13.盲信
とりあえずは、花田の誤解を解くことから始まった。
浩輔達はひとまず繁華街の大通りに出て、適当なコンビニの前に場所を移す。
「……先に襲われたのはこっちの方なんですよ。バイト終わり頃にいきなり電話がかかって来て。学校の進級について大事な話があるからすぐに店の前までって」
「誰から?」
「うちのクラスの担任です」
「にしても、こんな時間にそんな事でガキを呼び出すかフツー?明日学校で話せば済む話じゃないか」
花田も、それはごもっともだと言わんばかりに頷く。
「まぁ、何て言うか俺は、学校の先生共に目をつけられてるっってゆーか……」
「そりゃ、目を付けられるようなナリしてるからな」
明理も事実とはいえ、子供相手にはっきり言いすぎだと、浩輔に突っ込まれる。
「別に学校の外で何しようが勝手じゃないですか……」
「いや、何をやっているかにもよるけど」
「……ボクシングのジムに通ってるだけですよ。バイトだってジムに行くための費用を稼ぐためだし」
その一言で、浩輔は全て納得した。
それで、ちょくちょく顔に傷をつけてバイトに来てたわけだ。
「でも、それだと何で教師達から目を付けられるんだ?理由としてはちゃんと筋が通ると思うけど」
「うちの学校、格闘技系の部活が全面禁止になってるんですよ。柔道とか剣道とかも。まぁ、ボクシングは元々無かったんで、俺が個人的にやってるだけなんすけど」
「随分と極端な話だな。……てか、高校なんだから別んとこ行けば?」
「元々は違ってたんですよ。今年から赴任してきた校長が『暴力的な部活は良くない! 今の子供にはもっと健全な部活をやらせるべきだ!』って言い始めて……そっからっすね。俺が暴力事件を起こしたとか、他校の不良とつるんでるとか、変な噂が流れ始めたのは」
どういう校長だと、浩輔と明理が童子に突っ込みを入れる。
おまけに花田の高校はれっきとした公立、よくそんな横暴じみた事が許されたものだ。
「元々、うちの学校の柔道部も剣道部も部員いなくて廃部寸前でしたからね。大して反対する輩もいなかったもので」
それで、なおも外で格闘技を続けようとする花田は、要注意人物のレッテルを張られている。
まるで子供の意地の張り合いだ。
子供の花田はともかく、学校側がそんなにムキになってどうするのか。
「まぁ、こいつの事情は置いといて、だ。話を戻すぞ。お前は先公に呼ばれて店を出て、そして襲われたということか? そこからの話の繋がりを教えろ」
「は、はい……」
明理の一声に、花田も少し萎縮しているようだ。
一応、浩輔の知り合いという事にしているが、鉄パイプ持って不意打ちかましたにも関わらず簡単にあしらわれたのだから当然か。
あの時の鳩尾への突きだって、服の下に週刊誌を忍ばせてなかったらどうなっていたことか。
「俺が店を出た先に先生は確かにいました。けど……」
「けど?」
「パトカーと警察も一緒にいたんですよ。加えて『大事な話があるから、今すぐ車に乗れ』って。心当たりはないし、せいぜい夜遅くまでバイトやってるのが不味かったのかな、とか思いましたけど。なんつーかもう……そこから先は」
「逃げたのか?」
「あ……はい」
「いや、逃げちゃ駄目でしょう」
「結果的には正解だろ。この様子だと」
明理はあっさりと肯定するが、結果論でしかない。
「一体どうして逃げたんだ?」
「いや、本当に何となくというか……自分でもよく分かんないんす。先生達を見た瞬間、急に背筋に寒気が走ったっつーか……何か目つきも普通じゃなかった気がしたし……」
「本能的に身の危険を察知したってやつだろーな」
明理は一人でうんうんと頷いているが、浩輔は完全に理解の外だ。
その直感が本当にボクシングの練習によるものなら、世の人達は皆こぞってグローブをはめることだろう。
しかし、そこから先の出来事については見ての通り。
花田は左腕を負傷していた。手持ちのタオルを使って自分で止血したらしいが、直径10センチくらいの赤黒い染みが出来ている。色つきのスポーツタオルなので、あまり周囲には目立たないで済むのが救いだ。
明理が傷の具合を確かめようと花田の右手を引き寄せると、流石の彼も苦悶の表情に変わる。
「結構な傷だな。事前の止血は的確だから大事には至らないと思うが……何にやられた?」
「拳銃っすよ。絶対。こっちが逃げようとしたら、警官が撃ってきやがったんです。あの時は無我夢中だったから、何をどうやって逃れたかよく思い出せませんけど」
「かすめたぐらいで弾が中に残ってないのが救いだな。……その時、他に人はいなかったか? いや、周りに女はいたか?」
「はい、警官と同じくパトカーの中から一人……出て来ましたね。眼鏡を掛けた若い女性でした。そいつの口調も凄く甘ったるかったもんで……逆に怖かったんです」
「で?あの時はこの私をその女だと勘違いしたというわけか?」
「あ……すいません。別の人だってことは分かってたんですけど、『そこに隠れているのは分かってるんだぞ』なんて言われたから……」
あの時は、こちらにも非があった、と浩輔が代わりに謝る。
しかし、今の明理は別段怒っているようには見えないのだが、それでも花田にとっては相当怖く思えてしまうようだ。これも彼の持つ本能とやらが、自らの身の危険を知らせているのかもしれない。その直感は正しいぞ、と浩輔は一人頷く。
それはともかくとして、これで花田の一通りの事情は理解できたわけだが、そうするとまた新たな疑問が浮かび上がって来た。
「そうなると一つ気になるのは、俺達が向かう前の悲鳴だな」
「悲鳴?」
「ああ、女性のな。俺達はそれを聞いて駆けつけたんだが……心当たりはないかい?」
もしかすると、花田達の現場を目撃なりしていた別の女性が襲われたのかもしれない。これまでの流れからすると、そう考えるのが自然だと思うが。
だが、少し間を置いて、花田から意外な答えをが返って来る。
「少し曖昧っすけど……多分、先生や警官と一緒にいた女性だと思います」
「え、なんで本人が……?」
「チッ、嵌められたか?」
軽い舌打ちと共に、明理の視線は既に外に向かっていた。
人通りの多い場所なら大丈夫、その考えが甘かったというのだろうか。
浩輔達が気づいた時には、周囲の人の流れは消え失せ、通りに流れる賑やかな音楽も工事現場のコンプレッサーの音にとって代わられている。
「ええっ!?」
「何なんすか、これは!?」
が驚いたのも束の間、今度はそれに加えてパトカーのサイレンの音。それも遠くから迫って来るような音では無い。明らかにすぐ近くで鳴らし始めたような距離感だ。
浩輔は慌ててコンビニの中を覗くが、中の若い店員は外の状況に気づいていないのか、ごく普通に商品のチェックをやっている。
「み、店の中に入りませんか?」
「いや、駄目だ。自動ドアが開かない。やられたなこりゃ」
浩輔が入口のドアを思いっきりノックすると、若い店員は肩を震わせてこちらを振り向いたが、すぐに後ろから店長のような壮年の男が来て、店の中へと連れて行かれる。
そして、非常ベルの音と共にコンビニの明りが消えた。なんとも最悪。
「完全包囲って奴か……たかがガキ一人捕まえるのにここまでやるかねぇ~」
口調とは裏腹に、明理の表情は楽しげだ。自分だけは絶対に死なないと思っているのだろう。
止めとばかりに、こちらが移動する暇を与えまいと、店の前に一台の車……パトカーが止まる。
「逃げちゃだめじゃないかぁ、花田ぁ~」
眼鏡に七三分けの時代錯誤な男が、にこやかな表情と声と共に車の後部席から降りて来る。
もしかしなくても、この男が花田の担任。浩輔の目から見ても危険なのは明白。
眼の色がまともな人間のそれではない。
そもそも、何故教師がパトカーに乗って一番に降りて来るというのか。
「せ、センセイ……」
「まったく、こんな時間まで街をほっつき歩くなんて補導ものだぞ?お前?」
「なーにが補導ものだ。パトカー連れている時点で、確保する気満々じゃねーか」
明理が相変わらずの悪態をつくと、担任の男は細めていた目を丸くして、色々なトーンの「ん~?」という声を上げながら、彼女の身体全体を舐めますように覗きこむ。
「君は、何だい?いい年した女性なのに言葉使いも悪いし……なによりもその体だ。実にけしからん。いかにも臭いね~育ちが悪い。実に悪い」
けしからんというのは間違いなく胸だと思うが、今日の明理の格好はあまり胸が目立たない少し緩めのシャツにジャケット姿。これでけしからんという単語がすぐに出て来る時点で、この男が普段から女子の何を見ているか、簡単に想像できてしまう。
エロいのはともかくとして、それ以上にキモい。生理的に無理。
担任の男の真面目そうな格好がかえってそれに拍車をかけている感じだ。
「だいたい君たちは花田とどういう関係なのだね?高校生をこんな夜中に連れ回すなんて、何を考えているんだい?」
「学生を夜中に呼び出す奴に言われたくねーっつーの」
「僕は彼の担任だよ?教育者なんだ。僕は生徒を真人間として教育する義務、そして責任がある。もちろん生徒にも我が校に来たからにはその校則に従う義務がある。いかなる時でも、教師の呼び出しがあればそれに従わなくてはならない」
「で、従わなかったら発砲か。今時、軍隊でもそんなことやらねーよ」
負けじと舌戦を繰り広げる明理を前にして、担任の男はからからと笑い始めた。
「いやいや、失礼。あの時はつい間違えてしまったんだ。彼に撃とうとしたものは……」
プシュ、と、炭酸の抜けたような音が聞こえたかと思うと、花田が細い呻き声を上げながら、足をよろめかせ、その場に崩れ落ちる。
それを慌てて浩輔が支えるが、花田はパクパクと口を動かしながら、段々と体重を寄せてくる。
「花田くんっ!?」
「てめぇっ!」
「おぉ~っとぉ、ただの麻酔銃だよ。僕が大事な生徒を殺すわけないじゃないか」
さらに車の反対側から、いかにもOL風といった眼鏡を掛けたスーツ姿の若い女性が出て来る。
身長もそんなに高くなく、髪も加工したような形跡がない。田舎から出て来たばっかりって感じの、どこか垢ぬけてないような印象の女。
そのせいで、右手に握られている拳銃がとてつもなく似合っていない。
「さて、事情を知られたからには、あなた達もただで帰すわけにはいきません」
金融会社のオペレーターのような甘ったるい声を出しながら、その女は浩輔達に拳銃を突きつける。あの銃は麻酔銃かそれとも本物の拳銃か、それはもうどうでもよい話だ。
どちらにせよ、こいつらは普通ではない。一般人ではない事は確定だ。
「……期待はしませんけど、俺達に選択肢はあるんですか?」
「そうですね、ここでお亡くなりになっていただくか、我々の理想のための礎となっていただくか」
最初から期待しなくてよかった、と浩輔は溜め息をつく。
「ふん、私らはともかく、この花田とかいうガキをどうするつもりなんだ?」
「彼も私らの理想のために働いてもらう。下らぬプライドのために規律を守ることの出来ない子供だが、その身体能力、そして先程分かった事だが、とっさの時の判断力は中々良い」
この品定めの仕方はロクなもんじゃない。
しかし、明理もまだ仕掛けない。出来るだけ探りを入れて情報を引き出す算段だ。
「それよりもよ、さっきから何度も言っているてめぇらの理想ってのは何だ?」
「この国をよりよいものとするためだよ」
男は待ってましたと言わんばかりに高らかと宣言する。
「いや、一般人に銃を向けながらそんなこと言われても……」
「『一般人』か。君は所詮は取るに足らない大衆というわけだ」
「いきなり根拠の無い選民思想を述べられても、こっちは困惑するだけですよ」
反論なんて始めから聞く耳を持たないのか、すぐさま浩輔に銃口が向けられる。
「あなたは必要ありません。死になさい」
女はこちらを見下すかのような薄笑いを浮かべながら、何のためらいも無く引き金を引く。
「……んなっ?」
浩輔の眼前にはコンビニの前に置いてある傘立てが立ち塞がっていた。
今度は先程の麻酔銃とは違う。消音器のせいで音はさほど変わらないが、傘立ての金属部分に当たったであろう音が明らかに金切り音。
「実弾かぁ。今の当たってたら死んでたぜ。コースケ」
「ありがとうございます。素直に感謝します」
正直麻酔銃という期待もあったが、『死になさい』って言ったのは正しかった。
しかし、明理に二度目の不意打ちは通用しない。
「な、なんて反応なの……!?」
「どうやらこちらの女性は只者ではないようですね」
銃を撃った女は驚きを隠せず、教師の男も口元をひくつかせながら賞賛する。
一発で形勢逆転だ。浩輔が素人目に見ても、相手はビビっているのが分かる。
銃を目の前にしても全く恐れる素振りを見せず、逆にその場にある者で冷静に対処。
『こちらには銃がある。絶対に勝てる』という相手の自信を一瞬にしてぶち壊した。
「一つ聞きたいんだけどさ~。お前らには親玉とかいるわけ? 場所知ってたら案内してほしいんだけど。私も会いたいな~。『この国をよりよくする』ための秘密結社なんて浪漫がありそうじゃん」
秘密結社かどうかは知らないが、明らかに明理の願望なのだろう。
きっとの浪漫の前には『ぶっ潰す』という言葉が入るのだろう。
まぁそんな事は浩輔じゃなくても分かるだろう。
目の前の二人は目を見開いて思いっきり動揺している。
「え、援軍を……」
「どーしてさー。私は会わせて欲しいって言ってるんだけど。オトモダチになれそうだし」
「う、動くな!」
「なんで?あんたら要は『強くて優秀な奴』集めてんでしょ?だったら私が直々に行ってやろうじゃないってことなんだけど。それとも何?私を親玉と会わせると何か都合悪いわけ?負けちゃうかな~とか?」
「勝手に話を飛躍させるな!」
「あー!もしかしたら知らないとか!?あんたらって下っ端?大企業でいうところの派遣社員?子供でも出来る単純作業やらされている分際で『ウチの会社の技術力は世界一ィィー!』なんて言ってるクチ?」
明理の怒涛の煽り攻撃が始まる。
その隣で、そっと浩輔が代わりに全国の派遣社員に心の中で謝っていた。
「こいつ……やはりここで排除します!」
「あるぇ~?下っ端にそんな権限あるの~?」
「死ね!」
宗教臭い奴らの煽り耐性には始めから期待していなかったが、目の前の男女はなりふり構わずに発砲する。
……が、明理は自分達に命中する分の弾は全て、傘立てでガードする。
この傘立ても、自分がこんな風に使われるとは夢にも思っていなかっただろう。
「こいつ……化け物かっ!?」
「だが、そんなものがいつまで保つか!」
言うとおり、健気な傘立ても既に満身創痍。
金属部分はベコベコに損傷し、プラ部分は言わずもがな。
その命がそう長くないのは、誰の目が見ても明らか。
しかし、二人の銃も弾切れだ。予備弾があろうとも、次の装填までの時間は稼がれた。
「ちっ!」
しかし、明理は逆に軽い舌打ちをしながら、傘立てをコンビニの窓ガラスに叩きつけた。
先程の流れ弾で既に損傷していた窓は、あまり生理的に聞きたくない音を立てながら割れていく。
「もう終わりだ!こちらの助けが来たぞ!」
男の声で我に帰ると、目の前には怪しい黒一色のスーツに身を包んだ人間が二人、三人、四人……もちろん全員銃持ち。
「ここ本当に日本かよ……どうします、明理さん?」
「……決まってるだろ。数の暴力には……」
明理はそれ以上言わず、浩輔に軽い目くばせを送る。
「どうしたぁっ!もう他に言う事はないのかぁ!?」
これで再び形勢逆転と言わんばかりに、教師の男が勝ち誇ったように声を張り上げる。
そして当初の目的忘れてているのは間違いない。
明理は途中から花田も一緒にかばってたというのに。
「大人しく死ぬか、協力するかしていればよかったものの……!これは調子に乗った報いです!」
演じる事を止めた女の声と共に、いくつもの銃口が浩輔達を取り囲む。
これでは完全に絶体絶命。
そう、普通なら。
「あー……こりゃいくら私でも物理的に無理だ。どうしよう……」
「気に入らん……その人を小馬鹿にした態度!今すぐ死ね!」
「ま、待て。最後に一つ言わせてくれ!」
「何だ? いいわけか?命乞いか? それとも先程のような反抗的な……」
「……一言でいいから」
「ふん、言葉を終えた瞬間にあなたを撃ちますよ?」
「ああ、好きにしてくれ」
明理は一息つき、夜空を見上げながら小さく呟いく。
「錬装着甲」
浩輔は花田を担ぎ、割れた入口を通って、コンビニの中へそそくさと非難する。
後ろから無数の断末魔の悲鳴が聞こえてきたが、必死に振り向かないようにして、事が終わるのを店の隅で待ち続けた。