100.紡
その姿は、生きている、というにはあまりにも情けない姿だった。
それでも、生きていた。
だからこそ、生きている。
「どんなに弱くとも、みっともなくとも、糞を垂れようとも……ニンゲンってのは、これで生きていくんだぜっ!これで、生きられるっ!」
新生児の如き、小刻みな呼吸が始まる。
指が何かを掻き毟るかのように、動き出す。
体が、うねり出す。
無意識のうちに気道を確保しようと、首が起き上がり、背中が反り、息に声が乗る。
「あぁ、あなた、だったというのですか……」
ユミルはその場に膝を落とし、震える手を差し出そうとして止めた。
まるでこれから生まれてくる命を見守るように。
敢えて、手を出さないように。
「……ち、……っしょ……」
赤ん坊と異なるのは、成人した大人という事。
その声には、言葉があった。
先に明理が、屈み、手を取る。
「立てるか?」
「あっ……がっ……」
「私の声は聞こえているよな?」
「……うっ……ぐ……」
「お前は、やったんだぞ」
「何を……だよ……!」
「よぉくやったぁっ!」
「気持ち悪いっすよ……!」
明理が浩輔に肩を貸し立ち上がると、ユミルに対しその目に意識の光が宿っていることを示す。
「……なんか、妙に体が軽い気がするんですけど」
「そりゃあ、今のお前は魂だけだから」
「あー……そういや、何も着てねぇ。色々漏らした気もするけど」
「今更だ」
「これ、元の体に戻れるんですか?」
「どうなんだ?」
膝を着いたままのユミルが左手をゆっくり上げると、彼方から弾丸の如き勢いで男の体が飛んでくる。
もしや、と思う前に肉体は魂にぶつけられ、その場に一人の人間が出来上がった。
元の体に戻ったことを喜ぶ間もなく、開口一番に嘔吐。胃液が出るまで、ひとしきりのリバース。
悶絶するという事は、生きており、生きようとする証拠だ。
「……さて、ユミル。もう、力のぶつけ合いは不要だな」
明理は肩を下げつつ、近くの瓦礫に腰を下ろす。
ユミルも何も言わずにそれに習った。
「あんたの目的はこれだったんだな。要は、最初から私らを試していた」
「……最初から、ではありません」
「じゃあ、つい今しがた、あんたのお眼鏡にかかったわけだ」
ユミルは肯定も否定もせず、ただ、服の裾を握る両手を震わせていた。
二人の横で逆流の限りを尽くした音が聞こえ、口中から最後の酸が吐き出される。
「よし、次はお前だ。コースケ。お前が受け取ったものを――」
明理の声が届く前に、浩輔は自らの力でよろよろとユミルの前まで近付き、膝から崩れ、地面に手を着いた。
その姿はまるで、というか、完全に土下座。
「ユミ、ル……」
「ありがとう」
「違う……」
「本心です」
「俺は謝る……」
顔の重量すら持ち上げられないほど困憊した様子で、浩輔もまた、一つの結論、一つの感情、一つの理性にたどり着いていた。
「あんたの、『期待』とやらに、応えきれなかった……」
ユミルは虚を突かれたようにうろたえ、己の中指にはめられた賢者の石をかざす。
その紅い光に照らされるのは、人肌以外の何物でもない。
「泣き声までは、聞こえたよ……」
浩輔は疲弊した顔を持ち上げ、くすんだ空に向かって答えた。
「おそらく、あんたのものだった」
「その先には?」
「……行けなかった。怖くなってな」
「その先に、私の『錬金術の全て』があった……」
「ははっ……なんだ……」
笑った勢いで全身を後ろに倒し、大きく尻餅をついて、浩輔は言った。
「わりぃ、俺はそんなタマじゃないよ」
ユミルは大きく息をつく。
憤りはなく、素直にありのままを受け入れた表情。
その脇で、明理が愉快そうに膝を叩く。
「これが人間って奴だなっ!この臆病さっ!」
「熱い掌返しをどーも……」
「そう……それが、人間たる証……打算なき勇気、飽くなき力への渇望、孤独を研ぎ澄ました精神、永遠に求め続ける夢・希望……その全てを『放棄出来る』心」
二人の漫才の間で、ユミルはそう締め括ると、顔の筋肉を緩めた。
いよいよ明理似の単なる美少女と化した相手から視線をそらすように、浩輔は言葉を反芻する。
「力を放棄出来る心、ね……よくよく考えてみれば馬鹿みてーだけど……」
「あなたが初めてです。それを本心で出来たのは」
「俺はあんたの真実とやらが知りたかっただけだ。余計なもんいらねぇよ……つーか、その口振りだと、俺の他にも色々な奴に試したってわけだな」
ユミルは静かに肯定する。
浩輔と明理はようやく合点がいったと、互いに確認するように目を合わせた。
「結局、あんたがやりたかったことは……」
「錬金術の力を誰かに託すことだった?」
ユミルは何も答えない。
表情も変えぬまま、否定も肯定もしない。
「錬金術の探究というのは……誰がこの力を持つべきかって意味だったのか?」
ユミルは何も答えない。
しかし、否定ではない。
「だったら、随分と回りくどい。いや……」
「力そのものが、何もかも引き寄せたってのか。求めている者達を……」
この凄惨な殺戮劇は――
人々の法と倫理の放棄と、国家の崩壊は――
そして、未来の狂気は――
「意志など何もなく、単に力が動いた結果、だったってのか?」
明理の一言で浩輔の腰から力が抜け、地面に背中がつき、天を仰いだ。
陽の光で赤みがかってはいるが、相も変わらず澱んだ雲の空だ。
「だったら、そんな力……あんたが持っといてくれよ。あんたが持つのが一番だよ。一番マシだ」
疲れと共に投げやりな言葉を投げる浩輔。
続けて言葉を出そうとするが、全身のだるさで喉が詰まる。
「――この力……錬金術と呼ばれるものは、人々を救うために生まれたもの」
次の言葉など不要とばかりのユミルの独白に、二人の表情が強張る。
「元々は、愚かな独裁者を生かすために始まった研究に過ぎなかった。卑金属を金に変え、人の魂を高め、不老不死の肉体を作る……そう、人を『完全な存在』へと変える。そのための、探求」
「それは私らも知っている錬金術だな。……で?その『完全な存在』とやらになれたら、ニンゲンって奴は救われるのか?」
分かりきった答えを、とばかりに、明理の問いに対して首が横に振られる。
「完全な存在、とは、他者を必要としない存在です。むしろ、他の存在を無意味なものへと変えてしまう、と言った方が正確でしょうか」
「そりゃまた、最強議論にありがちな哲学だな」
この地上に存在する個の生物に、万能の力を持つものはいない。
この世の万物は、何もかもが不完全だから、他が存在する。
だから、支え合う。
「どんな野望があろうと関係ない。この賢者の石を作った男の想いは、今を苦しむ人々を救いたい……ただ、それだけだった」
「心は読んだのか?」
「……いえ、私がそう信じているだけです」
浩輔がユミルの記憶の入口で聞いた台詞。
明理も少し皮肉で攻めすぎたと、軽く首を下げた。
「その男、たしかウルムだっけか。賢者の石を作って……どうなったんだ?」
「この世から消えました」
「死んだ、とは違うのか?」
「違います。彼はこの世界には存在していない。しかし、どこかで生きている。人の領域から外れたものを作ってしまったため、この世にはいられなくなってしまったか……それとも、更なる力を追い求めたが故か」
「こりゃまた、随分とファンタジーだな」
ユミルは中指の指輪から賢者の石を外すと、それをそのまま自らの薬指へと付け替える。
「私は、託されただけ。この力で、運命に飼い殺しにされている全ての人々を救って欲しい、と」
「だから、捨てられなかったのか」
「賢者の石は数多の命を喰らって出来る……そういう話くらいは聞いたことあるでしょう?」
「……漫画でくらいなら」
「それも、そういった伝承を流したからです。私が」
嘘か真か、とてつもなく長い時の話だと、浩輔の意識が宙へと上がって行く。
「実際に、この石を作り出すために、多くの命が捧げられました。それも、錬金術師達の覚悟を試すために、家族や恋人まで」
ユミルの手が、彼女の腹へと流れる。
「ウルムに家族はいなかった。数少ない親戚、友人達の命を捧げ尽くし、最後は、私へと……」
言葉が止まる。
彼女は泣いているのか。
形無き嗚咽だけを感じさせていた。
「また産めばよい、と。逃げてしまったのですよ。未来を作るはずの命を、自らの生への執着のために、消費してしまった」
言葉だけの記憶。
言葉だけだから伝えられる記憶。
だが、言葉だけでは伝えきれない記憶。
浩輔はどこか安堵するとともに、自身の弱さを更にぶつけられたような気を受けた。
「ウルムのために全てを捧げ、ウルムすらも失い、この力だけが残った。独裁者だけには渡すことは出来ないと、故に私がこの力を持つに至った」
「それだと……あんた自身は、錬金術師じゃなかったのか?」
「その肩書きは世を渡るのに使い勝手がよかった。少し力を見せれば皆簡単に騙せましたから」
そう、簡単に、とユミルは言葉を繰り返す。
「時の暴君やその取り巻きを消すことなど、それも簡単に出来た。……彼の思いを継げたと、少しは気も晴れた時はありました、が……」
その先は言うまでもない。
今、この国で起きている事だ。
そして、これまでに起こってきた歴史だ。
ユミル自身は何の野心もなく、思想家でもない。
圧倒する力を身に付けたところで、彼女が求める者達は既に存在しない。
いくら『悪人』を倒しても、無駄なのだ。
相対的な悪なら、なおさら。
「あんた自身も、止めたかった、のか……」
明理が語りかける。
同時に浩輔も全く同じ台詞をなぞっていた。
「自分が死ねば全てが終わるのではないかと思った時には、既に死ねない体になっていた。……こんなのが、人間だと言えますか?」
明理はようやく、先程からのユミルの質問の意味を理解した。
全てが手遅れだったからこそ、彼女は問いかけたのだ。
人でなくなってしまった存在を倒すためには、それだけの力を得るには――
「あんた……天北博士の研究……割と本気にしてたんじゃないのか?」
二人のやり取りを飛ばして、今度は浩輔が語りかける。
「……過去への希望は、気晴らし程度にはなりました」
「でも、無理なんだな。過去なんて変えても」
「はい、この力も、自分すらも消える確証すらないのですから」
「おいおい、そりゃ私に対する皮肉かよ……」
それは本気で困る、と明理が眉をひそめ、それを見たユミルは静かに笑った。
二人の台詞へか。自分への嘲笑か。
詰まりが混じり、頬を薄っすらと湿らせる、悲痛過ぎる笑い声。
「これが全ての答えです。私も既にこの世の存在ではない。ここに在るのは、力と力を託した者の想いだけ……」
言葉の意味を確認させる暇も与えることなく、ユミルは立ち上がり二人を一瞥した。
「私の望みは、私には叶えられない」
「だから――」
「そうです」
彼女は、待っていた。
この世に生きる者と、望みが重なる瞬間を。
「貴方達の、望みは?」
「……少なくとも、そんな力はいらない、な」
「ついでに、無くなればそれが一番いい」
ユミルは大きく頷く。
「分かりました。貴方達に全てを賭けましょう」
その力強い一言に吸い寄せられるように、浩輔は体を起こそうとするが、体が前へと折れてしまい、無様に顎を擦りむいてしまう。
それでも両手を使って必死に立ち上がろうとする姿に、ユミルは目を細めた。
「手をこちらに」
「どうする気だ?」
「私には錬金術そのものの否定は出来ない。私が先に消えてしまい、力だけが残ってしまう……。どうか、貴方達の手で決着をお願いします」
明理は何も言わずに足元のおぼつかない浩輔に肩を貸し、ユミルの手の届く所まで連れていく。
「全ての力の源はこの賢者の石にあります。これが無ければ力は使えない。……そう、これさえ無くしてしまえば、錬金術はこの世から消える」
「理屈は分かるけど、既に結構な石が世の中に出回っているんじゃないのか?」
「その全てを消滅させます。貴方達には、その方法を伝える。私が出来るのはここまでです」
それを聞いて浩輔の腕に俄然力が入った。
「写し身よ。これを使うと貴方の存在も消滅しますが、よいですね?」
本人に迷いはなかったが、隣りの目が微かに泳ぐ。
それを知ってか知らずか、真っ直ぐに即答が返された。
「最初からそのつもりだっつうの。未来を変えられる保証が無いってのが癪だがな」
「よろしい。貴方にはこの世の全ての賢者の石の昇華させる力の設計図を。コースケ、貴方にはその引き金を与えます」
「引き金……発動キーみたいなもんか?」
「要はお前が怖じ気づけば、全部台無しだ」
「……分かりましたよ」
浩輔と明理がユミルの手を取る。
その手は見た目通りひんやりとしていたが、紅い光が走ったかと思うと、一瞬で周囲の大気が変わるほどの熱を帯びていく。
「写し身よ」
「今更だが、ここでの名は明理だ」
「ミューアがつけたのですか?」
「いや、ルクシィって名が微かに記憶にあったから、それを日本語に訳しただけだ。漢字は適当」
「『理』を『明らか』にすると、いう意味ですね」
「たまたまだよ。解釈でどうにでもなる」
そのやり取りに、浩輔は思わず苦笑いしてしまう。
自分と全く同じ話をしていること。
そして、過去の自分への自嘲。
「うぁっ……すごい量の知識……だな……。とてもじゃないが、私には扱える気がしないぜ……!」
「……やはり、全てを伝えるのは無理、ですか」
「なにぃっ!?」
「端的に言うと貴方の容量が足りません」
「おいおいおいっ!」
「明理さんの容量が足りないなら、俺の方には回せないのか?」
ユミルは目を瞑ったまま軽く首を横に振る。
「コースケ……引き金の容量はほとんどありません。もとより、貴方に昇華の力を与えるつもりはない」
「どうせ一度使っちまえば無駄な力になるんだろ?そんなことは……」
「いえ……アカリ、貴方のアルク・ミラーの力を消去します」
「それで容量空けんのか。なんつー博打だよ……」
不意に、浩輔の脳裏に嫌な予感が浮かぶ。
しかも、それすら見透かされているかの如く、ユミルと正面から目が合う。
「……どうして、今の今まで昇華が果たされなかったか、分かりましたか?」
「あぁ……力を捨てること、か。信じなきゃならないんだな……真実にするために」
もし、自分自身が力を持っていたら、無理だったかもしれない。
力を持っていなくとも生まれる、疑惑。
これもまた人の本能。
「ったく、おいユミル。本当のところ、あと何人要るんだ!?」
「引き金と、確実な昇華の設計図の媒体、最後の錬金術の発動……本来なら3人」
「あんたは数に入らないんだな?」
あっさりとした肯定が返る。
「アカリがホムンクルス故に、錬金術の発動もと試みてはいましたが、予想以上にあなた自身の記憶が大きかった」
「じゃあ記憶容量も削っていいからよ。どうせ消えるんだし」
「意志に繋がる記憶がなければ昇華は完成しません」
「じゃあ、極限まで削ってだな……」
「あんた、人の記憶の操作くらいできるって言ってたよな?」
「私は力を写すことしか出来ない。判断は、貴方達で為さなければならない」
「やっぱり面倒臭えじゃねーか!」
二人の意志が非難へと向き始めた時、ユミルは軽く溜め息をついた。
「……私の口では直接言えません」
その一声で明理はすぐに察しがつく。
「錬金術の発動……それに、ミューアか……」
「ああ……そうか。錬金術を使わせるなら、そいつしかいない。だけど、納得するかな?」
「つーかそれは良いのか?あんたの制約的に」
「ええ、あの子だけは私の操作から外している」
「監視はしてるけど、ウォーダやメローネとは違って、自分とは別物って理解でいいか?」
「そして、いずれ貴方を創るであろうから」
少女はまるで母親のような目を見せた。
「あの子は新たなる可能性の探索者として創り出した存在。……だけど、あの子の中にも既に芽生えていたのかもしれない。この力を否定する心が。アマキタもそうだった……」
「いーや、ミューアに関しては違うさ。もっと単純だ」
「え?」
「アイツはあんたの苦しみを何となく分かってたんだよ。だから、教えて欲しかったんだ」
母親が子を想うがごとき心。
子が自分を想う母親に返そうとする心。
それは、ヒトでなくとも作り出せたのだ。
「……簡単な答えも、良いものですね」
気がつけば無数の光の象形文字が三人を取り囲んでいた。
さらにユミルが頭を上げると、周囲の空間が歪み始める。
それに呼応するかのように浩輔と明理の胸に、どくん、と強い鼓動が一拍。
「ぐっ!?」
「これがっ……か!?」
光の象形文字が拡散し、世界が、広がる。
宇宙のごとき、漆黒の中に、点々とする光。
「……これが、この力を背負いし者の末路ですっ!」
再び、強い鼓動が走る。
二人の頭の中に、無数の意識が流れ込む。
虚空の彼方から粘液まみれの手が伸び、まとわり付くように、二人の意識を締め上げた。
「……何だっ!?誰だお前らっ!?」
「こいつら……俺達に……乗っ取ろうってのか!?」
「全ては賢者の石に喰われた者達の骸。力を、求めた故に」
「しかもまだ生きようとしてるなぁっ!明らかに!」
二人の鼓膜ががんがんと揺り動かされ、嫌が応にもその亡者達の声が聞かせられる。
……が、聞こえてくるのは怨嗟や呪詛の声ではなく、力に溢れた声。
よく言えば希望、悪く言えば野心。
プラス思考の固まりの様な強い声。
それがかえって不気味なまでに、浩輔の心を惑わせた。
「多くは悔恨することもなく、消えた者達。自分達はまだ終わってはいないと、そう信じている」
「あーもう!要は悪霊みたいなもんだろ!?どうするんだよこれっ!」
「そのまま、進みなさい」
そう言われても脚など動くはずもなく、耳を塞ぐことも出来ず、意識だけを必死にもがくように動かす他ない。
進むという言葉にベクトルを求めた時には、ユミルの手が二人から離れていた。
「ユミルッ!?何処だっ?」
『力は移せた……私はもう、この世界にいることは許されない……』
「おい、本当に大丈夫なんだろうなっ!?」
浩輔は自由になった手を明理に寄せ、彼女もまたそれを強く掴んだ。
そこにあるはずの地面が急に不安定なものに感じられて、同時に体のバランスを崩す。
倒れた先にはおぼろげな光が漂っており、そこに引き寄せられている感覚があった。
だが、力を求めし者達が二人を放さない。
自分達も、自分達も、と必死にしがみ付こうとしている。
幸いにして浩輔と明理に働く引力の方が強いようで、一つ、また一つと意識から粘り気が剥がれ堕ちていった。
『後は……貴方達次第……この力は……意思を持っている……純粋に……生きようとしている……』
「……どういうことだっ!?」
二人を引き寄せる光が次第に大きくなっていき、亡者達の世界、ユミルの声が遠くなっていく。
『お願い……この力を消してっ!』
最後の声に、浩輔は絶句した。
瞬間、二人の周囲が現実のものへと変わる。
大都会東京……のビルの廃墟。そして、大量に出来上がったクレーター。
その最中に現れた、手を繋いだまま仲良く倒れている男女。
誰も見ていないのが救いであった。見れるはずはないであろうが。
「ユミル……?」
「コースケ、取り敢えず手離せ」
「あっ?あぁ……」
返事はしたものの、浩輔の手は緩める動きすら鈍くなっていた。
体を起こしても、頭を抱えたまま全身が動作を始めようとしない。
「あぁ……くそ、ユミルは消えたか……いや、『行っちまった』のか。何だか流されるままだったな……コースケ?」
「…………」
「おい、生きてるか?」
「生きてます、多分」
ぽかり、と、いつもの調子で明理が浩輔の頭を小突いた。
「痛って!私の方が痛ぇっ!なんだぁ!?もしかして身体能力まで削られたのかぁっ!?」
「明理さんも、完全に力を失ったってことですか」
「あー!あー!言うな!言うな!」
力が無ければ、単なる目付きの悪い(あと口も悪い)、スタイル抜群の長身美女だ、と気の利いたフォローが口に出かけたが、余計に彼女の炎に油を注ぐ行為になることは明白。
「明理さん、ユミルの最後の声、聞こえましたか?」
「……あー、『力を消して』って?」
「あんな声出るんですね」
明理は言葉の意味を少し考え、軽く舌打ちをつく。
「アイツがようやく出した本心って奴なのかな」
「本心、か……」
「行くぞ。とっとと終わらせねーと」
浩輔はのっそりと立ち上がり、脚の状態を確認した。
そして、歩き出す。すぐに、走らされる。
(どうして、俺にこんなものを……)
ユミルの最後の声。
それまでとは全く異なる、悲痛な少女の叫び。
――最後の最後で、浩輔だけに託された、彼女の記憶の一部。
その全容を省みるのは今ではないと、浩輔は息を切らしながら、自分に言い聞かせる。