終幕.
――以上が、裕眞明理……世間で言うところのシグ・フェイスと、オペレーション・デイライトと呼ばれる事件の最中に起こった物語の全てである。
そして、ここからは私、篠田浩輔の話と――
◇ ◇ ◇ ◇
「……駄目だな、やっぱ」
煌々とした昼光色の蛍光灯に照らされたデスクの上で、浩輔は大きく伸びをしていた。
もうかれこれニ時間はパソコンの画面に張り付いていたから、目が乾いて仕方ない。それもこれも自分の文才の無さのせいだ。仕事柄とはいえ、どうにも慣れないスーツ姿での作業というのも、疲労に拍車をかけていた。
冷たくなってしまった紅茶を飲みながら文書を保存すると、部屋のドアがノックされ、早く支度をしろとの催促が飛んで来る。
「ちょっと待ってくれ。もうすぐ終わる」
文章的にはキリのいいところだったので、最後の文言だけを付け加えて校正は後に回すことにする。
パソコンの電源を切り、窓のブラインドを閉めると、急に部屋が闇に閉ざされた。
もの寂しさこそ感じるが、部屋の端々に残った熱はどこか暖かい。
――オペレーション・デイライトから三年が経過しようとしていた。
最初に結果から言ってしまうと、日本という国は滅ぶことはなかった。
あれだけの凄惨な殺し合い、内戦状態とも呼ぶべき事態が起きたにも関わらず、だ。
海外からの干渉も当然受けた。
アメリカ、中国、ロシア、東南アジアにヨーロッパ。
だが、日本という国が乗っ取られることはなかったのだ。
戦いに疲れ果てた人々は、自らの生活基盤を固めることを第一として、互いに協力しあった。
その心の底に恐怖という感情があったにせよ、手を取り合ったのだ。
その結果、突貫工事ではあるが、日本という国は再び動き出した。
はりぼての平和でも、ひとまずは、とばかりに人々は腰を下ろしたのだ。
「……こうやって、歴史は改竄されていくんだろうな」
浩輔は街通りのビルの電光掲示板で流れていたテレビ特集を見て、大きなため息をつく。
『復興三周年!戦国時代以来の混乱から、日本という国はどのようにして立ち直ったのか』
画面の向こうでは、専門家やらコメンテーターやら芸能人やらがあれこれ持論を展開しているが、結局は生き残った人々の誇りとなるための都合のよい表向きの話ばかりであった。
「仕方ないですよ。本当のこと言ったらまた変な事になるんだし」
隣を歩く同じくスーツ姿の真織が、苦笑いしながら浩輔の皮肉をなだめる。
真相は、そう、日本が内乱状態から立ち直れた理由を一言で言ってしまえば、『東郷が裏で手を回していたから』。
全ての事を起こす前に、世界各国の中枢に錬装機兵の部隊を送り込んで、日本に手出しをさせないように脅しをかけていたのだ。
制圧や国の乗っ取りまでは出来なくとも、せいぜい一ヶ月程度、相手の出足を挫けばそれでよいと、指示を出されていた。
派遣された本人達がオペレーション・デイライトの先についてどのように聞かされていたか分からないし、聞きようもなかった。ちなみに浩輔が東郷の『遺産』を引き継いでの最初の仕事が、彼らに報酬を与え、労ってやることだった。
相場は分からないが、一生食うには困らない分の謝礼は与えたつもりだ。
もちろん、その後は解散命令。浩輔自身の素性は一切明かしていない。
浩輔は、たとえ覚悟が足りないと卑下されようとも、黎明の組織を引き継ぐ気などないし、その一員だった者を引き取る気もない。
まずは、自分達でどこまで出来るのか、ただひたすらに駆け回っていた。
人を利用するのはその後の話だ。
「ほんと、人間ってたくましいですよね。この辺り一帯で少し前まで殺し合いがあったなんて、知らない人は誰も気づきませんよ」
真織の言葉が示す通り、駅前の通りは平日の昼下がりにも関わらず、相変わらずの人混みであった。
そんな中で、昼休みのピークが過ぎ、一息ついたであろうコンビニ……かつての古巣へと向かう。
「いらっしゃいませ……あぁ、篠田くんに八瀬さんじゃないか」
出迎えてくれたのは、以前と変わらない穏やかな笑顔。皺の数は前より増えているが、目の下のクマは少し取れている。
生き残って欲しい人が生き残ってくれた。
この喜びは保っておきたかったのだ。
「店長、しっかり寝てますか?」
「はは……前よりかはね」
店内を見回すと、店長、パートのおばちゃんの他に見知らぬ若い男が一人。その子はこちらを見て軽い会釈だけで済ませたが、おばちゃんは流石にただでは帰してくれなかった。
「あら~!二人とも元気ぃ?仲良くやってる?」
「まぁ、ぼちぼちと」
「今日は何の用~!?あ、まさか、とうとう結婚するとか!?」
冷やかしにしても飛躍しすぎだと、浩輔は苦笑いする。隣はやや顔を赤らめながらも、軽く笑って返した。
「まっさかぁ、だって先輩はただ今、絶賛傷心中の身ですよー」
「えぇ!?真織ちゃんがいるのに、他に女作って、しかもフラれたわけぇ~?」
「……なんか収拾つかなくなりそうなので、本題に入りましょう。店長、五十回目の誕生日おめでとうございます」
雰囲気もへったくれもない祝い方だが、店長はしっかりと驚いてくれているようだし良しとする。当然のことながら、隣で女性二人のブーイングが入るが。
プレゼントは角二サイズの茶封筒一枚。
店長がおそるおそる中身を開けてみると、中から出て来たのは数枚の書類。始めはキョトンとした顔で文面を眺めていたが、次第に内容を掴むと、表情がみるみる固まっていく。
「し、ししし篠田くんっ!?こっ、これは……!」
「後は店長が印鑑を押せば、譲渡手続き完了です」
おばちゃんも中身が凄く気になったらしく、店長の後ろから顔を伸ばしてその文面を覗いてみるが、すぐに文字通りのびっくり仰天。素っ頓狂な声を上げて驚く。
「い、一軒家じゃない!五十のおじさんにプレゼントする物じゃないわよ!」
「正確には元の持ち主に帰るんですけどね。リフォームも完了済です」
「し、篠田くん……こんなのいくらなんでも貰えないよ……」
「そんなこと言われても、既に買い上げてしまったもんだし。今から突っ返されても、逆に扱いに困るだけですよ」
かつて店長が三十年ローンで購入したマイホーム。店長がかつて勤めていた会社が倒産してしまい、結局ローンを払いきる前に、抵当に入れらてしまった一軒家。
その後の引き取り手がいなかったのが救いで、暴動の中でも略奪が起きることなく、あっさりと購入することが出来た。
築二十年と決して上等なものではない、今の浩輔なら遥かに良い物を買ってやれる。
だが、今の彼に必要な物といったら……という考えのもと。
「今から……やり直せるだろうか……?」
「やり直すもなにも、続きから始めるだけですよ」
ちなみに店長の家族も生存を確認し、居場所を調べ上げたうえで接触済みだ。
うだつの上がらない父を見捨てた妻や子供達も、社会の荒波……というか、国を多い尽くすような大洪水に揉まれて、少しは相手を思いやる心が身についたらしい。
後は当の本人達次第だ。
「それじゃ、俺はまだ寄るところがあるので、これで」
「ちょっとぉっ!篠田くんカッコつけ過ぎよ!やっぱ金持ってる男は違うわ……私もあと二十年若かったら……!」
「それじゃあ店長、頑張ってくださいね!」
浩輔は、本当にこれで良かったのかどうか不安だったので、店の入り口の手前で振り返る。
店長は直立不動で立ち尽くし、目は滲ませながら口を僅かに動かしているのが見える。
(恩返しは、ここまででいい……かな?)
次なるは、都心から電車で揺られること四十分。
ベッドタウンが立ち並ぶ小高い丘のお寺……その墓地へと向かう。
「うわっ、初めて来たけど凄く眺めいいじゃないですか!」
「『彼女』も、いいとこの娘さんだったらしいからね」
――葛島綺羅。
ユミルから渡された記憶。そして東郷より受け継いだデイライトの情報によって、彼女の素性を断片的にではあるが、知ることとなった。
東郷の想い人であり、彼の行動の動機でもある。
「愛する人を奪った世界への復讐、かぁ……」
「あるいは腹いせに八つ当たり」
「あーもー、ロマンがないなぁー」
真織に口をすぼめられるが、浩輔は軽くかわしながら、新しい花を添えてやる。
滅多に来れそうにはないので、もちろん造花だ。一応高いやつではある。
「……ま、本当のところは」
浩輔は墓石の脇に小さなコインを見つけ、手を伸ばして拾い上げた。
「彼女との『賭け』だったらしい」
「賭け?」
「どちらの言い分が正しいのか」
「喧嘩してたんですか?」
「根本的思想の違いって奴なのかな……単純に言えば、東郷は性悪説派、彼女は性善説派だったらしい」
「そんなことで……?」
「そうだ、そんなくだらないことで、東郷はこの国の行く末を秤にかけた」
浩輔はコインを勢いよく弾き、落ちて来たところを右手で左手の甲へと押さえつける。
「さて、表裏どっち?」
「いや、絵柄分かんないですし」
「正解。俺も分かんない。見たことないコインだ」
つまりはそういうことだよ、と、その絵柄を確かめることもなく、コインは墓前に静かに置かれた。
ちょうど帰り際にお寺の住職が通りがかって尋ねられたので、軽く談笑する。
住職も黎明の人物としての東郷の素性は知っていたが、彼が世に出てくる十年以上も前から、年に一度ふらりと現れては、彼女の墓にお参りしていく姿を見ていた手前、問い詰めることは出来なかったという。
その事を酷く後悔していた様子であったが、浩輔も自分は金を貰って墓守を頼まれただけだと言い、東郷は存命なのかどうかという問いかけにも、分からないとその場をごまかして終わった。
「これで……よかったんですよね?」
帰りの電車の中で、後ろ髪を引かれる思いの真織は小さく尋ねた。
「俺の答え一つでどうこうなる話じゃないさ」
無責任かもしれないが、ほとんど面識のない人にずっと構ってやれるほど暇でもない。
浩輔はビジネスバッグからタブレットを取り出すと、表向きの本業である、メールのチェックをする。
「さ、もうしばらくは、未来を担う若者の支援に興じよう」
「ワカモノ……」
「どうした?」
「二十三って若者ですよね?」
「まぁ」
「なんかこの仕事やってると、自分がえらく年をとったように感じるっていうか……子持ちの親御さんとのやり取りばかりで……」
真織はげんなりと首を垂れながら、隣に倣ってタブレットを取り出す。
表向きの仕事というのは、浩輔が立ち上げた公益財団法人の事務職。主に成績優秀でかつ経済に恵まれない子供たちへの奨学金給付の事務をやっている。
浩輔が事務長で、真織は事務員。職員はこの二人のみ。
当初はこれくらいならニ人でやれると思っていたが、これが中々どうして。この厳しいご時世、返済不要の奨学金は、全国の貧しい学生とその親にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。
よって競争倍率も高い。審査も大変。
しかも、今の浩輔はもう一つの顔を持つ。
日本国内の混乱に紛れて海外から参入してきた外資系コンサル企業『ALCS』のトップ。もちろん、表に立つつもりはないので、架空の人物をトップとして据えている。
東郷の残した遺産に加え、戦後のこれまたドサクサで端島グループの財産も掠め取ったため、その資金力につられてきた国内の企業を合わせて、表向きはそれっぽい企業グループを形成した。
ここ数年は、海外からの参入という時点から既に嘘っぱちである『ALCS』の設定と肉付けを行うので寝る間もなく動いており、ようやく表向きの公益財団法人の職員としての立場を確保したところだった。
「ま……コンビニバイトのフリーターよりはマシだよ」
「先輩にとってはそうでしょうけど」
膨れっ面の真織は、相変わらず『先輩』呼びを続けている。
最近、他人の前では『事務長』と呼ぶようになったが、頑なに苗字や名前呼びはしない。
少し前にその理由を尋ねたことがあるが、苗字で呼ぶのに慣れたくないし、名前で呼ぶのは早すぎる、というもの。
浩輔は乙女心の複雑さをしみじみと噛みしめていた。
「そういえば、花田くんのカノジョの話……どうなりました?」
「ああ、来月からバイトで来てくれるそうだよ。人間性は問題なさそうだし、4月からは正式に雇おうと思ってる」
「あんな気の弱そうな子を捕まえて『人間性』はないでしょ!」
これは随分後で知ったことだが、花田がボクシングを始めた理由……それは学校でいじめられていた幼馴染の女の子を守るためだったらしい。ある日、たまたまガラの悪い輩に絡まれていた彼女を救ったことをきっかけに、彼に悪い噂がつきまとってしまっていたとのこと。実に漫画のような恋愛だ。
その彼女もこの騒動の中ずっと花田が守っていたらしく、この度めでたく正式付き合うことになり、浩輔たちに紹介された。常におどおどで、もじもじした感じの線の細い眼鏡の女の子だ。その後しばらくは、真織が花田を散々いじりまくったのは言うまでもない。コンビニのおばちゃんにも話が行っていた。
ともあれ、信頼できる人間としては条件を満たしており、晴れて新たな事務戦力となるであろう。
「不景気とはいえ、こっちも立場が立場だ。全く知らない人を引き込むのは抵抗があるからな」
「だからって、グループ企業に探偵会社作って奨学金の審査に探偵使うとか、さりげなく無茶苦茶やりますよね」
「木を隠すなら森の中さ。それに……」
「それに?」
「これも将来のことを考えてだよ」
あの戦いの中で、賢者の石は消滅した。錬金術の力を悪用できる者はもはやいない。
しかし『アルク・ミラー』はまだ残っている。
もちろん黎明の残党、そう、『錬装機兵』も。
彼らは己の素性を隠しつつ、未だにこの社会の中に潜んでいる。
全てが東郷の表向きの思想に感化されたわけではない。こんな力では世界はどうにもならないと、心が折れてしまった者もいる。こんな時代だからこそと、自らが新たな『正義のヒーロー』として活動する者まで出てきている。
浩輔もすぐに残党狩りは無意味だと悟った。
同時に、いずれは、真実を求めて自分の元に辿り着く者がいるかもしれないと考えた。
真実が都合よく解釈される事も想定して、多くのカバーストーリーも作った。
意志を受け入れる者だけが、目の前に来ることを信じて。
(これじゃあ、ユミルがやってたのと変わんないよなぁ……)
今までとは比べ物にならないくらいのものを背負い、充実なんて言葉が安っぽく聞こえるほどの日々を送っているというのに、相も変わらず自嘲は尽きない。
電車を降りると、まだ夕方6時だというのに、空は随分と薄暗くなっていた。
都心の人々の足取りはいつも通りだ。今から帰る喜びに溢れている人も、まだまだ仕事だと疲れた顔をする人も。何も変わっていない。
「あれ?事務所に電気がついてる。勇治君かみっちゃんかな?」
大した金品も資料も置いてない事務所に堂々と入ってくる人物は限られている。
真織の言葉は両方とも正解であった。
二人して、応接用のソファーでお茶でも飲んでくつろいでいる。
勇治は正義のヒーロー稼業をやりながらも何とか受験戦争を乗り切り、今は大学生の身だ。
深知は一人暮らしをしながら定時制の高校に通っている。金と生活費は浩輔持ちであるが、総資産から考えると微々たるものだ。
二人とも、荒っぽい手段を使う場面には、色々と手伝ってもらっている。
制約のない力というのは、便利なものだ。
「今日は二人してどうしたの?って……もしかして……!」
「金をせびりに来た」
真織の煽りをあっさりとかわし、お茶をすする深知。
三年経っても相変わらずの性格だ。おかっぱ頭はやめ、服装も少し大人びている。小学生は卒業できたが、中学生には間違えられそうな容姿だ。
勇治の外観は順当なだけに、なんとなく二人の世間的な距離は近づいた気がする。
「俺は海外に行こうと思ってて。しばらく日本から離れます」
「そうか、英語とかは大丈夫なのか?」
「それなり、ですね。後は向こうで覚えますよ」
真織は隣で驚いているが、浩輔はやはりか、と落ち着いた態度を崩さなかった。
勇治はいずれ自分の元を離れる。違う人間であることの宿命。相容れない部分もある。
だからこそ、それを止めるような真似はしたくない。
彼に何か頼む際は、敢えて依頼料などは払わず、金が必要な時には言ってくれという約束にしていた。
ちょうど、その時が来ただけである。
「そっちの言い値で口座に入れとくけど、いつ発つんだ?」
「早くて来週には」
「正月までは残っといた方がいいんじゃないのか?親が心配するぞ」
「それだと逆にズルズルと出れなくなりそうなので。親には兄貴夫婦がいるんで大丈夫です」
「ああ……そうか」
勇治の兄の存在は、騒動が一段落してから聞いた。
そんなに仲が良くもないし、親元を既に離れているから、話題に上がらなかっただけの事。
兄弟といえば、深知も同じだ。彼女にも姉がいる。いや、『いた』ことは、浩輔も後で知った。
「天北さんは?勇治についていく、とかじゃないんだろう?」
「私は探し物。もちろん国内で」
『探し物』というのは、既に亡くなっているであろう彼女の姉の足取りを追うことだ。
深知の心持ちを尊重しつつも、浩輔自身、調べていくうちに彼女の姉の痕跡に気になる部分が出てきたので、探偵を駆り出すなどして、協力を惜しまなかった。
現時点でも、人探しにしては随分と大袈裟な額をつぎ込んでいる。
「分かった、十二分に入れておく。あと、勇治は海外にいくんなら口座を他にもいくつか作っといてくれ。クレジットカードも忘れるなよ。そっちの方が安全って聞いたからな」
「恩に着ます」
「お互い様だ。気をつけろよ」
この後、夕飯はどうするのかと聞いたが、二人はすぐに帰ると即答した。その代わり、一晩豪遊できるであろう額の現金をせびられたが。
「うーん、二人の帰る方向は同じ……」
「もう不純異性交遊って年でもないだろ?」
「意外とみっちゃんの方から襲いそうな感じが……」
下世話心丸出しで二人を見送る真織にあきれつつ、浩輔は上着を脱いでネクタイをほどいた。
「さっ……て、俺たちはもうひと頑張りかな」
「夕食は?」
「贅沢に出前でも取るか。勇治と深知の門出を祝って、ここは一発、寿司でも」
「当然、特上ですよね」
「そりゃね、あの人がいなきゃ、これでも安いもんさ」
ぼそりと何か聞こえたような気がしたが、浩輔は気にせずに、スマホで手早く注文し、ソファーに腰を下ろした。
真織がその正面に座り、浩輔の顔を覗き込むように尋ねる。
「結局……」
「ん?」
「先輩にとって、明理さんは何だったんですか?」
「何って?」
「どう思ってたんですか?」
なおも迫る真織。
目も顔も口元も一直線だ。
浩輔は、一瞬目を逸らして考えてしまうが、すぐに向き合う。
「今思えば……あの人は俺の『鏡』のようなものだったかもしれない」
「鏡?」
「ずっと目を背けていたかったもの、心の底に残っていたもの……それを口から引きずり出された」
「…………」
「俺みたいなどうしようもない人間には、そんな荒療治しかなかったんだろうな」
「あのー……なんか答えずれてません?」
期待や予想とは斜め上の回答を提示された真織は、必死に軌道修正を図ろうとする。
浩輔はそんな彼女の様子に気づくと、体を後ろに倒した。
「それでも……あの人は、またいつか、必ずここにやって来る」
「ええっ!?」
「その時、そこにいるのは俺とは限らないけどな」
「あぁ、もう訳分かんない……」
真織にとっては、結局最後まではぐらかされた形になってしまった。
浩輔にとっては、これからの覚悟を述べたつもりであったが。
きっと、これからも、理解はされなくとも、不仲になることはないだろう。
理解しようとする気持ちさえ、続いていれば。
◇ ◇ ◇ ◇
私が将来、どのような評価を受けるかは分からない。
世が言う『悪』というものになっているかもしれない。
ただし、この始まりの話だけは、受け継ぐ者の責務として持っていてほしい。
そして、いずれ来る彼女に、伝えてやってほしい。
追伸
俺が直接会えれば、それに越したことはないんですけど。