29.闇を塗り潰す闇
「赤坂の議員会館にて、機動隊員54名が死亡。それも一晩で、ですよ。現場には赤いパワードスーツを着た人物が現れたとか」
目覚まし用のコーヒー(ミルク・砂糖が約半分)を入れながら、浩輔はやや苦い顔をする。テレビの画面からはいつもと変わらぬ朝のニュースが流れ続けていた。
「この調子だと、ますます同士討ちが狙えそうな気がするなぁ。むぐ」
明理の方は、まだ眠気交じりの眼でパソコンのディスプレイを眺めながらメロンパンを齧っていた。今回の情報はわざわざハッキングを仕掛けるまでもない。当人らがわざと情報を流しているのか、検索すれば速報として、簡単にヒットする程度のものだ。当然、幾千、幾万ものゴシップ記事にまみれているので、事実と信じる者はそれほど多くない。
「こうまで露骨な戦闘が出てくると、どちらかが先に潰れるのを期待するのもあまりよくないですね」
「まーた反論かよ。お前は慎重なのか、アグレッシブなのかどっちなんだ」
「俺は常に中庸です。んなことはさておき、黎明と、今のこの国の政府。……どこまで絡んでいるのか知りませんけどね。現状、双方ともロクな奴がいないことは確実です」
「革命でも起こして、お前が総理やったらどうだ?」
「そうゆう極端な話でなくてですね、今俺が心配しているのは仮に黎明が負けた時のことです」
「はぁ?」
浩輔の言い回しが少しくどいのはいつものことだが、今回は流石の明理も要領の得ない声でしか返せない。浩輔はそのままホワイトボードに向かい、大きな黒丸を二つ描き、さらにその中に文字を書き込んでいく。
「確かに今現在アルク・ミラーを持っているであろう黎明は危険です。それは誰でも分かります。だけど今、彼らは何と闘っているのか?表向きの発現をそのまま信じるならば、今の政府。そして既存の社会システムそのものに対してですね」
「御託はいいから、とっとと結論を言え」
「はぁ……じゃあ言いますけど、つまりはアルク・ミラーが、黎明以外の手に渡るともっと不味い事になるんじゃないかってことですよ」
「あー、なるほどな。そう言われれば分かる」
明理は構えていた手を収め、再び食物へと向ける。
「ともかくこの一件で、勇治くんの言っていた赤いアルク・ミラーが黎明側の人物だと分かりました。そうなると同時に、アルク・ミラーは黎明側にしか存在しないって事になりますね」
「私とユージを除いてな」
「そう、明理さんらで相手をする分はいいんです。でも、黎明がもし他の組織に倒されたりしたなら?」
「その力は黎明を倒した組織のものになるってか」
「アルク・ミラーがどうやって出来るのかは知りませんけど、戦力としてはこれ以上無いくらいに強力ですよ。それをみすみす見逃す人たちなんていないでしょう?」
「つまり、今度は力を巡って骨肉の……ってわけか」
「その通りです。この事件のタチの悪いところは」
明理も浩輔の言わんとするところを理解でき、体勢を崩すが、すぐにこれからどうすればいいのか問いかける。その答えに対して、明確な回答が返ってくることはない。気まずい空気が流れると、これまで気にも留めていなかったテレビの音声がその存在を主張し始める。
『……次のニュースです。東郷氏を始めとする新党『黎明』の幹部らが、本日の正午より有楽町で大規模な街頭演説を行うとの情報が入りました。現場の川内さん?』
『はいっ、川内です!ただいま、演説が行われるというビルの前に来ておりますが、開始二時間前というのに凄い人だかりです!衆議院総選挙から過激な発言を繰り返し、物議を催してきた東郷議員ですが、これまで人前に立つという機会はほとんどありませんでした。集まった人たちは政界の風雲児達を一目見ようと、携帯のカメラ片手に今か今かと待ち受けております!』
テレビから映し出される映像は、まるで海外の映画スターが来日するかのごとく、人の波がせめぎ合っている。だが、そこに映し出される人々は、いかにも普通の人間だ。興味は多少そそられているものの、熱狂しているとか、待ってられないとかいう風にはとても見えない。
浩輔と明理はその映像をひとしきり見ると、そのまま顔を合わせて頷く。
「たかだか政治家の演説にここまで集まるかフツー?」
「全くもって同感ですよ、あまりにもタイミングが良すぎます」
「何かあるよな?」
「あるでしょうね」
「止めるのか?」
「止めません」
「んじゃ、行くぞ!ユージも呼んどけ!」
明理はソファーから飛び上がり、他人の目など気にしてないと言わんばかりによれよれのTシャツを脱ぎ捨てて、外着に着替える。その後、下がパンツ一枚だったことに気づき、一番動きやすそうなチノパンを履いて外に飛び出す。
浩輔はどうせ彼女に追いつけるわけないと、勇治に連絡を入れた後、慌てず急がず準備を進める。気休めかもしれないが、小型の警棒とスタンガン、それに衝撃に強いデジタルカメラ。加えて、インターネットで情報を集めて作った手製の催涙弾。ともすれば、浩輔本人が不審者として捕まりそうな装備である。
これらの装備をバッグに詰めている最中、浩輔は自嘲めいた笑みを抑えることが出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇
東京都千代田区有楽町。
詳細な説明など特に不要な商業地帯であるが、浩輔はこの位置取りの理由を考察していた。
日曜の午後だから当然人通りも多く、加えて皇居、そして国会議事堂にも近い。先日の事件のあった、赤坂にも近い。他にも色々理由は考えられるが、東郷がここで何かしらの行動を起こすということには確信があった。
人通りは休日に加えて、今朝のニュースせいで、人と接触せずに歩くのが困難なくらいだ。ただ、当初の予想通り、未知行く人の大半は東郷の演説を聞きたくて集まっているというよりかは、人が集まっているから何となく集まっているという様子だ。
「俺も今朝のテレビで見てましたけど、演説でここまで人だかりが出来るのは少し妙ですね。町で演説する政治家なんて、普通だったら騒音くらいにしか思わないじゃないですか」
「サクラを呼んでおくのはよくある話らしいが……それでも、こんなところでやる必要はない。交通の邪魔にもなってるから警察の目の敵にされる」
「目の敵ですか……でも、最初っからそう思っているなら……」
勇治はもしかしたら自分の姿が相手側に知られているかもしれないと思い、帽子に伊達眼鏡と、軽い変装をしている。明理は一人でとっとと人ごみの中に突っ込んで行ったために、ここに来てから姿は見えないが、一応連絡だけはついている。
辺りの喧騒が少し大きくなったかと思うと、何やらガードマン達がわめき散らしながら、光る棒を振り、一台の車が道路の真ん中を堂々と通り過ぎる。そして、駅ビルの前の立ち入り禁止区域に止まったかと思うと、数名の男が車から姿を現す。
「本日の主役のお出ましと言いたいところだけど」
「ここからじゃ全然見えないですね」
浩輔と勇治のいる場所から駅ビルの前まで、目測で5、60メートルといったところだが、人ごみのせいで中々近づけない。交通整理の警備員は配置されているものの、元々の人間の絶対数が違うのだ。一応車の上に立って話すようで、ようやく人の姿は見えるものの、その細かな顔つきや表情まではとても判断つかない。
「勇治くんは見えるか?」
「視力は一応両目1.5ですけど、人の姿しか……」
「普段は常人なんだよな?」
「明理さんが凄すぎるだけです」
せめてこの近辺のどこかにいる明理が確認していてくれないか、と僅かな希望を抱きつつも、二人は蟻の如き速度で近づいていく他ない。
そんな風にまごついていると、街中の喧騒をも刺し貫くようなスピーカー音声が響きわった。
『みなさん、こんにちは!新党・黎明の東郷烈心です。有楽町にお越しの皆様には折角の休日の中、この様な場を与えていただいて大変感謝いたします。さて、本日私めがこの場に立ったのは、皆様に我々の意思、そして、大変ショッキングな事実を伝えるためでもあります』
姿こそ見えないが、東郷の声は低くそれでいて言葉の端々まで聞き取れる、テレビの画面を通して聞いたとおりの「強い」声であった。
『先日、都内の学校が黎明の名を語ったテロリスト達に襲われ、幾人もの若い命が失われたことは、皆様の記憶に新しいところでしょう。そして、巷で有名なシグ・フェイスと名乗るヒーローと、謎の黒いヒーローによって事件が解決されたことも。しかし、この事件の真相は、我々を敵対視する者達が国民の皆様を味方につけようと仕組んだ壮大な狂言だったのです』
浩輔は随分と唐突な話から入ったと思ったが、この事件に関してはほぼ東郷の言っている通りである。そして、報道に関しても、明理が大衆の前で大暴露を行ったせいか、黎明側に対しての世論の追求はかなり弱まってしまった。
しかしながら、捕まったテロリスト達は、ヒーロー達に受けた傷が元で全員死亡した……ということになっている。
『そして昨日、私が居を構えている赤坂の議員宿舎に突如として、五十人以上もの機動隊員が押し寄せて来ました!これは、現在私らが確認する限り、どのテレビ、新聞、雑誌でも報道されていません!彼らは宿舎に来るなり、不当に私の身柄の引渡しを要求してきたのです!私は犯罪の疑いがあるのならば正々堂々とマスメディアの前で公表するべきだ、断固として彼らの要求を退け難を逃れましたが、依然としてその真実は皆様に伝わらないままです!』
聴衆がややどよめくが、そのほとんどは「本当かよ」といった類のものだった。東郷は陰謀論などのゴシップが好きな人種からは好かれているが、そうでない者にとっては血迷ったことを言ってるただの妄言者に過ぎない。
だが、そのような反応も予想通りと言わんばかりの如く、東郷の合図で突如として駅ビルの巨大スクリーンが映像が移り変わる。
『これがその時の監視カメラの映像です。カメラに映し出されているのは、赤坂の議員宿舎。建物を取り囲んでいる人間は……警察です。何かのヤラセだと思うのなら、今からでも現場に見に行くといいでしょう』
警官隊が建物の中に突入し、中にいた車椅子の青年と何か言い争い、青年の首元を掴んで地面に叩き付けたところでスクリーンの映像は途切れる。
聴衆は、いよいよただ事ではなくなってきたとうろたえ始める。たとえ、それが真実であってもなくても、大勢の人間の前でこれだけのことを言ってしまったのだ。
『そして、これらの事件の背後には『啓明』という組織が存在します!私達黎明とは名前こそ似ていますが、その実態は政界や財界、そして裏の世界の重役たち。戦後から続く既得利権にしがみ付き、この国を内から破滅に向かわせている組織であります!』
東郷は今まで以上に声を張り上げた。
そのただならぬ気迫に、浩輔は違和感を覚えつつも、それ以上は上手く頭が回らず、周囲と同じようにただただ圧倒されてしまう。
「『啓明』か……奴の言うところからすれば、イルミナティのような物を指しているのか?それを敵に回そうとすることは……」
「何です?イルミナティって……」
「陰謀論とかでよく取り上げられる秘密結社のことさ。中身は東郷の言ったとおりのものだよ」
「そんなものが本当に存在するんですか!?」
「まさか。まともに信じてしまうと、人は胃薬なしでは生きていけないよ」
――だからこそ、人は「信じないように」しているのかもしれない。
浩輔はその言葉を頭の中で思い留める。
現に黎明のような組織が存在し、そして、全てを狂わせた、『奴ら』も……
過去の忌まわしき記憶が引き出されようとした瞬間、周囲から飛んでくる罵声で浩輔は我に返る。
「ふざけんな!散々もったいつけて、出たのはくだらない陰謀論かよ!」
「少しは現実見ろ!このネトウヨ野郎!」
「そんなふざけたこと言うくらいなら、少しは国ために働け!この税金泥棒が!」
どこから飛んできているのかは分からないが、どれも中年くらいの男性の声だ。
東郷のスピーカーを通した声に比べると、ボリュームは遥かに小さいものの、周囲の人間の頭を冷ますには十分な効果があった。
しかし、東郷は予測の範囲内と言わんばかりの余裕たっぷり声で返答する。
『そうですな。私が何を言おうと、結局のところ信じる信じないは皆様の勝手です。……そう、信じられないのなら、耳を塞げばいい。相手にしたくないなら、目を逸らせばいい。ですから……』
東郷はゆっくりとした語りの後、合図を送るように右手を大きく上げる。
『我々は、我々が入手した真実を、ただ、淡々と、粛々と、流し続けます!』
東郷の手が指し示す先は、先程と同じく、駅ビルのスクリーン。
その先には、様々な言葉が羅列されていた。
知らないものが見ても意味は分からない。
だが、知る者にとっては……
「……篠田さん、どうしたん、ですか?」
「……ゥ……だと……!?」
浩輔の口はぽかんと開いていた。
さらに、その口の大きさに匹敵するかのように、目が見開かれていた。
そして、問いかけようとする勇治の声を遮るかのように、東郷が威勢の良い声が響き渡る。
『一つピックアップします。これはかなり刺激が強いものかと思いますが、『ショー』と呼ばれる忌まわしきイベントについて簡単にご説明いたしましょう』
東郷の合図で映像が切り替わるると、次に出てきたのは、何人もの少女達の顔写真であった。写真の下には名前と出身と年齢が表記されているが、おおよそ小学生から大学生程度の年代である。
一目見る分では単なる個人情報の羅列でしかない。
『……まず、始めに言っておきますが、この少女達は全て亡くなっています。表向きには『病死』や『事故死』などで処理されていますがね。実際は全て『ショー』の犠牲者……』
死者の写真を載せることに少しは気を使っているつもりなのか、東郷の声は少し落ちていた。あくまでも演出と取れるものではあったが。
『……まぁ、百聞は一見に、とやらです。当時の映像をご覧になったほうが早い』
画面の映像が切り替わり、一人の少女の写真が映し出される。
全く赤の他人の、それもごく普通の少女の顔写真を見たところで、特別な感情を抱く者など、この場には存在しないだろう。……たった二人を除いては。
「篠田……あかり!?」
「……や、めろ……!」
浩輔は既に勇治の手の届かないところまで進んでいた。人ごみを、文字通り掻き分けていた。
聴衆の視線はほとんどスクリーンの映像に注がれており、異常なまでの殺気を放ちながら演説台の元へ突き進む青年の姿など、気にも留めていない。
勇治も、この映像を見て、浩輔の異変を完全に悟った。
――『篠田あかり』
当時15歳。福岡県の公立中学校に通う、ごく普通の少女。
家族は両親と一人の兄との四人暮らしであった。
そして、何の因果なのか、彼女はある日この忌まわしき『ショー』の犠牲者となる。
映像から流れる、低音の男のナレーションは彼女の身の上を淡々と告げていた。
「止めろ……!何で、お前らが『それ』を……!なんで、あかりを……!」
「し、篠田さんっ!?まさか、彼女は……」
勇治も必死に浩輔の後を追うが、彼ほど無我になるわけでもなく、その差は全く縮まらない。
『おっと、今、有名な人が移りましたね。ほら、この方はかの有名な初芝電気の会長、この方は大手飲食チェーンの……』
映像にはまさしく、財界の大物達がちらほらと移っている。
そんな人物たちが一同に解しての『ショー』とは一体何なのか、二人を除いた聴衆が固唾を呑んで映像を見守っていた。
そして――
「なっ?」
「えっ!?」
浩輔は我に返る。
勇治も足を止める。
浩輔の足は街宣車まであと20メートルくらいまで近づいていた。
そして、浩輔の目には、車の上で人が倒れるのがはっきりと移った。
それと同時に、爆音と共にビルの巨大スクリーンが粉々に砕け散る。
商業地帯に聴衆の絶叫が響き渡る。
「うあぁっー!?」
「どうした!何があったんだ!?」
「東郷の頭が吹っ飛んだんだよっ!」
「なんだよそれっ!?吹っ飛んだって!?」
「言葉のまんまだよ!殺されたんだよ!」
事の顛末を間近で見た聴衆は、ただ、ありのままの状態をわめき散らすことしか出来ない。加えて、スクリーンの破片が頭上に降り注ぎ、付近は混乱と混沌に包まれていた。
浩輔は人の流れと逆行して街宣車に近づいていく。その最中で携帯を取り出すが、その画面の表示を見て舌打ちした。
「篠田さん!明理さんは!?」
「……通じない」
「何かあったんじゃ!?」
「あの人はそう簡単にくたばらないさ……それより……」
浩輔は後ろから追いついた勇治の顔を確認することなく、黙って前方を指差す。街宣車の周りは警察が取り囲んでおり、もっと応援をよこすように無線機に怒鳴り散していた。
その中から、近くにいたと思われる桐島元総理が、顔面蒼白のまま、警察に抱きかかえられ、現場から遠ざけられていた。よく見ると、その服や顔に至るまで、生々しい血痕が付着していた。
「死んだのか……?東郷が……こうもあっさりと……」