103.突破
オートマ限定の免許保持者にぶっつけでマニュアル車(しかも大型)を運転させるとどういうことになるか。
そもそもが法令違反であるが、現実的に実行する者など、緊急時を除いてまず存在しない。
加えて、その運転ぶり(しかも公道)を同じ車内から見てろと言われた日には、自動車学校の教官でも、柔らかな拷問と評するかもしれない。
「おい小娘、あの建物までもうちょっとだぞ」
「……エンスト、です」
本日十三回目のエンストに、周りから大きな溜め息が漏れる。少なくとも浩輔と花田のものは別の意味も込められていたが。
辺りは、皇居内のわびさびのきいた雑木林。
なにしろ時速八十キロの大型車が突っ込んだので、結構な本数の木がへし折られているが、「それもまた、フーリューって奴だろ」という無責任な台詞に車内の人間は身を任せることにした。
「もうこの辺でいいんじゃないんですか?俺、正直吐きそうなんですけど」
「折角みんなしてヘルメットまで被ってんだからよー。最後は建物入口のガラス突き破って突入っ!ってまでやりたいじゃんかよ」
「あの入口はどう見てもコンクリ勢なんですが……」
花田達が用意していた虎の子の秘密兵器。
暴動の最中に紛れてかっぱったと思われる、警視庁所管の特別警備車だ。
この荒廃した世の中でクルマというのは非常に頼もしい存在ではあるが、いかんせん状況と相手が悪すぎるせいでお蔵入りになっていたのである。
ようやく御披露目にこぎ着けたものの、ものの数十分で、その命は風前の灯火。
ともあれ、皇居の中心部付近まで浩輔達を無事に送り届けるという、物としての指名は見事に果たしていた。
「冗談はここまでにして、とっとと降りましょう。こっからが本番だ」
「へいへい」
浩輔たちが車のドアを開けたと同時に、後ろの荷台に乗っていた深知が建物に向けてレールガンを発射し、真っ先に先陣を切る。
その派手なアクションとは対照的に、ただの人間チームは森の中の草むらに隠れ、後詰めの突入準備を整え始めた。
「一応拳銃はみんなの分あるけど、錬装機兵が来たら全力で逃げろよ。深知に任せるんだ」
「生身で倒せないことないだろ?」
「あれはまぐれですよ。それに、俺と明理さんは今は絶対に死ぬわけにはいかないんですから」
前回のペイント弾での勝利は、浩輔の記憶の片隅に寄せられていた。度重なる偶然が重なった勝利の再現性など最初から期待してはいない。
「八瀬さん、花田くん、ここまで来てくれて悪いけど、自分の身は自分で守ってくれよ」
「いいや、守ることなんてしませんよ……今度こそ、叩くんです」
花田はそう言って気休めにしかならない警察の防弾ジャケットを装着し、ナイフと拳銃をポケットに押し込む。先程銃で撃たれたのを感じさせないガッツだ。包帯の余りを手のバンテージにしているあたり、本気の程が伺える。
真織の方は慣れないジャケットの取り付けに苦労していたが、そこは珍しく明理が手伝っていた。
「しっかし、まさかこんな所に極悪非道の糞共が潜んでやがるとはな。案外ここの主が黒幕だったりして」
「俺もその線は考えたんですけどね。とにかくメリットが考えられないことと、何故今の今までこんなところに籠ってんのかって話になるから、可能性は低そうです」
浩輔がミューアを連れ去った組織に対して考察した点は三つ。
一つ、装備が充実しており、かつ、ある一定の規模の組織であること。
一つ、自分達に明確に敵対の意思を見せたこと。
一つ、ミューアの価値を知っていること。
「以上の三点から、相手は間違いなく黎明の関係者」
「要は残党か。基地を潰しただけで、壊滅したわけじゃないしなぁ」
「それでも絶望的な数じゃないだろうし、士気もそこまで高くないでしょう。今の歓迎のされようで、よぉく分かった」
「……やっぱり先輩、頭おかしいですよぉ」
真織が体を屈めながら情けない声を出すが、その他は浩輔に同感であった。
いくら強固な特別警備車とはいえ、所詮は一台。ここまで徹底的に「近よれない」ようにしたのは、裏を返せばそれだけ「恐れている」ということだ。
上手く引き込んでから、大勢で取り囲んで返り討ち、の方がよほどスマート。
「黎明の地下基地で、この組織の実態って奴がよく分かったよ。どいつもこいつも、本音はみんな怖いんだ。だから安心を得ようとする」
「それは分かりますけど、これじゃ何のために……」
真織の疑問。
安心を求めるなら、何故、皆で助け合わないのか。
何故、争おうとするのか。
野心から来るものなら、その方がまだ納得がいく。
「人の助け方を知らずに育った奴、普段から人に助けられていると全く自覚がない奴、そういう奴等なんだろ。少なくとも上はな」
不安を恐れ、安心を求める心。
その弱さを野心という言葉で繕っている者達。
それが、目の前の敵。
己の鼓舞のための仮定でもあるが。
「今朝、ラジオで言ってたんですよ。今夜にでもこの国にアメリカ軍が助けに来てくれるって」
「今夜ってことは、まさに今その時だな」
「もちろん、俺達をあそこまで用意周到に襲える奴等がその事を知っていないわけがない。それどころか格好のタイミングですよ。天皇や皇族達を利用するって考えた方が自然だ」
「なるほど。人質にせよ、保護にせよ、たしかに天皇なら海外でも特別扱いだし、いい感じに大義名分になるわけですね」
天皇。
この単語を出すのは、浩輔としても多少の抵抗はあった。どうしても、この国のその後を考えてしまうからだ。花田の口から出た大義名分という言葉に、無意識的に肩が震えてしまう。
その動きを抑えるかのように、後ろから肩に手が乗せられる。
「……っと、敵さんがお出ましになったぞ」
「えっ!?」
「八瀬さん、黙っててくださいよ」
明理の言うとおり、周りから自分達とは異なる足音が近づいてくる。当然、複数。三人や五人といった数でもない。もっとだ。
今は距離を取っているが、浩輔達は乗って来た車を覗ける距離で身を潜めていた。影になっているとはいえ、周囲からローラー作戦で囲まれたらすぐに見つかる程度の場所だ。
(ここからどうするんですかっ!?)
(黙ってろ小娘。コースケ、策はあるんだろ?)
(合図を出しますから、それから一斉に林を抜けてあの建物に入ります)
浩輔がどこからともなく取り出した小型のリモコンを掲げながら車を方角を指差すと、その回りに複数の影が蠢いた。夜目が利いているのか、暗視スコープでも装着しているのか、ライトの類は灯されていない。
(天北さんが一人突っ込んだとはいえ、当然、奴等は車を調べるよな……御愁傷っと)
爆発、そして炎上。
戦果の確認は不要である。
音と光を出せればいいのだから。
「あんなものいつ仕掛けたんですかぁっ!?」
「爆発物は車の中にあった。時限装置の方は昔取った杵柄って奴だっ!」
本当の意味での浩輔の昔を知るのは明理くらいだが、それは脇に置くとして、一行は一目散に林の外へと駆け出して行く。
途中で敵兵士に遭遇するが、通常装備と見るや混乱に乗じて花田がボディーブローを食らわせ、続けて浩輔がスタンロッドで追撃し、瞬時に無力化。
防弾ジャケットに着替えていたお陰で、相手の認識が遅れたのも勝因だった。
「花田くん、怪我してんだから無理するなよ!」
「流石に体に響きますけど……ようやく、力を振るえるんだ。やってやりますよ」
「アマチュアのボクサーでも、やっぱ拳は凶器になんのか?」
「そもそも普段から人を殴る奴の気を疑いますよ」
浩輔と真織は同時に心当たりを覚え、明理の視線を二人して無視する。
建物の中は既に照明が灯っており、それこそテレビで見た通りの荘厳な造りであった。平時であれば間違いなく感慨にふけっていたであろう。
現在は高価な家具がバリケードの様に乱雑に積まれており、訪れた者に別の意味での緊張感を与える。
「さて、こっからミューアを探すのは、ちょっと骨だが……」
建物の中を見回している最中、すぐ横のドアが蹴破られ、先に突入していたダークグレーの装甲、つまりは深知が姿を現す。
「ったく、心臓に悪いな。チビっ子……」
「うっさい。つーか、あんまし人いないんだけど」
その言葉が示すとおり、基本的に容赦のない彼女が乗り込んだにも関わらず、死臭も漂ってこない。
「確かに妙だな……外にあれだけの人員を配置出来るなら、もっと大勢いてもいいはずだけど」
一行は手前から一つずつ、深知は奥に進みしらみ潰しに建物の中のドアというドアを開けていくが、結果はどれもスカ、もぬけの殻とも呼べる状態。
「ちっ、あまり長居は出来ないぞ。ここは外れってことで、次行こーぜ」
「……どこか不自然ですね。人も物もないなんて。家具類の大半をバリケードに使っているなら、何故ここを守る必要があるんだ?」
その指摘で他の仲間は一斉に周囲を見渡す。
浩輔の言うとおり、建物の中は一見すると造りの荘厳さに惑わされるが、それを差し引くとバリケード以外は殺風景とも言うべき空間。
物資の類は何もない。
食料も、衣料も、寝具も、武器さえも。
人が防衛のために全部外に出払っているのだと仮定しても、中継地となる場所には幾分かの物資は置いていてもいいはずである。
「天北さんが突入する前に、この建物は最初から灯りが付いていた。あと、窓に全部斜光カーテンが取り付けられているのも気になるな」
「この建物は使われているってことね」
「しかも人の出入りがある」
ここで考えられるのは隠し通路。
時間は限られているのに、今からそんなものを見つけなければならないのかと、誰もが頭を抱えた瞬間、真織の首が前に飛び出した。
「あ……分かったかも」
「マジで?」
「なんか、入った時には気にならなかったんですけど、普通に足跡ありません?」
目の前に潜んでいるかもしれない敵の兵を警戒している時は、不思議と気づかない床の汚れ。
皆で感嘆の声を上げながら、その汚れの固まりを追って行き、一つの部屋の前に到着。
有無を言わさず部屋の中丸ごと引っぺがすように探索すると、程なくして、壁掛けの鏡の裏に何かのゲームかと思えるようなスイッチと、それに連動して開いた地下への入り口を見つける。
「こんなのがあるなんて……」
「江戸時代の頃から脱出経路の噂話があったし、その名残って奴だな」
「でも、これだと、既に逃げられてるんじゃないんですか?こんなに足跡が残ってるってことはよく使われてるってことでしょ?」
「いや、ミューアがここに連れていかれたんなら、ここで時間を稼げると思っているはずなんだ。急げばまだ間に合うっ!」
今は引くことが最大の悪手とばかりに、浩輔が捲し立てるが、とうとう感づかれたのか、それとも突入準備が整ったのか、部屋の外からただならぬ足音が響いてくる。
「チビっ子、時間を稼げっ!私らで先に行く!」
「ったく、それしかないようね!」
明理は地下室への階段のスイッチを隠していた鏡を剥がし、それを盾にしながら地下へと駆け降りていく。後方から聞こえてくる爆音を背にしながら、浩輔も二人に銃を構えるように促した。
「こいつは、皇族用のシェルターって奴か……」
地下の通路は思っていたよりも広く、車もギリギリ入りそうな幅であった。黎明の地下基地と異なり、照明も煌々としていて、機械の雑音もない。
「こりゃドンピシャだな。何も無いわけが無い」
「ここから、しらみ潰しに――ッ!?」
突如、周囲が閃光と鼓膜を貫くような音の刃に包まれる。視界が一時的にホワイトアウトし、思考すらもが混乱にまみれ霧散していく。
続けて小刻みに鳴り響く小銃もしくはサブマシンガンかの銃声。
この瞬間、浩輔の脳裏に「終わった」の一言が流れた。
いくらなんでもあっけなさ過ぎる、との後悔が沸き上がる。
「つ……」
「ぅぅ……」
次第に視界が元に戻る。
やっとのことで、顔を上げた浩輔の眼前に飛び込んできたのは、黒い金属の輪。
要は銃口であるが、不思議と敵意は感じない。
そして、まさかの男。
「よう、油断したな」
「ぅ、ウォーダ……?お前は……」
「マスターの切り札として伏せられていだけさ」
厳ついはずの顔がにぃっと歪められる。
敵対していた時では考えられなかった表情だ。
気が落ち着いていくと視野も広がっていき、周囲には武装した男達が頭から血を流して転がっていた。
「あ~ったく、これじゃ結局全部あのババアの手の平の上じゃねぇかよっ!」
「ようやくお前の鼻を開かせたな。せいぜい感謝しろよ。アカリ」
ウォーダが初めて下の名前で呼ぶと、明理はますます不機嫌そうに口を尖らせる。
真織と花田は人外レベルにまで戦闘に特化した筋骨粒々の男の姿を見て圧倒されていた。
「俺達に協力してくれるのか?ウォーダ」
「マスターの最後の命令だからな。アイツと決着をつけれなかったのは少し心残りだが」
横目の視線に気づいた明理が苦々しそうに顔を逸らす。
「あんときゃ私の圧勝だっただろうが。なーにが決着だ」
「じゃあ、今からここで第二ラウンドといこうか?」
ウォーダの背には血で染められた大型の金属製の棍が携えられ、戦利品とばかりの小銃・手榴弾が腰に装備されている。ウォーミングアップが終了しているのは明白だ。
思いっきり親指を下に向けたこの提案に、流石の明理も「ぐぬぬ」の三文字しか出ない。
既に勝敗は決しているとばかりに、この場はここで収められる。
「ま、戦う力が無い奴とやり合っても仕方ない」
「それが助かるよ、ほんと。……ところで本題だ。ミューアの居場所なんだけど」
「俺には漠然とした方向と距離しか掴めないが、まだ近く、この皇居とかいう敷地内にいるのは間違いない。意識がないはずなのに、少しづつだが動いているのが気になるがな」
「むしろお前はどこから来たんだよ」
「日比谷公園から隠し入口からだ。近場の出口を何ヶ所か破壊しといたが、まだまだあるようだな」
ウォーダはお前ら用だと、一枚のA4サイズの紙を手渡す。
そこには皇居の地下経路の簡易図が示されていた。
「指令室らしきところで打ち出したんだが、既にもぬけの殻だった」
「そうか……敵はどれくらいいた?」
「服や食料の跡でしか推測できんが、俺が今まで倒した数では全然足りないな」
浩輔は既に潰した脱出口の位置を聞き、地下の経路をもう一度確認する。
自分達は地上から北側から侵入。ウォーダは南の地下経路から来た。
そして西側には……勇治を残している。
「状況を見て逃げようとするなら……東側、か」
「それじゃ、東の逃げ道は俺が潰しとくぜ。お前等は――」
「ああ、上に戻る」
「おっ、随分と早い決断だな。地下のアルク・ミラーもどきのことは言っていないのによ」
感心したようなウォーダの言葉を聞き、人間一行の背筋に悪寒が走った。
「やっぱりいるのか……!」
「結構な数、配備されていたぜ」
「じゃあ、ますます上に行くべきだな。ミューアを攫った奴等なら、上に逃げる」
浩輔の自信満々の台詞に、驚いたように花田が問いかける。
「どうして、そう言い切れるんですか?」
「経験談」
「あー」
「なるほど。道理だ」
そうこうしているうちに深知もようやく後ろから追いつくが、完全に回れ右をしている一行に面を食らってしまう。事情を真織から説明され、フェイスガード越しに呆れ顔が伝わった。
「自分の身最優先の奴等の行動パターンはいつも決まっている。戦闘には絶対に近づかない」
「最終目的がここからの脱出なら、地上に出るのは問題ないってことか!」
「おまけに奴さんはお前らの頭数だって知ってるだろうしよ」
いくら強力なアルク・ミラーだろうと、数は二人。皇居の敷地を短時間で隅々まで探すのは困難だ。適度に足止めの戦闘を行えば、限定された地下空間よりも地上の方が身を隠せる。
そこへ地下にウォーダというイレギュラーが出現したらなおさらだ。
「せいぜい頑張れよ。俺も最後は心置きなく死合いたいからな」
ウォーダは突然飛び退き、殺害した兵士の遺体を掴んで持ち上げ、そして投げた。
その落下点に完璧なタイミングで、先程の悪夢が転がってくる。
遺体が血漿と共に跳ね、光も爆発も封じられた。
「行け」
「……ありがとうっ!」
「決着は地獄でだっ!」
浩輔達は踵を返し、階段を駆け上って戻る。
横目でそれを見送ったウォーダの前には、全身を暗青の迷彩色に塗られた錬装機兵が複数。これには小銃は通用しないと、干渉棍へと武器を持ち代える。
「地獄、か。まったく。ニンゲンみたいなことを……!」
錬装機兵が構える銃口かから一斉に銃弾が発射されるが、ウォーダは一歩も引くことはなく、正面へと突っ込む。その顔には歓喜の様相が映っていた。