9.組織の影
陽は既に暮れ始めていた。
所は八瀬家から遠く離れた港の人気の少ない倉庫街。
その一角の倉庫の中で、無精髭を生やした男達が酒盛りを始めていた。一見すると日雇い労働者にも見えない事はないが、その顔触れは一貫して近づき難いものであった。
「いやー女が暴れ出した時はどうしようかと思ったが、上手く行ってよかったなー」
「しかし何だ?あの猫耳と尻尾を生やした娘は。人間なのかありゃ?」
「キカナイ、カンガエナイ。ソレガ、ケイヤクネ」
「まぁ、触らぬ神になんとやら……だな」
男達はほろよい気分で今日一日の仕事の疲れを癒していた。たかが一匹の謎の生物の確保とはいえ、結果として強盗まがいのことをしでかしたのである。これまで何度も法に触れているとはいえ、その精神的緊張から来る疲労は決して小さいものではない。
自分達は世間一般で言う所の『ゴロツキ』……それは各々が一番よく理解していた。決して付き合いの長い仲ではないが、互いのことを無闇に詮索しない暗黙のルールがあった。
そんな中へ、倉庫のシャッターをノックする音が響き渡る。それも普通のものでは無く、一定のリズムで鳴らされていた。
「へ……噂をすれば雇い主さんのご登場だ」
「オカネ、イタダクマデガシゴトネ」
カタコトの明らかに不法入国者らしき男が勝手口まで行き、玄関の鍵を開ける。ドアを開けるとそこにはサングラスを掛けた全身黒ずくめのスーツの男が立っていた。
黒服の男は、不法入国者を軽く一瞥すると、無言のまま倉庫の中に入って行く。
「……ご苦労だったな。例のモノは?」
「あそこだ」
首にタオルを巻いた四十半ばの男が、倉庫の片隅のある布を被せられた荷物を指差す。黒服は無言のまま、そこへ近づいて行き、布を乱暴に引き剥がした。
姿を現したのは、いかにも堅牢な鉄格子の檻。その中には両手両足を縛られた上に、眼隠しと猿ぐつわをされた二人の少女が、寄り添うようにして、体を縮こまらせていた。
黒服は軽く息をつくが、大きい方の「普通の」少女を見て眉を顰める。
「……妙なおまけがついているが?」
「その嬢ちゃん、猫娘をかばおうとしたんですよ。一応連れて来ましたけどどうします?」
「我々が欲しいのはサンプルだけだ。この女は貴様らで始末しておけ」
「好きにしていいってことですか?」
「外部に漏れる前に確実に殺せ。それまでは好きにしろ」
「へへ、そりゃどうも」
大きい方の少女にもその会話が聞こえていたのか、明らかにその体を震わせていた。助けを呼ぼうにも猿ぐつわのせいで、か細い唸り声が出るのみ。
「外に車を用意してある。報酬は車に積み込んでからだ。働いてもらうぞ」
「はいはい……」
「その分頼みますよ、へへ……」
少女達をさらった誘拐犯も、この黒服の男達の素性は知らない。いや、知るとかえって危険だという事を本能的に分かっているのだ。何せ警察の動きすら、完全に止めてしまうような奴らなのだから。何かしらの強大なバックがついていることは、容易に勘付ける。
元々自分達は社会のはじかれ者。だからこそ、危険であろうとも強いものにつく。誘拐犯の誰もがそう思ってこの仕事を引き受けた。これが世の中というものだ。社会の仕組みだ。
そして、数分後、男達は自分の人生の選択を激烈に後悔する。
◇ ◇ ◇ ◇
「……え?」
固まる。男達は凍りつく。誘拐犯も黒服も、皆等しく呆気にとられる。
外に止めていたはずの車……実際は護送車のようなものだ。それもロケットランチャーを撃たれようとも壊れない、非常に強固なものであったはずだ。はずだ。
それが完膚なきまでに破壊されつくしているのだ。それも無音で。火の手の一つも上がらず。黒服の男が倉庫の中に入ったものの数分のうちに。
「これは……!?」
「おいおい、冗談きついぜ大将……」
「馬鹿な! 運転席には上田がいたはずだ! あいつは……」
黒服の男も気が動転したのか、仲間の名前を呼びながらその場を見渡す。
そして、発見する。これまた無残なまでに『破壊された』同僚の姿を。
両足があり得ない方向に曲がり、指は全方位を指し示すかのように変形していた。
「上田っ……!?」
「た、たすけ……!」
「ふははははははははっ!!」
夢でも見ているかのように目をひんむかせた男達の姿をあざ笑うかのように、男らしき人間の笑い声が倉庫街に響き渡った。
「だ、誰だ!?」
「どこだ!?」
「あ……う、上だ!」
沈みゆく夕日が逆光となって、その人物の影を映し出す。男達のいた倉庫の上で直立不動のまま腕を組むその姿。全身に白い装甲を纏い、赤い目を光らせるその容貌。
男達に声を出す隙すら与えないと言わんばかりに、その人物は語り出す。
「こちらでも事情は粗方理解した。かの猫耳の娘は、貴様らの研究施設で創られた……もしくは改造されて生まれたようだな」
「な……!」
「しかも世にその実態が明るみになる事を恐れ、無関係な少女まで誘拐して殺害しようとするとは……人の風上にも置けんやつらよ……」
その人物は何のためらいも無く二十メートルはある高さから飛び降り、そのまま地面に、アスファルトに足をめり込ませながら着地する。
「き、貴様は……何者だ!?」
「……知の探求は大いに結構。だが、人的犠牲あっての研究など愚の骨頂。何がための研究、何がための学問か……この今日という日、貴様らには大いに反省してもらおう。……このシグ・フェイスの手によってな!」
突如現れた正義のヒーローは芝居がかった調子で黒服の男に指を突きつける。
その場にいた男達は、カオスの中にまたカオスを投げ込まれた状態になり、混乱の極みに至っていた。
「し、シグ・フェイスぅ!?」
「最近新聞とかに出ている正義のヒーローって奴か!?」
「ヤラセじゃないのかよ!?」
誘拐犯グループたちは完全に目の前の出来事から逃れようとしていた。圧倒的現実逃避。いくら頭を振ろうと、頬をつねろうと、ひっぱたこうと、決して逃れられぬ夢。
その中で、ただ一人黒服の男は冷静に拳銃を取り出し、目の前の人物に突きつける。
「貴様……どこの組織の者だ」
「貴様らと違ってそんなものはない。私は一介の正義のヒーローだからな」
黒服は無言で三発発砲するが、正義のヒーローはたじろぎもしない。アスファルトの地面に小さな金属音が鳴り、誘拐犯達はいよいよもって腰を抜かす。
流石の黒服の男も拳銃を握る手が震え始めた。
「く……あの開発中のパワードスーツと同じ物なのか!?」
「パワードスーツ……?話が掴めんが……まぁいい。貴様らに仕置きしてからゆっくりと聞きだすとしよう」
正義のヒーローの右手が赤く光り出し、周囲が凄まじい熱気に包まれる。それと同時に左手からは人間の目に見えるほどの電流がほとばしった。
「ひ、ひぃぃぃぃ!?」
「こらぁ!逃げるな!全員纏めて反省しろぉ!」
誘拐犯達が一目散に逃げ出す。猛獣に襲われた時の本能と言うものなのか、皆が別々の方向に走り出した。ヒーローはやや迷いを見せたが、すぐに一人ずつ素早く潰せばいーや的な思考に達したのか、適当な一人に狙いを定めて、地面を抉りながら走り出した。
……そして人気の無くなった倉庫の中に忍び込む影が一つ。
明理が絶妙なタイミングで登場したため、鉄格子の檻の鍵は開けっぱなしだ。
「八瀬さん、大丈夫か?」
「むー!」
真織は全然大丈夫じゃないと言わんばかりに首を振る。
浩輔は急いで唾液まみれの猿ぐつわを外してやる。目隠しも外してやると、既に顔は半泣き状態であった。
「せ、せんぱぁぃ……」
「もう大丈夫だ。何か変な事されてないか?」
「先輩が黒幕じゃないんですかぁ!?」
「何言ってんのぉ!?」
どうやら変な誤解が生じているようだ。
聞く話によると、浩輔が彼女の家を出た後、間髪入れずに誘拐犯達が襲って来たらしい。
タイミングがタイミングなだけに、真織ちゃんは今回の件は浩輔が仕組んだものと思っていたらしいとかなんとか。なんとも狭い世界観というか。
「だって先輩、ミミちゃんを見た時も凄く冷静だったし……」
「頭の中では目茶苦茶混乱してたよ!」
「この子を何とかするのもアテがあるっていってたけど、よくよく考えたらそれも変な話だし……」
「…………」
浩輔は日頃の行いを反芻していた。
特に彼女の前では善人っぽく振舞っていたつもりであった。
アテがある件については上手く答えられないけど。
「それにどうやってここまで……」
「それは……」
「あいよ!これでラストぉ!」
最高のタイミングでヒーローが登場する。
檻から出た浩輔達の視界に入ってきたのは、文字通り積み上げられた誘拐犯グループの山。
しかも、どういう趣旨かは知らんが、全員下半身の衣服を引っぺがされている。
「それは、あの人が助けてくれたからだよ」
「あの人?」
真織の視界に明理……もとい正義のヒーロー、シグ・フェイスの姿が映る。
と、同時に彼女が固まる。
こうなるとファースト・コンタクト映像集でも作りたくなってくると、浩輔は思った。
「え、あ、し、しししししシグ・フェイスぅ!?ほ、本物ぉ!?」
「いかにも」
「も、もしかして先輩の言ってたアテって!?」
「いや、それは……」
「彼とは君を探している途中でたまたま会ったんだ。今回は人命もかかっているので協力を頼んだのさ」
ナイスヒーロー。
一つ貸しが出来た。
洗濯の件は免除。
「うにゃ……」
「あ、ミミちゃん?」
「それが例の猫娘か……」
猫娘も何とか無事のようだ。
黒服の男が『サンプル』と呼んでいたのが、浩輔も引っ掛かっていた。。
「ふー!」
「ミミちゃん、どうしたの?」
「どうやら私が怖いみたいだな」
猫娘は真織の背中にがっしりとしがみ付き、えらく明理のことを警戒している。
あんな力を見せつけられれば、仕方ない部分もある。
「まぁいい。どの道奴から話を聞けばいいや」
明理は黒服の男……いや、下半身の衣服が剥がされているから、『上半身黒服の男』の方に視線を向ける。男も既に立ち上がる事が出来ないくらい脚にキテおり、隠しきれない恐怖によって顔が引きつっていた。
「さて、お前には聞きたい事が山ほどあるのだが」
「俺は……下っ端にすぎんぞ。金で雇われたこいつらに至っては尚更だ」
誘拐担当の方々は必死に死んだフリをしている。何か矛盾してるがとりあえず放置。
その一方で明理は金属の擦れる音を鳴らしながら男に近づいて行く。
「下級戦闘員にしちゃ話が通じるじゃないか。『イー』しか鳴けない奴らに比べたら全然マシだ」
「お前は一体何を言ってるんだ……」
この人とまともに話したら負けだよ、と浩輔は静かに同情する。
「……まずは単刀直入に聞くが、あの猫娘は何者だ?」
「知らんよ。俺も何かの実験のサンプルとしか聞かされていない」
男は即答する。その目には微塵の迷いも無い。
明理も少し判断に困ったようだが、軽く肩をすくめるだけに留めた。
「では……次に、貴様の言うパワードスーツとやらについてだ」
「それは……」
「これは何か知っているだろ? さっきの口ぶりからするとな。答えてもらうぞ」
「……人が一瞬の内にお前のような装甲を纏う話を聞いた事がある」
「……何ィ!?」
明理は急に男の襟元を掴み、怒り狂ったように持ち上げる。
「それは貴様の組織でか!?」
「そ、う……いや、違う……あれはまだ……うっ!?」
「どうした!?」
「あ……あぁ……!?」
男は急に目を見開いて苦しそうな唸り声を上げる。
流石の明理も慌てて体を下すが、男はそのまま力なく彼女の体にもたれかかり、膝をつき、倒れる。明理も男の首元や手首をたしかめてみるが、すぐに諦めたかのように首を横に振る。
「……死んだか」