに皺を寄せる。
しばしの静寂が流れたあと、彼女は何かを見上げるように呟く。
「この錬金術は何故存在するのか……を調べるためかしらね。……いや、調べなければならない」
「……訳がわかんねぇ」
「この賢者の石にしろ、何故存在するのか。もしくは、何を目的に作られたのか……」
「くっだらねぇ……哲学なんぞのために人を犠牲にしているのかよ。あるモンはある、でいーだろうが。もっと物欲のある目的の方がまだマシだ」
「そうね。たしかに本来の錬金術は人を不老不死にするためのものだったと言われているわ。でも、そのためには、物の性質を完全に把握することが必要になる。結局は知る必要のあることなのよ」
「だったら、探求するのはいいとして、せめてもっと世の中のために使ってやれよ。そのだけの力があれば、私みたいによぉ」
明理の強い非難に対して、ユミルは少し残念そうに溜息をつく。
「錬金術は科学とは違うわ。人の都合のいいように使われるべきものではない」
「力を独り占めしようとしている奴が言う台詞か!」
「……あなた、核兵器はどうやって作られているか知っている?」
「知らねーよ!つーか話題変えんな!」
「じゃあ、それを使う人、例えば国のお偉い人ね。その人は『自力』で核兵器を作ることが出来ると思う?」
「科学者でもないかぎり、出来るわきゃねーだろ。何の関係が……」
啖呵を切ってみたところまではよかったが、その途中で明理もユミルの言わんとすることを理解してしまい、言葉がつまってしまう。今朝の浩輔の話と同じ事なのだ。というか、自分も同じようなことを言っていたのだ。
「だから私は錬金術、ひいてはアルク・ミラーを無闇に広めるつもりはないし、この国を支配しようとも思っていない。この国で暫くして、答えが見つかりそうにないなら、そこで引き上げます」
「だーから!その時点で迷惑なんだろうが!お前のアルク・ミラーは……」
「ユージのような人物が力を持つなら問題ないんでしょう?彼はあなた側の味方。そして、アイキ……赤いアルク・ミラーの子はトウゴウ側の味方。私にどちらが正しいなんて判断できません」
「……それでイーブンにしたつもりかよ!?」
目の前の老婆が、かなり身勝手な理屈を振りかざしているのは分かっている。
だが、その理屈の目的が明後日の方向に向かっているだけに、明理はやり辛さを覚えていた。
「ですが、だからこそ、あなたの存在が最も厄介なのです。あなたに力を与えた人物がどういった人間なのか。何が目的なのか。もし、あなたの言う物欲のために、だったらそれこそ危険なのではなくて?それが分からなければ、どの道、私はこの国から離れるわけにはいかない」
「だから、話がしたい、と?」
ユミルはゆっくりと頷く。
明理の視線は先程からちらちらとウォーダの動きを捕らえているが、殺気のようなものは感じられない。今回はユミルのボディガード役に留まっているのだろう。
そして明理は無言のまま足を一歩踏み出す。すかさずウォーダが彼女の前に立ちはだかろうとするが、ユミルが小声で静止させる。
その間に明理は椅子に座るユミルの眼前というところまで近づいていった。
ここまでくると、後ろに控えている、ユミルと同じ白フード装束の少年の顔も少し険しくなっていた。
「私の情報を見たいんだろう?やってみせろよ。それと一つ聞いておくが、あんたが読み取った情報は私に公開してくれるのか?」
「……あなたが知りたいというのならば。約束しましょう。全てを教えます」
そのはっきりとした物言いに対して、明理は不適な笑みを浮かべながら、右腕をまくり、ユミルの前に差し出す。
ウォーダは、その姿を見て、つい茶化さずにはいられなかった。
「おいおい、さっきまで敵対視してた割には随分と素直だな、シグ・フェイスよぉ」
「勘違いすんなよ。お前らが私の敵ということに変わりはない。ただ、そっちからわざわざ情報を流してくれるっていうからそれに乗ってやってるだけだ。もし下手な動きを見せたら……」
明理の左手が怪しく動き、同時に脚も軽く浮く。
「いつでもお前らの主をバラバラにしてやれる」といった意思表示は子供にでも分かった。
「余計な口は慎みなさい、ウォーダ」
「へいよ」
ユミルに諌められたウォーダはややつまらなそうに体勢を崩しながらも、脚はいつでも飛び出せるように、軽い振動を起こしていた。
気を取り直したかのように明理は再びユミルと向かい合い、その眼前に右腕を突きつける。
その右腕にゆっくりと賢者の石が近づけられると、再び風が吹き上がるような音と、赤白い光が周囲に溢れた。同時に、明理は強い脱力感と倦怠感に襲われるが、正気を保てないほどではないと、背筋と両足に力をこめて体勢を支える。
「……ん、これはっ!?」
明理の腕に石をかざした瞬間、ユミルは今までに無いくらいに目を見開き、誰から見ても分かるような驚きの表情と声を上げ、狼狽するかのように明理から離れる。
「な、なんてこと……!?」
「ん、だよ……」
「シグ・フェイス……いや、アカリと言ったわね。偶然の一致ではないとは思っていたけれど、ここまでとは……!」
「だ、だから何なんだよ!勝手に一人で驚いているんじゃねぇよ!そんなに私の力が物凄いものだったのかよ!?」
「あ、ありえない……」
先程まで黙りこくっていた後ろの少年も、驚いたように開口していた。
ユミルも慌てたように少年の方に振り向く。
「ミューア、あなたも見えたのですね?」
「はい、先生……!僕でも、分かりました……!」
「だから何なんだって聞いてんだよっ!」
ウォーダの方もこの異常事態を察知したのか、明理に対して警戒の視線を強めている。
明らかに自分一人だけ置き去りにされたこともあってか、明理もただ怒鳴ることしかできなかった。
「アカリ……本当にあなたは何も覚えていないのですか……?いや、だからこそ、この状況がまだ救われているのかもしれない……」
「あ~じれったい!何が見えたんだよ!?気になるだろ!腕へし折るぞ!」
「……知りたいのですか?」
「ああ!別に記憶は戻らなくても差し支えないかなーとは思っていたけどさ!お前らがそんな反応するから、気になってしょうがないじゃないか!」
「……結論を言ってあげましょうか」
「おう!早くしろ!」
「あなたは……」
次の瞬間、部屋のドアが強く開け放たれ、言葉は遮られてしまう。
明理も答えより先に、そちらに気が向いてしまい、さらにドアを開けた人物を見て絶句した。
「こちらにおられましたか、ユミル殿。合流場所を間違えるとはあなたらしくない」
それは、つい先程まで耳にしていた低い中年の声。
真っ黒なスーツにすらりと伸びた背筋。年相応の皺が全て威圧感へと流れていく顔。
部屋の中の光景を目にした瞬間に、その男の目から僅かな笑みの色すら消えてしまう。
「ほほう、どちらさまですかな?」
「と、トウゴウっ!?何故生きている!?」
「ん?と、言うことは、ユミル殿のお知り合いというわけではないか……」
「彼女はシグ・フェイス……私がここにおびき寄せた」
「これはこれは、タイミングがあまりよろしくないが、お手柄ですな」
ユミルの顔は至って平静そのものであったが、明理にはその奥に僅かな苦々しさがあるように見えた。
ともあれ明理は、この瞬間から、自分の記憶などどうでもよくなっていた。
敵組織のボス二人と対峙しているのである。まずはこの場を切り抜けなければならない、という考えが真っ先に先行してしまう。
「初めましてですかな、シグ・フェイス。自己紹介など必要ないでしょうが、私の名は東郷烈心。おおよそヒーローなどという存在からは遠くかけ離れた男です」
東郷はあくまでも丁寧に取り繕うが、その目は鋭く、冷たい。さらに何か声を掛けようとするが、今度はユミルがそれを静止する。
「トウゴウ、話の方は私で済ませています。この女は私達の敵以外の何者でもない」
「ほう、随分と急がれてますな。私はこの者とはゆっくりと話してみたいと思っているのですが」
「後で存分に話すといいでしょう。まずはこの女を捕えるのが先です……ウォーダ」
「おいぃっ!?」
いきなりの結論を叩きつけられて戸惑う明理の前に、嬉々として大男が立ちはだかる。
さらに東郷の後ろにも3名の屈強なSPがついており、すぐさま拳銃を構えて戦闘態勢に入る。
「クソがぁっ!結局は問答無用かよ!少しでも譲歩した私がアホだったぜ!」
「トウゴウ、彼女はまごうことなきアルク・ミラーです!アイキを呼びなさい!ウォーダと二人で奴を捕らえるのです!」
ユミルの声が先程までの老婆とは思えないほど、若々しく、凛々しいものになる。
が、そんなことを気にする暇も無く、ウォーダはどこから取り出したのか、巨大な棒で明理めがけて強烈な突きを繰り出す。
「ちぃっ!」
明理はすんでのところで横跳びし、棒は彼女の体を僅かに掠めるくらいで済むが、さらに追撃するかのごとく、SPたちの銃撃が一斉に明理に襲い掛かった。
内数発が明理の四肢を打ち抜くが、彼女はその程度の傷にひるみもしない。だが、怒りは完全に爆発仕切っており、咆哮と共に彼女の体を赤白い光が包み込む。
「てめぇら纏めて大反省コースだぁっ!錬装着甲ッ!」




