28.紅き歓喜
「ん~タマラナイ♪この世界が一段下がったよう感じ……」
赤き鎧を纏った青年は、急に上機嫌になりながら、周囲をぐるりと見渡す。
まるで漫画のような現象を目の当たりにした、機動隊員たちはただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
「やっぱり二足歩行はいいねぇ~。人間サマに与えられた特権だよ。人間の証ってやつかなぁ」
目の前の男達の存在をすっかり忘れてすらいるのか、青年はその場で飛び跳ねて見せた。
「あ、あぁ……俺達は……夢でも見ているのか……?」
「……おーっと、そうだった。こいつら全員ぶっ殺さないといけないんだったっけか」
すっかり浮かれきっていた青年の足が文字通り地に着き、いよいよ持って周囲に殺気が立ち込める。
隊員たちも我に返ったように、盾を構え、銃を一斉に目の前の赤い化け物へと向ける。
「悪いね~コレ着てると銃は全く通じないんだわ。つまりはお前らの負け確定」
「っ!」
建物の中に無数の発砲音が鳴り響く。……が、目の前の物体はその間足を一歩も動かさず、蚊にでも刺されたかのごとく、退屈そうに首を回した。
「耐弾性のテストは終わったか?んじゃ、次は攻撃力だな」
青年の右足が一歩下がったかと思うと、隊員たちの目の前をひうんと横凪ぎの風が通り過ぎる。
急に手が軽くなったかと思うと、機動隊の盾が一斉にぱっくりと横に裂け、地面に倒れた。さらに振り上げた足を、そのまま空中で縦横無尽に動かし、機動隊員たちの銃、防護服、ヘルメットにいたるまで、次々と切断していく。
「ひっ……!」
「ば、化け物……!」
機動隊員たちは一斉に踵を返し、玄関先まで全速力で走り抜ける。青年は一瞬攻撃の構えを見せたものの、フェイスガードの中でふっと一笑し、ゆっくりじっくりと地面を踏みしめるような足取りで、男達の後を追う。その途中に変身前に足首を破壊した男が戦慄の表情を浮かべながら地面にへたり込んでいたが、青年はまるで枝木でも踏みつけるように、その体の上を通り過ぎる。
周囲に血液と肉体の破片が飛び散るが、青年はそんな事は意にも介さない。足の感覚が無いというのもあるが、何よりも頭の中が、歩けること、そして自分の力を発揮できることに対しての喜びでうち震えていたのだ。
外に出ると、大型ライトの強烈な光が彼を出迎える。生身の人間では、とても目を開けていられない状況であるが、フェイスガードを通して青年の眼には、その先の景色がはっきりと映る。
相手は明らかに浮き足立っている。何十、いや、下手すれば百人近い人間が最新鋭の武装を装備し、この建物を包囲しているというのに、その眼には全くといって余裕が無い。まるで自分たちが逆に人質に取られているかのごとく、丸腰で銃を突きつけられているかのような形相だ。
「さぁて、無駄と分かっていながら抵抗を続けるかぁ?」
青年は大きく両手を広げ、前方180度を一瞥する。ライトに照らされた真紅の装甲は、血痕との境目が分からないくらいに、紅くギラギラと輝いていた。
「さて、ここでお前達に選択の権利を与えてやろう。今にもちびりだしそうな奴もちらほら見えるしな。そんな雑魚共をなぶり殺すのは趣味じゃない」
青年の声はよく通っていた。
その場の誰もが、口で反抗することが出来なかった。
「ひとつは、このまま逃げ帰って、今日見たことを全て忘れ、大人しくお家に引きこもること。つまりは心の底から降参することだ。もう一つは、諦めの悪いアクションを見せて、僕にやられるか……だっ!」
瞬間、青年の姿が消える。どこに移動したのかは、僅かに遅れて聞こえてくる絶叫で理解させられた。
機動隊の車両の一台が、縦に、真っ二つに切断される。中にいた人間も例に漏れず、切断される。
「無線で何か報告をしたということは……お前達はあくまでも僕らに刃向かうつもりなんだな?」
「な、いや……!」
「違うのかい?僕に殺されたいんだろう?」
「ち、ちが、う……」
「だったら、今すぐこんなふざけた茶番を命じた人物を殺しに行くんだ!」
「ま、待ってくれ……!」
「待つ必要なんて無いだろう!僕はどちらにつくのかと聞いているんだよ!君達の雇い主を殺せば見逃してやるって言ってんだ!出来ないなら僕の敵なんだよ!お前達は不当な方法で僕らを闇に葬ろうとした!正当防衛なんだ!まさか自分達が殺されるという覚悟もなしに、こうやってのこのこと来たのかっていうのかい!?じゃあ死ね!」
青年は激昂しながら見境なしに脚を振り回し、周囲の物体を次々に切断していく。圧倒的過ぎる暴力の前に、もはや生物と非生物の定義など意味をなさない。彼の脚の前には全てのモノが等しく破壊されていく。その場から逃げ出そうにも、早く動く物体から狙われるのだ。
その場にいた機動隊員たちは己の人生を嘆き、哀れみ、そして呪った。
殺戮劇は僅か十数分ほどで終わった。周囲一体が瓦礫と血溜りで溢れかえり、静けさを取り戻した夜の空間に、一人の男の笑い声だけが木霊していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「……終わったか」
外の喧騒が止むのと同時に、東郷は目を通し終えた書類を机の上で整える。外の映像を見ていた桐島は、ソファーの上で口を開けたまま脱力しきっていた。
「アルク・ミラーの性能を目の当たりにすれば、至極当然の反応だろうな」
「あんな……化け物が……」
「だが、誰もがあそこまでのスペックを引き出せるわけではない。使用する人間、森くんの能力あってこそのものだ」
放心状態の桐島に向けて、東郷がさらに一冊の薄い資料を投げる。
それには、先程監視カメラの映像に映し出された青年の履歴が詳細に記されていた。
森愛樹。二十歳。森家の長男として生まれるが、先天性内反足を患い現在に至るまで車椅子の生活を送る。俗に言う、身体障害者である。
父親は東大卒で外資系の会社に勤めるエリートサラリーマン。母親も同じく東大卒、おまけにミスキャンパスに選ばれたこともある美女で、両親は周囲から羨望の眼差し受ける夫婦であった。
……が、どのような神の悪戯なのか、そこから生まれた子供は障害者であった。それが判明したのが一歳過ぎてからで、周囲の人間はこの夫婦を憐れみつつも、内心ほくそ笑んでいた。障害を持つ子供の世話は人一倍かかり、夫からも責め続けられた母親はついに事実上の育児放棄を行い、手切れ金と言わんばかりの金を使って愛樹を施設に預け入れる。そして、自らは新たな子供を生み、彼らを大切に育てた。
愛樹の弟は、小さい頃から神童と呼ばれ、学生時代は常にトップの成績を取り、アメリカの最高峰の大学に進学。妹も同様に天才と称され、高校生にして既に十ヶ国語に精通しており、その将来が期待されている。
だが、愛樹も間違いなく優秀ではあった。自分を出来損ないと捨てた両親を見返してやろうと、死のもの狂いで勉強し、歩行訓練に励み、特別学校に通わされながらも全国模試は普通の高校生と変わりないものを受け、最終的にはトップの成績で東大理三に合格する。
「……まるで何かのドラマのような履歴だな」
「現実はドラマのようにはいかん。全ての努力が報われるとは限らないのと同じくな」
東大に合格した日、愛樹は晴れ晴れとした心持ちで、実家の敷居を車椅子でまたいだ。
だが、そこにあったのは彼の努力に対する歓待ではなく、「余計なことをしてくれた」という憤慨した両親の姿であった。この時、愛樹は小さな出版社の取材を受け、その劇的な半生の書籍化の話を持ちかけられてたのだ。その事が事前に両親に知らされていたのである。
両親は焦った。
もし、この話が世の中の人々の目に触れたらどうなる?
間違いなく、自分達は悪人にされる。こんなに一生懸命に生き抜こうとし、努力するような子供を、自分達の都合で易々と見捨てた血も涙もない残酷な両親として。
十数年前の狭い範囲の人々ならともかく、書籍化もされるとなれば、話は全国区になる。それまで家族四人、仕事も学校も家庭も上手くいき、円満な日々を送っていただけにその衝撃は家族に再び亀裂を生んだ。父親は再び妻を責め、母親はどうしてこんな事態になってしまったのかと嘆いた。愛樹の弟と妹は、そもそも自分達に兄がいたことすら知らされていなかった。
愛樹が十数年ぶりに両親と再会し、部屋に通された時、目の前に大量の札束を叩きつけられた。「今すぐに書籍化の話を取り止め、自分達と完全に縁を切って欲しい」と。自分の存在を親に認めて欲しいがために、これまで努力を重ねてきた愛樹には到底納得のいくものではなかった。
愛樹は「自分はもう親を恨んでなんかいない、寧ろ一度捨てられたからこそ、ここまで頑張れた」と必死に説得したが、「そういった理由付けが一番の迷惑なんだ」と父親に怒鳴り返される。さらには「どんなに頑張ろうとお前は所詮障害者、社会の奴らにとっては見世物でしかない」と言い放たれる。
「自分は歩けないだけで、それ以外は普通の人間と変わりなくやっていける。それ以上に結果を出せば世間だって認めてくれる」と愛樹は必死に喰らいつくが、両親の態度は冷ややかであった。どんなに頑張ろうと、いや、頑張れば頑張るほど、愛樹自身の美談にはなろうとも、自分達の評価を下げる存在でしかないのだ。
両親は終いにはこう言った。「お前がいなければ」と。
愛樹が生まれたせいで、自分達は多額の出費をしてまで、汚いことにも手を染める羽目になり、そして自分たちが悪人にまでされようとしている。仕事も上手くいき、社会にも多大な貢献を重ねているというのに。愛樹がいなければ、世間の誰もが羨む幸福な家族のままでいられたというのに。二人の子供達も何も知ることなく、素晴らしい未来が待っていただろうに。
――どうして、お前は自分達の邪魔をするのか。
その言葉を聞いた瞬間、愛樹は我を忘れた。何をどうやったのかは分からない。気がつくと、目の前に両親の死体が転がっていた。これまでの常軌を逸するほどのリハビリにより、彼の身体能力は歩行力以外が劇的に向上していたのである。
ちょうどその日は、両親があえて二人の弟妹を遠ざけていたために、目撃者もいなかった。愛樹はその場を逃げ出し、そのまま表の社会から姿を消した。後日、警察の検視により真っ先に愛樹が容疑者として断定されたが、現場に凶器が見当たらず、遺体の状態からも素手で殺害したとしか思えないことや、そもそも歩けない愛樹がどうやって大の大人二人を殺害したのかなど、多くの謎を残すことになった。
「……そこまでが表向きの彼の記録だ」
「お前がこの後に彼を拾って改造したというのか?」
「その言い方はよくないな。私が彼と出会ったとき、彼は既にユミル氏の手によってアルク・ミラーに調製されていた。そこで私が二人に協力の話を持ちかけたのだよ」
「あの老婆はともかく、彼もあくまでも対等な関係だというのか?」
「そうだよ」
東郷もソファーに腰を下ろし、懐かしげな面持ちで茶をすする。
「だとしたら、同時にとんでもない爆弾を抱えているものだぞ。もし、あの男がお前に反旗を翻したらどうする?今はよくても、僅かな対立でも生じたら……」
桐島の心配をよそに、東郷は軽く笑い出す。
「その時はその時さ。私も彼に負けるつもりはないからね。本人にもそう伝えている」
「なんだと……まさ、か……!?」




