22.ファーストキル
勇治は手始めに、足元で腰の抜けていた男の首根っこを掴み、前に文字通り放り投げた。大の成人男性の体がまるで赤子の如く宙に浮き上がり、背中から壁に叩きつけられ、男はぐうと声を洩らし、目を開けたまま地面に崩れ落ちる。
「ああっ!板村が!」
「も、もう駄目だぁっ!逃げろぉーっ!」
研究者の数人が、我先にと入口に向かって走り、ドアノブを掴む。
だがそれをどうにか動かす前に、後ろから常人離れしたスピードで追いついた黒い鋼の拳が、男の手をノブごと粉砕する。
「ぎぃっ、やぁああぁぁーっ!?」
もはや使いものにならない自分の右手を押さえながら悶え苦しむ男を足蹴りにし、勇治は研究者達に向かって、指を付き立てる。
「少しは分かったかよ……お前らの言う武力使用ってのはこういう事なんだ。何人もの人間を犠牲にして、そしてまた多くの人を傷つける。……だが、お前らはどうだ?その事で何か傷つくものはあるのか?」
『撃ってよい者は撃たれる覚悟がある者だけだ』という言葉がある。意味は単純だ。
だが、秋山が牢を出る前に残した言葉は、決してそれだけの意味ではない。勇治は研究者達だけではなく、自分自身にも問いかけていた。そして、今の自分がやるべき事。
「一応確認しておく……お前らは、地下のいる人達を治すつもりなんて無いんだな?」
「だったら……どうだというのだ……!」
勇治は真横にあった機器を殴りつける。周囲には火花が散り、中から飛びたした配線は漏電の光を放つ。しかし、彼が纏う漆黒の装甲はそんなものは一切中に通さない。
これが所長の返答に対する勇治の回答。
「なんということを……!これだけの機械をそろえるのに、どれほどの金と時間を費やしたと思っている!社会の仕組みも知らぬ子供の正義感とやらが!」
「あんたらが説教できる立場かよっ!」
勇治の体がゆらりと、逃げ遅れた研究者達に近づく。
今この時、足のみを地につけて立っている人物は勇治と所長のみ。
所長は鼻で息を鳴らし、呟く。
「傷つく……か。君の人生がどういうものかは知らんが……」
「なんだ?」
「先程からの君の僅かな躊躇い……所詮は子供ということだ!」
所長がそう言い放った瞬間、勇治の頭に鋭い衝撃が走る。
「奴を外に出せ!」
「了解」
先程までこの場にいなかった者の声。
勇治が気を取り戻し、振り向いた先には、銀色の装甲を纏った人物が立っていた。
「まだいたのか!?」
「錬装化は完全だろうが、中身がそれでは!」
銀色の装甲の男は立て続けにひざ蹴りを繰り出し、さらに勇治の頭を掴んでノブが破壊されたドアに体を投げつける。とっさの事に反応も出来ぬまま、勇治の体は重い衝突音と共にドアを突き破って廊下に放り出された。
「つぅ……な、なに?」
勇治はひざ蹴りを受けた腹部に妙な痛みを感じていた。先程まで、どんな衝撃を受けても何ともなかったはずの装甲のはずなのに……放り投げられてドアにぶつかった時の痛みはないというに。
腹の方を見ると、薄らとひびが入っているようにも見える。勇治は僅かに動揺を覚えたが、仮面の下で瞬きをした瞬間、その破損はすぐに元通りになっていた。
「所長……あいつはまさか……」
「錬装システムは不完全だが、唯一精神制御に成功したサンプル……もしもの時の保険だ」
「そんなこと我々には一言も!」
「錬装化した人間の恐ろしさは今のでよく分かっただろうが!いくら部下といえども……」
所長はこれ以上の言うのは、と口をつぐんだ。意図は部下達に十分に伝わったであろうが、直接口に出すのは先のことを考えるとよくないと思ってのことだ。
それに、精神制御に成功したといっても、過度の薬物投与などで無理矢理手綱を引いている状態に過ぎない。一歩間違えれば暴走する危険性もあるし、その命も長くは続かないだろう。まさしく毒を持って毒を制す。文字通り最後の切り札であった。
「お前を倒せば俺は誰よりも強い最強無敵誰からも羨望の眼差しで見られ誰からも賞賛される存在となるその完全な力を手に入れることが出来るのならばなおさら」
銀色の装甲を纏った人物は、くぐもった低い声で早口でぶつぶつと呟く。
勇治も今の力のおかげか、所長たちの会話は聞きとれたが、目の前の人物のどこが不完全なのかが分からずにいた。正面から見た限りでは、今までの失敗作とは違って装甲を全身に纏い、中身が露出している部分はない。
「倒す貴様を倒すだがまずは命令通りに外に出す」
言葉を全て言い切らぬうちに、銀色の鎧はさらに勇治に飛びかかり、彼の両肩を掴んだまま、今度は窓ガラスに突っ込む。窓ガラスの甲高い破壊音と共に、勇治は二階から地面に投げ出され、草むらの上を転がり回った。
「くっそ……!だが、外に出たんなら!」
勇治は相手よりも素早く態勢を立て直し、目の前にあったコンクリート造りの塀を思い切り殴りつけ、破壊する。その先には、勇治を助けてくれた謎の少女の言う通り、片側一車線の道路が広がっていた。道路の反対側にはガードレールがあり、その下には確かな街の灯りが広がっていた。
「小高い丘の上ってとこか……だが、街は近い!こんなところで暴れ回ったら――」
勇治が状況を把握している間に、後ろから銀色の鎧が飛びかかって来る。
しかし、何度も同じ攻撃は喰らわないと、勇治も瞬時に振り向きざまの拳を叩きこもうとするが――
「……あっ!?」
視界が回った。気づいた時には左腕を取られ、背中は地面についていた。
勇治が何が起きたかを理解する前に、相手の足が彼の顔面を踏みつける。
「やはり貴様はこの程度では傷つくことはないかだが俺は気づいたぞ俺と接触する瞬間にお前の装甲が少し脆くなるのを」
銀色は一瞬で口走り、間髪いれずに勇治の右肩を殴りつける。
重い破壊音が鳴り響き、勇治は肩の鈍い痛みに思わず声を上げる。さらに、確かな痛みが走ったこと、そして、砕かれた自分の肩部の装甲を見て、再度声を洩らしてしまう。
「俺も同じか直接殴りつけるのは少し考えものだ」
その言葉で視線を移すと、銀色の拳も装甲が破損している。
勇治は相手を振り払おうとしたが、その前に遥か前方に銀色は身を引いていた。
(こいつ……今までの奴とは違う!?こちらの装甲も無敵じゃないのか!?)
焦りが生まれる勇治の瞳に、新たな光の筋が入って来る。そして続くエンジン音。ガードレールに反射された光が徐々に二人に近づいて来る。
――大型のトラックだった。
トラックは二、三度大きくクラクションを鳴らすと、勇治達の目の前でタイヤを止める。
「おい、お前ら!邪魔だって言ってんだよ!轢き殺されてーのかバカヤロー!」
そう怒鳴り散らしながら運転席から顔を出したのは、威勢のいい強面の中年であった。
本来ならば、誰もがそそくさとその場から逃げる展開なだけに、運転手の男が目の前の異常な事態を理解するのに、そう時間はかからなかった。
そして、銀色は下がるどころか、逆にトラックに近づく。男も目の前の人物の異様な姿を見て、喉を詰まらせた。
「止めっ!……ろ……?」
勇治はその時、銀色の錬装化が不完全な理由を知る。背部の装甲がないのだ。正面から見た時は完璧に覆われているように見えるため、今まで気づくことはなかったが。
そして、銀色の謎に気づいた時には、既にトラックの運転手は喉を引き裂かれて絶命していた。男の体は首から赤黒い血飛沫を放出しながら、窓から車の外へと放り出される。
「ちょうどよいこいつで試してみるとしよう」
銀色がトラックのボディに触れると、何やら光る文字がほとばしる。そこから先は秋山の時と同じ。次の瞬間、その手には、一メートルを超える刃渡りの日本刀が握られていた。
鞘が存在しないにも関わらず、銀色は刀を腰に構え、態勢を低くする。
「……シッ!」
居合い抜き――そう来る事は、勇治も読んでいた。小さい頃の剣道の経験もあってか、刀のリーチの感覚もある程度は掴めていたのだ。……だが、相手はそれ以上に速かった。
後ろに飛び退いたのに加え、斬撃の衝撃も相まって、勇治はバランスを崩しながら後ろに吹っ飛ぶ。態勢を立て直した時には、二撃目の太刀が目前に迫っていた。
「ぐぅっ!」
「……駄目か」
刀が頭部に接触する寸前、反射的に右手で軌道をずらしたのが幸いしたのか、刀身は無残に割れ、その場に転げ落ちる。
勇治は「助かった」と大きく息を吐くが、自分の胸元が視界に入り、再び息を飲みこむ。
「追撃は失敗だが初撃は通ったな剣は新しいのを創ればいい話だ」
銀色の言う通り、勇治の胸元には端から端までの一文字の破損ができていた。もし回避が僅かでも遅れていたらと思い、背筋を凍りつかせる。
そして、銀色は一旦トラックの所まで下がり、新たな刀を生み出す。
「そんなのアリかよ……!」
勇治は相手の能力を見て、絶望を覚える他なかった。
相手の能力は不完全だと言うが、戦いに関しては何枚も上手。先程とは違って、相手をいかに殺さないようにするかなぞ考えてられない。この完全だという錬装化の力を持ってしても、今生きているのが不思議に感じるくらいだ。
(いや……完全、なら……?)
逃げる事も当然考えた。
だが、次々に人を攫い、改造する研究者達、そして、通りすがりの人間を容赦なく殺害する、目の前の銀色の鎧の人物を見て、勇治は自分の力を知ってしまった以上、遅かれ速かれ対峙する運命にあったのだと覚る。
そう、あの時の少女が言っていた事の通りであった。
(俺の錬装化って奴があいつらより優れているとしたら……俺にだって!)
やり方は分かるはずもない。
だが、勇治はひたすら自分の可能性を信じ、念じる。
――何か武器を、生み出す。
銀色が再び刀を構えて迫って来た時、勇治の耳に始めの時と同じ機械音声が流れる。
『「オルト・レイダー」、ストレイトモード……』
勇治が目を見開く。迫りくる銀色、そして熱を帯びていく自分の右手。
指先に伝わる、今までそこにはなかった新たな感触。
『エクスプレッション』
「おっ……しゃぁぁっ!!」
勇治は右手に新たに生み出されたモノを構え、銀色の刀と対峙する。自身も前に繰り出して始めて分かったその姿形。
刃渡り五十センチはあるサバイバル……いや、マチェットナイフ。勇治はこんなものをイメージした覚えはないし、しかもトラックの近くでもなかったのだが、とりあえず生み出すことには成功した。リーチは刀の半分程度だが、防御となると関係ない。
刃と刃が衝突し、火花が走る。銀色の勢いもあったが、勇治も負けじと足を踏み込む。
「なに?」
「これはっ!?」
意味は少し異なるが、鍔迫り合いの形になっていた二人は同時に驚く。
刃と刃の間で、何やら光る文字のようなものが浮き上がり、周囲に散っていくのだ。
この文字は、銀色や秋山、そして勇治が武器を生み出した時と同じ物。何が起こっているのか、何を意味する現象なのかは互いに分からない。
だが、次の瞬間、銀色の刀の刀身が急に光沢を失い、全体に亀裂が走る。
「馬鹿な!?」
「……いけるぞぉっ!!」
勇治はマチェットナイフに更に力を込め、大きく振り上げる。銀色の刀はバラバラに砕け散る。勢いが余って、二人の体は交差するが、勇治はすぐに振り向き、マチェットをそのまま振り下ろす。始めから殺すつもりはない、ただ相手の動きを止めるだけ……そのつもりだったのだ。
だが、またもや生まれた勇治の僅かな躊躇の隙に、銀色も後ろを振り向き、両手で挟みこむようにマチェットの刀身を押さえる。まさかの真剣白刃取りの形。……だが。
「えっ……?」
マチェットを下す勢いは止まらない。
銀色の手は刃に触れた瞬間、装甲が溶け、手が焦げ付くような音が鳴る。
そして、刃はそのまま、いとも簡単に、銀色の腹部の装甲を貫いた。
「あぁっ……ぉぁぁぁーーっ!?」
マチェットの刃の根元から橙色の光が溢れ、焼ける音、焦げる音、蒸発する音が一斉に辺りに鳴り響いた。勇治が呆然としながらナイフを引き抜いた時、目の前で何が起こったのかを理解する。
銀色の腹周りの装甲はドロドロに溶けており、そして、中身の腹には反対側が見渡せるような穴が開いていた。男はそのまま倒れ、狂ったように叫び、地面の上で身悶える。
「こ、ここまでやるはずは……」
銀色の腹を押さえる手から溢れる出血を見て、勇治も我に帰る。
持ち主を失ったトラックのエンジン音が、彼の意識をその場に縛り付けようとするかように、辺り一面に無情に鳴り響いていた。




