101.邪悪
踵を返し、避難所の小学校へと戻る途中、浩輔はふと思い立って明理に尋ねた。
錬装能力はおろか、自慢の身体能力まで全て失っている明理は、どうにも足取りが重い。
「明理さん、どうしても一つ気になるんですけど」
「……んだよ」
「明理さんのいた未来で、錬金術を悪用してるのは何者だったんでしょうか」
「さーな」
ユミルの独白から、この錬金術の存在に関するおおよその経緯は理解出来た。
だが、それをもってしても、未来への疑問を払拭することは出来ない。
たとえ過去を変えることは、無意味な行為なのかもしれないとしても。
「ニンゲンの世界なんて一寸先は闇さ。私らよりも狡猾で悪どい奴らなんて腐る程いる」
「だけど、本気で錬金術を使うなら彼女を倒さなきゃいけないんだしな……騙せるとも思えないし」
「ま、それは考えても仕方のないこった……ん?」
明理は突如脚を止めると、息を切らしながらも口を手で抑え眉を潜める。
疲れを強がりでごまかしているのかと思ったが、異変はすぐに浩輔にも伝わった。
「火薬の匂い……いや、これは硝煙だ……」
「するよな?」
この数週間でずっと嗅がされていた匂いだ。歩けば、そこかしこにあるのは分かる。
問題は何故、今ここで、その匂いがするのか。
明理とユミルとの戦いからまだ数時間も経っていない。
あの戦闘を見れば、誰も銃を発砲しようなどという気は起こさないだろう。まず自分の身の安全を優先するに決まっている。
普通ならば。
浩輔は、そう思っていた。
「……まさかっ!?」
浩輔は最悪の事態を直感し、明理を置き去りにするほどの速さで走り出す。
脳裏によぎる、僅かな可能性。リスク。
その全てがユミルとの戦いの際には考えないようにしていたものだ。
「やられたっ!?」
つい数時間前まで、砂埃だけが舞っていたはずの小学校には、明理とユミルとの戦いの際にバリケードの穴が出来ていた。
皮肉にもそれは補修されるどころか、地面には何者かに踏み荒らされたような無数の足跡があった。
唖然としたまま中に入ってみると、明理が作り上げたクレーターはもはやどうでもよく、周囲に散らばる死体の数々に目を奪われる。
「う、そだろ……!?」
浩輔は数倍に増えた遺体の中の一つに近づく。
つい先程まで会話をしていた老人。長年お世話になったボロアパートの大家だ。
最後に、背中を押してくれた人だ。
だが、今は人ではない。遺体だ。
全身に浮き上がった赤黒い染みが、背にした地面を湿らせている。
顔は安らかとは言い難く、今まで見たこともないくらいに強張った目付きをしていた。
「コースケ、回りに使えそうな銃は落ちてねぇし、持ってる奴もいねぇ」
「……他には?」
「ユージや小娘らもいないぞ」
「……ミューアは?」
明理が歯を磨り減らす音が周囲に漏れる。
『クソが……!』
怒りの台詞が二つ同時に吐き出されるが、次の行動は浩輔が早かった。
強張った指で大家の瞼を閉じてやると、そのままづかづかと体育館まで向かって行き、新たにバリケードが張られた入口に手をかける。中からは微かながら人の歩き回る音が漏れていた。
浩輔がバリケードの隙間から中を覗き込もうとすると、同じく中から様子を伺う人間の目がぴったりと合った。
「あんたは……!」
「ここでお世話になった者です。まだ、この中に生きている人はいるんですね?」
「あんたが出て行ってからすぐのことだったのよ!」
入口で対応していたのは、炊き出しをやっていた白髪混じりの年配の女性だ。浩輔の姿を確認するや、すぐにバリケードを開けて通し、そのまま手を引っ張って誘導した。
「……篠田、さん……無事でしたか……」
「花田っ!」
「俺は、大丈夫です。何とか急所は逸れてるみたいで」
上着を脱ぎ、上半身が包帯まみれになった花田を見て、浩輔は大きく肩を落とす。
さらに、隣にいる真顔の真織を見て、再び気分が強張るのを感じた。
「八瀬さんも、無事か?」
「……ごめんなさい」
「何で謝るんだ」
「私……何も出来なかったから……お爺さん達も、みんな……」
「篠田さんが出ていった後、アルク・ミラー……でしたっけ、とにかく、特殊部隊みたいなスーツみたいなのを着込んだ奴等が襲って来て……俺も、どうしようもなかった」
涙を堪える真織を庇うように、花田が前のめりになって、当時の状況を伝えた。
その襲って来たタイミングというのも、ちょうどミューアが勇治と深知の錬装を解除したのと同時。
まるで、この瞬間を狙っていたかのように。
花田と真織は、気絶している勇治と深知を何とか避難させるだけで精一杯であった。後は、アパートの老人達が体を張って彼らを庇ったのだ。
「待て、それだとミューアは?」
「あの子も何発か撃たれて……襲ってきた奴らに連れていかれました……」
「くそっ!」
浩輔が手の平を体育館の床に叩きつける。
花田もここまで怒りを露にする姿を初めて見たので、それ以上は何も言えなかった。
「そいつらが何処に向かったのか、分かるか?」
「え、明理さん……?」
後ろからごく自然にやって来た明理の姿を見て、花田と真織は体を跳ね上がらせると同時に、目を丸くする。
「えと、ごめんなさい。後から車やヘリが来るような音は聞こえたんですが、方向までは……」
「明理さん、なんとか出来ませんか?」
「今の私は何も出来ん。お前らニンゲン共が何が出来るか考えてくれ」
今までとは方向性の異った返事に困る言葉を言い放つと、明理はその場に胡坐をかいて座りこむ。
投げやりになっていると言うよりは、単に動きっぱなしの体を休めていた。
「ところで、あのルクシィだかユミルだかいう奴はどうしたんですか?勝てたんですか?」
「勝ち負けもへったくれもないよ。とにかくアイツは消えた。この世にはいない」
「でも二人とも無事に帰ってこれたってことは……」
「一から説明すると長くなる。とにかく、今はミューアが必要なんだ。明理さんはもう戦えっ……」
そう言いかけた浩輔の後頭部に、脱いだ靴での無言の一発が入れられる。
いつもの漫才とは違い、どこか殺気立っており、苦笑いする場の空気も与えない。
「それで、勇治と深知は?」
「後ろ」
まるで背後を取るかのように深知が明理の後ろから顔を出す。それとは真向かいに勇治の姿。
二人とも訝しげな表情を隠そうともしない。
「篠田さん」
「ん?」
勇治は開口一番に浩輔に向かってガラスのコップを放り投げる。
反射的にそのコップ両手で取ろうとするが、予想に反して熱湯が入っており、そのせいでキャッチし損ねた中身が浩輔のズボンを一気に濡らす。
「わちっ!わっ!なっ、何すんだっ!?」
更に浩輔の後ろから更なる悲鳴が走る。
「このクソチビィッ!何しやがるっ!?」
明理に至っては直接お湯を首元に流し込まれていた。
これは彼女でなくても激昂するのは当然のことであるが、深知はそ知らぬ顔を崩さない。
「……何か隠してますね?」
「は?」
「一から説明しろって言ってんのよ」
明理から胸ぐらを掴まれながらも、深知は淡々としており、むしろ、彼女らの方が怒りを抱えているような様子。
この二人の置かれた状況を鑑みるとそれも当然かと、浩輔は明理をなだめる。
「明理さん、ここは……」
「待て、全ては話すな」
声量を抑えてはいるが、周りが聞くには充分。
反発を招くのは当然であるが、浩輔には彼女の言い分も理解できた。
ユミルから託された責任はあまりにも重大。
だが――。
(場合によっては勇治や深知すらも障害になるってのか……)
浩輔の表情だけで理解を察した明理は、深知を離し、向きを変えて勇治の元へ押しやる。
「ユージやチビッ子だけじゃない。私らが話す内容を不特定多数の奴らが聞いている。私らがいないうちに不意討ちまで喰らわせるような連中だっている。……まだ、この周りにもいるかもしれないしな」
「……何言ってんのよアンタ」
「どうして、言えないんです」
とんだデジャヴだ、と、浩輔は苦々しく俯く。
自分達がユミルに迫った時とまるで同じ。
――言わなければいけない。
どちらにせよ、ミューアを助けないことには何も始まらない。錬装機兵が相手にいるのは確実なので、勇治と深知の協力がなければ、そもそもの目的が成り立たない。
――だが、今、言ってよいのか?
ユミルの願いでもある、錬金術の力の完全抹消。この目的だけであれば、勇治と深知なら、おそらく理解を示すであろう。
しかし、この話を錬金術の力に一念の希望を抱いてきた人間に耳に入れば、どうなるか。当然、妨害に入るだろう。しかも、それを知られたら真っ先に狙われるのは敵の手の内にあるミューア。今、力を持たない浩輔と明理も大きなリスクになる。
そして、現在自分達が敵対している存在は、目的のためなら一切の手段は選ばない。ミューアを回収したのも、錬金術の力を狙ったとしか考えられない。明理が言った通り、まだ周りにもスパイがいる可能性も非常に高い。
「…………」
「どうしたんですか篠田さんまで!?」
「あのババアに頭をやられでもしたの?」
想定外のことで頭が回らない。
だが、この二人まで敵に回すわけにはいかない、と浩輔は一つの結論に流れた。
「……分かった、勇治と深知だけに全部を話す。もうあまり時間もない。どこか誰にも聞こえない所で――」
今出来る可能な限りの譲歩だ。
ここは、勇治と深知に賭けるしかない。
真っ当なはずの台詞を吐いた反応は、全ての人物の驚愕をもって迎えられた。
「……先輩、今なんて……!?」
「え?」
「『ユミルの力は全て俺と明理さんが引き継いだ』ってどうことですかっ!?」
「何を言ってるんだっ!?」
あまりの展開に浩輔は無意識のうちに、明理に目を送った。
もちろん、明理も驚いたように首を横に降る。
「それと、ミューアを助けることにどんな関係があるんですか!」
「っていうか、あのババア本当に倒したんだ」
自分の今の一言で全てを理解するなんてあり得ない。何が起こったのかを確認する前に、周囲の避難民たちのどよめきまで買ってしまっていた。
「ま、待て勇治!俺はそんなこと言ってない!」
「まだそんな事を言っているのかっ!」
場の収集がつかなくなっている中、後ろから明理が浩輔の肩に手を置く。
「なるほどなぁ、『ねじ曲げられた』か。私は一度ユミルに喰らったからな。すぐに解ったぜ」
「えっ……」
「チビッ子、お前今賢者の石を持ってるな?」
「はぁ?」
深知は何のことだとばかりに顔を傾けるが、明理の発言が事実だとすぐに証明される。
彼女の上着の内ポケットから紅い光が漏れていたからだ。
周りからの視線を感じ、深知は渋々ながら小指大の深紅の石を取り出す。
「お前なんでそんなもの……」
「父さんの研究室から持ってきたのよ。あんなところに置いとくのもなんだったし」
「チビッ子、今すぐそいつを捨てろ。話はそれからだ」
「なんでアンタの言うことなんか」
「頼む」
「捨てるったってどこによ、まったく……」
ぶつぶつ言いながらも、いつになく頭を下げる明理とそれにならって頼み込む浩輔の姿に、深知は早打ちの合図にでもするかのように、ゆっくりと自分の足元の横に床に置いた。
「よし、コースケ、もう一度だ。さっき、お前が言った台詞をもう一度言うんだ」
「あの石が……?分かりました。勇治と深知には事情を全部話すよ。だけど、周りには声が漏れないところでな……こうですか?」
それを聞いて、今度は勇治達が何が起きているのか分からないという反応になる。
「あぁもう何が何だか……」
「だからお前ら二人には全部話すって」
「じゃあ、さっきの台詞は何ですか?」
「てか、先輩!私らには秘密なんですか?もう訳分かんないんですけど!」
「……ま、少なくともコイツが原因だ」
明理が深知の前に置かれた賢者の石に手を伸ばすと、目を刺すような勢いの光を放つ。
「コイツには、本当に自分の意志って奴があるのかもな」
瞬間、石が独りでに動き出し、明理の顔面目掛けて飛びこんでくる。
「――当然、私は邪魔って事か」
その動きは読んでいると、明理はもう片方の手を眼前に構えており、石を受け止める。
彼女の腕から光の象形文字が流れたかと思うと、その手中から紅白い煙を噴出しながら、賢者の石はその身を溶かしていく。ものの数秒もすると、ドライアイスのように綺麗さっぱりと無くなっていた。
「賢者の石を……消した?そんなことが……」
「もう、私もコースケもお前等の信頼を得ようなんて思っちゃいないさ」
明理の顔と声にいつもの不敵さが宿る。
違うのは、幾重もの意思が重なった、人間としての色があることだ。
「だが、今は四の五の言わず協力してくれ」
「……今だけでいい」
台詞は相変わらず無茶苦茶であるが、浩輔も素直に頭を下げる。
返事は、なかなか返ってこなかった。
勇治は目を瞑ったまま黙っている。
深知は視線だけを軽く動かしていた。なんだかんだで、彼女は勇治の答えを待っているのかもしれない。
その他は誰一人口出し出来ずにいた。
「……人を疑うのも、疲れるんですよ」
ようやく出た台詞。
迷いは、一切取れていない。
それでも、勇治は明理達に正面から向き合った。
「取り敢えずミューアを助けるんですね?それには協力します。襲ってきた奴等も倒す、それもやります。だけど――」
「どうせ、ここにいたってやることないし」
勇治の言葉を遮って、深知が立ち上がる。
それ以上は不要だ、と言わんばかりに。
案外この二人仲いいんじゃないのかと、いつもの調子なら突っつくところだ。
「悪いな勇治。でも、これっきりだ。俺もそうしたい」
「で、敵の居場所のアテはあるんですか?」
「……ない」
改めて考え直すと、今ようやくスタートラインを引くラインカーを渡された状態に過ぎないのだ。
方向すら定まっていない。
これは無駄に呆れられるか、と思ったが、勇治の体は思いっきり跳ね上がっていた。
「……えっ!?メローネっ!?」
突如勇治が驚いたように呟く。
「『喉を貸して』ってどういうことだっ……あっ!」
そこから先は更に奇妙を通り越して、何かの間違いじゃないのかと疑いたくなるような光景。
勇治の口からまごうことなき女性の声が出ているのだ。それもよく知っている甘ったるい声。
『んー、んー、あーあー、てすてすてす。うん、皆さんお久しぶりー。私はこの通り意識だけになっちゃったけどご機嫌いかがー?』
「め、メローネ……か?」
「えー……」
周りは割とすんなりと受け入れている様子であったが、当の勇治は恥ずかしさもあってか、目をきょろきょろしつつ、声を抑えるべきかどうかで非常に反応に困っていた。
『本当はー、マスターから次の作戦の布石にってことだったんだけどねー、状況変わっちゃったのよ。ねー、おにーさん達?』
『おまけにニンゲン達は未だにいざこざ起こしてるし、ほんと馬鹿みたい』
今度は横からリーンの小生意気な声。
こちらは深知の喉を乗っ取っているようだ。説明が無くとも浩輔たちは理解した。
『じゃ、まず、おにーさん宛にユミル様からの伝言伝えるわねー』
「まだ何かあるのかよ」
『『大変でしょ?』だって。それ一言』
「……だな」
横で軽い舌打ちが聞こえたが、浩輔はもう笑うしかない。
「いや、冗談はこれでお終いにしてくれ。お前達がまだいるということは、用件は何だ?」
『はいはい、私たちでミューアが連れて行かれてる場所を追っているわ』
「そう、その情報が欲しいんだよ!」
『だけど、肝心のミューアが意識を失ってるの。いくら呼び掛けても答えてくれないのよ。まだ壊れてはいないみたいだけど』
花田達の話では、ミューアは連れ去られる際に、銃弾を何発か受けていたはずだ。まだ死んではいないものの、残された時間はほとんどないことは変わりない。
『……だから、相手が誰で、目的地がどこなのかまでは分からないわ。分かるのは、今この地点からの方角と距離だけよ』
「なーんか、また試されてるみたいで釈然としねーな」
『そこのおねーさん、ユミル様は本気で貴方にお願いしてるんだから、余計なこと言わないで』
「へいへい」
何気なくはあったが、このやり取りこそが、明理と浩輔が選んだ結論。そして目標。
勇治をそう納得させるのにはそれで充分。寧ろ、これこそが肝要であった。
「で、問題の距離と方角だけど」
『もうちょっと待って、まだ移動しているのよ』
「相手はヘリじゃなかったか?海の外まで逃げられたら厄介だぞ」
『いや、距離はそこまでない。同じところをぐるぐる回ってる。逃げ場を探しているのか、追っ手を警戒しているのか分からないけど……誰か地図持ってる?それを使った方が手っ取り早いわ』
深知を介したリーンの指示を受けると、浩輔はすかさず拳銃を取り出して、その銃口を周囲の人間へと向けた。
当然の事ながら、場は更に騒然となる。
「皆さん、助けて貰ったのにこんなことしてすみません!だけど、俺達の周りから一旦少し離れてください!そして、しばらくの間、口を閉じてください!黙ってて!」
「ついでに手も上げてて貰えないかぁ!?あと、外部と連絡を取り合うような素振りを見せる奴がいたら、私らの前に突き出してくれると非常に助かる!」
浩輔と明理の滅茶苦茶な命令に何も知らない避難民は困惑するが、ここは身の安全優先だとそのまま言われた通りになる。
その間に真織と花田が近辺の地図を探し回るが、捜査は難航していた。
内戦状態も同然の中、避難してきた者が悠長に紙の地図なぞ持ってくるわけがないからだ。
「地図ってどのくらいの精度の奴ですかっ!?」
「パソコンじゃ駄目!?みっちゃんの奴!」
すぐさま深知のノートパソコンが用意されるが、こんな時にとばかりにインターネットには全く繋がらない。予備のタブレットや携帯電話も同様。
「そういえば、昨日からどうも調子が悪かった。デイブレイクにも全く駄目なの」
「ち、地図アプリとかは?」
『スマホじゃ画面小さすぎるわ。こっちは現在地からの距離と方角で場所を測るんだから』
改めて地図の捜索が続く。
小学校なんだから図書室に地図は置いてあるんじゃないのかとの意見も出たが、この数週間の騒ぎで校舎の中は荒れ放題とのこと。
しかし背に腹はという奴で、最後の手段と思っていたところに、真織が声を上げながら一枚の大地図を持って来る。
「ありましたっ!都内の観光マップですっ!これでどうですか!?」
幸か不幸か、たまたま東京旅行中だった老夫婦の避難民が持っていたものだ。観光スポットの注釈が色々ついているが、縮尺は合っている。
地面に広げられた地図に、リーンが進めるがままに深知の指が置かれる。
『今いる場所はどこ?』
「小学校だから……ここだ」
『オーケー。次は直線距離を割り出すわ。定規はない?無ければ何か真っ直ぐ指を引けるものを』
定規はすぐに見つからなかったが、花田がノートを差し出し、地図上に置く。
深知を介してリーンが静かに頷いた。
『もう少し……まだミューアの位置は動いている……』
「どこに運ばれているんだ……」
『でも、思ったより近くよ。これだけ時間はかかったのに東京は出ていない』
深知の指が地図の上を走り、弧を描き出す。
『止まった……いや、まだ動いているわ。でも、動きはかなりゆっくりになっているけど』
「乗り物から降りたって事じゃないか?」
『そうね、明らかに歩幅くらい』
「つまりは、そこが奴らのアジト、だな」
明理が両手を腰に添えて締めくくると、深知の指にノートの背が添えられる。
方角が調整され、細い指が現在地から目的地までの直線をなぞった。
『ここ……ね。ミューアはここにいるわ』
その指が指し示す地点を見ると、一同は揃って息を呑む。
いかに縮尺された地図であろうと、細かい精度の程は気にもならなかった。
そこにある、注釈には。
「盲点だった……ここは……!」
浩輔も周囲への意識が外れるくらいに言葉を漏らしてしまう。
明理も勇治を捕まえて小突いてみせる。
「ユージ、私と手分けして一週間くらい都内を回ったよなぁ。そん時、ここは見たか?」
「……いや」
「なら、決まりだな」
勇治は静かに立ち上がる。
深知もすぐに指を地図から離し、大きく背伸びする。
明理は首を大きく回して音を鳴らした。
浩輔は周囲に拳銃を向けつつも、もう片方の手で顎を押さえていた。
「そうか……読めたぞ、『奴ら』の狙いが。だとしたら、本格的にもう時間はない……!」
「いつも思うが、お前の気づきは今更だっての。とっとと行くぞっ!」
明理が浩輔の尻を叩き、勇治と深知の顔を確かめる。勿論反対意見は一切無し。
浩輔も足を踏み出そうとすると、後ろから花田の大きな手が肩を掴んだ。
「篠田さんも行くんですか?」
「あぁ。花田くんはその怪我なんだし、いいんだ。ありがとう」
「いや、このくらいどうってこと。俺も行きます。行かせてください。それに、これで最後に出来るってんなら、とっておきの奴があるんです」
「とっておき?」
「はい、体育館のみんなを守り切るには限界があるから、最後の切り札にしようと思ってた奴なんですけど。敵を攻めるっていうんなら、今使うしかない……!」
「……見せてくれ」
花田の顔つきは勇治や深知ともまた違う。悲壮感はあるが、何を言おうとも揺るがない強固な決意がある。本当に頼れる男であった。
『――さぁ、ボウヤ、私達はここまでよ』
急いで出発の準備をする勇治にメローネが語りかける。
深知も同様だ。
「お前らは、これからどうなるんだ?」
『このまま消滅って奴ね。もうユミル様もいない事だし。形にしてくれる人はいないから。ミューアも無理っぽそうだし』
「その割には淡々としてるんだな。何とも思わないのか?」
『あぁ、死ぬのが怖いってヤツ?生憎そんな感覚は持ち合わせてないわよ。私達の存在は主人のためにあるもの。主人が消えたらそこで終わりだから』
深知はその言葉を馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。
『ふん、馬鹿はニンゲン共の方だっての。自由とか正義とか可能性なんて言葉に囚われた結果がこのザマじゃないの』
リーンの言葉は生意気な子供の調子であるが、勇治の心に深く突き刺さった。
『リーンの言う通りね。たしかに私達ホムンクルスは、目的を持って生み出され、その通りに動いて、主人の命令のために消える。でも、それが嫌だなんて思わないわ』
『そーいうのを不幸だって言うのは、馬鹿なニンゲンだけだっての』
『自由意志のせいでニンゲン達は怒り、悲しみ、狂い、争い、そして苦しむ』
『洗脳だって、洗脳するヤツの自由意志だもんね。ほんと馬鹿みたい』
メローネとリーンの台詞がテンポ良く重なり、勇治たちに向けられる。
「なるほどな、お前たちはただ、運命って奴に殉じているようなもんなのか……」
『運命に抗うって、口先は格好いいけど、大抵は何も出来ずに終わるのよね~』
『そうしてニンゲン達の言う不幸な人達はどんどん増えていく……ってね』
要はこれは単なる小手調べ。
そもそも彼女らもユミルに創られたのだから、人間の意志の副産物。
そこにあるのは大いなる矛盾。
だから――。
「……お前らなりに励ましてくれてんだな」
『ふふっ♪』
『ふん』
勿論、勇治も彼なりに少し考えての回答だ。
自由意志を批判されたなら、それをもって返事をする。正解は自分で決める。
その横で、別の回答を用意していた深知が軽く毒づいてはいるが。
「分かったから、用が済んだならとっとと消えてくれない?頭の中覗かれるのは何かムカつくのよ」
『ふんっだ、言われなくても消えますよーだ!この生意気なクソガキ!』
『それじゃーねー、せいぜい思い通りに成長出来るといいわね。可愛いニンゲンさんたち……』
そうして、二つのホムンクルスの声は消え、避難所の体育館から六人の若者が出て行った。
送り出しの言葉は、なかった。
残された者は呆気に取られた者、夢を見ていたかのように元の作業に取りかかろうとする者、または、彼等のやり取りに何とも言えぬ心の揺さぶりを覚えた者等、様々だ。
――彼等は、どこへ戦いに行くのだろう。
――何と戦ってくるのだろう。
――もう少し待っていれば、戦いは終わるというのに。
そんな疑問は共通して、心の中に引っかかっていた。
避難民の一人がラジオの電源をつけると、そこへ希望の言葉が飛び込んで来る。
それが、若者達の戦いのタイムリミットを示していた。