99.深遠
人の心の声を聴く力。どんなに離れていても心の中で会話が出来る力。
これも人間が長い間夢見ていたものだ。
だが、その多くは、人から心を覗かれる恐怖を共に携え、そして潰えた。
人が身につけた能力は、幾多もの選択を経ている。
それも、エゴによっての分別。
『――コースケ、見えるか?私の視界が』
「うへっ……見えますよ。あんまり気分のいいもんじゃないですね……自分の眼が乗っ取られているみたいだ。いや、この場合は俺が乗っ取ってるのか」
『オーケー、次は逆だ。今度は私がお前の視界を乗っ取る』
それから数度、視界が切り替えられ、浩輔は軽い眩暈を覚えるに至った。
要はテレビの点滅と同じで、人の脳には中々堪える。
『よし、調整完了。後は、私とユミルを視界に捉え続けろ!』
「それだけでいいんですか!?」
『さっきから幻覚の様なものを見せられてんのか、奴の位置が全く掴めないんだ!攻撃が当たってるはずなのに当たってなかったり、逆に見えないところからいきなり直撃食らったりな!』
「そういうことですかい!」
先程からの違和感が氷解したところで、浩輔は物陰に隠れながら、双眼鏡で二人の位置を確認する。
方向を教えるには、二人の動きを追いながらも、向きも確認しないといけない。
本人からの要望こそ少ないが、後のオーダーは言わずとも、という奴だ。
『っしゃぁ、いくぜっ!』
明理は再び、左腕から機銃らしきものを発現させ、躊躇のない射撃を始める。
しかしながら、ターゲットは空中でその弾筋を最小限の動きでかわしていく。
幻覚など使わなくても、と言わんばかりの動作だ。
「明理さん、方向はっ!?」
『まだいいっ!その調子で続けろっ!』
「でも、また攻撃来てますよ、今度は後ろから!」
『ちぃっ!?』
大気を切り裂くような大爆音が、廃墟と化した町を揺り動かす。
回避の有無はともかく、防御態勢くらいはとれていることを祈りつつ、片手と両足で地面の衝撃を確かめながら、浩輔は口の中に入った砂埃を唾と一緒に吐き捨てる。
『~~そぉッ、単なる爆発じゃねぇなっ!何の燃焼を加えてんだ今のはっ!?』
「大丈夫なんですかこれでっ!?」
『いいから、バレないように奴の動きを追えっ!この分じゃ無防備で何度も受けれねぇんだよ!』
思考がダイレクトに伝わるため、明理の狙いも寸分の狂いなく浩輔へと伝達される。
カウンターからの一発必中の一撃必殺。
それまでに、ユミルに浩輔の存在を悟られるわけにはいかない。
無論、相手が本当に悟ってなければの話だ。
「前提から既にダメじゃないですかっ!」
『あとは信じる心、だっ!』
何度も障害物に躓きそうになりながらも、浩輔は必死に前線を追っていく。
一応浩輔の意思でも明理の視界を自分の眼に映し出す事が出来るが、その惨状は直視しがたいものであった。
分かってはいても、目でしか追えない相手の動き。
幾多の、幾重にもわたる爆発と、全身への衝撃。次々に二転三転する世界。
痛覚まで伝わっているとしたら、あっという間に心も折れてしまうであろう。
そして、それでも感じられる、相手側に圧倒的に『手加減されている』という感覚。
(くっ……はぁっ……こいつ……人造人間より、全然冷静だっ……!)
浩輔と意識を同調してからというものの、ユミルの攻撃に全くの感情を感じられない。
退屈ばかりに、あまりにも機械的。
とうとう、再び手を休めて、見下ろすように語りかけてくるに至る。
「私は、貴方と、話がしたいと言ってるのよ?」
「対話、か……」
「そう、出来ないわけじゃないでしょう?」
明理はフェイスガードの口部を開き、血痰を吐き捨てる。
「格下だと思っている奴への対話の提案なんて、ワンちゃんに対してお座りと言ってるようなもんじゃあねーか。生憎、私に尻尾はついてないんでな」
「なるほど……では」
ユミルは握り拳をかざし、そして開くと、指の本数分の紅い光球を発射した。
『また錬金術の精神攻撃っ?』
「違うっ!」
浩輔の考えを一瞬で否定すると、明理は全身から爆発噴射を生み出し、雲の上まで体を撃ち上げる。
「色を変えただけの……マイクロブラックホール弾って奴だぁっ!」
明理の怒号と共に、浩輔の目に東京の高層ビルを始めとした町並みが次々と消滅していく光景が映し出される。
宇宙の神秘を真っ昼間に見せ付けられ、神経だけ我先にと逃げ出してしまっているかのように、浩輔は地面に尻を着いていた。
「オーケー、おーけー……奴が『錬金術師』だということは一旦忘れよう……」
自分に対して必死に言い聞かせ、全身の神経を引っ張り戻す。
次いで、追う。
攻撃の主と、逃げた仲間の姿を。
(俺の、役は……!)
『コースケぇ……上等だ……漏らさなかっただけなぁっ!』
ユミルはブラックホール弾から逃げた明理を追撃していた。
その手が明理の体へと接触しようとしていたその瞬間、浩輔が二人の姿を目で捉えた。
「ここだぁぁっ!!」
明理とユミル。
二人の顔は同じ。身体情報は同じ。
だが、体は明理の方が成長した姿。
明理の腕が一瞬早くユミルの喉元を掴む。
「魂・滅ッ!!」
確かな手ごたえ、反動が感じられ、ユミルのうなじから無数の光の象形文字が噴き出す。
それは洪水のように流れ、拡散し東京の昼空に星屑の川を作り出した。
「ぁっ……はぁっ……悪ぃな……アンタに勝つにはこうするしかねぇ……その力ごと、全て雲散霧消に還してやるぜぇっ!」
光の象形文字の噴出は尚も止まらず、更に勢いを増す。
浩輔にしてみれば、まるで宇宙が一段下がって来たような感じだ。
一人の人間が、こんな星空を生み出すなど、全くもってただの幻想だ。
「……写し、身よ……」
「っ……?」
喉を掴まれたユミルから漏れるか細い声。
明理の全身に警戒が走り、人体の急所を握る手に更に力が込められる。
「見事……です……」
声と共に、ユミルの錬装が砂となって還り、白装束の少女が姿を現す。
その過程は、浩輔の目にもはっきりと映っていた。
そして、少女の目には光が戻り、顔全体が刻一刻と穏やかな笑みへと変わっていく。
「――さぁ、話の続きを始めましょう」
虚を突かれたかのごとく、明理の喉元に衝撃が走る。目の前の少女の手、ひいては腕の骨が長く、太く変形し、そこまで伸びていたのだ。
体格の差など無意味とばかりに。
「アレだけの、コードをっ……ぶっとばしたってのにっ……!?」
「『ユミル』とは『命の巨人』……そういう意味もあります」
「二、三人分はくだらねぇ量のコードを破壊されたってのに……底無しかよ、テメェはっ!」
今度はユミルの手に力が込められ、明理の錬装が強制的に解除される。
砂が舞う光景は、またもたしかに浩輔の目に映った。
「数多の命と記憶を喰らい、長い時を経てここまで来たのです。時には自身の感情、ひいては、力そのもの記憶を封印しながらも……」
「それを解いたのは……私らってのか……!」
「そう、そこにいる貴方もですよ。コースケ」
ユミルのもう片方の腕が虚空へと伸びる。
はっとして視界を切り離そうとするも、時既に遅く、浩輔にも首根っこを掴まれるかのような衝撃が走り、意識だけが二人のいる空間へと引きずり出される。
「意識を同調させている以上は、外からの干渉も可能ということです。このまま貴方の体から、完全に魂を引き抜いてもいいのですよ」
「……んと、に、何でも……アリだな……!」
「ただの人の身でここまで来たのです、貴方も一緒に話していきませんか?」
明理の言うとおり、対話というにはあまりにも滑稽な光景だ。
一人の少女が、その両手に二人の大人の首を掴み、その二人が頭を下げられているというのである。
この状態を対話と呼ぶ人間は一人とていないであろう。敢えて表現するのなら弁解だ。
実際にこの世に存在する対話がそうであったとしても、認められるものではない。
「……明理さん、他に手立ては?」
「ない、な」
「はぁ……そんじゃ、付き合いますよ」
出来ることは一通りやったと、浩輔が一部諦めの姿勢を見せると、ユミルは二人の首を掴む手をゆっくりと離す。
改めて対峙する相手を見据えるが、何だか腹が立つくらいに美少女だ。
年頃の少女の純真さと艶やかさが入り混じっているような……つくづく最悪の敵だ。
「では、コースケ。私に対して何か言いたいことは?」
「山程ある」
「なら、言ってみなさい」
子供を諭すような言い草で、更に腹の中が掻き立てられるも、大きな溜息で鎮められた。
「本当に、俺達に対しては、手加減してたんですね。それも、思いっきり」
「ええ」
「明理さんの正体を見せたとき時の驚き様も、全部演技だったんですか?」
「いいえ」
「じゃあ、明理さんを警戒してたのは?」
「本気です」
「未来とやらから来たのも知らなかったと?」
「はい」
「これだけの力があるのに?」
「つい先程まで、力も、記憶も、感情も封印していましたから」
「自分でも知らないくらいに?」
「そうです」
「何故そんなことを?」
「普段は必要ありませんから」
「今の俺と明理さんの作戦はどこで気づきました?」
「彼女が一度私の話を打ち切った瞬間には」
「そこまで読めるんなら、今回の一連の事件は概ね計算どおりだったわけですね?」
「いいえ、むしろ想定外を望んでいました」
「それは自信ですか?」
「ええ」
「この分だと、天北博士の研究も意味あるんですか?」
「私の知らない可能性なので必要です」
「そこまでして、錬金術の探求をしたいんですか?」
「ええ」
「何のために?」
「何故だと思います?」
ここまで続いていた理想的な一問一答の流れが、ユミルの質問返しと共に終了する。
浩輔も露骨に口の形を変え、不満をぶつける。
「……いい加減にしろよ、こちらの想像を並べても時間の無駄だ」
「無駄な時間かどうかは、すぐに決まるものではありません」
「詭弁は止めろ。どうして、自分の口で言えないんだ」
その直後、ユミルの中指が浩輔の額に刺さる。
実際の肉体にされている行為ではないとはいえ、世界が揺れるような鈍痛と、胃が喉の奥から持ち上がってくるような吐き気。加えて、無意識の内の顎の震え。
「ならば、どうぞ」
浩輔の意識ががくんと、どこか深い、奈落の底へと落ちる。
頭蓋骨の中に重り、それも途轍もない重さのものを直接差し込まれたかの如く。
その正体が途方もない量の情報・記憶だと言うことに気づいた時には、眼の揺らぎを止める事が出来ないでいた。隣で明理が何か喚いているのは聞こえるのだが、それも段々と遠くなっていく。
(ぐっ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?)
浩輔は耐え切れずに、魂だけの状態となっているはずの自分の口から大量の吐瀉物をぶちまける。
涙が溢れ、鼻水が流れ、股下から大量の失禁。
次々に、自分の中のモノが外へ出て行く。
そして、別のモノが自分へと入り込んでくる。
無数の光景のフラッシュバック。点滅。この時点で意識が飛んでしまいそうになる。
胃の中の内容物がこれ以上ないとばかりに口へと上ってくる。
すっぱい臭いの液体が虚空へと流れ出ると、自らの鼓膜に新たな声が徐々に伝わってくるのを感じた。
「――よいのですか!?貴方の協力があればこれ以上心強い事はありません!」
よく通る、壮年の男の低い声。
「――心強いとは、妙な事を。貴方が求めるのは報復という名の破滅であったはず」
これは、老婆の声。
かつての、仮の姿のもの。
「――そう、であったかもしれません。ですが……」
「――あなたは、まだ人間です。心変わりは、当然でしょう」
真っ白な世界に徐々に輪郭が生まれる。
周囲の風景は……墓だ。
そして、東郷の隣に立つ墓石には『葛島』の文字。
「――私は、どの道、彼女の所へは行けないでしょう。ですが最後に、彼女が残したものに対してだけは決着をつけたいのです」
「――私は、私の目的を果たすのみ。少し邪魔になるかもしれませんが、よいですか?」
「――貴方に邪魔をされるのなら、それもまた運命として、受け入れましょう」
東郷の顔はとても穏やかなものであった。
交わした契約さえも。
(東郷は……分かっていたのか……だとしても、無責任だ……あまりにも……)
世界が、沈む。
日本の陽気が急激に暗転し、目が焼けそうなくらいに紅い夕焼けへと変わる。
「――何故だっ!?何故こいつが死ななければならなかったっ!?」
怒号と共に目に飛び込んできたのは、石造りの建物……の廃墟。
日本ではない。が、テレビではどこか見覚えがある。
遠い、国の光景だ。
「――こいつが……綺羅がやっていた事は独り善がりの偽善だったかもしれない……!だがっ、それを否定するほど偉い人間がこの世にいるのかっ!?」
低く、よく通る声。
それも、まだ若い。
(あれは……東郷……なのか……?)
浩輔の中には存在し得なかった姿。
感情の起伏など一切出すことのなかった男の、嗚咽混じりの慟哭に心も揺らぎ始める。
「――俺の、せいなのか……それとも……!」
若い男は両膝をつき、粗末な墓の前で涙を落とす。
「――今の世の中は間違っている……そう行動を起こせば追放され、自らの心を変えた途端にこの有り様だ……ふ、く、ははははは……」
嘲笑、自嘲。
浩輔が会った男と同じ人間とは思えない。
「――世界は、変わらないのか」
(世の中は、甘くは無い……)
「――自分すらも、変える事が出来ないのか」
(あんたは、何を変えたかったんだ?)
「――私は、どうすればよかったのだ」
(俺も、聞きたいくらいだ)
この男も、自らの弱さを思い知っていた。
己の意志を、世界に否定されていた。
自分は間違っているという事実を、受け入れなければならなかった。
「――どういう答えを、望むのですか?」
老婆の声だ。
この時には、既に老婆の姿であったのか。
「――自らが望まない答えを受け入れる事が出来ないのならば、その辛苦は永劫に続く」
「――死ねと言うのか……いや、それも……」
「――死ぬという選択肢があるということを、幸運に思いなさい」
若い男の表情が変わる。
目は一点を捉え、そこから動かすことが出来ないでいるようだ。
浩輔は気づいた。
老婆の姿は先ほどから見えない。これは主観的光景だ。
自分は彼女の目となっている。
「――生き……ます……死ぬ、まで……」
「――ふふ……ならば、調整を始めましょう」
これが、一人の男の始まりであった。
これが、黎明という組織の始まり。
これが、始まり。
(こんなのが……いや、こんなのなんだな……)
いつの間にか、一人の男への想いが、途方も無い空しさに似た感情へと変わっていた。
人の記憶を辿るという事は。
人の苦しみを理解するという事とは。
――だとしたら。
(何故俺に、こんなものを見せる……)
浩輔の問いかけに答えるように、濁流の如き記憶の奔流が、脳細胞を駆け巡り、満たし、侵して行く。
その流れの中にぽつんと浮かぶ小島のように、少女の声が置かれていた。
「――これはあくまでも、私が見た光景」
(何が、言いたい……?)
「――トウゴウの記憶ではない」
(でも、あんたは東郷の記憶を見たんだろう?アルク・ミラーに改造するために)
「――人の記憶は、真実とは限らない」
思い当たる節を直接刺激され、浩輔の口がどもる。
「――憤りも、悲しみも、苦しみも、憎しみも……誇りも、人は己の創造一つで作り出すことが出来る。錬金術で人の魂の記憶を読み取るですって?……分かっていない。何も解っていない。有機質の肉体に嘘と捏造の意識を詰め込むだけでも……人は創れる」
(自分の力なのに、何故そこまで否定する……)
「――私の力ではない」
(いちいち遠回しなんだよ)
「――貴方が知りたいことは何?」
(何度も言ってる、だろう……)
「――では、貴方が納得するような答えを創り上げてみせましょうか」
浩輔の思考が一周し、ユミルの言わんとする意味が見えてくる。
「――たとえ、貴方や写し身が賢者の石を使いこなして、私の記憶を探ったとしても、私が嘘をついて終わらせることが出来る」
(魂の記憶ってのも……絶対じゃないっていうのか?)
「――人を形作るのは虚構。真実とは、信じることでしかない」
(だったら、『そこ』にある結果はどうなる?!)
「――そんなもの、解釈で如何様にも取れる」
(……あんたの前では『人生』なんて無意味なんだな)
「――その通り」
舌戦では、のれんに腕押し、ぬかに釘だ。
しかも、明理と浩輔がやろうとする行動の意味すらも壊そうとして来ている。
「コースケ……あなたは、答えを求めるために私と対峙している」
(気持ち悪いな……品定めされている感じで……敵だってのに……)
「さっきも言ったでしょう?私の敵は永遠……そう、答えではなく力を求める者……」
(俺だって、持てるんなら欲しいさ)
「どうかしら?あなたはまだ、力を持ったことはない」
(答えもだよ)
「ならば――」
――声が、聞こえる。
その主へと意識を向かわせようとすると、自分の意識が削り取られるように、ぼやけていく。
直感が冴える。
その先に全ての答えがある、と。
根拠無き確信が全身を支配し、声の方向へと意識が進む。
啜り泣くような声の元へ。
その先へ。
その先へ――。
「――なるほど、私もこうなるところだったんだな」
意識だけの存在だというのに、全身を痙攣させ、白眼を剥きながら泡を吹いている男の傍で、明理は腕を組みながら呟いた。
「それは、貴方次第です」
目の前にいるユミルは、先程からの笑みを崩さないまま、人差し指に光を蓄える。
「この男は、私にヒントをくれた」
「?」
「たしかに、こいつの言う通りなんだよな……」
頭を抱える明理に、ユミルは光を携えた人差し指を下ろす。
「まだ、時間が欲しいのですか?」
明理は答えない。
どのように返事したところで、結果は同じ、とばかりに。
「そうだというのなら、私は待ちましょう。ですが彼は――」
「……勘違いすんじゃねぇよ」
言葉の先を完全に捉えての、強い否定。
それを裏付けるかのように、今にも惨めに息耐えようとする浩輔の様子を見る明理の目は、微塵の焦りも感じさせない。
しかし、どこか憐れみのような表情は、隠そうとはしていない。
「貴方は、彼の事をどう思っているのですか?」
「気の毒な奴だ」
「慈愛、ですか?」
「力もねーくせに何かを為そうとして、結果、子悪党みたいなことしか出来なかった奴だよ」
「大切な存在、としては捉えないのですか?人間とホムンクルスの違いを否定できるほどの心を持った貴方、なら」
明理はむず痒いとばかりに、首を掻く。
「生殖機能もない私が、仮にこいつを好きだとか、愛している、とかいう感情を持っていたとしてもだな、こいつのためを思うなら、ここで死なせてやるのが最善だ」
「それが貴方の愛、ゆえに?」
「死後の世界がどうとか、知らねーけどな、生きてたところで、どうせまた変なことに……」
そこで言葉が止まる。
いや、無意識のうちに手で口を押さえていた。
明理は自らの本心を何度も反芻すると、やがて歯をぎり、と鳴らし、ユミルを真正面から見据えた。
「これも、ヒント、か……?」
その問いかけは、否定も肯定もされない。
ユミルの目は閉じられている。
「どう受け取るかは、貴方次第です」
「分かった」
「どうやら、貴方の答えは、決まったようですね。もう一度、質問しましょうか?」
「……いや、不要だ」
明理も目を瞑る。
だがその体は、僅かな歪みも感じられないほどに真正面に向き合っていた。
……二人の瞼が同時に開かれる。
「お前が人であるかどうかなんて、私に答えは出せない。知ったことかよ」
「……そうですか。では、受けてみなさい。私の歩みを――」
二度目の宣告。
だが、明理は後ろへ引いた。
恐れにしては不敵過ぎる素振りで、ユミルを見据える。
「断る」
「……?」
「私が見る必要は無い。……私を消すなら、その男が死んでからにしな」
自信に満ちた一言で、ユミルの眼が震える。
その一瞬を、明理は見逃さなかった。
「あんたにも見落としってのがあるんだな……!」