第二話 警官
こんなに自由に歩いたのは前にルンペンを探しに出たとき以来だ。
初夏の風は心地よく草木まで新鮮に蒼く見えた。さっき生まれた命たちが町にあふれ僕の心とはうらはらに世界はさわやかな空気に包まれていた。
しかし、前と違っていた点もいくつかあった。
それが僕の運命を思わない方向に導くこととなった。
町には人があふれていた。
以前からは考えられないほどに建物は密集し、大勢の様々な人々が往来するようになっていた。
優しそうな女のルンペンも見当たらない。
すべてがよそよそしく、何かにとりつかれたようにあわただしく思えた。
景色だけがゆったりと流れていた。
そんな中、一人の男が僕に声をかけた。
「僕、ひとり?どこから来たの?おかあさんは?」
見るとその男はいわゆる警官という種類の人種だった。
僕も見るのは初めてだった。
それが何を意味するかは僕も知っていた。
僕は彼が僕のルンペンにはならないことを十分承知していたが、彼が僕にとって利用する価値がある人種だということもまた十分に知っていた。
そこで僕はみなしごの子供を演じることにした。
僕にはまだ、ルンペンが必要だからだ。
「おかあさん死んじゃった。家もなくなっちゃった…」
僕はたどたどしく言って泣いてみせた。
すると警官は
「困ったね…おじさんとおうち探しにいこうか」
その警官は僕の手をひき、交番へと向かった。
色々考えをまとめたかったので、交番につくまでは黙って悲しそうにしていた。
途中、何度か彼は僕に話しかけたが僕はだまっていた。
交番は大通りを10分程あるいたところに景色にうもれるかのように小さくたたずんでいた。
建物は古く、外からは中が薄暗く見える。
しかし入ってみると以外に明るく感じた。
そして僕の考えはすっかりまとまっていた。
着くと直ぐに、彼は何やら紙と鉛筆を出してきて僕に尋ねた。
「じゃあ僕、名前を教えてくれないかな?おうちかえりたいでしょ?」
僕は泣いて答えなかった。モチロンわざとだ。
いくらきいても何を聞いても何も答えない僕に小一時間もすると警官はすっかり困りはててしまい、どこかに電話をかけて何やら相談しはじめた。
僕は心の中で「しめた!」と思っていた。
前のルンペンの親戚や近所の連中は、僕をひどく差別していた。
「子供のフリをするな!この妖怪!」と石をなげつけられたこともしばしばあった。
タバコを押し付けられ、それでも火傷ひとつしない僕を人間扱いはしてくれなかった。
僕に優しかったのはルンペンだけだった。
そんなルンペンが悲しむのが嫌で僕は何をされてもいつもおとなしくがまんしていた。
彼らは僕を探さない。そんな確信があった。
捜査の依頼など出すはずがない。名前も住所も何を聞かれても泣いてごまかしてしまえば最寄の施設にいれられるだろう。そんな考えがあったからだ。
ルンペンではないが、施設は使えそうだ。そう思うと僕の心はルンペンに依存しない生き方の発見にときめいていた。
しかし、警察の質問は長く同じ事を何回も繰り返すもので、思ったほど簡単には事ははこばず、結局場所を変え人を代え三日も質問ぜめにあったあげくにようやく施設に送られることになった。
三日目の夜がすぎ、四日目の朝がきた時、僕は警察署の窓から外を眺めていた。
その窓は西向きの3階にあり、朝には後ろから光がさす。
外はよく晴れて光があちこちで反射して町がまぶしかった。
それでも、待ちきれない何かを待つように僕はずっと外を眺めていた。
しばらくすると、一台の車が署の門を通り中に入ってきてとまった。
ガリガリとハンドブレーキの音がして、中から女が一人出てきた。
その女が建物の中に入るのを見届けると僕はあわてて階段を駆け下りようとしたが、担当の警官にあっけなく捕まって別室で待たされた。
パイプ椅子に座ってしばらく天井を眺めていると、後ろから
「はじめまして…えっと、名前はなんていうのかな?キミまだ名前も言ってないでしょ?」
と女の声が聞こえた。
振り返ると、優しく微笑むその女にルンペンの面影をみたのか僕は思わず
「ダイスケ」
と声を発してしまった。
驚いたのは警官のほうだった。
今まで何を聞いても僕は何一つ答えていなかったからだ。
少し気まずい空気が流れた。
女は少しうなずいて
「とりあえず、うちで預かってしばらく様子をみましょう。そのうち何か話してくれるかもしれませんし…」
すると警官は少し僕のほうをいぶかしげに見ながら
「分かりました。では何か分かったらまたご連絡ください。」
と言った。
女は警官に軽くおじぎをして、それから女は僕の手をとり、警察署を後にした。
そして車は向かった。
あの運命の施設へ…