106.真理
既に物も言えぬ状態の少年へ放たれる、何発ものの銃声。
これが、この人間のどうしようもない性こそが、力の抹消における最大の障害だったと。
そう諦めかけるまでに至っていた。
……が。
「……あ……?」
柏原は呆気に取られたかのように、目を丸める。
銃は四発以上は撃っているはず。銃口から硝煙も出ている。確実に目標に当たっている。
なのに、カプセルのガラス部分には、傷一つない。僅かに白っぽくはなっているものの、実際に手で触れてみて分かる絶望的なまでの強度。
「な……な……!」
柏原の手がわなわなと震えだす。
目の前の物に対する理不尽なまでの怒り。加えて、無茶な体勢で銃を撃ったことによる、腕の痺れ。
絶頂に達しようとする感情に消火器をぶちまけられたかの如く、喉から出ようとする声も不発を繰り返す。
「なんで、防弾なんだよぉぉぉぉっ!?」
やっとの思いで吐き出された激昂は、建物の外にまで届くほどに木霊した。
「ちくしょう!だったら電源をっ!」
柏原は喚き散らしながら、カプセルに繋がれていたコード類を乱暴に引きちぎるが、カプセル内の照明の明度が落ちたくらいで、心音計は変わらず鳴り続けていた。
「内部電源とかありやがるのかよぉっ!?誰だ、こんなものを作ったのはぁっ!?」
柏原自身が目の前のカプセルに手も足も出ないでいるなか、浩輔はゾンビの力が緩んでいることに気がついた。
主人の意識が逸れたせいかどうかは分からないが、瞬時に腕を振りほどき、明理の元へ手を伸ばす。同時に反対方向からも伸びて来た手が、その指を掴む。
「……あっ、無駄だぁ!」
柏原の反応に釣られるかのように、ゾンビ達に勢いが生まれ、二人の体に次々とのしかかって地面へと押し倒す。浩輔が動きを止めるようにと必死に念じるが、その力が弱まる気配は一向に無い。
「こいつらはっ……!?」
「コースケッ!」
「念じてるっ!」
「くそっ、何でだっ!?」
ゾンビの手が浩輔の頭を捕え、一度軽く浮かせてから、地面に叩きつける。舌は噛まずにすんだものの、上唇が鼻血の感触を感じ取っていた。
目と地面との隙間に柏原のよろめく姿が映る。どうにかして注意を逸らそうと考えを巡らせるが、その狂気に満ちた眼は、浩輔達を捕えて離さない。
「はぁっ……はっ……!予定変更だぁ……くそっ、まずはお前等を殺す。存分に痛めつけてなぁ……」
柏原が八つ当たり気味にカプセルを平手で叩くと、体を押さえつけるゾンビ達の腕に更に力が込められた。全身が圧迫され、骨が軋むかのような痛みに、思わず苦悶の声が漏れる。
「……だが、俺に謝れば、許しを与えてやってもいいぞ?」
柏原は片膝を付いて全身を引き摺るように浩輔に近づき、こめかみに拳銃の銃口をぐりぐりと押し付ける。そして、わざとらしく喉を鳴らしてから、痰を浩輔の髪に飛ばし、更に嘲笑した。
「ほらよ……謝れよぉ……『こんなクズに生まれてすみません』って……この俺によぉ……」
「自分を……何だと思ってる……」
「『柏原さんっごめんなさいぃぃっ』って、言、う、ん、だよぉぉぉっ!」
眼前で吐き出される大量の唾。
その一滴の中に、何かが近づく影が映った。
「ぶっぎゃ?」
その影と共に柏原の体が吹っ飛び、後ろにあったカプセルに叩きつけられる。
浩輔は再びゾンビ達の力が弱まったのを感じ、必死にその山から這い出ようとすると、何者かに右腕を掴まれ宙へと吊り上げられた。
「間に合ったな」
「ウォーダ、か……いいところでっ……!」
2メートルの巨漢は浩輔をその場に下ろし、続けて明理をゾンビの山から引き摺り出す。
まさに地獄に仁王……と、言いたいところだが、その巨漢の体は安易に頼ろうとは思えない様相であった。助けられた明理も思わず顔を引きつらせる。
「出来損ないのザコ相手に、随分と苦戦したようじゃねぇか……」
「こっちは元々稼働時間が限られてんだ。三十分以上の戦闘は体が焼ける」
ウォーダの言葉通り、彼の肉体は所々『割れ』、筋繊維が飛び出ている状態であった。見るも無残な姿であるが、その顔には一切の苦痛や恐怖の類を感じさせない。
依然として変わらず、ただ淡々と戦闘を行う、純粋なる戦士の表情がそこにあった。
「さて、見つかったようだな」
「もう時間がない……早くミューアをそのカプセルから出すんだ……」
ウォーダが一歩足を踏み出すと、倒れていたゾンビ達が一斉に起き上がり、目を光らせた。
その後ろから、柏原の裏返ったがなり声が響き渡る。
「クソがぁ……ゾンビ共!やっちまえぇっ!」
ゾンビ達が一斉にウォーダに飛びかかる。
一人目は、裏拳で首が吹っ飛んだ。
二人目は、掌底で背中から背骨が飛び出した。
三人目と四人目は手足を掴まれ、ヌンチャクのように振り回され、他のゾンビ達の体を抉り取っていく。
二十秒ほど振り回した後、辺りには手足を失った達磨のゾンビだけが残った。
「……残るは貴様だけだ」
「は、はへ……」
ウォーダの筋肉が更にひび割れ、体の循環液が噴出する。既に肉体に限界が来ているのは見て解かる。
それでも、一直線に向けられた鋭い目付きは、相手に僅かな希望も抱かせない。おまけに、狙いすましたかのように、ウォーダの血液の飛沫は柏原の顔にまで飛び散り、彼の片目を塞いだ。
これが決め手となったのか、柏原は首をめちゃめちゃに振りながら甲高い叫び声を上げると、カプセルの上に飛び乗り、拳銃の銃口を中の少年へと向けた。
「ち……ちくしょぉぉぉっ!!このクソガキぃっ!」
柏原は鳴き喚きながら拳銃の底をガラスに叩きつける。
が、返って来るのは物体の破壊には程遠い音。
「ぢぐしょぁっ!クソがぁっ!消えぢまぇぁ!」
ちょっとやそっとでは壊せるわけが無い……そんなことは既に錯乱していた柏原にはどうでもよかった。
ただ、この少年さえ殺せば、目の前の奴らの鼻を明かせる。
過程を放棄した望みだけが、彼の脳裏に映っていたのだ。
そして再び、拳銃をカプセルのガラス部に向けて乱射する。
だが、壊れない。
次第に狙いも定まらなくなり、カプセルの金属部に当たって耳の奥を刺すような音を響かせながら、部屋中に弾筋の煌きが飛び交っていく。
「ぇあ……?」
柏原の動きが止まる。
右手に握っていた銃を離し、そのまま手を胸のあたりへと寄せ、目を赤く腫らしながら「何があった?」と言わんばかりの表情を見せる。胸、ちょうど心臓の位置を押さえる右手からは、赤黒い血が止め処なく溢れ出していた。
「兆弾か……」
「こうも上手く行くのかよ……」
「ひぇ……ひょ、ん、な……!」
柏原の体が崩れ、カプセルの上から地面へと滑り落ちる。
頭から落ちたことすら後回しにされ、小鹿のように四肢をばたつかせながら、口からは体内の血溜まりが吐きだされる。徐々に呼吸もままならなくなっているようで、顎が声の数倍は動いていた。
――相応しいが、惨めだ。
明理が息を切らしながら、地面でのたうちまわる彼の元へと近づく。
「一応聞くが、このカプセルを開けるにはどうすりゃいいんだ」
「い、痛、ひ……助け……」
「自分のことしか考えてないよな。聞いた私がアホだった。そのままゆっくり死んでくれ」
明理は柏原の脇に落ちていた拳銃を拾い上げると、溜め息をつき、肩をすくめる。
弾丸はもう残っておらず、銃身も曲がっている。
それを見て、浩輔もおぼつかない足取りでミューアの入ったカプセルへと体を寄せた。
「とにかく、こいつを開けよう。急がないと」
「ウォーダ、お前の力で手っ取り早くいけないか?」
「銃弾でもびくともしないのに、どうにもなるか。ニンゲンの頭で考えてくれ」
「私はニンゲンじゃねぇよ」
「……だとさ。頼んだぜ、あんちゃん」
ウォーダはそう言って体を壁へと預けると、相も変わらず明理は悪態をついた。
仲間になると急に波長が合うじゃないか、という台詞を飲み込みながら、浩輔は生命維持装置の周りをぐるりと探ってみる。
が、操作端末のような物は一向に見当たらず、柏原と同様の台詞を口にしそうになる。
「……たしかにこれ、どうやって操作するんだ?」
「あー……待て、柏原が電源ケーブルを引っこ抜いてた時、線が何本か見えたぞ」
「そうか、電源なら一本だけだろうし、他の端末に繋いでたんだったら……」
明理の記憶の通り、地面には数本のケーブルが落ちており、それを差す穴もすぐに見つかる。
一つは思った通り電源。
残り二つは近くにあったノートパソコンと、外付けハードディスクのようなものに繋がっており、早速、電源を入れて中身を確かめる。
「なるほど、外付けの奴がパスワード代わりになっているんだな。よし、いけそうだ」
首尾よくログイン画面が自動で突破され、生命維持装置の開閉のアイコンも見つかった。
浩輔は大きく息をつき、明理の方へ振り向く。
「明理さん、コイツを開けたら……」
「私にやってるのと一緒だ。ミューアの手を取って念じる。アイツに息が残っているうちに――」
瞬間、ノートパソコンのキーボードが浩輔の手からすり抜ける。
状況に気づいたときには、割れた液晶の光が暗い部屋を照らしていた。
その中心部に刺さっていのは、ロック画面になっているスマートフォンの角。
明理も、ウォーダも、まさしく虚を突かれた形であった。部屋の入口からも、ノートパソコンの画面は完全に死角だったのだ。
「何がっ!?」
「ちぃっ!誰だっ!?」
明理とウォーダが索敵に入るが、周囲にあるのは手足を失った死体のみ。
だが、その中で一つ、腕を上げ蠢くものがあった。
「死、に、た、く……な、い……」
「こいつ、まだっ?」
「シ、ニ、タ、ク……」
柏原の血の滴りは止まってはいない。
既に地面に薄い血溜まりを作っている程の出血なのに、突如として何かに吊り上げられるように体が持ち上がった。
スーツの胸元から突き刺すような紅い光が噴出し、ワイシャツのボタンを弾きながら腹が膨れ上がり、巨大な固まりが姿を表す。
「原石……」
「えっ!?」
「賢者の石の原石だっ!ミューアから話は聞いていたが……こいつが持っていやがったのか!」
今まで装飾品程度のサイズしか見てこなかった浩輔は、柏原の胸から腹を通って滑り落ちたボウリング大の紅い結晶の塊に目を見張った。
スーツの上からではそのような物を忍ばせているようには全く見えなかったが、あるものはある。目の前の現実が全てだ。
「ユミルの奴も何も言ってなかったが……後で取り返すつもりだったのかぁ!?」
その想像の斜め上を往くかのように、賢者の石から触手のようなものが伸び、柏原の頭部へ取り付く。
そのまま原石が宙へと舞い上がり、元の主の脳髄を押し潰しながら頭部に鎮座した。
右目の眼球がでろりと垂れ、股間からは黒いシミが溢れ出す。
両手が開かれ、両足は爪先立ちのままガクガクと体を震えさせ、重力を無視した格好となる。
そして……右目の奥が紅く光り、その全身が浩輔たちの姿を捉えた。
「キエル、モノカ……」
口が動く。
声帯を鳴らす。
そして、その声は明らかに柏原とは別の存在。
「愚カ者共ガ……我ヲ消スカ……」
「何、だ、お前は……?」
「貴様ラガ、賢者ノ石ト呼ブ存在……」
「普通に喋るのかよっ!?」
少し前まで柏原だったものの体が、がくんと背を倒し、浩輔たちに向き直る。
「本来、人間ト直接語ル事ナドナイ。我ハ、力ヲ欲スル者ノ望ミヲ叶エル存在」
柏原の顎が、お化け屋敷の安っぽい骸骨のように、カクカクと音を鳴らす。
ゾンビとはまた異なる禍々しさと、恐怖に勝る生理的嫌悪感。
「……どっちにしろ、お前に明確な意思があるってことは、実質の黒幕って奴か」
「人ノ世界ノ有リ様ニ意味ナドナイ」
「ユミルと同じ事言うんだな」
「我ハ待ッテイルダケダ。素質ノアル人間ヲ。力ヲ与エル存在ニ、刃向カウ必要ナド、ナイ」
これではますますユミルと一緒だ、と浩輔は思った。故に、彼女の言動に合点がいく。
「ダガ、コノ男ハ論外ダ。我ノ力ヲ、アノ程度ノコトニシカ使エナカッタ」
「あの程度……まさか、ゾンビのことを言っているのか?」
「鎧ノ発現ヤ死体ヲウゴカスナド、コノ世界ノモノハ、ドウモ発想ガ小サイ」
さらなる嫌な予感が脳裏を過ぎ、ユミルが仄めかした言葉が、背筋をなぞる。
だからこそ、この力を持つことを拒絶しなければならない、と。
「ちっ、錬金術なんてものは最近から存在しない……全てはお前の持つ力なんだってな」
「錬金術……今トナッテハ忌々シイ言葉ダ」
柏原の顔は無表情、というか死体の表情そのものであるが、賢者の石の声はどこと無く苦々しさを感じさせていた。
「カツテ、ウルムトイウ男ガ我ノ元ニタドリ着キ、力ノ本質ヲ知ッタ。ソコカラ全テガ始リ、コノ世界カラ多クノ『駒』ガ生ミ出サレル……ハズダッタ。アノ女ガイナケレバ……」
「駒を、生み出す……?」
「コレダケノ年月ヲカケ、コノ世界ヨリ、新タナル駒トナッタノハ、タッタ二人ダケダ。ソシテ、ソノ忌マワシキ二人目ハ、我ヲ消ソウトマデシテイル、ガナ」
「……なんだか、だんだん話が読めてきたぞ。話が大き過ぎて色々すっ飛ばしてる気がするけど……」
かつて、賢者の石はウルムという錬金術師によって創り出された……と、ユミルは語っていた。
確実に言えるのは、その力に飲まれて、ウルムはこの世界より消滅したこと。それが『駒』にされるということ。
その力を引き継いだユミル……いや、ルクシィは、彼の思いを継ごうとしたが、出来なかった。
恋人も子供も亡くした彼女の心からは、野心も欲望なんてものは消え失せ、唯一の原動力であった、復讐心すらすぐに失ってしまった。
彼女はある意味で、優し過ぎたのだ。
「アノ女ハ、我ノ力ヲ錬金術トイウ定義ニ閉ジ込メ、人間ドモノ貧困ナ発想ノ中ニ押シ込ンダ。サラニ、ソノ知識スラヲモ、人間ノ科学ト同化サセルコトデ、力ノ進化ヲ極限マデ遅ラセタノダ」
全ては、この力を世界から消すため。
彼女はただ独り、抗っていた。
「ユミルの力もお前そのもの……だから、奴自身ではお前を消すことは出来なかった……」
「ソウダ」
彼女の表向きの言動が、賢者の石の意思に似通っていたのはそのためで、行動を起こす前の時間稼ぎのつもりだったのだろう。
――力の抹消を誰に託すか。
彼女は、慎重に、幾重にも、予防線を張りながら、長い時を待っていた。
「ユミルが駒となって消滅しないでいられたのは……自分の力や記憶すらも抑えていたから、だな?」
「ソノ通リダ。コノ世界ヘノ単ナル未練カト思エバ、小癪ナ事ヲヤッテクレル。数多クノ人間ヲ力ノ餌ニシテイタ故、様子ヲ見テイタノダガナ」
本末転倒かもしれない。
けれども、力が誰かに奪われることも、同時に避けなければならなかった。
人の心を読む力を持った彼女だからこそ、力を得た瞬間の心の変化を誰よりも知り、恐れていた。
遠回りだとしても、彼女にはそうすることしか出来なかったのだ。
「そして、私との戦いで力と記憶を解放したことで、奴は消滅した。だが、お前の存在は残る。それから、次の人間を新たなる駒にしようとしていた……」
「ソウ、ソシテ――」
賢者の石に乗っ取られた柏原の右目の奥から紅い光が伸び、レーザーサイトのように浩輔の額へと狙いを定める。
「全テノ事情ヲ知ル貴様ヲ、新タナ手駒トスル!」
「俺がお前なんぞの言いなりになると思うってのかっ!?」
「力ヲ欲スル心ガアレバヨイ。貴様自身ガ駒トナラズトモ、次ナル駒ヘノ媒介トナル」
「ちっ……コースケェッ!」
賢者の石から無数の紅い触手が飛び出し、浩輔と襲い掛かる。
その場は慌てて飛び退くものの、触手は幾重にも枝分かれし、一瞬のうちに浩輔を取り囲む。
上下前後左右、全ての逃げ場を絶ち、浩輔の体に一斉に巻き付いた。
「ぐぅがっ……!」
「我ヲ受ケ入レロ。圧倒的力ト、コノ世ノ全テヲ知ルコトガ出来ル」
「その果ての称号が『駒』だってんならお断りだ。人に取り付きたいんだったら、せめて嘘でも『神』にでもなれることにしとくんだったな……!」
不敵な台詞と共に、浩輔に巻き付く触手が朽ち果てて崩れ落ちる。
外から伸びた明理の手が触手の間を縫って、浩輔の手を握っていたのだ。
「あのババアの力……さっきのゾンビは柏原が産み出した想定外のものだったから効果が無かったみたいだが、こいつにはちゃあんと効くみたいだな!」
「ここまでは計算に入れてくれてたみたいですね!感謝するよ、本当に!」
「貴様ラ……」
賢者の石は再び触手を伸ばす。
浩輔と明理はもう通用しないと身構えるが、触手は全く明後日の方向へと向かっていく。
「ふん、やはり俺に来たか……」
「ウォーダッ!?」
「俺の体を乗っ取って、お前らを始末しようって魂胆なんだろ」
ウォーダに触手を避ける素振りはなかった。
体が既に動かないのか、それとも最初から抵抗する気はなかったのか。
紅い触手が何重にも全身に巻き付き、屈強故にぎりぎりと筋肉が締め上げられる音が周囲に響き渡る。
それでも、ウォーダは表情一つ変えない。
「貴様自身ハ駒ニハナランガ、ソノ体ハ利用サセテモラオウ」
「ほ、う?どうして俺は、駒とやらに、なれないんだ?」
「貴様ハ所詮不完全ナ人間……作リ物ニスギン」
「所詮、か……くくっ……」
ウォーダは笑い出す。
これまで聞いたことのない、実に愉快そうな大男の浮き上がった声。
「はっはっはっ!そうだ!そうだよ!俺という存在はマスターが作った人間の模造品に過ぎん!この思考回路は全てマスターによって調整されたものだ!だから『不完全』かっ!?」
「何ガ、オカシイ?」
ウォーダが答える前に、明理の口が開く。
「じゃあ『人間の完全な状態』って、なんだ?」
「ナニ?」
「遺伝子操作、体外受精、試験官ベイビー……そいつらは正しく、人間か?クスリで理性を奪われたヤク中、宗教で自由意志を奪われた盲信者……そいつらは人間の称号を貰えるのか?」
「…………」
答えを返さない賢者の石へ向けて、明理は眼を見開き、吠える。
「だとしたら、たかだかフラスコの中の小人でしかない私らと、どう違うってんだ!?ああぁっ!?」
「ナンダト……」
「試してみろよ!ウォーダの奴、案外いい駒とやらになるかもよ!もっとも、お前はそんな事すら頭が回らなかったみたいだけどなぁ!」
明理の十八番の煽りを受け、声にならない怒りが触手への力となってウォーダの体を更に締め上げる。
筋繊維が弾け、骨が軋む音すら聞こえる中、ウォーダは静かに溜息をついた。
「……やれやれ、俺が言いたいのはそういう事じゃないんだがな」
「ありゃ、そうなの?」
「俺の感想はその逆だ。コイツこそ、俺達と同じで、どうしようもなく不完全な存在じゃないかってな」
明理はなるほど、と大袈裟に理解を示す。
「どれだけの力があるかは知らんが、お前こそ人間に寄生しているだけの存在じゃないか。カシワラもお前が裏で操ってたんだろ?そんな事までしないと、この二人を止めることすら出来なかった」
柏原は確かに狂ってはいた。
何処までが彼の本心だったのかは知るよしもないが、天皇よりもミューアを優先したのは、事情を知らないはずの彼ではとりえない行動だ。
こうして疑問が、また一つ氷解する。
「お前は何故駒とやらを作る。それは、お前自身の意思か?誰かに命令されたことか?何の大義がある?」
「…………」
「そして、それを何故言わない。ニンゲンにはテレパシー能力なんてないんだぜ。それとも、言えない、言うことを恐れているのか?」
浩輔はこのやり取りにデジャヴを感じずにはいられなかった。
これも、ユミルと同じなのだ。
だが、あの時と今では、いや、ユミルとこの賢者の石には決定的な違いがある。
「出来損ナイガ、知ル必要ハナイ……」
「そうかい、俺と貴様はどこか似てると思ってたんだけどな。同じ、犬の臭いが、な」
「なるほどぉ、そりゃいい例えだ!」
もはや、過去のいざこざなど大洪水で流し尽くしたかの如く、明理はウォーダに同調する。
「賢者の石とやらよぉ、最後に一つ聞くぜ?これが、最終通告だ」
「ナンダト……」
「お前という存在は、『何』だ?神か?人間か?はたまたそれすら超えちゃった存在?それとも、誰かの目的に従うだけの単なる作り物か?んん~?」
この問いかけこそ、凶器。
存在そのものの疑問、全知全能の矛盾。
――その起点。
どちらを選ぼうと、いや、答えを言おうが言わまいが、その先に待ち受けるのは。
「…………!」
「あれれ~?答えられないのかなぁ!?『その事』の意味、分かってるのかなぁ!?」
「人間……ニンゲン……イヤ、貴様ラハソレデスラナイ……!」
大きな溜め息が、三つ。
どれもこれも、笑いが混じっていた。
「……底が知れたな」
「お前はユミルより遥かに劣ってる」
「何にも怖くねぇよ」
部屋を覆い尽くすほどの触手。
もはや、それは、壁とも言うべき量。
滲んだ血の如く。
「賤人ドモガアアアアアアアアアアァァァァッ!」
ウォーダの体が押し出される。
糸のように細められた触手が、巨漢の四肢をマリオネットの如く操り、単純明快かつ最も効果的な物理攻撃を仕掛けようとする。
その狙いは明理に一直線。
ただの生身の女の身体と化した彼女の顔面目掛けて、鉄骨の如き腕が降り下ろされようとしていた。
「ウォーダ……よくやった」
「お前に褒められるとはな……だが、悪くはない」
大男の身体がゼリーの様にぐちゃぐちゃに崩れ、触手の隙間から弾け飛んでいく。
明理の顔に到達出来たのは、ウォーダの肉体の循環液のみ。
唯一形を保っていた頭部が、明理との擦れ違いざまに言葉を交わす。
「共に地獄に行ければ……そこでまた死合おう……」
「ガラにもねぇ。じゃあな」
淡泊な別れと共に、ウォーダの頭部が弾け、紅い触手だけが宙へと投げ出される。
しかし、触手は、嗤っていた。
声も表情無いが、何故か、直感で感じ取れてしまう。
「オ前達ノ負ケダ」
「なにぃっ!?」
「音ヲ忘レタカ?」
音、と聞いて、その場に一瞬の静寂が流れる。
すぐに聞こえて来たのは、鼓動。
それを伝える音。
明理は慌てて、カプセルまで飛び移る。
「ミューアッ!?」
「時間ギレダ」
「くそっ!おい、まだ死ぬんじゃねぇっ!」
「内部電源デハ、生命維持装置ノ機能ハ制限サレル。点滴モ外シテオイタ」
「柏原っ……?操ってたのかっ!」
「コレデ小賢シイ目論見モ終ワリダ。我ヲ受ケ入レルコトコソガ、至上ノ生ト知ルガヨイ」
「開けよっ!くそっ、コースケ、お前もっ!」
「ムダダ」
カチリ……と小さな音が部屋を静める。
部屋の机の傍で、浩輔が一人、顔を伏せながら、肩を震わせていた。
「……いいや、無駄じゃないさ。積み重なったものが道を開いてくれた」
「ナニヲ……」
「賢者の石。お前がどれだけの知恵を持ってるか知らないけど、今の時代、パソコンの仕組みくらい勉強しとこうぜ」
電子の音。
空気の抜ける音。
機械が動作する音。
希望を隔てていたものが、開かれる。
呆気にとられた隙の間に、浩輔も手を伸ばし、カプセルへと飛び付いた。
「……ノートパソコンのディスプレイだけを割ったところでな」
――スマホやタブレットと勘違いした?
朗らかな補足が一つ。
三人の手が一列に連なる。
「錬金術だミューアッ!私を感じろぉぉっ!!」