26.混沌は灰色
「……何だお前ぇっ!?」
周囲の機動隊に道を尋ねる事、数分。
その場を立ち去ろうとしたシグ・フェイスは今更というか、寧ろわざと気づいていない振りをしていたかの如く素っ頓狂な声を上げた。その様子を見て勇治もすっかり毒気を抜かれてしまい、しどろもどろになりながら話しかける。
「いや、あの、あなたが、シグ・フェイス……なんですか?俺もテレビとか新聞とか噂とかで聞いた事はあるんですけど……」
「イエス、アイ、アム!ところで、そう言う貴様は何者だぁっ!?その真っ黒な装甲からして、いかにも……『悪』っ!私のライバルキャラとして、性懲りも無く立ち塞がりそうな面構えっ!」
「別に好きで黒いわけじゃ……」
シグ・フェイスは、はたと勇治の両手にべっとりとついた血液に目が行く。
「なんなら、その手は?」
「これは、こいつらが学校を襲って来たからで……」
「となると、お前はそいつらをとっちめたイイ人?」
あまりにも単純かつ極端な二元論。
勇治はこんな回答でいいのかと思いつつも、「そうです」と大きく頷く。
「ふむ、まぁいいか」
「それでいいんですか?」
「じゃあ、やる気か?」
「それはちょっと……」
「なら、お前も正義の味方ってことだろ?だったら、これからちょっくら付き合ってもらうぜ。他の学校も解放せにゃならん」
「それなら別に構いませんけど……」
完全に目の前の人物のペースに巻き込まれ、勇治の頭は完全に冷めてしまい、周囲の野次馬が呆然と眺めているのにも気づいた時、勇治によって破壊されたトラックの一台から這い出る影があった。
地肌を覆い隠す程度の白髪に、恰幅のよい背格好の男。体系のせいで、トラックの隙間から出るのにかなり苦戦を強いられた様子だ。
「校長先生……大丈夫ですか?」
「あ、悪みっけ」
勇治が怪我人を心配して近寄ろうとするよりも早く、突如シグ・フェイスはつかつかと校長の傍に近寄り、背中から大きく踏みつける。
校長は肺の空気を搾り出されたような声を出し、地面に突っ伏せながら弱々しくもがく。
「おいっ!なんてことをするんですか!この人は被害者ですよ!?うちの……じゃなくて、この学校の校長先生で……!」
「いや、なんとなくインチキ臭そうだったからさ」
「なんとなくで乱暴しないでくださいよ!それにこの人はさっき腕と脚を撃たれて……」
暴行を止めようとする勇治の眼前に向かって、シグ・フェイスは人差し指を突きつける。
そのフェイスガードからは、何やらこらえているような笑いが漏れていた。
「う・た・れ・たぁ!?こいつがぁ?どうしてぇ?」
「いや、テロリストを止めようとして……」
「じゃあ、どこを撃たれたのぉ?」
シグ・フェイスはわざわざ挑発するような調子で、勇治に問いかけ、校長を押さえつける足を離す。
勇治も傷の具合が気になって、校長に近づいて状態を調べる、が。
「れ……あ、れ!?たしか……このあたり……」
「なんなら丸裸にでもしてみたらどうだぁ?まぁ、血なんて一滴も流れてねーだろうけど」
勇治は戸惑いながら調べるが、目の前の校長は打撲以外の外傷はない。では、先程大勢の人間の目の前でテロリストに撃たれて、血の跡を残しながら引き摺られた光景は一体なんだったのか。一時の間、頭の中が混乱するが、やがて、一つの結論へと収束する。
「まさか……!?」
「そ、こいつもお仲間。この前の学校でもそうだったよ。学校側の人間に必ず一人は内通者がいるのさ。そうでもないと、ここまで手際よく占拠なんてできねーよ。ま、ほとんどは生徒の誰かか、もしくは、たまに先公って感じだったけどな。校長が内通者って例は初めてだ」
シグ・フェイスはそう解説しながら、小気味よいリズムで校長を踏みつける。
「校長先生、どうしてこんなことを……暴力はよくないって普段からあんなに言ってたじゃないですか。暴力的な部活を廃止にまでしていたのに……!」
勇治のその発言にシグ・フェイスもぴんと来るものがあったが、敢えて口は動かさず、足だけで校長の返答を促す。
「き、貴様……この学校の生徒か……!?」
あっ、と声が漏れそうになったが、この格好ではどの道ばれっこないと、勇治は動じずに肯定する。
「余計なことを……私達は君達のためを思って、こんな大掛かりな芝居をしたんだぞ……」
「し、芝居って……!それに、人を殺して何が生徒のためですか!」
勇治は反射的に怒鳴る。元々「余計なこと」と言われるのが嫌なのもあったが、何よりもこの期に及んで自分達の行いを正当化しようとするのが許せなかったのだ。
「それだけの力を持っていて大局を見誤るか……これでは『黎明』の奴らの思う壺だ……!」
「黎明……!?」
「黎明だとぉ~!?」
勇治にとってはテレビや新聞でしか聞いたことのない単語。
これに強く反応したのはシグ・フェイスの方だ。
「んだよ、お前らが黎明じゃないのかよ?」
「その逆だ……元々これは黎明の危険を知る者達が計画した囮捜査なのだ。人を殺したのは本物の黎明の信奉者。今回のテロの構成員の八割はそうだ。我々は奴らに取り入って、その存在と危険性を世の中に知らしめるためにこのような事を起こしたのだ……」
「……」
「彼らは非常に用心深い。だから、わざと末端の者を煽って事を早めたのだ。奴らの組織の体制がまだ不十分なうちならば被害は最小限ですむ。しかし、君達のせいで我々の目論見は台無しだ……!逆に奴らに大義名分を与えることになる……!」
「……」
「……」
幸いにも周囲の野次馬は、自分達に危害が及ばないように、勇治たちの元に近づこうとはしなかった。それは、警察の機動隊も同じ。先程の人外バトルを見せ付けられては、恐怖を抜きにしても慎重な対応をせざるを得ない。ゆえに、三人の会話は聞こえてはいなかった。
校長はさらに事情を語り続ける。その内容を二人の正義のヒーローは黙って聞いていた。
そして……
「君達は……とんでもないことをしてくれた……!今後の犠牲を最小限に抑えるために、我々とて断腸の思いで、この作戦を実行したというのに……それが分かっているのか?」
「……」
「……ま、」
『まったく意味が分からねぇっ!』
意味は違えど二人は同時に校長の言葉を遮り、全否定する。
「今ここで死んだ人が『最小限の犠牲』とやらで……それで彼らやその家族が納得すると思ってるんですか!?彼らは何も知らずに殺されたんだ!そんな正しさがあるかぁっ!」
「ははー!とうとう出しやがったなー!まぁ、そんな台詞聞かずとも、私はこの男を一目見ただけで、心が曇りに曇った子悪党の糞ジジィだとは分かってたけどよー!」
「き、君達は……!」
シグ・フェイスは校長を足で踏みつけたまま、ずい、と体を屈めて顔を近づけた。
「おっさんよー、確かに黎明の奴等は私も目をつけている。この国の平和をかけて、いずれ戦う相手になるだろーなーとは思ってるさ」
「だ、だったら、なおさらではないか!」
「がー、だぁっ!」
白いヒーローはこれ以上の詭弁は許されないと、二本指を校長の額に擦り付ける。
「このシグ・フェイスはぁ!あくまでも『正義の』味方っ!心根の腐った悪党どもは、たとえ敵の敵であろうと……私の敵ぃっ!」
「んなぁっ?」
「頭を地面の中で冷やして反省しろこのクソジジィッ!」
無茶な叫びとともに、本当に頭が地面にめり込むくらいに校長の顔が踏みつけられ、その場は唖然、呆然といった空気に包まれる。が、当の本人はそんなこと全く気にしていない、というかこれが日常だと言わんばかりの様子。
「さーて、ここの後処理は警察どもに任せよう。とっとと行こうぜ」
「次の学校へ……ですか?」
「さっきも言ったろ。とっとと来い」
掴みどころのない空気を残したまま、二つの鎧はその場を人間離れした跳躍力で立ち去った。
勇治も今の状態なら民家の屋根の上も走れるかと思っていた。実際その通り、移動するのには問題ないのだが、思った以上に屋根を破壊していることに気づく。そして、目の前の白い鎧の人物はそんなことお構いなしに、寧ろわざと破壊しながら進んでいるようにすら見える。
本当について行っていいのかという若干の葛藤が生まれつつ、勇治は問いかける。
「シグ・フェイス……さん、噂には聞いていましたけど、まさかあなたも錬装能力を持った人だったなんて……」
「錬装能力ぅ?……アルク・ミラーのことか?」
認識の違いかと思ったが、すぐさま勇治の頭の中に、その単語の意味が流れ込んでくる。
「『錬金術の理論を応用して、周囲の元素を集約し、外殻装甲を形成する』……!?『その流れを経て構築された鎧がアルク・ミラー』……!?」
「ほほーお、そうなってんのか。お前は色々と詳しそうだな。後で話を聞かせてくれや」
「あの、シグ・フェイスさんは知ってるんじゃないんですか?」
「私はこの力については、なーんも知らん」
「えぇ~?」
予想外の返答に思わず困惑を漏らしてしまう勇治であったが、それを諌めるかのようにシグ。フェイスは急に立ち止まり、わざとらしく昼間の太陽をバックに語り始めた。
「だが、そんなことはどうでもいい。重要なのはこの力を使って何を為すかだ」
「何を、為すか……」
「そうだ。じゃあ、お前は今の自分の日常生活におけるテクノロジーについて、何から何まで説明できるのか?核ミサイルを発射するようなお偉いさんが、ミサイルの原理について一から十まで知っていると思うのか?」
「じゃあ、噂が流れ始めてからずっとだから、ここ半年、あなたはこの力について何も知らずに戦い続けてきたんですか?」
「応。この力が何のために作られたのか、どんな危険なものかとか、そんなのは関係ない。私はただ、私の心の命ずるがままに戦っている。つまりは正義のために!」
色々と格好つけているが、目の前の人物がこの力の出所について気にし始めたのはここ数週間前からで、それまでは単に「自分がヒーローだろうから」で片付けてきた……というのを勇治が知ったのは、これから程なくしてである。
だが、今の勇治の目には目の前のヒーローがとても頼もしい存在であるかのように映った。この力の扱いに困っていたことや、自分だけが別の道を辿っているという孤独感を持った少年の心にとっては、唯一の心の拠り所になりうる存在だったのだ。
シグ・フェイスはそれ以上何も言わずに(次の台詞が思いつかずに)、再び次の学校へと進み始める。勇治もこれ以上は何も問いかけずに、黙ってその後をついて行く。
翌日、勇治は各社新聞の一面に、新たな黒きヒーローとして紹介される。
かつてないほどの周囲への被害とともに……(ちなみに被害の九割五分はシグ・フェイスのせい)。