PROLOGUE
ルンペンとはボロをまとってうろつく浮浪者、乞食をいう。
その語源はドイツ語の「LUMPEN」でボロの布切れを意味し、かのマルクスが極貧層をルンペンプロレタリアートと呼んだことなどにより日本でもそう呼ばれるようになった。
町が光に包まれて何もかもが真っ白になった。
気がつくと、なんにもない地平線と瓦礫ばかりの場所で僕は泣いていた。
なぜそんなことを覚えているのかわからない。
まだ赤ん坊の時の記憶だ。
ここで、初めて僕は僕以外のまともに生きている人を見た。
目の前にいたのはいわゆる浮浪者だった。彼は僕の育ての親になった。
人は彼をルンペンと呼んだ。だから僕も彼の名前はルンペンだと思っていた。
ルンペンは口がきけなかった。
彼に育てられた僕も言葉を覚えず、しだいに人里を離れて暮らすようになった。
たまに彼は食料を盗みにいった。
それ以外は蛙や虫の幼虫を食べていた。
それが当たり前だと思っていた。
そんな生活が二十年も続いた。
それでも僕はやっと立って歩けるくらいの赤ん坊のままだった。
それが変だとも思わなかった。
そんなある日ルンペンは死んだ。
僕はルンペンを食べた。
そして僕は一人になった。
そのとき僕は新しいルンペンが必要だと思った。
そして、人里までいくことにした。
新しいルンペンはすぐに見つかった。
今度は女のルンペンだった。
そして、僕に「ダイスケ」という名前をつけた。
このルンペンはこぎれいで、ちゃんと家に住んでいた。
ここで初めて僕は言葉というものを覚えた。
ルンペンという言葉の意味も知った。
でも僕はその女のことをルンペンと呼びつづけた。
成長しない僕を哀れんだのか、それでもその女は優しかった。
そして何でも優しく教えてくれた。
その頃からだろうか、僕は自分が何者なのかいつも考えるようになった。
それから三十年このルンペンに育ててもらった。
すると、ようやく普通でいうと5、6歳くらいの子供にまで成長できた。
だけど、そのルンペンもその頃死んでしまった。
不思議と今度は食べようとは思わなかった。
初めて悲しいという感情を理解した。
周りの人たちは成長しない僕を気味悪がって、誰も僕を引き取ろうとはしなかったので僕はまた、新しいルンペンを探して旅に出ることにした。