1.一般人
時は世紀末!……なんてことは全くなく、世紀初めの微妙な時期。
世界は核の炎に包まれた!……ということも勿論なく、世の中は至って平和そのもの。
舞台は経済的にやや行き詰った感じの東洋の島国ニッポン。
何十年にも渡る「戦争なんてダイッキライ!」な平和教育が功を奏し、原爆をニ度も落とされてからは所謂人の言う所の戦争には巻き込まれていない。今の世の中にあるのは、せいぜい受験戦争とかスーパーの価格戦争くらいだ。
――そう、戦争はない。だから、この国は平和だ。
しかし歳が二十歳も越えると、その平和って奴もどうなんだろうと、心の中でよく首をかしげるようになる。別に戦争がしたいとか、闘争こそが人間の本質だとか、中二めいたことを言うのではなく、平和って奴も案外人を幸せにするものではないということを、だ。
幸福であるためには平和でないといけないんであろうが、平和だからと言って幸福であるとは限らない。つまりは必要条件。幸福の構成要素の一つに過ぎない。
では、残りの要素を集めればいいじゃないかって、そんな簡単にいくほど世の中は甘くない。
子供の頃に思い描いていたように、人生応援ソングの歌詞にあるように、上手くはいかない。
一人の凡人がいかに考えたところで、状況が好転するわけでもない。ネット上でつぶやいたところで、出会い系の業者以外の誰かが共感するわけでもない。
所詮はバイトでしか世の中を見れていない者の戯言。
名言を残したかったら偉人になりな。
「……いらっしゃいませー」
自然界ではありえないような色に髪を染めた若者にも、分け隔てなく接客する。
それがバイトの宿命。
篠田浩輔。二十一歳。
職業:フリーター。現在コンビニの店員真っ最中。
もっと付け加えるなら、最終学歴は高校中退。理由は家庭の事情。
家族は母親一人のみ。現在は、九州の山奥の施設にぶち込まれている。
要するに経済的な後ろ盾が一切無し。
一時期父親がひどい借金を抱えたものの3年前に親父が首を吊ってくれたおかげでチャラにはなった。その代わり、親戚一同からも厄介者扱いされ、心の準備も整わぬまま、社会に投げ出されてしまったというわけだ。
浩輔自身、結構不幸な身の上だという自信はあった。
少なくとも、「自分が世の中で一番かわいそうな人間だと思ってるんじゃないのか?」とかいう台詞を聞くと、カチンとは来る。
実は、過去に何度も、自分と家族をあんな目に合わせたこの社会に復讐しようと思った。
けれども、これまで一般人として生きてきた人間がそんな器ではなれるわけでもなく。
身を捨ててまでの復讐よりも、今日の空腹を満たそうとする生存欲が勝ってしまう。
つくづく、何だかんだで人が死なないように出来ているこの社会システムは凄い。ある意味「毒されている」とも言うべきだが。
「597円になりまーす」
乱暴に投げられるお札をありがたく受け取り、表面上は笑顔を取り繕った接客。
客が店を出た後も、この顔の筋肉が戻らなくなっているのは、仕事をする上では良いことなのだろう。
「ありがとうございましたー」
現在の時刻、午前5時。夜勤で最も忙しい搬入作業の時間帯に入り、客の姿が見えなくなるのを待たずに、すぐさま商品の陳列に取り掛かる。この日は浩輔と店長の2人体勢だから、店の戦力はほとんど彼一人と言っても良い。
このコンビニの店長は、仕事が出来ないと言うわけではない。人柄は至って温厚で、気配りが出来て、仲間思いで、結婚もしてて、子宝にも恵まれているが……なんというか、凄く気の毒な人なのだ。いくら浩輔でも、不幸さレベルではこの人に勝てる気がしなかった。
「あー篠田くん、ちょっといいかな」
噂をすればなんとやら、店長が店の奥からのっそりと姿を現す。年は四十半ばだと聞いているが、頭頂部はすっかり薄くなってしまっており、怒ってるのが分からないくらいの細い目と、その横の皺が彼の半生を物語っている。
そして、浩輔ももうかれこれニ年近い付き合いなので、これからシフト変更の相談が来ると言う事も大方予想できた。
「土曜の日中なんだけど……入れる?」
「別にいいですよ。特に予定もないし」
店長は申し訳なさそうにほっとする。土曜は夜のシフトにも入っているので、実質二十時間越えになるが、これもまぁ、よくあることだ。店長に至っては日常だし。
「……また、花田くんですか?」
「うん、その日はどうしても来れなくなったってねぇ……」
花田くんというのは、ここから四駅くらい離れた所にある高校に通っている学生だ。体格がよくて寡黙、さらに、しばしば顔中に生傷をつけて来るため、彼と出会った九割九分の人間が「怖い」という第一印象を持つ。浩輔も初めは訳ありの不良かと思ったが、実際は礼儀正しく仕事も真面目にやってくれている。……ちょくちょく急な休みを取っているのを除いて。
ここの店長も人がいいので、クビになることはまずない。その分、他の人にしわ寄せが来ているわけだが、そこの所は、下手な詮索はしないでおいている。
「すまないね、篠田くんにはいつも助けてもらって」
「俺もこれで食っていかないといけないんで」
浩輔は生きていくための仕事だからこのくらいは仕方ない、と言ったつもりであったが、店長は尚も俺の事を心配そうな目で見る。
「……時々さ、君みたいな真面目な若い子が、こんなコンビニでフリーターなんてやってるのを見ていると、凄く勿体なく思うんだよ」
「今の世の中じゃ別段珍しくもないですよ」
「他に企業とかで働く気はないのかい?」
「一応、求人は見てますけどね。今どき、高校中退じゃぁ、どこも取ってくれませんよ。『何か問題起こしたんだな』って思われるのが関の山だし」
実際、過去に小さめの企業の面接も受けたが、皆同じように突っ込んでくる。経済的な事情もあるとはいえ、世の中には奨学金制度もある。なのに急に『中退』までいった浩輔の過去は、面接官にとっては格好の突っ込みどころなのだ。
「イジメでも受けて、学校止めたのか?」と言われた時が、個人的に最もムカついた。
そう疑われるのも無理も無いと思っていたのだが、その時の面接官の「あ、こいつはいじめを受けるような駄目な人間なんだな」みたいな感じの視線が最も気に障ったのだ。
「こんなこと聞くのもなんだけどさ……篠田くんは何か夢とかあるかい?」
浩輔は少し考える。
夢……復讐くらいか……
もちろんこんな事言えるわけがない。
浩輔は適当に首を振って「今のところ特には」と、答えた。
ここで「最近の若い者は……」と絶対に言わないところが、この店長の、最も好感が持てる所だ。むしろ「自分たちが不甲斐なかったから――」と、若者が最も喜ぶ(図に乗る)発言まで付け加えてくれる。この店長も、そのまた上の世代の犠牲者だというのに。
新しい客も来たので、おしゃべりはここでお開き。浩輔も店長も何事も無かったかのようにとっとと仕事に戻る。暗い顔で接客やるわけにもいかない。
明け方になるにつれ、出勤途中に寄って来る客も増え、バタバタしているうちに、今日の仕事は粗方終了。
と、言っても、パートのおばちゃんが来るまでは、店長の負担軽減のためにレジに立っていなければならない。
朝の客の列を捌き終えると、そのタイミングを見計らったように、パートのおばちゃんが店の中に入って来る。従業員なのに裏口から入ろうとしないのは、私服姿で堂々と世間話がやりたいからだと思われる。
「おはよう、篠田くん!」
他の客の視線にも構わず、おばちゃんは浩輔に大声で話しかける。息が上がって、顔も紅潮しており、今日はいつにも増してテンションが高い。
「……走って来たんですか?」
「そうだけど、そうじゃないのよ! 今朝のニュース見た!?」
ほとんど休憩も取らずに仕事やってんだから見れるわけないがない。バイトに出来るのはせいぜい朝刊をチラ見するくらいだ。
「何かあったんですか?」
「出たのよ!シグ・フェイスが!私の家の近くに!」
ざわ……と、店内がどよめく。半分はマジで!?という興味深々、もう半分はまたか、という呆れたような顔をしている。
「何件も被害を出していたタクシー強盗をとっちめてボッコボコにしたそうよ! 近所の人は夜中に凄い爆発音を聞いたらしんだけど、あたしゃ熟睡しててねぇ!ニ件隣の山田さんは後ろ姿も見たそうよ!去り際に十メートルくらいはジャンプしてたって!あ~!眠りの深い自分が恨めしいぃ~!」
おばちゃんは鼻息を荒らげ、姿を拝めなかった悔しさをぶつけるべく、シャドーボクシングまで始めた。
「最近は暗いニュースが多いですけど、こういうこともあるんですねぇ」
後ろから店長が、鎮火しかけていた火に油を注ぐ発言をする。おばちゃんはさらにヒートアップして、仕事そっちのけで現場の状況を語りだした。
そんなこんなで、バイトが一時間程延長。
「んじゃ、お疲れさまでーす」
店を出た時はすっかり陽が昇り、他の労働者の朝の通勤ラッシュも終わっていた。通勤する人々を尻目に悠々と自宅に帰るのが、浩輔にとってのささやかな楽しみではあるのだが、それは仕方ない。今度はその逆を味わうのが辛いところではある。
バイト先のコンビニと、自分の家までは二駅分くらいの距離があるのだが、基本は自転車通勤。原則として、どこに行くにも自転車。貧乏人の乗り物とはよく言ったものだ。
途中で気になって、例のヒーローが出没したという現場に立ち寄ったが、案の定、警察とマスコミと野次馬がわんさかとひしめき合っていた。長時間労働が全国的な問題になっている割には暇な世の中だ。
マスコミの群れが警察や近所の人にやたらめったらとインタビューを仕掛けていたので、浩輔は彼らにあまり近づかないようにしつつ、遠巻きに現場を覗きこむ。
「単なる通り魔……じゃないのか?」
「襲われた本人が証言しているので、本当だとは思いますが」
「もう、今月に入って十七件だぞ。現場に出る俺達の身にもなってくれよ……」
現場に張られたロープの内側から、警察達のぼやき声が聞こえて来る。
ちゃんと仕事しろよと言いたくなるが、事実、ここ最近、正義のヒーローの登場によって警察の存在価値が疑われているのだ。主にネット世論とマスコミによって。
逆に言えばそれだけ、シグ・フェイスというヒーローが、社会的に無視できないものになって来ていると言う事だ。全身に白い装甲を纏った神出鬼没の謎のヒーローという存在は、その功績こそ身近な小悪党を懲らしめるという草の根的なものにも関わらず、だんだんと世間に注目されてきている。
『名前を売る』
まずは、これが第一歩だと『あの人』は言っていた。
たしかに、いきなり大物の悪徳政治家やヤクザや犯罪者を懲らしめても、逆に世の中の人々は戸惑いを覚えるばかりだ。いきなり大きな芽を摘み取っても、世の中は大して変わらない。また新たな悪党が出現するだけである。
だから手始めにその温床を叩く。それは個人で為せることではない。もっと多くのマンパワーが必要だ。だから、人々の考え方を上手く誘導してやらなければならない。
こんな風に言うと宗教臭くもあるが、宗教の元々の位置づけもこうだったのだろう。やり方さえ間違えなければ問題ない。そう、やり方さえ……。
(……不安だ)
色々と考えているようで、何も考えていないような気がする。
何せ肝心のヒーローが『あれ』なのだ。いつかどこかで、でっかいヘマをやらかしそうな気がしてならない。
ふと浩輔の目が自転車のかごの中のビニール袋へと落ちる。中身はコンビニの売れ残りの弁当や、賞味期限が切れた飲み物だ。要は生命線。
しかし、一人で食うには多すぎる。いくら貧乏性だとしても、食い切れなかったらごみ袋代がかえって増すばかりだ。以前の彼なら、そんな馬鹿な事はしない。
だが、今の彼には、これでも足りるかどうか分からない。
「……しまった!こんな事してる場合じゃない!」
肝心な事を忘れていた。
奴に餌を与えねば。下手すると殴られる。
浩輔はそそくさとその場を離れ、自宅まで自転車を飛ばす。
途中で信号にいくつか引っかかったが、信号待ちの歩行者の世間話もここ最近出没している正義のヒーローの話題で持ち切りだ。小さい子供たちは早くも公園で、「シグ・フェイスごっこ」まで始めている。コンビニにおいてある地元紙もヒーロー特集まで組んでいた。
今はまだローカルなヒーローとはいえ、ここまで来たら『今俺ん家にシグ・フェイスいますよ?』なんて口が裂けても言えない。絶対に言えない。
――ヒーローと一緒に住んでるなんて、羨ましいって?
――だったら、誰か引き取ってくださいよ。マジで。お願いします。
ここ三ヶ月、浩輔にとって帰宅という行為が果てしなく苦痛になっていた。