序幕
この生に一体どれだけの意味があるのか。
今の私の姿を見て、あなたはどう思うだろう。
あなたのためだったのです。
あなたの夢のためだったのです。
しかし、あまりにも多くの犠牲を出してしまいました。
多くの人々の悲しみを生み出し、多くの愛を踏みにじって来ました。
あなたの夢はそれだけ価値のあるものだったのでしょうか。
あなたとの愛はそれだけのものに支えられるものだったのでしょうか。
もう、何年生きようとも私一人では答えは見つかりません。
あなたがいなければ――
あなたを救うために――
あなたの言葉からならば、私はどんな罰でも――
『ワタシヲ』
『殺セ』
◇ ◇ ◇ ◇
「ちくしょう!殺してやる!」
深夜の住宅街に男の罵声が木霊する。よりにもよって、日曜の夜。
明日から学校だ、仕事だ、と人々がブルーになる晩の最中に起こった、非日常的な事件。
舞台は住宅街の真ん中にありそうで意外とない、T字路の行き止まり。
「ふ、ふざけやがって……!」
そこには、震えた両手でアーミーナイフを握り締める男の姿。
サングラスとマスクで顔が覆われているが、声の響きと、僅かに覗かせる肌の状態で四~五十代の人間だと推測できる。
いかにも典型的な不審者だと思える出で立ちだが、現在の状況は真逆。まるで、通り魔に追いかけられた女子高生の如く、弱々しい存在と化していた。
「その前に、私の話をちゃんと聞け」
瞬間、男の三メートル先に、大きな人影がどこからともなく飛び下りて来る。おまけに衝撃の吸収など全く気にしていないと言わんばかりに、轟音を鳴らしながらの片足着地。
その人物は、明らかに、普通では無かった。
全身に白い衣服……もとい、装甲を纏い、頭部もヘルメット一体型のフェイスガードで覆われており、顔形は全く分からない。さらにフェイスガードのせいで声は低くくぐもっており、ちょうどテレビでモザイクをかけられている人のような状態。体格は170半ばのがっしりとした体つきだが、なにせ着ているものがコレなので、中の人物の年齢はおろか、性別すら判断がつかない。そもそも、中に人が入っているかどうかすらも分からない。
「ち、ちくしょう……何が正義のヒーローだ……!」
追われている男が、その人物の特徴を一言で表現した。
そう、言うなれば特撮ヒーロー。誰もが小さい頃にテレビの画面にかじりついて見ていた、あの正義の味方。
ヒーローと呼ばれた人物は、男の眼前に向かって指をさす。金色の関節部が、夜の街灯に照らされ、男は思わず目を細めた。
「痛い目に会いたくないのなら、大人しく警察に自首することだな。それが出来ないなら、奪った現金に菓子折りを添えて被害者に謝りに行くことだ」
もっともらしく無茶苦茶なことを言うヒーローを睨みつけ、男は声を荒らげる。
「俺より悪い奴なんてこの世に腐るほどいるじゃないか! 政治家とか暴力団とかよ! 正義のヒーロー名乗るんなら、そいつらから先にやれよ!」
男はやや涙交じりに喚きたてるが、目の前のヒーローは呆れたように肩をすくめる。
「……で?悪の司令塔がどこにあるか分かっておきながら、自分は何もせずに、年寄り相手のタクシー強盗か? 随分と呑気なものだな」
「て、てめぇに何が分かる……!」
「お前が臆病かつ他力本願で、意気地なしの卑怯者だというくらいしか分からんな」
「てめぇに俺の苦労が分かってたまるか!」
「他人の苦労なんて分かるはずないだろう。逆に私の苦労がお前に分かるか? 分かってくれるか?」
勤めていた会社が2年前に倒産し、その後再就職先も見つからず強盗に走ったという、そこそこな理由づけがあるにはあるのが、ヒーローはそんな男の過去などまるで興味ありませんと言わんばかりに全否定する。というか、全体的にボロクソに罵る。
「じゃあ何のための正義のヒーローだよ!」
「私は『正義の』味方だ。正義ではない者の味方をする気は毛頭ない。それともお前は自分は正義だとでも言うつもりなのか?」
ではそもそも正義とは一体何なのか? そんな問答になると、話がややこしくなりそうなのを本能的に悟ったのか、ヒーローは男の次の言葉を待たずに戦闘態勢に入る。
「くだらん言い争いはここまでだ。結局お前は抵抗するのか? それとも降参するのか?」
ヒーローの右手が赤く発光し、男はナイフを構えたまま思わず後ずさりする。
が、すぐにブロック塀に阻まれ、だんだんと下半身の感覚が薄れてゆく。
「み、認めない……認めないぞ……こんなの間違っている……」
男はわなわなと首を振り、必死に現実の世界に戻ろうとするが、目の前のそれは一向に消える気配がない。
その間にヒーローは一歩、また一歩と距離を詰めて来る。
「覚えておけ、私の名はシグ・フェイス。悪と対峙することを恐れ、自分もまた悪の道に染まる……」
赤い光が更に輝きを増し、同時に男の顔に凄まじい熱気が襲いかかる。男はナイフを闇雲に振り回すが、瞬時にヒーローが刃先を掴むと、彼の手の中で金属部がドロドロと溶け出し、地面にしたたり落ちる。
男は恐怖のあまり、声すら出なくなっていた。
「その臆病な心を……反省しろっ!」