11.錬金術師
時は少し遡り――
赤坂の議員宿舎は人だかりで騒然となっていた。
普段は豪華すぎるとか税金の無駄遣いとか、お昼のバラエティーで格好の叩かれネタとなっている建物であるが、この時は流石にマスコミも本来の仕事をしていた。
この日の昼未明、この国の内閣総理大臣である桐島が『訪問』しているのである。
突然の新党「黎明」の発足、そして狙い澄ましたかのような、与野党問わず多くの議員の寝返り。中にはそれぞれの党の比例代表で勝ち上がった者もいた。
それはともかくとして、与党の議席数が大きく減ったのである。専門家の間でも、衆議院の解散そして総選挙は間近に迫っていると広く報道された。
そんな中の総理大臣の動き……当然のごとく、一挙一頭足が注目されるわけである。そして、突然の議員宿舎への訪問理由も、報道陣の格好の取材対象であるわけだ。
「東郷!まさかこんなに早く動くとは……!」
桐島はその部屋に入るなり、普段の大人しめの姿からは想像もつかないような大声で上げる。だが、当の矛先の人物は別段気にする事も無く、急須にお湯を注いでいた。
「お前にまだ利用価値があるうちでないとな。この国は法治国家だ。国際的な信頼のためにも、少なくとも表向きは合法的に事を進めなければならん」
「事が済んだら、私を始末するつもりか?」
「事が済めばお前は大手柄だよ。何の不自由もない老後を送らせてやるさ」
桐島に目を合わせる事も無く、東郷は湯呑にお茶を注ぐ。
今はまだ表舞台には出れないが、彼は『黎明』の実質的な党首なのである。そんな立場の人間が自らお茶を注ぐというのは、一見妙な光景でもあった。
「……お茶にはこだわる奴だったな、そういえば」
「他人が注いだものを飲みたくないというのもあるがな。一応お前の分もあるぞ。とっととそこに座れ」
桐島は部屋の右手側にある黒いソファーに目が行く。
そこには周囲の黒スーツの屈強な男達とはまた異なる、奇妙な姿があった。
一様に白いローブを纏い、室内だというのに頭を覆い隠すかのようにフードを被った三つの小さな人影。桐島も一瞬、どこぞやの怪しい宗教団体の人間かと思った。
ソファーに一人が座り、残りの二人はその人物の後ろに控えるように立っている。
桐島はとても話しかけられるような雰囲気ではないと、無言のままソファーに座った。
ほどなくして、東郷がお茶をテーブルまで運んで来る。
「ありがとう」
ソファーに座っている白装束の人物はしわがれたような声でお礼を言う。
女性、それも老婆の声だ。
桐島もお茶を取ると同時に顔を屈め、フードの中を覗きこんで確信した。
東郷が二人の間に入るかのように、側面のソファーに座る。
「紹介しよう。こちらの方は私の恩人でもあり、そしてこれからの心強い協力者となるユミル氏だ」
「恩人……そして協力者?この方は一体……」
突然の紹介に戸惑う様子を面白がってか、東郷は少し溜めるかのように言った。
「彼女はな……錬金術師だ」
さらに突拍子もない単語の追撃がかかる。
桐島は茶を吹き出しそうになった。
「れ、錬金術って……鉄とかから金を作りだすあれか?」
「それは狭義の意味だな。本来の錬金術というのは……」
「トウゴウ」
東郷が得意気に語ろうとした瞬間、ユミルは重たい声でそれを遮る。
さらに桐島が驚いたのは、本当にそれで東郷が口をつぐんだ事であった。
ユミルはその先を言わなかったが、東郷は彼女の言わんとすることを理解し、頭を下げる。
「……これは失礼しました。しかしながら、これもあなたの力ゆえです。その点は御理解を」
あの東郷が頭を下げ謝罪し、しかも相手を敬っている――
学生時代の傲慢不遜な彼の姿をいやと言うほど知っている桐島は、目の前の女性にある種の恐怖を覚えた。単にこの数十年で東郷が処世術を身につけただけなのかもしれないが。
「……ともかくだ。今回私が立ち上がれたのは彼女の力によるところが大きい。彼女と出会わなければ、私は単なる『革命家』として終わっていただろう」
「では、これからは?」
「『為政者』だよ。立場上はお前達と変わらない。始めの方は『独裁者』と呼ばれるだろうがな」
「自覚はあるのだな。昔とはえらい違いだ」
「私もこの数十年で色々あったのさ……」
昔の事を思い出したのか、東郷はその精悍な顔を緩ませ、湯呑の方へ視線を落とす。
桐島は何も言いだせず、ユミルも言葉を発さないまま、しばらく時計の音がだけが部屋に鳴り響いた。
しばらくして、その静寂の中に割り込むように、スキンヘッドの黒服の男が部屋に入って来る。サングラスのせいで表情が分かり辛いが、息が少し上がっていることから、やや慌て気味な調子のようだ。
「東郷様、昨日お話しした島岡博士が……」
「実験体に逃げられたと言う奴か?」
「脱走したサンプルにつきましては、既に居場所を突き止め、現在回収班が向かっております。しかし、少々面倒な事になりまして」
「何だ?」
「博士本人がこちらに来ました。マスコミも多いため、下手に処分すると後々面倒になりますが……」
ソファーに座っている三者は皆一様に顔を上げていた。
「東郷、サンプルとは?」
「今はっきり言っていいか迷うところだな。とにかく、その男には私が研究費を出している」
桐島がその人物について詳しく尋ねる間も無く、坊主頭のスーツ姿の男が大きな音を立てながら駆けこんでくる。男は部屋に入るなりその場にひれ伏し、所謂土下座の体勢になった。
「と、東郷様! 申し訳ございません! 」
「とんだ失態だったな。報告は受けているが、あれが世間に明るみになると都合が悪い」
「変な情が移ってしまったのか、部下の裏切りにあいまして……その部下はすぐに始末したのですが……」
必死に許しを乞う島岡であったが、東郷は皮肉を込めるかのように鼻で笑った。
「まぁ、今回の件は私にどうこう言う事でもないだろう? だから彼女を連れて来た」
東郷は首だけで、ユミルの方を指す。
当の彼女はフードの影で表情が分かり難いが、じっと無言のまま島岡の顔を捉えていた。
島岡もそんな彼女の様子に畏怖し、言葉を詰まらせていた。
「…………」
「あなたが先生の研究資料を盗み見しようとした事は既に明らかです。あと『賢者の石』もいくつか盗んでいるようですね?」
意外にも、島岡を追求したのはユミルの左後ろに控えていた人物……まだ男女の区別もつかない幼い声だった。
「ま、待ってくれ! 許可は取っているぞ!」
「誰からですか?」
「東郷様からだ!」
周りの視線が東郷に向けられるが、彼はさらに嘲笑を浮かべる。
「私は彼女に頼んでおく、と言っただけだが?」
「その通りです。ですが先生は拒否なさりました」
「き、貴様!東郷様の頼みを断ったのか!?」
部屋の中が騒然とするが、桐島でも彼らが何に驚き、何を恐れているのか、漠然とした感覚を掴むので精一杯であった。
「島岡、確かお前の専門は生体工学だったな? それが今では、もっぱら人間と動物の掛け合わせ……合成獣の作成に走っているようだが。脱走したのは人と猫を掛け合わせた生き物だったか」
「に、人間と猫の掛け合わせ!?猫の方はともかくとして、人間は……?」
「私も話でしか聞いとらんのだよ」
桐島は文系出身なので、科学的な話は今一つ苦手だが、これまでの文脈の中で島岡が具体的にどのような実験を行っているかが容易に想像がつく。
「そんな奴がどうして錬金術のデータを盗んでまで欲しがろうとしていたのか……」
周りの黒服の男の一人が、そんな漫画が最近あったと東郷に告げると、彼はさらに嘲笑を含んだ表情になる。
「で、ですが、その中に私が使えるようなデータは無かったのです!それにあの『賢者の石』とやらは……一体何なんだ!?凄い力を秘めているのは分かるが、どう使えばいいのかさっぱり……」
「おいおい、話を逸らすなよ。つまりは何だ? 今回の一件についてはユミル氏は全く関わりがないと言う事か? 私もてっきり彼女の力が外に漏れたのだと思ったぞ」
「い、いえ……あのキメラは完全に私のオリジナルです」
東郷はユミルに確認を取るが、彼女は無言のままただ頷くのみであった。
「先生はあんな救いようのない物は決して作りませんよ。そもそも、あなたは錬金術という物を何か勘違いしていませんか?」
「そ、その女の教え子か何か知らんが、貴様のようなガキが言う事か!」
流石に子供にまで説教されるのは耐えられなかったらしく、島岡は声を荒らげる。
このままでは話の収拾がつかなくなると悟ったのか、東郷が両手を叩いて音を鳴らした。
「まったく人騒がせな奴だ。彼女の作品が外に出ないのに越したことはないが……とりあえず、そのキメラとやらがもし外部に漏れたのなら……貴様は抹消しないとな」
「ま……!」
島岡の声が詰まる。
傍で聞いていた桐島も、彼と同じく血の気の引くような感覚を味わった。
「お、お待ちください!私の研究は人類の未来が……」
「生存能力の高い生物の因子を人間に組み込む事によって、過酷な環境にも耐えられるようにする……といったところか?たしかに、人間の生物としての脆弱さゆえに起こる問題と言うのも少なくはない」
「そ、そうです。脱走したサンプルもその研究段階の一つとして」
「シマオカ」
まただ。
桐島は思った。
このユミルという女性の言葉から発せられる威圧感は尋常ではない。
どんなに周囲が喚きたてようとも、鶴の一声の如く一瞬にして黙らせる、凄みのようなものすら感じさせられる。
「あなたの研究は人類を救うかのように言っているけど」
「……いちゃもんでもつける気か?」
「どうしてあなたはこの研究をしようと思ったの?研究そのものが好きだから?人を救いたいから? 社会に貢献したいから? それとも……仕事だから、かしら?」
突飛な質問だが、相手に答えを拒否する権利はないと言わんばかりの雰囲気だ。
「……全部だよ。一つの答えに限定するなど出来はしない」
島岡はほとんど間を置かずにはっきりと言うが、ユミルは静かに首を横に振る。
「いいえ、違う。確かに今のあなたの理由はそうでも、始まりは一つのはず」
「つまりは何が言いたい」
「物事の根源を違えてはならない、ということ。そもそも、本当に人々の力になりたい、社会に貢献したいと言うのなら、どうして何の関係もない子供達を攫って、物も言えぬ生き物に改造してしまうような事が出来るのかしら?」
「き……貴様……!」
桐島は自分の嫌な予感が見事に的中してしまい、思わず身を島岡から少し離す。
その隣で東郷は手を組み、口元に微笑を浮かべながら、小さく頷いていた。
そんな最中、部屋に黒電話の着信音が鳴り響く。
「もしもし?」
音の主はユミルの後方に控えている少年の携帯電話だった。
少年は二、三度、抑揚のない返事を見せた後、やや驚いた表情に変わる。
「先生、脱走したキメラの処分は終わったようですが」
「待て!『処分』だと!?回収ではないのか!?どういうことだ! あれは貴重な成功体なんだぞ!」
島岡が少年に食ってかかるが、ユミルが細い手でそれを遮る。
「私が頼んだのよ。それで、何か問題が起きたのかい?ミューア」
「現場に例のシグ・フェイスが現れたそうです」
「シグ・フェイスだって?近頃世間を騒がせている、ヒーロー気取りの変人か?」
「実在したのか……」
連日のマスコミの報道によって、シグ・フェイスの名は首相官邸まで轟いてはいた。
一応国や警察側も、その人物とコンタクトを取ろうという試みも行ってはいる。
その極端な事例が、先日の歓楽街のチンピラ達を使って行わせた捕獲作戦なのだが、そこのところは総理である桐島も、東郷すらも知る由はなかった。
「これは現場にいたウォーダの見立てですが、彼は先生の『アルク・ミラー』に極めて酷似していると。戦闘能力も互角以上らしいです」
「ふむ」
「ほう、なんと……!」
ミューアと呼ばれた少年の聞き慣れない単語をを聞いて、ユミルは顎を指で掴んで考え込み、東郷は目を丸くして驚いていた。
「マスコミの馬鹿騒ぎかと思っていたが……考えを改めなくてはな。私の方でも早急に対策班を立ち上げよう。……よいですな、ユミル殿?」
「アイキを使うのですか?」
「彼も力を持て余している所ですよ。互角の相手と知ればより燃え上がるでしょう」
「いえ、始めはウォーダに探りを入れてもらいます。アイキの力もかなりのものですが、まだ加減を知りません。出来ればそのシグ・フェイスとやらは、生かして捕えたい」
「随分と慎重ですな。……よろしい。この一件については、そちらにお任せしましょう」
二人の間でしか理解できないやり取りが続いたかと思うと、ユミルはゆっくりとソファーから腰を上げ、後ろに控えていた二人の部下に支えられながら、よろよろとおぼつかない足取りで部屋を出て行った。もちろん終始無言。が、誰も彼女を止められない。
彼女が部屋から姿を消すと、桐島はようやく現実に戻れたかのような感覚を覚えた。
「あの女……!私の貴重なサンプルをよくも……!」
完全にハブられていた島岡が忌々しそうに言葉を吐く。
だが、平然と人体実験を行った彼に同情する者は、少なくともこの部屋にはいなかった。
「……さて、どうやら問題も片付いたようだし、そろそろ本題に入るとしよう」
東郷が咳払いをし、場の雰囲気が再び纏まり始める。
「今回私が政界……所謂国家的な権力争いの場に立ったきっかけだが、それはユミル殿の力の一つ、先程の話にも出て来た『アルク・ミラー』を目にしたと言うことがある」
「東郷、一体何なんだ? その『アルク・ミラー』と言う物は?」
「それを今からお前に見せるところだったんだよ、桐島。お前の方から、私に協力を申し出たくなるようにな。……ああ、それと島岡。お前にもう用はないよ。ユミル殿も帰った事だし」
「お、お待ちを! 私の今後の研究費については!?」
「今流行りの仕分けという奴だな。お前の研究が、こちらも危険を冒して投資するものとは思えなくなった」
島岡は尚も喚きたてるが、周囲の黒服の男達に掴まれズルズルと部屋から退場させられる。これ以降、彼の姿を見た者はいないのだが、それはまた別のお話。