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錬装機兵アルク・ミラー  作者: 四次元
黒き侵食者 オルト・ザウエル
18/112

17.実験体

 

 腕時計の針は既に十時を回っていた。

 星一つ見えないくらいに曇りきった夜。

 人気の少ない鉄橋に、仕事疲れで虚ろ気味の人々を詰め込んだ電車が通り過ぎて行く。

 そして、逆方向に向かって走る影が一つ。


「ついてねぇ!まさか寝過ごすなんて!」


 黒い学制服姿の少年は誰もいないであろう夜道に向かって吠える。自分が降りるべき駅を何区間もオーバーしてしまったのだ。慌てて財布の中の少ない小遣いで可能な限り戻り、それ以降はダッシュ。もうかれこれ数時間は経っている。そして明日も平日だ。火曜日だ。

 少年の遥か後ろへ電車は走り去って行く。

 辺りが再び真っ暗になると、少年は鉄橋の柵にへばり付いて、身体を休ませた。


「ちくしょー……明日も朝早いってのに……」

 

 少年の通う高校ではボランティア活動にやたら力を入れている。今年度から赴任した校長の意向なのだが、大半の生徒にとっては傍迷惑なものでしかなかった。

 地域の清掃活動に老人ホームの介護補助、恵まれない子供への募金活動などなど。

 明日も少年は早朝の清掃活動に行かなくてはならない。別に行きたくもないのだが、サボりでもしたら、反省文を原稿用紙10枚だ。それも拒否すると内申書に大きく響く。人によっては前科一犯クラスの傷をつけられたと言う者もいる。


「事情が事情とはいえ、深夜徘徊もうるせーからな……補導員に見つかる前に早く帰らないと……」


 そう思いながら、少年は周囲にも気を配る。補導員もそうだが、最近では変質者も多い。

 特にここ数ヶ月は誘拐事件も多発しており、年齢、性別関係なく、行方不明者が相次いでいる。……ということが、連日のようにニュースになっていると教師から聞かされている。


「ん、人か……?」


 スーツ姿の男が、反対側の歩道に柵に手を掛けて佇んでいた。

 線路を挟んでいるし、川の方をじっと見ているので、別に気害はないだろうと思い、少年は軽く自分の固くなった脹脛を揉みほぐしていた。

 少年の視界の淵で、男は何か決心をつけたように頷き――靴を脱ぐ。


「えっ?」


 そして鞄を置いたまま、身体を柵の上へと乗り上げる。

 少年の脳裏に川までの高さが浮かび上がり――


「うぉおぁぁーっ!?やめろぉっ!」


 少年の身体は反射的に動いていた。

 詳しい状況など分からない。

 ただ、目の前で川に飛び下りようととしている、死ぬかもしれない男がいるのだ。

 火事場の何とやらの如く、少年の身体は一瞬で線路を超えて反対側まで駆け抜け、男の身体にしがみ付いた。


「な、なんだ!?離せっ!!」

「はっ、早まらないでくださいっ!」

「うるさいっ!子供がっ!」


 少年は抵抗する中年サラリーマン風の男を無我夢中で後方へ引きずり降ろし、結果的にとはいえ地面に叩きつけてしまう。男は背中を強く打ったようでその場で悶絶する。

 ――くしゃ。

 同じくして、尻もちをついた少年の手元に薄い紙の感触があった。表には筆で書かれたような字体で「遺書」の二文字。少年の予感は的中していた。


「ど、どうして、自殺なんか……」

「お前のような子供に――!」


 男は大きなクマをぶら下げた目で少年を睨みつける。

 少年は思わずたじろぐが、幸か不幸かその場に警察官が駆け付けた。


「一体何があったんですか!?今『やめろー!』って大声が聞こえましたが!?」

「この人が自殺をしようと!」

「ち、違う! 私は! 私は――」


 男はそれ以上何も言う事が出来ない。

 警察官は少年から男の遺書を渡されると、すぐに事情を理解したようで、無線機で応援を呼ぶ。


「君、お手柄だったね」

「は、はい……」


 やや頼りなさそうな眼鏡姿の警察が少年を労うが、少年は複雑な面持ちを隠せない。

 ……ほどなくしてパトカーがその場に駆け付ると、男は警察官二人がかりで抱えられる。その頃には野次馬も増えていた。


「なんだなんだ?」

「自殺未遂だってよ」

「やだ……あの人2丁目の山田さんじゃない。会社クビになってから奥さんに愛想尽かされて子供と一緒に逃げられたそうよ」

「大人しそうな人だったからねぇ……」


 野次馬たちのわずかに相手に聞こえるくらいの容赦ない小声が、少年の耳にも入る。


「あのまま死なせてやった方が幸せだったのかもねぇ……」

「しっ!あの子に聞こえるわよ!」


 もう遅い。そんな情報など、事情を全く知らないこの少年が持ちうるはずもない。


「でも、結果的には大きなお世話だったんじゃない?」


 『結果的には』。この言葉が少年の背中全体にのしかかり、立っていることすらも気だるくなるくらいの重圧となる。あと二、三言ほど追撃があれば、少年も橋から飛び降りようとしたかもしれない。

 自殺しようとした男性がパトカーの中へと引きずられて行き、乱暴にドアが閉められる。少年は躊躇いつつも車の中に視線を移す。


『余計なことを』


 この中で誰よりも、その霞んだ瞳は、その言葉を訴えていた。

 パトカーは早々に動き出し、サイレンも鳴らさぬまま、夜の住宅街の中へ消えて行く。


「君、もう夜も遅いし家まで送ってあげようか」

「いいです……家、すぐそこですから……」


 少年は警官と目を合わせることが出来ないまま、その場を走り去った。物分かりの良さそうな大人であったし、今の自分の事情を話しても良さそうなものだが、それ以上に周囲の視線に耐えられる気がしなかった。ただ、今はとにかくこの場を離れたかった。

 既に疲れ切っていたはずの脚の感覚も忘れ、ただひたすらに夜の街を走る。

 自分のとっさの行為に自問自答を続ける。

 だが、いつまでたっても辿りつく答えは一つ。

 今は亡き、父の姿。


「これじゃあ……父さんと同じじゃないか……」


 少年は父が嫌いだった。いや、嫌いになろうとしていた。2年前、強盗殺人事件の犯人を追っている途中、地下鉄のホームに落ちたホームレスの酔っぱらいを助けようとして、そのまま帰らぬ人となった警察官の父が。


『ホームレスなんて放っといらよかったのに』

『犯人をみすみす逃がしてしまうとは』

『残された子供と妻はどうするんだ』


 だれもが死んだ父の事を非難した。たかが見知らぬホームレスのために、自分の職務を忘れ、全てを投げ打った大バカ者。正義感や優しさもここまで来ると逆効果。ただのお節介。格好つけるにしてもお粗末すぎる。どちらを優先するべきかは、小学生でも分かる。

 誰であろうと、判断はつく。

 おかしいのは、異常だったのは、父の方だ。


『勇治くんは、あんな風になっちゃいけないよ』


 葬式の場だというのに、母方の叔父に小声で伝えられた冷たい言葉。

 来る人来る人、皆残された母と息子の自分を気遣い……

 そして、遺族には聞こえないように父を罵倒した。


「うぅっ……く……!」


 少年は半泣きになっている眼を制服の袖で擦り、残りを払い飛ばすかのように首を振る。

 思い出したくもない記憶を無理やり押しこめると、今まで溜まりに溜まっていた脚の疲労感が脳に伝わってくる。これ以上走ると脚がもつれそうだと感じ、よろめきながら近くの電柱にへばり付いた。

 やや息が収まって来ると、辺りの風景が見慣れた物になっていることに気づく。この辺りならば、のんびり歩いて行っても自分の家まで20分ほど。車通りの少ない道とはいえ、街灯も煌々と光っており、最低限気を付ければ無事に家に帰れるだろう。


「仕方なかったんだ……うん、運が悪かっただけさ。そうだよ、あんなことが滅多にあるもんじゃない」 


 少年は必死に自分に言い聞かせる。

 自分のしたことは間違ってはいない。ただ、たまたまついていなかっただけなのだ。

 自分は何も知らなかったのだ。何も知らなければ誰だって止めようとする。

 自殺しようとした人の事情を知っていれば……

 死なせてやったほうが…… 


「あなたは、それで納得出来るの?」


 少年は思わず肩がすくみ上がってしまった。

 一瞬空耳かとも思った。空耳であって欲しいとも思った。

 しかし、目の前には人がいた。

 全身を白いローブを纏い、所々曲がりくねった杖をつく……顔の全容はフードに隠れて見えないが、声からしておそらく老婆。


「あなたは『思わず』人を助けたのではなくて?この『思わず人を助ける』というのはね、誰にでも出来ることではないのよ」


 眼の前には老婆が一人。たしかに一人。

 少年は目を見開きながらも、全身から冷や汗が出る感覚を味わっていた。

 こんな時間に、こんな夜道に、奇妙な格好、自分の心を見透かした言葉、日本人離れした皺の深さ、そして不気味なくらいに暖かみのある声。


「お、俺は……正しいことをしたんですか?」

「その『正しいこと』とは誰が決めるの?周り?それとも自分自身?」

「そんなこと言われても……」

「……あなたが答えを出すのはまだ早いわ。人の安易な言葉に逃げては駄目よ」

「……」


 なぜ自分は、こんな得体の知れない人物と話しているのだろう。

 危険なことは解っているはずなのに、なぜか少年には惹かれるものがった。

 様々な疑問をすっぽかしてでも、もっと、この人と話してみたいと思った。


「あ……の……?」


 少年は尚も老婆に話しかけようとする……が、舌が、呂律が回らない。

 急に視界がグルグル回ったかと思うと、眼前にはコンクリートの地面がそびえ立っていた。そして、全身から力が抜けていき、少年の意識は深いまどろみの中に落ちて行った。


「ウォーダ、この子を部屋まで運んでくれる?」


 静まり返った道路の中で、先程までとは打って変った老婆の低く鋭い声が響き渡る。

 老婆と少年しかいない空間に、どこからともなく大きな影が飛び降りてきた。


「りょーかい…っと!」


 突如として姿を現した2メートルはある巨漢の大男は、倒れている少年を片手でひょいと持ち上げると、そのまま軽々と右肩に担ぎ上げた。


「んで、ご主人マスター。コイツもアルク・ミラーに?」

「ええ、この子には『メッセンジャー』……そして『カウンター』の役割を……」

「カウンター……シグ・フェイスのですかい?俺やアイキだけでは不安ですか?」


 ウォーダの表情に若干の不満の色が映るが、その様子を見もしないまま、老婆はゆっくり首を横に振る。


「いいえ……意味はそのうち解かるでしょう」

「いつもの後のお楽しみってわけですかい。ま、他の奴と一緒に色々と予想しときますよ」


 ウォーダがその場を動こうとすると、さらに狙い澄ましたかのように影が降りて来る。


「帰り道にグッドタイミングゥ!……かな?」

「……メローネか。随分早かったな」


 その場に降りて来たもう一つの影。

 一応スーツ姿ではあるのだが、まともな感覚を持った男なら一目で眼と鼻の先が泳いでしまうような外見。大きく開かれた胸元には、二つの山がほどよく見え隠れしており、スカートも中が見えるか見えないかの微妙な長さ。そして、胸元に届くほどの長さのブロンドの髪に、やや意地の悪そうな笑みを浮かべた顔。

 まるで、男性が理想とする小悪魔系の女性を一度漫画の中に書いてから、そのまま3次元に引っ張り出したような女性であった。


「彼らの動向は掴めたの?」

「もーばっちりですよ。実験施設の位置も完全に吐かせてやりました。白いのと一緒にっ」


 そういう風に創られているとはいえ、メローネの過激な発言に、ウォーダはいつも頭を悩ませている。……主に突っ込みどころのタイミング等。

 もちろん、そういう風に創った当の本人は動じる気配すら感じられない。


「やはり私の知らない所でも研究を始めていましたか……」

「ま、相当手こずっているみたいでしたけどねー。マスターを差し置いてアルク・ミラーを調製するなんて千年早い!ってね」

「……んで、その実験施設はどうします?」


 やや期待を含んだウォーダの問いに、老婆は顎をさすりながら少し間を置いた後、気を失っている少年を軽く指差した。


「その少年に頼みましょう。私も、もう少し彼の心を観察してみたいわ」


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